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2003年09月26日(金) ■ |
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暴力のチカラ。 |
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時事通信の記事より。
【暴力団追放を掲げた北九州市小倉北区鍛冶町のクラブ「ぼおるど」が暴力団組員に手りゅう弾とみられる爆発物で襲撃され、従業員が重軽傷を負った事件で、姉妹店で営業を再開していた同クラブが休業していることが25日、分かった。 「ぼおるど」は事件が起きた5日後の8月23日から、同じビル2階の姉妹店「かるぼ」で営業を再開。小倉北署は24時間態勢で警備に当たっていた。 しかし、同クラブ経営者が今週初めごろ、同署の渡辺晋也署長を訪ねて「当分の間、店を休業します」と伝えた。同クラブの閉じられたシャッターには「お客様はじめ従業員にこれ以上、ご迷惑が掛かりましてはおわびの方法がありませんので」などと書かれた張り紙があった。】
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たぶん、現代の日本に生きる人間の多くは、「暴力反対」だと思うのです。 でも、こういうニュースを聴くと「暴力の効果」というものを考えてしまいます。 悔しいけれど、やっぱり「暴力のチカラ」というのは、かなり強いものなのだなあ、と。
このクラブの経営者は、北九州の繁華街の「暴力団追放運動」に、ずっと関わってきた人物だそうです。そのため、地元の暴力団から目の敵にされ、今までも糞尿をまかれたり、イヤガラセを受け続けていたとか。そして、ついに今回の手榴弾投げ込み事件が起こったのです。 犯人1人が死に、従業員9人が重軽傷を負われた今回の事件のあと、街の声は「暴力団許すまじ!」というものでした。 8月19日には、福岡県議会が「暴力団壊滅」を全会一致で決議しています。
しかし、現実問題として、僕が北九州の人間で、今夜飲みに行くとしたら、やっぱり「ぼおるど」には行かないと思うのです。やっぱり、お酒を飲むんだったら楽しんで飲みたいし、警察官に警備されているようなクラブには近寄りがたい。何か事件があったときに巻き込まれるのはゴメンこうむりたい。 それは、多くの人の偽らざる心境なのではないかなあ、と。 従業員だって、「暴力団反対よりも、当面自分が安全な店のほうがいい」と思うのは、自然な感情だと思いますし。
心の中ではこのクラブを応援しつつも、やっぱり店には行かない。 目の前で身内が襲われているならともかく、わざわざそんな危ない橋を渡りたくない。
おそらく、それが普通の人間というやつで、そして、そういう感情こそが、「暴力」というものを実際の威力以上に効果的にしているのです。 「巻き込まれたらイヤだ」をどんどん広げていくと、「とりあえず、目をつけられたらイヤだから、アメリカの味方をしとくか…」というような発想になってしまうのではないでしょうか。 アメリカ=暴力団というのは短絡的&失礼だとは思うのですが、かの国が世界最大の「暴力」を掌中にしていることは事実ですし。
ヤクザ映画が大好きだったり、「番長」なんて呼ばれて乱闘のときにひときわ輝く野球選手がいたりするのをみると、「僕たちはけっこう暴力が好きなんじゃないか?」と暗澹とするときがあります。自分自身の中にも、暴力的な衝動を感じることもあるのです。
暴力にはチカラがあります。それは間違いないこと。 「ペンは剣より強い」なんて、理想論です。 でもね、そんな理想論すら失われたら、終わりだと思う。
先日、「イスラエル空軍のパイロットのうち二十数人が、アラブ人地区への空爆の任務を拒否した」というニュースを聞きました。 彼らは、「その任務に黙って従っているよりはるかに危険な行動」を示したわけです。 両者の戦闘力を考えたら、任務を拒否して処罰されるよりは、言われた通りに空爆していたほうが、はるかに危険は少ないはず。 無力な市民を巻き添えにしてしまう空爆ではあっても、その任務を拒否することには大変な勇気が要るはずです。
僕たちは、「暴力反対!」とお題目を唱えながら、暴力を見て見ぬふりをして、暴力に負けている一方、実際に戦争をやっている人たちが、命をかけて暴力のチカラに抗おうとしているのです。なんだか、ちょっと恥ずかしい。
まずは「本当は暴力が好きな自分」と戦うことからなのかもしれません。
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