2008年08月31日(日) |
明日から、また始まる |
明日から9月ですね。 また仕事はじまりまする。 今日は塾部屋の念入りな掃除をしましたわ。 きれいになりました。
コータイシさんころす、マサコ、やめたいから という2ちゃんねる書き込みで、逮捕されたお方がいますねえ。 あれれ・・でやや笑いそうになりました。 すみません・・・ 秋葉原以来、この手の書き込みに非常に厳しくなっているのに、馬鹿な男だ。 朝生(田原総一郎の番組ね)で、正統右翼で雑誌に「皇太子様に、敢えて忠言いたします」てな檄文を載せておらるる西尾幹二氏を招いて、東宮家問題(っていうかマサコ妃問題)の激論があったようで、それに刺激されてのことかもしれぬが。 西尾氏の発言は、ストレートにいってしまえば「一生お守りします」なら、皇太子の座を弟にゆずって、家族三人で静かにお暮らしになっては?てな内容だったようで。 おお、ついにネットでいわれ続けていたことがテレビで、ですか、と2ちゃんねるをROMって、感慨深いものがあった。 彼女は、自分に一番合わないところに身を置いている不幸なんだから、離婚すれば、パッと元気になる思う。 (西尾さんは、病気ではないので、1年以内にけろっと元気になるはずといったそうな、これ、爆弾発言だよね) 西尾さんはまだコータイシさんに「幻想」を抱いている見たいだが・・・でも、もうダメでないかとわたしは思う。 前日深夜までマサコ家族と、肉だ酒だと飲んで食べて騒いで、翌朝に祭祀をしてもダメでしょう。 神さまの静かなお怒りを招くだけだ。 うちの弟だって、御嶽山登拝に行くときは、1週間、肉は食べないよ。前日は飲酒も控えている。 庶民でさえそうなのに、コータイシさんが潔斎しないで・・なんて信じられない。 コータイシ・マサコ妃は、要するに割れ鍋に綴じ蓋だと思うのだ。 最近のお気に入り番組の一つに「大王四神記」がある。これ、ヨンさまが、王となるべき★の下に生まれたタムドク太子をやっていてかっこいい。さらに、この王さまの言動が「民を思う」「家来の命を粗末にしない」という点で泣ける。ええのだわ。でわたし、ビール飲みつつ、これ、コータイシさん見ればいいのにさ、なんて馬鹿なこと考えるんだわ、いつも。
ところで、九月に、天皇皇后さんが、三泊で新潟においでになるようだ。 山古志にもいかれるらしい。 中越地震の時もしっかりとお見舞いになっていた。 一貫した姿勢に敬意を表する。 こんなにご立派な親ごさまから生まれたコータイシ、どうして、孤立無援の丸裸状態になったかね。 まあ、元々そう賢くないのと、奥さん「一生の不作」だったのが一番だろうな。 皇室ウオッチャーもへじでした、
今日は降るはずだったのにお天気よし。 もうけもんだった。 水害で大被害の地域には申し訳ないが・・・ 玄関先の稲は着々と実っている。 実家は稲刈りをはじめた。
飛騨高山、さるぼぼだらけ。 どこに行ってもある。 赤い顔して、てあしが付いて、絣の着物みたいなのを着て。 シンプルな造りなんだけど、目鼻が付いていないのが「のっぺらぼう」でやや、恐い。 「さるぼぼ、コイツ何もの?」 てな疑問を、今さっき、ネットで調べて解決した。 「サルの赤ちゃん、子どものお人形で魔除け、だそうな」 赤という色がそもそも魔除けだよね。 基本、ばあちゃんやお母ちゃんの手作りで子どもの身体健全と事故防止を祈ったみたい。 そっか、そっか。 了解。 もう一つ、飛騨高山で見かけたびっくりものは、当地でいう「夕顔」の実のような巨大細長の南瓜。 味は濃くておいしかったけど、あまりのふつうの南瓜と姿形が違ったので驚いた。
そう遠くない旅先ではあったが、それでもヘエ、というものが見聞できる。 やっぱり、旅っていいなあ。
お天気悪し。 あちこちで、大雨注意報だの警報がでている。 天気図見たが、べったり日本の上に停滞前線がのっかているでないのよ。 これでは・・・ね。 これ以上の災害がないことを祈る。
大雨で被害があちこちにでているみたいだが。 台風が来ない・少ないな・・と思っていたんだけど、これではいっしょではないか。 反対に松山の友人からのメールでは、貯水率が50%を割ったとか。 こういうところもあるというのに。 我が地方は今のところ、ボチボチかな。 これから稲刈りシーズンだし、あまり雨は入らない。機械が入らなくなってたいへんになる。
昨日、「崖の上のポニョ」を見てきた。 なんで「崖の上」が付くのかな。 単に「ポニョ」でもいいし、まあ、ストーリーに準ずるなら「海から来たポニョ」でしょう。 美しい映像でした。 ジブリの、ディズニーとは違う方向をめざした最高の職人芸を見せていただいたという気がしまする。 ま、ストーリーが、こんなに平和でいいの?って感じだけど。 世相が世相ですから、いいのでしょうよ。
旅4日目、アップ。 これで旅日記完了です。 8月が終わるというのに、映画の招待券(7月に当てたヤツ)が未使用。 今日は行くぞ、ポニョ。
また、暑さがもどってきたが、もう真夏の暑さではない。 虫のすだく音もすごいし。 今さっき、温泉から帰ってきた。 で、ビールが亡くなっていたので買い込み。 ついでにお刺身が半額だったので、マグロやらカツオを買って来て「漬け」にした。 生姜すり下ろしと、自家製黒酢漬けのニンニクの刻み、ソーメン出汁の即席だが。 少し、ごま油を垂らすと最高。 残ったら、明日サッと焼きまする。 これもおいしいよ。 単に、残ったお刺身をおみそ汁に入れるのも好きだけど、焼くほうがおかずになるモンね。 さ、これから晩酌じゃ。 今日は旅日記アップお休みなり。
ネット切る前に見たヤフーニュース、ショック。 ペシャワール会の農業支援の若者が遺体で見つかった。 ウーン、ショック。 熱い思いのすごい若者だなあ・・どうか無事でと思っていただけに悲しい。 神さまは、「いい人」を早くにご自分のそばに連れ戻されるんだね・・・。 冥福を祈ろう。 みなさんもご一緒に。 ご両親は無念だろう。
2008年08月26日(火) |
また、国民蹴散らして、メリーゴーランド |
皇太子さんたち、那須で2週間のご静養。 マサコ夫人は、仕事をしないで毎日が自由気ままなのになんで「ご静養?」なのだが。 いまや、「仮病」というのが「定説」になっているし、当然、またドッカに出かけて問題つくっているだろう? と思って、2ちゃんねるをのぞいたら、はい「りんどう湖」だって。 りんどう湖で遭遇した人のブログに写真付きでのっていたらしい。 ヒミツってないんだよね、ネット社会では。 (ま、2ちゃんねるでは、今の東宮夫婦が天皇皇后になったときには、きっと自分たちをブログに載せることを禁じるんじゃないの、という人もいるけど、それくらい彼らのやっていることは顰蹙もん) それで、またまた並ばず、厳戒態勢で、庶民の子どもや親たちを待たせてメリーゴーランドに乗ってご満悦だったんだって。 去年もそうだった。 いやはや。 去年だって、さんざん苦情がいっているはずなんだけど、懲りないね、皇太子さんご一家。 でもって、そばにには妹のレイコさんと子どもが2人。 「わたしも皇族の一員」といったといわれる彼女、ディズニーランドの時はマサコとお手振りした人だし、まあこちらも相変わらず。 これも懲りない女。 オワダさんちの人たちの面の皮ってどんだけ? 去年は愛子さんのお友だちとその母たち(マサコのママ友?)がいっしょだったが、今年はそういう人たちにも愛想尽かされたんだろうかねえ、それで礼子さんの出番ということになったのか。 皇太子さんは、公務があるし30日にに帰るんだそう。それでも10日以上休んでるよ。 でマサコ夫人は、アイコさんとさらに1週間ほどいるんだそう。 で、皇太子さんが帰ったあとに「オワダだよ、全員集合」をして、飲めや食えやになるんだろうという予測を出している人もいる。 かもね・・・妃殿下のゲスト、として。 だいたい、レイコさんも御用邸に泊まり込みだろうと予測されているし。 どんだけ?の人たちだからねえ。ありえる。
さらに、那須はすごく天気が悪くて、皇太子は、3人で那須茶臼岳に登りたいんだけど、延期に注ぐ延期だって。 でも、皇太子が登るってんで、道がすごくよくなったんだそうな。 わたしも、大昔、奈良は天川村の奥・弥山に登ったんけど、皇太子が登ったあとだったんだわ。木の根っこのでているところまで、引っかからないようにきれいに削られていた。階段はきちんと刻まれていたし。木がかわいそう・・・と思った。 まあつまりは、皇太子が山登りするって自然破壊なんだわ。止めろ、といいたいね。 茶臼は活火山だし、怒って、噴火しないことを祈ろう。 わたしの大好き三斗小屋温泉も影響受けてしまうよ、そんなことになったら。
昨年同様、今年も、皇太子ご一家那須滞在は、2ちゃんねるの一部掲示板を「祭り」にしているわ。 やれやれだ。 金輪際、この人たちに「次期」は無しでお願いしたい。 宮内庁に抗議メールしよっと。 庶民蹴散らすな、静養の静養って何?ご公務をなさらない人が二週間も??税金の無駄遣い!!国民を蹴散らして自分らの楽しみしか考えられない天皇皇后なんていらない!という感じで。 それくらいしかできないもんね。 いや、皇太子とマサコ夫人を今の地位から降りていただくデモでも行われるというのだったら、わたし、遠路駆けつけます。 薬害エイズの時も、イラク戦争の時の戦争反対デモも、一人でも行きましたし。 あれば行きます、時間と事情が許す限り。 どこからどう見てもフツー以下の思いやりや心映えしかない人が「日本の象徴」になったら、いよいよホントにこの国は終わりですよ。
以上、皇室ウオッチャーもへじのレポートでした。
涼しいなあ。 そのせいか、朝から寝坊した。 いつもとおりに母を迎えに行っていつものとおりに寺宝温泉へ。
で、さしたることもしないうちに日暮れがきた。 無為の1日でした。反省。
昨夜、無事に旅から帰りました。 上高地・・・飛騨高山・・・白川郷 でしたが。 白川郷の観光地化にはがっくり。 今は、世界遺産になれない。 だって、合掌造りが土産物屋だもん。 ゆっくり、日記アップします。 今さっき、1日目の上高地アップしましたわ。
一気に秋が来るのか? 肌寒い。 やるべきこと、たっぷりある。 遊んできたし、がんばるよ。
2008年08月23日(土) |
旅4日目 白川郷印象記 |
合掌民宿「H」(下に書くことがいろいろと差し支えるかも知れないんでこれで勘弁)がわたしの泊まった宿だ。 けっこう奥まったところにあって、上も下も同じ合掌造りの家がある。 築120年ほどだそうな。 造りは、玄関を入って突き当たりがいろりのある食堂。 そのとなりに2つの部屋。こちらは家の裏側になる。 まん中に廊下があって、縁側に面して3つの部屋。 つまり、このうちは、5つの部屋を民宿として提供しているわけだ。 で、わたしが泊まったのは裏の奥の部屋で、一番小さい部屋かな。 窓はあるけど、簾がかかっていて、水がおちる音がやかましい。 この水は、昔は消雪と家の中に引き入れて、台所仕事につかっていたらしいから、そのなごりなのであろう。 廊下の正面は板戸だし、仕切りも板だ。ガラスの入った障子戸もある。 子どものころの、実家の古い家のたたずまいがあってなつかしい。 その昔、日本の民家はみんなこんなモンだったんだろうよ。
部屋にはテレビはない。テーブル一つと座布団、蚊取り線香みたいなヤツのみ。 テレビは、食堂にもない。 トイレは、完全水洗で、自動で照明がつくしくみで近代的。 多分、台所とお風呂もそうであろう。(どちらも見てないので想像で) あと、トイレのとなりに部屋があって、ここには、おじいちゃんとおばあちゃんが居住。元気で明るい女将さんとそのご家族は別棟の新しく立てたほうにいるようだ。 あとで合掌造りの家ををいろいろと見たが、基本は、上がるとまずは正面にいろり。向かって右手には、たいてい水回り(台所)とトイレ(いわゆる雪隠ですな)。 左には、仏間とか客間などの居住空間がくるようだ。 あと、二階はいわゆるおかいこ部屋。 山里の現金収入は、このかいこと煙硝だったどそうな、だ。 煙硝は、すごいつくり方をする。 床下に穴を掘って、そこに草やら家畜の糞尿を入れて発酵させる。数年するとそこに硝石ができる。 これを売りに行く。 これが、江戸期には村を支えていたらしい。 この話は、和田家という国重要文化剤になっている合掌造りの見学をさせていただいたときにそこの大奥さんからきいた。 このあたりのことをもっと知りたかったのだが、残念ながら、野外ミュージアムにもにもそのくわしい説明はなかった。
合掌造りの復元ビデオを見たが、すごくよく考えられていて、まあ一種の組み立てはめ込み細工だ。 それは見事。 あと、家の向きも、南と北からふく風を取り入れるように設計されていて、東と西に水を引き込んで消雪まで計算に入っている。 昔人は賢かった! これを残したのはいいけれど、そして、それが世界遺産になったのはいいけれど、いいのか、通りに面した合掌造りの1階がみんな土産物屋で。 品位がないよな・・・これが問題だ。 生活していくこと、世界遺産になって人がおしよせてくること。 このバランスのとりようがむずかしい。 上高地は「河童橋あたりまで、上高地銀座だった」と話したら わたしが泊まった合掌民宿の元気な女将曰く「ここらあたりは、白川郷原宿になっとる」 確かに、言い得ておるわ。 だって、土産物屋さん、ほとんど道路まではみ出して、物をならべたりつり下げたりしていて、原宿竹下通りだよね。 「今だったら、世界遺産にはなれないね」 とわたしが、熊野古道は、舗装されているところは部分的に遺産からはずされていると話したら「そう、わたしらも、このままやったら、はずされる、と危機感もっとるんよ」 と元気な女将。 だよね。 でも、同じ村の住人だし、言い出せないで困った、困った、といっている気配。 むずかしい問題だ。 まあ、しかし、わたしはこの状況にがっくりしたのは事実です。 行政区分では富山になる五箇山も世界遺産だが、これほどではないらしい。 今度、そっちを訪ねてみるかな、地理的にも近いし。 元気な女将さんも言っていた 「あっちのほうが素朴で昔の雰囲気がいっぱい残っておるよ」 だって。 ただ、民宿の料理は、山菜やおばあちゃんの畑でとれた野菜をつかって心をこめて料理された物でおいしかったし、野菜を売っている合掌のおばちゃんたちの野菜カレーもとてもうまかった。
そうそう、朝5時半におきて散歩したが、そのときはだれもいなくて、ホント、日本昔話の世界だった。
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さて、13時50分金沢行きの急行バス。 15時5分には着いた。 15時20分の電車で、富山に降りたり直江津で休んだりしながら、各駅停車で帰宅。8時35分。 おかげさまで、「良寛」読了。 そして、マイ夏休みも完了。
2008年08月22日(金) |
旅3日目 飛騨高山から白川郷へ |
ホテルの窓からは、実に涼しい風。 ここのホテルの朝食はネットでほめられていたんで、楽しみにして7時すぎに降りた。 確かに、1泊5800円にしては、立派な内容だった。バイキングで和洋あって、おかずもそれなり。名物の赤カブ漬けとか、堅めの「石川豆腐」っていうの、煮くずれしないお豆腐がであったりして。 和洋あるのは、外国人の方がけっこう泊まるからだろう。 ここ高山は、ミュシュランガイドで、3つ★の町なんだそう。 確かに、外国人多し。アジア系ではなくて、白人が多い。 ミシュランの影響恐るべし。 なんてことはない、タイヤが会社が出しているガイドブックなのにさ。
ご飯食べてから、本日の行動開始は9時と決めて、それまでベットでごろついて「良寛」を読む。 くるときの電車と合わせ、やっと半分なり。 引用が多くて、それも、漢文読み下しとか古文で実にむずかしいのだ。 昨今の作家と教養の深さが違う、水上勉様。
さて、荷物をフロントに預けて高山探検へ出発。 まずは、となりの国分寺でお参り。 見れば、大師堂があって、真言宗じゃないのよ。 うれしくて、しっかと般若心経をよみました。 それから、古い町並み見物。 にぎわっているが、なかなかいい感じ。 なるほど、3つ星と納得。 売っているものは、「古い町並み値段」なのか、やや高めだ。 高山はその昔「天領」だったとか。で、その「お役所」の「高山陣屋」が復元されて残っている。 それをじっくりと見物。 お白洲が興味深かった。 拷問で、よく正座したひざに石が乗っているけど、1つ40キロだって。 ほう、で名前は「抱き石」というんだって。 つまり「こら、吐かぬと石を抱かせるぞ」というわけね。 さらに、吟味の場所も、フツー人は、石の上(いわゆるお白洲)、坊さんはその石においた台の上、 武士は、縁側だったんだそうな。 お日様ピカピカだが、乾燥していて、ときどき涼しい風がふくのですごしやすい。 飛騨高山祭りの屋台会館もある桜山八幡宮お参りして、12時半。 いよいよ、飛騨牛に挑戦だ。 山武、という牧場直営のお店へ。 一人で、ややさびしい炭火焼きだったが、お肉はやわらかくて、とってもおいしかった!でありまする。 何より、塩コショウのみで充分「うま!」っていえるのがグー。 お肉200グラム、野菜やデザートはフリーで3300円ほど。 思ったより安かった。 さてこれで思い残しことなく、白川郷へ行けるよ。
13時50分発のバス。 白川郷着14時40分。 トンネルができて40分も時間短縮になったのだそうな。 それにしても、すごい人だ。 さらに、合掌造りに1階が総土産物屋。 世界遺産の品位ないぞ。 がっくり、がっかり。 ところで、合掌民宿の夜ご飯にも飛騨牛が出てきた。 すごいね、今日は飛騨牛だらけ。 夜は、白川の湯という温泉へ。 気持ちよかったが、まあ、これってフツーの観光地よね。 白川郷印象記は明日にまわしまする。
5時半おきで、明神池へ。 ちょうどお勤め?らしき太鼓の音が聞こえていた。 後ろからお参りして、6時を待って300円払って池へ。 昨夜来の雨は、一時的に上がっているが、残念ながらこの池名物の神秘的な朝靄は見られず。 晴れて朝方冷えて、それが池の水との温度差となってできる現象だから、雨ではね。 池ではマルガモがエサをつついているし、のぞくとでっかい岩魚がいて。 あとからきた女性がすごいカメラを首からさげて「朝靄」が出なくて残念、といっていた。最近、こういうおばさんカメラ小僧みたいな人を、観光地ではよく見かけるねえ。 6時半近くまでブラブラ散歩。 ここって、秋に「お船祭り」という海の祭りをするんだわ。この山奥で「海」って、実に不思議と思う。 帰りがけに、梓川の上で振り返って見たが山も見えず。 ガスって、いつ雨がくるかわからない状況。 もう、今日は登山中止だね。 代わりに梓川を時間の許す限り周遊しよう。
食事後、出ようとすると主人が出てきて「また来なさいね」と唐突に声をかけてきた。 「はい、今回は、単に上高地の空気を吸いに来ただけですから、いいところですね、気に入りました。また今度は山に登りに来ますよ」 っていうことで、 高所恐怖症なんだが、岩峰でない、わたしも登れそうなところはどこか、と聞いたら、あっち(左岸)は岩だけど、こっちは大丈夫、というので、なら、いつか常念小屋へ行きたいと思ったのであった。 「河童橋のあたりはもう上高地じゃないよ、このあたりにくるとやっと、昔の面影があるなあ」ですって。 確かに、河童橋のあたりは、「上高地銀座」という感じでしたわ。 さて、ホントは歩いちゃいけない左岸林道を歩き始めるも、さすがに道標が出ていないので、だれもいない。 これいいね・・・・北海道の子ども村の熊で沢か、三斗小屋温泉への山道か・・・という感じであった。 一時間ほど歩くと「徳沢」の矢印。 ここから、橋を渡って、徳沢ロッジ方向へ。 雨が強くなってきたんで、雨具で完全防備。 徳沢ロッジ近隣はその昔(明治)に牧場があったところで平地が多く開けていて、キャンプ場になっていた。若者多し。 一休みして、ぼつぼつと今度は右岸を下る。 こちらはさすがに散策コースなんで人は多いし景色もいいが、ガスって山峰は見えず。 いずれ出直しで山、登るぞ。 と決意したのであった。
11時、河童橋近くのビジターセンター着。 中を見つつ一休みして、昼食のパンをかじる。 12時、田代池までまた歩く。 周囲の人の会話、日本語だけではない、中国語、ハングルといろいろ。 ここ、国際観光地なんだ。と納得。 っていうか、今回のわたしのコース自体が、アジア系の団体旅行コースなのかも知れぬ。
2時半のバスで、平湯温泉へ出た。 ここは、上高地へのもう一つの入り口だ。 バスでしゃべったおばさん2人組は、この温泉へ宿を取ってきたと行っていた、バリバリの名古屋弁なり。 で、わたしのスケジュール。 平湯で温泉に入って、3時20分の飛騨高山行きのバスに乗って。 という段取り。 平湯温泉は、バスターミナルの屋上に日帰り温泉があって、あらかじめ調べてあった歩いて5分の「平湯の森」っていうのを止めて3Fへ。いや、便利・便利だ。 温泉は、白濁したけっこうしっかりとした感触の湯で、やや熱めだが、かけ流し状態でいい感じだった。
高山は意外とこじんまりとした町。 歩いたといっても、10キロくらいだと思うが、久しぶりの歩きで疲れたので、早々に食事を済ませて、ホテルへ直行した。 夕食「飛騨牛ハンバー句定食」とビール。味は平凡だが、いいお値段だった。 観光案内所で聞いた牧場直営のレストランに行ったのだが、休みだったのだ。 明日再挑戦する! ホテルの隣は、高山国分寺だった。 国分寺がある町ってことは古いんだね。
2008年08月20日(水) |
My 夏休み 上高地へ |
今年は、18切符なしの旅だ。 3泊4日だが、バスを使用することが多いので、18切符を買っても2回しかつかわないのはもったいないというのと、残ってもどっかに日帰り旅にいく時間のゆとりもない・・・っていうのがその理由。 でもまあ、なんとしても「良寛」(水上勉)を読了したいので、電車に乗っている時間は長いほうがいい。 ということで7時24分発の十日町経由野沢温泉行きの、飯山線乗車。 電車の動き出す瞬間が、何ともいえない解放感で、カイカーン。 長野で乗り換え。合間に、長野お焼きをかいこんでお昼だ。 松本で、松本電鉄で新島々へ、そこから、バスで上高地へという段取りだ。 この「新島々」・・しんしましま、と読むんだけど、まじめに山の中なのに、なんでこの地名?という感じ。本日第一の不思議。 上高地は、車両乗り入れの制限をしているので、シャトルバスかタクシーとなる。 バスは、どんどん高度を上げて片方が谷底状態となるが、しかし、人家は、しぶとくでてくる。つくずくと日本人は山の民だったんだな、と思う。っていうか「信濃は山の中だった」とかいう一文、あれは、藤村だったか。 バスは「沢渡温泉」をすぎて釜トンネルから規制がかかる。マイカーでこちらからはいる人は、温泉でシャトルバスに乗りかえるようだ。 ここで明日はそこそこに座席が埋まった。 さすがにお盆を過ぎてピークは過ぎたようだ。
で、トンネルをでるとシラカバ、ダケカンバが続く高原林。 ガスってはいるが、切り立った山並みが見える。 大正池は、焼岳噴火で大正時代にできたっていう説明だ。 途中に帝国ホテルがあるのはさすがに昔はセレブの保養地だったという面目躍如。 14時半着、駐車場に着くと寒い。 長袖を着るもまだ寒く、ついに、防寒も兼ねて持ってきた登山用雨具を着用。お天天気も不安だし、まあいいかというところだ。 イヤー、人が多いっていうか土産屋は大混雑だ。 トイレは、コイントイレで100円ほど喜捨しまする。 これ、いいんじゃない。これに慣れると、海外の有料トイレで日本人のおばちゃん、トイレ番とケンカしなくなると思う。 もっと、あっちこっちにできていいよね、こういうトイレ。 もちろん、きれいでした。 さて、ザックに鈴をつけてくるのを忘れたし、森の道を一時間も歩いて宿と思うと、心配になって、自分にお土産も兼ねて小ぶりの熊除け鈴を購入。 さて、出発だ。 し・か・し、混んでいる。河童橋あたりまでは、大混みって、ネットなどにもかいてあったがそのとおり。ここは山であるが、スカート・ヒール履き多し。 さらに、並ぶお店を歩きながらながめるともの値段がたかい。世間の1・5倍くらい。上高地値段だね。仕方ないね、夏だけでかせがないといけないのだから。 河童橋を過ぎて、梓川左岸を10分歩くとさすがに人がうんと少なくなった。 昨年の白神もそうだった。 みんな、歩くの、きらいなんだね。 森の中を梓川の清流を右手に、ときどき木道を、スタスタ。それでも、すれ違う人はボチボチ絶えない。 森を歩くのは久しぶりだ、気持ちいい。 一時間ほどで明神池の指示板。 まずは、穂高神社奥社の参拝だ。 池をバックした小さな祠だが、そばにいったら、龍のイメージがでてくる。 龍神様がおられるのかな・・・でもって、雨がポチポチと当たってきたし。 しっかりと拝んでご朱印頂戴。 ここは池の周遊も300円がいるのだが、行かれますか・と聞かれた。 「明日にします。明日の朝」 ってことで、恒例のお神籤ひきだ。 はい「大吉」 おめでとう。 今年に入って、大吉を引くことが圧倒的に多いなあ。 この近隣の宿は明阿山小屋ふうで、3軒ある。 ネットでとれる、というのと、梓川の右岸で「明神岳がきれい」という台詞に惹かれて、池のそばではなくて川向こうを選んだが正解だったみたい。 梓川の上から明神岳絶景なり。 ウーン、来てよかったわ。 宿で、少し変わった雰囲気の主人、部屋に案内しながら「今日はあなた一人ですよ」 相部屋1ベット2食付き8400円なりだが、ほか3人の相部屋さんはいないらしい。週のまん中はありがちなことだが。占有は気楽だが、YHなんかじゃいると楽しいし、やや残念。 お風呂にすぐ入れると聞いて、「アルプスの天然水風呂」に入った。 清浄って感じのお水で、気持ちいいい。さらにだ、お風呂場から、明神が丸見え。 よかった、よかった。 6時夕食。 ビールうまし。 向かいなったご夫婦は広島から。山が趣味だが、夫婦して行きたいところが違うとかで、ご主人はヨーロッパ系で、奥さんはネパール贔屓。話が合ってはずんだ。 本日焼岳で、明日は、枯沢に行かれるんだそうな。 本格だよね。 わたしも明日、もしも晴天だったら、この宿の裏山みたいな徳本峠くらいは登りたいが(でも、2100Mはあるよ)、ガスが出ていたら止める。登って何も見えないほど虚しいことないからね。 9時前から爆睡。
ヤフーのニュースで、アメリカのスタバ600店舗閉鎖、まるで昔のダイエーかそごうじゃないの。 スターバックスコーヒー、ハワイはオアフに1週間いたとき毎日暇つぶしに通った、手紙書いたり、日記書いたりボヤンとしたりしていた。 でっかいコーヒーと、甘い湿ったこれまた巨大なクッキー1枚で粘った。 なつかしいのう。 国内ですが、明日から「旅」でーす。 天気が心配、地震が心配。 でも、出かけます。
当地、本日大雨。 実家に行く道が冠水しそうで、今日は別道を選んで走った。 でも、雨の中寺宝温泉は入湯。
明日天気になーれ。
経は、太陽の回りに虹彩あり、だ。 さらに、東から東南に書けてすごい雲がでていた。 母曰く「今日の朝焼けは凄かった」 やっぱ、変です。
今日で、夏休み作文教室完了。 明日、算数の教室を一時間やって、私の夏休み到来。 やれやれだ。
2008年08月17日(日) |
秋の空気・・異常よ・・ |
朝起きたら、空気が秋になっていた。 昼ご飯のあと昼寝したら、足が寒かったもん。 おかしいよね、いくら台風のせいで、北の高気圧が下がってきていても。 おまけに、今夜は満月だ。 まるで「仲秋の満月」状態。 おかしいよ、絶対。 地震が来ないことを祈る。 今日の空はおとなしかったが、夕焼けは凄かったし、しばらく前までの空の怪しさはこわい状態だった。 江戸期の三条地震の記事が地元紙にあった。 前日の夕焼けが凄かった、と江戸時代の文書に残っているという、前兆現象として。
実家から帰る途中、北と西と、西北に花火が揚がって、よそ見して事故りそうになったよ。 あちこちで夏祭りの花火を揚げているのだ。 やっぱり花火の名産地なり。 っていうか、まさになごりを惜しむ夏だ。
★菊の花 夜空に開き 夏が逝く
石原慎太郎知事は15日の定例会見でいったそうな。 北京五輪の開会式でのこと。 「非常に心外だった。各国の最高指導者がそろっている中で、自国の選手が来て、 立って手を振らなかったのは、うちの総理大臣と北朝鮮の代表だけだった」 石原ジジンも確か出たんだよね、開会式。 そばにで見ていたわけだね。 なんで、「フフンさん、立ちましょうよ」って言ってあげなかったわけ?
さらに石原知事は、 福田首相が日本選手団を激励した言葉についていったそうな。 「『せいぜい頑張ってください』って言ったそうだが、総理大臣がかける言葉と違うと思う」 そして 『せいぜい』じゃなしに、『大いに』頑張ってもらいたい」といったそうな。 確かにね・・・「せいぜい」は、本来的には、「精一杯」という前向きな意味がある言葉だが、昨今「せいぜいがんばれよ(でもだめだろうけどさ)」といった感じで皮肉をこめてつかわわれるし、何しろ、いったのは皮肉が得意なフフンだもんね。 まっとうな意味にはとられないよね。 残念。
石原ジジンがいっていることは、どちらもしごくまっとう。 正しい。 しかし、じゃ、自分はどうなの? 人に厳しく自分には激甘の男、石原ジジン。 もうさ、いい年なんだし、自分にも厳しく正当な評価を下せよ、石原ジジン。
それにしてもなんでフフンは、起立して礼をたださなかったのか? 非常識の極みなり。
塾の掲示板に「戦争に負けた日」と書いてある。 そうしたら、一人の子が「○○ちゃん、戦争に負けた日に生まれたんだ・・・」と、同じくうちの塾に来ているいとこの名前をいった。 「そうなんだ・・・いいんじゃない、平和になった日だし、すばらしい」 「そうか、そうだよね」 「そうだよ、空から、爆弾が落ちてこないというだけで、1945年の8月15日からどれだけ安心して暮らせたか、かんがえてみて」
平和はホントに尊い。
夜が実に涼しい。 晩夏なり。 ★ 涼風に 若ススキゆれ 夏が逝く
長岡祭り以来降っていなかった。 ホントに久しぶりのお湿りだった。 雷もごろごろ。 うちの玄関先の二株のコシヒカリも稲穂をのぞかせてきている。 朝晩の涼しさは「晩夏」の気配だ。 なんだかあっという間に秋が来る感じ。 明日は敗戦記念日、平和になった日だ。 祈りの日ですな。
さすがに今日は午後・夜お休み。 お墓参りの日でありました。 午後から、たまっていた新聞を読んだら 太田誠一だったけ、大バカ議員。 国民がうるさいから・・云々はつげん。ばかすぎる。 コイツ確か、早稲田の強姦学生たちを元気がいいとかなんとか言った大バカヤロウだよね。 こういうの、まだ議員さんなわけ? どこの選挙区? 恥だのう。
それと中国ギョウザの中国国内の事件。 中国は先月に連絡してきている。 親中国フフンが「かばって」リークされて・・馬鹿すぎて。 フフン、お前、どこの国の人?ってお聞きしたい。 ある雑誌に、 「政治家っていうのは、自国や自国民を守るために相手の国がいやがることでも主張して当たり前、というかそれでこそ政治家なのに、福田首相は、人がいやがることはやめましょうって、いう態勢で外交している、こんなのは町内会長をしていればいいんだ、首相の器じゃない」 とかかれていたけど。 イヤー、まったく同感です。
とまあ、新聞亀読みの日でした。
今日は寺宝温泉がすいていて、いつもは40分弱しか入らないぬるゆに一時間以上はいってきたら、だるい、眠い。 で、昼食もそこそこに2時間昼寝。 12時から14時まで。 これって寝過ぎでしょう。 でも気持ちよかったわ・・・すっきり、爽快。 幸せなり。 朝方が涼しすぎて寒くて目が覚める日々が続いていたし、やや寝不足だったかも知れぬ。
谷亮子、なんで、2歳の子どもを中国に連れていったの? ウイルス感染で発熱というニュースを見て、はあ??バカ!だった。 2歳って熱もでやすいし、衛生状態と空気もきれいじゃない中国、フツー置いて行くでしょう。 (金メダルを想定した)テレビ撮影のため、とかって書かれていたけど愚かなり。
ロシアのグルジア攻撃、どうしてオリンピックの開会式にこんなことになったのか。 どうして戦争になったのか学習せねば、読まねば、と思いつつ、まだ。 なんでなの? あのあたりがアフリカと同等に人種のるつぼだってことくらいは知っているけど、どういう勢力関係なのかようわからない。 ベンキョーしたら、また書きまする。
天気図を見ていると、なんだかおかしい。 中国が開会式を晴れにしたくてだいぶお天気ロケット弾を打ち上げたらしいし、それでおかしくなっているのか? 昨夜は、雲一つない夜空に半月がでていたが、ニュウウンというのか、笠がかかっていた。 これ、中越沖地震前、何度も見られたし、夕方、西から西南に地震雲も認められたし、地震予知警報だね、私としては。 今の時期に、北からの張り出しでの晴れも奇怪。
金がとれなかったことを「ママでも金」の重圧と書いてあったけど、いいわけだねえ。 彼女、確か代表選考会で負けている。(確か山岸選手とかいう、実力のある人) だけど、つまりははじめに「谷ありき」で代表になった。 おかしいと思った・・で、多分金はとれないだろうと、と。 だって、谷に勝った彼女こそ、ただいま上り調子、彼女だせばとれたかも、と思う。 「正当」なことをしないとこういうコトになる、のいい見本。
「主婦」したいとか、いっているらしい谷選手、いいんじゃない。ごくろうさまでした。 しかし、せめて「ママしながら後輩を育てたい」くらいは言ってほしいよな。 そういう志の高さって彼女からイマイチ感じられない。 自分だけ、っていう感じ。 それが残念。
ホントに今回のオリンピック、見る気にならない。 多分、チベットの問題があるからだろう、ワタシ的には。 もちろん、ウイグル独立問題に対する弾圧も凄いし、だからテロが起きるのだし。 オリンピックを通じて中国の「共産党独裁」と「言論弾圧」を世界に認知させようとしているのが、チョー不愉快だ。
北京の鼓楼でアメリカ人が刺されて殺された。オリンピックを見に行って、なんと災難。 鼓楼(確かグウロウ、というはず)・・・私も北京にいたとき(といっても、1ヶ月足らずですが)観光でいったことがある。 庶民的なごみごみしたところにあるが、殺人が起きるようなところでは、なかったはず。ものすごく治安が悪くなっているだねえ・・・ オリンピックの観客が少ないわけだ。
今日も暑し。 しかし、夜は涼しい。 昨夜なんて、朝がたに寒くて窓を閉めた。 コオロギもないているし、ススキの穂もずいぶん伸びている。
2008年08月08日(金) |
北京オリンピック・・・・ |
ビミョーだねえ。 感染ツアーのチケットがあまりまくっているみたいだけど。 ↑ 凄い変換になってしまった。 観戦、です、正しくは。 でも、「感染」が中国に似合うから、複雑に笑ってしまう。 あんまり興味はない。 でも、テロがないように無事に終わるように祈る。
で、皇太子さん、北京に行くつもりであけていた日程で、富士山に登ったそうで。 ネットで庶民が登るときにまた国民を排除して楽しんだな、とたたかれている。 「また」っていうのがねえ。 マサコと静養の時は、くるなどころか、見るな、聞くな状態で排除みたいだから、一般登山客を止めただけだったらトウグーさんたちの場合かわいいかも、って思う自分がこわい。 今年の8月15日、マサコ夫人は、何をやらかすか。もう「楽しみ」になってきた。花火見物かな、昨年のようにセレブ子ども会かな、オワ家族と三ツ星かな・・・なんてね。
それにしても暑い。 ずっと晴天続きだ。 いっそ、私が旅にでて帰るまで晴れていてくれよ。 なって、虫がいいというか、みんなが困るね。 すみません。
東京の下水道に流された人たち、不運。 はやく見つかりますように・・・ご冥福をお祈りします。 でも、無念だろうなあ・・・ 一気にふえるってこわい。 それと、テレビで見た新宿の水にびっくりした。
天気図を見ると高気圧が日本海上に2つ停滞しているけど・・・これって、どうして?何らかのエネルギーが働いてそうなっているのか?ブキミだけど。 おかげで、雲一つない快晴。 しばらくこのお天気が続くとなると、いや・・・参るねえ。 朝顔に1日3回水やりをしているけど、それでもしおれる。 風があるので助かるのだが、それでもブキミだ。
私の夏休暇の旅計画完了。 昨夜、上高地と飛騨高山の宿が取れたが、白川郷がとれない。 ぜひ泊まってみたいし、観光案内所に電話して、合掌作り民宿の手配を依頼した。 なんとかとれた。 よかった、よかった。 松本から、上高地、飛騨高山、白川郷、金沢へ出て帰る。 という計画。 旅計画を立てている時って、ホント、楽しい。 ワタシ的にはこれで旅の楽しみの半分が終わる。
さて、これを楽しみにがんばろうぞ。
2008年08月05日(火) |
河野義行さんの奥さん澄子さんの死去 |
ついに亡くなられたか。 14年間生きる、も介護も、それぞれに本当に尊く、凄く。 私は、尊敬する人の一人にこの河野さんをあげたいと思ったときがある。(もちろん今も) 立派な方である。 魂に輝きがあるなら、キラキラと亡き奥様とお二人で光っておいでだろう。 澄子さん、やすらかにお休み下さい。
朝、郵便局で振り込みをして、その時待つ間に、女性セブンがあったので見たが。 マサコ妃がいた。 それが・・・凄い!イメルダさんなのだ。 それと、40代半ばとは思えない老けっぷり。60才近いといってもいい写真。 あのブキミに長い髪をアップにしてまるで巨大なお饅頭を後ろアタマに貼り付けた状態。さらに、総レースのドレス、もちろん高価な装飾品満艦飾。 残念ながら、皇族には見えない。 華僑の大金持ちの奥様(タイタイ、といいますな、中国語で)という風情だ。 はあ!! それでも、精神疾患で公務できませんのおばさんがどうしたの? 昔の週刊誌かいな、と思ったが・・最新版だ。 どうやら、高円宮のお嬢さんの20才お祝い会にまるで公式晩餐会のような身仕舞いで出た模様。 主賓は20才のお嬢さんでしょ、それを主賓がかすんでしまうような豪華な衣装と装飾。 TPO的におかしいわ、配慮がない。 精神疾患って、ホントなんだろうな。 みなさま、今発売中の女性セブンを見る機会があったらご覧下さい。 びっくりします。
なんだか花火疲れか、今日は温泉に行ってもどって2時間近くお昼寝してしまった。おかげですっきり。幸い、今日は閑な日であったしよかった。 さあ、明日はがんばるよ。
たんぼ道で見た花火もよかった。 中でもすごかったのは、来年のNHK大河に決まっている「天地人」をテーマにした天地人花火だった。 1500発、3分間、横縦斜め、縦横無尽に花火が飛び交った。 今年限りの花火だが、贅沢であった。 今日塾の教室でも子どもたちと「あれはすごかった」と盛り上がった。 こうやって、長岡の子たちは「見る目」を養うんでしょうかね。
今週は忙しい。
弟からもらった有料自由席。 けっこう楽々にすわれて、グッド。 で花火はといえば、ちょうどよく煙火がながれて、これまたとても具合よくよかった。 最後の大花火、フェニックスは、すばらしい出来で年々進化していると思う。 松山からのお客さまも、一生文の花火をみたという感想でしたわ。
今日は末弟をお風呂にいれてから、田んぼのまん中の道路で地元民の鑑賞法と行きます。
今日は暑い。いい天気。 天気が悪くなるかも、といわれていたのでよかった。
63年前の午後10時半より空襲開始。 じきにその時間に花火が揚がる。 今日はあちこちで慰霊祭があった。
末弟の診察。 主治医(院長先生なんだけど)と、「闘った」わ。 このところ「生きる屍のよう」なんで、治験薬を少し減らしてほしい。 あれこれ実例を挙げて、説明。 そしたら、先生、 どうしてみんな薬のせいにするの? じゃ、他のどんな要因があるっていうんですか。 これね、専門的にいうと・・・(この部分の専門用語忘れた、しかし・・・要するに具体発作はないけれど、そして、発作は沈静しているかに見えるが実は重積しているという説明)。 私:だから、薬は落とせないっていうんですか。 そう。 私:でも、患者のクオリティオブライフ、生活の質、さがりっぱなしですよ。生きているんだったら、もっと、いや、今少しでいいから精神活動してほしいですよ、そうでないと本人の生き甲斐もさることながら、周囲との折り合いもつきません。 先生:わかった、うるさいから、ホントはふやすのがセオリーだけど、少し減らす。 私:そうですか(Uuuで先生が少し折れた、しかし、むずかしい先生なのでここが限界、これ以上やるともうくるなといわれそう・・なんで空気読んで私も折れた)
結局治験薬ではない別のクスリが減ったけど、これが凶でるか、吉とでるか。 母には、先生はぐちいうだけではダメ、論理的に攻めていかないと薬を減らすなんて絶対いわないからね、私がいうからといっておいたんだけど、母、自分が思うに、あんまりかんけいな薬を減らすことになったと。 だけど、まあ、眠気の強い薬だし、減らさないよりいいかも。
末弟の主治医は、かなりいい先生、だと思っている。 話は聞いてくれるし、「うるさい」と折れてもくれる。 専門用語でわからん、というとわかるように説明してくれるし。 ただ、先生もかなりストレートのものをいう。 だから、腹が立つときもある、でもそれはおあいこかも、だけど。 でもま、きょうはこれに疲れ果てた。
さすがに夏に気温がもどった。
明日は松山より、花火見物にお客さまがおいでになる。
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