2003年08月16日(土) |
続・フランスにおける夫による妻への暴力(統計) |
今週の半ば発表されたマリー・トランティニャンの検死結果最終報告によると、マリー・トランティニャンは「事故」ではなく、連打による顔の損傷の状態や、鼻の骨の砕けていることから、死に至る殴打を受けたことが原因とのことです。 これによって、ベルトラン・カンタが最初から主張している“叩いたときに倒れた拍子に頭を打った”との「事故」節は説得力がなくなり、医学的に証明されるのがむずかしくなりました。
先に書いた記事の統計の数字をちょっとだけ・・・
この統計は2002年に電話によって行われたアンケート調査の結果で、20歳から59歳までの6970人の回答によるものです。 回答者のうち、17%がなんらかの肉体的暴力を受けたことがあり、約半分の人が配偶者からの暴力であり、5.2%が殺すと脅かされたことがあると答えている。この「脅し」とは、銃や危険物を突きつけられたり、首を絞められたことがあるなどです。 暴力をふるう男性たちは、失業者11.1%、管理職8.7%、労働者階級はわずか3.3%、なかには医者や警察官、地位のある公務員などもあげられている。 アルコールが原因で暴力をふるうのが一般的とされているが、実際は、70%の虐待が全くアルコールのないところで発生しているようです。
これらの数字を見ていても、あまり個人的にはピンとこないのですが、これはやはり日本との比較がないからでしょう。 日本の現状はどうなっているのだろうか。今手元に統計の資料がないのでなんともいえないけれど、個人的な印象としては、死に至るまでの暴力の数はフランスほど多くないにしても、一般的な暴力に対する数字は同じぐらいではないだろうかと思っている。
というのも、まず第1に、日本人の場合はフランス人と比べて「暴力」というものの認識が薄いような気がしている。 だから暴力の数は同じでも、認識の時点で違ってくる。 こんなこと書くと、なんかフェミニストみたいに思われるとやだからあまり書きたくないんだけど、殴る蹴るなどの、明らかな形での暴力の場合は別として、「心理的暴力」となるとどうだろう。 日本女性は家庭においても社会においても、抑圧された環境のなかにいるのが当たり前になっている。もちろん、年代や夫婦・カップル間において程度の違いはあるけれど、何をもって「心理的暴力」というのかというのが意外にわかっていないような気もする。
また「経済的暴力」になると、逆にほとんどの夫婦がお財布は女性の方が握っているので(たぶん)、これまた別の意味でフランスと違う。
なんだか中途半端なコラムになってしまいましたが、日本の統計、もし見つかったらご報告します。
ベルトラン・カンタ、その後
2003年08月12日(火) |
フランスにおける夫による妻への暴力(統計) |
昨日フランス人の友人と話をしていたら、意外にも多くの日本人がマリー・トランティニャンのことを知らないのにびっくりした。 ジャン=ルイ・トランティニャンは知っていても、彼の娘のことは日本ではあまり知られていないようだ。 この友人は、彼がフランス語を教えている学校で、先日「F2(フランスの国叡TV)」で放映されたマリー・トランティニャンの葬儀のもようのニュースを授業で取り扱ったら、生徒たちのあまりの半応の薄さに拍子抜けしたそうな・・・。 と、わたしもそのことを聞いてちょっと拍子抜けしてしまった。
日本で「家庭内暴力」というと、真っ先に思い浮かべるのがこどもが親に対してふるう暴力のことだが、自由・平等・博愛のフランスにもこの「家庭内暴力」は存在する。ただその実態が少し違っていて、フランスの場合は、夫が妻に対する、または、結婚していなくても、一緒に暮らしている男が女に対しての暴力のことである。
マリー・トランティニャンが亡くなったときに、フランスで真っ先に論議を呼んだのがこの話題だった。 8月6日に執り行われた葬儀にも数多くの女性たち(被害者)がマリーの葬儀に参列し、そして、9日土曜日には、200人ほどの人たちが集まり、マリー・トランティニャンと、彼女のように暴力によって亡くなった被害者に対しオマージュを捧げる集会があったようだ。
2002年に公式に発表された調査結果(Le Monde.fr の記事)によると、なんと!フランスでは、一ヶ月に6人の女性が夫の暴力によって死亡しているらしい。 そして成人女性10人に一人がこの暴力の犠牲者であり、25歳以下の犠牲者の数が、25歳以上よりも2倍にものぼる。 またこの「暴力」は、いわゆる殴る蹴るのものにとどまらず、性的暴力、心理的暴力、経済的暴力など多岐にわたっている。 また、暴力をふるうのは、貧困やアルコールが原因と見られがちだが、実際のところ、全ての社会階層のなかで見られると記事には書いてあった。
続・フランスにおける夫による妻への暴力(統計)
2003年08月06日(水) |
マリー・トランティニャンって誰? |
悲報、マリー・トランティニャン
マリー・トランティニャン、1962年1月21日パリ生まれ。 父親はフランス男優で有名なジャン=ルイ・トランティニャン。 初の映画出演は4歳の時、母親ナディーヌ・トランティニャン監督の『Mon amour, mon amour』。生涯で30本以上の長編映画に出演。
わたしがマリー・トランティニャンと聞いて一番に思い出すのが、1978年のフランス映画『セリ・ノワール』なんだけど、なにせ古くて地味な映画なもので、この手のダークな映画を好む方以外は観ている人はあまりいないのではないだろうか。 監督は、今年のフランス映画祭で、日本企業で働くフランス女性を描いた『畏れ慄いて』を見せてくれたアラン・コルノー。
ストーリーは、インチキ商品を売り歩いているあるサラリーマンが、ローンの取り立てに行った屋敷で「コートの代金の代わりに」と差し出された娘モナと会うところからはじまる。この娘になったのがマリー・トランティニャンで、彼女が15歳のときに出演した映画です。 また、サラリーマン役になったパトリック・ドヴェールも既に他界しており、結局この映画は、若いふたりが、もっと活躍しても良いはずの役者たちが、もうこの世にいないという貴重な作品になってしまった。
映画としてすごくおもしろいのは、93年の映画『メランコリー(Les marmottes)』。出演する人たちも、ジェラール・ランヴァン、アンドレ・デュソリエ、ジャクリーヌ・ビセット、ジャン=ユーグ・アングラードといった面々で、ひと冬のヴァカンスを過ごす家族とその仲間たちの群像劇。 マリー・トランティニャンは、ちょっと頭のイカれた女を演じていていかにも彼女らしい雰囲気。実際に彼女は“ちょっと頭のこわれたマージナルな”人物に対して偏愛ともいえるような思いがあったようです。 彼女の相手役にはジャン=ユーグ・アングラードといった嬉しい設定で、フランス映画好きな方にはおすすめしたい映画です。
また有名なところでいうと、日本でも大ヒットしたジャック・ドワイヤンの『ポネット』でしょうか。このなかで彼女はポネットの母親役になっていて、最後の方でちらりと登場するだけなのだけど、赤いマント(黒だったか?)を着て強烈な印象を残していました。
もうひとつ、『絹の叫び』とかいう一風変わった作品もありましたね。 これは彼女が主役の、ある意味官能的な映画です。
そして、彼女の遺作となってしまったテレビ映画『Colette(コレット)』ですが、これはフランスの女流作家コレットの伝記映画で、彼女は母親といっしょに脚本も手がけていたようです。映画のなかでマリー・トランティニャンは主役コレットを演じており、共演として、2度目の夫役に、『リローデッド』でもモニカ・ベルッチの夫役で出てきたランバート・ウィルソン。 コレットは4人の息子がいたらしく、実際のマリー・トランティニャンにもこどもが4人。この辺の共通点でコレットという人物に共感を得て演じていたのかもしれません。
監督でもあり母親でもあるナディーヌ・トランティニャンによると、既にこの作品は撮影が終わっており、あとは編集するだけ。取り残したシーンもあるらしいですが、たいしたものではないと言っています。マリーのオマージュとしてぜひとも作品を仕上げたいという母親の意向のようです。そうなると、予定通り2004年にはフランスで放映されるのだろうか。 悲しい話だけど、マリー・トランティニャンの遺作となってしまったこのテレビ映画。ぜひとも日本でも放映されて欲しい。
フランスにおける夫による妻への暴力(統計)
2003年08月02日(土) |
悲報、マリー・トランティニャン |
いったいどういうことなんだろう。 確かに世の中には、激しく口論するカップルもいれば、取っ組み合いの喧嘩をするカップルもいる。だからといって、理性をなくして度を超して、相手を死に至らせるまでの行為があったとすれば、それは、いかなる理由があったとしても「人殺し」なのだ。
昨日、マリー・トランティニャンが亡くなりました。 昨夜遅く家に帰ってきて、Yahoo!フランスサイトでこの悲報を読んだとき、胸がつまり、ぐぐっと涙がこみ上げてきた。まともに記事なんか読めそうにない。とりあえずダウンロードしておき、今朝読んで、それで今こんなこと書いてるわけです。
このことは、先日ちらりとねこたま掲示板の方にも書きましたが、改めてここでこの悲劇の経緯を書きとめておきます。というか、わたしは最近日本のニュースをまともに見ていないので、この事件の詳細がどのくらい日本のメディアで流れているのか知りません。数日前、たまたま点けたTVで、国会で議員たちが取っ組み合いをしている様子が写って「お前ら、あほか」と思ったぐらいです。
マリー・トランティニャンは、リトアニアの首都ヴィルニウスで、彼女の母親ナディーヌ・トランティニャン監督のテレビ映画『コレット』(作家コレットの伝記映画)の撮影中でした。 滞在していたホテルで、7月26日の夜から27日の朝にかけて、連れのベルトラン・カンタ(フランスのロック・バンド「ノワール・デジール」のリーダー・ヴォーカリスト)との激しい口論のあげく、カンタがマリー・トランティニャンの顔や頭を激しく殴り、トランティニャンは頭蓋破裂、数時間後、病院に運ばれてからも昏睡状態が続き、火曜日(29日)以後の二度にわたる手術後も脳死状態。ほぼ絶望とみられていました。
患者を動かすのはもってのほかという医者の意向に反し、「望みがないのなら、せめてフランスに連れて帰りたい」というトランティニャンの家族の要望により、マリーを本国フランスに移送。 マリー・トランティニャンが亡くなったのは、昨日8月1日金曜日の朝10:20(日本時間18:20)。リトアニアからフランス・パリの病院に移送された後しばらく経ってからのことです。
問題のベルトラン・カンタは、この騒ぎを起こした後、大量のアルコールと薬物を飲んで自殺を図り、でも失敗、マリーと同じ病院に収容されていたが、金曜日の朝、Lukiskes刑務所の病院に移送。 現在、彼の身柄はリトアニアに預けられており(法律上、8月14日まではリトアニアに拘留)、フランス側に引き渡されるのはまだのようですが、この事件に対しての予審が開始されたとの記事がありました。 当然のことながら、ベルトラン・カンタは“殺しではなく、アクシデントだ”と主張しておるようです。そりゃあまあ、簡単には認めないわな・・・。
マリー・トランティニャンって誰?
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