世界お遍路 千夜一夜旅日記

2008年12月31日(水) 人並みに大晦日

午後からいくつかの郵便物を出して,寺宝温泉へ.
きょうは日帰り温泉は休みだが,湯治館の宿泊客用は開院パスを持っている人のみ五百円でいれてもらえるので,温泉納め.で40分ばかり漬かった.
その後実家へ.
床暖の部屋の床ぶき,トイレ掃除,末弟の入浴介助,ワンコの散歩とお風呂(これが大変)・・などなど。
夕方.
いつもは盛大に焼肉とビールの大晦日なのだが,本日は,魚介と野菜・キノコの豆乳鍋と十六茶である.
もっともささやかにいただいた牛肉は焼いたが・・・遠慮しいしい食べていたね.
でも,姪が嫁いだが,みんなそろっている.感謝.
弟は,息子に「ゆっくり食え」と自分が言われていること命令し・・・40分あまりをかけて,ご馳走を食べた.
ビール無しでも,ワンコのおかげで楽しく会食であった.
終わってからは,ビワ温灸と呼吸法・気功.
いつもの終りであった.
きょうは,これからひとりビール.
2009年,がじきにやってくる.
みなさん,よいお年をお迎えください.



2008年12月30日(火) 弟の血液検査結果

白血球値が正常値にもどった.
さらに,腎臓・肝臓の数値がぜんぶ正常値内へ入った.
赤血球値は,さすがに全般にまだ低いが、ヘモグロビン値も,11.4で若干改善.
抗がん剤をやれば下がるばかりのはずの数値が上がってきている.
医師は,これなら,休薬1週間で,また3クール目に入りましょう.
といけいけドンドンだったらしいが・・・・
数値がいいのはとてもよかったと思う.
抗がん剤でダメージを防ぐために,やっているたくさんの事が(なによりふしぎ味噌汁が効いているんだろう),それから心配して下さって祈ってくださっている方々や家族の思い,本人の努力の賜物だと思う.
問題は,本人が「俺は元気になれる」と思いこむことなんだ.
昨日すでにその気配があった.
末期ガン患者であることに変わりはない.
それを忘れてほしくない.
さらに,「ガンは不治の病」ということも頭においてほしいと思う,
数値がよくなったらそれをどうキープしていくか,なんだと思うのだが・・・
そのあたり,味噌先生に検査結果を送ったら,しっかりといわれた.
さすが!そのとおり。
で、本人も言うと。
「油断するな,健康ではないんだから,末期ガンは依然としてあるんだから.ガン患者の数値はあっという間に悪くなる」といわれたらしい.
そうなんだよ.
よくぞいってくださった.
1月1日から,休薬にはいってさらに数値は改善方向に行くと思うが油断大敵.
ゆるゆると,御身大切で生活をしてほしいと思う.
きょう温泉が終い湯なんで,母をつれていったら同じことを言っていた.
さらにホントにこのごろ口うるさいと・・・これもまた体に障るだろうと.
然り.
そして,先夜は
「治っても,今までのようにできなかったら,しょうがない」といったもんなあ.
人間とはつくづく業の深い,悲しい生き物だと思った.
そして,ガンとは欲の病ということを書いていた本がったけどそうだなあ・・と思った.
「治らんよ,ガンは不治の死に至る病だ,これからはそういう自分の体や、あちこちにちらばった癌細胞をおとなしくてしていただいてどう生きていくか」ということがテーマになるんだよ.
といったら、いやな顔をしていた.
後で,姉貴はいやなことばかりいうといったらしいが.
人のよいところを見て,感謝感謝の気持ちをもっと育ててほしいと思うのだが・・・そして,今までのようにバリバリできなくても、生きているからありがたいと素直に思ってほしいと思うのだが.

雨だが冷える.
今夜は雪らしい.



2008年12月29日(月) 3日ぶりの温泉なり

午後から3日ぶりの温泉.
気持ち良し。
やることたくさんなのに,なんだか後2日で今年も終りって,それなに?状態だ。
今年のお四国へのお出かけは,ほとんどお仏前参りの状態だった.

以下は2泊3日の記録なりです.
26日:善通寺前管長さんのお参り。「静かに亡くなりたい」というてました,そのとおりに逝きました・・と奥様が泣かれていた.さまざまお話を伺ったときの思い出がたくさん.
祈ご冥福。
曼荼羅寺のあと、出釈迦寺,西行庵(これは,同行してくださったTさんのリクエスト)、甲山寺、善通寺本堂とまわっていたら,5時になった.
西行庵は,まるで,良寛さんの五合庵であった。
27日:Tさんのご主人が,ドライバーをしてくださって供養碑へ.たまちゃんご家族と一緒にお参り。
蒔いていただいたクローバーの種が芽吹いていた.
その後,88番へ「見えないお遍路さん」を背負って・・・。さすがに寒くて,水屋に氷が張っていた。
遍路資料館に後あいさつをして,供養碑の土地を提供してくださった方の奥様が亡くなられたのでこれまたお仏前参り.やさしい方だった.72歳,まだ若かったねえ・・・ご冥福を祈りたい.
これで,今回の旅のテーマ,お仏前合掌は終わった.肩の荷が下りた.年が越せる.
昼食のあと、3人とも大昔に1度だけいったことのある栗林公園に行こうか、という話になって1時間ばかり散策.穏やかに晴れた中,気持ちよかった,
・・・・
高松駅でTさんご夫妻とわかれて,わたしは姫路へ。
夜は,なつかしのdさんと宮司さんに夕食をご馳走になった.播磨のおいしいお酒も.久しぶりにお酒がおいしい,食べているものがおいしい、という思いがした.お喋りもたのしかったし、いい時間をいただいた,感謝,.
先月以来,食欲はいまいちであったからなあ.

28日:朝一で、姫路のYさん・dさんと破磐神社へ。弟の病気平癒のご祈祷「元気回復」の祈りをしていただいた。
久しぶりに割れ岩も参拝.
その後,dさんと大阪へ。水かけ不動さんで終い不動.
スクナヒコナ神社参拝,(くすりの神さま)
で,味噌先生のところへ.ランチ.
これまたごうせいで楽しい時間、ありがたし。
ミソ先生「絶対,奇跡が起こるよ.」
この言葉を信じたい!
でもって,またまた強風で電車が遅れたのだけど,十時はうちにいた.
以上記録レポートなり.






2008年12月28日(日) 2泊3日の旅

本日夜帰宅.
寒いねえ。
雪が少ないのにやれやれよかったと.



2008年12月25日(木) あれている今宵

大荒れの天気.
明日からは雪だ.
しかし,わたしは南に出かける.
今晩の夜行で,2泊3日なり。
すまぬ。
実家のガン患者のビワ灸は姪が。
呼吸法は,一番簡単なもの(名づけてグレート大深呼吸)ならひとりでできるというので,それを毎晩最低10回を宿題とした.
あまりの荒天に駅まで歩く根性がない.
ずぶぬれになりそう・・・タクシー予約じゃ.



2008年12月24日(水) 夜の温泉

弟の発病以来母ジャヒトが参っているので,できるだけ温泉へ.
くらいしかできないもんね.
てなわけで本日もそう.
帰りの車中で母いわく,自分ものどが治らない・・ガンかなあ、病院へ行こうかなあ.
ハイハイいってください.
わたしも含めて「家族にガンかも病」が蔓延している.
この後に及んで,やっと,ガンが国民病で,「ありふれた病」であることを実感しみじみとしている.不治の病はたくさんあるが,それでも,早い時間で死に至ることのある病が国民病って・・・交通事故撲滅とガンを治す方法の開発は国策とすべし,だ.
それでも,日本人って病に受身でありすぎるような気がする.

本日もよい天気。
この新潟らしからぬお天気はいつまで続くのだろうか.



2008年12月23日(火) 年賀状つくり

遅れていまする.
今作業続行中でござる,.
1日間に合わんかも.
そもそも,プリンタが古いし,早くは出来なのだけれど.
やれやれ。
70歳くらいになったら,これ,やめよっと。
っていうかそんなにいきるのかい??
と自分つっこみだ。

山は真っ白.
今夜は冷える.



2008年12月22日(月) 1日横浜へ

朝一の新幹線で,横浜のカネサカサンヘ.
腰のつまりを治してもらって,針灸をたっぷりしていただいてずいぶんと楽になった.
9月の末からの不調をここまで引きずっていた自分が悪いのだが。
帰りに,二つの銀行通帳を解約してきた.
以外にもたくさん残金があって,ボーナスをいただいた気分.
弟にビワをしながら話したら,いずれにしろ自分の金だろ、と笑われた.
銀行それなりにこんでいて,終わって,3時過ぎの新幹線で帰ってきたら夕方.
っていうか、2時半過ぎると3過ぎ過ぎまでないのだわ.
上越新幹線の時間,少し偏っているわ.
帰りの車中は爆睡だった.
鍼灸はそれなりに疲れると言うかリラックスするので眠くなる.
今晩は,みぞれもよう。



2008年12月21日(日) シスプラチン 副作用

実家ガン患者,シスプラチンの副作用,例によって。
それでも今回は,吐き気止めを服用しているので,ご飯は食べられているが・・・。
今日は夜,湯豆腐だったのだが食べていた.ご飯も1膳ははいったようだし.
でも、発熱とだるさ。
それと背中の肩甲骨のところ,はれていた.
やっぱり抗がん剤は怖いなあ.

先日の抗がん剤前の血液検査,白血球値は落ちていたが、ヘモグロビン値などは上がって止血はできているようだし,何より前回よりリンパ球が増えている.これは多分すごいことだと思うのだが。
NK細胞などはリンパ球が担っているはずだし.
夜になって雨.
ホントに雪になるんかい?
気温が高すぎるけどね・・・



2008年12月20日(土) 雇い止め

いやな言葉だ.
おまけに,さっき,代々木の借家で亡くなって6年間発見されず,白骨で見つかったって記事を読んだ.
まいった・・・・
いやあ・・・陰々滅々.
やっぱりこの世は「地獄」なんだろね.
で,わたしたちはその地獄のど真ん中でご修行させてもらっているんだろうなあ.
唐突だが,
あしたは,わたし的元気だしの抗うつ薬、葛根湯をのもう.
いいお天気が救いだが,しかし,12月の新潟の天気ではない.
ええのかい?



2008年12月19日(金) 陰,極まる

4時で薄暗い.
21日,冬至だ.
陰極まる、だ.
世の中もそうだ.
一陽来復,をはやく期待したい.
こういうの,太陽電池由来ののわたしは苦手.

ガン患者,意外と元気よし.
白血球値、3400.
(正常下限は4000)
感染症を気をつけねば.



2008年12月18日(木) 18日,観音さまの日

観音さまの日に,実家弟ガン患者,抗がん剤で一泊入院.
白血球値が抗がん剤を入れるぎりぎりらしい.
でも,いってみたら,なんとけろっとしてベットで仕事していたわ・・この後に及んでだけど・・・この性格がガンを呼んだかねえ。
やれやれ。
ミソ先生によると,抗がん剤が効いているから低くなったのだ,ということらしいが.
さてさて,そうであってほしい。

寒くなった.
さっき,雪おろしの雷がなったし,また雪がくるみたいだ.



2008年12月17日(水) 今日も晴れだよ・・・

昨夜いいお月様.
今日はきょうとて,晴れだ.
どうなっているのよ.
いいのか,この天気.
日本海の海水温が高くて鮭が不良だそうな.
寺宝であう漁師さんのおかみさんも,今年は,去年の半分っていっていた.
今はホントは水ダコがとれるはずなんだけどそれもあがらないって,みんな水温高すぎのせいらしい.
おかしいよ,湯沢は雪無しで,きっと雪願いの雨乞いするぞね、きっと。



2008年12月16日(火) 不気味すぎるいい天気

またまた晴れた.
いいのか?
だいたい今ごろって,みぞれか雪.
さらに,薄暗くて陰気.
それが雪国の年の瀬だ.
無気味過ぎる・・・青空が広がると.

今日は長岡本局に振込みにいったら,駐車場が満車.いつも赤いゆうパック車が止まっているところががら空きなんで止めたら,.ゆうパック車のおっさん「そこに止めるな,郵便車のスペースだ!」と怒鳴ってくれよった.
「支払いを1枚してくるだけ,だいたいちゃんと駐車場があれば,ここには止めない.あいているんだし,ちょっといいでしょ,臨機応変できないの」
しかし,「止めるな」のいってんばり.
あまりに図の高い郵便おっさんの態度に怒った.
で、分かった,もう出る、でもお客として苦情をいいたい,電話をかける上の人に。あんた,名前を聞かせなさい,と怒鳴ってやったら,名札を隠した.
やましいところがないんだったら見せなさいよ,とつめよったら、わたしの剣幕に負けてそっと見せて「すみません」と,こそっと謝った.
どうも,女だと侮ったもよう。バカ.
彼が全面的に悪いわけじゃないけど,結局コンビニで支払いをしてからかえって電話した。
郵便車駐車場ががら空きで一般が満車だったら止めるのはしかたないでしょ.それと,物のいい方があるでしょ・・と.
後で担当者から,また電話しますと,えらく低姿勢だったけど,その低姿勢が行き渡っていないよ.



2008年12月15日(月) 魔物のような・・・

寺宝温泉には,元気な高齢女性がたくさん来ておられて,そういう人たちは,ダンスだの民謡に「命」かけている,といった風情の人が何人もおられる.
そんなお一人が今日いわれた。
「私なんて,まだまだ,80過ぎ,90近くで,ステップを軽がるなんて人がたくさんいる,魔物かと思う」だって。
魔物みたいに元気な人,確かにいるよね.
笑いました.
魔物といえば,2ちゃんねるで,M子妃に何かついているんじゃなか・・「魔」に見えるという人多し.
そうなんだよね・・・私も邪悪が人になるとああなるという気がこのごろの写真を見るとする。
気持ち悪い気がもやもたとでいていてけむたく見えるのだ.
家族3人,東宮一家,どよんと気がよどんで見えるし。
おじょうさんは,心のはいっていないお人形に見えるし.
お誕生日文書は,例のごとくグタグタ。
取り上げる気にもならん.
宮内庁長官が,天皇のご不例は,東宮関係の問題が・・・という風な発言をしていたが.分かるな・・でも相手が「魔物」だからねえ。
大変だ.

今日は,晴れ,みぞれ,雨,晴れ・・実にめまぐるしく変わるお天気.
北欧の夏を思い出す.
一人で旅していたころがばら色だったな・・・.占的には,ホントはあれがわたしの人生の底っていわれていたんだけど.
さらに船底があったわ.



2008年12月14日(日) 自分の時間が減る一方

たくさんの本が「積読」になっている。
今日も4時過ぎから,実家でいろいろ,毎日夜は行っているし。
しかたないね。
実家のガン患者は今夜も鱈鍋結構たくさん食べたし,このところ9時半には寝て6時には起きて,お昼寝もして。
とにかくご飯がおいしく食べられることがよい,これがまわりもうれしい。
今日,母のビワ温灸をしていたら,自分が代わって死んでいけるもんだったらそうしたいとぶつぶつ。
待て待て,なんでそう簡単に「死ぬ」っていう?
2日前も,唯物論者の甥っ子ともめた。
彼は,抗がん剤をとっても「すてきでたのもしい」ものだと思っているよう。
で,わたしがいないときは代わりにビワ温灸をしてやってといったら「俺はあんなもんは信じない,お父さんは残された時間をあんなものをやるんだったら,好きなことに使ったほうがいいよ」
これまた,簡単に「死ぬ」と思っておるがね。
信じる,信じないではなくて本人が気持ちいいといっていることはしてやってもいいんじゃない?といったら,いやだね,証拠のないあやしいことはやりたくない。抗がん剤でいいと思うんだって。
あほか。
甥はいい子だけど,変わりもんだっていうのが定説だったんだけど,やっぱり・・・それにしてもどうしてそんなに石頭?
人間,そうかんたんに死なんよ,本人が「生きる」「もっと生きたい」と思っていれば。
そうそう,あの「お札あて気送り手当て」でまたまた弟は,いびきをかいて寝ちまっただ。
よっぽど,体をリラックスさせるお札であるらしい。

今日はいい月夜。
12月とも思えない陽気ではある。



2008年12月13日(土) 暖冬傾向で推移

長期予報によると、年末までは暖冬傾向で推移、らしい。
でもま、いつ寒気団が降りてきて一気に「変更」となる分からんけどね。
腰の骨の調子が悪くて、右側の体がよくない。
右と左の体が別人のよう。
時間見つけて、カネサカさんにいってくるべ、かな。
つまりは。

今日は、お日さまが出た。
気持ちのいい日。
障子をあけてお昼寝をした。
土曜の昼寝は限りなく気持ちいい。



2008年12月12日(金) 暗い、大雨

夕べから大雨。
要するに暖冬なのだろう。
本来なら雪になるものがみんな雨だもん。
夜になると実家にいって、弟にビワ温灸をして、その後に呼吸法をでほぼ1時間から1時間半。
胃に「気」を手当てで送るのだが、今日は、「行者さんのお札」を気の手当てにつかわせていただいた。
弟いわく「このお札を載せて気がくると眠くなる、明らかに姉貴の手からの気だけとはちがう」って。
ほう!
ホントに気の出ているお札なんだが、気感ゼロの弟をそこまで言わせるお札ってドンだけ?たいしたもんだ。
ただ、乗せているだけではだめで、やはり、その上にわたしの手からの気の照射がないとだめなようだが。
見えるものしか信じない人には大法螺だろうけど、今日のホンのさっきの話でした。
弟は顔色がよくなって、ビワをしていて感じるのは胃周辺が柔らかくなったようってこと。
規則正しい生活、食生活と食べ方の改善(ミソ先生のお蔭)、十分な睡眠と、保温、毎晩のビワと本人が一生懸命している呼吸法、全部がいい方向へ動いていると信じたい。

ちなみに、睡眠がガン患者には何より大事だそうな。
丹羽療法の丹羽先生は、「ガン患者は8時に寝ろ」と書いている。
また、帯津三敬病院の統計では、気功や呼吸法を熱心に取り組んだ人の生存率がとても高い。
こういった自分でできることを一生懸命することで「抗がん剤治療」の成果が出るんじゃないかと信じたい。



2008年12月11日(木) お天気よし、ガンのでき方講座

昨日、今日ともうけもののような天気だ。
11月中・下旬の天気だという。
ありがたし。
さすがにあしたは雨のようだが。
今日は寺宝温泉休館日。
五百円払って、湯治館の方にはいってきた。
はじめは、日帰り湯治の人が2人ほどいたが、その後貸しきり状態だった。
ゆったりと1時間近くつかってきた。
極楽。

さて、今日はガンのでき方講座でございます。
ガンは、正常細胞が暴走するのだ。
正常細胞は、たとえば胃だと、新陳代謝によって古い粘膜が剥げ落ちて死滅する。しかし、そういった制御が利かなくなった細胞(細胞の痴呆化)が死なないで、暴走をする。ガンを悪性新生物とはよく言ったものだ、と思う。
まあみんな1日五千個くらいこういう暴走細胞ができているらしいが発病とならないのは、ガン抑制遺伝子が機能するかららしい。
しかし、加齢とともにそれがよわくなって、発病となる。だいたい1つのガン細胞が分裂をして、1センチほどになって発病に至るのは20年っくらいかかるのだという。
現代医学の検査に引っかかるガンの大きさは10億個のガン細胞の塊らしい。
約1グラム。大豆くらいらしい。
ここまで10年から20年。ここまでは早期ガン、というらしい。
で、この早期ガン、数年はおとなしくて、その後進行ガンに移行するんだとか。
つまりはいかに「未病」の状態で体を保つか、ということが大事なんだってことだ。



2008年12月09日(火) セカンドオピ

昨日、紹介をもらって東京の王監督の胃がんを内視鏡で切ったドクター(多分)にセカンドオピを求めに行って、しっかり、冷徹にいわれてきたようだ。
わたしは、日本中どこの病院でもこっちの先生とおんなじこというよ、切れない、あの場所では・・といったのに、まだ「あまい期待」があったようだ。違うことをぃってもらえるのではないかと・・・
あほちやう、まっとうな医者なら切らんよ、切ったらあっという間に死ぬよ。
と細かく説明をしてくれた姪にいったら、泣き声でおこられた。
地元病院の先生が、本人の様子、家族の顔色を見て、いうのを控えた「ステージ4」もいわれたらしい。
地元病院の先生、いいたかったんだけど、先生の真正面にいたわたしが顔をしかめて首横に振ったんで、ステージ3Bと「転移をつながりと捉えるか、遠隔と捉えるかでステージは違ってくるんですが」と医師の良心で言い訳をいいながら、言わなかった4という数字。いわれてきたようだ。厳しかったね。
しかしまあ、まだ始まったばかり、余命宣告は受けなかったんだからよし、とわたしは思っている。
ガンの本、いろいろと読んだが「在宅療法大事典」・・帯津先生の本が希望が持てる。
これに、気功や呼吸法が功を奏する、と数字まで書いてあった。
毎日ビワ温灸とともに呼吸法もやっているのだが、これをわたしの知っている気功も取り入れて少しみっちりと時間をかけようと思う。
ふしぎ味噌と味噌先生のお蔭で食事は取れているし、胃からの出血もだいたい止まったようだ。食生活の内容も変わった。
だとしたら、今度は本人の体を中から変えていく、呼吸のしかたが変わると人生も変わるいう人もいるくらい。
希望は捨てない。
今は休薬。週末からまた抗がん剤が始まる。



2008年12月08日(月) いい天気

昨日までの雪がうそのようないい天気だ。
山は真っ白。
しかし、その辺の雪は消えつつあり。
でも、朝はもうつるつるで、結構事故があったみたいだ。
わたしも実家のワンコの散歩に行って、ワンコが走るもんで、いっしょにはしって、転んでしまったわ。
今さっき、寺宝温泉で、うった手をいやしてきましただ。
あしたからまた雨のようだから、もうけものの今日の晴天。
洗濯をたくさんした。



2008年12月06日(土) ガンが好きな生活、きらいな生活

弟のおかげ?で、実にガンに詳しくなった。
男性の2人に1人がガンになる、女性の3人に1人がなるといわれている時代。
ガンワクチン、外国で使用されている抗がん剤の認可など、国にを上げて取り組んでほしいと思うこのごろ。

でガンが進行するときの条件、次のようなものがある。
うちの弟、そろっていたねえ・・・・
ガンは
低温がすき(冷えた体)
酸素がすくないのがすき(ストレスで呼吸の浅い体、循環が悪い体)
不規則な生活がすき
栄養バランスが崩れて、ミネラル不足の体がすき
睡眠不足でつかれている人がすき
まじめすぎで、緊張ストレスがある人がすき

この逆なら、ガンがいやがるってことです、はい。
温める
気功などで酸素を多いに体に入れる
規則正しく、栄養バランスのいい生活。
まあ、快食快便、快眠ってことですね。
いつも笑って感謝の念。

うちの弟の場合は、早食いの常習者で。これが一番よくなかっただろうと、さらに、昼間の仕事が終わると、会合と称して、出歩いて飲んでいたような。
そして、ガンの好きな肉(特に牛肉)だの、揚げ物、辛いもの、冷たいもの、洋風あまいもの・・みんな好きだった。
特に、実家の食卓、義妹が好きなこともあって揚げ物が多かった。
わたしなんて揚げ物、月に1回あるかどうかだけどねえ・・・
今は一切とっていない。
ご飯、特別なみそをつかった味噌汁、野菜、豆腐などの豆類、魚。
これらを30分かけて食べている。
ガンは究極の慢性生活習慣病だ。
まずは生活を患者自らが変えないといけないのだわ。

読んでくださった方の参考になれば幸いです。

今日はホントに大荒れだ。
でも、気温が意外と高くて、雪は積もるほどにはならず。



2008年12月05日(金) ホントに雪?

今日はめまぐるしく天気が変わった。
朝は晴れ、なんと18度だよ。
で、10時を過ぎて降ってきて、それもかなり激しい降りで、風も吹いて。
そのまま、午後に突入。
夜は、雨のまま。徐々に温度が下がってはいるが。
さらにあしたは暴風雪の予報。
ほんまかいな。
そこまで、温度は下がっていないけどねえ・・・
しかし、このごろ、天気予報がよくあたるんでそうなることか。
暴風雪だと、川向こうの温泉に行くのが厳しいので、穏やかに、穏やかに、と祈る。



2008年12月04日(木) 蓮池さん

蓮池薫さんが昨日だったかの夕刊で、拉致された北朝鮮できんぴらごぼうをつくって、母の味をしのんでいたって、書いておられた。
それも、野性種のようなものから、自分で種を取ってまいて、ごぼうをつくってだったそうな・・なんだかジーンときた。
そうか、そうか。
で、今まだ北朝鮮で拉致されたまま暮らしている人も同じだと思う。
早くみんなが帰れるといいという発言で〆。
そうだね、としみじみと読んだ。

日常生活、今だもう一つ、ぱっとしない。
ガン患者の家族は第二の患者ってことばがよくわかるこのごろ。
毎夜、星がきれいだ。



2008年12月02日(火) いつものあれこれ

11月の半ばから、あらゆることがストップしていた。
かろうじて、塾だけはやってはいたが・・・
温泉も、母親を連れていって元気をつけたいのでいってはいたが。
あと、地道に積み重ねてきたこと、ネットで毎日更新してきたこと、すべて休んでいた。
今日から復活だ。
長い闘いになる。
平常心、普段の生活をおろそかにしてはいけない。
と思うのだ。

3時過ぎに30分でもいいから、と寺宝温泉につかりにいった。
そうしたら、ばったり、友だちにあった。
以前、新津の友人とわたしと来て以来「クセ」になったとかいう話で。
いいクセつけましたね。
いろいろと話を聞いてもらってわたしもストレス解消であった。
ありがとう、タミちゃん。



2008年12月01日(月) 12月だ

すぐ下の弟のガンが発覚して2週間あまりが過ぎた。
日本人にありふれた胃がん、ステージ3、すでに遠隔転移していて切れない。
ドクターは言った「厳しい」
抗がん剤投与のみで、ガンの退縮を待つ。

始めの一週間で体調を崩し、その後なんとか立ち直りました。
それでも、発覚以降毎晩ビワ温灸と呼吸法の指導をしに塾が終わるとかよっている。
徳島にいたとき、バスの中から「ビワ温熱療法」という看板を見て「これ、わたしやらないといけない」となぜかびびっときて、そうしてやり始めたわけだけど、このための予感だったのか・・とほほではあるが、何かしてやれる技があってよかった。
今も、ビワを終了して帰ってきたところだ。
家族や、不思議のご縁の助けもあるし、今日の血液検査の結果は思ったよりいいらしい。
胃からの出血も止まったらしいし。
本人は、意外と元気で、体重が減っているし、免疫力も落ちているので無理はできないが、限りなくふだんどうりに生活しようとしている。
もちろん、胃がんて、要するに慢性生活習慣病のきわまった形だから、今までの生活のよくないところは反省して改めつつだが。
それにしてもこの2週間で、たくさんのガンの本を読み、ネットサイトを見た。
そして、不思議なご縁の指南先生に教えていただいていることもある。
読んでいる人のお役に立つためにもぼちぼちと書いていきます。
静かで熱い闘いの冬のはじまり。
とにかくやれることはなんでもやる、絶対に助ける、助かってもらう、助けていただく。今から死んでもらっては母親があんまりかわいそうじゃないか。




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