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2002年09月30日(月) ■ |
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2002年9月30日。 |
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時事通信の記事より。
【シドニー五輪女子マラソン金メダリストの高橋尚子(積水化学)が29日、当地で行われた第29回ベルリン・マラソンで、当時世界最高となった昨年の2時間19分46秒には及ばなかったが、2時間21分49秒の好記録で連覇を果たした。高橋はマラソン7度目で6連勝。 スタート時の気温12度と絶好のコンディション。1年ぶりのマラソンに臨んだ高橋は、序盤から女子の先頭に立ち、25キロすぎに抜け出して快勝した。】
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僕も昨日の夕方、テレビの中継を観てました。やっぱり、強いですね、高橋選手。 体調も万全にはほど遠い状態だったらしいのに、圧勝でした。
ところで、このマラソン中継、僕はなんだかとっても観ていてイヤだったのです。 その原因は、なんといってもフジテレビの朝の情報番組「とくダネ」の小倉智昭さんが、 キャスターとしてこの番組に出ていたこと。 いや、毎朝(というより、朝テレビを観ている余裕があるときは、ですが)「とくダネ」観てるくらいだから、大嫌いというわけじゃなくて、主張のはっきりしている司会者としては、他局の自分の常識を世間の常識として振りかざす人たちにくらべれば、好きなところもあるんですけどね。 でも、小倉さんの宇多田ヒカルさんや高橋尚子さんを取り上げるときの姿勢は、ちょっと迎合しすぎという気がするんですよね。彼女らが、時代の寵児であるだけになおさら、「人気者の尻馬に乗ってるんじゃないよ!」と言いたくもなるわけで。 とくに、今回の番組はスポーツ中継なわけですから、彼がず〜っと高橋選手のことを「Qちゃん、Qちゃん」と愛称で呼んでいたのは、すごく違和感がありました。 基本的に、スポーツ中継っていうのは、なるべく中立の立場が望ましいと思うのです。 真の中立など、ありえないのはわかっているけれど。 たとえば、某局の巨人戦中継のように、勝っていれば巨人の勝因、負けていれば巨人の敗因では、他のチームのファンはしらけてしまいます。 スポーツ中継の醍醐味というのは、事実を客観的に伝えることにあるのではないかと僕は思うのです。贔屓のチームや感想は、視聴者が個々にフィルターをかければいいだけのことで。 昔、オリンピック中継で日本の水泳選手を応援してしまったアナウンサーがいましたが、そのアナウンサーは、当時は局内では大変非難されたそうです。 でも、その実況は、伝説として語りつがれています。 これが伝説になったのは、たぶん、そのアナウンサー自身も公正に実況しようと思いつつも、我を忘れてしまって応援してしまったということが、視聴者の心とシンクロしたところにあるんじゃないでしょうか? もし彼が、最初から「前畑ガンバレ」を予定稿に入れていれば、そんなに感動を与えることはできなかったはずで。 小倉さんが、プライベートや情報番組で高橋選手のことを「Qちゃん」と呼ぶのは、別に構いません。現実には、2人の間に付き合いがほとんどないとしても、親しみの表現としては、許容範囲内でしょうから。 でも、試合の場にまで、関係者でもないのに「自分は、高橋尚子の理解者であり、応援者なんだ」という態度を露骨に表す必要があるのかどうか? レース中は、彼女だって1選手であり、どんなアクシデントに見舞われるかわからない。 だからこそ、スポーツ中継は時代を問わずに視聴者をひきつけてやまないのでは。 演出過多、報道する側の自己露出の材料としてのスポーツ中継は、もう飽き飽きです。 小倉さんが語りたかったのは、高橋選手のことじゃなくて、「国民的ヒロインのQちゃんと仲良しな自分」だったような気がします。
こういう報道姿勢は、長すぎる結婚式のスピーチと同じ類で、しゃべっている本人は陶酔しきっていても、観ている方はしらけてしまうだけだと思うのですが。 高橋選手が、優勝インタビューの最初に「見飽きた…」と言ったような気がしたんですけど、空耳だったかな。
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