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2003年01月14日(火)
幸せな新成人たち。


朝日新聞の記事より。

【「成人の日」の13日、成人を祝う式典が各地で開かれた。今年の新成人は全国で152万人。首都圏の式典会場にも、晴れ着に身を包んだ新成人らが、久しぶりに再会した旧友らと新しい門出を祝った。
 東京都品川区の成人式は午前11時からJR大井町駅前の区立総合区民会館で開かれ、約1800人が参加した。

 新成人から公募で選ばれた実行委員による手作り感を強調。記念式典の司会も同委員が務め、区長らのあいさつは演壇なしの立ちマイクというカジュアルなスタイルだった。出身小学校別の掲示板や記念撮影用のプリクラ機の周りには、あっという間に人だかりができた。

 「振りそでが着たくて参加した」という大学2年の先崎裕子さん(20)は「この後は友達と遊びに行きます」。

 一方、千葉県浦安市は東京ディズニーランドで式典。昨年に続き2度目の試みで、配布される1日パスポートやキャラクターショーを目当てに、新成人約1300人が参加した。】

〜〜〜〜〜〜

 新成人の皆さん、おめでとうございます。
 「成人の日」には、友人と旧交をあたためたり、振袖姿で写真を撮ったり、楽しい1日を過ごせたことだと思います。
 僕にとっての「成人の日」は、もう11年前の1月15日でした。
 当時はまだ、1月15日固定でしたから。
 でも、結局行かなかったんですよね、成人式。堅苦しい格好をして、偉い人の長い話を聴きに行くなんてことに、まったく魅力を感じなかったし。
 そして、僕の家は引越しが多くって、「ここが故郷!」と言い切れるような場所もなかったし、ほとんどの同級生が地元の公立高校に進学するなかで、ひとり全寮制の進学校に行ったので、中学時代の知り合いのほとんどとは音信普通。
 そして、高校時代の同級生は、いろんなところから来て、いろんな大学に散っていったので、成人式でもほとんど高校のあった町には帰ってこず。
 まあ、とどのつまり、どこに行っても寂しい思いをすることが予測されたため、あえて行かないことにした、ということです。
 あの成人式の会場で、昔話をする相手がいないことほど辛いことって、あんまりないと当時は思いましたし。
 実家に引きこもることにした僕に、親は「それなら、成人式に行ったつもりで」といつもより御馳走をつくって、小遣いをくれました。けっこう大きな額だったと思います。
 だから、僕にとっては、成人式は「参加しなかった」記憶しかないイベント。

 今年も全国で成人式が行われたようですが、マスコミが期待していたような、しょうもない新成人たちのトラブルは、少しずつ減ってきているようです。
 自分が20歳のときに、どうして成人式に出ようと思ったのか(だいたいは、故郷の友達に会うため、女の子なら着物を着るため、といったところでしょう)を思い出せば、偉い人のありがたい話を聞かされるよりは、少しでも旧友と話したいというのは、多くの世代の共通の本音なのではないでしょうか?
 そこで、ガマンして偉い人の話を聞いたふりをできるかどうか?というのが、もっとも大きな違いなのでしょうけれど。
 いや実際、暴れるために成人式に出るほど暇な人なんて、ごくごく少数の割合だと思うのですよ。たぶん、たいがいの会場では、偉い人の話を聴きたがらないだけのごくごく普通の新成人が大多数。

 僕は、成人式を11年も過ぎて、最近こう思うようになりました。
 こんなふうに成人式を(まあ、幾ばくかのトラブルも含めて)迎えられる今の日本人は、けっこう幸せなのではないかと。
 成人式というと、昔の日本では「元服」がこれにあたると思いますが、侍の子弟にとっての元服とは、「戦場に駆り出される年齢になった」ということです。
 女性にとっては、家庭に守られる年齢から、自分が家庭を守り、育てていく年齢になったということで。
 「成人」というのは、めでたさと同時に、死への覚悟を決める行事。
 昔の話だと思われるかもしれませんが、世界中には徴兵制度を持つ国が、まだたくさんあります。むしろ、無い国のほうが少数派。
 そういった国では、成人というのは、兵士としての員数に加えられるということで、兵役自体が成人としての通過儀礼である国も多いのです。
 
 「成人式」は、めでたい行事。オトナになれば、酒もタバコも許される(いまは、大学生は黙認、というのが現実なのですが)、そして選挙権も得られる。
 自分でお金をかせいで、自分の人生を切り開いていくことだってできます。

 でも、忘れないでもらいたいのです。
 オトナには、得るものばかりじゃなくて、失わなくてはいけないものも沢山あるのだということを。そして、オトナには、自分と自分の周りの人を守るという責任があるということを。
 
 こんなバカバカしく、無意味な「幸せな成人式」がずっと続いていってくれることを僕は祈らずにはいられません。
 「戦場に行く前のつかの間の祝祭」に、なってしまわないように。
 そしてそれは、間違いなく僕の仕事であり、「幸せな成人式」を経て、今オトナになったばかりの人間のつとめでもあるはずです。

 新成人の皆さん、オトナにようこそ!