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2003年09月22日(月) ■ |
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病気の子供を置き去りにした母親の「残酷性」について。 |
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秋田魁新報の記事より。
【病気の6歳の長男を連れ出して置き去りにしたとして25歳の母親が保護責任者遺棄容疑で逮捕された事件で、山形県警捜査一課と村山署は19日午前、行方不明になっている長男翔君(6つ)の捜索を始めた。
事件は今年5月初め、容疑者(母親)が翔君を連れて岩城町の実家を家出。2人はその後、同容疑者が出会い系サイトで知り合った男性(29)と山形県村山市内のアパートで暮らしていたが、翔君は6月から行方が分からなくなっていた。 】
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僕は今朝のワイドショーでこのニュースを知ったのですが、この25歳の母親は風俗店勤務、交際相手の男性は、無職で出会い系サイトで知り合った、と、まさに「いいかげんな母親像」が強調された番組構成だったと思います。 いや、僕も正直、「これは酷い話だ…」と絶句してしまいましたが。
でも、そのワイドショーのコメンテーターたちが、この翔君の話題で涙を流し、「ひどい母親だ!」と怒リまくっていたのを観て、なんとなく、違和感を感じてしまったのも事実。 たとえばこれが、「60歳の息子が、介護疲れで90歳の父親を殺害!」なんて話であれば、けっこうみんな「介護も大変だろうしね…」とか同情してしまうのではないでしょうか? 「弱い立場」であることは、子供でも寝たきりの高齢者でも同じことなのですが。
僕は子育ての経験はありませんが、仕事柄、障害を抱えてしまった子供や親御さんに接する機会は何度かありました。やっぱり、それはとても大変なことなのです。 子供のために仕事をやめなければならなかったり、「かわいそうねえ、うちの子は丈夫でよかったねえ」という同情で修飾された憐れみを受けたりするのは、非常に辛いことのようです。 翔君が「死んでしまって遺体を埋められた」のか、あるいは、殺されてしまったのかは、今の時点ではわかりませんが、いずれにしても、この母親は「ひどい母親」で、無責任だと僕も思います。 多くの障害を持つ子供を育てる親たちは、辛い状況に耐えているのですから。
でも、その一方で、「親が無責任だ」「子供がかわいそうだ」 という、この母親を責めるだけの結論は、あまりにも短絡的なのではないかなあ、という気もするのです。 もし自分が、この母親の立場だったら…と考えると、僕は普通に子育てをする自信がありません。25歳で、はたしてどの程度、自分の人生を子供のために犠牲にできるだろうか… 「それが親というものなんだ」と言われたらそれまでなのですが。
いちばん良いのは、「最初からを子供つくらない」ということなんですけどね。 親が寝たきりになるのは自分の責任ではないにしても、子供ができるのは自分の責任の場合が大部分であるわけですから。まあ、若いから、風俗店勤務だからいいかげんな母親だ、というのも、先入観のなせるわざなんですが。
でも、本当になんとかならなかったんでしょうか?実家の親に預けるとか、施設に預けるとか。それが簡単なことじゃないってのもわかりますけれど…
今回の事件で、最大の被害者が翔君であることは間違いないことです。ひとり取り残されたときの彼の気持ちを想像すると、やりきれない気持ちになるのです。
それにしても、「普通に子供を育てていく」というのは、なんて大変なことなのだろう、とあらためて考えてしまいました。「親の責任」とはいうけれど、まさに、「子供に親は選べない」一方で、「親も子供を選べない」わけですし。
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