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2003年07月02日(水)
パッケージすら開けないのも、人生。


『ファミ通・2003・7/11号』のコラム「桜井政博のゲームについて思うこと」より。

【わたしは日ごろ、よくゲームを買います。自分の好きなものばかり手に取るわけではないけれど、これも研究研究ッ!
 ……が、買ったゲームを開けて、さぁ遊ぼう!ということが、じつはちょっぴりおっくうだったりします。「最後まで遊ぶのは時間かかるだろうなぁ〜」とか、「操作を覚えるのがつらいなぁ」とか、「読み込みにどのくらい時間がかかるのかしら」、「行き詰ったらどうしよう?」とか。
 で、結果、パッケージすら開けませんでした、ということがよくあります。
 みなさんはそんな記憶はありませんか?
 「ない。」そですか。ソフトをムダにするなと。スミマセン。飽食ニッポン、ここに極まる。】

〜〜〜〜〜〜〜

 桜井さんは、「星のカービィ」の開発などに携わった、HAL研究所の方です。
 ゲームを作る側の人でも、こういう気持ちになるのか、と僕は思いました。
 そして、「そんな記憶はありませんか?」という問いには、「あるある」と頷いてしまうのです。
 ちなみに、桜井さんは、このあと、クリアーしなくていいような、人それぞれ自分の楽しみかたが見つけられる、遊び手にとって自由度の高いゲームを作りたい、と書かれているんですけどね。

 ところで、「いろいろ考えてしまって、物事をやる前から面倒くさくなってしまう」という傾向は、僕にもあるのです。
 たとえば、週のはじめに、週末に飲み会しよう!とか約束した場合。
 そのときはもう、やる気満々で、「週末が楽しみだなあ」とか思っているのですが、だんだん約束の日が近づくにつれ、「なんだか面倒くさいなあ」という気になってくるのです。
 もちろん、当日になれば、「のんびりしておいたほうが良かったかなあ」などと思いつつ飲み会に行って、行ってしまえばけっこう楽しく飲んで、「やっぱり来て良かった」と思うことがほとんどなのですが。

 まあ、買ってもやらなかったゲームとか、飲み会の約束くらいなら(結局行くわけですし)いいんですが、こういう傾向って、人間関係にも出るんですよね。
 たとえば、友達に連絡しようと思ったとき、「今の時間は、人気ドラマがやってるから、やめたほうがいいかな」と思い、終わってみたら、「今日は、時間も遅くなっちゃったしなあ」と考え込む。
 そうやって時間を過ごしているうちに、「もういいや」となってしまう。
 相手の都合とかを考えすぎて、とかいいながら、本当は自分に「拒絶される勇気」がないんでしょうね、きっと。
 
 これで失ったり、得られなかった人間関係って、けっこう大きいような気がするんですよね。なんだか、あらためて考えるとものすごくもったいない。
 しかし、考えようによっては、「そういう自由度の高い生き方ができるのも人生」と言えなくもないですが。