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2002年03月22日(金)
2002年3月22日。

「世界がもし100人の村だったら」(マガジンハウス)より抜粋。

【世界には63億人の人がいますが、もしもそれを100人の村に縮めるとどうなるでしょう。100人のうち52人が女性です。48人が男性です。

<中略>

まずあなたが愛してください。あなた自身と、人がこの村に生きてあるということを。

〜〜〜〜〜〜〜

あまりに有名になってしまった、「世界がもし100人の村だったら」。この本、統計学としては、なかなか面白いです。世界の現実、というのを知るためには、非常にわかりやすいテキストだなあ、と思います。
ですが、この結びの部分のところが、僕はどうもよく分からない。われわれはその日の食べ物に困っている100人のうちの20人にあてはまらず、車を所有している7人のうちの1人で、コンピューターを所有している100人のうちの2人である、という事実は、わかるんだけど。
「僕らは恵まれてるんだ、幸せなんだ(まあ、確かに物質的にはそうではあるのでしょう)だから、みんなを愛してあげようよ」ということ?
「衣食足りて、礼節を知る」という言葉もあるとおり、物質的な充足は、精神的な余裕を生む土壌ではあるのですが。
恵まれてるんだから、施しをしようよ、幸せを謳歌しようよ、という結論は、どうなのかなと思うのです。

う〜ん、突然、「東京の夜」から「君が好き」になってしまう
Mr.childrenの歌のような唐突な結論。

知識として、呑み会のときの話題のネタとしては、最適だと思うんだけど。じゃあ、「恵まれてない人たち」は、この話、どうとらえているんでしょうか?ああ、どうせ「文字も読めない」人や「メールもできない」人には、わかりませんから、ね。

ただ、この「インターネットの民話」が同時多発テロ後に急速に広まったという事実は、「自分たちは恵まれてるんだ」という自己暗示が必要となってしまったの人々の不安のあらわれなのかもしれませんね。

でも、「感慨」はあっても「感動」はしなかったです、僕は。