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2004年02月25日(水)
直木賞作家・京極夏彦の仕事

「九州ウォーカー・2004・No.5」での、第130回直木賞を受賞された京極夏彦さんのインタビュー記事より。

【「小説というのは小説家が書いただけじゃ完成しないわけです。印刷され、製本されて全国に配られ、書店さんが店頭に並べて一生懸命売ってくださり、読者が読んでくれて初めて完成する。つまり、その過程に係わったみんなのモノ。僕は書籍という商品を作るための一スタッフとして、テキスト制作に携っているだけで……」
 受賞コメントが非常に控え目でしたね、そう問いかけると第130回直木賞作家・京極夏彦は、訥訥と言い含めるように語り始めた。】

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 この謙虚なような、人を食ったようなインタビュー、まさに京極さんらしいなあ、と思いながら、僕はこの記事を読んだのです。
 僕はこの「書籍という商品」という言葉に、京極さん自身の「照れ」と、「自分は『商品』、つまり、売り物になるものを作っているんだ」、という職業作家としての自負を感じました。
 確かに、「本」というのは、作家がいなければどうにもなりませんが、作家だけがいても世に出ることはないわけで、(ここでは省かれていますが)編集者や装丁者や印刷をする人や流通の人、書店の店員さんなどのたくさんの人の力で世に出ているわけです。
 それだけ多くの人の手を経て、「想い」を背負っている、とも言えるのではないでしょうか。

 もちろん、WEB上のテキストだって、書く人だけでは世に出るものではなく、パソコンを造る人やプロバイダーの人などの力がないと、どうしようもないわけですが。

 でも、僕はまだ、本のほうに、より強い「想い」を感じているのです。
 誤解の産物である「トンデモ本」や危険な宗教団体などの「教条本」のような、読むことが必ずしもプラスにならないようなものも混じってはいるけれど、一般的には、まだまだ書籍のほうがより多くの人の手を経て選び抜かれたものなのではないかと思います。本を出すのは、今のところWEBに文章を書くよりも手間もお金もかかりますし。

 実際にいろいろ検索をしてみて思うのは、「お金になる情報」を無料でWEBに公開している人は、まだまだ少数派だということ。
 100万部売れることが確実な小説なら、ごく一部の好事家を除けば、タダでネット上で公開する人はいないでしょうし。

 まだまだ、書籍はあなどれません。やっぱり、プロの仕事は違う(場合が多い)。
 新聞社のサイトでニュースをわかったような気になっていることが僕も多いのですが、あらためて読んでみると、サイト上に無料で公開されている記事なんて、ほんの一部なのです。

 京極さんのコメントの中に「読者が読んでくれて初めて完成する」という部分があります。
 これは、「売れない小説はプロの仕事じゃない」と自戒されているのかなあ、なんて、僕は深読みしてしまうのです。

 いや、別にみんながプロになる必要はないし、アマチュアなりの楽しみ方はあるんだけど、プロとアマの間には見えないけど厚い壁があるんだなあ、なんて、この一見飄々としたインタビューで、あらためて感じてしまったのです。

 まあ、「本物のプロ」というのは、ごく一握りなのかもしれないけど。