世界お遍路 千夜一夜旅日記

2009年12月31日(木) 大雪ですね

このところ、天気予報はよく当たる.
よく降っている.
またまた前くらいは積もるだろう.
しかたないね.
昨夜は、下仁田ネギをたくさんいただいたので、私の留守中にイッサのようすを見に来てくださったいた人とネギ鍋宴会.
イッサは大喜びで暴れまくりだった.
地元の出雲崎や寺泊で取れたハタハタヤ皮ハギ,同じく地元の白菜や人参.
ネギはとろとろ.
それを馬路村のポン酢で食した.
おつまみ(私はスパークリングウオーター)は、母の煮た黒豆,長いもの梅酢づけ,レンコンと人参ショウガ,ひじきの炒め煮。それから,やはりネギと京ガンモ含め煮。
とまあマクロビ食でした.
デザートは,仁木さんのおみかんと、いただいた初物イチゴ。
仁木さんのおみかんは,最後の一箱を送ってくださいと、お願いしているもので甘くていい味.
みんな美味でした.
こういうのを生きている幸せというのだろう.
天地神仏永遠なる絶対者さんへ「生かしていただき、ありがとうございます」
です。

昨夜はまだ雨だったのだが、今朝から本気に降っている.

昨日に続き、少し片付けをして夕方は実家へ.
弟がいない大晦日だ.
寂しい,
これも現世修行なりとは思うけれど・・・・

みなさん,よきお年を。
来年こそ,この世に生ある人々が
「明るくすなおにあたたかく」の気持ちで暮らせる日々でありますように。




2009年12月29日(火) 梅澤先生のブログより

いいお天気だった.
しかし、午前は、給湯設備の取替えに付き合って、へとへと.
イッサは興奮して走りまわって悪さはするで.
で、午後から、昼寝.なんと3時間も。
すっかり身体が軽くなった.
今朝も軽いめまいがしていたのだが、それが取れた.

で、梅澤先生のブログ.
微量の抗がん剤治療の先生のブログだ.
「今年の言葉」に次のように書いておられた.
他界された患者さんの家族が先生に書いて見えた患者さんのことばだそうだ.

病気がわかってからの
宝物のような時間、
本当に幸せです。
心から感謝しています

先生は、涙が止まらなかったそうだ.
すごい言葉だなあ.
1度は死ぬのだ.
どうせなら、事故で、訳のわからぬままあっという間にあちら世界に移動するより、残される家族にこんなそれこそ宝のようなこと、言って逝けたらすばらしいだろうな.

先日、高松のホテルで見たテレビ NHKの番組だったけど
かつてガン死した千葉敦子さんのことをガン患者の番組でやっていた.
「残された時間でできることをリストアップすること それをやりつづけること」
生前の彼女の連載を私も時々週間朝日で読んでいたが、この言葉に沿った生き方だったなと思い出す.

「のこされた時間」ということであれば、転移ガン(あるいは多発ガン)患者の場合は、だいたい読めるが、とりあえずまだガンが見つかっていない人はまだまだ先、と思ってしまいがちだ.
しかし、終末に向かって歩いていることはガンのあるなしに関わらず同じだ.
ホテルで番組を見つつ、私は私に問いただした.

今、死んで、お前は、にっこり笑えるか。

悔い無きように生きたいと教師を辞めた.
段階1はクリアしている.
では、私は、私の「何か」・・このように生まれてきたわけ、現世の「大河の1滴」として何かをなし得たか。
答えはノウだ.

なんで私は生まれてきたのか。
何度も(交通)事故に遭いつつ、死んでない.
どうしてなのだろう。
まだ、この世でしなければならないことがあるのだろう.
それは何なのか.
「あちら」に逝けば、それがわかるのだろうが、ではわからないからといって、このまま生きていていいのか。
とりあえずは、後悔するとわかっているのだから、悪あがきでもいいから何かをすべきなんだろう.
来年は、悪あがきをする年でありたい.
さまざまやれば、生まれ出る前に私が「やる」と決めてきた何かをかするかもしれない.
このまま無為に生きて行くことが(家族のことは無関係、私の魂の問題)、苦しくてならない.
淡々と日々をセ精一杯に誠実にでいいのだろうとは思うけれど、なんだか何かをしたい.
と思う年の瀬だ.

時計が壊れた.
こちらに帰ってきて買ったソーラー時計だ.
そんなにかんたんに壊れるもん?
今までなんこ時計が壊れたかな・・動かなくなる、どうやっても.
昔だれかにいわれたなあ、あなたの体から出ている「磁界」が強いのだと.

今年に買いたいもの
腕時計
携帯ラジオ(CDプレーヤーのものを聞いているのだが、昨今雑音がひどい)
お財布(3年前に買ったものがくたびれてきている)

時計とラジオは、これからいってくるかな。
まだ、夕方5時過ぎだ.
睡眠3時間で少し充電できた.




2009年12月28日(月) 昨夜、お四国より帰宅

家に帰りついたのが、夜の10時45分過ぎ.
イッサが、階段下の巣箱?の中で待っていましたわ.
しかし、猫の複雑なとこは、犬のように相好を崩くずして喜ばないこと.
実家の楽チンだったら、もう満面の笑顔で尻尾をちぎれるほど振って喜ぶけどね.
イッサ、シレ−としているが・・・しばらくしたら、飛びつくわ、噛みつくわ、家ん中走りまわるわ.
それなりに、エサくれ人間が帰ってきたことを喜んでおった.
イッサの仲人役の知人が、土・日と様子を見に来てくれて、エサだの水だの、うんち箱掃除だのをしてくれていたので安心していたが、それでも子猫だしねえ.
今日は、元気いっぱいに家の中を走りまわって、パソコンの後ろでがりがりやりはじめたから、今追い出したところだ.

26日
姫路で破磐神社をお参りして、高松へ.
日が暮れないうちにと琴電で屋島まで行って、屋島道を登拝.
屋島寺をお参りして下山。
初遍路の時に、足が動くうちは、必ず1日でも半日でも、お四国を歩かせていただきますとお大師さんとお約束しているからね・・今年もその誓約がそれでも果たせたことに感謝
でも、屋島寺の大師堂で、今の状況では来年は申し訳ありません、わかりません、とお許しを願ってきたが、でもま、また来年があるといいなとは思う.
高松駅に戻って、駅の売店でお土産を買って送って、駅上で「しっぽくうどん」(おいしかった)を食べて瓦原町のホテルへ.
姫路で宮司さんや、Dさん、Yさんにお会いできてよかった.
Yさんと共に宮司さんとお話しているときに、やたらに弟とまりこさん(宮司さんの奥様、他界された)が頭に出てくる.
ああいる・・・
弟は、私の左斜め向かいにニヤニヤしながら、話を聞いている.
まりこさんは、宮司さんの左に座って、宮司さんを見つめている.
そんなイメージが来た.
いつも不思議なのだ・・どういう縁で弟は亡くなる前に破磐さんに参拝したのか。
これは、こちら世界の事情ではなくて、あちら世界の理由だなと思うが.
でも、最後の夫婦そろっての旅はたのしかったらしい・・それはただ、宮司さんやdさんYさん、大阪の薬膳さんに感謝だ、楽しい時間をありがとうございました。

27日
9時前、長尾駅で、たまちゃんとお父さんと再会.
いっしょにながおじをお参りして、遍路資料館へ。
お茶を戴いてお話を少し.
供養碑へ。
生きている弟と来たかった、それが無念だ.
そう、昨年、弟夫婦と、じゃ一緒に行くかといっていたのに・・・
なんでもおもいたったが吉日だ.
88番をお参りしたあとに、山川町のIさんを診療所にお見舞いに.
たまちゃんの顔を見て、手をしっかり握って喜んでおおられた.
末期ガン、原発が大腸だが、そちらはマクロビの食事療法で見えなくなったらしいが、肝臓がなんとも・・・・足のむくみすごく辛そうで痛そうで・・せめてと小1時間ほど足さすりをさせていただいた.
祈るしかない・・なあ。
14時4分山川駅発.
たまちゃんとさようなら。ありがとうございました。
阿波池田、岡山、東京と乗り継いで帰宅.
あわただしい旅だったが、すべきことは全部できた.
再会のみなさんに感謝.

山陽四国ぬくかったが、当地は本日はみぞれなり.




2009年12月25日(金) いいお天気、しかし・・・

なんとまあ、給湯関係の故障なり.
今も修理の人を待っているのだが、多分地震の後遺症だろうな・・・
洗物も冷たいし、お風呂もダメだし、困ったね。
やれやれだ。
今日はいい天気だったが、さしたることもできなくて残念。
今晩は出かける前にすることがたくさんあるぞ.



2009年12月24日(木) なんだか、1日が終わった

塾冬休みなので、いろいろやろうと思っていたものの、掃除して、宅急便をいくつかだして、大量のリンゴで、母に純正リンゴジュースをつくって持っていて、楽とイッサの友好を深めて・・・なんてやっていたらもう午後だ.
で、今朝も多少めまいがしたので、大量昼寝を決め込んだ。1時半から4時まで。
いや・・・すっきりした.
夕べも結局11時半だったしね。
夕べは、イッサが、わたしが全然かまわなかったせいだろうか、、流しに上がって大暴れ.調味料の所においていた小魚の粉末袋を振りまわしてあちこちにばら撒いていたのだ.
3階中に、魚臭がただよっていた。
で、大そうじ。
イッサ的には、「幸せな空気」かもしれないが、わたしはピキピキと切れたね.
イッサは、しかられるのわかっているらしくもう逃げる体勢。
つかまえて、頭ごつん3回、お尻ペンペンを6回.
でもま、猫は現行犯のところをしからないと効かないというし、何しろ、「猫かぶり」の猫なんで、この程度にしておいた.
イッサは、私が帰るとお迎えするし、塾の子供達のペットとして爪出したりせずにいい猫してくれるし、まあ、見ている前ではヤバイことしないし、楽とはビミョーだが喧嘩しないし.
こういう、イッサのいいところを見ることにした.
しかたない。

雨とお日様がこんにちはで、雪がとけていて嬉しい.
さらに、冬至を過ぎたら、夕方が長くなった気がして嬉しい。

これから、図書館に行って、母を温泉へと思っているけど、こんな風に暮れる1日に感謝だ.



2009年12月23日(水) 本日、朝休業

朝五時半に、この頃は、目覚ましがなる前に目が覚める.
で、なりだすと、イッサがキッチンにいれてくれと猫なで声で鳴き始めて、わたしも本格的に起きる.
ところが、今朝は起きて、いろいろと始めたもののめまいがする.
あれ・・と横になるも起き出すとやはりそうなのだ・・原因はわかる.
そう、過労、寝不足.
大たい深夜12時前後の寝ているんで、朝5時半おきのあとはお昼寝は不可欠なのだが。。。このところ、なんだか出かける用が多くて、ついしそびれて約1週間.
昔から、睡眠不足には弱かった.
12時だったらよかったのだが、何日かは1時過ぎってこともあったし。
からだの悲鳴だ.
さすがに電話して本日の業務を休んで、また寝た.
それでも、9時前には新型インフルの補講が二つもあるので起き出して仕事なり。
眠って、暖かいショウガ湯を飲んだら元気が出て仕事に支障なし。

午後からもいつものとおりに塾働き。
今日で今年はおしまいなんで、精一杯に。
今日はとりあえず、10時半には寝よう.
わたしも疲労負けする年になったんだからねえ。

で、25日深夜にこちらを出て26日早朝は破磐さん参拝.午後からは高松へ.
27日の朝(午前)には、供養碑へと思っている。
ご都合がつく方はご一緒に.
よろしくです.
来年はもはやわからないので・・・・



2009年12月22日(火) イッサは猫をかぶる

猫なんだから、イッサが猫かぶるのは当たり前、ではあるのだが。
わたしがいるときは実に「よい猫」になっている。
テーブルには足かけないし、流しにはのらないし・・・・
ところがだ、不在だとこれがしているんですな。
発覚したのは、テーブルの上にあった消しゴムがイッサのガラクタ遊び道具置き場にあったからだ。
ボタンだの、トイレットペーパーのしんだの、割りばし1本だの、洋服についていたクオリティのタグだのを彼は好む。
百円ショップで買ってきたおもちゃなんてあっという間に興味を失って一番彼が好んで遊んで長持ちしているのは、実家から持ってきたお米が入っていた厚手の透明ビニール袋だ。
飛びこんで、もぐりこみ、そこできょろきょろ何かを見ている。あるいは、そこに、わたしが飲んだ葛根湯の袋を持ちこんではみはみしている。
そうそう、この袋も彼が好むもので、わたしがのんでいると、目を輝かせてくれくれとやってくるのだ。
というわけで、消しゴムも彼はいたく気に入ったようで、わたしがいないとテーブルにのって、それを持っていく。
そしてじゃれているらしい。
いろいろなところに消しゴムが放置してある。
そのたびにしかっていたのだが、もうあきらめた。
しかっても、しかっても懲りないんだもん・・・おまけにこの頃はあまりにしかると、反抗的な目つきをするのだわ。
てなわけで、猫だもん、猫かぶるさね。
とあきらめた次第。
それにしても「猫をかぶる」は猫観察から生まれた慣用句であることが判明した。
昔の人はえらかった。

本日は雨。
雪が止まってやれやれ。



2009年12月21日(月) やはり降っている

寒波は居座っている。
今日も、時々休みながら雪は降っている。
こんな天気に、車の車検。
代車は怖いし出歩くのやめた。
だから、昨日のカーテン問題は解決せず。
今日も丸見え状態の3Fの居室だ。
ま、しかたないわ。
今日はおまけに、なんだか鬱っぽくて動くのが億劫で。
わたし、この先生きつづけていけるのかな・・なんて、思いつつごろごろしていた。
イッサはそんなわたしを眺めながらごろごろ(するんじゃなくて)と、のどを鳴らしている。
この頃、じゃれ付いて目玉ぐりぐりで興奮すると、顔を引っかこうとするから「危険な猫」になるだわ、時々。

片山右京さん、一人生き延びて、つらかろうな・・・
一人テントと二人テントは大きさが全然違う、風の受け方違う。
多分だが、登山歴の長い四十代の方が登山歴の浅い30代の人の負担軽減で、「オレが二人用のテントを担ぐから、君はただついて来れるようにがんばってくれ」とでも言ったのか。
これが生死を分けたか。
ていうか、まあ、片山さんには寿命があって、二人にはなかったということだったのだろう。
自分の責任、といっているが、彼の責任ではない。
同情する。
でも、寒波の来るのを知らなかったという発言があるそうだが、これはやばいよ。
自然からのしっぺ返し、きつかった。
大山や天川村で行方不明者が出ているようだ。
大雪山や富士山、今年はいわゆる聖なるお山での遭難事故が多いなあ、という気がする。
ちなみに、亡き弟がいつも行っていた木曽御嶽山の登拝も今年は台風で登れなかった。
お山が、自然が、創造主さま、お怒り・・ということか。
他界された方のご冥福を祈ろう。でも、この世は仮の宿り、魂の世界が本来の世界という話もある。
わたしもはやいとこ逝きたいと思う時があるなあ。






2009年12月20日(日) 朝から雪かき

昨夜来降りつづけて、今朝は車が雪にすっぽりと埋まっていました。
50センチ以上だね。
車を掘り出していたら、スコップの持ち手のプラスチックが割れた。
やれやれなり。
掘りだしと道を確保するために30分。
やっと出たら、今度は大通りに除雪車が来たばかりで、出る角が、除雪車が除けていった雪で壁ができている。
近所の人にスコップを借りて道をつけること10分。
そうしたら、すぐ近くのおうちの方(あいさつはしている・・顔見知り)が、「悪いねえ、今日はここまでてがまわらなった」と。
とんでもない。いつもありがとうございます。
それにしても、スコップを車に冬は乗せておくべし、だ。

で20キロから30キロではしって実家へ。
しかし、実家への道がふさがっている。
いつものように水は流れているのだが、雪の降り方が激しいので、とけるのが間に合わずに積もっているのだ。
しかたないので下の道の方にお願いして車を置かせてもらって宅配弁当を届けた。
時間はすでに8時近くで、弟はおきていて、もう朝ご飯も食べていたた。
おやおや、やれやれ。
戻ってたら、車を置かせていただいた方にいわれた
「イサオさんが生きていたときは、朝早くから、ここまでみんな道開けをしてくれたけどね」
そうそう・・・そういう奴でありましたわ。
涙が出そうだった。

こんなときに限ってキッチンのブラインドが壊れてはずしたのだが、もうブラインドはやめてカーテンにしようかとアテーナまで行ったのだが。
思うようなものがなかった・・・・徒労。
ニトリまで行けばよかったのだが、ニトリへ行く気力なし。
いやはや、どこもかしこも駐車場が雪に埋まっていて、あちこちがぐちゃ混みだったのだ。
やっと、夜実家でクリスマス会をするというので定番ちらし寿しの材料を買って帰宅。これも、スーパーの駐車場が雪と混雑でもう大変。
こんな日は家で猫でも抱っこしてこもっているの限ると実感した。

この数日のうちに、あちこちに雪の壁ができてしまった。
今夜もぼちぼち降っている。
明日も積もるのかな。






2009年12月19日(土) 本日も降る、降る

昨夜一晩で50センチは積もったろうか。
今日も降っている。
今日は、6:55分には外に出て車の雪を落とし、玄関までの小道を作り。
で、街中も、みな雪かき、雪出しで忙しそう。
寒気のゆるむ来週の火曜までこの調子だとずいぶんと積もる。

イッサは雪が屋根から落ちるのを見て、興奮している。
何しろ動いているし。
初めての冬だし。

ただ、11時ころ、つかの間だがお日さまが顔をのぞかせた。
嬉しかったわ。
まさに日天さま。
ああ・・なんとかこの季節を乗り越えないとなあ。



2009年12月18日(金) 大雪

夕べから降り続いている。
いっとき降りようが緩やかになったが、今はまた空からわくように降り続いている。
車が出るまで大変。
やれやれだ。
片山右京さん1時遭難。
同行者は絶望のようだ。
なんで、この寒波の時に富士山目指すかね。
自然を甘く見たのか・・・
ヒマラヤとかに登っている人達で、もちろん大雪山の遭難のようにドシロートさんではないようだが、それにしても寒波が来ているときや台風のとき、とにかく天気が変わるときは海山は避けるべし。
人間ちっこい存在なんだから。
今夜は、わたし、母を連れての麻生の湯も中止した。
道が怖いし。
早く寒波が行ってくれることを願って、ちっこくなっている今夜なり。



2009年12月17日(木) 大雪になるか

1日荒れていた。
暗くて、寒くて。
強力な、零下40度の冬将軍がおいでなさったし しかたない。
でもま、みぞれ系なので積雪にしたら10センチ弱かな。
イッサがくしゃみをしている。
カゼか?
大きくなったので、もう湯たんぽを入れてやっていないのがよくないのかな。
わたしは元気なのだが。



2009年12月16日(水) ぼたん雪

ふわふわと、うまそうな雪が降りてくる今日なり。
なんてことを書いていられるのは、降り方が穏やかというか、風流だからだろうよ。
里雪になった。
月曜の夜は、音が消えた。
そう、まさに雪の降る夜だった。
雪がおとを吸収して・・・とは言うものの、この独特の無音という「有音」が好きだ。

今朝は、2重窓のわがへやでさえ9度やっと。
まじに冬将軍到来だ。

今朝の新聞、生活保護が急激に増えているという記事。
今までだと高齢者や障害者の人が対象だったのだが、仕事を失い、すむところもない・・仕事を求めて当地に来て失業したのが偶然ここだから、ここで生活保護・・という地方に今までなかったような形での受給が多くなったという。
そして、働いてもあまりに低所得なので、保護から脱することができないとか。
読んでいて、ただため息が出た。
無策の政府・・・だよなあ。
そりゃ、総理が母親から、何億ももらっているんではこの痛みはわからんだろうよ。
沖縄基地問題、シンプルにいえば、2択だ。
1アメリカと、袂を分かつ気合ででノウという。
つまりフィリピンのように米軍を国内から退去させるくらいの勢いで。
2沖縄に土下座して謝り、米・自民党合意に従う。
しかし、沖縄には今後の保証をしっかりとして、米軍と今までのような犯罪をしない兵士教育をと、しっかりと話し合い・・・などなど。

どちらにして決断するには、痛みも恨みも買うだろう。
しかし、政治家とはそういうものだし、あちらもこちらもうまく・・なんてことはないのだ。
年内には決めないと言う鳩山さんの言葉に彼の限界がはっきりと見えた。
所詮、お坊ちゃん。
政治家的には、やはり、たとえ前政権のやったこととはいえ、政府として約束をアメリカ政府としているわけだよね。
だから私的には「約束」は約束だろう、と思う。
ソクラテスは、悪法も法なりといって、毒杯をあおったが、まさに、悪約束も約束なり。
それがひとつの「筋」ではあろう。
もしも、将来的に米軍撤退を狙うなら、それはもっと長い時間をかけて準備することであろうし。しても友好関係は維持という線でね、もちろん。同じた太平洋を望む国として、仲良くは大切だ。
何しろ、日本は食べ物の多くをあの国にたよっている。
「食」の面から見ると日本はもう独立国ではないのだ。
鳩山さん、沖縄で土下座して前政権が決めたようにやりますといえ。
社民党が離脱するのはしかたない。
そして、長期的未来的展望として、アメリカ軍の国内撤退を狙いなさい。
といいたいなあ。
こういうのやれる政治家っていないのか・・・。



2009年12月14日(月) 猫と話す日

さすがに今晩は、里雪になりそうだ。
イッサが「コタツに丸くなる」状態で、自分のイスに寝ている。
めずらしくおとなしい。
寒いからだろう。
時おり、ニャーとやってきて。
抱っこして
「イッサ、暗くて寒くて寂しいな」
尻尾を振って反応。
「でもまあ、考えてみれば、おまえは捨て猫で親どころかどこで生まれたかもわからないし、兄弟もそれぞれどこに行っちまったかもわからないし、相当寂しい身の上だねえ」
「宇宙にひとりぼっち、イッサ」
奇形の尻尾をひらひら。
そうか、そうか。
わかっているんだ、猫なりに。
寒くて暗い日は、猫とおしゃべり日和だ。

中国のナンバー2が来日するから、緊急に天皇に会わせろって?
民主党、天皇の政治利用だね。
許せない。
チベットに中国共産党軍が侵入したときにチベットとダライラマ法王(当時の)は、砂曼荼羅を描いて、礼を尽くして迎えたのに、彼らはそれを足蹴にしたと言う逸話を思い出す。
やり方、野蛮な中国だ。
オバマさんは、1ヶ月前申請というルールを守った、それを破るということはチャイナナンバー2は、オバマさん以上だってか。
今の天皇さんは、賢いからいいだろうが、次になったら夫婦そろって暗愚だから利用され尽くしてしまうだろう。
やはり、天皇制度は賞味期限切れ、ということか。




2009年12月13日(日) 早期発見で九十%が治癒?うそだね・・・

地元情報誌を見ていたら、ガン検診の奨励の広告?を見つけた。
で、それにあったのが、今日のタイトルだ。
90%治癒って。。。うそ書くなよな、と思わずつぶやいた私。
この「治癒」とはどういう設定、どういう根拠なのか。
例えば手術してから1年とか、3年とか。
基本、5年で無罪放免とはいわれているけれど、たしか、ガン患者だった人は10年?献血はできないはずだったような?
抗がん剤治療だって、3ヶ月と1日生きて3ヶ月と2日目に亡くなっても、3ヶ月以上の延命という「エビデンス」になる。
3ヶ月以上半年生きた人の数に入れられる。
数字トリックだ。

10年すぎたらとりあえずは十年前に手術したものは、芽を出してこない、もしかしたら確かにオペで取り去ってしまった、成功といえるのかも知れぬ。
しかしガンは原則「不治」だ。
何しろ、遺伝子のエラーだから。
これは究極だ。
神さまから、そろそろ「こちら」へ戻りなさい、と肩たたきされていると私は思う。
ガンとして検査に引っかかるものは、最低でも5ミリ程度はないと見えてこない。
胃のガンは切除成功転移なしと医師にいわれても、1ミリ、2ミリですでにほかの臓器への転移はあるかも知れないのだ。
自己免疫力がおちれば、それらはすぐに芽を出すだろう。
ちなみに、早期発見しても生存率は変わらないという統計結果もある。
また、抗がん剤が「進化」しようと、オペ技術が進化しようと、さまざまな治療法がでてこようと、死ぬ人もガンになる人も増えているんだから。
ガン検診のススメはいいけれど、「治癒」なんて、まやかしの言葉をつかってはならぬ、と思う。
罪作りだ。
弟もこのからくりにやられた、と私は感じている。
厳しいが、抗がん剤の限界、転移ガンは不治、などを医師が忌憚なく伝えていれば・・・と思うのだ。
死に方教育がいまやいるなあ。
生きる力があるということは、「死ぬ力」もあるのだ。

寒い、暗い、ホントに雪は来るようだ。






2009年12月12日(土) 来週は雪が来る?

来週は雪マーク続きだ。
ホントに降るのかな。
まあ、暮れの前に降らないと困る人達もいるし、スキーができる程度に降ることは大切だ。
今日は雨、あられ、北風。
暗いし寒い。
まるで夏の終りのアイスランドのような天気だ。
寂しきなり。



2009年12月11日(金) まだまだ夜は長くなる・・・・

まだ11日だ。
12月22日の冬至まで、あと11日も夜が長くなりつづけるのか。
お日さま時間が短いのって、ホントにいやだ。
今日は、母の野菜でフレッシュジュースを実家へ運びつつイッサを連れていった。
お互いに顔をつき合わせたりしているが、イッサはやはり楽がほえる(来客があるとほえる、イッサにはほえない)と怖くて逃げる。
それとイッサは、実家の居間に慣れたらしくて、母の足元に座って、きょときょとしている。
明日は忙しいので行けないが、日曜はまたいこう。
さてどうなるかね。

一応1週間に読書1冊を目指している。
今週は「リンゴが教えてくれたこと」という本。
みその農園の仁木さんがメールに書いていらしたので購入していたもの。
確か、昨今話題の書だ。
宮崎書店は平積みだった。
今年の私的感動本のベスト5に入りそう。
塾が終わって、ハーブティ(カモミール)と越後製菓の黒蜜あられの小袋1つで1時間ほどの読書が癒しだ。だいたいこうなると膝のエプロンにはイッサがやってきて居眠りをする。2キロくらいのときはよかったが、今は重く、これが困りもんだ。





2009年12月10日(木) イッサと楽のご対面

母が猫を見せろ、見せろとうるさいので、昨日、今日と、昼ごろにイッサを実家に連れていっている。
昨日は、マルチーズ楽君は、イッサをみたとたん、固まってしばらくして尻尾を丸めて2階へ退散。
さらにイッサを連れていくも、、甥のそばにくっついて震えている。
やはり・・気の小さい坊ちゃんワンコだし。
で、懲りずに今日もしばし。
なんと、今日はやはり一度退散するもまた戻ってきて、しばらくイッサを眺めていたが、おそるおそる近づいて、イッサのお尻の匂いをかぎ始めた。
イッサはいやがって、うろうろするが、反撃はしない。
楽も控えめに追かける。
イッサ、よけるために自分のキャリングケースに戻るが、それでも楽は追って行く。
イッサ、反撃せず。
時間がたつとイッサも、楽の鼻や体をくんくんし始める。
楽も反撃せず。
見ていた、義妹と母と私。
くってかかったり爪を出したりはしないねえ。
このようすだと、あと何回か合わせると、友だちになれるかもねえ。
どっちもお坊ちゃんだから、似た者同士だ。
楽はそうすると、初めてお友達ができることになるわ。
確かに、どっちも気が小さいこと丸出しの平和的な動きを見せて、似た者同士で相性はいいかも。
あしたも連れていってみるか。

今日はまさに小春日和。
いいのか、12月がこんなでと心配になる。
来週半ばは雪マークが出ているようだが。



2009年12月08日(火) 晴れだ、晴れだ

晴れるだけで喜んでしまう。
お日様を見ると、元気になる。
毎度の掃除をして、12月中にやらないといけないことを書き出してできることからやった。
めずらしくグーたらしないで勤勉だった。
年末のお四国行き、イッサのようすを見に来てくれる人(家族ではない)ができそうなんで、行けそうな気配になってきた。
家族にはまだイッサは見せていない。
犬との相性が心配だし、びっくりして逃亡すると帰ってこないだろうし、連れていってない。
業務のみ遂行。
まあ、実家と私の距離はこんなもんだ、実際。
末弟がいるから、私はここに存在する、というのがリアルな実感。
とにもかくにも「ようすを見に行きましょうか」の彼女、今週末来訪なので相談。
餌と水たくさん、で置いて出るのはいいのだが、何しろ子猫なんでぐれたら心配あのです。(笑)





2009年12月07日(月) 寒い、暗い

昨朝、今朝と、あまりに暗くて目が覚めず。
イッサが鳴くので、あれ5時40分過ぎたと気がつく次第。
イッサは、閉めてあるキッチンの戸の外で多分5時前から辛抱強く私が起きるのを待っている。
その待ち方が、前足がふみふみしていて、それは子猫が母猫のおっぱいを飲むときのしぐさで、気分は母猫を待っている感じなのか・・・。
しかし、5時半すぎると待ちきれないのか鳴き出す。
かわいそうなんで、キッチンの中にイッサハウスをいれてしまおうか、とくらっとするのだが、いや、猫は「原理主義」で接しないと、と心を鬼にする。
2階は入れないようにしていたのに最近は「教材」になるので、来る。で、自分もいいと思って私が外出する時についてきて、一緒に出ようとする。
しかし「イッサはダメ、お留守番!」と叫ぶとあわてて帰っていく。
今朝はそんなわけで暗い上に玄関にかけておいたクリスマスリースが風で飛んでいてなくなっていた。探しに行ったら見つかったが。
強風、霙、氷雨。
しかし里雪には、まだならない。
昨夜は夜中3時くらいだろうか、電話が1回なって切れた。
ン?今ごろだれ?とおもったとたんに切れた。
???最近、弟にいろいろと相談をかけているから、「あちらからの電話?」なんて思ってしまったのだが。
なんだったんでしょうね。
気分が沈んで仕方ないが、カッコン湯でしのいでいる。




2009年12月05日(土) 予定が狂い・・・

市内の新型インフルが鎮静化した(今現在)と思ったら、周辺部に広がったのか、遠くから通ってきてくださっているお子さんが2人も休み.
予定が狂った・・・というか、補講をどこでするかで頭が痛い。
午後から天気崩れるという話だったらが、今のところは雨も雪も降らずうす曇り。
さて、早く終わった分、コーヒーでも飲んでまったりしてから掃除でもしよう。



2009年12月04日(金) あいたくて  工藤直子さん

子どもにやらせる問題をいろいろと見ていたら、工藤直子さんの詩「あいたくて」に出会った。
・・・・・・・・・・
あいたくて 工藤直子

だれかに あいたくて
なにかに あいたくて
うまれてきたー
そんな気がするのだけれど

それが だれなのか なになのか
あえるのは いつなのかー
おつかいの とちゅうで 
迷ってしまった子どもみたい
とほうに くれている

それでも 手のなかに
みえないことづけを
にぎりしめているような気がするから
それを手わたさなくちゃ
だから

あいたくて

・・・・・・・・・・・・・・・

読んでいたら、涙が出てきた。
人間は、かなしい動物だ。

NHKドキュメント 立花隆 ガン 生と死の謎に挑む
再放送 12月13日(日)午後4時45分から5時58分まで
みなさんご覧下さい。
「ガンの何たるか」がわかります。
ガンになったら、要するに、「そろそろ不自由な肉体から抜けてで、魂よ、還っておいで」と大いなる存在から肩たたきされていると考えたほうがいいようなのだ.
この前、立ち読みした雑誌に、佐野洋子さん(詩人)ベストセラーの「百万回生きた猫」の作者。
彼女が癌で、余命2年と宣告されて、なんにも治療しないで生きるという選択をしたと本人の語りで書いてあった.
これまた、立花隆さんと同じ。
なるほどな・・とうなずいた私であった。

本日も意外といい天気.
末弟の定期診察2つ.
帰りがけに本屋に寄ったり、コメリで買い物をしたりしていたら、帰宅昼過ぎ.ご飯を食べて1時間の昼寝.
ざっと掃除をして(イッサの毛が抜けるから毎日の掃き掃除が欠かせぬ)
新型インフルの補講をしていたらもう夕方だ.
平穏なる夕べなり。





2009年12月03日(木) 従姉来訪

昨夜思いがけず、母方の従姉からの電話「明日、いっていいかね?」
「いいよ、猫、大きくなったよ」
近所の高級パン屋さんのパンをたくさん持ってきてくれた。
どうしているか気になって、と。
ありがとう。
室内犬を2匹も飼っている動物好きで、イッサもそれを察知したらしく背中に乗って髪の毛をはみはみしたり、足にじゃれたり。
かわいいねえ、とほめてもらっていた。
1時間あまりで帰って行ったが、またゆっくり話したい。

イッサ、人が好きな猫でよかったわ。
塾の子どもに抱かれてもいやがらない、猫のことわざの「教材」にもできる。
今日のイルカ2の子ども達3人に、「ぼく達はいつ猫の勉強できるのと、いわれた。
来週、イッサの準備しときます・・・(笑)

今日は雨.
朝方、雪になるかもしれない。



2009年12月02日(水) 本日も晴天なり

またしても、雪国には似つかわしくない晴天なり。
ありがたいのだが、やはり不気味。
朝起こし業務に続いて、午前、末弟の泌尿器科診察。
通所施設におくって、帰りに実家のワンコの餌とイッサの猫砂をムサシで買って、実家に届けて戻ったら昼だ.
やれやれ、こうやって1日がすぎていくんだわ。
イッサの体重3.3キロ.
ほとんど、成猫の重さだ。
賢くもなった。
今日は棚の上に乗って窓辺にあった写真立てを落として、ヤバイと思ったらしくて、速攻自分のハウスに入って謹慎状態。
お仕置きにいった私の顔を申し訳なさそうに見ている.
こうなると、わざとじゃないんだから・・・と、若干頭コツンでおわりとなる。
イッサだけは慰めだな・・・
★最近のなんちゃってマクロビのご紹介
*カリフラワーと赤かぶの甘酢漬け
カリフラワーをゆでる。
赤かぶを刻んで、塩もみ.
酢と、塩砂糖と醤油、すべて少々を入れて火にかける.
ひとふきしたら、とめて冷やす.
そこに、カリフラワーと赤かぶを漬ける.
1晩でおいしくなる.
赤かぶの色で、見た目もきれいだ.
ちなみに本気マクロビは、砂糖をつかってはいけない.





2009年12月01日(火) またか、米軍

怒!
東京都武蔵村山市で8月、路上に張られたロープでバイクを運転していた女性が重傷を負った事件で、殺人未遂容疑で逮捕状が出た米軍横田基地所属の米兵の子供2人について、米軍側から身柄が引き渡されていないことが1日、捜査関係者への取材で分かった。
 2人は基地内に居住する少年。日米地位協定では、米軍施設や敷地内で逮捕や家宅捜索をする場合、米軍側の許可が必要なため、警視庁組織犯罪対策2課は引き渡しを要請していたが、逮捕状の期限の1日になっても実現していないという。
 同課は逮捕状を更新し、引き続き身柄引き渡しを求める方針だ。 
(ヤフーニュースより)
またか、まったく。
日本はアメリカの属国か。
沖縄の怒りと同じだ。
沖縄でも、米兵が、男性をはねて逃げて、なかなか出頭せずがあったばかり。
フィリピンのように、米軍に出ていってもらいたいと素朴に思うのは私ばかりではあるまい。
カッカしているもへじなり。

とんでもなくいい天気だ。
12月1日なのに。
お日さま大好き人間としては嬉しいけれど、不気味な気持ち。
今朝は末弟起こし業務の前に、お稲荷さんに手作りの赤い防寒カバーと新調した笠を奉納。
毎年のことだが、今年もさせていただいてありがたし。
弟がいなくなってもこういうことは淡々と続けていきたい、できる限り。
一昨年、ベトナム製の笠を奉納したら1年持たずに壊れたので、昨年末はニッポン製。
持ったね、壊れずに。
ただし、1つはつい先日の強風で飛んでしまったのだが。
だから、今年は早めに奉納したわけです。
それにしても、昨年はたしか日本製の笠、1700円くらいだったはず。今年は2100円もしたよ。どういう理由で、一気に400円も上がるのか、コメリに質問したかった私だ。


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