世界お遍路 千夜一夜旅日記

2009年07月31日(金) 7月が終わる

あっという間だったなあ。
今日はお日様が出たが、けっこう涼しい。
今朝は、5時起きして、6時すぎには実家に着いて、掃除を断行。
明日は、当地は「ぼんさん」といってお参り月が始まる。
来てくださる方もあるだろうから・・掃除はしておかないと。
日々のぼちぼちは、義妹と母がやっているのだが、ぎっちりと絞った雑巾でしこしことふくとか、隅々とか、仏壇周辺の掃除とか.トイレの徹底掃除とか。
末弟の世話を間に挟んで、ほぼ2時間かかった。
やれやれだ。
午後からは、母を寺宝温泉へ。
長岡祭り前のせいだろうか、空いていた。
車中、やはり嘆く。
「イサオがこんなに早く死ぬなんて・・・」
だって、自分が占いで聞いてきたでしょう、イサオは平々凡々の人生、50まで、といわれてきたって、占いが見事に当たってしまったんだよ。
「そんなことあるわけないと思っていたからわすれていた」
ずいぶん、昔だよ、わたしは聞かされてずっと気になっていたんだけどね、50歳過ぎて、ああ、外れたなって一安心していたらね、こういうことになった。
何度もしている会話である。
親の嘆きは尽きない。
母を前にしてわたしは、嘆くことは出来ない。



2009年07月30日(木) 梅澤先生のことば

川村カオリさんの死を、梅澤医師ははや過ぎる死、と書いておられる。
標準治療に走ってしまったんだろうか、と。
再発後の早過ぎる死は、抗がん剤の副作用によるところが多いとも。
しかし、再発後の生存・延命には抗がん剤は不可欠とも。
乳がんに使える抗がん剤は種類があるし、保険を無視して使えは選択枝は広がる。再発しても5年は延命出来たのではいかと。
そうか・・そうだろうな、川村さんも娘のために治りたいがために、医師のいうとおりに一生懸命に抗がん剤をなさったんだろう、標準治療で。
うちの弟おんなじパターンなんだろう。
うちの弟も梅澤医師に診ていただきたかったけど、川村さんもそうしていただきたかった。そうすれば、お嬢さんのためにまだ存命だったかも知れぬ。
といっても天寿なら、だれにもどうしょうもなかったんだろうが。
川村カオリさんは、あの吉川幸司の事務所に所属していたんだそうだが、そして公私共に彼がバックアパっプしていたらしいのだが、彼が、ライブのような無理をしなったら、まだここにいたかも知れぬ、と話している。
これ、とってもよくわかる。
残された人は、ああすればもっと生きていてくれたか、こうすればよかったのかと悔いのあまりに考える。
このネット記事を読んでだれも一緒だなあ、と切なかった。

やはり
今のガン治療のあり方を変えないといけないんだろう。
しかし、国のガイドライン(標準治療)の縛りがなくなるかゆるくなったとして、自分の実力で梅澤医師のように抗がん剤をコントロールできる凄腕のドクターが、今の日本に何人いるのかなあ。
断言する。
弟の主治医だったM医師とT医師はそんな力は到底ないだろう。
ガンになっても、わたしはそうがんばらない予定。
延命する理由がない。
極端にいえば、抗がん剤はしないと断るわ.
余命を聞いてそれまでは精一杯生きたいとますます思うようになった。
だから、閑な時間はひたすら整理とごみ捨てをしている。

信濃川むこうのムサシまで買い物に行ったら、増水がすごい。
花火打ち上げ場所になる中州は水没している。
長岡祭り花火、あぶないなあ。
まあ、私は興味もさしてないけどね。
けがや事故がないようにと思うばかりだ。




2009年07月29日(水) 川村カオリさんの他界

ほんの数日前は山田辰夫さんが胃がんの転移、享年53歳。
こんどは川村カオリさんの乳がん転移、享年38歳。
気にしているせいだろうか、有名人のがん死、多い。
川村カオリさんは彼女のドキュメンタリーをテレビで見て、すごいな・・がんばっているなあ・・っていうか、何しろ娘さんが7歳だもんねえ・・・・出来るだけ長生きを、と思っていた。
幼い娘を残して・・死に切れなかったであろうと、と思うが。
残し難いものを残して他界する、が彼女の今生のテーマだったのであろうか。
痛ましい。
彼女のブログをのぞいた。
たくさんのファンの切ないメッセージがあった。
中にはやはり、自分の母が同じ年にガン死したとか、同じ年で子持ちで、やはりがんと闘っているなどと言うコメントも多くて、なんか言葉にならない気持ちになった。
それから、大事な人を次々とあちらに連れていくガンが憎いとか、どうしてがんがいまだに治らない病なのか、国は全力を挙げるべだ,という憤りのコメントもあって、まったく同感と思ったり。

ご冥福を祈ろう。

今日から夏休み教室スタート。
期日は自由選択。
7月は人が少なくて、8月初旬になると連日結構大変になる。
今年は、地元の情報誌にごくちっこい広告出したのみで、毎年していた今まで来ていた人にDMを出すとかいうことを努力を全然しなかった。そうそう、ホームページの更新もしなかった。
やる気力なくて・・・自然にまかせようと。
なんだか欲というものがなくなった・・・・のだ。
日々目先にいる塾生の指導は誠意をもってするけれど。
こんな小さな塾に来てくださる、今生でないどこかで有縁の人であったのだろうと思うし。
でも、塾生の兄弟(姉妹)さんとか、そのごくごくちっこい広告を見た方々から申しこみがあって7人ほどおいでになる。
りっぱな数だ。
精一杯やらせていただきます。
ありがとうございます。







2009年07月28日(火) 今日1日 明るく朗らかにしたいと想う

これがなかなか難しい。
やっぱり沈み気味の自分を発見する。
せめて、心を下へ動かすまい・・心を低い波動に落とすまいと思う。

昨日、亡き弟の友人で、毎年、御岳山登拝を引き連れておられた神主さんが見えたそうな。
彼、20年以上もお山へ登った弟のお骨を御来光が見えるところにおいてきてくださるといって、分骨を持っていってくださったのだが、なんと、雨と強風で登拝できなかったのだそう。
それで、「来年までうちに」と分骨を戻しに来られた。
そっか・・・・弟は、まだうちにいたいんだ。
1つ雷がなったんで、行ったには行ったんだろうね.

それにしても、こんなこと、最近はなかったはず。
母「やはりおまえがいうように、月食と日食がおきた年はよくないんだ」
わたしは、でも、思う。
地球が、天地神仏がお怒りなんだと思うのだが。
先日の、北海道の登山事故、富士山での落石事故・・・
むしろ、今回は登拝できなかったのは、事故に遭わないという意味での「天の恵み」だったかも知れぬ。




2009年07月27日(月) ダスカロスの7つの約束

前線停滞による大雨で次々と亡くなっている。
祈ご冥福。
みなさん、ご家族はおいでになるだろうに・・・その嘆きを想像するのがつらい。


昨日に続きダスカロス。
ダスカロスが7歳のときに、ヨハナン(聖ヨハネ)に与えられた「7つの約束」
・・・以下はインターネットよりの引用・・・・・・

私は私自身に約束します。
1、 いつどこにいても、私もその一部である絶対無限の存在に、心をこめて奉仕します。
2、 いつどこにいても、私には神聖なる計画に奉仕する準備ができています。
3、 いつどこにいても、またどのような状況にあっても、私は「神聖なる贈り物」である思考と言葉を正しく使います。
4、 最も賢明な神聖なる法則が与えてくれる、あらゆる試練と苦難に対して、私は不平不満を言うことなく、忍耐をもって受け入れます。
5、 私に対する人々の行動がどのようなものであっても、私は心と魂の奥底から、誠意をもって兄弟姉妹である隣人を愛し、彼らに奉仕します。
6、 私のあらゆる思考・願望・言葉・行動が神聖なる法則と完全に一致することを目的として、毎日絶対無限の存在について瞑想し、熟考します。
7、 私のあらゆる思考・願望・言葉・行動が神聖なる法則と完全に調和したものであるかどうか、毎晩、確認します。

以上は、ダスカロス著「エソテリック・プラクティス」より引用
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「エソリックプラクティス」はずいぶんと時間がかかったが、ネットで注文していたものが先日とどいた。
じっくり読もうと思っている。
ダスカロスは、まさにこの約束を守るべく生きた人だ。

本能で、今ダスカロスとか、山村幸夫さんに興味(瞑想や熟考の実践も含めて)をもっている自分がいる。
なぜ私が「絶対」とか、永遠といったことに今、心引かれるのか。
人は無常の風が吹けば、他界する。
そのとき、もって行けるのはおのれの魂のみ。
現世で得たもの、知り合った人々、そして自分の体、心、みんな置いて行くのだ。
おのれの魂のみが大切。
魂を磨くしかない、と。
これが今現在行き付いたところ。
といっても、何で私が無償で奉仕をしたヒーラーたちに惹かれるのかと考えたときここにぶち当たるということだが。

それにしても、寂しい。
弟の写真に向かって「ありがとう、霊界修行を成満してよ」といいつつ「それにしてもおまえの姿が見えないのは本当に寂しいよ」としゃべっている自分がいる。

これはしかし、ダスカロス的に言うと
4、 最も賢明な神聖なる法則が与えてくれる、あらゆる試練と苦難に対して、私は不平不満を言うことなく、忍耐をもって受け入れます。
ということになる。
そう、忍耐をもって「姿はもうない」ということを受け入れないといけない。





2009年07月26日(日) 何をしたいのか

弟が他界して以来、自分がしたいと思っていたこと、取り組んでいたものみんな投げ出してしまった。
投げ出す・・というのは正しくない表現で、する意欲がわかなくなってしまったというべきか。
旅、温泉、枇杷療法、執筆・・などなど。
夢も希望もたくさんあったはずなのに、あれはフェイクだったのだろうか。
多分そうなんだろう.

目先のことは精一杯している。
そうして、祈ることも精一杯。
それ以外は、意欲ゼロ。
いままでの私ってなんだったの?と今自問自答している。
限りなく0へもどっている自分を感じる。
1つだけ残っているのは、読書。
本を読むこと。
ダスカロス、というキプロスに1995年まで存命であった「ヒーラー」のことを書いた本。
彼は、20世紀最大のヒーラーといわれた人。
どれだけ癒しても、治しても、1円のお金も取らず、自分をあがめることを禁じた人物。
過去生を全て記憶していて、今、自分を導いているのはヨハナン(聖ヨハネ)であり、感謝するなら、そちらにといっていたそうな。
さらに「神」ということばにやどる宗教性を嫌って「絶対存在」という表現をしている。
ダスカロス、というのはギリシャごで先生という意味で本名は別にある。
彼の残した言葉が温かいし、ふしぎだ。
キリスト教圏の方なので、当然信仰的にはそうなのだが、まずはフツーのクリスチャンから見れば「異端」だろうが。
日本にもダスカロスの会というのがある。
公開セミナーもほとんど無料に近い。
それは、ひとえに、ダスカロスの無私の奉仕精神を受け継いだものだ。
ホームページもある。
興味ある方は「ダスカロス」で検索されたし。
そうそう、日本人にも「山村幸夫さん」というヒーラーの方が同じような癒しをされていたそうな。
仕事をしながら、ヒーラーとしての奉仕は無料。
やはり、自分の力ではない、神さまのおかげといわれていたそう.
でも、彼は若くして、2002年に他界されたらしい。
気高い人に、たとえ本の中であっても出会うのは、今の私の癒しになっている。




2009年07月25日(土) 御嶽山

今日は亡き弟が毎年行っていた御岳登拝の日だ。
昨日昼ごろ、またしもて母の言葉で言う「1つ雷」がなって雨が来た。
雨は20分ほども降ったろうか.
以降上がった。
そう、雷が一回だけしか鳴らないのです。
続かないで終り。
母や義妹と明日御嶽山に行くから、みんなと行こうとこっちに来んだわ.
合図雷だね。
派手な合図だね、と.
今まで、納棺のとき、友人たちがたくさん来てくれて宴会をした時、骨入れのとき(骨いれ式の時はちらり雨だったが、夜には鳴った)
これというときは、いつもそう。
雷と雨がセットだ。
で、20分から30分で晴れる。

今日の御嶽山、多分いい天気だろう。
中学以来の友人で、御岳教の神主さんが遺骨を御来光が見えるところに納めるといって登拝してくださっている。
それで、なんと今日は弟の月命日。
ジグゾーパズルがはまるような因縁DAY。
母がいう
「去年までは、毎年、豆をゆでて一夜ずけの漬物を弟が持っていくように準備した、今年はしてやりたくても持っていくあの子がいない」
昨年は、帰ってきて
「登拝する人が高齢化している、だんだん少なくなっているし何とかしないと、とさんざ言っていけど、自分がいなくなってしまった」と.
友人の神主さんは、いずれ世話役を頼もうと思っていたとお葬式のときに話してくれたが.そして弟は頼まれれば喜んでいやっていただろうと思う。

昨夕、末弟同じ年で急死(心筋梗塞)した子(享年47歳)のお通夜に出た。
わたしが、大学の頃に勉強を見た子。
母が彼のお母さんと仲良し。
彼、いまなら、いわゆる学習障害なのだが、当時はそういう概念はなかった。
友達となじめず、学習も思うように進まず・・・ご両親は大変だった。
わたしには「ネエチャン」とよくなついてくれたが。
一人っ子、うちの母と同じ年のお母さんが残された。
体調がよくないのだが、さらに悪化して「自分を残していった」と悲嘆にくれて起きあがれずに通夜はおられなかった。
ああ、諸行無常。
やはり、現世が地獄なり。
今を、ただいまを精一杯に生きよう。



2009年07月23日(木) 神界、天界大事典

センブンイレブンに、宅急便を出しにいった.ついでに、子どもが喜ぶドラえもん夏バージョンを購入しようと棚を見たら、この名前の500円本があるでないの。
は?
何でこんなもん、ここで売ってんの?
で、帯を見たら、いまどきのコミックってこういう神さまがたくさん出てくるらしい。
で、知識収集のための「事典」だという説明。
ふーん。
ぱらぱらと見たら、エジプト.ギリシャから、キリスト教、インドの神様、中国や韓国の伝説の神さま、北欧の神様・・もちろん、お不動さんなんかも登場しておいでになる。
結構、まっとうに書いてあるし思わず買ってしまった。

今日は暑い。
エアコンを入れている。
本気の夏だよ、弟がいない初めての夏。

そうそう、わすれないために書いておこう。
目先のことに努力すること、見えないところで感謝を蓄積すること。



2009年07月22日(水) 日食

11時少し前、日が差してきた。
空を見上げると、薄雲が太陽の上を移動していて、はっきりと部分欠けをした太陽が見えた。
見た、見た。
しばらく見ていた天文ショウ。
ふしぎだよね、人間ちっこい。
日食の間、鳥が鳴かなかった。
動物たちは知っているんだ。
塾の子どもたちも見ていたようだ。
お天気がすっきりしなことがかえって幸いした。
薄曇になるたびに、遮光板なしで見ることができたのだから。
神聖なるマヤ歴によると、明日は「はじまりの日」らしい。
そうか・・・何が始まる、何を始める?
今年は1月に月食があり、こんどは日食で占星術的には、実に不吉な年ではあるらしいが。
夏休み教室の準備をなまけまくっていたら、きょうはアップアップ。
日々の塾仕事は、何とかがんばっているのだがね・・・。
もうわたしの夏は輝かないなあ。







2009年07月21日(火) 修行大師さんのような・・・

今朝実家の遺影の前で心経を上げていたら、まるで修行大師さんのような姿をした弟のイメージがわきあがってきた。
真正面を見て、まるまっこい顔をしてややほほ笑んでいる。
おや、旅修行?
成満を祈ろう。

梅雨あけ前の豪雨のニュースがぞくぞく。
被害の少ないことを祈りたい。
祈りの力は多大だというし。



2009年07月20日(月) 「証言・臨死体験」を読む

立花隆さんのこの本、ベストセラーだった「臨死体験」とは別の切り口の本だ。
取材の相手を絞っていて(23人)結構有名人なんだわ。
理由として、あの人までそんな体験を・・・という信頼度を期待したという.
水上勉、安田伸、永倉万治さんなどはすでに他界された方々だが、大仁田厚や宮内婦貴子さんなどは生存中のはず。
人は死ぬときに何を見るのか。
暗闇のトンネルを抜けるトンネル体験、お花畑と川、というのが日本人には多い.
しかし、絵を書いてもらうとひとりひとりみな違うのだという。
ちなみに欧米系の人は、光を見るという。
これは、バックにある宗教の違いか。
細部においては違うが、共通しているのは、臨死体験が気持ちいい体験だった、ということ。
幽体離脱の経過も基本的に同じだ.
大事なことは、臨死体験によってほとんどの人は「死への恐怖」が薄れた、ないしはなくなったと語っているいうこと.

私も臨死体験的な経験をしたことがある。
事故で手術をした時に麻酔が効きすぎて「戻って」来なかったとき。
全身麻酔だったのだが、麻酔が効き始めて一気に「無」(暗闇)に落ちた.
ところが、次に私がいたところは、ピンク色のもくもくした雲が下に見える輝かしい場所だった.
天からはまばゆいばかりの光が落ちてきていて、私はその光の中を飛んでいた。
本当に気持ちよくて、気持ちよくて、すばらしい体験だった。
で、現実界では何が起きていたかというと、予定時間を3時間近く過ぎても目がさめない私にあせって、主治医が私の顔をピシピシたたいて「起きて、起きてください」と。
私は「このままにしておいて、気持ちいいんだから、このままにしておいてくれ」と叫んでいたらしい。←この部分は、お隣のベッドの人から聞いた話だ.
私は、後から、あれってもしかして臨死体験に近いものだった?
もしもあれが死ぬときに感じる感覚だったら、死ぬのも悪くないのかも知れぬと思ったものだ。
それから、10年以上が過ぎて弟の他界であの感覚を思い出した。
弟はどんな感じであちらに旅だったのかと・・・

話を本に戻す。
23人の話で際立っておもしろかったのは、彗星探索家の木内鶴彦さんの話だ。
木内さんは1954年生まれ、上腸間膜動脈性十二指腸閉塞で死線をさまよった。世界に120例しないめずらしい病気だったそう.

気がつくと真っ暗、ぬかるみのようなところをはいずりまわっている。
そのうちに小さな明かりが見えたのでそちらにはって行った。
典型的なトンネル体験である.
そして、川、船があったのでこいで渡るとそこには昔なくなったおばさんが出迎えていてくれて、いいところに案内してやるという.
ついていくとお花畑だった.
で急に、ボンと自分の体に戻って、意識も一瞬戻ったが心臓が止まった.
あ、死んでいる・・と幽体離脱をした.
自分を見ている、自分がいる(典型的な幽体離脱)
幽体離脱して考えたことは、空間を超越している自分がいるということは、もしかして時間も超えられるのではないか。
過去に戻れるのではないか.
戻りたい過去があった.
それは、千曲川の河岸段丘で姉と遊んでいたときのこと.
姉が足を乗せかけた石が転げ落ちることをだれかが「危ない」と教えてくれて自分は姉を突き飛ばした.
おかげで、姉は少しけがをしただけで助かったのだが、姉がけがをしたのも、大きな石が落ちてきたのも自分が姉を突き飛ばしたせいといわれた。
しかし違う・・あの声はだれだったのか.
その時間にさかのぼることにした.
行けた.
そして・・なんと「危ない」と声をかけたのは「未来から来た自分」であった・・・・とわかったのだ。(ここ、鳥肌が立ちました.タイムトラベラードラマみたい)
さらに、過去に行けると言うことは未来にも行けるのではないか.
試みた.
行けた。
大きな部屋で自分が星の話をしている・・どこかはわからないか・・・
未来があるということは自分は生き返るなと思ったのだという。
で、その場所で臨死体験から19年後にホントに講演をしている。
場所は高野山・・その講演で、自分はこの部屋に昔来たという話から始めたらしい.
いわゆるデジャブ。未来予知といったほうがいいのか。
あの世はこの世次元を超えて別次元、もっと高次の次元に入ることであるようだ、と彼は言う.

この話が私には一番おもしろかった.
霊界通信の小桜姫物語(物語とはいえ実話?大正期に評判になった本)にも、荏原さんの本にも、シルバーパーチのことばにも他界は想念の世界と書いてある.
それはこういうことなのか.
「科学宗教」の人たちは、それは脳が見せる妄想であるという.
でも、脳が見せる妄想の情報とそれを見せるエネルギーはどこからくるのか.
・・・・・・・・
この本は図書館にあるし、臨死体験のように上下に分かれてもいない。
興味のある方はお読みください.
「不生不滅」の世界がかいま見えるはず.

きょうは、久しぶりの晴れ.
でも寂しい.
こういう寂しさと、少し持ちなおしの山と谷が今後もくるんだろうな。
自分が生きている意味を考えたい、もっと深く。








2009年07月19日(日) そいつの名前はエメラルド

朝、昨日来られなかった個人指導のお子さんを一人見てから、きょうもまったりなんにもしないでごろごろ。
しょうがない、何をする気も起きないのだから。
生きているだけでいいじゃないか。
このごろ思うのは、意外と私と弟はツインソウルだったのかもしれないな・・なんて。親・兄弟もあるらしいから.じゃないと、この喪失感は説明がつかない。

それでも仕事は放棄できないから、本を読んだ。
そいつの名前はエメラルド
今年の中学年課題図書。
マンションに住む4人家族、ふうちゃんの7歳の誕生日にハムスターを買いに行ったお兄ちゃん、いつものペットやさんがお休みで、怪しいペットやさんで手に入れたのが「エメラルトホシトカゲ」
こいつがとんでもない奴で、「火」を食べるドラゴン。
でも、かわいい、怪しい、お利口
「火」を食べると、体は美しいエメラルド色になっていくのだ.
さらにはお手までするし。
すっかり家族になついたエメラルド、大きくなっていく・・・ドンドンと・・・1年後、突然食べなくなった。
脱皮する前の虫のように.
そして月の美しい晩、ついに脱皮して羽が生えてどらどんとなって飛び去った.
まるで、このあたりはかぐや姫のような。
エメラルドは去る前にふうチャンにテレパシーで言った
「だいじょうぶ、また会えるよ」
それは本当だった。
夏の花火大会で、家族は花火の中で火を食べて飛び回るエメラルドを見つけたのだ、しかしほかの人たちには見えない・・・。
これって、異界(他界)に去った大事な存在にまた再会すると言う終わり方.
エメラルドは、弟で、残された家族にしか見えない、思い出せない・・・なんてすぐに比喩化してしまう私の頭の構造に涙が出てくるわ.
大丈夫、また会える・・だから、弟はなんのメッセージも残さずに他界に去ったのか.
一期一会、今を大事に生きるとか、児童向けの本もそんな風に読める。

大雪山系の遭難と凍死.
凍死は、ゆっくりと意識がフェイドアウトしていくので、苦しくはないというが・・・のこされた家族の方々の気持ちを考えると涙が出る.





2009年07月18日(土) Many lives,many masters

これは「前世療法」の原題だ。
「たくさんの人生、たくさんの指導霊たち」
直訳なら、とでも訳すことになろうか。
この本は、ブライワン・ワイスというアメリカの精神科医が書いたアメリカのベストセラーだ。
私が入手したPHP文庫も1996年に初版が出ていて、2007年に55刷だ。
文庫は、業界的に言うと12000部は最低でも刷らないとペイしないので単純に計算しても60万部近く売れて読まれていることになる。
すごいもんじゃないのよ。
内容は、1980年にワイス博士のところに来たひとりの女性患者がきっかけだった。
彼女の名前はキャサリン(仮名)、27歳、神経症と脅迫神経症に悩んでいた。
とくに水が怖かった。
で、治療のために、彼女を病気にしている原因(トラウマ)を催眠療法で探ろうとしたところ彼女はなんと、過去生まで「行って」しまったのだ。
「私は18歳です・・・わたしたちは谷間に住んでいます・・・・時代はBC1893年・・・」
エジプトでの過去生がまずはよみがえった。
この人生、彼女は水による流行病で死ぬ。
で、魂は「中間生」といわれる中宙状態に漂う。
そして、また生まれる。
途中で明かされるのだが、彼女は86回生まれ変わっているという。
そのうちに彼女の水に対する恐怖が、水に関わる死に方をいろいろとしていることによることが判明してくる。
それが判明することによって、彼女は元気になっていく.恐怖感から開放されていく.
だからまあ、前世療法なのだが。
ワイス博士は、催眠状態の彼女が、彼の亡くなった子どもの病気や父について言い当てていくことに驚く。
また、催眠中に中宙に彼女が漂うときに「マスター」たちがメッセージを送ってくるようになる。
「こちらの世界に送られてきた目的を果たしたと思うときに、自分の時間が終わったことを知り、死を受け入れる」といったことを。

なお、催眠療法を受けた人全員が前世まで戻るわけではない。

・・・・・・・・・・・・・

久しぶりにテレビを見た。
FOXTVを入れたら、「天国からのささやき ゴースト」
キリスト教国アメリカ、この手の番組は多い。
前世療法がベストセラーというのもうなずける。

本の内容、私は「信じる」
非科学的といっても、私は「科学的」というのも「宗教的」の対極にある「宗教」のようにとらえている。
科学を信じるというのも「信じる」のうち。
ロケットを飛ばして月に行っても、人はどこから来てどこに去るのかは解明されていない。ガンも治せていない.
こんな「科学」・・野蛮でささやかなもんじゃなのよ。
新興宗教みたいなもんだわ.

昔から シャリーマクレーンの「アウト オンナ リム」とか読んでいたんでReincanation(?転生ってこれでつづり正解だった思うが?)なんてことばには、なじみが深かった。
あと、エドガーケイシーやスエデンボルグにも一時はまったし。
またまた、この世界に戻ってくるとは思わなかった。
死は無ではない。
「不生不滅」の世界に戻るだけのけとなのだと思う。
それでも、肉体が見えなくなるのは寂しくてしかたないけど。









2009年07月16日(木) 修行の身の意味

昨夜、Gさんにお電話して母の夢に出てきた弟の「修行の身」ってどういうことだと思いいます?とお聞きしてみた.
いわく
浄土真宗って、お葬式のときに剃髪をするでしょ
たしかに
これから、髪をそってお坊さんになって旅へ、修行に出ます
って弟もやったぞ.
気持ちばかり髪を切って、法名がその名となるという儀式.
だから、修行なんじゃない?
うん、うん。
それで、彼女の甥ごさんは「見える」らしい。
で、おじさん(Gさんのご主人)のお通夜の時に、幽体がお棺からたちあがって、お坊さんをのぞきこんだり、参列者の間をにこにこしながら歩いているのが「見えた」のだという。
つまり、弟も、やっぱり葬儀の場にいたんだわ.
(いるとは思っていたが)
で、本坊さんが弟の遺体を前に髪を切って「これから、イサオさんお坊さんとなって旅に、修行に出ます」というのを聞いて、そうか、俺はこれから坊さんになって修行するのかと思ったのだろう。
弟は、「あの世」知識は多くなかったと思うし、お坊さんが言うようにしたらいいんだと考えたと思う.
これは納得できる、もともと素直キャラだし、まじめでがんばり系だ、さらには、年配者や権威には素直に従う。
(副院長の肩書きを持つ医師のいうことに従いまくっていたし)
で、49日が終わって、僧形になって修行に出たというわけだ。
「彼岸」は、想念の世界だとあちこちで言われている。
つまり、幽体が「僧形になって修行」と想うだけでそうなるわけだ。

でGさんが言われるには
そうやって出てくるということはメッセージがあるんだと思う。
多分、自分は今修行中だし、お酒とか供えないでくれということじゃない?
たまにビールくらいでそれはしていないが・・・
でも、今朝実家に行って、この話をしたら、
義妹が「じゃ、供えてある瓶も下ろさないと」
そうか、封を切っていなくても2本、お参りに来られた方が御供してくださっているわね.
早速撤去した。

そういう次第.
笑う方は笑えばいいが、私は大まじめである。
今、「証言・臨死体験」と「前世療法」をよんでいる。




2009年07月15日(水) 修行の身

今日は,母を温泉へ.
で、車の中で母いわく「イサオが出てきた」
おお・・そうか.やっと来たか.
私はなんにも言い残さなかった弟に,朝夕に義妹か母の夢にでもせめて出てきてやって,とお祈りしていたんだわ。
で、なんていっていた?
「それが黒い長い衣を着て,頭をそって坊さんになっていた.ぐるぐるとどこかを回っていた,十人くらいの同じようなかっこうをした人たちと.おまえ何している?と聞いたら,一言,修行の身,とこたえて,それっきりだった。顔も見せないし,横顔だけだった,頭だけけはそりあげていて,つるつるだったけどな」
ほう・・・修行とな。
坊さんねえ・・・・これはどういうこと?
姫路のDさんからいただいたメールに「あちらではしばらく勉強をしないといけないらしいから,コンタクトが取れるのは1年後くらいじゃない?」
勉強ねえ・・・それって幽界や霊界の仕組みとか,幽体だけになったときの可能性とかだろうか、と考え中だったところに聞いた「修行の身」
そうか勉強=修行?でしょうか。
ぐるぐると回るとは・・まさに修行ではある,永平寺もそうだし,チベット僧のそれも見たことがある。
逝きたくなくて、さまよっているのではなくて安心した。
それでも,宴会やったり物見遊山してんのかと思ったら,修行とはねえ・・まじめだねえ。
姉が現世でやっていた(いる)ようなことをしているんだ,あの世で.

今日は暑い.
始めてエアコンを入れた.






2009年07月14日(火) むしむし・・・

そう気温は高くないのだが,ムシムシする。
梅雨明けはまだかな。
昨日は,新潟7・13水害の日で慰霊が行われた。
あの水害で10人以上のお年寄りが亡くなった。
2004年,地震の前だった。
あの年,父が亡くなり,地震が来て,義妹は地震の最中に倒れて障害者になり・・
多分弟のガンも,この年に胃から弱かった腰の骨に少しずつ転移を始めて大きくなったのでないか.
ガンの「種」(遺伝子の異常,細胞の痴呆化と私はよんでいるが)が生まれて3年くらいは実におとなしい.そして徐々に動き始めて,大きくなって。
10年くらいでさまざまな検査に姿をあらわすこというようなことを読んだ.
40代はじめに蒔かれたガンの「種」は,地震で消防団で飛び回っていた弟の身体を蝕んでったのではないかと思う。妻が倒れ,父が亡くなった後始末をしなければならぬ・・・で、疲労は積もり免疫力は大いに落ちていたであろうし.

なんてことを今日は,ぼやんとしながら考えていた.
やることはたくさんあるんだけどね・・・・相変わらずしていないなあ.

49日が終わったので,自宅に帰って来て生活している.
自分のうちもそうじのしがいがある.
十分に汚い.
夏休み(8月の中旬過ぎ)にがっちりやろうと心にはきめているが・・はてさて。

今日のマクロビ
*玄米お握り(黒ごまとゆかり入りで海苔でまく)
*キュウリもみのごまペーストあえ
*小女子の卵とじ
*シメジとたまねぎのカレー炒め

実家に滞在中は,玄米お握りを持っていって,あとはみなと同じ物を食べていたなんちゃってマクロビだった。
でも,肉は食べなかったけど。
ケーキは一度半分だけ,甥が買ってきてわたしの分と取り分けてくれたので半分だけ食べたな。
実家の食卓も,野菜中心でヘルシーになったし。
昔よく見かけたスーパーで買った揚げ物はトンと見かけない.
早くからこうなればな・・・と思ったりもする・・・



2009年07月13日(月) 49日法要が終り・・・

昨日終わった。
今朝は甥や義妹と壇を崩した。
でも,大きな遺影を床の間に飾り,ご飯とお水,お供えはお彼岸くらいまではしようと.
だって,まだうろいろしていそう。
それと昨日お寺さんにうかがったら,お彼岸くらいを区切りにしてもいいですよとのことなので.

昨日お経をよんでくださったお坊さんは3人.
すぐ近くのお寺の住職さん,うちはそこの檀家ではないのだけれどお墓はそこにあるので毎月おいでになる.
亡き弟より1つか2つ年下で,わたしたちは幼馴染でもある.
一緒に遊んだことも多々ある。
彼いわく「イサオさんとは子どものころの思い出もたくさんあるしね,まだ信じられない気がする・・・正月に年始に来られたときはお元気だった.(胃内の出血が止まって、あのころは一時的に元気の絶頂)
それから、亡くなられて1ヶ月くらい村内が沈んでいた、お経をよみにいくと、イサオさんの話になって皆さん,話題にされた,村を背負ってくれる人だったのに,あの人がいなくなってだれがまとめるんだということが多い・・などの話を聞いたといわれた.
ありがとうございます。
本当にありがとうございます。
まじめにがんばって(がんばりすぎて)他界した彼への何よりの「はなむけ」です。
あの世は,想念の世界,波動が合えばいくらでも聞けるということだが、弟は聞いただろうか。
喜んでいるかな・・・・
なんだかね,これ書いていても,涙が出るわ。
やっぱ,弟はいい奴、早く死ぬのルールかね.

お墓への骨入れのとき,またしても雨。
お天気雨.
亡き弟は雨が関係深いようだ.





2009年07月11日(土) 29才のガン死

キャシー中島さんの長女,肺がん死。
これは,見ていて切なかった.
両親に気持ちが痛いほどわかる.
だって,29才.
神様は,結婚式をあげるまでの幸せは下さったんだねえ・・・
彼女は「壮絶な闘病生活」
とあったが,そうだったろうな・・・若いし.
弟はどうだったんだろうか。
我慢をずいぶんしていたのかな・・・と話した。
4月までは確かに元気だった.
5月になってから徐々に食べられなくなっていって,体は(死期)知っていたのかもしれないとは今にして思う。
家族が「我慢」に気がつかなかっただっかもしれないが、「壮絶」とまでは行かなかったような・・・ある意味,それでみんな,少し救われている面がある。
トイレも死の当日まで自分で行きたいとがんばった・・しかし,1,2回は看護師さんに取ってもらって、最後の数時間,管がついたようだったが。
まあ奥さん(義妹)が体が不自由だし面倒はかけられないと思って,彼流の優しさや責任感でがんばったのだとは思う.そして,面倒をかけないためにあっという間に逝ってしまったのだろうと・・とは母いう。
まあ,そうかもしれない.

ガン死のニュースを見るたびに「うちは・・・」と考える。
それが癖のようになってしまった.
明日は49日だ.
魂魄この世にとどまるリミット.
でもな,だれの夢にも出てこない・・・どこまで逝ってしまったんだか.
持ち前の人付き合いのよさで霊界挨拶回りや人脈づくりをしているのかもしれん。
あっと,まだ幽界ってとこにいるのかな.



2009年07月09日(木) お手紙

関東地方は暑いらしいが,当地は雨の1日.
涼しい.
半袖Tシャツが寒いくらい.

あの伝説のお遍路さん幸月さんが,仮出所されたというお手紙が,愛媛のある方(Aさんとしておこう)から届いた.
彼は,入獄後の幸月さんを一貫して支援されている.
いつだったか,仮出所にあたり身元保証人になる.
住まいやそのた諸々の準備のために費用がいる,カンパをと言うことだったので,気持ちばかりをさせていただいた.
その報告ということであろうが,幸月さんを大阪までお迎えにいき,高野山を参拝し、生活保護が先か定住が先かといった綱渡り的なところをなんとかクリアされて今は,市営住宅におられるということを報告してくださっている.
幸月さん、86歳,よかったなあ.(9月が本出所らしい)
それにしても,Aさんの誠実さというか一貫した優しさというか,その筋の通し方に頭がただ下がる.
そしてただその落ちつき先の決定やことがうまく運んだことを「遍路の功徳」「お大師様のおかげ」ととらえておられる.
美しいなあ・・・胸を風が吹きぬけたよう・・・
このところの自分の落ち込みや、だめさが浄められたような。

唐突だが,
肉体を失ったものはどう生きたか,かだ。
そして,今肉体を持つものはどう生きるか.
そして,善なる行為であってもそれをどうして為したのか.
肉体に閉じ込められた魂は,エゴから完全に離れることはむずかしい.
しかし,それでも行為に「きよらかさ」がどれだけ伴うのか.
これが大事な気がする.






2009年07月08日(水) 涼しい日

風が気持ちよい.
北の前線ががんばっているのだろうか.
大阪のパチンコ店放火.
またしても「だれでもよかった」ですか・・・・
いやはや.
亡くなった方のご家族もやりきれないだろう.
マイケル・ジャクソンの追悼式をテレビで見た.
子どもが11歳ですか・・・
これまたかわいそうで・・・

やはりこの世が実は地獄なんだろうね.



2009年07月07日(火) 七夕

晴れている.
よかったね.
弟も,玄関先に笹飾りをつけて,何やら,子どもたちと願い事を書いていたなあ.
今は昔の物語.
我が塾の笹飾りもゆれている.
わたしが書いたお願い
「世界が平和になりますように」
毎年これだけなんだけど,今年は
「ガンを治す薬が早くできますように」
これを目ざとく見つけたある子が「そうだね」とうなずいていた.

ぼやりんとした天気のせいか,ますます何もやる気がしない.
ただ無為に生きている感じ.
それでも「生きている」からいいのかな.
がんばらない.



2009年07月06日(月) 受身で過ごすということ

わたしはもともと好奇心も、ミーハー気分もあれこれ豊富な人間だった.
でも、今はないなあ・・・
なあんにもしたくないっていうかこれがしたいってなくなった.
弟が生きていたときはあった・・・って思うのだが.
そして、それはそれなりにわかっているのだが、今やそれをやろうとか、やりたいという情熱がないのだね.
これはどうしようもない.
ただただ、この気持ちに忠実に受身で過ごす。
自分の心を幸福のソフトではないが、清く明く(あかく)。
これだけは意識して.
今までだったら、身も心も動かさずに、ちちこまること、もっとも苦手なんだけど.

今週末は49日になる,
この世が魂の修行の場としたら,母の魂は何の因果でこんな大変な修行を引きうけることにしたんだろうか。子運がない人、つくづくかわいそうだと、昨夜眠れぬままに考えた.
じっとりと暑い日が続く.



2009年07月05日(日) 大勢のお客様と不思議

昨夜は15人どころか20人おいでになって、49日の間は、と開けっぱなしてある、茶の間と座敷十六畳がぎしぎし.
弟を偲んで大宴会.
まだ信じられんなあ・・と、泣き泣きいう人も多数.
うんうん.
家族だってそうだもん.
母いわく、昨日午後11時ころ、大豪雨、一時的に。
洗濯物が取り込めずに大変だったと.
しかしだ、11時、車で10分足らずの我が地域は異常なし.
ははん、弟、あっちからしばし、戻ってきたなあ.
納棺の後の雷と大雨。
今回も、雨といっしょに戻ってきたのかい。
気配り系の弟、宴会の用意ができているかどうか、チェックに早めに来たのかも、と義妹との話。
で、お客様がお帰りなって後始末をおえた10時過ぎ、遺影に手を合わせようと座ってびっくり.
ろうそく立てから、ツララのようにいく筋もいく筋もろうがしたたたっているでないか.
それは異様・・・義妹と母を呼んでみせた.
周囲には、お友達が上げてくださったお酒やビールやおつまみ多数.
まるでよだれ(笑い)か、嬉し涙か.
今まで同じようなろうそくを何本も立ててきたけど、こんなにだらだらろといく筋もたれて下がったことは一度もなかった.そもそも垂れ下がったことなどないのだ.
これまた「しるし」?かな。
「今日は来ているよね、とみんなで話していたんですよ」
などといって帰っていかれる人もおられて。
私も「うん、そう思います、こんなにぎやかなところに顔を出さないわけがない、あの弟が」
「でも、もう、殿町(我が町の歓楽街)で飲もうやとか言って2次会にいっているかもだけど」と姪が笑いながらいっていたが、これまたそうかも.

20代、まだ私が京都で大学生をしていたころに、弟が高校時代の友達と共に遊びに来たことがあった。
その方も見えられていてしばし懐かしい話をした.

自分のうちに帰ってくると放心状態になる.



2009年07月04日(土) 「私の遺言」にあった幸福のソフト

佐藤愛子さんがお世話になった霊能者のひとりに中川昌蔵氏という方がおられるそうな。
この方、2002年に亡くなられているのだが、六十歳のときに霊能に目覚められて「中川無線」という大きな会社を息子さんに譲って、自分は人助けの道へ。
で、この方が提唱された(今もこれを取り上げているブログはあるので。されつづけているというほうが正確か)幸福のソフトがあるという.
それが「私の遺言」に載っていたので紹介.
 今日一日 親切にしようと想う
 今日一日 明るく朗らかにしようと想う
 今日一日 感謝をしようと想う
 今日一日 謙虚にしようと想う

これ、見える場所(トイレの中が最適)に貼り付けて、
毎日5分間位、四つの言葉を強く想い心の中に刻む。
実行せず想うだけででよい。直ぐ実行するとソフトが出来ずに失敗する。
のだそう。
(私は、実行せよといわないところが気にいった)
そして、四つの想いは言霊となり右脳の潜在意識にインプットされるんだそうな。
で1年位で固定化されて幸福のソフトが完成するのだそうな。

思うのは、このごろの自分だめだな、と。
せめてこのソフトなら実行できそうだと。
何をする気も起きないけれど、紙を見て念じることだけはできそうだと。

今日は夜に、生前弟と若いころから親しかった人たちが15人も来て「宴会」してくださるんだそうな.
にぎやか好きで、お客さん大好きだった弟、大喜びだろう。
ありがたし、感謝.

今朝掃除しつつ、大きなテーブルの用意を2つ。
甥いわく、3つないと足りないな・・と.
「もう、こんなふうに3つもテーブルつなげてなんてこともないだろうし、いらないよ、これで何とかできるよ」
甥、「そうだね」
こういう応答もつくづく寂しい.






2009年07月02日(木) 私の遺言、という本

「あの世」はあるのだろうか、ないのだろうか。
佐藤愛子さんのこの本、そんな疑問に彼女の体験から書いている。
バリバリの現実主義者、この世がすべて、みたいな印象の小説やエッセー。
実際、北海道の山奥に建てた別荘で、さまざまな霊的事件が起きるまではそうだったらしいが。
なのに、佐藤愛子さんが「霊界」のメッセンジャーだったとかという感じなのだ。

佐藤愛子さんといえば、怒れる小説家、正直者というイメージがあるが、そのひとがここまで書くか・・・・「見えない世界」(あの世)という印象の本。
彼女は、あるかないか以前につきつけられている。
あるという人を迷信だ、キチガイだ、科学的に証明されていないというんだったら、ないという証明もまたされていない。
だから、それを信じるか否か。
信じたほうが幸せと思えるんだったら、信じるべし。
無に帰すると思うんだったら、そう考えるべし。
と、いうことだろう。
また、この本についてはゆっくりと書きたい。
昨日セブンイレブンで受けとって、一気に斜めで読んだので・・・



2009年07月01日(水) 7月だ・・

はやいなあ。
去るものは日々に疎し、というけれど、それは「他人様」だけのことだろう。
「身内」はねえ・・・と思う。
でも、多分私には、「発想の転換」が必要だ。
心を、布団をかぶって寝ている状態にすること。
心・精神をを動かさないこと。
日々の生活瞑想。
あまりに先のまで考えない。
こうする訓練をしないと心が壊れていくように感じている。

雨である。

ちなみにガン死、年間30万人。
私の住まう市の人口が丸ごと消えているのと同じだ。
自殺もそうだが、これは「戦争」だよね。
30万を365で割ると、約822人/日の死者。
イラクでもアフガニスタンでもありえない数字ではないか。
自殺者は、3万人強。
これは約82人か。
だとすると、日本では戦争でもないのに、日々900人くらいの人がガンと自殺で亡くなっているわけだ。
これを「地獄」といわずしてなんという?


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