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2004年02月10日(火)
たかが「牛丼の販売休止」なのに、どうしてこんなに悲しいんだろう?

時事通信の記事より。

【牛丼チェーン最大手の吉野家ディー・アンド・シーは9日、牛丼の販売を11日から休止すると発表した。BSE(牛海綿状脳症、狂牛病)発生を受け米国産牛肉の輸入禁止措置が続いており、牛丼用の牛肉在庫が底を突いたため。同社は「各店舗の在庫がなくなり次第、順次販売を休止する」としているが、ほぼ全店で同日中に売り切れとなる見込み。
 牛丼チェーン各社の中では、なか卯と「すき家」を展開するゼンショーの2社が、既に同様の理由で販売中止に追い込まれているが、1899年の創業以来、牛丼一筋で最大手チェーンを築き上げた老舗の店頭からも、ついに牛丼が消える。】

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 販売休止で、逆に駆け込み需要が増しているという「吉野家」の牛丼ですが、つとうとう11日で牛肉の在庫切れ、ということになりそうです。
 「安くて旨くて早い」という牛丼は、日本国民に愛され続けている食べ物ではあるのですが、それにしても、最近の「販売休止フィーバー」は、ちょっとバカバカしいような気もしますけどね。
 僕は「男のひとり暮らしで、夕食の時間が不規則(夜遅いことが多い)、そんなにリッチじゃない」という、まさに「吉野家の客層とベストマッチしている」人間ですから、非常に良く利用させていただいています。それでも、今回の「販売休止」は、確かに食事の選択肢が1つ減るという痛手はありますが、「まあ、他のもの食べてれば、そのうち復活するだろう」と楽観している面もあるのです。
 それでも、「無期限休止」なわけですから、寂しくないと言われると嘘になってしまいますけど。

 今回の「牛丼販売休止騒動」には、マスメディアのスポンサー筋への配慮という面もあるのかもしれませんが、閉店する店や失われていく食べ物なんて、この世界に溢れているのに、「牛丼」、しかも「吉野家の牛丼」だけこんなに話題になるんだろう?という気もしなくはありません。大手チェーンですし、自然に廃れていったわけじゃなく、外的要因での「不慮の休止」であることや、僕くらいの世代の人間には「キン肉マン」とかの影響が色濃く残っているのかなあ、なんて考えてみたり。

 でも、長年「吉野家」にお世話になってきた僕には、なんとなくその理由がわかるような気がするのです。

 「あなたはどんなときに牛丼を食べますか?」と問われて、「彼女とデートのときに」とか「家族みんなでお食事に」なんて答える人の割合は、少ないのではないでしょうか。
 牛丼は「ハレの御馳走」ではないし、「みんなと楽しく食べるものではない」というのが、多くの人の牛丼との接し方だと思うのです。
 僕の住んでいた地域は田舎でしたから、吉野家ができたのは学生時代の終わり頃でした。就職して研修医になってからは、時間がないときや夜遅くなってしまったときなどに、あのオレンジの看板に引き寄せられていったものです。
 例えば、末期癌の患者さんを看取って、夜中の2時や3時に「真っ直ぐ帰るのもなんだか嫌だし、何か食べてから家に帰って寝よう」と思ったとき。
 他にそんな時簡に開いている店はファミレスくらいしかなくて、さりとて、あのファミレスの明るさは、そういうときの僕にはついていけなくて、客がほとんどいないカウンターで、ひとりで牛丼をモソモソと食べたものでした。

 「牛丼」より美味しいものはたくさんありますし、「牛丼」と同じくらい安い食べ物も、探せばいくらでも見つかるでしょう。
 でも、そんなふうに「自分と孤独や失望を共有してくれた食べ物」というのは、吉野家の営業形態の影響か、他には無いような気がするのです。
 牛丼を食べ終わってお茶を一口すすったあとに、「フーッ」という溜息とともに吐き出されたものたち。

 「牛丼」は、きっと、現代を生きる、ある種の人々を感傷的にさせる食べ物なのでしょう。
 ひょっとしたら、僕らは、「牛丼そのもの」ではなくて、「夢や希望や絶望や孤独と一緒に牛丼を食べていた、あのときの自分が失われてしまうこと」を悲しんでいるのかもしれませんね。