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2004年01月24日(土)
「クリミアの天使」ナイチンゲールの本当の業績

「超・偉人伝〜カリスマたちは激しいのがお好き」(福田和也著・新潮文庫)より。

(看護師の地位向上と看護学の発展に貢献したナイチンゲールについて)

【ナイチンゲールの一番大きな業績は、看護に統計を持ち込んだこと。
 当時、イギリス陸軍の記録制度は混乱していた、というよりほとんどなおざりだった。例えば、死者の場合でも、軍医と、当番将校、それに直接埋葬に当たった担当者それぞれの記録がくいちがっているのは当たり前だった。しかも死因がほとんどはっきりしていない。
 そこでナイチンゲールがはじめにやったことは、一人一人の患者の病歴と、特に死因を綿密に記録すること。

(中略)

 そうしてみると驚くべきことがわかった。実は死者の比率は戦死1に対して病死7だったわけ。この時近代戦の医療にはじめて統計学が使われたんだね。日本では軍医だった森鷗外が統計をはじめて導入した。
 だから(クリミア戦争での)セバストポリ要塞攻撃による大量の戦死というのも伝説で、実は病院こそが死者を多く生んでいたわけ。軽い怪我を負った兵士が入院したために疫病にかかって死ぬなんていうケースが非常に多いことがわかった。
 ここから、ナイチンゲールの活躍がはじまる。怪我人と伝染病患者を隔離することからはじまって、炊事設備を改めて食事と食器を衛生的にすること、ベッドの消毒や病衣の洗濯から、上下水道の設備までも実施した。

(中略)

 その甲斐があって、病院の死亡率は、劇的に低下した。当初、収容者の44%が死んでいたのを、2%にまで引き下げた。】

〜〜〜〜〜〜〜

 ああ、なんだか僕のイメージの「白衣の天使」の代名詞・ナイチンゲールさんとは、かなり違うイメージなのですが。
 「上流階級の女性がハイソな生活を捨てて戦場で看護にたずさわった」というのが、ナイチンゲールの凄いところなのですが、その一方で、当時の偉い人たちと交流があったからこそ、このような衛生環境の整備に影響力を行使することができた、という一面もあるようなのです。
 まあ、確かにどんなにひとりの看護師が献身的な看護をしても、世の中はそんなに簡単には変わらないのでしょう、きっと。

 評価されたのは、ナイチンゲール自身の現場での看護というより、戦場における公衆衛生学の導入、ということなのです。実際は看護師は、教会や修道院から派遣されていて、そんなに人手不足ということではなかったようですし。

 それにしても、この話を聞いて思うのは、やっぱり現場で患者さんのために身を粉にして働いた看護師よりも、統計学の導入によって看護(というより「衛生学」でしょうね)を変えたナイチンゲールのほうが、歴史的には偉人として名を残しているのだよなあ、ということです。
 確かに、彼女の研究の成果で、死ななくてよくなった兵士の数は、圧倒的に増えているのですし、本当に彼女の功績は偉大です。
 ただ、きっとその時代には、戦場で献身的な看護をしていた看護師たちもたくさんいたのだろうなあ、なんて思うと、そんな看護の姿のイメージまでナイチンゲールのトレードマークになってしまっているのは、ちょっとかわいそうな気もしますね。

 いつの世も、結局世界を動かしているのは、現場で働いている人ではなくて、密室で数字を計算している人なのかな、なんて考えてみたり。