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2003年02月02日(日) ■ |
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美しいおなごは、鼻持ちならぬ! |
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「壬生義士伝(下)」(浅田次郎著・文藝春秋社)の10ページ、新撰組三番隊長・斎藤一の科白より。
【「美しいおなごは嫌いじゃ。そもそも人間はみな醜い糞袋じゃからの。他から美しいといわれ、おのれもまた美しいと信じておるおなごは、鼻持ちならぬ。むろんその妙な自信の分だけ質も悪い。 じゃからわしは、おなごを買うときもつとめて醜女を選んだ。少なくとも、そうそう客もつかぬほどの醜女ならば、男に尽くしてくれるからの。」】
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「美女は冷たい」「醜女は優しい」 まあ、美醜が価値の大きな基準であったと考えられる当時の遊郭では。頷けるような気もしますが、実は現代でも、同じようなイメージを抱いている男は、けっこう多いのではないでしょうか? でも、自分の周りの人に実際にあてはめてみたらどうでしょうか? 必ずしも、この説は正しくないのでは。
「醜女」とされる人について語るのは、いろいろと問題がありそうなので、今回は「美人は冷たいか?」ということを考えてみたいと思います。
僕の後輩に、ものすごく優しい性格で、上品で、綺麗な女の子がいました。彼女は、端からみると、それはもうすごいモテっぷりで、周りの男から常にいろいろなアプローチを受けつづけていたのです。でも、本人は全くそれを鼻にかけず、甘えることもなく、同性からも一目置かれる存在だったのです。
ある日の呑み会で、僕は、彼女に酔っ払って話しかけたのです。 「いつもモテて、うらやましいね」って。 彼女は、こんなふうに答えてくれました。 「そんなことないですよ、先輩。もちろん誰かに『好き』って言ってもらえることは光栄なことだし、嬉しいことだけれど、そういう他人の真剣な、重い感情をしょっちゅうぶつけられるとすごく辛いんです。断るのにだって、けっこうエネルギーが要りますし…私はひとりしかいないんですから。 『予約済』の札をつけて歩きたいくらい」
「いい女」が冷たくみえるのには、彼女たちなりの防衛本能がはたらいているのかもしれません。
あっ、でもこれは逆は必ずしも真ならず。 「冷たいから、いい女」ってわけじゃないですからね。
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