惜春別日乗
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2005年03月01日(火) 渇望と自己嫌悪

最近愛がわからなくなっている、と先に書いたが、同時に愛されたい、寂しい状態を一時でもいいから忘れていたい、そういうこころの状態が続いているように思う。はっきりと自覚しているというよりは、自分の行動を分析してそうなのだろうか、と「他人の目」で見るようにしてようやく把握しているような状態なのだが。わたし、と「思考」が分離していて、全く「感情」を理解していない。「自覚」して行動していないのだ。かなり悪い状態、と言えるかもしれない。でもじゃあなぜ止めないんだ、と言われると非常に困る。何故か・・・?それは「こころの渇望」が行動させ、自己嫌悪しながらもその一時に依存しているからだろう。

メッセで話していて「一度お茶でも」と言われると、特に忙しいわけでもない(用事はいくらでもあるが、それに手を付ける気分になれずに放置している)から、簡単にO.Kして逢う。その一時・・・数時間は本当は飽き飽きしている。しかし「気に入られたい」「もしかしたら愛されるかもしれない」という考えが、こころの底にあって、その時間を無意味に求めているのだろう。こころの状態は冷めているのだが、一方で渇望しているから、恐る恐る異性に近づく行動をするのである。不信から冷めていても、離れることができないのは、「必要とされる安心感」を追い求めているから・・・。

自己分析は昔からようできるのに、言動と一致せず、理性と感情(自動思考を含む)が分離しているような状態なので、自分を管理し続けることができない。後になって分析し自己嫌悪に陥るだけなのだ。「信じるに値する人がいるかもしれない」「自分の信頼を預け安心したい」という絶対信念は、容易に自分の理性を越えてしまう。いつの間にか、全てにだらしのない女に成り下がっている自分が許せないのだが、対案が見つからない。こころの渇望を埋める「自己達成感」がない。自立しきれない自分の体と現状。今、こころの状態は最悪かもしれない。しかし自力で何とかする方法へ気持ちを持って行く余裕がない。


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透雪 |MAILDusk of the Black HoleShine&Shadow