世界お遍路 千夜一夜旅日記

2010年09月30日(木) ジョンウン氏

さっき、写真見た。
デブ、だ。
まったく、先日見たダッポク映画「クロッシング」の一般北朝鮮人、ぎすぎすに痩せていたぞ。
それにしても、なんで世襲なわけ、とあらためて思う。
海外でお勉強してきて、自分の国の体制、己の立場に大いなる疑問を抱かないのか、ジョンウン氏は。
この世はおかしなことが多すぎるわ。



2010年09月29日(水) 秋天ザル

そばを食べたくなって、久しぶりに「小島屋」へいった。
そうしたら、「秋天ザル」なる特別メニューがあった。
キノコのてんぷらとざるそばのセット。
おいしゅうございました。

今日は、末弟のケア会議。
市の福祉課の職員二人と、病院のケースワーカの方二人、居宅介護でお世話になっているところから二人、母とわたし。
夏の短期入所が思わぬテストケースとなって、話はスムーズに進んだ。
来月、入所希望を出すことになるだろう。
ただし、満所なので、いつ空くかはわからぬが。
でもまあ、そうなれば、いざとなれば長期入所を利用させてもらえるだろうし。
もしもの時の用意がいろいろとできていって、なにより母が安心することである。

イヤー−寒いよ、もう。



2010年09月28日(火) 閑話休題

なんだか、なにも考えず、やらずに日々が過ぎていく気がしている。
これが年をとるってことなのかな。
もうカレンダー、3枚しかないのだよ・・・

たまには、今日作り、食べたものでもかくか。
本日の料理
*秋茄子の味噌炒め・・絶品
*ゆでピーマンとナスの黒ごま和え・・・ごま信仰主義なので、1日に1回はごまを食べる。
あ、しょうがも信仰しているので、食べます。
最近は新生姜を酢漬けしてそれをつまむこと多し。
*ネギの白いとこの卵とじ・・やさしい味なんで、温麺の上に載せて食べたらおいしかった。
こんなものと秋ザケを食す。
肉と乳性品は相変わらずほとんど食べず、です。
でもま、無理にではなくて、ラーメンの上に乗っていたらありがたくいただきます。
甥のために先日は、ローストビーフのきゅうり巻きをつくりましたが、わたしも2本だったか、3本ほど食べました。
肉は身体を陽にする食品、弱っているときや鬱っぽいときにはむしろ少しはとったほうがいい。
まさに、命をありがたくいただきます、だ。

わたしは寒くなるともうトマトとキュウリは食べたくなくなる。
梨もいらんなあ。
カレーもいらない。
食べたいと思わないものって、体を冷やすものばかりで、わたしの食本能作動しているなと感じるこの季節である。
さ、ねよっと。
秋の夜長、寝るべし。



2010年09月27日(月) 不穏なり

中国と不穏だなあ。
困ったことだ、お隣とはなかよくとは思うものの、かの国のやり口には腹立つわ。
フジタの職員、あの国の法律にのってって、というと死刑だぜ。
船長の逮捕に対する報復・・目には目を、歯に歯を・・ハムラビ法典でした?
民主国家じゃないわね、改めて。
ムチャ、不愉快だね。

朝晩寒い。
涼しいがないのって、やはり異常だと思う。



2010年09月25日(土) 検察いい、中国といい

なんで、法の番人が捏造するわけ?
あきれて物が言えない。
戦後、食糧難のときに、配給しか食べなくて餓死された山口判事だった?
あの伝説の高潔さ、どこにいったのだ・・日本の司法界の方々よ。

なんで、中国の船長、釈放するわけ?
ますます足元見られるでしょ!
カンさんの資金源、中国ってうわさもあるから甘くなるのかいな。

今日は寒いくらい。
もう長そでTシャツ1枚ではいられない。

本日の仕事完了。
これから、ちらし寿司を作って実家へ。
少し遅い「敬老会(母)」と「実家マルチーズの楽のお誕生日会」「イッサがきて1周年を祝う会」亡弟の月命日・・で。
お米はコシヒカリ新米。
うまいだろうな…ニコニコ。



2010年09月23日(木) 一気に寒い

一気に寒い。
どうなっているのか。
仲秋の名月、昨日、見えず。
本日は満月、雨は上がったが、見えないか・・・
今朝なんて暗くて、7時過ぎまで寝てしまった。
イッサも、起きやしない。
猫は、ひたすら、雨の日はひたすらねむいらしいがその通り。
イッサ、2度目の秋がくる。



2010年09月21日(火) 中国って・・・

まったく、味噌も糞も一緒って中国のことだね。
万博の交流団とか、分野が違うでしょう。
それなのに、キャンセルって、アンタら何様って感じだわね。
中国にしろ、北朝鮮にしろ、とんでも隣国が多くて困るっていうか怖いことだ。
でも、政府には、正道をいってほしい。
調べるべきは調べ、罰するべきは罰しで、堂々と「独立国」らしく。
甘い顔をすると、チベットになるぞ、この国は。
中国上層部、いずれ日本属国、既定の前提っていうのを右翼系の雑誌で中国人が書いていたのを読んだことがるが。
まさか、と思うが、そんな感じになってきた。




2010年09月20日(月) 彼岸の入り

父や弟、あの世から帰ってきたかな。
今朝は、早起きして、ごもく稲荷をつくって、実家の仏さまへお供えしてお参り。
一気に涼しくなって、なんだかからだがびっくりしている。
今日は、先日来、何度かお休みしている塾生達の補習。
朝からやっていてもちろんお休みは無し。
イッサが付き合ってくれるんでありがたし。
イッサがきて、今日でちょうど1周年だ。
お蔭さま。



2010年09月18日(土) 稲刈りが大変なことになっているような・・

先日の大雨・大水で近隣の方が一人亡くなったのだが、田んぼも大変なことになっているようだ。
母いわく。
コシヒカリは全然刈り取ってない、田んぼに機械が入らない、大変だ・・・
甥、体形が変わってきた。
うでは筋肉がついたし、なんとお腹まで出て来た。
で、アクロスプラザにスポーツクラブができるし、いくといいよ
と言ってしまった私。
嫁ハンが来ないのに、腹出ていたらまずいしねえ。

今年の天気は極端過ぎる。
甥が少しでも楽になるようにお天気が推移しますようにと祈らずにはいられない。

私はと言えば、夏の疲れか、体がだるい。
なんにもやる気がしなくて、最低限のお仕事がやっと。
まあ10月になれば、もっと元気になるかな。



2010年09月16日(木) 一気に涼しい

寒いくらい。
夕べは、気がついたら、イッサが侵入してきて、布団の上にいた。
けっぽってやったら、びっくりして自分のイスの上に戻ったが。
すみわけはけじめとして大事だしね。
でも、寒かったんだろうな。

それにしても、穏やかな涼しさがなくて一気に寒いってねえ。
春もそうだった、いつまでも寒くて、穏やかな春らしさがなくて暑くなったし。
やはり、地球が変わってきているのかね。
アサガオが「喜んで」さいている、やっと。
アサガオの原産地って、どこなんだろうか。

この一気に変化のお天気について行けなくて、私はやっぱりだるい。
まいったね。



2010年09月15日(水) 父の命日

2004年9月15日他界。
それから1ヶ月と少しで地震だった。
あの年は大変だったわ。
まさか、それから5年足らずで弟まであっちの世界の人になるとは・・・
中越地震の過労が、弟の命をち縮めたとは思う。
でも父は弟に先立たれる悲しみを味わなくてよかったのかもとは思う。

今朝、実家へ。
読経。
あちこち掃除をして、末弟の服の入れ替え(長そで)をして、お寺さんが読経にみえたので、お参り。
帰りに、いつもお世話させていただいているお稲荷さんへ。
で、近所のおいしいパン屋さんでたっぷり買ってきて、パン食べながら「雨の日、猫はひたすら眠い」というタイトルの本を読了。
猫の食生活や現代っ子猫のおもしろ話満載で楽しんだ。
このところ、私も猫のようになんとなく眠いし、だるいしなんで、無理せずに午前中はごろごろしている。
免疫力を下げて、また麻痺がくるとこわい。
去年は今思えばすごくがんばっていたと思う、いろいろと抱え込んで。
今はずいぶんと楽させていただいている。



2010年09月14日(火) 押尾の言い分

新聞やインターネットで彼の裁判の様子を読む。
ほんっとに、いやな男だ。
腐っている。
亡くなった女性がかわいそうでならない。
でもまあ、彼女も生きていたら、犯罪者だよね・・・
ヤクをやったんだから。

ネットでは、両親に非難が集まっている。
それは、自分の娘の犯罪を棚に上げて押尾のやったことだけ責めているとか、何様状態でテレビに出て恥ずかしげもないとか。
確かに彼らの娘も悪い、それは確かだ。
しかし、死んでしまった。
どんな子であっても親にとってはかわいいのだ。
複雑な気持ちで、成り行きを読んでいる。

涼しくなってありがたし。
しかし、なんだかだるい。
イッサは一気に食欲向上。
またでかくなったようだ。



2010年09月13日(月) お疲れの本日

昨日、大雨のなか、アジア映画祭最終日。
疲れていて、ぼやぼやして無為状態。
見たのは以下四本、。
*「ブルーゴールド」の真実
 二十一世紀は水戦争の世紀、というドキュメンタリ。前から気になっていたテーマだったんで興味深く見た。
*クロッシング
 脱北者を描いたドラマ。話題作。彼らに聞いて聴いて作ったドラマらしいから、北朝鮮の現実については、準ドキュメンタリだろう。で気になるのは、人が死ぬと、トラックに乗せて連れていっている。
つまり、共同墓地のようなところに一気に入れられる?と思ってみた。
だとすると、拉致被害者の人も多分例外ではないだろうし、みつからないね・・なくなっているとしたら・・・そうでないことを祈る。
この映画、怒りを感じた、泣く映画と聞いたけれど。
*キャタピラー
 ベルリン映画祭で寺島しのぶが賞をもらった作品。よかった!若松監督も来岡。
友人が、整理券をとっておいてくれてよかった。
*イエローキッド
 いや、見なけりゃよかった、ナイトメアのような作品。
 2本の大作の余韻を残していなけりゃ、ここまで思わないのだろうが。

腑抜けだなあ。
でも、お仕事です(断固!!)
雨があがってお日さんが出ているが、眠たい。
でも、しっかりせよと自分にいい!!



2010年09月11日(土) 五木寛之氏とアジア映画祭

9時から1時40分までお仕事。
大急ぎで車飛ばして、市民劇場へ。
真宗東大谷派主催の親鸞上人750年忌お待ち受け法要と講演。
五木寛之さん、だいぶ枯れた感じになられたがお元気であった。
で、4時45分講演が終わって、主催者の謝辞が終わるやいなや飛び出して、リリックホールへ。
で「狙った恋のおとし方。」
中国映画で、国内で大ヒットして、中国人の北海道への旅ブームを作った作品。
むっちゃ、おもしろかった。
この映画祭、あんまり笑う人がいないんで、笑いたがりの私は声を殺してウククと笑っていることがおおいのだが、今日は盛大に笑っているオバさん数人がいたので私もおおいに笑った。
まあ文化の日でございました。

このところ、ラジオをつけてもテレビをつけても、声からしたカン・オザワ。
やれやれだ。
「資質のない人資格のない人が出ている」
ってどっかで読んだけど、いやまさにその通り。
それでも、シカクのない(起訴されたらどうするよ)オザワさんより、資質のないカンさんのほうがよい。
それと、大きな大きな世の流れが、オザワサンのやり方や活きかたをもう認めないのではないだろうか。
カンさんだろうな・・それはカンさんの力ではなくて、世の流れなそっちに流れているから。
彼だって、金や女問題が出てきたら、一気に消えるだろうけどね。
早く終われ代表選。もうこの二人の顔、よろし。






2010年09月10日(金) 長岡アジア映画祭 5日目

本日は2本。どちらも香港映画。
*KJ音楽人生
これはドキュメンタリ。KJは、11歳で、ピアノのコンクールで優勝。海外へコンサートツアーに行くくらいの神童。そんな彼に、カメラを回しながら、質問を飛ばす監督。KJいわく、
人生は無意味だよ、どうせみんな死ぬんだから、ぼくは大きくなったら、世界のみんなを集めてそういってやるんだ。ぼくは死ぬよ、自殺するよ、でももう少し生きていたいけど。
はあ。
KJくん、私が最近「悟った」ことを11歳で口にするなよ!
KJを開花させたのは、ロー先生という女性の音楽家だ。
彼女の教え方や、生徒への姿勢、私なりにお勉強になりました。
ありきたりだが、出会いって大切だなあ・・と。
そして十七歳のKJ。
彼はいう、音楽は人間として自分を完成するためにやるんだお父さんや先生は、勝つことを目標にするがぼくは少し違うと。
ピアノだけでなく、バイオリンもチェロも指揮もする彼。
しかし、「天才」の彼は、なんでこんなのができないのか・・と、周囲の秀才たちにいらつく。
またコンクールでの優勝を目指すクラスメートの輪にも入れない。
両親は離婚し・・父の浮気のために。
十七歳のKJは、とがっている。
これはドキュメンタリなのだが、ドキュメンタリって、こんなに監督が被写体に口出ししていいの?
それから、なんで11歳から17歳までのあいだがぬけているの?
なんて疑問を持ちつつ見たのだが。
一つ目の疑問に関しては、要するに日本の撮り方と香港てき撮り方が違うってことなんだろうな。
2つ目は、ネット調べたら、なんと監督に資金切れで、KJが17歳になった時にまたお金ができて撮ったんだそう。
しかし、それが編集によって実にうまく活きている。
KJ,天才であってもフツーの17歳。
いつか、彼のピアノ演奏をきいてみたい。
ちなみに、これ、香港で映画の賞をもらったのだそうな。
昨日の「稲作ユートピア」はドキュメンタリ的ドラマ。
「KJ音楽人生」は、ドラマ的ドキュメンタリ。
好一対ですな。

*冷たい雨に撃て、約束の銃弾を
これも香港映画、ただし出てくる役者にはフランスの人気スターもいる。
それにしてもだ、これタイトルがダサいわ。
原題は「復仇」
まさに題の通り。
元殺し屋で今はフランスでレストランを経営している男が、マカオに住む娘夫婦と孫を殺される。
で復讐と仇討ちのためにマカオにくるというわけ。
それから先は、超がつくハードボイルド。
もう書くのが疲れたんで、あらすじ省略ですが、
やくざの抗争劇ならぬ、マフィアの壮絶な撃ち合い、次々。
でも、その撮り方がおもしろいし、独特の美学がある。
撃ち合い映画大嫌いな私であるが、ひきこまれてみてしまった。
ちなみに、ジョニー・トーという監督さん、有名な方で熱狂的ファンがいる人らしい。

本日は2本ともあたり。
おもしろうございました。



2010年09月09日(木) アジア映画祭 稲作ユートピア

本日は一本のみ。
タイの映画で、半フィクション。
半分演技で、舞台となったタイの農村リアル、演技する人も、そこで暮らして一年をかけてとったとかいう話だから、これまた、一種リアル。
タイの貧しい農村部、借金を抱えた小作農民が立ちいかなくなってくさまを1年かけて撮っている。
自然は圧倒的に美しい。
だけど繰り返される農作業(いまだすべて手作業)
蛇やネズミやカエルがご馳走の貧しいご飯。
基本、大人は笑わない。特に女性、お母さんがもう怖いくらい。
日本の農村の女もかつてはそうであったかと・・・しかし、これ、タイの半リアルだと思うと、これまたこわい。
でも、子供の無邪気でかわいい。
しかし・・・先は見えているねえ・・・

映像の美しさに圧倒、ともう1度書く。
それだけになおさら、無残というか、何というか・・・
それにしても、淡々と2時間強。
長すぎる、眠くなったです。
でも、もしかして最後にすごい何かがあるのか、と期待していたりしたのだが、なにもなし。
だた壊れていく景色、彼らがお米を作っていたあたりには、何やらゲストハウスのようなものができつつあった。
でも一方で、ヒッピー風のおじさんが無農薬農業を始めていたりして。
それも、あの無邪気な子ども達を相手に。
バンコクでは、政治暴動1歩手前で。
いっそ、FOXTVの「24」のように、画面を三分割して、一挙にうつしたらよかったのにと思った。だって、同時進行だもん。

この映画、絶賛されているとか高い評価を得ているとかいわれているけど、いまいちよくわからん映画であった。
それでも、大昔見た、バングラデシュの毎年恒例の大洪水でみんな流されて、やっと再建なったかと思うと、また流されて・・という暗すぎて救い難い映画があったけど、あれよりましであったが。
これはアジア映画祭ではなくて、国際交流基金が赤坂でしていた映画祭だったけど。
それにしても、ユートピアって皮肉だったのね?!
まあね、それが今の世界のリアルだね。
分ってますけど、この言葉に明るさを見ようとした私が甘かった。

秋がきた。
空気も空も。
残暑ではあるが、ついこの前までの残暑とは違う。
私は、だるい。
まちがいなく、夏の疲れが出ているような・・・
しばらくは、生きているだけでいいよね、という欲のない生活をしよう。
だって、眠くて、だるくてしかたなし。
イッサも、最近はすごい寝坊をしているし、私も、寝坊はともかくデレデレします。



2010年09月08日(水) アジア映画祭3本・感想コメントなり

月曜から始まっていたアジア映画祭。
本日初めて、フリー券を握り締めてリリックホールへ行った。

*9時40分からの「アメリカ通り」
韓国の女性監督によるドキュメント。山形市のドキュメントの国際映画祭で賞を取ったものだとか。
舞台は韓国の「アメリカ通り」。いわゆる基地の町である。
で、町には必ず米兵相手の怪しい場所がある、いわゆる性産業、そこで働く女性たちを撮った。
ロシア、フィリピン、アゼルバイジャンなど外国人がそこでは多く働く。
いわゆる出稼ぎである。不法滞在、強制層間、恋愛と結婚・離婚(このあたりは戦後すぐの日本の、パンパン・・こういう言葉いけないんだろうけどね・・・の世界、今もある沖縄の現実も重なる)。なんでもありだ。
それをくまなく、小さいカメラで撮って見せてくれて?いる。ひとりだけ、現役ではない七十歳くらいの韓国女性。この女性の結婚論が振るっている。結婚したらおやが4人増える、いいのはせいぜい一年くらいさ、しなくて正解さ・・みたいなことを、うら若い女性監督にいっている。(最後は亡くなったことを字幕で知らせていたが)ここはあまりに今時ふうで大いに笑った。
リアルに恵まれていないというか不幸な女性たちを撮りきっているのだが、そんな感じはしない。女は強いな・・って素直に思えた。
なんだか、太古よりの女性の姿をそこに見たような・・女はずっと女であった、みたいな。
それからアゼルバイジャンからの出稼ぎの娼婦さん・33歳の言葉がすごく哲学的で、まるでギリシャ時代の哲学者相手の娼婦のようだな、と妙に感心した。

*海角7号、君想う、国境の南
台湾映画。私、「非常城市」の昔から台湾映画のファンである。
これは、台湾の海のきれいな地方都市に日本の有名な歌い手が来ることになった。しかし、前座に地元のバンドをつかえ、そうじゃないと海浜使用許可は出さないと地元の議長さん。で、オーデションが行なわれて、台北で売れなくてもどってきた彼の息子を中心としたバンドが組まれた。彼は、仕事がなくて臨時の郵便配達をしているのだが、郵便物にあて名不明のものが・・それは終戦の時に恋人を台湾に残して去った男が60年前に書いた配達されなかったラブレターだった・・仕事でしかたなくそのシロートバンドにかかわりを持ち、ひょんなことから息子と水入らずの関係になった日本人の友子がそれを読んで、その息子にこれは大事な手紙だから、宛名の人を探して渡してやって、と。
まあテーマは、愛、六十年以上前の恋と、現代の2人の恋がシンクロするってわけ。バンド演奏に、月琴じいさんが入るあたりがとってもよかった。これまさに、台湾映画だよなあ。
ちなみに台湾では、なんと「タイタニック」につぐヒットとなったのだそうな。
月琴じいさんを初めとして、細部で大いに笑った私であった。

*ごぜさん唄が聞こえる
ごぜ、漢字で出てこないので、ひらがなで失礼。
ごぜもトキのように滅びた・・・ってことばがどっかにあった。
確かに。
ごぜとさんとは、盲目の女唄芸人。昔は、村を廻って、その地域のごぜ宿に泊まって、芸を村の人達に披露した。それを聞くのが村の人達の楽しみであって。かつては全国にあったが、それが最後まで残っていたのは越後であった。トキと同じく・・・(なんとまあ)
でこの映画は34分と短い。
その中につかってある最後の高田ごぜさんをとったフィルムは昭和46年だって。
これにびっくり。
私、高校生だったよ、こういうトキのような人達と同時代を生きていたんだって、なんだか感動した。
「うつくしい人達」であった。
日本は、ずいぶんと遠くに来てしまったのだ、と改めて思った。
この国、残念だけど、かなり亡国しているなあ・・・としみじみ悲しく思った。
上映のあとゴゼ唄を上演されるとのことだったが、私は仕事なんで飛んで帰ってきた。

突如涼しくなった。
子ども達が熱を出したり下痢したり、咳が止まらなかったり・・・次々休む。
やれやれ。夏疲れ。
みんな、はやくよくなってね。



2010年09月07日(火) ねむたい・・・

ただ眠たい。
なぜか知らんが・・・
多分台風接近で、気圧が下がっているせい?
それとも夏のつかれ??
で、朝寝。
9時くらいより11時まで爆睡だった。
顔面マヒ前だと、無理してでもやるべきことをやるべしで突進したのだが、昨今無理はしない。
たっぷり寝たはずなのに、でも、今は午後4時だがやはり眠い。
仕事完了後、母ジャヒトを温泉へという約束をしておるのだが、なんだかだるいなあ・・

「キャタピラー」を見た人達から賞賛の声続々。
私も日曜日に見る予定、なんだか楽しみ。

久しぶりに雨。
草木が喜んでいる。



2010年09月06日(月) 興味深い記事

認知症の終末期ケアという新聞記事で興味深い内容を読んだ。
ガン患者で認知症の人は、末期であっても痛みを訴えないということ。
訴えないというより、「感じなくなっている」というのが正しいのか。
これもまた、神の采配?

用があってコンビに行ったら、臓器提供カードがグリーンになっておいてあった。
前は確か、ピンクだったら、イエローだったか。
で、1部いただいてきて、臓器提供をしないに丸つけ。
延命処置も希望しないと付け加え。
で財布に入れた。
わたしの年だと、すでに提供臓器に制限があるのではないか、と思うのだが、それでも希望しない。
わたしたちの存在自体が、天地神仏(永遠なる絶対者たち)の大いなる計らいで存在している。いわんや、臓器をや。
それをやるだのやらないのだの違うんじゃないかと思う。
やらない、というのも僭越なのだが、それでも、いまやほおっておくと勝手されそう。
といっても、私は声高に反対はしない。
たとえば、自分の親族に臓器移植すれば助かるという人がいたらさて、どう思うか。今必要としている人たちのお気持ちを思うと、神の分野云々とは大きな声ではいえない。
なんだか申し訳ないが、でも、私は、賛成できないのだ。
本能がノウ、といっている。
この、本能の言葉を私の理性は越えられない。
申し訳ない・・・・
私は、献体をしたいと思っている。
その手続きをしようと思いつつ、まだしていないのだが。

本日も暑し。
しかし、風は変わっている。
秋っぽい。



2010年09月05日(日) アフガンからの生還

常岡さんなるジャーナリスト、生還。
ご立派。
やはり、彼がイスラム教徒であったコトと関係しているのかな。
まあ、慶賀なことなり。

チリの33人、テレビ電話やら、温かいご飯、DVDやらの差し入れで、なんとかしのいでいる様子。
みんな、助かれよ!

朝読むのは、明るいニュースがいいわ。

それにしても暑い。
が・・昨夜は、夜中に山からの風(町中だが、3階なので、おまけに窓だらけのうちなので東山からの下ろし風がやたらに来る)が寒い。
目が覚めたので、タンクトップを半そでに着替えた。
この風で目が覚めるようになると秋なんだけど、日中はそんな気配もなしだ。
今朝はカボチャサラダを作り。
末弟がイッサに会いたいというので、作りたてサラダを持ってキャリーバックにイッサをいれて実家へ。
で、トイレやお風呂場、玄関掃除で2時間。
家に帰って、汗だくだくのついでにまた自分ち掃除で1時間。
ほとんどお昼。
シャワー浴びて、ご飯食べて、クーラーが効いている部屋でお昼寝すること2時間半。
極楽でありましたわ。
夕べは、地元情報誌を辞めた、若い友人が遊びに来て、わたしも知らない長岡事情を拝聴。
で、なんだか寝るのがおそくなったのに、今朝は早起きでサラダ作りなんかしていたら、昼過ぎは眠くて。
昼寝はいいわ。
明日から、秋学期本格始動。
長岡アジア映画祭も始まるし。
なんだか今だ脱力状態だが、がんばらんとね、淡々と。



2010年09月03日(金) 歴博ヘ

県立歴史博物館へいってきた。
5日まで「日本海の至宝」という特別展。
お目当ては、上越市で昨年見つかった、南蛮屏風。
秀吉の聚楽第へ天皇(多分ゴヨウゼイ?)が行幸されるようす、秀吉が輿にのって練り歩くさま・・が描いてある。
聚楽第が描かれている南蛮屏風はめずらしいらしい。
わたしもともと、南蛮屏風とか絵巻物見るの大好き。
描きこんであるフツーの人達(庶民)の服装とか表情を楽しむのだ。
今回は、お目当てよりも、ポルトガルの宣教師達が港に上がってそれを眺める道々の人達のようすの南蛮屏風がおもしろし、だった。
あと出雲でたくさん見つかった銅鐸や銅矛展示。
やっぱり、あれは隠したんだろうな。
つまり青銅器文化圏へ征服者として鉄器文化圏の人達がやってきて、いずれ「お家再興」ということで、埋納した。
しかし、お家再興のときは来なかった、そして忘却された、が正解ではないだろうか。
それにしても、人間て、どんなときでも「交流」をしていたんだ、と思った。
まあ、だからこそ、アフリカから出た毛のないサルたちは世界中へ散らばったんだろうが。
なかなか想像力を刺激する展覧会だった。

で、帰りに、ムサシによって、百円ショップによって、原信によって帰宅。
イッサが待ちわびていた。
ウイ猫じゃ。
今日は、少しだけ雨。
35度にはならないで涼しいと思ったが、でも33度だわ。



2010年09月02日(木) 今日も暑し

ついに観測史上なんたら、の世界に突入した昨今のお天気。
やれやれだ。
当地本日も35度の猛暑日。
だらだら生活している我なり。よくないね。
来週は心入れ替えます。
甥が暑い中、亡弟の跡を引き継いでがんばっている。
昨今、彼のために祈っている。
体に気をつけるのだよ、と。
いいお嫁さんが来てくれますように、と。
でも、この後のほう、神様の領分。
彼がひとりままであっても(実家の断絶ということ)それはしかたないコトだとは思っている。
あるがまま、なるがまま。
人間界の滅するも生ずるもささやかなコト。



2010年09月01日(水) 鳩山由起夫、という人

新聞に、実にきついことが書いてあった。
自分のブレについては、何も感じていない。その場その場で立派な発言をして自分をカッコよく見せる自己愛性格者
だってさ。
いや、まさにその通りだと思うが、それにしても、ここまで書きますか、と思わずひとり言してしまった。
引退するといったかと思えば止めたといい、菅さんの味方といったかと思えば、小沢について・・・ブレまくりという以上に「狼少年じゃん」
自己愛性格って、これは、一種「障害」ですね。
で、直近は、ボクはなんだっだんだ・・
はあ??
もちろん、バカですよ。鳩山さん。
といってやりたいわ。

アメリカイラクから撤退。
とか言っているけど、相変わらず五万人以上が常駐だ。
「撤退」ということばにだまされそうになる。
一気に0になれ、アフガンからもいなくなれ。
って言うのは、いまさら遅いのかなあ。
5万人常駐という姿の下に、それで潤っている産業もあるんだよな。
潤っている層は、絶対に「常駐部隊」に息子や娘を出さない。
あのバカブッシュは1度も戦争行ってないもん。
富裕層だからできたこと。
この形は、オバマさんでもなじだと思う。
やはり、人類みんなで「おさかな」に、海に戻って出なおすのがいいかもだ。
ノアの箱舟が来そうな。


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