|
|
2003年12月09日(火) ■ |
|
「不公平」と「ひとつのきっかけ」のあいだに |
|
共同通信の記事より。
【兵庫県中町の町立中町中学(吉田明生校長、365人)で、社会科担当の男性教諭(43)が一部の生徒に自分でつくった期末テストの問題をあらかじめ教えていたことが9日、分かった。 教諭は問題を教えたことを認めた上で「勉強が苦手な子供に達成感を味わわせたかった」と吉田校長に説明。校長は口頭で厳重に注意したという。 吉田校長によると、教諭は社会科のテスト実施3日前の11月28日、この日行われた別の科目のテスト終了後に計108人の2年生のうち13人を教室に集め、出題を予定していた91問中30問について「織田信長」「川柳」などの人名や語句を漢字で書くよう指導するなどした。 期末テスト終了後の12月5日、保護者から「公平さにかける」と指摘する電話が学校にあり発覚。教諭が教えた30問を全員正解にしたという。吉田校長は「子供への配慮を欠き、不平等なことをしてしまい申し訳ない」と話している。】
〜〜〜〜〜〜〜
この社会科の先生、なんてひどい教師なんだ!って、思いますか? 僕は、この先生の気持ち、なんとなくわかるような気がします。 ただ、その思い付きを実行したのが、通知表に直結する期末テストというのは、他の生徒たちにとっては納得いかないでしょうけど。
一般的に、「勉強ができない生徒」というのは、とくに小中学校レベルでは、「勉強をしない生徒」であることが多いのです。それで、「どうして勉強しないのか?」という問いに対しては、「勉強なんてつまらない」「やってもわからない」という理由が多いのではないでしょうか。 もちろん、勉強が好きな子供というのは少数派なのですが、「勉強ができない」から「成績が悪い」そして、成績が悪いことによって、コンプレックスから、さらに勉強嫌いになって成績が落ちる…というネガティブな連鎖が起こっているのだと思います。 逆に、「運動ができる子供」の大部分は「体育好き」な印象がありますし。 子供は、「健康のために運動しよう」とか「趣味として歴史の勉強をしよう」なんて考えないでしょうから、「自分が得意なこと、他人から評価してもらえること」を好きになるというのは自然なことなのです。
僕自身の経験や周りの人のことを考えてみると、「勉強ができる」「勉強ができなくなる」というのは、たった1回のテストがきっかけになることだってあるのです。 一度良い点数が取れることによって、自信ができる+次も悪い成績をとりたくない、という自分へのプレッシャー、という要因で、どんどん成績が上がっていく友人もいましたし、逆に、一度の失敗で自信を失くしたり、自暴自棄になることによって、あっという間に成績が落ちていった同級生もいました。 勉強というのは、レールに乗っているうちはそんなに成績に波があるものではないのですが、一度ついていけなくなってしまうと、取り戻すのは大変なこと。 電車に乗っているうちは体感できなかった電車の速度が、一度降りてしまうとすごいスピードなのと同じです。
たぶん、この先生は、その「一度のきっかけ」を13人の生徒につくってあげたかったんだろうなあ、と思います。全員ではないでしょうけど、その一度の高得点で人生が変わることだって、あるかもしれない。 もちろん、これは不公平な行為でしょうし、クレームがつくのは仕方ないことだけど。 他の生徒は、「なんであいつらだけ」と思うのが当然でしょうし。
でも、こういう形で「好成績の快感を味あわせる」というのは、実はあんまり意味がありません。中学生にもなれば、「こんな形でいい点を取っても、いい気分はしない」ことは自明の理ですから。
この先生も、こういう形で「(先生自身も)ラクして好成績をあげさせる」よりは、補習をするなり、教え方を工夫するなりして、先生も試行錯誤の上で、もっとうまく生徒を「その気にさせる」ことができたらよかったんでしょうけどね…
|
|