世界お遍路 千夜一夜旅日記

2011年01月31日(月) うちの玄関に、雪の坂道

道路から、うちに向かう雪の小道が坂道になりましただ。
すごいね。
あちこちで雪による混乱.
国会は、話し合いの混乱.
九州は、噴火と鳥インフルの混乱.
アラブの大国エジプトは、死者多数.
とんでもない1月が終わるなあ.
それにしても、鳥インフルって、なんで予防ワクチン作れないのかな.
ワクチンをエサに混ぜて、鳥たちに食べさせるとか、飛来する鶴たちに食べさせるとか。
ニワトリ、ただ殺す(殺処分ってことばのひどさよ)、人間の都合で、エサをあげたりあげなかったり.
鳥に復讐されるよ・・・
ああ、鳥に効くワクチンつくって彼らを助けてあげてほしい。
それにしても、宮崎はかわいそうすぎる。
養鶏業の人が「宮崎、呪われているわ」とテレビで自嘲的にいっていたが、ホントにそう思う.
お払いしよう、魔を払おうって世界。
考えてみれば新潟も、大洪水、地震、大雪、またまた地震、大雪、とつぎつぎであった.
そういう世紀なのかも知れぬ、21世紀が.

雪は小康状態.
気まぐれにお日様も出てくれたりする本日なり.



2011年01月30日(日) サッカー、おめでとう

さすがに昨夜は試合開始が遅い時間だったから、見なかったが、今朝テレビでハイライトを見た。
すごいね、虎の子の1点はとっても美しいコンビネーションで取れている。
思わず、見ていて「おお」とうなった。
おめでとう。
エジプトがすごいことになっている.
観光の国だし、あれではまずは庶民が困るだろう。
それでも、数メートルおきに立っていた鉄砲を持った兵隊さんたち。
夜中でもその光景は変わらなかった。
(深夜に1人でタクシーに乗って空港に行った経験あり、今の状況ではそんなことはできないねえ)
観光客を守るためと、いう説明も聞いたが、ここまでしないと、治安が守れない国の危うさを感じたものだった。
わたしが旅したころ、アフガニスタンで戦争が始まった時期で危険度は高かったが、エジプト内はいたって平穏で,観光地は人が少なく、あちこちで楽しい思いをした。エジプト人は陽気で、たくましい。わたしは好きだったが。
早くもとの平穏が訪れますように。
それと、カイロの博物館があらされた、というニュースも気になる。

ところで雪。
すごい。
車が雪だるまになっていた.
昨夜は、30センチは降っているもよう。
今日から今晩、明日も降るようだ。
ヒエー。
お隣の奥さんいわく
カマキリがどんどん高いところに巣を作っていたんで、はじめカマキリ間違えているねっていっていたんですが、正しかったですよ。
なるほど.カマキリ天気予想、大当たり.



2011年01月29日(土) 大雪だわ

今朝は、20センチ以上は積もっていた。
しっかり大雪だわ。
寒いし。

この後も降るらしい。
さらに大雪。
節分までは厳しいなあ。



2011年01月28日(金) 初不動、寒し

本日、初不動.
行く前に、お家賃を銀行によって支払い.
その後、のろのろ運転で実家、母を乗せて、成田別院へお参り。
母恒例で、ご祈祷のお札をお願いし、車のお守りをいただく。
いつまで、母を乗せてお参りができるかな・・
それにしても今日はお参りも少なく、寒い、寒い.
原因は、大雪だ。
一気にあちこちに雪の壁ができて、今日は道路も圧雪でつるつるだ.
ほんのこの前まで予想より少ない、と思っていたのだが、そんなことはない.
大雪なり。
さらに、今年は寒さもきつい.
昼間も零下、明日もそうらしい.
降雪がなくても、低温なのでとけないのだ.

で、午後からは末弟の書類を出しに役所へ.

一応、是で本日の予定はやったが、まだ明日の塾の用意ができていない.
これからすべし.
その後、末弟の入浴介助.
こうやって、いそがしやで暮れるのは大慶、大慶。
元気なればこそだから。

イッサは、昨夜9時半にウンチ.
いつものころころウンチではないやわらかめのものだが、よかったわ.
で、今日も1時ころした。
ケージにいれておくと、ペットシーツではしない.
でも、帰って出してやると、自分のトイレに飛び込んでしている。
今朝は、5時に鳴きまくるので、出したら、おしっこをしてご飯をくれと…
食べたら落ちついたようなので、またケージの中にいれておいたら寝ていた.
ペットシーツに、入院していたときはしていたのに家じゃしない。
猫なりにわかっているようだ.
食事も病院ではほとんど食べなかったようだが、帰ってきたら、うるさいうるさい、くれくれと.
いつものイッサに戻りつつある。
それにしても、なんのために吹雪きの中、ペットシーツを買いにいたのかねえ.



2011年01月27日(木) イッサ、退院

イッサが退院.
やれやれだ。
ちなみに、10万2570円払ってきましただ。
思ったより、安くてお蔭様.

ウンコが出ていない.
先生は、ウンコが出たら、本回復、といわれていて。
早く出ろ、なんだけど、まだお腹いっぱいに食べさせてはいけないということで。
それと、イッサは、飛びまわって、動かないと出ない猫なんだよね。
イザとなったら、浣腸かな。
帰ってきて、いろいろとかぎまわるが、跳んだりはねたりはしない.
椅子に乗ったものの、飛び降りてずっこけていた.
点滴をしていた左足がまだおかしいようだ.
こんどは骨折でもされたら困るので、やはりケージだと今は閉じ込め中.
文句鳴きをしているが、しかたない。
今晩、お仕事が終わったら、少し出してやろう。

今朝は雪、20センチは積もっていた。
やっぱり大雪です。

鳥インフル、火山爆発・・・前途多難の睦月の終わり.
ニワトリたちがたくさん殺されている.
かわいそうだわ・・・



2011年01月26日(水) おおいそがし

昨夜はサッカーをみていて、深夜1時すぎ就寝。
今朝、七時半、遅い。
朝1時間違うとすべてが押せ押せになってしまう。

11時近くイッサのところへ面会。
明日退院。
えらく元気なのだが、「ご飯を食べません」だって。
見れば、イッサが食べたことのないペースト状のものだ。
イッサの口、保守的だからね.(そんな口で、なぜひも食べた?だが)
先生が、飼い主があげると食べるかも、といわれたので、フレーク状のものも加えてわたしがケージに入れると、食べた、食べた.
なーるほど.
ウイやつじゃ。

友人から5年くらいもベランダに出ていたので汚れ放題のねこケージをもらってきて、彼女にも手伝ってもらってきれいに洗って仮設定.
でも、穴がそろわなくて、ボルトが入らない.
イザとなれば、紐でくくるかだが、またイッサが食べるとこまるし。
おしっこシートを買ったり、高齢ネコ用の、ゼリー状の餌を買ったり.
あっという間に夕方で、塾.

子ども達はイッサがいつかえってくるのかと聞いて、心配してくれる。
これもまたよし、かな。

今年も雪の壁があちこちにできはじめている.
やっぱり、大雪かもね.



2011年01月25日(火) 人生、わかれなり

母の知人で中学生のころから、親しくしていただいていた方が亡くなられた.
本日は告別式.
行ってお別れをしてきた.
きれいなお顔で、横たわっておられた。
お経をよんでいたら、若いころの笑顔が浮かんできた.
そうか…他界されて、先に逝った息子やご主人に逢われたんだね。
多分、2人がお迎えに見えたのだろう。
息子さんはわたしも大学時代、頼まれて勉強をおしえたが・・・
今なら、完全に学習障害で多動ということで、それなりの療育が施されたろうが、当時はそんな概念はなかった。
でも彼は末弟と同い年で一人っ子だったので、わたしを「ねえちゃん」と慕ってくれたが.
2009年、7月22日であったか、急に心臓麻痺で亡くなったのだ.
絶対に、「お母さん遅かった」などといいつつ、満面の笑みであちらからやってきたと思う.
お母さん、「神」だったし。。。

イッサは、明日かあさって退院.
でも、大きな縫いあと.
今朝は流動食になったが、食べないらしい。
しばらくは、おとなしくしているようにケージを用意しないと.

今日は寒いが、時々雪が降ったり、お日さまでたり・・激しく変わる天気だ。



2011年01月24日(月) 軌道修正

先週木曜の夜から、イッサの具合が悪かったので、かかりっきり.
心身ともに すっかり生活のペースが乱れた.
軌道修正すべし、だ.

イッサの病院、今朝もいって来たが、足が点滴で膨れて、鳴き声が枯れていた.
なんだか少し心配だが、わたしが「イッサ」と呼ぶとかすれた声で鳴いてすたすた歩いてくるのでまあ、あとは時間薬だろうと思う.
友人が,こんなに問題起こす猫,しりませんよ
なんていったが,猫だもん,しかたない.

本日はお日さまが出て雪が降ってこない.
ありがたし、だ.
しっかり仕事をしよう,



2011年01月23日(日) イッサ、手術成功

昨夜7時半近く、病院より電話.
イッサチャン、7時過ぎにおわりました、もう麻酔から覚めて元気ですよ.
よかった。
やれやれでした。
それにしても、1時間のオペ、人間だって、それなりに大手術だよ.
イッサ、よくがんばりましたわ.

10時過ぎ、面会にいってきた。
エリザベスカラーをされて、あったかい部屋のケージにいた.
「イッサ」と呼ぶと、ニャンと泣いて、起きあがって、すたすた歩く.
おお・・
昨夜は、痛がって鳴いていましたが、今朝は、あまり痛くないようです、いいこにしています。
という説明.
ケージをあけてもらったが、出てこようとするので、閉めて外から見ていた.
先生から、画像を見せてもらったが、まるで壊れたアコーデオンのようになってしまった腸.
痛かったろうな、と思う.
それにしても、1本は20センチくらい、もう1本40センチはある。
1本の長い紐を3つに食いちぎって、すべて飲み込んでいたというわけ.
先生いわく
こんなのどうやって飲んだんだろうね.
見てみたい気がするよ。
いやまったく。
まして1年以上も、あのひもで、じゃけてあそんでいたというのに、どうして急にちぎって食べる気になったのか.
わからん。
こういう仔はまた食べるから、うちの中のひもはぜんぶかたずけてください。
はい。
塾部屋でも同様のひもであそばせている。
早速かたずけないと.
しばらくは入院だ。
身体は小さくなって、仔猫に戻ってしまったようなようす.

さて、今日は昨日休んでしまった塾、2人ほど.
やらねば.
来週もある.
わたしの都合で休んだので、皆さんの予定にあわせ振替をする.
しばらく完全休なしだ。
でも、昨日お電話して休んでしまった皆さん、心配してくださっている.
そして、うまくいったそうです、といったら、喜んでくださった.
理解のある保護者の方々、ありがたし.



2011年01月22日(土) イッサ、大手術中

昨夜は、1晩中吐きつづけて、力ない声でないていた。
これはもう口からは出ないだろうし、もちろん、ウンチをする力もない。
多分腸閉塞・・・
朝から、塾の生徒さんに事情を話してお休みにして、昨日のクリニックへ直行。
市内で唯一(?多分)動物用の最新CT装置をおもちなので、それと先生の腕がいいと友人が言うし.
まあ、昨日からの流れもあるし。
イッサが予防注射などにいっているお医者さんは、まだお若いし。

八時半、それなりにいやがるイッサをキャリーに押しこめて雪がワンワン降る中を出た。
で9時前にみていただいてまずは点滴、CT、造影剤を入れてのレントゲン。
造影剤を入れてのものは、時間がかかるので1日がかりだ。
やはり、写っていたひも切れ.
端っこが胃に引っかかっていて、腸の中に停滞している。
先生いわく
胃のどこかに引っかかっているんで、うんこにも嘔吐にもならなくて、これは出さないと死にます。
そうだと思っていました…
で、夕方6時過ぎオペ開始、今しているところ.
先生が、明日様子を見に来て下さい、それでいいですよ.
様子を見に来てくれた友人と心配しつつ、まあなんにもできないのだしと帰ってきた.
胃と腸を何か所か切っての大手術だ.
先生の腕を信じて、あとはイッサの運だね.
費用は、昨年のわたしの入院以上にかかる。(笑)
ざっと、受け付けの方に聞いたのだが、多分10万から15万円くらいかなあ?
今年の夏は旅に出ようと思ってプールしてあった費用を回す。
しかたないもんねえ。
成功を祈りたい。

わたしも昨夜はほとんど寝ていない.
造影剤が流れる間(昼から)帰ってきて、昼寝をしたらややすっきり.
こんばんはゆっくり寝るぞ。
それにしても帰ってくると、イッサがお利口座りして待っていてくれたのに…いないのは寂しい.







2011年01月21日(金) イッサがひもを食べて…

イッサが、昨日の夜吐いた。
見つけたこどもが¥¥ひもがある.
階段のところで、転々と…で、彼のいうように、中にあったのはなんとイッサの遊びにつかうじゃらしひもではないか。
しかし、長さは半分だけ。
あと半分がお腹に残っている。
水曜に見当たらないな・・どっかに持っていって遊んだな.
と気にしつつ、いそがしてくて失念.
なんとイッサのお腹納まっていたのか…
夕べはウンチをしたが元気なし.
イッサの獣医さん、本日お休み.
でも、電話して聞いたら、ご飯は絶食すると胃があれたりするから、食べるようなら食べさせていい。
ひもを食べる猫は結構いて、腸閉塞の原因になるので明日連れてきてといわれた.
はい・・・
朝は少し食べたが、9時過ぎ、2時過ぎともどした.
ほとんど動かない.
それでも、買い物にいってもどってきて、下からイッサ、と呼んだら、3階からよたよたと降りてきた.
しんどいだろうに。
なんだか、いじらしくて泣けた。

ひもを食べたのは飼い主の責任だ.
しかし、じゃれひもとして、いつもあそんでいるものを食べるなんて想像もしなかった。
もしも出てこないとなると開腹手術だ・・・
もうも、なんにも手につかない本日。
なんとか、無事にお腹から出てきますように.



2011年01月20日(木) 亀の目覚め

今朝、新聞を読んでいたら、冬眠に入っていた亀が、クリスマスの日、プレゼントをもらった、ひ孫達の喜びの声で、のそのそと這い出してきたという記事を読んだ。
亀にだって、かわいがっていてくれる子の喜びがわかると八十代の方は結んでおられたが、朝からこういうのを読むとなんだか心がゆるむ。
イッサだって、私が具合悪いと、でっかい目で見つめてすわって、、しばらくするとまたいなくなって、またきて同じことをして・・みたいな繰り返しをすることがある。
猫なりの、お前どうした?的表現だろうと思う.
わたしが元気で、遊んでほしいときは、そばにきて、ニャアニャアとうるさくなる.
それとは明らかに異なる態度をとるしねえ。

埼玉で、ガッコの先生が、相次ぐ訴えで不眠症になったと親を訴えた。
どっちもどっちか…これから、こういう「反撃」が増えそうな気がする。
給食指導中に、子どもの背中を触っただけで、暴力行為だなんていわれたら、確かに「このままだと犯罪者にされてしまう」と「反撃」した先生の気持ちはわかる気がするが。
親と、先生はしばしば対立もいき違いもあるものである。
しかし、話し合わんとね…
どちらも子どもをよくしたい、という思いは同じだろうに。
もうこいう素朴な意見は通じない時代なのだろうか。


雪は結構まじめに降るが、続かないで時々休んでくれるのが助かる.
大寒なり。



2011年01月19日(水) 寒さ、ゆるむ

今日はみぞれのような、湿った雪が降っている。
昼間には、雨にもなった。
昨今の天気予報は、実に正しい。

末弟が、月曜からずっと風邪で休んでいる。
母が歩けない・・巧く・・というが。
そりゃ、90キロの体重で、毎日ねていたら、歩くのも大儀だろうさ。
で、午後から「リハビリ」・・廊下を歩く、軽い運動、計算やことばゲームなど、1時間弱。
明日はやらないとホントに寝たきりになるよ、と母に言い置いて、帰ってきた。
もともと、寝ているのが極楽の子だから、このままずるずるとなるのがこわい。

それにしても、こんなそんなで日が暮れる。
まあ、よしとするか、なのだが、やろうと思っていたことが半分も終わらずに夕方がくるのである、やれやれ.



2011年01月18日(火) 妙絹さんの他界

さっきへんろ館をのぞいたら、妙絹さんが他界されたとめいおうさんが書いておられた.
そうか…100歳近いか、すぎておられるはず.
へんろみちのひとつの時代が、終わったかなあ.
宮崎さんが思いがけない形で彼岸に去られ、つぎは、妙絹さん。
なるほどな・・
わたしも期せずして、昨年で、「へんじょう」の執筆を辞退させていただいた。
読売の特集も、もうできません.今も、せめて1年に10日くらいお参りしているのだったらいいのですが・・と失礼した。
ぶっちゃけ、ここでいただいていた原稿料は塾の新学期宣伝費だったのでほんとにあり難かったのだが、お大師さんにもう自分でおやり、といわれているような気もしている。

愛媛の去る札所は、霊場会から抜けて自分でさまざま決めておられるらしい.
納経時間は、八時開始、昼休みありらしい。
抜けたということは、さまざまな義務からも逃れたということ、いやはや。
お遍路さんがきて(あえて参拝とは書かない)「お金」を落としてくださるのは受け入れますが(義務)は受け入れませんってことかいな.
欲のみじゃん.まさに、この世を写している気がするのだが…
それとも もっと深い事情があるのだろうか。
こういう話を聞くと、やはり、ひとつの時代がおわった気がする。
でも、そんなわたしの思いは小さい.
へんろみちは超然としてありつづけると思う.
人が悩み、想いをもつかぎり。
お大師さんではないが、涅槃つき、虚空つき・・・

今日は妙絹さんをしのびたい。
塾が終わってから、うちのお大師さんに祈ろう.


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2011年01月17日(月) 本日も寒し

昨日は、午後からお稲荷さんへ榊やお水を持っていったのだが、なんと供花入れが凍り付いていて、入れ替えかなわず.
しかたないので、榊は雪の塊をつくってさしこんできた。
こんなの初めてだ。
昨年だってこんなことなかったよ。

今日は阪神大震災の日.
16年か。
1995年。
わたしが仕事を辞めて遍路に出た年。
オウム真理教が、地下鉄サリンを起こした年。
あの事件から、ニッポン、およびニッポン人の心のどこかが変わった、というか現象として出たわけだけど。
地震も含めて起きてしまったことは、なかったことにできない.
そこから何を反省し、学び、、ということなんだろう.
改めて、たくさんの他界された方々に祈りをささげたい。



2011年01月16日(日) 車の上が30センチ

昨夜から今朝、降った。
車の上、30センチ弱。
今も降っている。
ただ、去年のように暗くなるほどの空から、一定してかなりの勢いで降りつづけるっていう感じではない。
時々、息をするように薄日がさしたり、やんだりしている。
あらためて、去年はすごかったのだと思う。

昨日は仕事、本日は雪のせいもあって、お稲荷さんのお世話にいっていない。
ちょこっといってくるかな。



2011年01月15日(土) 情実政治かいな

菅さんと与謝野さんは囲碁仲間なのだという。
きっと政治の話もしていたんだろうかね。
生臭囲碁だなあ…
で、今回の「野合」ですか。
どっちもどっち。
打倒民主党を唱えて、出たんじゃなかった自民党・・与謝野さん。
いくらなんでも自分の党の打倒を唱えた人を、大臣に据える?菅さん。
どちらも根性なさ過ぎ.
菅さん、内部に人がいなかったら、どうして外に求めないのかな。
こういうの情実政治っていうんでないの、菅さん.
枝野さんもどうも好かない、ツイッターかなんかで政治を語っているもんね。
軽い人というのが私の印象。生の声を聞けよ。
「書を捨てて、町に出よう」に引っかけて言えば、ネットを捨てよ、ライブせよ。

先日、吉本隆明氏が新聞に書いていた.
二重苦、三重苦の時代、ちぢむのもひとつの生き方だと.
まったく賛成。
丸くなればいい.だんご虫のように。
丸くなりつつ、ちぢみつつ、その場でしっかりと地道に生きぬけばいい。

今日の雪はすごいな。
まじめに降っている.
先ほど海辺りの町から見えた保護者の方、長岡のほうが、雪、たくさんありますだって.
ほどほどにしてくだされ冬将軍様、です。



2011年01月14日(金) 末弟ケア会議

本日は、末弟受診後に、ケア会議。
3ヶ月ぶり。
まあ、スケジュール的に、そう言うことになっていて、内山さんというソーシャルワーカさんがいっしょうけんめいにやってくださっている。
中心になって進めてくださっている医療施設から2名、市の担当者、通所している施設の担当者と課長さん、ヘルパー派遣会社の担当者、私.
母は、風邪で欠席、だいぶよくはなっていたのだが、しかし、昨日の今日、うちにいてと。何しろ、空気も冷たすぎて心配だし.
とにかく、現況といまこまっていることで福祉的にできることはないか、将来的な話(入所)など。
ありがたし。
1人じゃないな、と思う、イザとなったら、相談するところがたくさんあるって、心強い.

思うのだ。
声をあげれば、これだけ手厚くやってくれる、今の福祉は。
だから生活保護を受けることもなくて、餓死で亡くなった(大阪の姉妹)などという話を聞くと、どうして相談に行かなかったのかな、と思う.
声をあげればいいのに・・助けてと。
大阪の方は、資産家で、たくさん税金を払っていた時代もあったはずだ。
いいのだよ、福祉に助けてもらって.と思うのだが.
邪魔するのはプライドだろうか。
うちは、朝は、朝食のテーブルのわきに、末弟のヘルパーさんがいる.
別に、基本、平気だが、こういうのすごくいやな人もいるだろうな、と思う。

さまざま考えながら、帰ってきて、死ぬ練習(お昼寝)をたっぷりした。
道がつるつるで、運転すごくつかれて神経がへとへとだったが、回復した.
「死ぬ練習」大好きだわ。
死ぬ練習が終わったあとに、おかず作り、本日も4品ばかり、やさい中心に。
一部、実家にこれから届けて、末弟の入浴介助.
まあ、イッサ共々、本日も無事に暮れそうなことに感謝です。
ただ、日暮れるとまた道がとろとろになるし、要注意だが。




2011年01月13日(木) 母じゃひと、風邪

朝、姪からばあちゃんがご飯を食べないと電話.
風邪だ、すぐにお医者さんへ行って、胃腸風邪の薬をもらって様子を見て、と頼んだ.
甥が連れていってくれたもよう。
さっき、マクロビオテック「奇跡のお茶」とイチゴやメロン、くず湯や栄養ゼリーを持っていってきた。
寝ていなくて、意外と元気であった。
「医者の薬を飲んだら、元気になった」ですと.
持っていったメロンをひ孫と分け合って食べていたし、やれやれだ.
それと「奇跡のお茶」を飲ませてきた、姪や義妹にも。
奇跡のお茶とは・・・梅ショウ番茶
3年熟成の特製番茶を煮出したもの
そこにつぶした梅干と醤油(3年熟成もの.基本的にスーパーにはない)
ショウとはこの醤油のことなのだ。
マクロビでは、これ、万能茶として、ちょっとした不調を改善するお茶とされている。
私も夕べと今朝、さっきと飲んだ。
おいしいというか、体がしゃんとする。
読んでくださっている方々もお試しあれ。
番茶や醤油が熟成ものでなくても、それなりだと思う。

タイガーマスクムーブメント、広がっています。
あれはもらった人もさることながら、タイガーマスクした人達が心あたたかになっているはず.
お遍路におけるお接待と同じ心持ちのはずだ。
聞いた人もあたたかい.
全国のタイガーマスクさん、ありがとう。
私も、4月になったらやるかな、女タイガーマスク。
なんてね。



2011年01月12日(水) 風邪菌、きた−

夕べから、なんだかおかしいと思っていたのだが、今朝朝食を食べたとたんに、おなかがおかしい。
来たか、風邪菌。
先日、おなか具合のわるいお子さんがきていたんだわ。もらったか、菌。
予定していたことをすべて止めて、午前中はあったかくして、トイレに何度も通い、ごろついていたが。
しかし、かわりのいない悲しさ、かつ発熱がないのを幸いに、塾準備をしている。
この寒さに私の身体も参っているのかな。
昼は、葛湯とリンゴは受けつけた。
夜もこのパターンだ。

雪は、時折烈しく降る。
雪おろしの雷もなったし。
全国、異常な寒さだ。
いつまで続く?



2011年01月11日(火) 寒い、ふつ−じゃない寒さ

寒い。
昼間も、ほとんど零下でないの。
ただ、午後からお日さまでて極楽となったが、日没後は、またまた寒し。
寒いせいか、やたらに眠くて、無気力だ。



2011年01月10日(月) 世の中は3連休だが

世の中は3連休だが、もへじはあります。
その準備をしているが…
でも、寒くて寒くてどうもイマイチ盛りあがらず。
今朝は、末弟も日中一時支援で、施設に行くので、はっと思いついてあさっぱらから、先週土曜に購入しておいたゴム長靴を届けた。
今はいているものは、中はもこもこであたたかいのだが、細身で、着脱が大変。
人様の手をお借りすることになっているようなので、でっかい(足入れのところがひろい)ものにした.
長靴よりも、中にいれる遠赤中敷が高くて驚いた。
それにしても、朝七時半、外に出たら車が凍り付いている。
エンジンをかけて、暖房をマックスにして、周りや上の雪を落とすも「氷河」になっているではないか。
ツララは下がっているし。
15分かかったわ、出るまでに。
道はつるつるで、30キロ走り。
思えば、去年はもっと過酷であった。
毎朝、末弟の介助に、よく事故なく通ったものだと。
ご加護があったとしか思えない。
感謝、と改めて思った次第。

感謝といえばタイガーマスク「プレゼント事件」、なんかいいなあと思う。
世の中、捨てたもんじゃないよと感じさせてくれる。
ありがとう、タイガーマスクさん。
今朝の新聞によると波及効果は全国8件だとか。
こういうニュースを朝から読むと明るいね。

今日は昨日ほどまじめには降っていない雪だが、寒い寒い。
ものすごく低温だ。




2011年01月09日(日) ピカソじゃないよ、ゴッホ

どこのどなたか知らないが、「わだばゴッホになる」でしょ、と言うメールをいただいた。(4日の新春文化の日の記載)
そうだ、そうだよ.私なにしてんの!
ということで、速攻直して、御礼メールをいれたのだが、受取人に届かずにかえってきた。
どこのどなたか知りませんが(ハンドルネームはあったが、ここには書きません)、感謝です。

本日は昨日にも増して雪はまじめに降っている。
午前中は、しごとめいたことをして、午後は昼寝、テレビと冷蔵庫の残飯整理。
テレビは、久米宏さん司会の「新日本の食卓」
とっても興味深かった.
朝ご飯がお菓子とか、父母は食べないが、「早寝・早起き朝ご飯」と学校で洗脳された子どもは牛乳とたまごボーロ10粒ほどとか。
あと、コンビニで買って来たものをきれいにお皿にならべて.でもだんなさんは、それが奥さん手作りと信じているとか.(奥さんの顔がほくそえんでいたぞ)
まあ、想像できたことではあるが.びっくりだよね。
今の30代40代の主婦の母親は、娘に料理を教えてていない.理由は、それぞれ自由でいいんじゃないのだとか.
さらに分析すると、70代の母たちは、戦中戦後の食料がない時代育ちで、彼女たちがそもそも料理を伝承されていない。
さらには、戦後の一気に時代が変わる時に、職業をもち、それなりに遊び、子育てをして・・・つまりは今時の食卓の崩壊は、母たち世代の世相歴史と意識に原因はあるという結論.
父はどうした、といいたいところだが、まあそれはまた別の問題であるのだろう.
ガンとか、その他さまざまな成人病もこういった世相や戦後史と深い関わりがあると視聴しつつ思ったことだ。

その後冷蔵庫整理.
できた料理は・・・
1煮たまご(昨年クリスマスくらいからのたまご5つ一気に)
2根菜闇煮こみ
 大根、人参、レンコン、里芋、みんなちびちびと残っている.それを切って、はものさつま揚げを入れて、これまた戸だな整理で出てきた切りこぶとうち豆(新潟特産)を煮た.みそ味で.あったかい味になりました.
3残っていた青野菜(キャベツと春菊)黒ごまあえ
4年末に買って手つかずだった白菜柚子酢漬け
5母からもらった大根を半分だけ梅酢漬け
結構、捨てずに調理できてよかったわ。
このところ、朝はダッタンそばと決まりなんで意外とおかずを食べないのだが、つくってあれば食べるよね。
さらに本日の夕食は、冷凍してあったこれまた昨年作っておいた海鮮餃子.
来週あたりは、戸棚をもっと徹底してかたずけて残っている食材(乾物系)を調理しないと反省しています。
私の場合、コンビニご飯とは縁がないなあ…




2011年01月08日(土) まじめに降っている

朝から、まじめに降っている。
玄関までの通路を久しぶりに雪かきした。
ネットの天気予報だと、昼近くにはみぞれになるはずなのだが雪のままだ.
温度が上がらないせいだろう。
明日は少しゆるむらしいので、雨かみぞれだろうが、去年の悪夢はご勘弁だ。
なんだかんだいっても、あと2ヶ月、がまんの子になっていれば、春近しだ。
お日さまのでも早くなるし。
がまん、がまん。

昨日、末弟の発熱騒ぎで、自分の足、受診できなかった。
寒いせいか、痛い。
来週こそ、行くぞ。



2011年01月07日(金) 亡弟の誕生日

亡弟の誕生日だ.
実家家族と、偲びつつ新年会.
彼の誕生日の定番だったイカの刺身と私のちらし寿しがメイン.
あと、のっぺやサラダなどなど.
いたら、並んだであろう品々だ.
ぜんぶお供えしてお酒やケーキも。
どちらも、ガンになってからは控えていたけれど。
「あっちじゃガンも治ったよう」だから、喜んで食べるだろう。
今夜は「いた」ように思う.

朝11時過ぎに、末弟の施設より発熱38度と電話.
おむかえにいって、受診.
インフル検査は陰性.
多分、一気に来た低温に体が付いていけてないのだろう。
連れて帰って、薬を飲ませて一眠りしたら、とりあえずは36度台に下がった。
やれやれ。

道は圧雪が所々にあって走りづらい。



2011年01月06日(木) 本日は小寒

暦のごとくに、本日は寒し.
ちらちら降り続いている雪が結構な量になっている。
困っているのは、右足の古傷の痛みが消えないこと。
明日は近所の医院にい受診しようと思っている。
さて、今日は2時から8時半までお仕事。
イッサはこんな日はひたすら眠いらしく、上の部屋の自分の布団でねていたが「仕事じゃ」と肩乗せでつれてきた.
肩乗せはイッサが小さいころ方やっている、たかいたかいみたいなものでイッサはこれをすると喜んでのどをごろごろいわせる。
本日もイッサといっしょにがんばらんとね。
わたしの今年の運は芳しくはない。
まあ、よしがあれば、つぎは悪しがくるだろうさ。
それが人生.
だからこそ地道にやることを誠実にこつこつこなす年にしないと、と思っている。



2011年01月05日(水) 富十郎さんを偲ぶ

81歳、他界された.
お子さんがまだ小さいはずなのにねえ・・ガンには勝てないねえ.
私は、富十郎さんの踊りが好きだった.
供奴は絶品.
踊りの歯切れもよかったが、口跡もよかった.
歌舞伎界、またまた貴重な役者を失った。

がっかりは、山路徹氏、API通信?だったか。
いわゆる戦場ジャーナリスト。
お話を聞いたことがあるので残念。
百ドルで命は買える、という「ちえ」を教えていただいた人.
基本、私は単なるツーリストだったが、それでも、治安がよくないといわれる国でうろうろする時は、すぐ取りだせるポッケに百ドル札を入れておいたわ.
それにしても麻木さんと大桃さん、と言う2人の美人タレントを手玉に取るなんて凄腕男性ではあるが.



2011年01月04日(火) 昨日は、新春文化の日

昨日は、越後一ノ宮弥彦神社で、ご祈祷を受けて新潟へ。
まず、伊勢丹で棟方志功の展覧会.
病床の友人のために志功が描いたとい襖絵などなど初公開.
いや、まるで、自分の絵や字で、悪霊から友人を守らんとするかのようなパワーを感じた。
一心不乱の熱さ、「わだば、日本のゴッホになる」という言葉を改めて思い出した。
つぎは、市美術館へ片岡球子展。
すごし、の一言.
83歳で、横4m?縦2m?くらいの大作.それも、時空を超えたすごい作品.
うなってしまった。
まあ、103歳だかまで現役の方だったから、死の20年前の絵だもんね。
女ピカソなり.
だってだんだん絵がきらびやかに、自由になるんだよね。
感動しました。
でホテルに荷物を置いて、古町演芸場へ。
新潟なのに泊まるのか?といいわれそうだが、はい、実はお目当てはこの古町演芸場。
1度、いわゆる大衆演芸なるものに・・っていうか、子どものころ、神社の境内で、大人たちが組んだ1夜限りの舞台で見た「巡礼お鶴」や「国定忠治」の世界がなつかしくて。
お客さん15人くらいなのに、まあ熱がはいっておりました「南條駒三郎一座」
おまけに、帰りに外で送って両手握手だもんね.
よろしゅうございました。
6時半から9時半過ぎまで、1500円。
これって、安いよね。

今日は、岩合さんの「ねこ ねこという生き方」という写真展へ行って、新潟ラーメン食べてご帰還.
うちの猫が待っておりんしたわ.
明日から塾開始。
南條一座のように、心込めて、いこうと思う、本日の夕暮れ.
さむ、みぞれの宵.




2011年01月02日(日) 2日目も暮れる

2011年、2日目も暮れます。
プリンタが、使えるようになったので、出してない年賀状書きをしていたら昼だ。完了して出してきて、いつものそばをお昼で食べ、たっぷり昼ね.
多分だけど、鼻血はもう出ないような気がするが・・・
顔面の歪みはまだやや残っているが、これは多分このままだろう。
まあ良いさ、痛みをあまり感じなくなっただけでもありがとう。

午後から、おかず作り.
*地元産の生きくらげを使っていつもの佃煮。
*もやしと肉厚シイタケ、人参の塩こぶあえ。
*ほうれんそうと人参の黒ごまあえ
*カブの柚子酢.
*鮭の生姜混ぜ(ご飯のおかずに最高…塩鮭をお酒で煮きって、身をほぐして千切り生姜を混ぜる、仕上に醤油を少々)

これ、おもちとも合う.
母からもらった黒豆、松前漬けもまだある.
これで冷蔵庫は完璧だ.

きくらげ佃煮と塩こぶあえ、鮭の生姜混ぜは、実家へおすそわけで届けた。
県内産きくらげ、めったに手にはいらぬのだ.
中国産乾燥品に比べれば安全だもんね。
で、なんと炊き立てご飯にいくらをのせたものをお返し.
これで、今日作ったおかずを食べたら晩御飯OK。
いつもの日々が始まったね.



2011年01月01日(土) 謹賀新年

荒れ模様と報じられていたが、思いのほか穏やかな新年.

新年 明けまして おめでとうございます

6時に目覚ましとイッサにおこされていたが、結局7時少しまえに起きだした。
朝のお参り、イッサにご飯、私もいつものおそば少々とお雑煮、昨夜もらってきたお正月料理少々。
いつものような日の始まりだが、新年感謝.
だって、変わらないことはありがたいことだから.
9時にうちを出て、ご近所のお稲荷さん、成田さん(お不動さん)、蒼紫神社、産土さん、とお参りして実家へ.
11時までに末弟を通所へおくる。
元日からといわれそうだが、私の、彼のスケジュール管理の失敗.
それでも、31日から3日まで、うちにいると、基本、冬眠のクマ状態になる。
生活のリズムが狂うので数時間でも「社会的」になってもらわないと。
道はかなりよし、お天気が予想したよりずっと良いせいだ.
3時には、送迎車にのって帰ってくるのだが、それでも「新年ごあいさつに行くんだよ」と言うことばに素直に従ってくれてやれやれだ.

帰ってきて、パンを少し食べて、なんとお日さまが出てきたのでイッサと日向ぼっこをして新聞を読みながらお昼寝だ.
年賀状.プリンタが壊れて出せなかった方々からたくさんきていた.
ごめんなさい。
昨日新しいプリンタを買ってきたので、これから設置・設定して出します。
さあ、がんばるよ.
外はもう夕闇だが・・・。
今年もよろしくお願いします。


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