監督:ラース・フォン・トリアー 出演:ニコール・ド・キッドマン ポール・ベタニー クロエ・セヴィニー、他 オススメ度:☆☆☆+
【あらすじ】 アメリカ・ロッキー山脈の麓にある「ドッグヴィル」は、廃坑後に残った住民20人程度の貧しい小さな村だ。ここにある日1人の女・グレースが逃げ込んで来た。どうやらギャングと警察に追われているらしい彼女を、村一番のインテリを自負するトムが煽動して村でかくまう事になった。 最初の頃は疑心暗鬼だった村人も、グレースの人柄に触れる内に次第に打ち解け、いつしかグレースは村にとってなくてはならない活気をもたらす存在だと言われるようになっていったのだが・・・
【感想】 「ダンサー・イン・ザ・ダーク」で知られるアメリカ嫌い(?)の代表的監督ラース・フォン・トリアーの最新作は、アメリカにある架空の寒村を舞台にした人間模様を描いたドラマです。 アメリカを舞台にしてるけど撮影はスウェーデンで行ったそーです。何でもラース監督は強度のフライト恐怖症(閉所恐怖症)でアメリカに渡った事がないらしいんだけど、これってアメリカに行きたくない理由付けか?(笑)
何が目を惹くって、そりゃー映画の設定・・・と言うかセットでしょ。 地面にチョークで家の敷地や道が描かれていて、そこに必要最低限の粗末な家具が置かれているだけ。 その「架空の村・ドッグヴィル」にさも建物や扉があるように役者達はパントマイムをしてドアを開閉し、丸々見えてる風景を見えないように演じ続けて行く訳ですわ。
役者も演じながら「ここには壁があって、窓があって、扉があって」と、村の様子を想像しながら演じたんだろうと思うけど、見てる観客も自分の頭の中で「きっとこんな感じの薄汚れた家が建ってて・・・」と想像しながら見ていかなければならないという、かなり手の込んだ(と言うか、観客任せにした)作りになってます。
こんな珍妙な設定の映画って見た事なかったけど、ぴよは結構楽しかったな♪ 本を読み慣れてるタイプの人には、かなり楽しい設定だったんじゃないかと思う。そこにない物をあるように空想するというのは、活字を読んでシーンを頭の中でイメージするという作業と似通っているでしょうから。
話はかなり人間の汚い本質を赤裸々に暴き出すという、あまり同じ人間として見たくない類の内容なんですが、汚いモノに蓋をしないでありのままに見せてくれる映画は数少ないので(ありのままに見せると、感動もなければ共感も得られにくいという不文律が映画世界では通説なので。笑)、そういう意味ではこの監督さんはかなりチャレンジャーだと思います。 この手の作品は、やたらキレイにまとめちゃう手合いが多いと思うけど、それをしなかったのはエライと思う。
じゃあ「面白かったのか?」と聞かれると、決して面白くないからこれまたスゴイんだよな(爆) 大体からして、人間の一番本質的な「いやらしい部分」をさらけ出して、同じ人間が見て楽しいハズがありませんや。 保身に走り、他者を疎み、自己の欲求を満足させる為には他人を貶めても厭わない・・・この作品を見て「こんなヒドい人が世の中にいるなんて信じられなーい」と言うヤツがいたら、そいつの事は信用出来ないとぴよは断言出来ますね(笑) この映画に描かれている「ドッグヴィル」の村人達の姿こそ、正に自分の分身だと痛感するべきですわ。
更に痛快なのはこの映画のラストです♪ グレースのした選択を、「そりゃないだろー」と本気で思う人っているんでしょうか? 夢のような映画の世界の出来事なら、グレースはきっとこの村人達を慈悲深い心で許したでしょうよ。 じゃあアナタがグレースの立場だったとしたら?アナタがグレースと同じ境遇だったとしたら? ・・・ぴよは、グレースが決断するよりもずーっと早くに彼女のした選択を考えてましたけどねぇ。はい♪(笑)
では「復讐は美徳なのか?」 それを考える為にこの作品は存在するのかもしれないとぴよは思ったんですが。 この作品が意味もなく「アメリカ」を舞台にしている事、そして今世界で起こっている出来事を照らし合わせると、なかなかシニカルで含蓄深い監督のメッセージが聞こえてきそうな気がします。
ラストのスタッフロールの画像を見ながら、自分がいかに「アメリカ的思想」に毒されていたのかというのを思い知らされた感じがしたんですけどね・・・って、深読みし過ぎですか?(^-^;)
|