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2003年05月09日(金)
「酒が悪いんじゃない、人間が悪いんだ」


毎日新聞の記事より。

【飲酒ひき逃げ事故で息子を失った東京都多摩市の夫婦が、運転者とともに「同乗者にも責任がある」として約9480万円の損害賠償を請求した訴訟で、東京地裁八王子支部は8日、同乗の男性2人の責任も認め、3人に約5170万円の支払いを命じた。

 同様の民事裁判では00年の大阪地裁判決で、運転者の元上司が同乗していて酒を飲ませた責任を認めた例がある。今回のケースは、運転者が元請け会社の社員、同乗者が下請けの社員という立場で、飲酒運転の同乗者責任を幅広く認めた異例の判決となった。

 元会社員は車のキーを差せないほど泥酔しており、2人は「運転を代わる、と申し出た」などと否認したが、判決は「正常に運転できないことを十分認識できた。酒酔い運転のほう助の責任がある」と判断した。】

〜〜〜〜〜〜〜

 飲酒運転に対する認識は、道路交通法の改善などに伴って、近年ようやく改善されつつあります。
 車なんてのは、銃と同じくらい、あるいはそれ以上の殺傷能力を持った凶器となりうるのですから、酒を呑んで運転してはいけない、なんてことは当然のことだと思うのですが。
 だって、酔っ払いが刃物や拳銃を持ってたら(日本では、拳銃持ってるだけで既に犯罪ですが)わざわざ近づいていく人はいませんよね。
 確かに、僕のような公共交通機関が田舎暮らしの人間にとっては、飲酒運転をしないというのは、けっこう大変なのです。タクシー代だってけっこうかかるし(ヘタすれば呑み台と同じくらいかかることだってある)、間に合わなくて自分の車で行って、代行を頼むことになれば、手間やコストはバカになりません。
 でも、それは、自分の都合による言い訳にしかなりませんし、なんといっても、タクシー代と自分の人生を引き換えにはできないし。いやほんと、怖いんだよ飲酒運転。
 怖いと自覚せずに運転してるから、なおいっそう怖い。
 
 しかし、僕はこういう判決を聞くたびに、日本というのは、今までいかに酔っ払いに対して甘い国だったのか、ということを感じます。
 自分の意思で前後不覚に酔っ払って犯罪を行っても、「責任能力なし」として減刑されてしまうというのは、やっぱり違和感がありますよね。
 犯罪まではいかなくても、電車の中で絡まれた場合も「相手は酔っ払いだから」という理由で、たいていの人は泣き寝入りしてしまうわけですし。

 こういう犯罪の場合、たいがい「意志の弱い酒飲み」つまり、当人の自覚の欠如が問題となるわけなのですが、よく考えてみたら、そんな「アルコール」というキケンな麻薬が、堂々と売られていること自体が異様なのだと、考えられないでしょうか?
 いっそのこと、酒そのものを禁止すれば、こういう事件はなくなるはず。
 実は、飲酒運転を無くす方法というのは、とても簡単なことで、「車」か「酒」をこの世から無くしてしまえばいいんですよね。
もしこの世に酒がなかったら、犯罪や自殺はかなり減るんじゃないかなあ。
 それとも、アルコールでストレスを発散できなくなって、かえって増える?

 20世紀の前半に、アメリカで「禁酒法」というのが発効されました。これは、文字通り酒の販売および飲用を禁止するという法律だったのですが、その結果はというと、この「禁酒法」は世紀の悪法として歴史に名を残すことになりました。法で禁止されても酒を呑みたいという人々の欲求はおさまらず、酒の密売はマフィアの資金源となり、かえって社会不安を現出させてしまったのです。
 やっぱり、人間はアルコールがないと生きていけないんでしょうか…

 今の人類のコンセンサスは「酒が悪いんじゃない、呑み方をわきまえられない人間が悪いんだ」ということになっているようです。
 でも、これって結局、酒というものに依存しつづけてきた人類の言い訳のような気もしますよね。それだったら、酒より依存性が少ない大麻くらい許していいじゃないか、と言っている人もいるらしいし(窪塚洋介さんが大麻解放論者というのは、本当なのでしょうか?)。
 
 いずれにしても、今後、酒を呑むことに対する風当たりが強くなってくるのは間違いないと思います。酔っ払って電車でからんだりすると、それだけで逮捕されるようになるかもしれません。
 
 本音をいえば、ここまで人間の生活と深くからみついている「酒」というものは、今更人間とは切り離せない、ということなんでしょう。酒というのが人類に及ぼしている経済効果も、あまりに大きなものとなってしまっていますし。
 昔の哲学者に、「酒の害以上に、色恋沙汰で傷ついている人は多いのだから、酒を禁止するなら結婚も禁止すべきだ」と言った人がいたそうですよ。

 僕自身は、酒を呑むのは好きですし、もともと人見知りな性質なので、酒によるコミュニケーションの円滑化には、だいぶ助けられてもいます。随分痛い目にもあってきましたが。
 えらそうに書いておきながら、きっと、僕自身も酒から離れることはできないんだろうなあ。

 「酒は人類の友」とか言いますが、せっかくの友人なら、せめて、自分の罪を友人のせいにしなくてもいいように、責任をもって付き合っていきたいものです。

 でもなあ、止められれば、それがいちばんいいんだよね、たぶん。