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2002年12月05日(木) ■ |
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「登場人物に励まされている」という気持ち。 |
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「週刊現代」2002年7月30日号 三谷幸喜さんへのインタビュー記事「わたしの好きな唄」より。
【三谷「最後に、これだけは挙げておかなくちゃいけない、という曲があります。ぼくが大ファンのミュージカル『ラ・マンチャの男』のなかの『見果てぬ夢』。このミュージカルを観はじめた若いころは、曲で感動したり、複雑な構成になってていい台本だな、とか、(松本)幸四郎さんカッコいいな、とか思ってただけでした。 でも、再演のたびに観てきて、最近ではセルバンテスという作家が、書くことによって登場人物に励まされている、という気持ちが、よくわかるようになってきましたね。 ぼく自身、書くことによって勇気づけられる、頑張ろうと思えることがあるので、すごくよくわかるんです」】
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漫画でも、ずっと書き続けていると「登場人物が勝手に動き出す」なんて話を聞くことがあります。架空の存在が、命を持つ瞬間。創作者としては、まさに至福の時なのでしょう。 それにしても、「登場人物に励まされている」というのは、不思議な感じがしませんか? だって、その自分を励ます人物を書いているのも自分なのだから。 でも、僕も書いていて、そういう気持ちになることがあるのです。
楽しいときには、明るい感じの文章を書き、辛いときには暗い雰囲気の文章を書くと思われがちですよね、普通の感覚で言えば。 しかし、自分の辛さを振り払うために、あえて自分の今の感情に反して楽しい文章を書いている人も、きっとこの画面の向こうにいるはずです。 「悲しいときほど、笑ってみせる」人は、けっこういるんじゃないかなあ。
三谷さんの作品にある種の「明るさ」が伴っているのは、「楽しいことを書くこと」が、彼自身にとっては、暗闇から太陽に手を伸ばす行為だからなのかも。 夜であればこそ、感じられる光もある。
誰かを勇気づける作品の大部分は、まず、作者自身を勇気づけているのではないでしょうか。 そして、自分に勇気がないことに気付いたからこそ、他人を勇気づけられる。 頑張ったことのないヤツに「頑張れ」って、どんなに大声で励まされても、やっぱり伝わってこないような気がするのです。
まあ、そんな「自分を励ますために書く」行為とは、無縁な人生の方が幸せなのかもしれないけれど。
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