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2004年02月13日(金)
なぜ電車内で化粧をしてはいけないの?

共同通信の記事より。

【日本民営鉄道協会(民鉄協)は18日までに、大手私鉄・地下鉄16社の利用者から集計した「駅、車内の迷惑行為」のランキングを発表した。1位は1999年のスタート以来(年1回集計で2000年は行わず)、4回連続で「携帯電話の使用」で全体の25%を占めた。
 16社の主要駅で配布している民鉄協の広報紙でアンケートを呼び掛け、約5500人が回答した。
 携帯電話使用は01、02年はいずれも30%台を占めたが、今回は前回に比べて9ポイントも下がった。民鉄協は「使用のマナーが少しずつ定着しているのではないか」としている。
 2位以下は「座席の座り方」「所構わず電車の床に座る」「電車内で騒ぐ」の順。同率5位で「乗降時のマナー」と「女性の化粧」となっている。】

参考リンク:「なぜ電車で化粧をしてはいけないんでしょうか?」(「人力検索サイト・はてな」でのQ&A

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 ちなみに、「18日」というのは、去年(2003年)の12月18日です。ちょっと旧い話題ですみません。
 実は今日、何の気なしに上記参考リンクのサイトを眺めていて、上の質問といろいろな人の回答を見て、あらためて考えてみると、確かに「なぜだろう?」という気もしなくはないんですよね。
 僕は田舎暮らしが長くて、電車通勤の経験がほとんどないので、あまり実感できないところもあるのですが。

 共同通信の記事での「電車内での迷惑行為ランキング」のなかで、「座席の座り方」「騒ぐ」「床に座る」なんていうのは、「自分自身が座るスペースが無くなったり、降りられなくなったりしるという実害がありますから、容易に理解できるのです。携帯電話も、やっぱり自分の目の前でワーワー喋られているといい感じはしないですよね。まあ、こういう携帯電話のマナーも少しずつは改善されつつあるようなのですが…携帯電話が普及し始めた最初の頃は「もしもし、今、電車の中!」とか嬉しそうに別に急ぎの用事でも無さそうなことを大声でずっと話している人、けっこういましたからねえ。

 しかしながら、「女性の化粧」というのはどうなのでしょうか?
 考えてみると、なんとなく他の「迷惑行為」とは、ちょっと毛色が違うような気がしますよね。だって、女性が化粧をしている姿というのは、携帯電話のように否応ナシに耳に飛び込んでくるようなものではないですし、「匂いがする」「粉などが飛んでくる」というのなら、「電車内でものを食べること」とあまり変わりは無いのではないかなあ、なんて。もっとも、電車内でものを食べるというのは、行楽に出かけるときなどが主ですから、そういうときと通勤電車の中では、人々の心のおおらかさが、全然違うのかもしれませんけどね。
 田舎の空いているローカル線だと、子供がバタバタ駆け回っていても、「のどかだなあ」なんて感じる人も多いのではないでしょうか?

 でも、僕もやっぱり「電車の中で化粧している人」というのは、目にすると気持ちの良いものではないですよね、正直なところ。
 ああ、忙しくて時間がないんだろうなあ、なんて思いはするのですが、あまりはっきりとした理由ももたないまま、なんとなく嫌悪感を持っていたような気がします。
 ちょっと脱線してしまいましたが、「車内での化粧」(まあ、「女性の」と限る必要もないでしょうから)は、なぜ不快だと感じる人が多いのでしょうか?
 匂いについては、確かにあまりに化粧くさい人に隣に座られると困るのですが、化粧くさい人というのは、別にリアルタイムで化粧をしていなくても、メイク済みの状態でも化粧くさいのです。だから、それが「不快感」のすべての理由ではないと思うのです。
 この「はてな」の回答の中に出てくる「外国では電車の中で化粧をするのは売春婦」とかいうのは、ちょっと違うかな、とは思うんですよね。僕はそんな知識はまったくありませんでしたが、そんなこと知らなくても、あまり気持ちの良いものではありませんでしたし。
 「公共性の欠如」というのは、確かに一理あるかもしれません。「みんなが移動する場所で、個人的な行為をやるのは恥ずかしいこと」というのは、ある種日本人の道徳観に合致しているような気もしますし。ただし、それなら「文庫本とかも読んだらダメなの?」とか「直立不動で電車に乗ってなきゃダメなのか?」という極論もあるわけですよね。そのあたりの「個」と「公」のバランス感覚というのは微妙です。
 「化粧をする」というプロセスを他人に見せるのはハシタナイ!という意見もあるようですが、考えてみれば、「そんなの本人の価値観次第」なわけですよね。電車内で化粧しているという行為自体が、本人にとっては「他人に見られたって構わない」という意思表明であるわけですし。おそらく、車内に同じ会社の人を見つけたら、あわてて化粧をやめたりとかするんじゃないかなあ。
 それでも、周りの人は、自分の感覚に照らし合わせて、「自分が電車内で化粧をしているような気になって」不快感を覚えてしまうわけです。
 ただ、僕が不快に思うのは、ひょっとしたら、「自分が『化粧している姿を見られてもいい人』に勝手にされている」という点かもしれません。昔のヨーロッパの貴族は、使用人の前では平気で裸になっていたそうです。なぜかというと、「使用人を人間とは思っていなかったから」。
 こういう「自分が風景の一部にされてしまう」というのは、意外と不快なものなのです。本当は「俺になら化粧している姿を見せてもいいのか!」なんて赤の他人に向かって腹を立ててみても、どうしようもないんですけどね。
 知り合いの女性が、「忙しくてメイクしている暇がなかった、ゴメン」と言って、車の助手席で化粧している姿、なんてのは、全然嫌な感じはしないんですけどね、僕の場合は。

 こうしていろいろ考えてみるのですが、実際のところ、「こういう理由があるから、電車内での化粧をしてはいけない!」という決定的な理由というのは、見つからないような気がするのです。
 あえて言うとすれば、「化粧をする」という行為(まあ、一種の秘め事ですね)そのものが、あまりに神秘的で、人々の心を騒がせるからなのかもしれません。
 ひょっとしたら、本質的に人間と言うのは、「他人が化粧する姿」というのに、ものすごく興味を持ちすぎる生き物なのかなあ、なんて考えてみたり。