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2002年03月02日(土) ■ |
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2002年3月2日。 |
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毎日新聞の記事より抜粋。
北海道栗山町の栗山小学校の女性教諭(51)が、スキー授業の指導で「自殺するように滑りなさい」という表現を使っていたことが、2日分かった。学校側は「不適切な発言だった」として5日に保護者に陳謝する。女性教諭は「子供たちが怖がっていたので、勇気を持って滑りなさいと言いたかった。不適切だった」と話した。
〜〜〜〜〜〜〜 「自殺するように滑りなさい」先生、語彙が貧困すぎます。かなりの急斜面を前にして、子供たちがひるんでいたようなので「清水の舞台から飛び降りるつもりで」ということで、こういう表現を使ってしまった、とのことですが。しかし、「清水の舞台〜」も現実的には、「死ぬつもりで」ってことですからね。 この先生、たぶん本気で自殺しようと思ったことがない、幸せな人なのでしょう。「自殺」=「勇気がいる」という解釈をしているわけですから。現実の自殺は、一種の強迫観念みたいなもので、「死にたい…」と思うレベルでは実行までには至らず、「死ななければならない」というくらい追い詰められないと、実際に行為に及ぶことは少ないようです。
確かに、不適切な表現ではあるけれども、「自殺」という言葉でこんなに責められ、毎日新聞に載ってしまうとは…そのことのほうが、僕には意外です。この言葉の不適切さよりも、「自殺する」すらNGワードにしてしまおうという社会的な締め付けを感じてしまいます。 そういう「自殺」に対する表面的な目隠しが、むしろ自殺を神秘的な儀式のように人々に思い込ませる元凶のような気もするのですが。 さんざん話題になった「完全自殺マニュアル」あれだって、読んでみれば単なる解剖学、薬学の本。
しかし、この先生、子供たちに嫌われていたんでしょうか? どうして授業中の一言がこんなに広まってしまったのか。
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