世界お遍路 千夜一夜旅日記

2009年11月30日(月) 立花隆氏の最終講義

昨日の新聞記事だ。
自分の余命を考えるとやりのこしたことをやりたいということで,東大での講義はこれで終りなのだという。

立花隆さんは、多発性の膀胱ガン。幸い湿潤(ガン細胞が、膀胱の壁に浸透して転移する)はなかったものの、多発性は80パーセント以上が再発転移する。
一昨年、手術をした彼はガンとは何か、という謎を追及する。
その間に筑紫さんや物理学者の戸板さんといった信頼できる友人をやはりガンで亡くした。
(NHKスペシャルでは、筑紫さんの訃報を知って、彼は泣いていた・・・立花隆の涙か・・と思わず独り言を言った私)
で、彼がガンについての最新の知見を求めた結果
「自分が生きている間にガンの治療薬はできそうもない」
「抗がん剤は、ガン幹細胞を殺さない、最終的に強化してしまう」
「マクロファージは今までガン細胞を食べる、という定説があった。これ、まちがい。マクロファージは死んだガン細胞は食べるが、むしろガンの転移を助けている、しかし、これはマクロファージの正しい働きである」
「ガンは、人類が生き残りのために選択してきた進化の結果生まれた細胞の暴走だ、だから、これを殺そうとすると、自分自身の死を招くことになる」
等などが明らかになった。
彼が最後に訪ねたのが「野の花診療所」
ベッド19床の緩和ケアをする診療所である。
ここで、徳永医師の取材を通じて「人間は誰でも死ぬ力を持っているということだ」
そういう単純なことに気づき。
最新の研究結果を踏まえての結論としてあまりに単純ではあるけれど、正しいと思う。
だって,死ぬ力がないと,生まれてくる力もないってことだもの。
そして
「死ぬまでしっかり生きることが大切なのではないか。がんとは生命がはらんでいる、一つの避けられない運命だ。がんとどこかで折り合いをつけなければならない。僕の場合、QOLを下げずにしっかり生きることだ」という終り。
そして、彼はいった「だから僕は、抗がん剤はしない」
で、部屋の天井見上げて弟にいってやった。
「イサオ、見ているか、ほら、姉のいうことを聞いてくれたら。抗がん剤を死ぬまでやらなかったら、ガンが大きくならないように仲良くしてくれたら・・残念だ」
私が土下座しても、抗がん剤を止めなかった。
(医者は、抗がん剤はそう延命しないとわかっていたはずだけど・・それしか手段がないし、まあ抗がん剤は儲かるし,副院長だった主治医は病院経済学も当然頭にあったはず。大赤字病院だしね)
ガンと仲良くしていきることを考えようというと、チョー不機嫌になった弟。
テレビの立花さんに言った。
「立花さん、一年早くやってほしかった。弟に見てほしかった」

またゆっくりとくわしく番組については書きたい。
ただ,新聞で立花さんの記事目にしてつい書いてしまい。
NHKスペシャル,本になってほしい。
立花さんにメールしようかな。




2009年11月29日(日) アサガオが葉牡丹へ

午前はよい天気。
さすがに朝顔はもう咲かないみたいだから(つぼみはある)葉牡丹に植え替えた。
タイヤもスタッドレスへ。
弟がいたときは彼がしてくれていたのだが、甥はオレがするともいわないし、してともいいたくもないので、スタンドへ。
一時間ほど待たされて完了。
2400円なり。
はずすときは、弟が「姉貴のタイヤをはずしてない」と気にしつつ、入院してしまったのでやはりスタンドへ、たしか2000円だった。
つけるときのほうが高いんだね。

で神社カフェ、明日で今年の営業が終わるので末弟を連れていってきた。
冬支度完了なり。
寂びしやな。



2009年11月28日(土) タミフル耐性

新聞に、新潟の病院に入院している子どもからタミフル耐性菌が見つかったと出ていた。
来たかって感じだ。
こうなっていくると、いやはや自分の免疫力を最強にしておくのが大事なんだろう。
中村天風さんの言葉に「治らぬ病気は一生に一度」というのがあるらしい。
天寿が来たときに病はどんな名医であろうとなおせないということ。
これ、名医であるほど、深く理解されているらしい。
同じことをしても助かる患者と亡くなる患者と。
免疫力もあろうが、まあ、天寿であろうと。
新型インフルで亡くなる方もそういうことかな。
ちなみに、耐性菌が見つかったお子さんたちは回復したらしい。

イッサ、めきめきでっかくなっている。
先日3キロだったのに、もう300グラム増えているもん。
唖然・・・
多分、10キロ近くなるんだろうな。
いちおう「がんがん食べてトラになれ」と話しかけてはいるが。
この頃は、階段の下で「イッサ!」と呼ぶとニャオンと鳴いてすっ飛んでくる。
まるで犬のような・・・・ヌコじゃありま変。(ネコじゃありません・・ふつうのいいかた)もしかしてイッサの前世は犬か?
ただし、3階でいっしょにいるときは、いやだと呼ばれても無視してしらんぷりをしているが。やっぱりネコだ・・・ね。

今日は午後になって晴れた。
でも寒い。
日暮れが早くて寂しすぎる。



2009年11月27日(金) 小春日和

朝から、穏やかなお日和だ。
この時期、こんなによいお天気でいいのかという感じ。
そのお日さまを浴びながら喪中ハガキを書いた。
やっと投函してきた。
ずっと書きたくないと・・・。
要するに、まだ弟の他界と正面切って向かいあえない自分がいる。
しかしまあ、それでは世間は通らないし、注文したハガキの日付は11月だし。
出して大げさだが、肩の荷が少し下りた。

朝顔はさすがに咲かなくなった。
つぼみはまだあるので、見守ってはいるのだが、もう開かないだろう。
22日にさいたのが最後になる。
なんだかこれも寂しい。

NHKスペシャルのこと、前世を記憶する子ども達の本のこと、書きたいことはたくさんあるのに、なかなかまとまった時間が取れぬ。

年末恒例、四国行き、今年はどうしようか。
末弟起こし業務があるし、イッサはいるし。
イッサはネコ師匠いわく、水とご飯さえあれば、数日「一人ぼっち」でもいいらいい。しかし、子猫だしねえ。寂しがるだろうなあ・・・
末弟も、わたしがいないときに素直に他の家族のいうことに従うか?
いやはや。
それにしても、四国遍路4巡、観音巡礼、世界一人旅・・・わたしは「いい夢」をたくさん見たと思う。
そのチャンスをもらったことに感謝したい。
もう地元引きこもり人間だ。
こうなるので、あれだけいい夢を見させてもらったのだろうと思っている。
さて、年末どうするかなあ。



2009年11月26日(木) イッサ、ワクチン接種2回目

はやいもんだ、11月5日に1回目。
今度2回目。
イッサは外猫じゃないんで、無理にしなくともよかったみたい、というのがわかったのはしてからだけど、まあ・・・2回目しないと効果がないみたいだし。
いつもは、末弟朝起こし業務から帰ると、コーヒー飲んで新聞読んで四十分はくつろいでしまうのだが、今日は20分で、さっとそうじやかたずけで、十時半の予約滑り込みだ。
例のごとく、大騒ぎ。
注射針が刺さったとたんに、ぎゃっとすごい声。
先生いわく、
「3キロか、おうでっかくなったねえ、猫は、たくさん食べてよく遊んで元気にでっかくなるのがいちばん」
確かにでっかくなったよな、で、あとどのくらい?きいたら、まあ最低でもこの倍にはなるでしょう。
エー、6キロ。
しゃがんで猫トイレをのぞいて始末をしていると、背中に乗ってきて、上からのぞきこんでいる。
今でも十分に重い。6キロなんてやばいよ。
先回は死んだようになって動かなかったけど、今回は餌は食べている、だるそうだが。
かわいそうなんで、好物のゼリー状の「ネコ元気」をたっぷり餌に混ぜてやった。
お次は去勢だ。
1月に入ったら、先生に相談してさっさとやってしまおうと思っている。
マーキングを始めたら大変そうだし。

オランダはアムステルダムのミエコさんからメール。
すごいことを教えてもらった。
「イッサ」というのは、アラブ語で「イエス」という意味なんだそうな。
ヒエー、だった。
やたらに「イッサ、悪いことしたな!」なんて叱っていたら、罰当たりそうだわ・・・でもま、していまするが。
イッサ・・・救い主・・なんでしょうかね・・・
確かに、イッサがおかしなものにじゃれついていたり、バカなことしていると笑っている「わたし」がいるよねえ。
救い主かも知れぬ。
永遠なる絶対者である神様がお与え下さった小さな生き物なのかねえ、イッサ。
インターネットに「イッサ」で入れてみたら、ジブチに「イッサ族」という部族(民族)がいるらしい。
なあるほど。



2009年11月25日(水) 結局ママンのお金

鳩山総理の政治資金の提供者は、つまりは、ママンだった。
1億8千万とか9億とか。
母の愛すごし、しかしな・・・
これって・・情けなさすぎ。
贈収賄の類ではなさそうで、そういう意味では確かに、きな臭くはなさそうだけどね。
ママンのお金に頼って、つまりすねかじりの総理大臣。
いいのかニッポンのアタマがこれで、と思う。
ヤバイよ。
鳩山さん、妻の影響もすごいし、ママンの影響もすごい。
管さんも妻の影響すごい。
小沢さんは、お母さんの影響大だって何かで読んだ。
やれやれ。

仕分けで、ノーベル賞受賞者の野依さんが批判したそうな。
投資と効果は違うって。
正しい、とは思う、理論的には。

なんともいやはやの政治だなあ。
軽い、軽すぎるなあと思う。

ホントは、先日のNHKスペシャルのことを書きたかったのだが、また時間があるときにゆっくりと。
明日・・無理かな。



2009年11月23日(月) 日暮れ、ますますはやくなり・・・・

4時をすぎると暗い。
寂しいわねえ・・お日さんが出る時間が短いと。
朝顔、今朝は咲かなかった。
まだつぼみはあるのだが、さすがに力尽きたか。

昨夜は、姪が赤ん坊を連れて25日に婚家に帰るのでギョーザパーティ。
2時間近くかけて90個作った。
甥がケーキを手配し。
婚家にはお舅さんご夫婦に義妹、おじいちゃん・・実家でしていたようにのびのび、子どもにだけかまけていればいい生活とはならないだろう。
でもって甥いわく「がんばれ」だなだって、確かに。
帰ってしまうと、おもしろくなってきた赤ちゃんもいなくなって、実家はますます寂しくなるねえ。
やれやれだ。
姪が戻る日は、弟の命日だ。
母いわく「イサオが送っていくんだなあ」
そうかも知れぬ。
いつぞやの夢で「オレ、戻ってきたや」といっていたのは、ホントに見えないけれど戻ってきているんだろう。
わたしが「親を残して死ぬなんてするなよ」とか「あの奥さん置いていってはいけない」とか病院でしょっちゅういっていたので、「任務果しに戻ってきた、だから大丈夫だってことなんじゃないだろか。
きっと、「修行」はとりあえず終えたんじゃなかろうか。
なんて考えている今日この頃。

イッサ、今日も悪さ。
ワゴンに乗っていたものをひっくり返した。
その音で行ってみれば、ヤバイと思ったらしくトイレ部屋の隅っこに隠れている。
またまたこっぴどくしかった。
先日叱られたときも、悪そうな顔をして小さくなっているので「やった」というのが一目瞭然。
したたかネコではないイッサ。
かわゆいけれど、オバカだね。
カリカリを2種類まぜて食べさせているのだが、1つ種類を変えたら、味が変わったらしくほとんどご飯も食べぬ。
叱られてすねているのか・・いや猫はそんなことしないよねえ。
まあネコ師匠いわく、大丈夫ですよ、そのうちに食べます、ネコは2日くらい食べなくても平気ですから。
だって。ま、いいか。

今日は塾あり。
これからがんばりまする。



2009年11月21日(土) またまた、アサガオ2個

まださいている。
今朝、びっくり。
えらいわ。

昨夕、イッサ、わたしが不在の間に大暴れだ。
のってはいけない棚にのって小女子を食べて、水で柔らかくした餌(かりかりに混ぜてやっている、チビなんで)を力いっぱい食べて、流しの石鹸を落下させタオルを引っ張りおろし。
キッチンに昨日は日が当たっていたので、ネコは日に当たらないと骨が弱くなるというので、戸を閉めないで出たのだけれど・・・
で、今日は今日とて、入ってはいけないと教えてある本と本の間に入って、すべてを崩していたし。
大人街道まっしぐらはいいけれど、叱られる回数も増えていく。
で、今日なんて、昨日今日と叱られているので、お腹がすくと猫なで声で来るが、それ以外は様子見をしている。
ねこ、賢し。

顔の右の三叉神経がはれている。
一気に寒くなる、疲れ等などで起きるのだが。
新型インフルに移行しないように気をつけねば。
免疫力は、5月25日以来とても落ちていると思うので、いままでのように「免疫力が強いわたし」というわけにはいかない。
今日は寒い。
時折、みぞれ、あられがくる。



2009年11月20日(金) 朝顔、今日も2つ

この寒さなのに、朝顔は今朝も二つ半開きだった。
全部開くだけの力はないのか・・と哀れを感じたが、それでも「花」なんだから、まだ「つぼみ」なんだから開くという花の命の意志を感じて、しばし見入ってしまった。
えらい。
アサガオの花をもって、弟がオレはこうやって生きて死んだ、最後まで生きることにしがみついたんだ、といっているような気がしてならない。

体調よくなし。
睡眠不足。
一昨日は1時少し前、昨日は12時。
でもまあ、昨夜は塾終了後、イッサを抱いて本を読みつつ居眠りをして12時になったのだが。
こんばんは、大量に寝よう。
イッサ、夜は、私がやれやれと思ってイスにすわると、必ず膝にのってくる。
動物ってわかっているなあ、と思う。忙しくしているときは、隣のイッサのいすでじいと見ている。
なおネコも歯が生え変わるのだそうな。
本日、ネコ師匠のOさんが電話下さった。
だから、抜けた歯は乳歯というわけ。
いよいよ、イッサ、大人街道まっしぐら。

今日は、日没前に夕焼けになった。
で、少し離れたところに、彩雲というか、にじ色の短い橋がかかっていた。
嬉しくなった。



2009年11月19日(木) イッサの歯がとれた!

昨夜のこと。
プラスチックのなみなみ模様のボールの中にすずが入っているおもちゃでイッサと遊んでいたら、そのなみなみにイッサの歯がひっかかった。いと簡単にイッサの歯が1本抜けてしまった。
イッサ、突然もがく、なんだと思ってみたら、ボールのなみなみちっこい歯がかかっているではないか。
あいた!
イッサ、口血だらけ。
テッシュを噛ませておいたら、止まって、さてどうする。
ネコの歯医者ってきいたことないが?
しばらくようすを見ていた。
でもなんと、イッサは、ご飯を食べている!
平気な顔して。
おいおいだいじょぶか?
お互いにちょこっと調子に乗りすぎたわ。
イッサの歯、ちっこいはかなげな歯だ。
なんだか、愛しくなった。
改めてでっかくなったが、まだチビネコなんだ、と確認した次第。
で本日。
何事もなくご飯を食べている。
さすがに、昨日痛い目にあったボールにはじゃれ付かないが。
26日に、クリニックにまた行くので、先生に歯を持っていってきこうと。
とりあえず、今のところ歯があったときと変わりなし。
いいのかな・・・・やや心配なり。
今日はご飯、スープ仕立てのやや豪華なものをいつものカリカリに沢山かけてやった。

今日も朝顔が1つ咲いた。
まだつぼみあり。
山は真っ白。
咲く気か?
今、氷雨が降っている。



2009年11月18日(水) 本日みぞれ

コメリまで灯油とイッサのネコ砂と餌を買いに出たら、車のフロントガラスに、みぞれが打ちつける。
寒くて暗い日。
なるほど、弟が昨日「スノータイヤ」のメッセージを送って来たわけだ。
半信半疑だったけど、みぞれを見て、メッセージだったと確信。
だいたい11月の中旬をすぎると「姉ちゃん、いつ、タイヤ変える?」っていっていたんだよねえ。
あっちの世界にいっても姉ちゃん・・・って、心配しているわ、と涙が出て仕方なかった。
私、末弟の「業務」がなかったら、まるで湖の底に沈んだように生きているだろうなと思う。

朝顔は、このお天気なのに、まだ咲いているぞ、3こ。
朝顔の命と意地を見る。
葉は枯れ果ててているのに、すごすぎる。
弟の最期の命の姿を見せられている気がして、始末できない。
みっともないけれど、咲きつづける限り、あのままにしておこう。
まだ、つぼみがいくつかついている。







2009年11月17日(火) 本格マクロビオテックランチ

高校時代からの友人のたみちゃんが、玄米って?マクロビって?というので、彼女が休みである本日(だんなさんが出張でいない)にご招待。
なんちゃって・・・ではなくて本格的である。
メニューなり。
*玄米お握り・・・黒すりごまとゆかり入りの俵型5個
*メイン・・・車麩のステーキ
車麩を薄味で煮て置く。それに、全粒粉の小麦粉をつけてごま油で焼く。
エノキと菊の花を入れてしょうゆ味でとろみをつけたソースをつける。
*付け合せ 塩ゆで人参とホウレン草に、練りごまとみそ、砂糖少々で練り合わせたソースをかける。
*さらもう一皿
レンコンと長いもの梅酢漬け 
たまねぎとショウガとエノキのカレー粉炒め
お味噌汁は、薬膳さんのみそを利用したショウガ味噌汁、ワカメとトーフ入り。
デザートは、紅屋重正(当地の和菓子の老舗)の「悠久の月」と焙じ茶。

車麩ステーキ以外は、私が日頃から食べているものばかりだ。
たみちゃんは、おいしかった、お腹はいっぱいだけどぎっつりしない、・いい感じという感想。
イッサも、かわいいといってくれ、まあよき午後でありました。
イッサは妙になついて、彼女によじ登って、髪の毛をはみはみしておりましただ。

暗くて寒い日、しかしまだ朝顔はさいている。
きょう運転していたら、弟の顔が浮かんできて「スノータイヤ、スノータイヤ」という言葉がわいてきた。
そう、今ごろ、弟は心配してくれていたよ・・・
あちらでも、同じことを心配してくれているのだろうか。



2009年11月16日(月) めっきり寒くなり

寒くて暗い朝だった。
昨夜は大荒れ。まるで冷たい台風が荒れ狂っているようなお天気。
イッサは怖かったらしく、トイレに起きたときに見たら「イッサハウス」で寝ないで、階段下のいつも私を待っている本の上のタオルで寝ていた。
で、今朝はブラッシングの後にやけに調子のりをしていてテーブルの上に乗った!
だいたい、イッサは調子こいていると、頭ごつん級をやらかすネコだ。
来て以来4.5回はしかられている。(後半は目玉ぐりぐりの興奮状態のときだった)
最近はしなくなったと思っていたのに、やってくれたね。
何度いったらわかるんだイッサという怒声と共に、頭ごつん6連発(いつもの倍)。さらに、その後はハウスに投げ込んでキッチンへの戸を閉めておいた。
四十分は死んだふりしていたね。
ま、ネコのあつかましいところは、1時間もすると擦り寄ってくるところだ。
それもごろごろとかいって。
ネコって、学習の定着が悪いみたい。

朝顔、こんなお天気でこんな時期なのにまだ咲いている。
えらいもんだ。



2009年11月15日(日) 蒸気機関車の音

昨日だったか、ポーという蒸気機関車の音が響いてきて、あれ耳の錯覚か、と。
でも無性に懐かしいというか、過去へ音に乗ってタイムスリップしそう・・・弟が生きていた頃に戻れれば・・と想っていた。
しかし、新聞によると錯覚ではなくて、ホントに信越線で走っていたみたいで、満員盛況の人気だったらしい。
今日も夕方聞こえた。
ボーという音に耳傾けるうちに、なんだか涙が出た。
父母が若くて、私や弟が小さくて。
夏になると、ボーという音がする蒸気機関車に乗って海に連れていってもらった。
トンネルに入るときは窓をあけておくと、すすがはいってきて顔が真っ黒になるから父がおおあわてでしめた。
今のようになんでもある、どこでも行けるといった「ぜいたく」はとんでもなくて、ささやかな、でも、かけがえのない「晴れの日」だった。
つくづくと人生は一瞬、二度と戻らないと思う。
生きている空しさ、悲しさ。
ああ、人間やっているのってつらいわ。

今日はすごい風。
晴れているのだが、まるで台風だ。
午前、新型インフルで休んでいた個人指導の子の補講を1つやって、ネコと遊んで、弟とチビ犬を神社カフェに連れていく。
宮路様は、杉の枝や葉っぱを敷き詰めたよう。
お掃除が大変だ。
さすがにお参りの方はほかにいなくて。
コーヒーを飲んで、名物のニシン煮を買ってきた。
もう今年は行けないだろうし、宮路様のお店の方(奥さん)も「11月の末で閉めますから、来年の4月からまた始めますね」って声をかけて下さった。
こうやって、1年前と同じような時間がすぎていく。
でも帰っても「おう、お帰り、ありがとうな(末弟やチビ犬を連れて行くのでその感謝?)」という弟はいない。
寂しいわ。
年賀欠礼のはがきを自分で印刷するのはつらい。
頼まねば。





2009年11月13日(金) 小春日和

こんなよい天気はもうしばらくないかもという感じの気持ちよさ。
たみちゃんと、えぐち団子本店へランチにいってきた。
古民家を移築した里山の中にあるお店。
周囲は紅葉していてやわらかに日差しが気持ちいい。
前菜に、切干大根と、お芋の柚子煮、丸こんにゃくの田楽がそれぞれ少々ついて。メインは、長岡名物の醤油おこわ、のっぺ、今旬のかきのもとを長芋を芯にして大根で包んだ少しこった1皿と白菜のお漬物。デザートはだんご。
地産地消のお手本のような献立。900円なり。
のんびり話して帰ってきた。
実家家族には、えぐち団子の売りである団子を買ってきた。
今年は丘陵公園に行こう、と2人していい続けていたのだが・・多分もうじき冬ざれるし、無理だね。
昨日、愛媛は松山の友人より
「○○さん(もへじの名前)が結婚することにしたという夢を見ましたよ。年下の小柄なはにかみ屋さんを紹介してくれました。夢とは奇なり。」
というそれこそ、奇妙なメールが来た。
でもって、私の返り事(返信メール)は次のようなり。
「びくり、びっくりだ、すごい夢を見たね。9月20日に、2ヶ月ほどになる
捨て子猫が来ました。茶トラのオス。そいつは、結構お利口で、こっぴどくしかられると間違いは繰り返さないチビでおとなしめ系。そいつが化け猫化してあなたの夢を訪問したのかな。(以下略)」
あのチビネコは、人の夢にまで出張るのか?
最近は、出かけてくるから留守番頼む、というと、えさ食べながらチロと私を見る。ないしは、察知してバババっと走って階段下で「オレも連れていけ」という気配で待つ。
ダメ、と拾い上げて階段に投げ上げると、「フニャン」という感じの声を出して、じっとと見つめる。
かなり、自己主張が出てきた気がする。
もう、赤ちゃんネコでないことは確かだ。

午後からはあたたかい日差しを感じながら恒例のお昼寝を2時間もした。
やることもそれなりにあるのにもったない時間かな、とも思ったが、日々の睡眠不足が解消された気がする、すっきりした。



2009年11月12日(木) 猫の雑学

クジラ3というクラスのお子様2人にイッサを見せたら、俄然張り切って猫の説明文を書く!というので、昨日は資料集めをした。
で、おもしろいことがいろいろとわかった。
まず、猫の起源は、リビアヤマネコだっていうのは知っていたけど、最近世界中のイエネコの1000匹ほどを調べて(遺伝子)改めて、それが正しいということが証明されたのだそうな。
農耕が始まり、ネズミを捕食する益獣として人間の前に現れて・・・とうのが彼らがイエネコ化していく初め。
で、ネコのお墓は、キプロス(ダスカロスさまの)にある9500年前のものが最古らしい。
エジプトでは3000年前にはすでにペットとして人間の身近にいて、もちろんミイラもある。(カイロの考古学博物館で沢山見た)
それから、ホンマかいなと思ったのは、ネコの目を忍者が時計代わりに利用していたということ。
猫の目のように変わる・・・というけれど、昼に近づくに連れて細くなる目(瞳孔)、真夜中になるにつれて広がる目。ということで、この目の動きを時計としてって・・みなさんこれ、ホントだと思いますか?
あとネコは時速70キロで走ることができる、しかし耐久力はないとか。
これはホントだと思う。イッサ時々、廊下からキッチンの壁まで、すさまじいスピードで走って、止まりきれずに壁に頭ぶつけているし。(けっこうトロイ)
悪いことをした時の逃げ足もすごいし。
日本には、平安時代に渡来したらしい。
てなわけで、ことわざの類も調べたが、今や使われないものも含めてすごい数がある。
まあ、ネコも人間を観察して、いかに人間のそばで生き延びるかを考えたのであろうが、人間も,身近になった彼らを思いっきり観察してさまざまな言葉をひねったわけだ。

ところで、麻生湯にチビねこが1匹いるのだ。
もちろん捨て猫。
従業員の方々に情けをかけていただいて生き延びている模様。
イッサが来る前だったら、飼ってあげられたのにと眺めている。

今日はいい天気で、やれやれ。
お日さまがないと生きられない。
朝顔はまださいている。
最期の華やぎ。



2009年11月11日(水) 陰鬱な日

雨。
暗い。
心、ダメダメ状態。
決して弟が生きていた1年前には戻れないなあ・・・・
1年前、まだ彼は生きていて、ガン告知もされていなくて。
そんなことを思うと、涙が出る。

そうでなくとも、こういう日は昔からダメだったのに。
でもま、日天さまは、見えなくても出ていらっしゃる。
心のうちに太陽を。
明日は晴れてほしいなあ。

鳥取の女子大生殺人、どんな奴がやったのだ?
なんであんなふうに切り刻まれないといけなかったのだ?
19歳の小娘にそこまでするような理由があるのか?
あれでは親御さんは、生きていけないだろう。
新聞で経過を読むたびにつらい。





2009年11月10日(火) マザーテレサの真実

またまた、仕事もせずに午前は本とネコを相手にぼやぼや。
本は、マザーテレサの真実。
ダージリンに行く途中に受けた啓示でマザーは、インドのスラムへ身を投じたというのは知ってはいた。
その啓示とは、「我、渇く」
イエスの最期の言葉。
インドの貧しい人達にイエスの渇きを見た、あるいは見る・・・だから「神の愛の宣教者会」を創設した。
聖書をよく知らないと、この言葉の解釈というか捉え方は難しいようだが・・しかし、何よりマザーは祈り(瞑想といいってもいいか)のうちに、ほとんど生身のイエスからの言葉として、圧倒的な体験をした。
それが彼女の人生を導いた。
それをマザーは彼女の内輪の人達(シスターやブラザー)ヘ向けた遺書の中に書いている。
キリスト者ではない私には、もう一度読み返さないとなかなかにすっと入ってこないのでまた今夜読み返すつもりだが・・・。
彼女は、なにかあると、祈りのうちでマリア様に相談していたらしい。
深い祈り(瞑想)のうちに超常的な世界へ(霊的世界・神さまの世界)招き入れられる方だったのだろう。

興味深いのはマザーの最後の日(帰天の日)だ。
1997年9月5日。
それは、ふつうの1日として始まった。
朝は、娘を自殺によって亡くした夫婦の話を聞き、慰藉を与え、そのまま午前は忙しくお仕事をなさり、お昼を食べて、少し横になって多分3時頃、チャイとビスケットを召し上がったあとに「体がいたくて動けない」といわれてその後の祈りはほかのシスターが行かれて。
夜になって、「息ができない」と。
付き添っていたシスターがあわてて、お水と薬をわたしたが、すでにその力もなく。午後8時30分息がとまった。
最期は、神父さまが「塗油の秘蹟」をなさったあとに、壁にかけてあったイエスさまの茨の冠に2回触れてそのままだった、と。
その後心臓マッサージを下が息は止まったままだった。
まさに天寿尽きて、お帰りになったのだ。
というのがわかる。

比較するにはあまりに偉大ではあるが、この世で肉体を持っていたのは同じ。
弟もガンにもかかわらず、さして苦しみもせずにあっという間に逝った。

天寿とは「あっという間」(1日から数日)に逝くことなんだと。

今日も朝顔は4つ咲いた。
えらいなあ。



2009年11月09日(月) けなげな天国青朝顔

今日はなんと14個も咲いた。
葉っぱは、ほぼかれていて、ないのに・・・
けなげすぎて胸があつくなる。
弟の最期の2ヶ月もこんな感じだったんだろうな、と。
もう、生きるために必要な血管が抗がん剤ですっかりだめになって(葉っぱがなくて)でも気力で、なんとか2ヶ月生き続けた(咲いた)
なんて、比喩思考をしていると泣けて来る。。
日暮れがはやくなって本当に寂しい。
もともと苦手な季節だけれど・・・・

BMIっていうのか、理想体重を出すのをネットやってみた。
ちなみにBMI指数のだし方
体重(kg) ÷ {身長(m) X 身長(m)}
です。
個の数値が20を切れると痩せすぎのよう。
私はかろうじて、20,4
健康体重は、あと3キロほどあったほうがいいらしい。
1年前の私には想像もできなかったこと。
呆れ返っている。
それなりに食べてはいるが増えない、むしろ微妙に減りつづけている。
減りつづけているのが病気だとすると、ガン。
そうしたら、無治療で他界したいと思う。(無治療のほうが長生きでいるとはっきりいっている人もいる)
でも末弟の先々のことと、自分の諸々の始末をつける時間はほしい・・・

「前世を記憶する子ども」の本の内容紹介、本は手元に今あるのだが、今日はする気力がわかない。
すみません。





2009年11月08日(日) 前世を記憶する子どもたち

昨日塾終了後、イッサ用のウンチをとった後の包みを入れるふたつき容器を買いに出た。
とにかくさいんだわ、ウンチが。
とって広告紙に包んでスーパーの袋に密閉するも、臭い。
で、スーパーの袋が入る密閉容器を百円ショップで。二百十円のふたつきバケツ、ぱちんととめることができる。
で、ついでに宮崎書店をのぞいた。
本屋さんと図書館は大好き、私的にはとても癒される場所なのだ。
みつけたのはネットで求めようかとずっと前にも思っていた「前世を記憶する子どもたち」
米国バージニア大学のイアン・スチーブンソン教授(2007年他界)が、実に懐疑的な姿勢で実地調査、検証しておかきになった分厚い本だ。
多分厚さ6センチくらいあはある。字も細かいんだわ。
値段も3000円で少しおつりが来るくらい。
でも、6刷り?だった重ねていて、1回3から5千部前後刷っているとしても、数万分は売れているというか、読んでいる人がいるってことだ。
こんな分厚い本を・・て、変に感心したわ。
で、今日はいい天気なのに、午前中にミエコのお姉さんが来てくださったので、少しお茶を飲んで、マクロにについて話してからはもっぱらご飯も食べずに読みふけり。
生まれ変わりを容認するアジア地域に調査対象は多い。
しかし、欧米圏の場合、キリスト教では生まれ変わりを認めていないために、親が前世を話す子どもを抑圧しているか、押さえているか、馬鹿にして相手にしないかのいずれかで数は少なくなっているのではないかと。
でも、典型的な12例のうちにアメリカもヨーロッパもあった。
*前世記憶を話し出す平均は3歳2ヶ月くらい。これは欧米でもアジアでもあまり変わりはない。
*成長に連れて忘れる、十歳をすぎるとほとんど記憶に残っていない子が多い。
*横死・変死(殺人や事故死など)でなくなっている人ほど、生まれ変わりまでの時間が短い。でも4年前後だとか。
*中間生(死んでから生まれるまで)を覚えている子は少ない。
などなど。今本が手元にないので、さらにそろそろ実家に末弟風呂介助業務にでかける時間なのでくわしくはかけないが、分厚い本の1/3くらいは読んだだろうか。
論文調の本で、字は細かいし、注も多くて読みずらいのだが(まあ、この頃いかに自分が簡単な本ばかり読んでいたかってことなのだが)理解を深めるためにもぼちぼちとここでまとめをしていきたいと思っています。
とんでも本ではございません、きちんとした本です。
日本でも、こういう調査したらいいのになあ・・とおもうが。
私があと十歳若かったら、社会人大学院に行ってやるけどな・・・なんて夢想をつぶやく私。
そうそう、日本兵の生まれ変わりって子どもの話がビルマの例にあったっけ。

いいお天気。
明日も21度だそうな。



2009年11月07日(土) 穏やかな日和

先日の寒波はなんだったのか、という好天が続く。
しかし、玄関先の天国青朝顔も、日々草もすっかり葉がやられて、みっともなくなった。
よっぽど、冬仕様に植木総入れ替えをしようか、と思ってもみるのだが、まだつぼみが残っていてかわいそうでできない。

今朝は鳥取の女子大生が首を切られて発見というニュースに朝から落ちこんだ。
かわいそうにーーーなんでこんな殺され方をせねばならないのだ?
千葉の女子大生もしかり。
新潟では、タクシーの運転手さんが上半身をさされまくって血だらけで発見。
お金、といっても10万に満たない額だろうに、それでこんな風に人を殺すのか・・とただ胸が痛んだ。
残された肉親が生きていけなくなるような事件が多過ぎるこのごろ。
てか、ほぼ毎日起きているではないか。
なんでこんな世になってしまったのか。
祈って、大勢の人の、温かな祈りの力で世の中が変えられんものか。
なんて夢想する。
宗教とか信仰とかいわなくても、無宗教であっても、手を合わせてありがとう、とか、家族や友人知人たちが幸せにとかいう祈りは人間本来のもの。
こんな簡単なことをみんな忘れはじめているのではないか?
さて今日は、これから3時半まで塾です。
がんばりまする。



2009年11月06日(金) お寿司誕生会

午前は、末弟の受診を2件。
午後は、明日の準備をして、十八番のチラシ寿しづくり。
本日姪の誕生日、アンド先日終わった私の誕生日の合同会。
こういう集まりは亡き弟がこまめに声をかけてやっていたもの。
彼が好きだったビーフシチュウは永久封印。癌になってから、みんなでよくやった海鮮水餃子パーティ、これはまだまだしばらくは悲しくて作れない。
だから、必然的にお寿司となる。
今回は秋らしくキノコを3種、新潟特産のかきのもとものせた。
キノコも全部当地産。
白まいたけを塩ゆでして、立派なしいたけは甘辛く煮て、独特のかおりのする柿の木茸も甘辛く。
あとは、定番のうすやきたまごだの、レンコンだのいくらだのスモークサーモンだので、私の場合、10種くらいのせる。
ご飯は、黒米を入れて炊いて、寿司酢には熟成甕酢も少々まぜて、刻んだしょうがも混ぜ込んで。
みんなおいしいと食べてくれるので嬉しい。
弟も来ていたと思う。(見えないけれど)
ケーキを食べて、母を温泉に連れていき、家に帰ったら10時をすぎていた。
イッサが階段下の本の上で、眠そうな顔をして待っていた。
こんなふうに平和に平穏に日が終わることに感謝。




2009年11月05日(木) ネコイッサ 受難

きのう予約をいれていってきました。
ネコイッサの受診。
耳のヒゼンダニ駆除の2回目の投薬と、ワクチン注射。
しめて7500円+消費税。
今朝なんだかはしゃいでいて水にじゃれてこぼすわ、走り回って自分の餌はひっくりあえすわ大変だったので、7時にあげた餌はかたずけてしまった。末弟起床業務からかえってきたときは、階段下でハチ公のように待っていたんだけれど無視。
だってねえ、水拭いたり餌を始末したり、出るのが八分も遅れたんだから。
でもま、猫のえらいところは、無視されような何しようが平気ってことだわ。
犬だと、しきりに気をつかってなんで?って擦り寄ってくるし、反省するけど、猫はしない。
で、私はコーヒー飲んで、イッサをひっ捕まえて洗濯袋にいれてキャリングケースにいれて、やつめは車に乗せられてはじめて大変と思ったようで鳴き始めた。
5分でベットクリニック着。
耳にしみーる薬を入れられて、お尻にワクチン注射打たれて。
ぎゃぎゃわめくわ、噛みつくわ。
頭のところを抑えていたら、思いきり噛まれてカットバンをはっている。
クリニックで血が出たので、カットバンをくださいっていったら、すみません人間用は置いてないんです・・だって。
はい、はい。(笑い)
帰ってきて、さすがにもう一度ご飯をあげたが、少し食べて、ちょこっと遊んで、あとはワクチンが効いたのかぐったりして寝ている。
イッサと呼んでも動かないんで、しんでんのか?ってびっくりするくらい元気がない。
受難だねえ。
もう一度ワクチンをする。
その後は、一ヶ月かそこらで去勢だし。
しばらく彼は受難なりだ。

韓国岳で、亡くなった小学5年の男の子。
親御さんは、この先大丈夫か、と心配になっている。
まことにまことに、想像すればするほど、ことばがない。
冥福を祈る。
5年の男の子、意識がある間、どれだけ心細かったか。
かわいそうな、かわいそうすぎる最期であったと思う。
ご両親やご家族は、生きていかれるだろうか、大丈夫だろうか。
それがとても心配だ。



2009年11月04日(水) 晴れ、しかし山は白い

晴れた。気持ちいいが、風は寒い。
朝顔、まだ咲きつづけているが、この北風で葉がしなびた。
まだつぼみはあるが、どうなることか。
咲きつづけて欲しいが。
まるで、オー・ヘンリーの「最後の一葉」のような。
日々草も、ずっと咲きつづけていたのだが、やはりしなびている。
初雪のはやさ、新潟県の観測史上初だそうな。
これも異常気象のうちだね。
ネコイッサをクリニックに連れていかねばならんのだが、一昨日くらいから思いつついっていない。
午後の診察が4時からっていうのがネックだよね。
午後からは上向きになるのだが、午前は朝起こし業務から帰るとコーヒー片手にトンボリと本読み状態とネコ遊び。
明日は今から予約して朝一番だぞー。
と気合。
なあんにもしたくない感があるので、とにかく一つのことをやるのに何日もかかる。これ、鬱系のビョーキだなあ、と思う。
寂しいねえ、しみじみと。
これも人生の学びです、とは思うが。
さまざま思い出すのは秋のせいか?



2009年11月03日(火) 犬と猫と人間と(2) 稲葉恵子さんという方

昨日書いたに稲葉さんは「犬と猫と人間と」のという映画のスポンサーである。
これでも、私、人を見る目はあるのよ、といって初対面の飯田監督に映画製作を頼んだ。(これ、映画の冒頭シーン)
ただひとつの約束は「私が生きている間に完成させてね」だった。
しかし、それは果たせず、彼女は2007年に亡くなった。
だから映画の最後は、監督が稲葉さんのお墓に報告のお参りするところでエンドとなる。
間に合わなかったが、いい映画になった。
監督は約束を果たした。
確かに、人を見る目はあるのよ、であった。
それで稲葉さんのお墓は、なんと樹木葬であった。
生命保険が満期を迎えたので、それを映画の資金として監督に託し、身辺を整理し、自分の最後の落ち着きどころまできちんときめて亡くなられたようだ。
なんか、すごい。
以前、若林真由美さんが私が消える時に私の身辺のものも消えて欲しい、だから身辺整理をする。といわれていた。
これもうなずけたが、それ以上にすばらしいというか見事な美しい最後だなあ、と感動した。
人は、最後できまるよ。
小林秀雄がいったものだ「人は死んではじめて人間になる」だったか。

稲葉さんは、あちら世界で自分が世話した沢山の猫たちと映画の完成を見ておいでだろう、喜んでおいでだろうと思う。
それにしても「人間もいいけど・・・動物のほうがましみたい」って言葉のかなたにどんな人生があったのか。
考えてしまう。
でも、ずいぶん気高い生き方をされた方なんだろうな、と。

山が白くなった。
初雪。
気分は沈む。
ワタシの向精神薬である葛根湯のお世話になった。
このところ、よくお世話になる。



2009年11月02日(月) 犬と猫と人間と(1)

昨日は、お誘いをいただいてはるばると十日町まで「犬とネコと人間と」という映画を見にいってきた。
4年をかけて撮られたドキュメンタリー。
稲葉恵子さんという高齢の女性が、初対面の飯田監督に「今まで猫の世話をしてきたが、無理になってきた、みんなが見て動物の命を大切にするような映画を作って欲しい、資金は出します」と依頼したことから始まった。
監督は犬猫に興味なし。しかし、取材をしてみると、いろいろと悲惨な現実がわかってきた。
日本はペット大国、ペット数30万、1日に処分される動物1000頭。
1日に1000頭、ですよ。
処分する保健所は、たいてい撮影不許可。
それでも、いくつかは見せてくれた。
ワタシ的にショックだったのは、徳島の「鎮静室」だ。
処分する動物たちを車上の処分機(鎮静機械)に入れると、車は走り出す。一見大型の引越しトラックのような車。
で走っている間に、ガスが流れて犬たちは逝くという装置らしい。
固定施設で処分するのに反対多数でやむなく考え出された車らしいが、うーん、私もきっと、お遍路とかでどこかですれ違っていたよな・・とかって思うと複雑であった。
徳島といえばあのがけっぷち犬だが、その譲渡会で、子どもたちが自分たちが育てた野良犬の子どもを連れてきて、もらってくれる人を探していたシーン。
お母さんたちがいう、お年玉で犬の餌を買って世話をして・・・命の大切さを学んでくれている。
子ども、えらい、その子供達を見守る親もえらい。
だけどだ、ニッポン、離婚や経済不況で処分場に持ち込まれる犬猫は増えているのだという。
簡単に買い(飼い)、買えなくなると持ちこむ、避妊をしないで子どもが生まれて持ちこむ、捨てる。
粗末にあつかわれる小さな命。
しかし動物たちにも、感情がある。
喜びや悲しみ、恐れ・・
それは今、飼っている猫や実家のチビ犬を見ているとよくわかる。
チビネコ、遊ばないと「がおがお」とわめくようになく。
「そうだろ」とか、もの欲しそうな顔をしている時になんだ?などというと、「みゃ」と、アイコンタクトをしっかりとってかわゆい声を出す。
ネコ語で、なにか話してんだよね。
実家のちび犬も、私が末弟のお世話業務完了のころを見計らって、おい散歩行こうぜ、っていう顔で寄ってきて、顔をブイブイする。
あるいは、私が末弟起床業務に難渋していると、時々やってきては起きろ起きろとヘルプしてほえてくれる。
末弟、この声に刺激されて起きる。
実家犬、いやな時は来てよ、といっても来ない。
いつもお手伝いしてくれたら、立派な介助犬なんだけどと笑っているのだ、実家家族と。
こんなふうに人格ならぬ「猫格」「犬格」がある。
それを、人間はモノのように扱う。

見ていられないようなシーンも多数あり。
しかしその中で、一生懸命に命を救おうとする人たちの姿、出てくる動物たち(民間の愛護センターに保護されている)のユーモラスな味わいが、映画を見終わった後の思いを楽にしてくれる。
冒頭に依頼者の稲葉さんが言う。
「人間も好きだけど・・・動物のほうがましみたい」
いやまったく。
それにしても、動物が悲惨な扱いをされるこの国は人間もすみにくくて、という構図になるよね。
動物も弱者、その弱者達がすみよい国は人間にとってもすみよい。
これ、真実。
雨の中、十日町まで連れていってくれたOさんに感謝。
いい映画を見ました。
東京のユーロスペースで今やっているし、ぼちぼちとあちこちで公開されるもよう。
みなさん、機会があったら、いきませう。
大勢の人に見て欲しい映画であった。
明日は、スポンサーの稲葉さんのことを書きたい。




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