世界お遍路 千夜一夜旅日記

2010年08月31日(火) アルパカのもくちゃん、死亡

山古志で生まれたアルパカのもくちゃんが死んだ、熱中症で。
かわいそうに。
山古志はこの辺りでは涼しい地域だ、なのになのにだなあ。
今年の暑さ、どんだけ・・・
イッサも、今朝、おしっこを1回したきりで、うんこもおしっこもなし。
心配になる。
まあ、餌は食べているし、水も時々のんでいるようだが。

さて、8月の終了だ。
明日は210日だそうな。
台風は来ているし、まあ、「210日ころは台風に気をつけろ」には合致している。



2010年08月30日(月) 今日も暑い

ふつうならば、もう秋風が立っているのに・・・暑い。
やれやれだ。
朝6時半より掃除開始。
やりたいと思っていたところ、見える部分は全て終了。
時計は12時であった。
見えないところは、もういいよ。
もっと涼しくなったら、ぼちぼちと。
戸棚の中とか、押入れとかダンボールの中とかね。

だんだんと日暮れが早くなっている。
秋なんだけどねえ・・・



2010年08月29日(日) トミオカホワイト美術館

ずっと行きたいと思っていた、六日町にあるトミオカホワイト美術館へ。
その前に、八海神社へお参りしました。
八海山は新潟の霊山。
天地人のオープニングで、ツマブキ兼続が立っていた山であります。
そのふもとの神社、っていうか里宮。
参道の杉巨木、がすごし。
ふつうは神社の前まで車で行くのだが、わたしは参道入ってすぐのところに車を寄せてそこから歩いた。
せめてもの、わたしの神様への思い。
やっぱりお参りはいいですねえ。
終わってから、社務所で宮司さんが打つそばやさんへ。
大ざるてんぷら、おいしゅうございました。
相席したおばあちゃんに聞いたらこの辺りは、むかしは自分のうちでそば栽培をしていて、お客さんがあると親がそばを打っていた、ご馳走だったとのこと。

さてトミオカホワイト美術館。
トミオカホワイト、というホワイトがわかった。
そうまさに、乾いて黄変しない、さらにひび割れがこない絵の具を富岡惣一郎さんが作り出したのだった。
越後高田の生まれ、彼にとって、雪の白はまさに魂の色、故郷の色。
そのために絵の具から作り、道具も作り・・で自分の世界を表現したんだってことがわかった。
一種、職人ですな。
でも、非常にストイックな世界で、さらに、わたしのとっても、その白の世界は近しい。っていうか越後人にとっては、その思いは同じであろうと思う。
近代の水墨画。
時々展示換えがあるようだし、また行きたい。

ずんずん車を走らせて、最近長岡になった越後川口の温泉へ。
そう、中越地震のときに、震央に近く震度6強(確か)を記録した町です。
濃い塩泉でよく効く。
見晴らしもいいし。
忘れもしない、塾を始めた年、わたしが年末に「ひとり忘年会」にいった温泉である。
状況はあんまり変わっていないけれど、あの時は弟がいたよなあ。
(一緒に行ったわけではないは、思い出すときの心のあり様がちがう。まあ、日本にとって、8月15日を境にことがかわったように、わたしにとっても弟が他界してしまった5月25日は全ての境だ。
なんてことを考えつつ、込み合っている温泉に入っていたことであった。

夕方6時半帰着。
出かける前に作ったカレーを食べて、道の駅で買った特大カサブランカ2本500円と、みょうがと地元のかぐら南蛮味噌を手土産に持って実家へ。
母ジャヒトがあちこちがいたくて眠れないと言うのでこのところビワをしに毎日かよっているのだが、だいぶよくなったようでございまする。
ただ今9時20分、眠たいです。
やっぱり、なれない車の運転を長時間したからだろうな。
1日の無事、たのしかった時間に感謝。
ではおやすみなさい。



2010年08月28日(土) 本日も猛暑日

暑い、暑いの日々。
でも、今日は9時から5時半まで、やりましたわ、塾。
ホントはお休みのはずだったのだが、9月の第1土曜が運動会と言う子が多いので、来週を休みとすることにして。
最後の子は、4時半までだったのだが、あまりに自学がしてないかったので、思わず1時間延長の大サービス。
つかれました。
お昼ろくろく食べてなかったのでどか食いをしてしまってお腹がパンパンだ。
さて、これから、久しぶりに温泉でも行くかな。
8月日以来いってない。

ネパールの墜落事故、同じルートをたどって旅をしたものとして、ことばもない。
19歳の若さ・・どうかやすらかに・・・。




2010年08月27日(金) イッサ・ミステリ−

ミステリーなことがありました。
数日まえに、ネコジャラシの形をしたおもちゃをコメリで248円で買ってきた。
で、イッサは喜んで遊んでいたのだが・・・・お決まりの紛失。
で、夕べ寝る前に、「イッサ、あのおもちゃ、どこにいったの、あんたはすぐになくすねえ。さがしてもってきなさいよ」と叱り声を出したわけ。
そうしたら、今朝、イスの上においてあったわたしのバックの上に「これでいいかい」状態で、そのなくなったはずのネコジャラシおもちゃが「置いて」ある。
ゾワっとした。
夕べは絶対なかったんだよ・・・こんなの、ありえる?
昨日は、イッサ悪いことをして、別件で、大いに叱られていたんだが、また夜に叱り声出されて、猫なりに気をつかった???
そんなこと・・猫がする???
イッサを見る目がやや変わりました。
猫は「性(ショウ)がある」と昔から言うが、ホントみたいだね。
やや不気味。
イッサ大事にしないと、怖いなあ。。なんて思った。
今日はムサシで、空気で動くヘビおもちゃを買ってきたのだが、怖がっている、もへじは笑っている。

本日も暑し。



2010年08月26日(木) オザワ、でるの?

うーん、信じられん。
一般人は、いまだ、金の問題、忘れておらんよ。
民主党のオザワを押す人達って、ずれているわ。
もちろんカンさんだって、なんだか頼りないけど(器じゃない、はっきりいって)、少なくとも、金問題はないわ。
まだましってことじゃん、と私は思うが。
それと、まだ「仮釈放」みたいな立場でしょうが、オザワさんは。
いいのかねえ・・・それとも、もう起訴されずという、確信があってのこの騒ぎでしょうかねえ。
本日のニュースいちばんのびっくりに思うことなり。

暑いねえ。



2010年08月25日(水) 本日ものらくら

掃除はしたが・・昨日の分までなんてとてもとても。
暑い盛りはクーラーと仲良しで閉じこもっていたし。
まあ、その時間は無駄にはしなかった。
もへじの子ども達へのお便りつくり。
毎年ハガキなのだが、今年はイッサにも登場してもらってA4で2枚である。
これから、封書に入れねば、だ。
まあ、ぼちぼちでんな。

明日は掃除なんて止めてお出かけしたいなあ・・・
映画を見たい、県立博物館で南蛮屏風も見たいし。
暑いときに掃除なんて企画がそもそも無謀であったかも。




2010年08月24日(火) 島から帰って、掃除どころか、本読み三昧

朝早起きまではよかった。
その後、実家へいって、母の用で役所に行って、買い物をして、帰ってきて、ずっと本読みに没頭。
なんの本かと言えば「人は死んだらどこへ行くか」ってやつ。
とんでも本かと思いきや、そうでもないのだ、これが。
イッサは、そんな私に「猫心安定で」じっと時々視線を送りにくる。

ところで、粟島。
佐渡のような流人な文化も、躍起な商戦もなく、自然体の離島。
海底火山隆起系の島ですな。
友人達とたのしゅうございました。
島の人達の困ったは、魚が取れぬこと。
宿でもそういって嘆いていたが、朝漁師さんたちも同様。
昨日の昼ご飯を食べにいったレストラン(食堂)で、きわめつけの一言
「魚が取れないので、日替わり定食ができません」
「地産地消が島のモットーなので、新潟から魚を持ってきてまでつくりません」
と、美しいウエートレスさんの一言。
ちなみに島には、縄文系の目鼻だちはっきり色白の美人、美女が多い。
しかたないので、ごく少ないお品書きからラーメンを食べたのだが、これがまずいのなんのって・・・。
ついた日食べた、磯ラーメンなるものもまずかったし。
あわびだのタコだのモズクだのが入っているので、本来ならばおいしいはずがこれまたまずいのであった。
今日はリベンジ?近所のラーメン屋さんへ。
さすがにラーメン激戦地の当地、うまかったっす。
島の近隣の海流の流れがはやすぎるし、おかしい、本来九州あたりのとれる魚がこの当たりであがる・・・すべてがおかしい・・遊覧船の手伝いをしていた年配の漁師さん深刻な表情でいわれていた。
近隣の魚を訪れた旅人に食べさせるのが島のうり。
早くとれるようになるといいね。
祈りたい。

こんなそんなで1日終わり。
明日は今日の分まで掃除するよ!



2010年08月21日(土) 沖縄興南、おめでとう

春夏、連覇。
おめでとう。

今日は多忙を極めた。
3時20分まで塾、食べ損ねたお昼ご飯を10分で食べて、3時半、末弟のショートステイ迎えに、どんどこ車を走らせた。
4時、ぎっちり着。
でうちに連れて帰って5時少し前。
それからもどってきてうなぎちらし寿しと、応援買いをした宮崎黒豚のときゅうりのごまポン酢サラダを作り、とんぼ返り。
7時、実家でささやかな末弟のご苦労さん会。
それから、末弟の風呂とビワ灸、母と義妹のビワ灸。
母、なかなか回復しない。
まあ、80歳だし、しかたないよね。
末弟、入所希望を出すように動くことにした。
本人もいいといったし。
母の負担軽減ためにはそれがいいと思えるので。
いいでしょう、80歳、息子の世話から引退しても・・・

若干買い物をして、「イッサ、帰ったよ」は午後9時50分なり。
はい、これから、明日の準備して、お風呂入ってねます。
明日、粟島1泊です。
台風が心配だったけど、杞憂に終わってよかったでござる。

さあ、準備じゃ。
イッサが心配だが、猫は数日は留守番できるらしいし、エサと水が切れないようにして。
ま、いいか。




2010年08月20日(金) パナマからの便り

もへじに来ていたお子さんで、お父さんのお仕事の関係でパナマに6月からいった子がいる。
ボランティアで作文通信教育しますから、ということで毎月の作文のテーマを作って、作文用紙と共にプレゼント。
彼は、作文が大問題で入塾したお子さんなんで、1年足らずでいなくなるのは心配だったし・・・で。
そうしたら、7月分が8月になって来ました。
テーマは、パナマの学校紹介・・400字。
日本人学校の紹介文を書いて送ってきた。
ヘエーと思ったのは、避難訓練が発泡からの避難だそうな。非常事態になった時のシェルターや、水食糧の備蓄もあるらしい。
これはびっくりと言うか、この国の平和を思った。
あと1つ書いてあったのは、水泳授業が1年間あるんだとか。
そうか、これはお国柄ですね。
漢字をつかって、きちんと400作文を書けるようになっていた。
かなり時間をかけたのだろうが・・・でも、よかった。
一応添削して、当地の新聞記事の切りぬき、空襲の体験談とか、中学生の勉強レポートを一緒に送った。
今月はどんなものが届くか楽しみになってきた。



2010年08月19日(木) 残念 4強のがす

新潟明訓、負けました。
残念。
今日も暑かったねえ・・・
ホントは夏休み教室、今日で終りなんだけど、終わらない子が一人、明日六時に来ることに。
やれやれ。
今さっき、母にビワ灸をしてきた。どうもまだ体調がよくないようなんで。
暑さが去らないとダメかな・・
日の出を見ていると太陽の位置が変わった。
日の出も遅くなったし。
代わりに月の位置が高くなった。
日の入りも早くなった。
虫もないている。
天空にははや秋の気配とは思うのだが。
でも暑いよね。

「石の上にも3年」で毎月、手書きでA4の紙に書いて出してきた(近隣の地区センターや図書館などに配っていた)「親と子の国語だより」だが、この8月3年となった。
3年続けられたことに感謝、と言うかこの時間を無事に生きてきたんだなあ、感心している。。
で、とりあえず休刊とした。
別の形でまたやりたいとは思っているのだが、とりあえずは休刊。



2010年08月18日(水) またヘリ、墜落

自衛隊のヘリが瀬戸内海ヘおちたらしい。
ヘリの事故が多いねえ。
この酷暑となにか関係あるのだろうか?
暑さで、エンジン関係とか制御関係に異常をきたすとか。
そういうことって無いのかな?

理科大生ワンゲルの遭難残念。
わかいのに・・本人達も、それからご家族の思いもどんなだろうか。
ワンゲルなら、川原にテント厳禁なのは、知っているでしょう・・・なんで?と今朝ニュースを聞きながら思った。
野宿の本とかにもフツーに書いてある、夜中の大雨や増水があるので、川原にテントはいけないって。
そもそも、ワンゲルなんてサークルがまだ生き延びていたんだね、と感動したが。
ワンゲルとか山岳部とかは、とっくの昔に「滅びた」と思っていた。
で、「焚き火研究会」とか「野宿研究会になったんじゃないの、とおもっていたが。
(こういうとこに所属している学生達に四国であった)

今日は午後から教室お休み、久しぶりに昼寝をたっぷりとした。



2010年08月17日(火) 電気が止められて、熱中症って・・・

無残なニュースだ。
電気を止められていて、クーラーがつかえなくてお年寄りが亡くなられた。
クーラーが無くて、やはり亡くなられた。
そんなニュースを読むたびにつらい。
悲しい。
貧しい国だよ、わがニッポン。

今日ネット(ヤフー)でニュースを読んでいたら、私のきらいなとーぐうご一家、またご静養だって。
はあ?この前、行ったばかりでしょ。
で、広島原爆祈念の日に、須崎御用邸でパーティかなんかやらかしたって、週刊誌にかかれているような。
原爆忌、敗戦の日は皇室は御慎みの日という話だが。
そりゃ、当然でしょ。
我らが庶民だって、その日は、黙とうするもん。
マサコ、コータイシ、ええかげんにせい。
といいたかったのは私だけではなくて、ヤフーコメント欄が「非難炎上」していた。
15日、おとなしくしていたんだし16日出かけても、文句無いでしょ!
というマサコのためぐちが聞こえてきそうだ。
こういう人達が、「象徴」になったら、まさにこの国は終わる。
なんとかせにゃいかん・・といっても、それができるのはだれ?
現天皇さんだけ?
でももはや、捨て置いているようだし。
だとしたら、神さん、がなんとかなさるのか??

忙しいのもあと少し。
19日でひとまず夏休み教室は終り。
21日に土曜個人指導をやって、わが夏休みなり。
待ち遠しい。



2010年08月16日(月) 明訓、八強

新潟、いつから野球が強くなったんだろう。
すごいじゃん。
地方大会決勝でも、日本文理を大差で破っていたからかなり強いとは思っていたが。
まあ、くじ運にも恵まれているような。
2勝の相手は、ものすごく強い相手ではない。
運も実力のうちじゃ。
羽ばたけ、明訓。

私は、今日も忙しい。



2010年08月15日(日) 敗戦の日

昨夜は、倉本聡の「帰国」(旧字でしたが)を見た。
そうか・・・倉本聡もこんなドラマを書くようになったんだ、と・・・
そのせいもあるだろうが、今朝は、戦没者、戦争の犠牲になった方々に自分なりの祈りをささげた。
昼は、実家。
姪夫婦が来るので、一緒にお昼を囲むということで。
いろいろ準備していたら、お昼。
戦没者祈念式典、かな。
で思わず「黙とう!」って私が言ったら、その場にいた母や義妹、姪っ子が共に黙とう。
今の我ら、まさにお蔭様の平和。

台風後、少し涼しくなった気がする。



2010年08月14日(土) やれやれ

朝からおなかが痛い。
夕べ、大雨が夜中に降って、一気に気温が下がって冷えたようだ。
仕事を終えて、二時間ほど暖めつつ眠ったら、元気回復した。
これから、お風呂でゆっくりしてさらにぬくもろう。
冷房も体にこたえているのだろう。
のんびりが一番なり。



2010年08月13日(金) お盆

夏休み教室は昼まで。
お昼を食べて、少々昼寝して、お供えを購入に行って、お大師様のお軸を出して、ご供養できるように設定して、お経を上げて。
3時半、末弟ショートステイを引き取りに。
道が込んでいて、いつもの倍近く時間かかる。
で、連れ帰って入浴させて、お墓参りに連れていって、実家家族と夕食を食べて。
これで1日が終わった。
明日の準備が何もしてないので、これから準備してやっと、自分がお風呂に入れるわけで。
ただ今午後9時、お風呂は10時半くらいかな。
忙しい1日。
それが無事に暮れることありがたし。

最近の日記訂正。
日航ジャンボ機事故12日・・なのに1日早く書いてしまいましたわ。
「人生は廻る輪廻のように」・・これまちがい「人生は廻る輪のように」が正しい。
これ、すごい本でした。(あと少し残っていますが)





2010年08月11日(水) 旅の悲劇

スイスに続き、アメリカでの事故、死亡者。
せっかくのお楽しみが暗転、かわいそう。
祈ります、ご冥福。
それと今日は、JAL123便墜落の日。
あの日のことは、忘れられないなあ。
私でさえそうなのだから、ご家族はどれほどの思いか。

このところ、体重がどんどん増えている。
夏ぶとり。
すべては、1日に3本は食べるあずきアイス、ももたろーバーのせい。
はまっている。
ベーグルパンとグレープフルーツはなぜか「卒業」したが、今はこのアイス。
ほっておくと、六本くらい食べちゃう。
やばい。



2010年08月10日(火) スペインのような空

朝起きたときの空気の乾燥感と青空。
まるで、スペインのアンダルシア地方の空気だ。
湿気はどこにいった?
でも昼間は暑い。

「ザ・コーヴ」(和歌山太地町のいるか漁をほとんど隠しどりした作品)が今新潟のシネウインドでやっている。
次は長岡だそうな。
そうか・・見られるか。
「キャタピラー」も、長岡アジア映画祭でやるし。
通常、東京などでしか見れない話題・問題作品が地方で見られるっていいなあ。
うれしや。
私が、高校生だったころ、長岡は「文化果てた地」であると感じたものであったが。





2010年08月08日(日) 「人間失格」を読む

大昔読んで、ただ「くらーい話」という印象しかもはや残っていない太宰の名作。
数年前にもへじに来ていて、今年、この本で感想文を書くから、という高校生が1人。
で、再読してみた。
やっぱりさびしい人だなあ・・太宰は。
が私の一言感想。
しかし、体育系のあの子、これでどんな感想書くのだ?
なんだか、こわおもしろし。

昨夜の「ハートロッカー」すごいよ、あれは。
タケシ真っ青・・が一言感想。
テーマは、戦争は麻薬である。
まるでノンフィクションのような映像。
見る機会があったら、是非にとお勧めしたい。
またゆっくりと感想を書く機会があったらしまする。

で、夏休みに行くおばはん3人で行く粟島の宿取りとスケジュールたて。
終了。
カサに送って、たみちゃんにはこれから届ける。
で、帰宅したらお風呂に入って、今作り終えたホタテ入り夏野菜カレーを食べて、「人生は廻る輪廻のように」を読む。
久しぶりにゆっくりした日。
つまりは、私って、イッサとゆとり時間と本と、それなりの食べ物と飲み物があれば、満足するんだわ。
前世、孤独を愛した男だったらしいけど、それは今もそうだね。
私のところに来てくれたイッサには感謝、イッサという贈り物をくださったカミサマに感謝。




2010年08月07日(土) 今日はやや過ごしやすし

今日は少し気温低いかな。
といっても、35度が33度くらいかな、ってことであるが。
午後から、1時間半も昼寝した。
とても体が楽になって、気持ちよし。
これから、植木に水をやって「ハートロッカー」(アカデミー賞受賞作)を見に行く。
植木といえば、なんとうちのゴーヤがなった。
一昨日水やりをしていたが、ブランと下がっているのを発見!
思わず「オオ!!」
何しろ、プランターであまり日当たりのいいところではないし、なので、実になることは期待していなかったからな・・・
しかし、立派に稔っている。
ゴーヤは偉い。
さ、でかけるぞ。



2010年08月06日(金) ヒロシマ原爆投下の日

長岡空襲、ヒロシマ、ナガサキ、敗戦の日。
みんなホワイトボードに張ってある。
原爆の話では「日本人は人体実験されたようなものだ」という話もしている。
黄禍論や、ソビエトロシアには、降伏をすると極秘に伝えてあったのに、それがアメリカにうまく伝わらなかったのか、伝わっても無視したのか・・・
みたいな歴史の裏話もしている。
だって、教科書にかかれたものだけを信じるのもいかがなもんかとも思うし。
アメリカ大使、国連事務総長のしゅっせきで何が変わったのか。
世界平和の方向へ、と願う。
それにしてもこの祈りの月に、トーグー一家はまたご静養。
皇室は祈るべきでしょう、庶民以上に。
ふりかえれば
阪神大震災の時は、中東豪遊でヨルダンだったかの国王にさとされて途中で帰国してむくれていたトーグー夫婦。
中越地震の時も那須へご静養。
沖地震のときは、アイコとM子の電車でゴーとかいうの、テレビでやってたし。
終戦の日に、花火とレストランの食事のこと週間誌に書かれていたし。
今年の5月1日の水俣慰霊祭の時も那須ご静養。
やっていることが皇室にあるまじき・・・数々。
ネットで、トーグーご静養の警護で待たされた救急車の患者が死亡したとかいう話が流れている。
ありそうな話だ。

百歳以上の人の行方不明者多し。
かなしく、びっくりした。
明日のわが身か・・なんて思ったりもした。

それにしても暑い日々。







2010年08月04日(水) 日常

母の診断書を書いてもらうために日赤へ。
道路はふだんの交通量にもどっていた。
いつもの日、いつもの夏。
終日仕事。
本日も酷暑なりだが
でも
「いつも」が一番いいのだと思う。

日赤で見つけたアレレ・・・
コウモリ・・・雨傘立てのところにあった。
「コウモリをこの袋にいれておつかいください」
だったかな。
コウモリを捕まえていれるの大変だぜ、コウモリ傘でしょ。
と、突っ込みをつぶやいたが・・
これもいつもの私なり。



2010年08月03日(火) 母退院

今日は、塾部屋を掃除して、実家にいって母のベットの布団を干して、シーツやら諸々を換えて・・なんとカビが生えていたよ。
熱が高くて汗をかいていたから。
冷房を病院と同じ設定に入れて。
なんてことをしていたらお昼。
実家でお昼をごちになって、うちに帰って、新幹線シャワーを浴びて、きがえて病院へ。
おいと共に、母の入院道具を持ってめでたく退院となりました。
薬が6日分でているので、この間くらいはおとなしくてしていておくれ、と母へいった。
帰って、うなぎちらしと岩もずくの酢の物と牛肉サラダを作って持っていく。
母の退院祝いなり。
11時ころから母関係の洗濯を3回もして全部干してたたんで、疲れましたが。
甥と義妹が花火に行くというのでかたずけをして、帰ってきて、私も花火を見ながら、信濃川土手へずんずんと歩く。
(片道30分、往復1時間、久しぶりに歩いて気分よし)
で、フェニックをを見るのにベストの中島付近の土手へ。
みごとでした。
今日は風があって、煙もたまらずにようございました。
母は、病院の窓(長岡日赤は花火見物ベストプレース)から昨日の花火を堪能したもよう。
「退院してもいいわれたから元気が出て早くからいい席とって、イヤーよかった」
だって。
やっと、わが母じゃひとに戻った。
それにしても今日は充実しすぎた1日。
今年も花火が終わった・・
明日から、また仕事です。



2010年08月02日(月) 露天風呂で花火見物

午前は、「母用」(病院の先生の話を聞く)で終り。
お蔭様で、数値も画像もいいということで、退院することになった。
お蔭様。
しかし、まだ夜になると微熱が出るし、汗をすごくかくのだ・・それが心配。
それと、母じゃ人は何しろ畑の野菜たちが気になっている。
すぐに畑に出ようとするのをどう止めるか・・それも大問題。
午後からは、花火見物の車と交通規制で大混雑の市内をかいくぐり、ヨエル(ミエコの息子)とヨエルの彼女のヴィッキと3人で、ユトリロ展を見にいった。
ヴィッキは、ユトリロのほうは自分はよく見る景色でつまらなかったが、常設展の日本画家の方の作品は気に入ったといって、カメラで撮っていた。
まあ、わかる気もする。
彼らを送って、うちに帰って、最近こっている佐渡のセイヒョーという会社のあずきバーをなんと二本も食べて、昼寝。
7時すぎに麻生の湯へ。
露天風呂に20人ほどの人が花火見物。
はだかんぼうで花火見物もええもんじゃ。
今年の三尺玉は、風がなくて、煙がたまっていま少しだったが、フェニックスはお見事。
お風呂の人たちから自然と拍手が沸いた。
明日は風が吹いて三尺玉がきれいに見られるといいね。
長岡花火は、もともと慰霊の花火だ。
昨夜は夜10時半空襲が始まった時間に真っ白い花火が3つ上がった。
祈った。
今夜は弟のことを思い出していた。
弟があちらに逝って二度目の花火だ。
こうやって時がすぎていくのだね。



2010年08月01日(日) 3連休一日目 ウフ

やっと久々にじっくり1時間お昼寝したぞ。
今朝は、ややおそめ起き、掃除して、カレーを作って、サラダ作って、そうしたら、お客さまおいでになる。
そう、オランダはミエコさんの長男ヨエルが婚約者をつれてきたのだ。
かしこくてやさしそうな、よきおじょうさんであった。
ミエコのお姉さんのヒデコさんと4人でカレーとサラダのランチなり。
午後からは、母の洗濯物を持っていくようにセットして、掃除の続きやらランチの後かたずけやらをして1時間の昼寝。
母のところに行ってから、映画へ。
「借り暮らしのアリエッティ」を見た。
ストーリーィもさることながら、見事な映像。
日本のみどり滴るような夏が見事に描き出されていた。
毎度ながら、ジブリの職人仕事に感動。
終わったら、温泉に行こうかと思っていたのだが、外は暗いし、イッサが、玄関で外をきょろきょときょと見ながら待っているかと思うとまあ帰ろうか。
実際、きょときょと状態で待っていましたわ・・・
帰りに、イッサの好物「猫元気」が安かったので十こも買ってきた。

あと二日ある私の完全休養日。
スローガン「基本はまったり」
明日は、ユトリロ展を見て母の主治医からお話を聴いて。
また昼寝かな。
で夜は、麻生の湯、露天風呂で花火見物するかね。

さあイッサに「猫元気」をあげて、入浴剤入りのお風呂入って本でも読むか。
基分は上々。


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