サミー前田 ●心の窓に灯火を●

2007年02月28日(水) 尾崎紀世彦、ガールズ、山口冨士夫

 夕方、ユニバーサルに行き、なんと! 尾崎紀世彦、半田健人と対談。4月に『尾崎紀世彦ボックス』が出るというので実現した企画だ。尾崎さんとは初対面で、なかなか気難しい方という噂も聞いていたが、ハワイアンやカントリーなど音楽の話を掘り下げていくうちに我々はうちとけて良い座談会が出来たと思う。現在も、前田憲男、猪又猛らとライブ活動をしているというので一度見てみたい。対談は4月発売の「団塊パンチ」に掲載される。
 対談後、ユニバーサルの担当者に、以前から切望している「ガールズ」(70年代の和製ランナウェイズのあのバンドね)の企画を再度つめましょう、と話すことができた。近い将来ガールズの決定版CDが出せると思います。一曲目は「チェリーボム」日本語バージョンで!
 
 夜はクロコダイルに行き、山口冨士夫with延原達治のライブ、ドラムは夜ストのてっちゃんだ。冨士夫さんは、対等にやれる音楽的なバンドマンたちとやると良いのだ。前回観た時はそれはもう大変な状態だったのだが、今回は体調も、ギターの調子もばっちりだった。冨士夫作品、ストーンズやらブルースやら、ロクなリハーサルもしてないのにけっこう長くやってたな。延原氏とのツインリードな感じもよかったし、夜ストのドラムのてっちゃんのがんばりがギリギリにグルーヴを崩さなかった。
 終演後、ご機嫌な冨士夫さんと本当に久しぶりにゆっくり話すことができ、ハプニングス・フォーが大好きだったと言うので、CDを贈呈した。ダイナマイツとハプニングス・フォーってあらゆる側面から見ても両極端な感じだね。そうそう、かつて自分が録音した冨士夫さんの83〜86年のテープが70本くらい発掘されたので、これもそのうちなんらかの形になるでしょう。



2007年02月21日(水) 天才バカボンといえば

 「天才バカボン」は少年マガジンで1967年から連載していたので、アニメ化はずいぶん後である。近所に住んでいたイトコのお兄さんが毎週少年マガジンを買っていたので、バカボンだけは物心ついた時からずーと読んでいた記憶がある。これが自分の人格形成にものすごい影響を与えたのだ。連載が数年過ぎた頃、今思えば赤塚先生がアル中になってメチャクチャな時代の幕開けだったのだろう、急に作品がアバンギャルドな展開を見せ始めたのだ。
 例えば、バカボンが出てこないのは当たり前、劇画調タッチだったりはまだいい方、終始見開きで1コマだったり、すべてのコマが眼玉や鼻の穴のアップだったり、停電だという設定で台詞以外全ページが黒で塗りつぶしてあったり、下書きのままだったり、ちゃんと書いてある漫画の上にマジックで「赤塚へたくそ!」とか「ボツ!」とか殴り書きしてある「作品」だったり・・・。毎週こんな調子で続いていた。
 まあとにかくラリって書いているのか、毎週毎週めちゃくちゃな内容で、よく漫画として印刷物になったものである。確かに漫画の常識や手法を超越してしまったのだが、それをガロではなく大メジャーの少年マガジンでやったのはすごい。
 当時リアルタイムで一回読んだだけの記憶しかないのだが、幼少時代にこんな漫画読んでいたら、そりゃあその後の人生は何が来てもびっくりしない。中1の時にオノヨーコのつまらん前衛音楽聴いても、高1の時に吉祥寺のマイナーでフリージャズやノイズ聴いても、普通に「こーゆーのもあるよな」と理解できたというか別にびっくりしなかったのは、もしかしたらそんなバカボンでアバンギャルドな感覚を受け入れる下地ができていたからか。
 一連のこれらのバカボンは単行本に収録されていよな・・・もう一度見てみたい。



2007年02月20日(火) ザ50回転ズと赤塚不二夫

 2ヶ月ぶりの東京、アメリカから帰国したばかりのザ50回転ズを見る。
 去年に比べて成長著しく、いい意味でアカぬけたというか3人ともステージ上では堂々としてるし、新人バンドっぽくないスター性を感じるのだ。まだ20代前半の若者たちだが、怪人というか年齢不詳なかんじ、そこがまたいい。同行していた田渕純は「彼らは30歳くらいですか?」といってたけど(笑)。キャラクターが強烈すぎるんで(だから人気急上昇中なわけだが)あまり語られないが、彼らの音楽は深いルーツに根ざしているところも魅力だし、きちんと考えて作った上でアホを演じているわけだ。すばらしい演奏力とエンターテイメント。こうゆうマジメさはロックに必要ですよ。どんなにかっこつけても音楽がダメだったら、どうにもならない。あまり練習しない方がいい、とか言ってる奴は逃げてるだけ。やっぱりいいもんやってる人はしっかり練習してるよ。
 しかし、ステージ見てると赤塚マンガを思い出すよなあ。「天才バカボン」みたいな演奏だもの。理屈はいらない。最後はやっぱり、これでいいのだ。
 
 70年代、赤塚先生がタモリを福岡から呼んだばかりの頃、タモリがゴールデン街で披露していた、インチキ牧師の芸が見たい! 「アナタタチハ〜アクマノミズヲノミ〜」っていうやつ。



2007年02月15日(木) ジョニー・クール

 実は今日、誕生日であるがいつも通りだ。宴会はしません(笑)

 ある事情により早稲田のリーガロイヤル・ホテルに毎週のように行くのだが、ハイソな高級ホテルなだけに場違いな服装とスニーカーで現れる自分の姿に、こいつは不審人物ではないかというホテル関係者の視線を一瞬感じることがある(笑)。今日、それは妄想ではないということがわかったのだ(笑)。
 ホテル専用の無料送迎バスがあって、それに乗り込んで帰ろうとしたら、ホテルのおっさんが「あの〜ホテルのお客様ですか?」とわざわざバスの中にまで入って聞いて来た。まあ周りはフォーマルな結婚式関係や、金持ちそうな老夫婦とかばかりなので、外見で判断されてしまったわけだ。不愉快極まりない話ではあるが、最近ヤバイ奴とか盗難とか多いだろうからしょうがないけどな。あ、でもここのパンとかけっこううまいよ。
 カーナビーツもレコード会社のパーティーに招かれた時、主賓にもかかわらず格好が派手すぎてホテルに入れてもらえなかったというし。40年くらい前のい話だけど。
 
 ジョニー大倉の70年代のソロ・アルバムが再発されているが、ミッキー・カーティスがプロデュースしたファーストとセカンドが特に素晴らしい。この人こそが日本のジョン・レノンだったのかもしれない。再評価すべきロックンローラーだ。



2007年02月11日(日) 追悼 大木啓造 (ザ・ダイナマイツ)

 またもや実家の物置のカセットテープを漁っている。
 ダイナマイツのギタリスト二人=山口富士夫さんと大木啓造さんの一回だけのバンド「傷」、83年元旦のクロコダイルのライブテープを聴く。フールズを前座にしたこの日のステージ、まだ18歳だった俺は今でもよ〜く覚えている。カバーを中心に、大木さんはロン・ウッド「アイ・キャン・フィール・ザ・ファイヤ」や「ウォーキング・ザ・ドッグ」など、富士夫さんは「ビーマイベイビー」や「グロリア」(パティ・スミスVer)などを歌い、大木さんのオリジナルも3曲ほど披露した1時間弱くらいのライブだった。写真もどこかにあるはず。

 とかなんとか郷愁に耽っていたら、大木啓造さんが10日の朝に亡くなったという訃報が届いた。
 最近では瀬川洋さんのライブにゲストで出ることもたまにあったのだが…。瀬川、大木、吉田のダイナマイツ3人でセッションしたライブも目撃している。大木さんはダイナマイツの中ではルックスがよくて女の子に一番人気であったというだけあって、歳を重ねてもあまり変わらず、それこそロンウッドみたいでカッコよかった。ダイナマイツの後は、内田裕也さんのバンドにいたはずだ。残念です。ご冥福を祈ります。


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