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2003年03月24日(月)
ある「人間の盾」が感じた無力感。


共同通信の記事より。

(共同通信による「人間の盾」となっている日本人男性への電話インタビュー)

【「自分が行けば戦争は止まるかもしれない。何か奇跡が起きるんじゃないか」
 バグダッド北部の浄水場にとどまる日本人男性(27)は、そう信じて今月中旬、イラク入りした。しかし数日後には開戦。当初配置されていた通信センターで空爆を見て「心からがっくりきた」と話す。
 23日は、ほかのメンバーが米軍の動向や使用した兵器の種類など新たな情報を得るため外出するのを横目に、読書をして過ごした。
 「正直言って何のためにここにいるんだか分からなくなっている部分がある。今になってみると、自分の思い上がりだったのかも」】

〜〜〜〜〜〜〜

 僕は昨日テレビで、「踊る人間の盾」と称してバクダッドにいる日本人女性ダンサーのニュースを観ました。彼女は「非常に感受性の強い女性」だそうで、いろんな場面で涙を見せていたのですが、僕がそれを見て思ったことは「自己陶酔で戦地に行ってるんだから、死にたければ死んでも仕方ないよなあ…」でした。現地の人は、「逃げたくても逃げられない」状況なわけで。
 そんなふうに考えてしまった自分のことが、次の瞬間にかなり厭になりましたが。
 むしろ、人間の盾の費用があれば、希望するイラク国民を逃がしてあげるほうが現実的なのではないか、と思うのですが、彼らにも自分の国への愛着があるでしょうし、日本も金は出しても、亡命者や難民は…というのが正直なところでしょう。

 ここで、この27歳の男性の言葉を聞いて、僕はまた自分が少し恥ずかしくなりました。
 このコメントに「それみたことか!『人間の盾』なんて、意味ないに決まってるだろ」と思ったからです。
 でも、彼の「自分の思い上がりだったのかも」という言葉には、考えさせられます。
 こうして、戦争というものに対して、人間は無力を感じ、厭世的になったり、自ら銃をとったりしていくのかな、と。
 全く、自己顕示欲も思い上がりもない反戦運動なんてありえないし、少なくとも、ベトナムでは、その反戦運動は一定の成果をあげているわけですから。
 自分は何かができる、もしくはやらないといけない、と思うからこそ、人は生きていけるわけですし。
 僕は、彼に生きて日本に戻ってきてもらいたいと思っています。
 「無力だった」という彼の言葉ほど、戦争というものの脅威をリアルに示す証言は、そんなにないだろうから。

 それにしても、最近気になっているのは、どうも「戦争は悪いことだが、今、なるべく少ない犠牲で未来の禍根を絶つ」という選択肢と「戦争反対の名のもとに、アメリカがイラクを見逃して、大量破壊兵器を持つ危険な独裁者を野放しにする」(アメリカ・イギリスには、ヒトラーという怪物を育ててしまったのは、自分たちの優柔不断が原因だと思っている人が多いようです)という選択肢との二者択一を迫るような意見が多くなっているのではないか?ということです。
 オウム真理教などのカルト教団は、信者を説得するときに「永遠に地獄の業火に焼かれるか、それともオウムに入って、地上の楽園に行くか?」と言って選択を迫るそうです。
 そんなの後者に決まってるじゃないか。

 ただし、それは「選択肢が、この2つしかない場合」のこと。
 騙されちゃいけない。
 「オウムにも入信しないで、地獄の業火にも焼かれない」という選択肢は、必ずどこかにあるはずです。

 本当は、「戦争をしないで、サダム=フセインを無力化する」方法が、どこかにあったのではないか?僕はそう思っているのです。

 なら具体例を示せって?
 ごめん、今の僕には、まだ思いつかないんだ。
 でも、どこかにその答えは必ずある、そう信じたい。