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2003年11月17日(月)
深作欣二とタランティーノと「仁義」という言葉

「シティ情報ふくおか・No.604」の記事「『KILL BILL』スペシャル」での、クエンティン・タランティーノ監督へのインタビューの一部。

【タランティーノ:「英語には仁義って言葉がないんだ。説明できる言葉さえもない。人間性とか名誉、栄誉とかが近いのかもしれないけど、それじゃあ弱い。だからそれを深作さん(故深作欣二監督)に聞いたことがあるんだ。彼の答えは"must do=やらなければならないこと"だったよ。したくなくても、やらなければならないこと。これが深作さんの定義だったんだ。】

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 最初に言っておくと、僕は深作監督の作品があまり好きではありません。というか、ヤクザ映画ってやつが嫌いなものですから。
 いや、申し訳ないけど、深作監督に対する僕のイメージは、「いい年して絶倫だったエロオヤジ」なんですよほんとに。
 ほとんどリアルタイムで彼の作品に接していないせいかもしれませんが。

 しかし、この「仁義」という言葉の定義については、ちょっと考えさせられました。
 この「仁義」というのは、ヤクザ用語みたいなのですが、言葉のひとつひとつをとってみれば「仁」と「義」なわけですから、むしろ人間社会一般に通じる概念と考えてよいと思います。
 でも、最近、自分にとって"must do"なことって、何かあるだろうか?というように考えると、実は何も思いつかないんですよね。
 もちろん、仕事にはいかないといけないし、消費税だって払わないといけない。ゴミだって捨てないといけないし…
 生活上の煩わしいことは、思いつくだけでたくさんあります。
 その一方、何か自分の命がけでやらないといけない、と思うようなことって果たしてあるだろうか?という気もするのです。
 孟子は、「誰でも今まさに井戸に落ちようとしている子供を見たら、助けるに違いない。それが、人間の本質なのだ」という「惻隠の情」というのを説いています。その一方で、人間の本質は「悪」である、と説く思想家ももちろんいたのですが。

 実際、現代社会は、多様な価値観があって、何に対しても「イヤならやらなくていいよ」っていう逃げ道が用意されています。
 それは、ある意味寛容であり、素晴らしいことなのだとは思います。
 やっぱり、"must go to IRAQ"っていうような社会は想像したくないですし。
 ただ、その一方、あまりにも寛容でありすぎて、人間が人間であるよりどころ、みたいなものが失われつつあるような気もするのです。
 「弱いモノイジメをしちゃダメだ」とか、「困っている人は助けなくては」とか。
 なんだか説教くさくて、書いてて嫌になってきましたが。

 まあ、現実には、化学兵器とかによる「仁義無き戦い」が「仁義を守るため」に行われているんですけどね。
 本当にお互いに「仁義」があれば、戦う必要はないはずなのに。