サミー前田 ●心の窓に灯火を●

2007年04月21日(土) 偉人・黒沢進の死を悼む




 何から書いていいかわからない。
 自分にとって尊敬する師匠であり、20年来の大切な友人であった黒沢進さんが病気で亡くなった。享年52歳。
 黒沢さんがいたからこそ、21世紀のいま、日本の60年代〜70年代の音楽を、こんなにもたくさん気軽に深く広く親しむ事が可能なのだ。自分がやっていることなんて、黒沢さんが開拓した世界のほんの一部分、カスのようなものである。何度か共同作業をさせていただいたが、やはりこの人の真似なんて誰もできない。そして黒沢さんにしかできない事がまだまだたくさん残っていたし、みんな期待していた。直接的、間接的にも黒沢さんの与えた影響は本当にはかりしれない。
 「カルトGS」という言葉を考えた人であり、15年程前に『カルトGSコレクション』というシリーズCDを編集し多くの音楽ファンに衝撃を与え、山下達郎にも絶賛された人。その後、URCの未発表音源の整理や、『カルトGSボックス』の編集などなど、そして多くの著作。実は、最新GS本にも着手していたが、未完成に終わってしまった。ああ・・・日本のポピュラー音楽研究に未来はあるのか?
 
 84年1月に、俺が初めて借りた阿佐ヶ谷天沼一丁目のアパート福田荘12号室、家賃18000円、風呂なしトイレ共同、廊下にピンク電話。その部屋で、俺は黒沢さんが深夜ラジオでB級GS特集で話すのを聴いた。モージョ、491、ガリバーズ、ボルテイジ、ダイナマイツなど。当時の状況からすると、これらの音楽を聴く事すら困難であり、ましてやラジオでかかるなんてありえない出来事だった。この一回限りのオンエアで人生が変わった人も多いと聞く。
 それから10年以上が過ぎて、黒沢さんと酒を飲んでいるときに、何気なく阿佐ヶ谷時代の話になったら、なんと!黒沢さんもかつて、70年代に同じ福田荘12号室に住んでいたという。お互い、大家が知り合いとか特定の宗教団体に属していた(笑)というわけではなく、当時杉並に何千とあった安アパートの中から選んだわけだ。これはただの偶然にしてすごいねえ・・・なんて大笑いしたものである(涙)。黒沢さんはシャイでトークイベントに呼ばれ人前で話すのが苦痛だったという。そして実は酒飲みで高田渡が好きだった。
 
 今後、追悼の会などがおこなわれると思うが、5月4日は黒沢さんにオリオンズとサイクロンズを観てもらうつもりでいたので、追悼の時間を作りたいと思っている。
 
 黒沢さん、大変お世話になりました。ありがとうございました。




 



2007年04月14日(土) オリオンズって?

 前回の文章を読んだ数人の方から「オリオンズってどんなの?」と質問されたんで、詳しいプロフィールは知らないがもう少し彼らについて書きたい。
 GSをはじめ日本の大衆音楽史の研究の権威、黒沢進先生が「ロック画報」誌上で高く評価したバンドで、俺も京都で初めて見た時にはぶっ飛んだ。オックスはローリング・ストーンズ・ナンバー「テル・ミー」で失神するのは有名な話だが、そのとき彼らはロネッツの「ビー・マイ・ベイビー」を劇的なパフォーマンスでやっていた。「テル・ミー」は初期ストーンズのオリジナルであり「ビー・マイ・ベイビー」を参考にして作曲されたのだ。その辺は無意識なのか意識的なのかは謎だが、本当はものすごいテクニックのある人たちがわからないようにワザとヘタクソにやっているのかも(褒めています)。
 60年代のストーンズの『ガット・ライブ・イフ〜』とか、いくつかのGSのライブ盤を聴くと、得体の知れないメチャクチャなパワーを感じるよね。まだチューニングメーターは発明されていないし、ステージ上のモニターもまともにない時代で、演奏する方はやりずらいのが当たり前で大変だったそうだけど、そうゆうライブならではの微妙なズレみたいなものが、下手な演奏ということでは片付けられない独特のグルーヴを生み出していた。それは今のバンドには出来ない60年代ならではの魅力でもあるのだが、オリオンズの演奏はまさしくそんな感じ。爆笑だが感動的である。5月4日が楽しみだ。



2007年04月11日(水) C級B級GSカルトパンク

 うわ〜今度は成毛滋かよ。次々と人が死んでいくではないか。
石原が都知事再選だし、気象は狂っているし、確実に悪い方向に向かっていると思う。
 
 気を取り直しつつ、黄金週間には京都から「オリオンズ」という大変ショッキングかつユニークなバンドがやってくるので、俺もDJで参加、今からすんごい楽しみなんです。
 オリオンズは、C級とかB級カルト・パンクなGSの、表層的ではなく核心を表現している凄い連中で、ドラムは元ちぇるしいのギタリストである。めったに関東地区では観れないので、他のメンツもよいので。これはぜひ真夜中の川崎にお越し下さい。

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5月4日祝(深夜・みどりの日) 川崎 CLUB CITTA’  044-244-7888

『クレイジーミッドナイト69〜通好みGSムード歌謡ブーガルー』

出演
トメ北川&篠原信彦(ザ・ハプニングス・フォー)
ザ・サイクロンズ(京都)
サロメの唇(高円寺)
オリオンズ(京都)
チャーリー宮毛とラテンスィンガーズ(横浜)
田渕純(マヒナスターズ)
DJ サミー前田

START 24:00 オールナイト
前売 2500 /当日 2800
先着50名までレア音源のCDR付き、チケットぴあにて前売中




2007年04月04日(水) ウンジャラケ

 日本の至宝、偉大な芸人、植木等が亡くなってしまった。近年、世の中に必要な人、まだまだ死んで欲しくない人が次々と死んでいく・・・そうゆう世の中になってしまったのだ。この世から消えて欲しい奴に限って偉そうにしている。テレビで松岡農水相の顔を見てたらそう思った。
 
 自分の父親(凄い変人)が西洋かぶれだったからか、なぜかクレイジーキャッツが嫌いだったらしく(笑)、幼少時代にテレビや映画でクレイジーを見た記憶は少ししかなく、ちゃんと意識したのは大好きだったテレビ番組「前武巨泉のゲバゲバ90分」の「アッと驚く為五郎」のハナ肇かもしれない。

 83年の9月に山口冨士夫グループの関西〜四国ツアーがあり、奥さん出産でマネージャ粕谷さんが同行できないため、俺が代わりに同行したことがあった。その時は、レコード店でバイトしていたので、店からもらった(パクったともいう)クレイジーキャッツと平山三紀のそれぞれ「全曲集」というタイトルのベスト盤カセットテープを持ってツアーに出かけた。メンバーと一緒の機材車の助手席にいた俺は、DJ担当みたいになって、車にあったのはルーツレゲエのカセット中心だったので、長い道のり、こうゆうのもいいかな?怒られるかな?という気持ちでクレイジーのカセットを流した。なんといっても村八分の冨士夫さんと青ちゃん、外道のマサ、トゥマッチのヒデという強面のメンバーの皆さんである。クレイジーを1曲ごとに爆笑し、みんなでを大合唱しながら高速をぶっとばすというファンタスティックな事態になった。なんとも楽しいツアーの想いでであり、自分にとっては初のライブツアー参加の経験であった。そういえばフールズも結成当時の80〜81年に「スーダラ節」をやっていたもんなあ。
 今の日本のロックに必要なのはクレイジーキャッツのようなユーモア感覚なんじゃないの? お前ら笑えないよ、面白くないよってロックが多過ぎ! 
 ここんところ追悼ばっかりしてるよな。

 


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