ウェブ日記
2006年12月31日(日) 朝からいいニュース/中華街の缶詰/2006年最後の瞬間は花火に消えた
朝からいいニュース

死刑執行ですか?それも絞首刑ですか? 自国民を虐げる為政者は他国によってでも除くべき。 次は東アジアの将軍ですか?

中華街の缶詰

アジア系の食堂の半数くらいは12月下旬から1月上旬まで休むことが多いけど、 こちらの年末年始は日本と比べ店が長い間閉まらない。 それでも買物に少し不便なので、 これを機会に今月下旬から今までほとんど買わなかった アジア系の缶詰とインスタント麺(個別包装のもの)を買って試食することにした。 前者についてはほぼ飽きるまで食べたので、 少しここにまとめてコメントする (特に断らないときは中国産)。

最初に頂いたのは楕円形の缶(容量200 g弱)に 汁抜きで入ったリョウ魚 (リョウは綾の字の糸編を魚編に換えたもの、英語ではdace)や 鳳尾魚。 値段は1.5ドル前後で甘辛く唐揚されている。 味は日本の蒲焼きや大和煮より個人的には好きだけど、 魚の違いが分かりにくいし油が多い… 味付けの豆シ(ブラックビーン、シは鼓の左側の部分を豆に換えたもの)がおいしい。

台湾産好媽媽ブランドの鰻の缶詰は 日本の鰻の蒲焼きの缶詰と素材も味付けも違う。 身は硬めでぶつ切りに近く、 味付けには豆シや五香粉が使われる。 個人的には好き。 100 g 1.7ドル。

野菜は1缶のみトライ。 梅林(Maling)のPickled cabbage(雪菜)は200 g 75セントと安価。 高菜の漬物のような味。 塩気が濃いので料理の素材にしか使えないのが残念。

ランチョンミート(午餐肉)は360 g 2ドルくらいで 何ブランドか選べる。 厦門・古龍(Gulong)のは発色剤である亜硫酸ナトリウムが無添加。 イージーオープン缶が少し開けにくく、 味はどちらかと言えばプレーンだけど品質は良かった。

一番私の好みだったのは回鍋肉。 日本のものと違い野菜には筍が使われる。 198 g 1.35〜1.5ドルくらい。 明発(Ming Fa)と梅林を試したけど、 どちらも四川風でなかなか辛い。 グリコカレーLee (私のお気に入り、20年のロングセラーが嬉しい)に例えると 「辛さx10倍」以上と思う。 明発の方が筍の歯応えが良くて好き。

あと東南アジア産の鰯のトマト漬については 缶を捨ててしまって細かく書けないので後日また書く予定。 原産国やブランドにより価格差が大きく、 日本のものより添加物が少なくておいしい。

2006年最後の瞬間は花火に消えた

2006年最後は自分の部屋で来年のやりたいことを 頭に浮かべながら過ごそうかと思っていたら、 夜ロッジの住人からシティの花火大会に行かないかと誘われ 二つ返事で参加(誘われるのはありがたい)。

行きのバスでは酔っ払って粗野で下品な言葉を話す若僧どもに悩まされ、 オージーのイメージを悪くさせられたものの、 バスを降り会場のヴィクトリア広場と車両通行止のウィリアム王通りに着いた頃には そんなつまらないことは忘れてしまった。

アデレードの西の海岸の町グレネルグへ人が流れたので、 こちらの会場はそれほど混んでいないと 私を誘ったベンガル州の留学生SDが説明した。 年が変るまで路上の臨時ステージでロックコンサートが催されたが、 私がそんな好きでないブリティッシュ/オージーばかり 演奏されたので始めはつまらなかった。 でも「ラジオスターの悲劇」 --未だに歌詞を知らないでいる-- が流れて元気に。 この曲はU2の曲同様古くならないね。

ゆっくりしたカウントダウンの後 「蛍の光」が会場に流れ 小さめだけど派手な色の花火が次々に打ち上げられる。 ドイツ人住人BHと抱き合って新年を喜ぶ。

眠かったので花火が全部打ち上げられたら、 ロッジの有志と一緒にバスで帰宅。 元日の深夜は無料。


2006年12月28日(木) 名古屋圏人のはらわた
名古屋圏人のはらわた

私の世界観を大きく変える出来事が起きた。

数日前、ウェブ百科事典 ウィキペディアの パロディのウェブサイトアンサイクロペディアを訪問、 名古屋共和国の記事を見て面白がる。 日本で時々耳にしたけど、 彼の土地の人が閉塞性が強いと紹介されているので、 一昨日「名古屋 閉鎖的」の言葉をぐぐってみたら、 約12万件もヒットしたので驚いた。

そして、検索されたウェブページの中からこんなウェブサイトを発見した (名古屋みゃーみゃー通信第22回)。 そこにはおそるべきことが書かれていた。 あまりに衝撃的だったのでここに引用する。

名古屋っ子は必ず恩返しをします。 しかし、やられた仕打ちに対しては 例えそれが一時的なことだったとしても、冗談だとしても、 名古屋っ子は一生根に持ちます。 それでも良ければ名古屋をあざ笑って下さい。 これは脅しなんかでは決してありません。 悪口を言う際は、一生名古屋を敵に回す覚悟をしてください。

このウェブページには例として 戦後すぐ潰れそうになったトヨタ自動車の 再建支援を断った住友銀行と川崎製鉄が それらが地元の企業と合併するまで 半世紀も出入り禁止となったことを挙げている。

企業は己の経営に問題があったから倒産寸前になるので、 恨むとすれば自身である。 他の企業はそんな問題のある企業の再建の協力を拒むのが普通なのに…

トヨタは特別な例と思っていたら、そうではなかった。

以前はこちらがつれなくして申し訳なかったのにもかかわらず、 半年前あることがきっかけで仲良くなってくれて、 笑顔で挨拶してくれて、 親切にして貰ったことのある愛知県出身の留学生がいる。 でも、また私の過ちが元で、 あちらからは最近3ヶ月の間こちらが挨拶してもろくに返事を貰えなかった。 謝ったのに。 あまりに態度が酷いので、それは正しいことかの旨メールしたら、 半年以上ろくに挨拶の返事をしなかった人に 最近の自分の態度が正しいかどうか聞かれても困る、と返された。

私はショックだった。 自分の非をなかなか認めない人は世の中に多いので、 それはまだ良い。 でも、まさか仲が良かった日々でも あちらは私の無礼を根に持っていたとは全く思ってもみなかった。 あまりのショックに終日寝込んでしまった。 あのウェブページの内容は、やはり事実だったのだ。 その後あちらには、そちらがどんな人かよく分かった旨の最後のメールを送信した。

私は今まで何人かの愛知県とその周辺出身の人に (名古屋圏外で)出会ったことがあったが、 正直言って何度もどこか彼らに、 他の出身の人には感じられない違和感を覚えたことがある。 うち1人(愛知県出身)は、 私を一度嫌いになってから、何度謝っても、 最後まで私を許さなかった。 今までは私に問題があると信じて疑わなかった。

織田信長は、自分に一度でも刃向かった者を最後まで許さなかった。 柴田勝家は許されたけれど、 彼は尾張出身であるのを忘れてはならない。 特殊部隊の経験者であり愛知県出身の柘植久慶氏は 著書「フランス外人部隊から帰還した男 (飛鳥新社、1987年))」で、 自分を馬鹿にした兵士を訓練中脳挫傷であの世へ送った --この事件は事故として処理された-- と記している。 彼らの行動は上のウェブページを読めば、 容易に理解できる気がする。 もっとも命の遣取りが行われる場所は 平時の常識が通用しないのだけど。

根に持つ者は、 日本では相手にされないくらいで済むけど、 ヨーロッパを含む外国では、 命を落とすかもしれない。 キリスト教では他人を許すことの大事さを何度も説くので (例:主の祈り)。

ともあれ、 あのウェブページの発見と 最近の私に起こった出来事がきっかけで、 私の名古屋圏とその地の人々や企業に対する見方は 決定的に変ってしまった。 あそこは、海外在住の私が知った最初の「異国」である。

(29 Dec 2006に28 Dec 2006付で記、30 Dec 2006細部の追記)


2006年12月18日(月) "All your base are belong to us"
"All your base are belong to us"

ウィキペディア で英語について少し調べ物をしていてこの文句を発見。 その後「Engrish (こちらは知っていた)」と 「Chinglish」に関するウェブページを探して読んではまる。


2006年12月17日(日) 今日の新解さん
今日の新解さん

今朝「ダッチ」を引いたら、 驚いたことに無かった。

山田忠雄他(篇) (2005) 新明解国語辞典、第6版、小型版、東京:三省堂。


2006年12月14日(木) 「歴史言語学と日本語の起源」
「歴史言語学と日本語の起源」

昨日触れた日本語の人称についてネットで情報を探したところ、 古代日本語の人称代名詞に関する考察 なるウェブページを発見。 古代日本人の言葉は全うだったんですね。 このページはロゼッタストーン氏のウェブサイトの一部で、 他のページを読むと専攻や分野に関らず、 学問のやり方は共通していることを強く感じた。 このサイトには面白い読みものが多い。


2006年12月13日(水) こちら、そちら、あちら
こちら、そちら、あちら

昨日 ことばや言語関係の雑記集我々」について書いてから、 こちら(我)、そちら(相手)とあちら(それ以外、よそもの)について今朝ふと気になって考えた。

まず言語についてさらに考える。 「我々」の項に書いた通り、 日本人と中国人には、少なくとも言語の面から見ると、「我」が無い(確かでない)。 「我」は1つしかないのに言語では複数の表現「我々(我我)、我ら、私達/我們)があるから。

それでは相手とよそものについてはどうかと言うと、 中国人は言語では区別する(なんじ(イ尓)と他人(他))のに対し、 日本人は実はそれほど区別していない。 何故なら「あなた」は本来あちらとか遥か「かなた」、 つまり元々第三者の意味なのに「そなた」、 そちら、つまり第二者と同じ意味だから。 そもそも日本語には英語のyouに相当する言葉が、無い (これについては「「ユー」と敬語」の項で触れた)。

さて、このような言語が人々の世界観を支配しているとしよう。 そして、この世界が「我」、「相手」と「それ以外」だけでできているとしよう。

すると多くの国の人達はこれら3つがちゃんと区別できる。 これが「普通の」世界観と言える。

これに対し日本人は「我」がはっきりしないうえ、 「相手」と「それ以外」も区別できるかいまいち分からない。 「我」も「相手」も「それ以外」も互いに区別できず、 ぼんやりと存在しているのが日本人の世界観となる。 家庭で母親が子供の前で父親を「お父さん」と呼んだり (註1) 自分を「母さん」と呼んだり (註2) 会社で他の人を肩書(つまり課長、部長等々)で呼んだりするのを思い出すと納得。 その他「おのれ」の意味は何だっけ? 島国なので領土は外国とはっきり区別できるのにね。

一方中国人の世界観は「我」がよく分からないけど「相手」と「それ以外」ははっきり存在するもの、となる。 私はうまく想像できない… ちなみに私の持つ中国人のイメージは「中国人のはらわた(連根藤 (1989)、はまの出版)」に書かれている。

ここからは言語の話題から離れる。 では、「それ以外」がよく分からないけど「我」と「相手」ははっきり分かる世界観は… 神様あるいは恋人に向かっている人が持つものと言える。

では、「相手」がよく分からないけど「我」と「それ以外」がはっきり分かる世界観は… これってもしかして…「ウリとナム」? そう言えばあちらにもyouに相当する言葉が無い(と言語の話題に戻って終る)。

(註1) 妻はまだ良い方かもしれない。 と言うのは夫の中には名前も代名詞も使わず 妻を「オイ」で呼んで済ませる奴らもいたから(今もいるのかな?)。

(註2) 私はこのような呼び方がものすごく苦手なので日本女性はめとりたくない。


2006年12月12日(火) 今日のサラスポンダ等(笑)/たらこ
今日のサラスポンダ等(笑)

とりあえずメモ。 都内の図書館で調べ物ができれば良いのだが… いつ改編/削除されるか分からないウェブだけ見るのに参って来た。

人力検索はてなの 28番の投稿では 「何をサラスポンダ!」というギャグが紹介されていて、 「何ばすっとね! (九州弁)」よりインパクトが強くて吹き出しそうになった。

それはともかく、 サラスポンダの詞に悩まされた人は海外にもいる。 例えば Carol Parssinen氏(リンク先はグーグルキャッシュ)は サラスポンダはフランス語の歌ではないかと推測している。 「サラスポンダ」は「サラ、返事して(repondre)」 または「サラ、恋してる(ependre)」の意味で、 他に歌詞にはadorer (溺愛する)、assez (十分)、passe (終った)の単語が入っていて、 この歌は男が愛を告白して女がもう彼らの恋は終ったと宣言している歌ではないかと推測している。

ソース: Parssinen, C. (2001). Sarasponda. STUMPERS-L archives: July 2001 (#157). URL listserv.dom.edu/cgi-bin/wa.exe?A2=ind0107&L=stumpers-l&P=17025, inaccessible on-line on 12 Dec. 2006

フランス語詞を作るならこの内容が素敵と思う。

この歌がもしある個人か団体(特に日本人)作詞の単なるオノマトペだったとしても、 文法的にこの詞は成り立つので、 私は「言語解析」して人工語を作るつもり。

今日また「サラスポンダ」でぐぐったら、 10番目くらいにこのウェブ日記がヒットしてびっくり。

昨日書いた「アチャパチャノーチャ」でラップランド(サーミ)について触れたが、 私が知っている唯一のサーミの音楽は 9年前買ったCD、 マイク・オールドフィールドの「遥かなる地球の歌」 (Mike Oldfield: The songs of distant earth) の中のサンプリングだけである。 こんな曲だった(譜面が書けなくて済まない)。

B4----F#4C#5-B4
B4-F#4F#4-D#4F#4--
D#5----F#4
F#5--D#5--C#5--C#5-F#4D#5----F#4
D#5--C#5--B4--F#4--D#4--B3--
F#4--B4--F#4--------
(始めに戻る)

(註)

  • 原曲はロ長調で大体3/4拍子
  • 音名は4分音符の3連符1個の長さも表す
  • 「-」は直前の音を3連符1個分伸ばす
  • 速度はモデラートくらい?

清清しい曲で 全然アチャパチャノーチャと曲の感じが違う… アチャパチャに近い曲は… NHK人形劇「プリンプリン物語」に登場した オサラムームー国国歌(爆)。

歌詞 をざっと見た限りでは、 もしこの詞が全くの擬態語なら、 幾らでも人工語がこの詞から作れそうな気がする。 その場合「エヴェッサ」と「デヴェッサ」を対の文句にするんだろうな。

あとクイカイマニマニは英語由来と考えられていることが多い。
ソース: サっチャンの歌って怖いそうですが・・、208番、 URL http://yasai.2ch.net/uwasa/kako/964/964272371.html
このソースによれば、2001年1月以前にある朝のワイドショーのテレビ番組でこの歌が紹介されたという。 歌詞は

Quick I many many many many dusky Quick I go. Quick I come.

で、以降の「オニコディモ〜オチャリヤリウンパ」は オー、ニコディモ、オー、チャリヤリとの2人の呼びかけで、 ウンパは心臓の鼓動を表すという。 例えこの詞が英語ではなくピジン英語でも文になっていないような…

真偽は別として、 英語以外の言語としてもそれほど歌詞に内容がそれほどあるとは思えないので 今後は調べない予定。

たらこ

別件で辞書(山田忠雄他(篇) (2005) 新明解国語辞典、第6版、小型版、東京:三省堂) を引いていて、 たまたま「たらこ」の項を見たら、

「一腹がサイドカーのように並んでおり」

と書かれているのを見てびっくり。 二腹のどちらに動力があるのだろう…


2006年12月11日(月) サラスポンダその後
サラスポンダその後

午後シティへ。 大学の図書館、州立図書館、楽器店や書店を回って 童謡について調べたけど、 日本と違って詞の内容が分からない擬態語(オノマトペ)のような歌は ほとんど見かけず。

今日こんなウェブページを発見 ("アチャパチャ"本ですべてを忘れる)。 これって本当だろうか… 今日初めて「アチャパチャノーチャ」と「クイカイマニマニ」の歌を知った。 前者はラップランド(つまりサーミ)の民謡と、 後者はペルーの民謡と紹介されている (ソース前者ソース後者) ようだけど… どちらもあやしい…

Christopher Mollaとおっしゃる方が サラスポンダの歌を歌って公開しています。 何語であれ、素晴らしいです。


2006年12月09日(土) ドラえもんの古いアニメ(続)/チェッチェッコリ/サラスポンダ仮説
ドラえもんの古いアニメ(続)

「ドラえもん 日テレ」でぐぐると313000件ヒットした。 ウィキペディアにも記事があるので安心した。

ところで Broadband君はまだ健在のようです。

チェッチェッコリ

1976年か1977年(私が小学5か6年のころ) 参加したある合宿で次のような歌を歌ったことを思い出した。

チェッ、チェッ、コレッ
チェッ、コーリサ
リサンサマンガン、
リサンサマンガン
ホームランチェチェ

ぐぐってみたら、この歌は「チェッチェッコリ」と普通呼ばれるようである。 「リサンサマンガン」を「二酸化マンガン」と「間違って」歌う人が多いのには納得した。 日本語のウェブページの中にはガーナの歌と紹介しているのがあったけど、 それ以上詳細は不明。

それで言語好きな私はさらに調べてみた。 でもアフリカの言語はアフリカーンス語以外分からない。 チャ行の音は各国語で色々綴られるし (chとかcとかtchとかtjとかtcshとか…)、 ラ行には周知の通りlとかllとかrとかrrとかあるから どう検索すれば良いか分からず困った。

でも「ghana song cheche」で検索したら、 284000件ヒットし、遂に見付けました! 「Che Che Kule」で1820件、「Kye Kye kule」で806件、 「Je Je Kule」で72件。 これらが歌の題名。 Songs for Teaching: Kye Kye Kule; Traditional West African Call and Response Song (Also known as Je Je Kule or Che Che Kule)とか Crossing Borders/Breaking Boundaries 2000: A Multidisciplinary Institute for Arts Educators; Rituals and Traditions のページを見て少し納得。 ちなみに歌詞は次の通り(上の2ページと 前者のサンプルmp3を参照)。 バリエーションが色々あるみたい。 正確にはどう綴るのだろう…

Kye kye kule (チェ・チェ・クレ),
kye kye kofi(n)sa (チェ・チェ・コフィ(ン)サ),
kofinsa langa (コフィサ・ランガ),
kaka shilanga (カカ・シランガまたはKye kye kilanga?、チェ・チェ・キランガ),
kum adende, hey! (クム・アデンデ・ヘ!)

今後さらに調べる予定。 それにしてもサラスポンダ(sarasponda)は本当にオランダの紡ぎ歌なのか?

サラスポンダ仮説

サラスポンダ(sarasponda)は小学生のとき歌集で見たことがあるけど、 歌ったことがない。 これはオランダの紡ぎ歌と一般に言われているが、 本当にそうなのか、昼突然気になって調べてみた。 残念ながらネットで決定的な情報は見付からなかった。

YMCA Camp Loowit Campfire Songsによると 歌詞はこうである。

Boom da, boom da, boom da,
Sarasponda, sarasponda, sarasponda ret set set
Sarasponda, sarasponda, sarasponda ret set set
Ah door ray oh, ah door ray boom day oh
Ah door ray boom day ret set set
Ah say pa say oh. 

代りにこの歌詞を見て感じたことは、 これはオランダ語の歌詞ともヨーロッパの言語 (インド・ヨーロッパ語族)の歌詞とも思えないことだった。 理由は、

  1. オランダ語やヨーロッパの言語由来(と思われる)単語を見かけない
  2. サラスポンダに関するオランダ語のウェブページがほとんど検索されない。 しかもオランダではこの歌は聞かないという旨の掲示板の発言を見かけた (ソース略)。 おまけにアメリカと日本以外のウェブページでサラスポンダについて書かれているものが少ない
  3. 歌詞の後半の単語に母音がたくさん含まれる
  4. 歌詞の後半の綴りは母音の多いヨーロッパ以外の言語(日本語など)を英語で近似したときの綴り方に近い (「あ」を「ah」、「れ」を「ray」、「お」を「oh」と綴る等)
  5. ヨーロッパの言語では歌詞の中にrとlの音がどちらも普通入るのに対し、 サラスポンダの歌詞にはlが無い
  6. 歌詞の後半では「ah」で始まり「oh (-ay oh)」で終る規則が見られる

等。 以上のことから考えられることは、 サラスポンダはアメリカ起源の歌で、 もしかしたら絶滅したかもしれない、 アメリカインディアンの言語の歌かもしれないこと。

そう仮説を立てて 歌詞をよく見てみよう。 話をしやすくするため、 歌詞の綴りで「ah」を「a」、「oor」を「o」、「oo」を「u」、「ay」を「e」、「oh」を「o」に変え、 ハイフンを適当に入れてみる。 するとこうなる。

Bumd-a, bumd-a, bumd-a,
Saraspond-a, saraspond-a, saraspond-a ret set set
Saraspond-a, saraspond-a, saraspond-a ret set set
A-dor-e-o, a-dor-e bumd-e-o
A-dor-e bumd-e ret set set
A-sepas-e-o.

この歌が本当に紡ぎ歌なら、 よく出てくる「bumd」は紡ぐの意味かもしれない。 「bumd-a」が繰り返されるのでこれは「紡げ」の意味かも。 そうすると単語の後ろの「-a」は命令を意味するかも。 単語の先頭の「a-」、単語の「尻」の「-e」と「-o」の考えられる意味はそれぞれ、 「それのため(代名詞)」、助詞(例えば未来形)、人称代名詞(「私」)とかがありうる。 あと単語に適当な意味を持たせる、 例えば「saraspond」が「上等なドレスを作る」、 「ret set set」は囃子言葉、 「dor」が「糸の元を取る(麻のような植物を収穫して煮て繊維を取る)」、 「sepas」を「布を織る」とか。 すると歌詞の意味は例えばこうなる(全くの仮定だけど)。

紡げ、紡げ、紡げ…
上等なドレスを作れ、ドレスを作れ、作れ、ソレソレ
上等なドレスを作れ、ドレスを作れ、作れ、ソレソレ
そのために糸の元を取るでしょう、私は
そのために糸の元を取って紡ぐでしょう、私は
そのために糸の元を取って紡ぎ、ソレソレ
布を織るでしょう、私は。

おお、様になっている!

アメリカインディアンの民族音楽は それに影響を受けたと考えられる ドボルジャークの交響曲「新世界より」のような5音階と思われるけど、 サラスポンダはドレミファソシドの音階からできているので、 もしかしたら欧州か開拓民由来かもしれない。

と私の想像を膨らませて来たけど、 真相は如何に?

(10 Dec 2006追記)
もっともらしい解説を追加すると、

  • 綴り方を変えた歌詞で二重母音が消えたのに注目。 二重母音を単母音に変換したからと言われそうだけど、 英語式に外国語を綴った場合単母音が二重母音に変ることがしょっちゅうあることに注意 (例えば「カフェラテ(caffe latte)」が「カフェラテイ("cafelatay")」)。
  • 他のウェブページを見ると(ソース略) 単語(歌詞では動詞と見なしている)の語幹自体の母音が時々変っている (例えば「door」が「doe」に「pa」が「pah」や「paw」に) のに対し、「Ah」や「day」や「oh」の綴りは母音が明瞭なままで滅多に変らない
  • 「boom da (bumd-a)」や「sarasponda (saraspond-a)」がそれぞれ 「boom dah」、「saraspondah」と書かれていないのに注意。 もし後者のように書くとおそらく意味が変るのだろう。

上の2点を踏まえると、 ますますサラスポンダはヨーロッパの言語に思えなくなる。 後者では二重母音はよく見かけるし、 単語の語幹より接頭語や接尾語の母音はあまり明瞭に発音されないことが多いから。


2006年12月08日(金) 年末なのに/おおブレネリ、あなたはいったい誰?/ドラえもんの古いアニメ
年末なのに

来年の計画がまだうまく立てられないでいる。 代りにここ数日間ネットサーフィンにはまっている。 これは現実からの逃避? それとも潜在意識の養生? 「心にうつりゆくよしなし事」、 をネットで調べるのは、元々好きなのだが。

おおブレネリ、あなたはいったい誰?

今朝ふと小学生の時よく学校等で聞いた 「おおブレネリ」を思い出し、 ブレネリとは誰か気になった。

子供の頃歌を聞いても歌っても(多分音楽の授業で歌った)、 ブレネリとは誰か分からなかった。 誰も教えてくれなかったので (私もそうだけど、子供は質問することを意外と多々忘れやすい。 そして大人はそのことになかなか気付かない) 質問する人がいないほど音楽の世界では有名で、 きっと大人になったら普通に分かるのだろうと勝手に思っていた。 でも実際は不惑になっても、分からないまま。

ブレネリがスイスのあるきれいな湖水のほとりに家を持っていて、 羊飼いをやっているのは歌詞からすぐ分かるけど。

他に気になっていたのは、 なぜスイスをわざわざスイッツランドと呼ぶのか、 ブレネリの「ブレ」を1音符、つまり日本語に無い1音節で発音するのかという点。 なのでこの歌はずっと奇妙に聞こえた。

ネットで調べたのだけど、 結果を先に言えば、残念ながらあまり収穫は無かった。

まずこの歌はスイス民謡なのでブレネリはスイスの言語で綴られねばならない。 でもアルファベットでどう綴るのか見当がつかない。 前に書いたように「ブレ」は1音節だから、 候補は「Bre」や「Ble」と思った。 実際Brenelliというイタリアの名前はグーグルでよく見かけた。 でも、調べるうちにどうもVreneliと書かれることを発見。

羊飼いは普通男の仕事なのでブレネリは男と信じていた。 おまけに、余談だけど私が覚えたラテン語では歌のように呼びかけるときは 「i」で終る男の名前が少しあるので ますます男かなと思っていた (ブレネリをもし男性のラテン語名と仮定したら、 主格(主語に使われるときの形。名詞の基本形と考えて良い)はVrenelius (ブレネリウス)となる)。 でも、調べるうちに、ブレネリは女らしいことが分かってきた。

ネットで原語らしき歌詞が見付かったのでここに挙げておく。 何故か日本語のウェブページ ((世界の民謡・童謡、2006)、 (模型電動士、2005)) でのみ発見。 上のページから今後の調べ物のため歌詞を抜粋すると以下の通り。

Sag Vreneli, Sag Vreneli, wo hesch ai dui dis Hei?
I has ame Ort im Schwyzer land es isch vo Holz und stei. (中略)
Ju-bi va-la-la-la-la, Ju-bi va-la-la-la-la (以下略)

どうもドイツ語の方言のようである。 この英訳らしきものをあるページで発見 (STUMPERS-L archives -- December 2004 (#105): Song "Vreneli", 2006、グーグルキャッシュより。 残念ながらオリジナルのサイトには今日現在繋がらず)。 上のページから今後の調べ物のため歌詞を抜粋すると以下の通り。

O Vreneli, my pretty one, pray tell me, where's your home?
"My home it is in Switzerland, It's made of wood and stone." (中略)

Chorus:
Yo ho ho, tra la la la, (中略) Yo ho ho!

O Vreneli, my pretty one, pray tell me, where's your heart?
"O that," she said, "I gave away, But still I feel it smart." (中略)

Chorus:
O Vreneli, my pretty one, pray tell me, where's your head?
"My head I also gave away, It's with my heart," she said. (中略)

Chorus:

日本語の歌詞と全く内容が違う… これってブレネリという女がスイスに引っ越して (でも2番と3番の彼女の台詞を考えるとこれは嘘かも)、 彼女を探してスイス国外でやっと見付けた元恋人らしき男につれなくしているように見えるけど…

なお上のウェブページによると、原本は「A World of Song」で この歌はスイス民謡でViolet Syngeの英訳という。

ドラえもんの古いアニメ

私が長崎で1972年頃見ていた「ドラえもん」のアニメについて気になったので これについてもネットで調べてみたけど何故かほとんど情報が無かった。 このアニメのドラえもんの声は大山のぶ代ではなく男の野太い声で、 ガチャコという黄色いガチョウ型のロボット --「性別」はメスでおしゃべりだったと思う-- が後半登場して、 ドラえもんが未来へ帰った後も「現代」に残り、 テーマソングは「ぼくのドラえもんが街を歩けば」で始まったことを覚えている。 また、当時はタケコプターのことをヘリトンボと呼んでいた。 数少ない参考になるウェブページを見付けたので紹介する。 こちらの方が私の記述より正確。
「ずんずん」氏による「幻の日テレ版「ドラえもん」、2001」


2006年12月06日(水) 籠る
籠る

久しぶりに一日中自分の部屋に籠ってネットと戯れていた。


2006年12月05日(火) firefoxに戻る/ちょっとだけオーボエ
firefoxに戻る

11/27の日記に書いたように 日本文字とウムラウト等の特殊文字が混在する UTF-8で書かれたウェブページをfirefoxで開いたら 特殊文字が化ける (例えばaウムラウトが「^」に、uウムラウトが「}」に等) のに困っていた。 ところが今朝firefoxのフォントをふと以下のように変更した (メニューから「編集」→「設定」→「コンテンツ」の「フォントと配色」の「詳細設定」)ところ 文字化けが直った。

  • プロポーショナル:ゴチック体(Sans-serif)、サイズ: 16
  • 明朝体(Serif): Mincho
  • ゴチック体(Sans-serif): Gothic
  • 等幅(Monospace): monospace、サイズ: 16
  • 最小フォントサイズ: 14
  • 「Webページが指定したフォントを優先する」をチェック
  • 文字エンコーディング: Unicode (UTF-8)

これで例えば ウィキペディアの「ドイツ語」のページ 等が正常に表示されるので嬉しい。 これでoperaはまた当分の間使うまい。

ちょっとだけオーボエ

を鳴らす。 昨日気付いた通り呼吸を整えるとやはり音を出すのが楽だ。 鳴らしにくいリードも何とか鳴らせたし。


2006年12月04日(月) 呼吸法習得か
呼吸法習得か

14時前から17時前まで誰もいない食堂で オーボエ・ダモーレリードの調整とオーボエ・ダモーレの練習。 こんなにはまって楽器を鳴らしたのは何年ぶりか。 気温は22.1℃と最適なこともあって、 ピッチはA = 442 Hzをキープ。 練習内容は休憩前では、 主にH3からF5までの音出しや、 たまたまネットで見付けた ヤマハのMotif ESのデモ曲オーケストラ風 等の部分演奏。

始めてから1時間で昼寝したいほど疲れてしまった。 そこでガンパウダー緑茶を飲んで休憩。 単なる好奇心から中古のリードを 熱湯に漬けて湿らせてみたら調子が良かったので、 これを使って練習を再開。 音色が結構リーディーなので、 私が生れて初めて聞いたイリアンパイプの曲である エンヤの「The sun in the stream」を演奏してはまる。 調子に乗ってイリアンパイプ風のヴィブラート --管体の下のトーンホールを開いたり閉じたりする-- を練習したりする。

長々と書いて来たが、 これからが大事なこと。 練習するうちに演奏が楽になる呼吸法に私は気付いたようである。 良い呼吸をするためには一般に言われているように 「丹田」に力を入れるのではなく、 動かさないようにする --息を吐こうが吸おうが-- のが実はコツと知り始める。 そうすることで俄に息が長持ちして体が疲れにくくなり、 ダブルリードの練習を始めてから初めて、 演奏がまともにできる見込みが着いたのだ! 呼吸の大事さを実感したのは生れて初めてである。 長生きするものである。 今後の練習が楽しみ。


2006年12月03日(日) やはりダブルリードはやめられない
やはりダブルリードはやめられない

久しぶりにオーボエ関係のウェブサイトをあちこち覗いていたら、 私と同じく30台でオーボエを始めた BONさんは 5年でオケに入るという目標を達成されたのを知ってびっくり。 先を越されてしまった… (私の目標は違うけど)

私は、 手持ちのリードの状態が良くなかったのと、 楽器の調整のできる店がアデレードで見付けられないのと、 ロッジの部屋が寒くて楽器の音程が取りにくかったため、 2ヶ月近くダブルリードの練習を忘れていた。 そのうえリードの削り方やどんな曲を演奏したいかとか、 イメージできなくなってしまっていた。

でも、流石に楽器を鳴らしたくなって、 オーボエほど扱いにそれほど神経質にならずに済む ダモーレを久しぶりに組み立て、 リードを水に漬けて、鳴らしてみる。 良かった、音程がまだ取れた。 部屋の気温は22.7℃と十分暖かくなっていた。

本当はオーボエを先に一応演奏できるようになってから ダモーレに移りたかったけど、 リードのメンテのしやすさ、 音程の取りやすさや好きな音色を優先させることにしよう。 ロレーは楽器自体きれいだし丈夫なのでありがたい。

一時帰国の際JDRで入手した 「オーボー教則本(梅原、1958)」を読む。 良い本だけど、リードは使用前水に漬けるという大事なことが書かれていないような…

梅原美男(1958)、オーボー教則本、東京・全音楽譜出版社。


2006年12月01日(金) 怠けているのかお勉強しているのか/掃除を始めて1ヶ月後
怠けているのかお勉強しているのか

やることは色々あるのに 結局今日はひねもすネットサーフィン。

C言語についてネットで情報を探したら、 苦しんで覚えるC言語(苦C)なるウェブページを発見。 それによると、

「市販書籍には仕組みの説明を省略して読みやすさをアピールする本が多い中、 苦Cではくどい説明を行っており、挫折経験のある初心者に最適です。」

この「くどい」説明がコンピュータに慣れない人達にはとても大事なのにもかかわらず、 C言語を始めとするコンピュータ関係の教本にはなかなか無いので このウェブページはお勧め。 #include疑似命令の意味、*演算子の分類等の説明が丁寧で素晴らしい。

他にダブルリード楽器のリードについても調べたけど特に収穫は無し。 「たらこキューピー」の人気を知り、 デイリーポータルZの記事 (キケン系標識を身近にあなたも法廷風スケッチに等)を面白く読み、 LinuxでのDTM (Desk Top Music)を初めて知ってmodファイル等を再生したりして過ごす。 プログラミング、DTM、リード作りと楽器の演奏等々、 自分のものを作る機会に恵まれていることを痛感する。

掃除を始めて1ヶ月後

ロッジの他の住人達が使用後ガスレンジの五徳を拭くようになったり、 ゴミ捨てのため通りに出していたトロリービンを片付けたりするのを見て嬉しい。 彼らには掃除をお願いしたことが無いのに。 これからも私はロッジの掃除を毎日こまめに続けます。 例え誰もやらなくても。


ハッピーパイパー
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