ぴよの映画めった斬りコーナー
ぴよが見た新作映画・ビデオ・DVDを個人的趣味でぶった斬るコーナー
ぴよと意見が合わないからっていじめないでぇ〜ん!(^_^;)
【ネタバレも含んでますので注意してねん♪】

2003年11月22日(土) マトリックス レボリューションズ

監督:ラリー&アンディ・ウォシャウスキー
出演:キアヌ・リーブス
    ローレンス・フィッシュバーン
    キャリー=アン・モス、他
オススメ度:☆☆☆+


【あらすじ】
救世主の予言がプログラムの一環だったと知らされたネオは、マトリックスと現実界の境に迷い込んでいた。トリニティーとモーフィアスは預言者オラクルの手助けを得てネオを救出する。ネオは自分が運命を選択しなければならないと悟り、マシン・シティに向かう事を決意した。だがトリニティと共に乗り込んだロゴス号に、ベインに憑依したスミスが現れたのだ・・・
一方ザイオンにはいよいよセンティネルズの大群が迫っていた。人類とマシン、ネオとスミスの決戦の時がやって来る―


【感想】
いよいよマトリックス3部作の完結編。今更書くのも何ですが・・・映画は世界同時公開で、公開時にはキアヌが新宿にやって来て一緒にカウントダウンしてましたわよね。主人公が本国アメリカではなく、日本にやって来てカウントダウンするというのを見るだけでも、映画製作者側から見て日本のマーケットをどれだけ重要視しているかが伺えます。
公開初日、実はぴよは関東方面に旅行中だったので(はっきり言うとディズニーランドだ)、よっぽど新宿まで駆け付けて映画見て、いざとなったらタクシーで舞浜のホテルまで戻ろうか・・・くらいに思ってたんですが(ちょっとウソ)

さて。
映画は完結しました。

映画を見終わって、劇場を出る時に周りの人達の反応を見ていたんですが、みな一様に微妙〜な顔付きで無言だった人が多かったです。
普通この手の映画を見終わった後というのは、一緒に観に行った人に「面白かったねー!」とか「スゴかったぁー!!」とか、みんな活き活きとした目で今見終わった映画について楽しげに話す光景が見られるものですが、何故か「釈然としない」という表情をされていらっしゃる方が非常に多かったよーに思う。

ぴよもその1人だったのですが、完結編を見てまず思った事は「この監督さん達が見せたかったモノと観客がこの映画で見たかったモノに、あまりにも温度差があり過ぎた」という事でしょうか。

「マトリックス」という映画がこれだけ世界的にウケたのは、兎にも角にもCGとワイヤーアクションを駆使した、今までにない斬新で衝撃的なアクションと戦闘シーンの部分に観客が喜んだに他ならない。
よくこの映画は「キリスト教的世界観を云々」と評されていますが、監督達が最もこの映画で語りたかった「世界観」の部分を楽しみにしている観客は、皆無に等しかっただろうと思う。誰も小難しい宗教的世界観など必要としていない。みんながこの映画に求めていたのは、ひたすら「カッコいい戦闘シーンとアクション」だったのだ。

だからこんな判りにくいオチにしないで、もっと判り易い勧善懲悪モノにしてしまった方が、見終わった後気持ち良く映画館を後にする事が出来たと思うんだよね。
この映画製作者達は、自分達の作った映画のどの部分が観客にウケたのかを見誤ったのか、それともウケている部分は重々承知の上で、敢えて本来自分達が伝えたかった世界観を優先させるという選択をしてしまったのか・・・

少なくとも、この映画製作者達の選択は間違いだったとぴよは思う。

センティネルズの大群がザイオンを襲撃するシーン等、かなり映像的に楽しめるシーンもあったものの、根本的に映画全般のアクションシーンでネオ、トリニティ、そしてモーフィアスの3人をバラバラにしてしまったのは、絵的に完全に失敗していると思う。この3人がトライアングルを組んで型を決める姿こそが、観客がスクリーンで見たかったモノなのに・・・

結局何だったのかよく判らないまま映画が終わってしまって(大体からして、前作の内容をすっかり忘れてたさ。苦笑)
どーも釈然としないぴよは、見終わってから小1時間くらい考え込んじゃいましたわよ(^_^;)
以下、ぴよが「要するにこういう事だったん?」と思った事を白抜きで書いておきます。ウルトラスーパー超ネタバレなので、まだこの映画を見ていない方は決してドラッグしないようにして下さい。
・・とは言っても、ぴよの解釈が間違ってるって事も充分考えられますが(笑)

結果的に、1作目が余りに面白過ぎたのかもしれない。





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以下、ぴよなりのこの映画の解釈。(超ネタバレに付き、未見の方はドラッグしない方が身の為だ。笑)
尚、この解釈がまるで違いますよ!というご意見の方は是非ご一報ください。勉強させて頂きます!!


まず、ネオは何だったのか?という疑問がぴよの中に沸き起こった。
1作目からずーっとネオは人間だと思って見ていたんだけど、人間だったとすると辻褄がどうしても合わない。ではネオもスミスと同様プログラムだったのか?と考えると、それでもやっぱり辻褄が合わない部分が出て来る。

そこで思い出すのが、ロゴス号に乗り込んだ時に現れるベインに憑依したスミスの存在だ。スミスはプログラムだけど、人間の体に憑依する事が出来るのだ。・・・とすると、ネオもまた人間の体を借りたプログラムだったのではないだろうか、という事だ。ネオが人間に憑依したプログラムだったとしたら、すべての辻褄がスッキリとする。

オラクルはネオに「お前とスミスは同じものの表と裏だ」というような事を言う。

まずこの映画は、マシンが人間を支配し、マトリックスという仮想現実の中に人間を住まわせる事で制御しようとしていたものの、マトリックスの存在を確信した少数の人間達がそこを飛び出し、ザイオンという聖地に移り住んでマシンの支配から人間を解放しようと運動している・・・という設定だった。(だよね?)

そもそもスミスの存在というのは、マトリックスという仮想現実の秩序を守って、人間が暴走しないように監視する役割として作られたプログラムだったハズ。ところがそのプログラムも、時として作り手の予想もしないくらいの暴走を始める。

そこで現れるのが「救世主・ネオ」という名の救済プログラムの存在。
ネオが完全なプログラムであっては、暴走したスミスというプログラムを押さえ込む事は出来ない。予想の付かない暴走プログラムを制御させるのに必要なのは、マシンでは決して得る事のない人間の感情「愛」「勇気」「平和を望む心」といった無限大の可能性を秘めた神秘のパワーだ。

その為にはネオというプログラムは人間の体の中に憑依させ、人間としての感情をプログラムに習得させなければいけなかった。それにはネオ自身が自分が実はプログラムなのだという事を知っていてはマズいし、ましてや愛を得る為には人間達にもネオがプログラムだという事を悟られてはうまくいかない。
だからネオにも周りの人間達にもあくまでも「自分は人間なのだ」と思い込ませておく必要があったのだ。

簡単に例えると、マトリックスはOSで、スミスはウイルス監視プログラム(ウイルスバスターみたいなヤツね)、ところがその監視ソフトが時々妙な暴走をしてOSをおかしくしてしまう為に、ネオをいう修正パッチプログラムが作られた・・・てな具合でしょうか(笑)

ザイオンで「戦争は終わった!」と喜ぶ人間達だが、結局はマシン内の暴走プログラムの制御をするのに、ついでだから小うるさいハエどもにも参加させてマシンの恐ろしさを教えてやっておこうか・・・あんまり不穏な動きをするんぢゃねーぞ、という「お灸を据えられた」だけの話だったという事か。
ザイオンは守られたけど(つーか、たぶんマシン・シティの方では最初から全滅させる気はなかったんだろう)、終わってみればやっぱりマシンの支配から逃れられた訳ぢゃーないですしねぇ。

なーんか・・考えると、すっごいオタクな映画ですよね、コレ。(笑)
本来こんなに世界的にウケるネタじゃないハズなのに、あの革新的CGアクションシーンにみんなが引きずられて、こんな思わぬお祭り騒ぎになっちゃったっていう事だったんだろうなぁ・・・





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