監督:ギレルモ・デル・トロ 出演:イバナ・バケロ セルジ・ロペス マリベル・ベルドゥ、他 オススメ度:☆☆☆☆−
【あらすじ】 1944年内戦終結後のスペイン。内戦で父を亡くしたオフェリアは、母が再婚した相手・ヴィダル大尉のいる山奥の駐屯地へ連れて来られた。不安と孤独と冷酷無比な大尉への不信感で押し潰されそうなオフェリアが森へ行くと、牧神「パン」が彼女の前に現れて「あなたは魔法の国の王女かもしれない。見極める為に3つの試練を受けなさい」と言うのだ。辛い境遇から逃れたかったオフェリアは2つ返事でこの3つの試練に臨むのだったが・・・
【感想】 今年のアカデミー賞で6部門ノミネート、内3部門(撮影賞・美術賞・メイクアップ賞)を受賞したファンタジー。 先に行われたカンヌ映画祭で上映された際には20分ものスタンディングオベーションという大絶賛を受け、他にも各国の数々の映画賞をイヤという程受賞しているという鳴り物入りの一作! ・・・のハズなんだけど、何故か日本では単館公開扱い。なんで?どーして???
と思っていたら、よくよく見ると本作「R-12」になってるじゃないですか。 ファンタジー映画でレイティングが付くってどーいう事よ?子供が見れないファンタジーなんて集客望める訳がない。 なるほどだから単館公開な訳ね・・・それにしても、どうしてファンタジーなのにR-12? ←堂々巡り(苦笑)
見れば納得!のすんげーダークな作品(^-^; かなり残酷なシーンが多くて、コレは流石に子供に見せる訳にはいきませんな。 大人のぴよが見ても相当「うげぇ〜」というシーンが多かった。そもそもファンタジーに付き物の「妖精さん」が、全く可愛くないドコロかド気持ち悪い大型昆虫という風貌ですよ。昆虫嫌いが見たら間違いなく吐く!(笑) しかも牧神パンも薄気味悪いクリーチャーにしか見えないし・・・まあ、パンは元々悪魔呼ばわりされる位、ギリシャ神話の中でも異質な存在だったから仕方ないのかもしれないけどね。それにしてもそのパンをキーマンに設定する事自体、この作品が見る人を選ぶ手合いだという事を物語っていますよね。
ファンタジー作品というと、普通は最初っから100%おとぎ話設定で「地球とは違う世界・時代・時間の出来事」みたいな完璧に在り得ない空想の世界というのがお約束だと思うのですが、本作が通常のファンタジーと大きく異にする部分は、あくまでも地球上のある実在した時間・場所が舞台として設定されていて、現実の裏でおとぎ話が進行しているという点。
コレは・・・物凄く脚本がよく出来てるなぁ〜と思いましたね。 現実とおとぎ話の部分が上手い具合に繋がるんですよ。とにかく現実はこれでもか!とオフェリアにとって過酷な状況が続いている。その裏でこの状況から逃げ出す為に「魔法の国」への切符を手に入れるべく遁走する主人公。 おとぎ話部分は現実の誰とも繋がりがなく、あくまでもオフェリアの中で秘密裏に行われているというのもミソ。
要するに、「パンは本当にいたのか?オフェリアは本当に魔法の国の王女だったのか?」 そうであって欲しい、そうでなければ余りにも悲し過ぎる。しかし映画の表で起こった事実だけを拾ってみると、どうやらコレは最後の最後まで何の救いもない「ある少女の残酷極まりない気の毒な一生の話」、転じて人の心の浅ましさや残酷さ、愚かさを見せる「大人の寓話」という風にも取れたりする。
その一方で、本当に全てがオフェリアの脳内妄想の世界で、表の世界(現実)で起こった事のみが真実なのか?と考えるとそれもまた違うかな(違っていて欲しいな)、という気もするんですよね。彼女が受けた試練とパンからのアドバイスで行った行為は表の世界に少なからず影響を与えていたようですし。 顕著な例は、マンドラゴラの根のエピソードですよね。ここら辺りを「たまたま偶然」なだけだと一刀両断するのもまた1つの考え方だと思うけど(苦笑)、これらの事象がただの偶然だったのかそれとも必然だったのか?どちらで解釈するかで本作への見方が随分変わりそうな気がします。
本作は本当にただの残酷な物語だったのか?それとも最期に微笑んだオフェリアは玉座に座る事が出来たのか? ・・・事実の表と裏は全て見せました。だから後は見た人の心情で想像・妄想を逞しくして解釈しましょう、という完全に大人向けの本気でダークなファンタジーでしたね。 まあR-12は妥当です。キモいキャラを見てビビっちゃうようなお子様にはムリです(苦笑)
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