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2003年03月14日(金)
何をやろうとしても「金がない」という話になる。


「オーケンののほほん日記・ソリッド」(大槻ケンヂ著・新潮文庫)より抜粋。

(1997年・秋の日記から)

【9月4日(木)
 筋肉少女帯のニューCD「最後の聖戦」の宣伝期間中である。
 思わせぶりな題名をつけたのは、録音期間中、もうやめたいなと思うことがあったからかもしれない。
 「ネタ切れ」
 「『ファミリー』という言葉の意味を取り違えた馴れ合いの人間関係」
 「音楽より経営が最優先されるバンド活動」
 特に3つ目には、ほとほとウンザリしていたのは確かで、何をやろうとしても「金がない」という話になる。誰が悪いわけじゃない。
♪みんなビンボーが悪いんだ〜byフォークの神様岡林。
といったところである。】

〜〜〜〜〜〜〜

 大槻ケンヂさんの日記の一節なのですが、実際、どんなに理想論を語って、「これがロックだ!」と言ってみても、それで売れてお金を稼げなければ、プロとしてやっていけないわけで。
 もちろん「お金がすべて」ではないけれど、逆にバンドとして売れてしまって、その売り上げに依存して生活している人が増えれば増えるほど、しがらみは多くなるんですよね。
「そんなこと言ったって、売れなければ意味がない」って。

 僕も病院というところで働いていて、こういうふうに感じることはありました。
 もちろん、救急の現場では、あまりコスト意識ばかりというわけにはいきませんが。
 例えば、長期入院となって、入院費が下がってしまうために転院をお願いした寝たきりの患者さんとか、けっこう強引につけていた検査時の病名とか、救急用の薬品とか。
 「医療の理想」を語ってみても、けっきょく、それで口に糊しているかぎり、「じゃあ先生、病院が潰れたらどうするの?」と言われたら、返す言葉がありません。
 これからは、ある病気に対して、一日に支払われる医療費が定額になる制度が導入されていくので、なおさら「余計な検査はしない」のが主流になっていくでしょうし。
 しかし、何が余計な検査だったか?なんてのは、実際のところ、その患者さんにある一定の結論が出てみないとわからないんですよね。
 「これはやらなくて良かったかな?」というのは、野球の解説で言うところの「結果論」というやつで。
ほんとうは、病院の食事だって、もっと美味しいものを食べてもらいたいし、外来だって、もっとゆっくりひとりひとりと話したい(もっとも、あまりに話が長くて「もう勘弁…」という人も正直いますが)、もっと看護師だって医者だって、人数がいれば…
「医療の理想」は「経営効率」の前では、非常に無力。病院のスタッフだって、「経営努力」の追われています。
 
 実際「医は仁術(最近聞かなくなったなあ、この言葉)」といいながらも、ほんとうに給料もらえなくなっても、この仕事をやりますか?と言われたら、僕はちょっと考えてしまいます。というか、辞めます、たぶん。
 「お金のために仕事をやってるんじゃない」といってみても、「お金のためにだけ仕事をやっているんじゃない」というくらいが現実で。

 しかしなあ、こんなにみんながんばって働いているのに、病院ってやつはたいがい赤字だったりするわけですよね。斜陽産業だなあ…