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2002年06月06日(木) ■ |
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2002年6月6日。 |
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辻仁成さんのホームページの結婚報告より。
【〈出会いは七月の初旬、場所はパリ、シャルルドゴール空港の渡り廊下だった。彼女はスペインに向かう途中のトランジット、こちらはフランスで出版された「海峡の光」の取材宣伝のための渡仏である〉
〈お互いそれなりの恋情を潜り抜けてきた者どうしだから、その痛みやせつなさが良く分かるのかもしれない。いい大人同士がむかいあい、それだけじっくりと話し合い、それぞれの過去を認め合った結果の入籍である〉】
〜〜〜〜〜〜〜 最初に警告させていただきます。 僕は辻さんがあまり好きではありませんので、ファンの人は、以下は読まれないことをお勧めします。読んだら腹立つから、たぶん。
まず、偶然の出会いという件ですが、そんなの芸能人を海外の空港で見つければ、印象に残るに決まっています。違ったのは、辻さんが作家、映画監督として、芸能人とある程度自分の希望で接触できる立場にあったということです。まあ、ひとつの職権濫用ですね。自分の監督する映画の主役に起用しようとして、結局映画のほうは、辻さんの「思い入れが強すぎたため」に白紙になってしまったんだから。 映画の他のスタッフとしては、正直「お前の恋愛のために、俺たちはダシにつかわれただけだったの?」と聞きたいのでは。
そして次の「お互いの過去を認め合った結果」の入籍という件なのですが、僕はいつも思うのです。「恋愛の経験が豊富」であるということは、果たしてそんなにいいことなのか?「それなりの恋情」をくぐりぬけると「大人の恋愛」ができるようになるのか?僕の印象では、そういう「恋愛上手」や「大人の恋愛」を声高に主張する人って、結局、経験だけが豊富で同じような相手と同じような過ちを繰り返したり、相手というよりも「いい大人」な自分を愛している人が多いような気がします。 というか「そんな辛いこともあったんだ俺は」とか「私が前に付き合ってた人は…」なんて、別に傷の舐めあいというか…「告白タ〜イム」というか。 そんなの黙って「好きになりました」でいいんじゃないの? 「それなりの恋情」のひとつにされてしまった南果歩さんはちょっとかわいそう。
前に原田宗典さんのエッセイで読んだのですが、彼が自分の奥さんとなる人と初めて出会ったのは「寝癖ばりばりで、ジャージ姿だった」とのことです。でも、原田さんの一家は、それなりに幸せに暮らしておられるよう。
ドラマチックな出会いや「いい大人」の恋愛なんてレトリックに騙されちゃいけません。そんな虚飾の関係じゃ、サヨナライツカ。
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