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2003年01月25日(土) ■ |
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「さよなら」を言える幸せ、言えない幸せ。 |
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「はらだしき村」(原田宗典著・集英社文庫)より抜粋。
【結婚して間もなく購入したのは、中古の白いコロナだった。 本当は少年時代からの憧れであったセリカが欲しかったのだが、高くて手が出なくて、その兄弟車というふれこみだった二ドアのコロナを買ったのだ。 私とカミサンになりたてのカミサンは、この車を「コロ太」と名づけてずいぶん可愛がった。好い車だった。別に遠出をしたり、峠を攻めたりするわけではない私にとって、コロ太は何の過不足もない、乗りやすい奴だった。その後、子供が生まれて、四ドアの車に買い換えようという話になり、中古車屋の人間が下取りに出したコロ太に乗って走り去った後、カミサンは「淋しい」と言ってしばらく泣いていた。彼女にとっても、それくらい愛着のある車だったのだ。】
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長年乗った愛車との別れ。僕は、この文章を読んでいて、その淋しさが伝わってくるのと同時に、なんだか羨ましいような気持ちにもなりました。 僕は、普通免許歴12年。原田さんと同じように、峠を攻めたりもしないし、車で遠出をすることもほとんどない(ただし、当直に車で行くことは多いので、走行距離はけっこう長いのですが)、ごくごく一般的なドライバーです。 僕が今まで乗ってきた車は、計4台なのですが、実は、今乗っている車以外の3台とは、こういう感動的な別れのシーンはありませんでした。 初代の車は、走行中、道路に転がっていた岩にラジエーターが激突し、親に牽引してもらって家に戻るとき、家の壁に激突して廃車。 2代目は、高速道路を走行中にエンジンが焼きつき、直してもらおうと試みたもののどうしてもダメで廃車。 3代目は、当直明けで友人を家に送って行った帰りに、居眠りしてしまって路肩に激突してクラッシュ。エアバックが開くような自損事故で、これも廃車。 つまり、僕の彼女は、みんなつらい別れを経験することなく、この世を去ってしまったのです。どの車にも、それなりに愛着はあったのですが…
だから、この文章を読んだとき、原田さんの愛車とのつらい別れに、少しだけ「羨ましいなあ」と感じたのです。こんなつらい別れを経験しないで済んだのも逆によかったのかもしれないけれど。 まるで、「さよなら」を言えずに別れた彼女のことを思い出したような気分。
コロ太は、きっと涙を流してくれた人たちの心の中で走り続けているに違いありません。
それにしても、最初に買った車のことって、どうしてこんなに心に残っているんでしょうね…
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