世界お遍路 千夜一夜旅日記

2010年12月31日(金) お蔭様、ありがとうございました

イッサと、実家へ。
実家メンバーと大晦日の祝い膳を囲んだ。
甥が妹(姪の節目=子連れ離婚)と新しい門出に、とドンペリを奮発。
私は、はあ??トホホであったが、まあそれもよし。
生きていればいいのさ、元気ならそれでよしさ.
なんでもありさ。

ドンペリ、私も少しなめたが、おいしゅうございました。
残りをうちで飲んで、ともらってきましただ。
これを書いて、お風呂に入ったら、イッサをそばにはべらせていただきまする。
弟があちらに行って二回めの正月がくる。
はやいな・・・
みんな生きている.
イッサも楽(実家の犬)も元気.
生かしていただきありがとうございます。

時々この日記を見てくださっている皆様、ありがとうございました。
来年がよき年でありますように。
平和な年でありますように。





2010年12月30日(木) 今日もいそがしで終わった

午前、宅急便を作ったりお手紙を書いたりしていたら、10時すぎ。
すぐに出て、それを出して、携帯の機種変更。
かなりへたっているし、モニタが小さくて見にくい.
らくらくホンベーシックという高齢者ようにした.
ワンセグとかついていると高いのだが、私そんなもの要らん.
だいたい、うちにいるときって、ほとんど使わないもん.
まあ、もっていないとなにかと不便なことがあるから持っているけどね…
などと、ドコモの若いお人にいったら、いろいろと調べて、そうですね・・と「ただ」というのを紹介してくれた.
うひゃ、うれしい.
当然出費を覚悟していたから思いがけない展開だ.
そう、電話と、時々メールとごくたまに出先で天気予報を見られたらいい、写メだって昨今とんとつかわないもんね。
ということで、費用ゼロ円で携帯を変えた.

それから、PCデポへ。
これまたへたったプリンタを見に.
しかし、サイズがね・・大きすぎるような.
カタログをもらって、出直しとなった.
帰りに正月のお花買って、イッサのエサを買って、実家の犬に上げるお年玉エサ買って。
などとしていたら、3時すぎていた.
イッサが、玄関でお利口すわりして待っていた。
昼ごはん?食べて、洗濯物たたんで、コーヒー飲んで、実家用に買った豪華百合の花2本と、長ネギと人参、エノキダケを刻んでみそ汁用に冷凍できるようにしたふくろ2つ。義妹が不自由な手で野菜を切るのが大変なので、時々こうやって持っていく。これを冷凍しておくと朝に鍋にそれを投げ込んで、ワカメとか油揚げ、豆腐などをその日の好みで入れたらOK。手早い。私も自分用につくって愛用している。それと忘れてはならないおもち代金を甥に。
要らない、と義妹は言うのだがチョ−割り引きにしてもらって、ただはいけないと。弟が生きているときもそうしていたしね。

実家に届けるものを届けて、讃岐うどんが好きな従姉にお土産として届けて.うちに帰ってきたら、はい6時半でしたわ。
今日やろうと思っていたことの半分も終わらないのだからいやになる.

さあ、もう少し働くぞ.
せめて、塾の部屋や掲示板の掲示を正月用にしよう。

で夜はひまがあったら、小豆島遍路の2日目をレポートしようっと.




2010年12月29日(水) 人並みに、年の瀬いそがし

アサイチに実家へお土産を届け、その足で、お金をおろしに行って、支払いをして。うちの中掃除、お昼のカレーを作って、夜も食べられるように。
午後は昼寝をしてから、荷物をいくつか作って送り出して、買い物へ。
本年最後の塾生の準備をした。
夕方、友人がくるはずなので、一緒に昼作ったカレーを食べようと思ったのだが急用みたいで.お土産交換で終わり。彼女は香港・台湾に旅したようだ.
また新年にゆっくりと.
などなどで夜が来た.
これから2人のお子さんを見て.終わり.
午後9時以降にゆとりがあったら、小豆島遍路の様子をレポートしたいものだが。



2010年12月28日(火) 帰宅

朝、帰宅.
バス、遅れることもなく、おげさま。
雪も意外と少ないのだ.
これもやれやれ.
今、本日の仕事完了.

小豆島遍路、とてもよかった。
またぼちぼちとご報告します。



2010年12月27日(月) 小豆島遍路2日目レポート

夜、少しだけ降ったのかな?
でもお天気は穏やかになっている.風の冷たさが和らいだ.
昨夜、オリーブ温泉に行ったので足元気といいたいところだが、久しぶりの歩きで古傷(右足首)が痛い.
それでも、本日は難所に挑戦.
昨日の本覚寺さんで、笠ケ滝は晴れの時に行かないと大変、という助言をいただいたので、そっちに行くことにしたのだ.
地図にもけっこうすごいところを歩く写真が載っている難所だ.
ホテルの人に無理をいって、お握りをつくってもらって出発.
多分、その難所あたりでお昼だろうから.

昨日の場所までタクシーで移動.
そこから歩く.
朝の通勤時間とはいえ、車は少ない.
左に海を見て進む.
40分ほどの歩きで、村といってもいい集落につく.
そこから打ち始め、等空庵。
村中のお堂だ.
どうも小豆島は札所のお堂が村の集会所的な役割を果たしているようで、ここも然り.
お次は、村中の小道をくねくねと.立派なお寺へついた。
いや、すがすがしく、立派.パワスポット的なエネルギーさえも感じるお寺だ.
松林寺。
ご朱印してくださったお坊さんもお若くて、まじめそうで感じがいい.
いっしょうけんめいに掃除をしておられた。
本四国じゃ、とんと見かけぬわね・・・
ここで、昨日聞いた宝生院さんのご朱印も押していただく.
しかし、これをぜんぶまわれるか、それが問題だ.
何しろ、夕方4時くらいの船で出ないとうちに帰れないよ、なのだ.
久子さんもあまり遅いと、ワンコの散歩ができないし.
いくつかの見晴らしのいいお堂を打ちつつ、長勝寺へ。こちらは大石蔵之介ゆかりの寺とかで、大きなお寺。それにしても、小豆島って、こんなにお寺があってすごいというか成り立っているの心配だ.
でも成り立っているんだろうな、みんな立派だものね.
いよいよ、難所への道にはいる.
道は徐々に上りとなる.
滝宮堂を打つと山へ。
急坂、尾根のいちばん高いところにお不動さまが祭ってある.
いや、すごいわ.
さて、ここからがもっと大変だ.
滑り落ちそうな急坂をお尻をつくような気持ちでゆっくりおりる。
とりあえず見晴らしのいい平地についてやれやれと思ったら、更に大変が待っていた.
なんと、見上げると、岩場にお堂がへばりついている、
そして、そこに登る道がこれまた岩場、岩場.
ヒエー.
こんなの本四国にもないよ.
うひうひ言いながら、なんとかたどり着いて、洞穴をくぐってお堂に到達.
すごいパワーだ.
原始的山岳霊場だ.
小豆島のお遍路は、単に本四国の写しじゃない.
独自性がある.
と感じた.
お参りのあと、この岩場を眺めつつお昼をいただいた.
降りるのも大変であった。

午後、時間が厳しくなってきた。
もしかしたら、押していただいた朱印分、まわれないね…
滝湖寺(りょうこじ だったか)さんの奥の院が、笠が滝.
滝とか湖とつくが、水の気配はない.
ご朱印をいただく時にお聞きしたが、わか奥さん風の美しい方、そうなんです、滝も湖もありません、昔から.何でつくのかわかりません、とのこと。
なんだか、わからないといわれるとなおさら知りたいな・・
せこせこ歩くも、やはり無理.
3時。時間切れ.
ご朱印分5堂、宿題が残った.
タクシーを呼んだら、今朝の運転手さんで、いろいろと話していたらなんとなんと、本日の宿題分のお寺出身で、自分はそこの二男だと、いわれた。
へえ・・なんと不思議な縁.
来年もきなさいといわれているよなもんだわ。
ただびっくり.

久子さんと決めた.
来年、再来年と巡拝して、あと二年かけて結願する。
二年後は、私たちの区切りの年(暦が還る)だから.
また来年も元気で来たい。











2010年12月26日(日) 小豆島遍路第1日目レポート at土庄

小豆島霊場会で出している地図など取り寄せてあったのだが、事前研究なし.
ひまがなかったので.
とりあえず、ホテルで朝ご飯を食べて、8時少し前に出た.
同行者は、松山市在住のヒサコさんだ。彼女は私以上に、知識なし、というか、お任せ状態.はい、承知と言う感じ.
風は冷たいが、雨の降る気配はなし.
さすが、地中海式気候、オリーブの島なり.
まずは、霊場総本院へ参拝して(というか霊場会の地図はそうしなさいと書いてある)納経帖を購入.
厚紙で作った和とじのシンプルで素朴なものを購入、なんだかハンドメイド風でいい感じ.
窓口もおじいさんが一人おられるだけでのんびりしている.もちろん、お参りも私たち2人だけ.
どこにもなかった納経時間をきいた。
まあ日が暮れるくらいまでやな、はじめも、8時くらいだけど、7時すぎやったらいけるやろ.
おおそうか、だからどこにも書いてなったんだわ.
納経料はお寺は150円、庵(無住のお堂)は50円.
お寺でそれぞれ受け持ちのお堂があって、お寺で朱印してくれるのだ.
そうか、そうか。
リョウカイ。
こういう流れ、わたし好き.
好感を持って島遍路スタートだ.
今回は、宮崎さんの菩提供養を祈願する。

まずは、松風庵.
ショウフウアンだと思って、通り掛かりの年配の女性に聞いたら、ああ、まつかぜあんな、そこ、と教えていただいた。
住宅地の上の小高いところにあるこじんまりした庵、しかしトイレもあるし、きちんと整備されている.
ご本尊の真言もお堂についていてありがたし.
ゆっくりとお参りして、次の西光寺へ。
こちらは町中の大寺だ.
行く道々、尾崎放哉の句が目立つ.
「咳をしても一人」
「いれものがない両手でうける」
といった、自由律句はチョ−有名である.
もしかして、このあたりに彼の終の棲家があったのか?
詳しい久子さんに聞くが、彼女も庵の名を思い出せない.
で、お寺で朱印をいただきながら聞いたら、南郷庵といいます、うちの墓地のほうにありますと教えていただいた.
いってみる.
まるで迷路のような細い小路をたどっていくのだ.土庄は迷路の町というのはキャッチフレーズだが、その通り.
たどり着いた南郷庵、記念館になっている.
お墓もあったのでお参り.
明治の終わり、東京帝大を出て高級官僚だったか銀行員になったのに、辞めて放浪の生活、たどり着いたのはこの町だ.
彼の魂の行路は人がなんだかひかれるなりゆきだと思う.
それしにても同じ自由律俳句の山頭火は四国松山の一草庵が終の棲家.
2人の生きるのがとてもへたくそな流浪の俳人を受けとめてくれたのが遍路の地というのがなんとも示唆的だ.
さて、あとは戸形崎という岬方向へ無住のお堂を巡拝する。
潮風、田舎方向ルートだ.
本四国ほど道しるべが充実していないので、お聞きしながら進む。
みなさん、丁寧.親切である。
印象的だったのは、「江洞屈」という、港の近くの洞穴ような霊場だ.
ここは、北海道出と言う堂守さんがおられた.
それで、わたしたちのお経に鐘で唱和してくださった.
終わったああとに何かをお願いされましたか、といわれたので、いいえ、宮崎さんという本四国の道しるべをたくさん付けられた方が、思いがけない亡くなり方をされたので、菩提供養の思いを込めて読経しました.
といったら、そうですが・・でもすごいこと、立派な業績を残された方が思いがけない亡くなり方を去れることが多いのですよ、もう定められた仕事は終わった、返ってきなさいと言うことでもどられるのですね。
そうか・・そうか・・私と久子さんは深く納得した.
多分、今度はこの答えを聞くための旅だったのだろうと.
宮崎さんのご遺族にも教えて差し上げたい。
ここは、まさに霊地.パワーのある地だった.
しかし、あまりに人の願い事が洞内に満ちていて、わたしは苦しくなったが.
まあ、本四国の御蔵洞をパワーアップさせたと思ってくだされや。
あと、海が近いという点では、江ノ島にも似ている.
ここが本日のハイライト.
いちばん印象的なところであった.
昼過ぎにほぼ降り出しに戻る.
ジモティでおおはやりのうどん屋を見つけて昼ご飯.
そうだよね、小豆島も香川なんだよね.
うどんご飯は然り、然り。
午後からまたいくつかお堂をお参りして、3時すぎ本覚寺というお寺へ。
こちらは、ご住職さんがおられて、いろいろとお話をする.
ご住職さん、島の衰退を嘆かれる、嘆かれる.
病人が出ても高松と医療がちがう、とか、フェリーの割引がないのはおかしいとかいろいろと小豆島の問題を述べられる.
そうだよねえ・・と思うことばかり.
で、.医療問題では、なんで医療ヘリを飛ばさないのですか、と.
やっとそうなるんや.
遅いよね、わたしの町じゃ結構前からとおくから病人を運んでくるけど.
そういったら、それはアンタの県の知事さんやら、市長さんやらが偉いんじゃ.
へんろみちのしるしでも、島四国は宗教じゃない、島の文化だから盛り上げよう、道しるべつけようといっても、宗教じゃといってなかなかじゃ、とこれまた嘆かれる。
しるしは確かに、本四国ほど充実はしてはないが、でも教えていただけるので問題はない。
といったら、そうや、みんな親切なんや、島の人は。
はい。
話しこんだのは、これから行こうとしていたお寺の住職さんが認知症で、いってももしかしたら、朱印もらえないかもと教えていただいたので。
でも、お話しているうちにあっという間に外も日暮れてきてちょうどよかった.
住職さん、次にくると気は電話せい、歩く場所まで送ってくれる宿を紹介してやるしな.
えらいご親切.
それにしてもこちらもとても立派なお寺なのだ。
本四国ではありえないしゃべりん.気さく.親切.
お堂、庵は無住だけれど、地域で大切に守っておられるのがよくわかる。のんびりして、経を誦しているうちに心から、すすやかで清らかな気持ちになれる.
宮崎さんや、亡弟、今関さんを偲ぶことができた.
読経の中で出会う3人、みんないい笑顔で出てくる.
ありがとう、ありがとう。
そう呼びかけていたわたしがいた。
小豆島、遍路に流れる本来の時間や姿が残っている、と言うか、私が1995年に感じたものと同じなにかがあった.
小豆島遍路、第1日目忘れがたし.



2010年12月22日(水) 出かける前の多忙なり

忙しい.忙しい。
末弟の薬も取りにいって母に渡してきたし、イッサのご飯とウンコ取りの準備も荷物もほぼ完了.
イッサは、わたしの行動を怪しんでついてまわるも、ご飯入れが二つになって、エサをいれたら、おめでたくも食べている.
新しいものずきなり.

今晩出発、姫路、高松、供養の碑、徳島、松山、最後の2日は、小豆島で歩きお遍路をさせていただいて27日の夜行で帰ってくる。
小豆島は、残りは来年させていただこうと思っている.
28日、29日とまだ、塾がある。
だから帰ってきたら、また仕事なり.
仕事納めは29日の夜.

さあ、これから、7時から8時の個人指導のお子さんの準備をせねば。
忙しい。



2010年12月21日(火) 年賀状、ピンチ

色がちゃんと出ない.特に赤が…(インクは新品)と思っていたら、ついに送らなくなった。
まずいよ。
どうする。
もう1度トライするけど、だめっぽい.
出かける関係で、大急ぎでつくって書いていたのにさ。
参ったわ。
来年は、業者に頼むか。
やれやれ。
ずれにしても、10年ものプリンタ、ほぼ毎日よくつかったよね。
そろそろ、おシャカってやつなのかね。
こまった・・こまった。
明日夜から出るし、帰ってきいたら買ってきて、セットアップしないとなあ。
年末にモノイリでござる、ふー。

月食、見えなかった.
残念。
降ってはいないのだが、雲が厚いようだ。



2010年12月19日(日) にっぽん晴れじゃ

谷あれば、山あり。
禍福はあざなえる縄のごとし。
昨日の天気と今日の天気を思うと、こんなことばが浮かんでくる。
まじにいい天気、奇跡のよう。
今日は、朝八時半から1時間来週こられないお子さんを1人、振り替え。
そのあと、イッサと日溜りでごろごろ。
元気になった。
お日さまありがとう。
生かしてくださり、ありがとう。
お日さま、I love you.



2010年12月18日(土) 冬ざれ

薄暗い寒い日だ。
外を見ていたら、「冬ざれ」という言葉を思い浮かべた。
今朝は雪を呼ぶすごい雷がいくつもなった。
うちまでゆれるようなすごい響き。
イッサがうろうろして寝ている私の上に乗って、ニャアニャアと鳴くわ鳴くわ。
ふだんはクールで、寝ている私を起こしにきても、乗ったり、うろついたりはしないのだが、よっぽど怖かったのだろう。

海老蔵さん、示談だって。
で新春歌舞伎は代役玉三郎さんで、即日完売だって。
そう、私も玉さまと聞いた時に、一瞬、東京まで行って来ようかと思ったものね。
でも、もはやチケットがないのか。
やれやれ。

気分は、鬱気味。
夕方はギョーザ作りをして、実家でギョーザパーティだ。
これも疲れることだけど、私が言い出さないと甥は、ほとんどわれ関せずだし、弟が生きていたらやりそうなことを私なりに提案して行きたい、とは思っている。少なくとも母が生きている間はね・・・・。



2010年12月16日(木) 15センチは積もったか

昨日一日と1晩で、20センチ近い。
冬なり。
子ども達は、雪はいやだという子はまずいなくて、みんな「降ったねえ」と何やらうれしそうだ。
子どもは犬の親戚。
それでも午後からはお日さんが出て、イッサと窓辺でお日さまの光をいただいた。
いいわ、お日さま。
早く冬至がすぎないかな。




2010年12月15日(水) 初雪なり

初雪。天気予報通りだ。
ぼさぼさボタン雪で、まあ、寒気が去ったら、とりあえずは溶けるだろう。
で、今回の関西・四国いき、夜行バスなのだが、寒波がきたら怖いなあ。
などと考えた。

末弟の保護帽の新調で、川向こうまで運転、久しぶりの雪道はつかれる。
帰り、前の車のナンバーは習志野。
まあ国道なのに、50キロ足らずで走る、それも内側車線で。
気持ちはわかるが、だったら、外側走れよと。

帰ってきて、30分ほど午睡。
さてやるぞ。



2010年12月14日(火) 雪マーク

明日から数日雪マークが出ている。
で、午前は、お稲荷さんへ赤マントと新しい笠をお付けしに、雨の中いって来た。
雪の前にと思って。
で結構ぬれて帰ってきて、ストーブの前にちぢこまって本を読んでいたら、ねむってしまった。
足があったかくなったせいだとはわかるけど、午前からだよ…やっぱりお日さまがないと私ダメだわ。

午後は反省して仕事をしている。
お昼は、実家からもらって来たおもち(端っこ)を食べた。
おいしかった。
正月近しとしみじみ。
それにしても、明日から予報によれば1℃2℃の世界になるような。
今現在のあたたかさ(といっても10℃あるやなしやだが)からは想像しにくいが、まあそうなんでしょう。
ちなみに昨年は18日に50センチほどふっている。



2010年12月12日(日) なんだか、ボーっと

午前、振り替えで2時間塾仕事。
で、午後から食後にたっぷり昼寝。
っていうか、やっぱりなんだか、気分がボーっとして何も手がつかない気がして。
それでも、夕方はおくればせながら掃除をした。
毎日を大事に精一杯にすごさねばと思うのに、こんな生活ダメだなあと。

かたずけをしていたら、夏に宮崎さんからいただいた暑中見舞いハガキがあった。しみじみと見つめてウルウルしてしまった。
とっておこう思う、あのハガキ。

いよいよ、天気予報に雪マークが登場してきた。



2010年12月11日(土) 福見寺

ネットで調べたら、かなり古いお寺だが、参道はあれているようだ。
で、道は急峻。
このお寺を近くで、古いへんろ道を探しておられたのか、宮崎さん・・・百メートルも落ちておられたそうな。
昔聞いた事がある。
夏は草が茂っておる道も、秋から冬の葉っぱがおちたころになるとわかることがあると。
そういうことであったのだろう。
それでも75歳、だれかとお出かけしていただきたかった。
今となっては遅しだが…
しかし、しかしと思う。
ある意味、現役で亡くなったのだ。
どのくらい落ちてから意識があったのか、それは気になるが、それでも病むよりもいいのかも、と思ったりもする。
旧の遍路道探しをしておいでだったのだろうし、「らしい」ご最後だったのかもとも思う。
いずれ、最後は、奥様をはじめとしてたくさんの彼岸からのお迎えが見えられただろう。
「そうか、ワシ 逝かんならんのか」と意外とさばさばと旅立たれたかも知れぬ。
日々、できる事を精一杯されてきておられたから、そんな気がするのだ。
それにしても、寂しい。
見えないことは、ホントに悲しくて寂しい。
ご冥福を祈ろう。



2010年12月10日(金) 遺体発見

ああ…奇跡は起きなかった。
本日午前十時半、山中にて宮崎さん遺体発見とのこと。
ただ、ただ在りし日のことを想う。
ご冥福を祈ろう。
さびしい場所だったようだが、先立たれた奥様がお迎えに見えただろう。
お遍路さんもたくさん見えただろう。
お仕事においては、まだやり残したことがあると思われたかもしれないが、
にぎやかに彼岸に旅立たれたに違いないと信じる。
あちらの世界はあるから、絶対に。
お大師さんと共に、へんろ道をお守りになることだろう。
ありがとうございました、宮崎さん。
ご恩は忘れません。
私が逝くときは、お遍路のよしみで、その辺まで迎えにきてくださいね。



2010年12月09日(木) どうも元気が出ない

雪は降っていないし、比較的お日様はでるし、今年の太陽減衰期は、いい条件だと思うが、だめだね・・・
仕事をはじめたものの頭が回らずにごろついていた。
弟、今関さんはあちらの世界へ。
宮崎さんまで行方不明になられて…
こたえている、心に。
改めて、別れることが人生って思う。

昨晩 イッサが脱走してしばらく行方不明だった。
子どもがあけていった玄関ドアから出ていったのだ。
まあ、帰ってきたからよかったものの、これでイッサまでいなくなったら、たまらないだろうな。
★猫の子が 手で落とすなり 耳の雪
昨年見つかった小林一茶の句だ。




 




2010年12月08日(水) 宮崎さんの車発見という情報

毎日何度もへんろ館を見ていた。
宮崎さんのことが心配で。
奥道後の、今治へ行く道筋の奥で車発見の書き込みがあった。
そうか・・・
あの道は、ふつうでもけっこうカーブがおおくて、人気も少なくという感じだったと思う。
何度か友人に乗せてもらって走った。
それにしても、どうしてそんな奥へ・・と思う。
奇跡はあるだろうか。
ずいぶんと日にちがすぎているし・・どんな形で出てこられるかと思うと、ただ悲しい。




2010年12月07日(火) 本日は大雪(たいせつ)

昨日がいい天気で、一気に暗い一日だと気分は沈む。
季節性鬱系のわたし、厳しいわ、このシーズン。
早く一陽来復、冬至をすぎろと念じている今日この頃。
4時だと薄暗い。
玄関に小さな光るツリーを置いている。
アイスランドのやたらに電飾でカラ元気を出している光景を思い出す。

太陽電池で充電したいなあ…
こんばんは里雪かも知れぬ。
旧暦では、大雪だ。
ころあいかも。



2010年12月05日(日) ええ天気じゃ

里雪、いまだ来ず。
明日もいいみたい、天気予報によれば。
基本、日本海の海水温が高いので今年も大雪といわれているはず。
後が怖いわ。
さて、12月の関西方面行きのチケットでも買いに出るかね。
日光浴とお散歩がてらに。




2010年12月04日(土) お高いモップ購入

基本的に拭き掃除は手でしていた。
しかし、鼻の血管が切れて処置して以来、下をむいて、思いきり力いれて床掃除をするのは実に心配だ。
実際、5月には下を向いて拭き掃除をしていたら、とまっていたものが出たということもあった。
そんなこともあって、ここ3週間水ぶきをろくにしていない。
年末だし気になるので、楽ができるモップを探したら…熱蒸気で汚れを取る「シャークスチィームモップ」なるものが売れ筋らしい。
12800円、ムサシの特売品である円型便利モップ(これはベルーナの通販でもあったが)が、3680円だったか(要するに4000円でおつり少々)。
本日一日迷ったが・・・・高いほうにした。
殺菌もできるということなので・・イッサもいるしね。
早速ネットで注文。
高い買い物だけど、また血がでて処置だと1万円だ。
ドクターがいうには、これが何度もあって止められなくなると、全身麻酔でオぺだといわれたし。
しかたないなあ・・と思っている。
早くこいこい、ふき掃除ができないのは何かいやな気持ちなのだ。
本日もすごい風だったが、やや納まり、静かになった。



2010年12月03日(金) すごい天気だ

すごい風だ。
近所のケーキ屋さんの看板がおちそうだったと塾に来た子がいっていた。
私は、おなかの具合がよくない。
今朝朝食を取ったとたんに痛くなって、下痢。
で下痢したあとも痛い。
しかたないので、ストーブの前でごろごろ。
水分を取りつつ。
お昼を食べたら、やはりイマイチ。
このところ、ノロウイルスで休んだとか、風邪で吐いたとかいう子がきていたし何かしらの菌をもらったかもだ。
梅干おかゆでも食べてしのごう。
なんだか私も弱くなったもんだわ。
毛細血管の強化には、ダッタンそばがいいらしいので、ダッタンそば粉だけをつかった乾麺を見つけたので注文した。
一年くらい毎日昼か朝に食べようという予定。

12月にしては高気温で推移している。




2010年12月02日(木) 海老蔵さん・・その2

かつて歌舞伎が好きで、毎月歌舞伎座や国立にかよった私としては気になる事件だ。
なんだか大変なことになっている。
彼も手を出していて、逮捕状の出ている人も全治2週間の診断書もっていると。
彼もかなり悪いということが次々と明るみに出ている。
さらに、京都の公演では、代役がお上手で大受けだとか。
やれやれ。
どんだけ、人徳ないのだ。
父の団十郎は、まじめすぎて華がないとまでいわれた人。
彼の演技は確かにまじめだが、私はむしろ、彼の口跡の悪さが気になったけれど。
また祖父は、たしか体が弱くやはり「遊び」のたぐいはできなくて、芝居一筋の人だったはずだが。
海老蔵さんの遊びと傲慢はどこから来ているのだ?
団十郎さん、しつけと教育を間違ったか。
それでも、記者会見をやめて新婚の妻を置いて深夜どころか、朝まで飲み歩くかね。
夫婦仲がよくないのか、もはや。
いずれにしても、けがが治ったら、死んだ気になってやりなおさないと「成田屋」は危ないね…

本日もよい天気。
イッサと日溜りでごろごろして猫になった気分だ。



2010年12月01日(水) カレンダーの残りがない

12月だ。
カレンダーが最後の1枚だ。なんというか・・あっという間だね。
12月にしては奇跡的なお天気だ。
快晴なり。
明日もらしい。
うれしやな。


 < 過去  INDEX  未来 >


moheji.s [MAIL]

My追加