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2003年10月15日(水) ■ |
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「誰かと一緒にご飯を食べる」という特殊体験 |
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「溺レる」(川上弘美著・文春文庫)より。
(短編集の1本「さやさや」の冒頭の一節です)
【うまい蝦蛄(しゃこ)食いに行きましょうとメザキさんに言われて、ついていった。 えびみたいな虫みたいな色も冴えない、そういう食べ物だと思っていたが、連れていかれた店の蝦蛄がめっぽう美味だった。殻のついたままの蝦蛄をさっとゆがいて、殻つきのまま供す。熱い熱いと言いながら殻を剥いて、ほの甘い身を醤油もつけずに食べる。】
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誰かと一緒に何かを食べに行く、っていうのは、それだけで、ある意味非日常的な体験なのだと思います。 僕はひとり暮らしが長いのですが、食べ歩きの習慣がある人以外は、だいたいひとりで外食するときって、あんまり珍しいものって食べませんよね。行った事がある店で、食べたことがあるメニュー、ということが多い。 自分が苦手な食べ物なんてのには、まず手を出しません。 まあ、それができるのも、ひとりでの食事の特権、ではあるわけですが。 誰かと一緒に食事に行くときには、ひとりでは入らないような店や自分の好みとはちょっと違った店に入ることもあるでしょうし、注文するときには、同行者のオススメを一緒に頼んでみたり、おすそわけをしてもらうことってありますよね。 そのことによって、自分の食の世界が広がることって、けっこう多い気がします。 いま自分が食べているものや店で、自力でみつけたのって、どのくらいあるだろう? とくに、僕のように、ひとりで放っておいたら、いつも同じ店で、定番メニューを頼んでしまうタイプの人間にとっては。
この小説の主人公の女性は、「蝦蛄なんて…」というイメージをずっと持っていたみたいです。 たぶん、彼女はメザキさんに誘われなかったら、蝦蛄を食べてみようなんて思わなかったはず。 こういう「小さな出会い」を繰り返して、ひとりひとりの世界は広がっていくわけなのだなあ、と思ってみたり。 たまには、いつもと違う誰かを誘ってご飯を食べにいってみるのもいいかもしれません。 美味しいものが食べられるかもしれないし、面白い話が聞けるかもしれない。
でも、「美味しいところ紹介して」とか期待されると、僕の場合はけっこうプレッシャーを感じて、自分でもほとんど行ったことがないような、よそゆきの店に行ってしまい、かえって失敗したりするのですが。
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「いやしのつえ」ささやかに更新中。
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