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2002年11月07日(木) ■ |
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日記に悪口を書くということ。 |
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「ありがとうございません」(檀ふみ著・幻冬舎文庫)より抜粋。
【だんだんと日記のつけかたを覚えた。まず、反省はしない。あとで読んで恥ずかしくなりそうなことも努めて書かない。人のことを書く。なるべく身近な人がしたこと、言ったこと。できれば悪口がいい。 すると、がぜん日記が生彩を放ち始める。ひとくちに悪口というが、悪口を書くのは結構難しい。細かな人間観察が必要になる。それに、あとになって浮き彫りにされるのは、悪口を書かれたほうではなくて、書いたほうの精神状態なのである。】
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これは、檀ふみさんの「紙に書く(要するに、他人には公開しないことが原則の)日記論」です。でも、意外とこれはWEB日記にもあてはまっているような気がします。 檀さんもエッセイなどで文章を人目にさらすことに慣れている方なので、個人的な日記でも「他人の目にふれる」ということを意識せずにはいられないのかもしれませんが。 僕も日常日記を書いていて、その中にはもちろん他人の悪口も出てきます。それをあとで読み返してみたときに思い出すことって、「腹を立てた対象」のことではなくって、むしろ「そのようなことに腹を立てていた当時の自分」だったりするのです。 自分の下についていた研修医の悪口を読み返すと、その本人に対する怒りが再燃するというよりは、今から考えたら別にたいしたことではないことに激怒していた自分の姿に、むしろ気恥ずかしさを感じることが多いのです。 「どうして、そんなことに自分はこんなに腹を立てていたんだろう?」 「もうちょっときちんとコミュニケーションをとっておけば、こんな失敗はしなかったんじゃないだろうか?」 この文章にあるように、悪口を書くというのは簡単そうで非常に難しいこと。 他人を罵倒している日記を読んだときに、書き手への共感よりはむしろ「この人は、どうしてこんなことに怒っているんだろう?」とか「それは、お前(書き手)の方が悪いんじゃないか?」というような反感をおぼえることのほうが多いような気がするのです。 悪口のまったくない日記は、あんまり面白くない(他人のラブラブハッピー日記なんて、読まないでも満腹って感じ)。 でも、他人への悪口は、自分への悪口にもなってしまう諸刃の剣であることをお忘れなく。 まあ、悪口しか書けない日記や悪口すら書けない日記では、どっちもどっちという感じですが。 まったく塩気のない料理も、しょっぱいだけの料理も、どちらも美味しくないのと同様で。
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一週間ぶりの更新。忘れられてるかも…
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