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2003年07月28日(月)
長谷川京子がモデルから女優に転身した契機。

日刊スポーツの記事「日曜日のヒロイン」、7/27の女優・長谷川京子さんのインタビュー記事より。

【第一線で活躍する女優には、モデル出身が少なくない。しかしモデル時代は、女優に興味はなかった。そんな長谷川が女優を意識するようになったきっかけは、街で耳にした女性ファンのひと言だった。

 長谷川 「『あ〜、モデルさんだ』と声を掛けられるようになったんです。声を掛けられるとうれしい半面、長谷川京子っていう個人がどこかに行っちゃったようで寂しくもあって。与えられた服を着るだけではなく、もっと本当の自分を前面に、表に出して仕事がしたい。そんな気持ちが強くなって。モデルとしての自分の限界を感じていました。着たくない服を着るのは、意外につらいんですよ。ファッションモデルの私ではなく、長谷川京子本人をもっと表に出したかった」。】

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 どんなに華やかに見える職業にも、当事者にしかわからない苦労や苦悩というのがあるものなのですよね。
 モデルさんといえば、「いろんな流行の服が着られていいよねえ」なんていうリアクションが定番だと思うのですが、よく考えてみれば、モデルだって人の子、自分で着られる服を選べるわけではないのでしょう。ごくごく一部のスーパーモデルなんてのは、けっこう選択権があったりするのかもしれないけれど。
 それが仕事である以上仕方がないのでしょうが、中には、「こんな服着たくないなあ、好きじゃないなあ、と思うようなものもあるはずで。

 そういえば、以前「プレタポルテ」というパリ・コレをモチーフにした映画で、ほとんど裸にしか見えない「新作ファッション」で舞台に登場していたモデルさんたちがいたのですが、ああいうのって本人たちは仕事とはいえ辛いんじゃないかなあ、とも感じました。みんな自分の体の美しさには自信を持っているから、ひょっとしたら、「キライな服を着せられるよりよっぽどいい」と思ってたりするのかもしれませんが。

 しかし、イヤだなあ、と思いつつも、その服が美しく見えるようにしないといけないのがモデルさんの辛いところ。まあ、それはどんな仕事でもそうで、学校の先生だって性格的に苦手な生徒はいるだろうし、医者だって、この人の診察はやりにくいなあ、と感じる患者さんはいます。少なくとも僕には。
 それを相手に気づかれないようにするのがプロ、なんだけどねえ。

 実際、役者だって、やりたい役が自分で選べる人なんて、ごくごくわずかなものでしょう。まあ、そういう制約の中で、いかに自分を出していくか、というのもなかなか面白い挑戦でしょうが。

 「自分を出せる仕事」なんて、誰にでもできることじゃないのは確かなこと。医者だって、「医者と患者」という「形式」があるから、なんとかやっていける部分もあるわけで。100%そういった関係性を抜いて診療をやるのは、とても辛くて疲れることだと思います。

 ところで、この記事で、長谷川さんはものすごく負けず嫌いだというエピソードが出てくるのですが、その中に、ライターの「ソフトな外見の印象とは異なり」という言葉が出てくるのですが、長谷川さんの外見って、ソフトなんでしょうか?
 僕ははじめてこの人を観たとき、「なんだか気が強くてキツそうな感じ」という印象を受けました。少なくとも「ソフト」だとは思えないんだけどなあ。
 あと、優香さんにも全然「癒し」を感じない(むしろ「計算高さ」みたいなものを感じる)のですが、僕の感性は、やっぱり狂っているのかな…
 例に挙げた二人には、とても申し訳ないのだけれど。