惜春別日乗
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最近心が彷徨う。自分の本意がわからなかったりし、流される自分がいる。たぶんに寂しさに負けているのかとも思うけど、私が思うほど人は愛することに忙しくはないらしい。 なぜ愛する気持ちがなくても、そんなことができるの?目の前で愛に飢えるものの心の寂しさを、感じ取ることができないの?・・・私にはわからないことだらけだ。私の思っているものは、もしかしたら愛ではないのだろうかとも思う。「劣情」という表現もあるけど、私はその表現は違う気がしている。愛が強ければ強いほど、一つになりたいという気持ちは高まるし、そうしている時間は歓喜の頂上で、幸福感でいっぱいになる。それを「劣情」と表現することは、愛を踏みにじりただ快楽に溺れる行為に貶めるのではないかと思う。 どんなに思っても結ばれない思いは、風にちぎって飛ばすような、切ない哀しみを感じさせる。心の底から 愛し尽くすこと、それを喜びの最上位に持ってくるのは、間違いなのだろうか・・・。私は今、「愛」がわからなくなっている。
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