世界お遍路 千夜一夜旅日記

2006年10月31日(火) 早寝だ

先週末、いろいろとがんばったせいか風邪気味がとれず。
で、いっきに早寝。8時半。

それにしても、佐竹高校の校長せんせ、どうして自殺したのかねえ。
気の小さい責任感の強い人だったんだろうな。
実は、常陸太田市は坂東の観音さん巡りに行った町なのだ。
夕方近い時間だったので、高校生ともバスでたくさん乗り合わせた。あの制服のガッコだったのかねえ、と思ったりしていた。
子どもに自殺はいかんって、いっているガッコの先生は自殺しちゃいかん、絶対に。
子どもたちが、まず一番傷つくよ。
それに、自殺する前に、なぜ高校がこうなったのか(予備校化をいいとは思っていなかったはずだ、いい先生だったようだし)訴える方が大事だった、その命で。
溜息がでる。ぜ。
(11/1日の早朝書いてます、5時過ぎの目覚め気持ちよし。でも、風邪気味はまだ残っていますが)




2006年10月30日(月) 山古志の子どもたち、戻る

山古志に新しい校舎完成。
やっと戻れた。
2年ぶり。
間借りしていた南中や坂之上小の子ども(塾にきている)が、山古志の子のお別れ式をした、といっていたのでかえるんだな・・とは思っていたが、よかったなと思う。
児童66人、生徒44人とか。
減ったんだろうな・・・
まだ仮設住まいの子もいて(要するに、まだ立入禁止区域がある)スクールバスで・・の状態らしいが、でもよかったね。

めっきりと寒くなった。
喉にエヘン虫が付いて、ダイコンアメのお世話になっている。
もともと私は喉や鼻が弱かったのだ、と言うことを思いだした。
11月からはストーブを入れよう。



2006年10月29日(日) 文科省の筋

今の大臣さん、けっこういうことはまっとうだわね。
未履修問題、救済はなし。
きついけど、筋的には正しいと思う。

中学生の相次ぐいじめ自殺。
悲しいことだが、インフルエンザのようにうつっている・・・
今日のテレビ討論会で「先生だけでなく、家庭や地域の再生を、」といっていたのも筋だし。
でも、亡くなった中学生の周囲は「アブナイ」て感じなかったのだろうか。
それが気になる。

本日大雨の予報が大はずれで、晴れ。
また神社カフェへ。
すっかり山も色が秋色になって、蔦なんて真っ赤だった。
あと何回、末弟とチビ犬を連れて「秋の散歩」に行けるだろうか。
チビ犬は山道を歩くときとにかく元気でいろいろなところに突っ込むので、毎度顔やしッぽに「くっつきムシ」がついて、とるのがたいへんだけど、自然の中でらんらんと目を輝かせて野生の本性が出る。
ホントに楽しそうで、リラックスもするらしくて、ウンチを時に2回もしたりする。
ニンゲンもこの野生を忘れないようにせんと・・・



2006年10月28日(土) 伊藤ハムでした(笑)

先日の日本ハムファイターズの優勝セール(多分)で、ハムやソーセージなどを2つで500円セールをしていた。
で、私はよく使うベーコンを2パック買った。
今日、野菜炒めに使おうと見たら、あららら、伊藤ハムじゃないのよ。
それにしても、あの優勝はよかった。
北海道が元気になるのはいいこと。
新庄、かっこいい。
なんでやめんのよって感じ。
中田にしろそうだ。
まだまだできるところで辞めなくてもいのにねえ。
そう考えると、ただ一心に野球し続けそうなイチローとか松井はえらい。
松坂もそんな感じかな。

今日はすごいいい天気だった。
しかし私は、写真整理をしていた。
在家仏教の月一連載で写真探しに疲れるから、エイヤーと以前から少しずつやっていた整理をおわりにした。
一応88カ所すべての寺があるけど、なぜか、20番だけないんだわ。というか1枚だけあるんだけど、私が写っているいわば記念写真なわけ。
写したと思うんだけどない、というか見あたらない。不思議。
あと、46番台が意外とない。
「絵」になりにくいところはやはり少ない。
じきに、100観音のお軸が善光寺から届くのだ。
写真もいろいろ整理をつけないといけないのだが、まだ西国とかたくさんあり。坂東はない。デジカメでとったんだけど、手違いでパソコンに保存する前に消去してしまったのだ。(泣)ま、ええか。

夕焼けが美しかった。
久しぶりに空が移り変わっていくさまをゆっくりと見た。
あと1月もすれば初雪の季節が来るし、夕焼けもでない暗い空が続く・・・



2006年10月27日(金) 新潟の仏像展

車で8分の近代美術館で「新潟の仏像展」
前売りチケット購入済みなので、行かねばということで見てきた。
よかったのは、なんといっても木喰仏。
次は、地元仏師がつくったろうといわれている十二紳将像。これがメチャおもしろい顔つきをしていて、笑った。
ムグゥ、ホニャアー、ウグ、ハレれーー、ムヌ・・・って感じで12体のご面相。
解説に、当時の越後人はこんな顔していたのかも・・てあったけど、だとするともっとおもしろし。
地震で壊れて修復さた仏像からでてきた胎内仏も展示されていた。
ごく小さくて、どんな願いを込めたのか。
佐渡は、やはりやんごとない人々が流されてきた地だけあって、仏像も大きい。
それから、木喰仏を6体一気に拝見するのって初めて。
迫力あった。
なんとなく笑顔の観音様の微笑みがとてもとても優しくて。
せめて絵はがきでも求めたいと思ったのだが、なかった。残念。

常設展示は、良寛の書がでていた。
全然読めないけど、でも見ていていい感じなんだよね。
気持ちいいというか。
「書は魂そのもの」っていうけど、そうだなと思う。
見ていると、良寛さんの所につまみに酒でももって遊びに行こうか、気分になりそ。
相馬御風、会津八一の書もあったけど、そりゃ堂々としている。御風のなんて、もう流麗です、良寛さんのようにひょろりんとしていないモン。でも、遊びに行こうとはおもわん。八一に至っては、敷居たかそ。実際、気むずかしい人だったというし、それは字の気配からもわかる。
というわけで、秋の午後「芸術の秋」でありました。
どんどん、日が短くなるねえ。



2006年10月26日(木) 履修もれ

18道県98高校に拡大、成績表改ざんも・・・って。
ひどい話だ。
世界史や日本史をきっちりやらないから、日本の若い子は、世界旅にでてもおかしなことをして帰らぬ人になるのだよ。
ほとんど戒厳令下的エルサレムで、日本のバックアパッカーカップルが、のほほんと旅していて、危なかったって、笑いものになっていたときがあったけどね。
いつぞやは先生も犠牲になっていたっけ。
これは、歴史オンチが原因だと思っていたけど、高校でこういうことをしてたら「オンチ」になるわけだ。
歴史は受験のためだけでなく、これからの世界を生きていくための感覚を養うものでもあることを忘れてはいけないと思うが。
もう、いっそ高3生全員、行きたい大学へ合格させなされ。
その代わり、出欠をとる、小テストをする、レポート週1回義務ずけ・・等々、怠けるものはどんどん落ちこぼれるようにしていく。
入ってからがサバイバルってシステムに変えるんだわ。
で、1年後は半分になるとか。
大学生のホストクラブとか、そうすれば存在しなくなるでしょうよ。
大学は「上がり」ってシステムをやめるべきだわ。
受験予備校が困るってか。
それは、大学に入った人たちの、その後サポートをするんだわ。
レポートを書くお手伝いとか、小テストのための講座とか。
4年間生き残るためのサポートを受験予備校にしてもらう。
いかが。

もう26日よ。
1ヶ月があまりにはやすぎる。
逃げていく感じ。
 



2006年10月25日(水) 683人という数

これ、何かわかりますか。
新潟県の100歳以上のお年寄りの数。
内訳は、
 男性105人
 女性578人
このすごい数の差。
女性強し。
ちなみに新聞で、県内最高齢の111歳の方が亡くなったとい記事のそばに書いてあってビックリしたわけです。
こんなに100歳以上がおいでになることにも、男女差にも仰天だ。

雨の予報がはずれてとりあえず朝から薄曇りながら、晴れていた。

夕べは久しぶりに「野宿」した。
私の野宿とは、はい、うちの中でします。
布団に入らず、畳の上に転がって、掛け物だけかけて寝ることです。
またいつか、ハードな旅に出るための訓練・鍛錬であります。
昨夜は寒かったし、カイラス登山の練習になったであろうか。
ニンゲン、楽していてはいけませぬ。



2006年10月24日(火) 灯油の季節がやってきた

朝から雨。
くらい、寒い。
コメリまで、ヒヤシンスの水栽培容器を買いに行ったら、灯油の販売を開始していた。
そうか、そんな季節か。
玄関先の日々草は、まだまだ咲いているけど、そろそろ、冬の準備、球根植とかせねばなりませんねえ。

京都・長岡京市の3歳児餓死事件、悲惨。
なんでこういう事件が繰り返し、繰り返しおこるんだろうか。
姉を保護して、弟はちがう扱い(大事にされている)を受けていると考えられますか?普通。
行政が悪い。
絶対、助けられたはずだ。
多分、義母の西村容疑者も、しつけと称して、ご飯を与えられない育ち方をしたんだと思う。
自分が育てられたようにしか、育てられない・・ところがある、ニンゲンには。




2006年10月23日(月) 中越地震から2年

2年前の午後5時56分、新潟県中越地区(震源地川口町)を中心とした地震発生。
あれから2年過ぎたのか。
長岡もうちの家族いろいろとたいへんだったけど、私もいろいろとたいへんだったねえ。
でもま、生きている。
そして、だまされたも同然の徳島行きだったけど、おかげで供養の碑が建立できた。これは、行かないとできなかったことだから。
今年は長い間のテーマ、100観音巡礼も終わって、巡礼修行に一区切りついたし。
終わってみれば、感謝です。
あの地震で亡くなられた人、その後亡くなられた人も多い。
夕方5時56分、黙祷を。
まだ仮設に入っている方は多い。
午後から、町の上空をやたらヘリが飛んでいる。
多分、山古志に向かっている・・・
今日だけでなく、まだ終わっていないことをみんなに覚えていて欲しい。



2006年10月22日(日) よき天気なり

穏やかなよき天気。
母は、誘われて山古志にピクニック?に行ってきたようだ。
で、川口町にでて、温泉に入ってきたとか。
山古志は、まだホンの一部しか入れなくてホントは山古志の温泉にはいろうということでいったらしいけど、温泉までたどり着けなかったとか。(入れてもらえない、当然温泉だって休業だし)
でも、養鯉場の人ともしゃべりして、鯉の稚魚をもらってきたとかいっていたぞ。
やはり、山古志の人たち、人が善いわ。
明日は中越地震から満2年。
まだ仮設住まいの人もいるし、家再建を断念した人も多い。
つらい季節だ。

夕べ、ウンウンいいながら国語のメルマガ4号を発刊。
タグをまた少し入れ直して、ちょこっとだけ形式を変えた。
ホントはもっと、写真とかも入れたいんだけどねえ。サイズも大きくしたいんだけど、どうするのかようわからん、まだ研究中。




2006年10月21日(土) これからの障害者福祉・・という講演会

午後から末弟をおなじみの宮路様へ、チビ犬と共にお散歩。
彼は、神社カフェでコーヒータイムできるのを楽しみ行くので、コーヒーを飲んで帰った来たあと、14時からの講演会へ。
ホントは、メルマガをつくりたかったんだけど、緊急で講演会を聞きに来る人が少ないので来て欲しいとチラシが末弟のいっている施設から来たのでじゃまあ、ご協力ということで。
いってみれば、チラシが功を奏したのは、会場いっぱい。150人ほどいた。福祉関係者だけでなくその保護者も。
後援者は、長野県北信圏域障害者生活支援センター 福岡寿氏。
長野って、進んでるだあ、というお話をきいた。
印象的その1
 ケア会議が度々ある、というか、一人の障害者の支援をケア会議をすることで決定する。
例:自閉症のお子さんのお母さんが入院する。どうかして欲しいという相談があったとき。
両親とお子さん、その子の学校の先生、行政の担当者、それを仕切るケアマネ。
24時間1週間の時間表を9時から15時学校、夜8時から朝7時お父さん、と埋めていく。朝7時から9時までの2時間。夕方15時からお父さんが帰宅する8時までの5時間をどうするか。ここを行政で埋める。行政は、しかし、7時間を埋めることはできない。で、ケアマネは、では学校でもう少し何とかならないか。じゃ、後2時間、5時まで学校で見ましょう、となる。じゃ、後の5時間は行政で、というやり方。
・・
普通だと、お母さんがめんどうみれなくなった時点で、短期入所とかにいってしまう。けれど、現状でなんとかできないか。障害者本人の今の生活を変えずになんとかできないか、という視点でケア会議が開かれるのだ。
聞いていて、いいねえ、と思った。

★わかったこと★
・自立支援法は、自立し得ない法とか自殺支援法とかいわれていて悪法の代表のようにいわれているが、私にいわせれば、いいワルイの問題ではなくて「しかたない」としかいえない。
法の作成者は、いわゆるキャリア官僚3人。
*障害者(知的・精神を含む)は650万人、全体予算9000億。
*いつ、介護保険といっしょになってもいいように
(高齢のの障害者と若年の障害者という考え方で1本化)
*市町村が主体に
という条件を付けると今の法律意外になくなっていく。
だから、いくら運動しても1割負担はかわらないだろう。
基本的に、この国の受益者負担は3割だから(確かに)破綻度が高くなるともっと増える可能性がある・・・フーン。
・介護保険の認定79項目で審査されると、知的、精神障害は甚だしく不利になる。介護保険認定では(高齢障害者)は「動けないと要介護度は高い」しかし、自閉の多動児だったりすると、その物差しで測られると「自立」になってしまう。食事の介護も、高齢障害者の物差しで測られると「自立」になってしまう。
要するに質の違う障害を1本の、それも、もともと高齢障害者の物差しで測られると、困るのだということ。今こういうことも考慮して106項目になっているが、まだまだ問題は多い。
そうだ、そうだとこれ納得。
・厚生省と労働省がいっしょになったせいで、「働く」ということに今度の自立支援はウエイトがある。授産所で成功しているところは、自給700円を払うなど、活気がある。ジョブコーチを活用して、障害者を職場に派遣する。
即ち、ある会社の年収700万の人の動きをジョブコーチが評価。2時間が無駄。掃除をしたりコピーをとったりしている。もったいない。掃除はうちからグループ(障害者)を派遣しましょう。という形で。
こういうことができる施設や福祉法人がこれから生き残っていくだろう。
わかる。授産所の給与の低さは、ひどいものだ。世間とは隔絶している。末弟がいっている施設もやっているのでときどき仕事をしているようで、「給料袋」なるものをもらっている、入っているのは、何十円って感じ。我が家は、朝が戦いの末弟が人を煩わせずに早起きしたら100円もらえる体制(でペットボトル貯金箱に入れる)で、(これも世間とは隔絶しているけどね・・)うまく起きれば労せずに100円ゲットできる末弟としては、袋の中を覗いてチョー不満な顔をする。ただ、母は、末弟が「給料袋」なる袋をもらってくるだけでうれしいらしくて仏壇にお供えしているけど。
働いたことが正当に世間評価で見られたら確かに障害者は元気になると思う。

それから、すごく印象に残ったこと、もう一つ。
重度の障害者が地域で暮らすという取り組み。
施設には行きたくない、ここで暮らしたいという本人とお母さんの強い願いで実現されたグループホーム。
福岡さん曰く、本人や保護者の強い願い、訴えがまず必要、それを持って、行政を動かしていく。
質問時間に、22歳の重度身体障害の娘がいるが、お話にあったようなグループホームを自分たちも造りたいが、どこから始めたらいいのか。
今は、私がみられるし、父親は退職したらオレが見る、施設には入れない、入れたくなといっているが、いずれ年を取ればきついし、ここで暮らしたいと、グループホームができたらいい。
と質問したお母さんがいた。
まず、その志に似た考えを持つ施設や法人、NPOと連携してください、自分で全部やるよりそれが一番いいです。
なるほど。
似た志のいろいろな人とつながる、あきらめないってことかな。
閉じてはだめってことかな。
去年から今年、末弟が出てきてから、あちこち動いてなんとか今は毎日お迎えの車に乗ってでて、何かをやってくる・・・これ、すべてこちらから動いて実現したことだ。
閉じて、黙っていてはだめなのだねえ、やっぱり。
今日質問していたお母さんの声が反映されたグループホームができますように。

などなど。
たくさん勉強してきた土曜の午後でありました。
さあ、メルマガつくりをせねば。








2006年10月20日(金) 母の誕生日

今日は、母の誕生日。77歳だそうな。で、義妹も地震記念日の23日が誕生日。二人まとめて、実家で若干のお祝い。
私のプレンゼントは毎年定番、球根多数と開運カレンダー(九星カレンダー)。今年はそれに加えて、もこもこレッグウオーマーをあげた。
畑仕事が好きな母は、毎年球根を玄関前のプランターにたくさん植える。オランダによくいっていたときは、珍しい球根の土産を一番喜んだ。
春になって次々と咲くと、心のからめでて楽しんでいる。
いいんじゃないの。
でもって、毎年球根の袋を多数。
おかしいかもしれないけど、洋服とかあげても喜ばないし。
喜ぶものが一番。
夕食、
小嶋屋のおそばをデリバリー。
小嶋屋は、長岡では有名なおそば屋さんで、出前はしてくれないのでうちの場合はデリバリー。年に何回かする。
おいしかったあ。
新蕎麦のシーズンだ。
町中の小嶋屋本店は、このところ観光客が多い。
いわゆる、グルメガイドマップをもったような。
先日、松山の友人が来たときもそういう客がいた。食べる前にデジカメ撮影してた。きっとブログにのせるんでしょうね。
酒のうまいものが置いてあるので、まあ、うまいそばと酒で和風チョイグルメですよね。

朝はあたたかく晴れていたのに、お昼少し前にあっという間に雨で暗くなった。
ひと雨ごとに寒くなる。



2006年10月19日(木) 夢見が悪い・・首いたた

昨朝、下の前歯が2本ぞっくりと抜けた夢をみた。
ゲッと、目を覚ましたら、なんと首がいたい。右肩がぱりぱり。
なんで??
そういえば、夜中にすごく暴れてねていて、うつつになんでワタシ、こんなに暴れているの?と思った記憶あり。暴れているうちに、寝違えた可能性あり。
きのうは首が右によく曲がらず痛くて難渋していた。
今日はまし。
まだ首筋に痛みは残っているが。
やれやれ。
ちなみに今朝は悪い夢は見なかったし、ボチボチ治るでありませう。

トルコのバス事故での死者・重傷者、おかわいそうに。
せっかく楽しい旅だったのに。
スリップといっているけど、多分タイヤがけっこうつるつるだったんじゃないかな。ワタシが見たトルコバス、そうだったもんね。そのくせスピードを出すし。内国的に見てもバスの事故は多いという話だった。
でも鉄道の発達していないトルコの移動はバスか飛行機で、圧倒的にバスが便利ではあるのだ。ワタシも利用したけど、事故多しと聞かされていたんでびくびくで乗っていた記憶がある。
ただ、夜行バスに乗っても、女性の隣は女性と決められるので、危なくはない。(イスラム国のおかげです)事故のおきたコンヤは、宗教都市としてけっこう大きな町で、大学とか学校が多かったと思う。
この町から乗ってきてワタシのとなりにすわった高校生の女の子、興味津々で私といい勝負の英語で日本のことや、女性が一人で旅をすることなどを聞いてきた。
パムッカレという世界遺産、もうひとつ、えーっと思いだせん・・・・とにかくいくつかの世界遺産の遺跡に行くルート上にあるんだわ、たしか。
思い出すなあ、トルコ。
好きな国です。
トルコ、ギリシャは絶対もう一度行きたい。
私、なんだかあの辺のどこかで生きていたときがあったような気がしたもん、前世で。
アザーンとか、イスラムの妙に半音上がりとか半音下がりとかのビミョーな音階、けっこうなつかしいような心地よさがある、聞いていると・・・

さあ、そろそろネットを切って、お子さまたちを迎える準備をしましょうか。



2006年10月18日(水) 人類的にいうと・・

昨夜の梅原猛先生の講演、ナビゲーターは鎌田東治さん。(京都造形大教授)
確か徳島は阿南かどっかの出身。友人が十数年前に彼のお子さんを担任していた。
川崎一番の文教地区にあって、かなり野性的なお子さんだったと記憶している。
この鎌田さん、法螺貝から石笛、竹笛までお吹きになるのでビックリ。
多芸なんだわ。
講演会の内容はというと、まるで哲学概論の講義みたいでした。
私もともと、倫理とか哲学の授業は学生時代好きだったんで、なつかしおもしろく拝聴した。
しかし・・・一般的ではなかった。でお隣の夫婦、居眠り。第一部が終わると、そそくさと帰っていった。
第二部は、鎌田さんとのトークで、こちらがおもしろかった。
曰く、今世阿弥が自分のにのりうつっているだという。
世阿弥を数年以内に書き下ろしたい、と。
で、明日は、世阿弥の流刑地佐渡まで行くとか。
元気だわ、梅原さん81歳。
笑ったのは、
「自分は聖徳太子の隠された十字架あたりを書いているときは、右翼だとさんざん左翼からたたかれた、でも、今は総保守化、左翼がいなくなって、いつの間にかリベラル=左翼になってしまった」
という話。
彼は今人類は3つの危機に立っている、という。
1核戦争の危機
2環境破壊の危機
3人間が人間でなくなってしまう危機
(親が子を殺す、子が友だちを殺す・・これは人がするべきことではないが、今や世界的のこうなってきている)
国家的には日本も核武装したほうがいいという、憲法改正をしろという・・しかし、人類的に見ると、憲法は改正してはならないし、核武装をしてはならない。それは滅びに通じる。
国家的には、日の丸をあげろ、君が代を歌えと「強制」したくなるが人類的には「強制」すべきことではない。
この「人類的には」といういい方、まさにまさにそうだよね、と思った。
この「人類的には」という思いこそが、いわゆる仏教的「慈悲」につながる。
まあそんな話でした。
私はこの「人類的には」という視点、肝に命じるべきだと。
じゃないと、ホントに人類、滅びるね。
アインシュタインの名言
「私は第三次世界大戦はどんな武器で戦われるのかわからないが、第四次世界大戦はわかる、それは石だ!」

また、北朝鮮、、やる気のようだ。
ちなみに、この前の核実験時、新潟県知事は家族サービスで、ディズニーランドだった。
私エッと思った。
だって、やる!といっているんんだから、もしも・・で当然待機でしょう、もっともかの国に近い県の知事として、拉致被害者が何人もでている県の首長しては。
ディズニーで家族サービスと聞いて、思わず鳴り物入りでいった、皇太子と雅子サマ、愛子さま(ネットでは、アイボ、といわれているようだが)を思い出した。
(雅子さまの妹も一緒で准皇族扱いとさんざんたたかれていたけど。)
皇太子一家は遊びが多くて、宮内庁のスケジュール表で見ると仕事(公務)はおさぼり多しといわれているが、だがまあ我が県の知事はそれなりに激務的に働いておられるが。
あっと、話し横道でした。
まあ、油断禁物ということで、お後がよろしいようで。



2006年10月17日(火) ああストレス

いい天気ではあったが、おこもりで、コンを詰めたことをしていた。
考える、、考える・・・って感じ?
使わない部分までお脳を使ったら、頭がかゆい。
ああストレス。
で、、PCのモニタの壁紙を、エベレストに変えた。
チョーささやかな気分転換。

ハワイの地震、ホントに死者はないのかしらね。
よかったこと。
確か先週の木曜日、すごく不気味な夕焼けで、「これ、地震かも」と子どもと話していたんだけど、遙かハワイとはおもわなんだ。

今日はこれから、梅原猛さんの講演会にいってきまする。
ホントは姪っ子と行くはずだったんだけど、仕事が定時に終わらないみたいということでドタキャン。もうなんかあたっても誘ってやんねんぞ。(とはいいませんことよ)



2006年10月16日(月) 良寛さん

★月よみの光を待ちて帰りませ山路は栗の毬(いが)の多きに★

という良寛の句が、ほかの有名人(与謝野晶子とか斉藤茂吉)と共に論理エンジン問題にでてきた。
で、やっていた中学生に、中に一人だけ新潟県の人がいるけど、わかる?と聞いてみたのだが・・・なんと彼、知らなかった。
うっそー
うちに帰って、親にきいてみなさい、といったら、翌週「わかりました、良寛です」だって。
ちなみに長岡駅には、私の高校時代の恩師がつくった良寛像がある。
で「ほら、長岡駅に、おじいちゃんの銅像がいるでしょ、あれが良寛さん」
っていったら、何となくうなずいていたが。

今日は、メモ取り勉強をするので、この際良寛の概要をメモさせようとネットで調べてみた。
(うちには、写真入り良寛ガイドブックもあるが、やっぱりコンパクトさではネットが便利)
以下です。
ネットのフリー百科事典ウイキペディアを主な参考資料として
・・・・・・
良寛について

宝暦8年10月2日(1758年11月2日)うまれ。
天保2年1月6日(1831年2月18日))逝去。
江戸時代の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家。
俗名、山本栄蔵または文孝。号は大愚。
越後国出雲崎(現・新潟県出雲崎町)に生まれる。父、山本左門泰雄はこの地区の名主であり、以南という俳人でもあった。名主見習いだった良寛は18歳のとき出家した。

出家後、玉島(岡山県倉敷市)の円通寺の国仙和尚に師事し、諸国を廻る。その頃義提尼より和歌の影響を受ける。
48歳のとき、越後国上山の五合庵、61歳のとき、乙字神社境内の草庵、70歳のとき島崎村の木村元右衛門邸内にそれぞれ住んだ。
無欲恬淡な性格で、生涯寺を持たず、諸民に信頼され、良く教化に努めた。
良寛自身、難しい説法を民衆に対しては行わず、自らの質素な生活を示す事や、簡単な言葉(格言)によって一般庶民に解り易く仏法を説いた。
その姿勢は一般民衆のみならず、様々な人々の共感や信頼を得ることになった。
最後を看取った弟子の貞心尼が『蓮の露』に良寛の和歌を集めた。
良寛は和歌の他、狂歌、俳句、俗謡、漢詩に巧みで、書も能くした。
新潟県長岡市(旧和島村)の隆泉寺に眠る。

良寛は、子ども達を愛し積極的に遊んだ行動が人々の記憶に残っている。良寛は「子供の純真な心こそが誠の仏の心」と解釈し、子ども達と遊ぶことを好み、隠れん坊や、手毬をついたりしてよく遊んだという(懐には常に手毬を入れていたとか)。
名書家として知られた良寛であったが、高名な人物からの書の依頼は断る傾向があったが、子ども達から凧に文字を書いて欲しいと頼まれた時には喜んで『天上大風』(てんじょうたいふう)の字を書いた(現在でもその凧は残っている)。
ある日の夕暮れ時にも、良寛は隠れん坊をして子ども達と遊んでいて、自分が隠れる番になり、田んぼにうまく隠れ得た。しかし、日が暮れて暗くなり、子ども達は、良寛だけを探し出せないまま、家に帰ってしまった。翌朝早くに、ある農夫が田んぼに来ると、そこに良寛が居たので、驚いて問い質すと、良寛は、「静かに!そんな大声を出せば、子ども達に見つかってしまうではないか。」と言ったという。
このような類いの話が伝えられ、子ども向けの童話などとして紹介されることで、良寛に対する親しみ深い印象が、現在にまで伝えられている。

また戒律の厳しい禅宗の僧侶でありながら般若湯(酒)を好み、良寛を慕う民と頻繁に杯を交わした。
・・・・
良寛さんの和歌
 「この宮の 森の木下に 子供らと 遊ぶ春日は くれずともよし」
 「ひさかたの 雪解の水に 濡れにつゝ 春のものとて 摘みに来にけり」
 
 良寛さん(70歳)のところを貞心尼(30歳)が訪れた時の和歌。
 「これぞこの ほとけの道に 遊びつつ つくやつきせぬ みのりなるらむ」(仏の道を教えてください)
 良寛さんの返しの和歌。
 「つきて見よ ひふみよいむな やここのとを とをとおさめて またはじまるを」(手鞠をついて無心になりなさい)

 良寛さんの辞世の和歌。
 「形見とて 何か残さむ 春は花 山ほととぎす 秋はもみぢ葉」

  ・・・いいですよね・・・・

牧野の殿様が長岡の寺に来て欲しいと乞うたときに

焚くほどは風がもてくる落葉かな

とお断りしたとか。
これも深い。
・・・・・・・・・なお、冒頭の歌・・・
五合庵を訪れた阿部定珍(良寛の支援者の一人)が帰ろうとする時に詠んだ歌。◇月よみ 月の神、月読命から月のことをこう呼んだ。上代はツクヨミと発音した。
で、斉藤茂吉は、この歌を良寛和尚の和歌の最高峰的絶賛をしている。
私も好きな歌です。
優しい・・・とっても。

・・・・・・
外出先の道路で、
「痛んだ道路を直しております。ご迷惑をおかけします。」
とあった。
笑ったぜぃ。
「痛んだ」・・・ああ、道路、痛そう・・・
「傷んだ」のほうがベターだと思うけど、どちらにしろ擬人法。
やっぱり、いたんだ、とひらがな表記が無難ね。
と運転しつつ思ったことであった。



2006年10月15日(日) 福岡いじめ メルマガ更新情報

福岡のいじめ自殺、ひどい。
教師がやるか。
福岡の酒酔い運転の惨劇もふくめて今年は福岡がねえ。

でも、教員の子どもいじめ、現実にはあるね。
教員時代、4年で転校してきて、すごい問題児さんだった子ども(彼のせいで、4年の担任は教員を辞めた)を5年で担任したことがある。
1学期は、毎日、朝学校に行くと、彼を捜しに校舎を回るのが日課だった。
常に教室にいないのだわ。
(居場所を見つけられない、精神的に)
2学期になって、やっと理由がわかった。
彼の転校の理由。
3年の担任にいじめられた。
彼が教室をでていくと、鍵を閉めて先生を先頭に教室に入れないとかって、やられていたらしい。
クラスの子どもと先生で、内側からアカンベーをしてからかったらしい。
先生は、いじめの感覚はなかったのかもしれないが、これっていじめだよね。
で、当然子どもだって、彼にいろいろとやる。
彼はクラスに居場所がなくなった。
で、転校。
しかし、彼は(親も)、先生やクラスメートを信じられなくて心を閉ざしていた。
だから、教室にいられなくてさまよい出るし、気に入らないことがあれば、窓の敷居をまたいで、飛び降りて死んでやる、自殺してやるだった。
転校前に先生からもいじめられたって、わかったのは、2学期になって親が話してくれた。
それで、彼の問題行動のすべてが理解できた。
時間をかけて、人間は信じてもいいものなんだよ、と積み重ねて行くしかないと思った。

転校してきて1年半後だよ、真実がわかったのは。
前の担任は、なぜ彼がことあるごとに死んでやるとやるのかわからなかった。
一生懸命やっても、何が悪いのか、つかめなかった。
で、彼女は悩んで退職した。
前の担任が蒔いた種を、関係ない次の学校の担任が刈り取った・・
先生が子どもをいじめるって、大変なことなんだよ。
私は彼を2年持ったけど、「死んでやる」といわなくなったのは最後のほうだった気がする。

転校だってできるのに・・なんで死んだよ、中学生。
いやだったら、行く必要なかったのに。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

本日も上天気。
昼から、末弟とチビ犬を連れていつもの宮路様へお参り散歩。
気持ちよかった。
境内も今日は、にぎわっていて、お参りの後に名物のニシン定食を食べる人、きのこ汁を食す人・・・いろいろだった。
北国のうららかな1日、雪降るまであと何日あるかってところだわ。
だいたい11月末には降るね。
じきに地震2周年。
あちこちでいろいろなメモリアルが始められている。
道路はまだまだあちこち工事中だけどね。
山古志に帰る人達は56%だったかに減った。
高齢化が原因だとか。
お医者などが便利な市街地に住めばそうなるとおもう。
それと、雪の量だって、市内だと3分の2だもの。

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HTML形式にしなきゃよかった、と苦しみつつ・・・・
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2006年10月14日(土) めっきり、雲を見なくなったなあ・・・

このところ上天気だ。
今日は、暑いくらい。
昼から半袖になった。
午前は、あれこれ走り回って、午後から実家へ昨日作ったニンニクの黒酢漬けを届けた。
で、昼から掃除を終えて、フッと見たら、なんとなぜか、水槽のエアポンプが止まっているではないか。
どうやっても動かぬ。
ピンポンパールちゃんが、浮かんで瀕死。
やばい。
大急ぎで、水道の水をバケツに汲んで、カルキ抜きを投入。
水槽からピンポンちゃんたちを救った。
で、すぐにコメリに走って、新しいエアポンプを購入。
1年と少ししかもたんかったわ。
なんだか、解せない気持ちだが、まあ生きものの命に関わることだからねえ。
新しいものに変えて、水も半分換えて、水槽に戻したら、うれしそうに泳いでおります。
やれやれ。
そうそう、ピンポンパールって、デブチン金魚でものすごくスローに泳いで、さらにはエアポンプの水流の力も活用しないと沈みそう・・っていうまったり系なんだけど、若い女の子たちに密かな人気らしい。
私も見ているとなごむし、何となくわかる。
イヌ・ネコには負けるが、金魚もいいですよ。
それにしても、この頃、雲を見なくなった。
雲観賞は私の趣味なんだが・・
別に忙しいわけじゃない。
心のゆとりがないのかなあ、と反省している今日この頃。



2006年10月13日(金) ニンニクのはちみつ黒酢漬け

実家の母が栽培・収穫したニンニクをずいぶん前に大量にもらってきてあって、冷蔵庫に眠らせてあった。
もちろん、弟が稲刈りに忙しいときは、ファイテイング原田的ニンニク味噌をつくったりしていたが、まだまだあったのだ。
で、今日は思いきって、はちみつ黒酢に漬けた。
免疫力の落ちている末弟に1粒づつ食べさようかと。
  ★ニンニクのはちみつ黒酢漬け・作り方★
ニンニクを皮のまま一粒つづにする。
お皿にならべて、ラップをかけてチン。
こうすると簡単に皮がむける。
ホコホコのニンニクをサッと洗ってへタを取って、一つづつ水気を取る。
正しいはちみつ+由緒正しい黒酢+昔ながらのみりん(これもお値段が少々高い本物を)+ビワ酢(ビワのもへじの商品の一つ)+笹川流れの藻塩とアンデス山脈の夕焼け塩(どちらも隠し味で少々)+花粉少々(ミツバチが足につけている黄色い固まり・栄養食品)
を広口瓶に入れてよく混ぜる。
(それぞれの量は味を見つつボチボチ入れていく)
そこに、上記で用意したニンニクに、爪楊枝で、3つ、4つ突き刺し穴を開けて、ぼこぼこ投げ込む。
多分、明日にはそこそこに食べられるはず。

  ★おまけ*ファティング原田的ニンニク味噌の作り方*★
ニンニクは上記と同じようにして、ホコホコにする。
へたを切り落として、数ミリの熱さに輪切りにする。
鍋に、味噌(由緒正しい)+はちみつ(国産の由緒正しいもの)+みりん少々+酒ドバドバ(料理酒はだめよ、おいしくないです、酒飲みが飲むに耐えるヤツね)+花粉少々+乾姜パウダー(今回は、干し生姜をつくったときに出たパウダーを入れてみた、まあ廃物利用ですが、もったいないし)
弱火で、酒の気をとばすべく錬る。
てかりが出て、来たら、先に用意して置いたニンニクの輪切りを入れてまた、今度はニンニクをつぶさないように錬る。
頃合いを見て火を止めて、そのまま。熱気を飛ばす。
簡単でしょ。
ファイティング原田さんが、減量調整で、食事制限して力が出ないときにスタミナを付けるために毎日食べたというシロモノ。サライに出ていたんで、まねっこ。
ただし、原田さんのは、はちみつではなくてお砂糖でした。基本的にもっとシンプルであったので、「的」と・・・これ、確かにパワーがある。疲れたあーーと言うときに、4,3切くらい食べると元気出るもん。ビールとかのつまみや、ごはんのお供にもよし。
ただし、ニンニクはあまり食べると、腎臓に負担がかかるので、まあ1日1コで十分でしょう。
もへじのスタミナ料理講座でありました。
スタミナ系をつくるときは、材料をケチらないこと。
医食同源、薬を買うつもりで材料を買おう。
目安:
ニンニクは国産。
はちみつはできたらちゃんとした養蜂家からお取り寄せ。
みりんは、伝統製法を守った1本1000円くらいを用意。
黒酢も然り。

今日はすばらしい天気で、気持ちよかった。
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2006年10月12日(木) 北朝鮮の言い分

今、北朝鮮と変換しようとするも、なんと「北挑戦」だって。
あちゃ。
まさに、そういう感じだわ。
制裁は宣戦布告って、よくいうわねえ。
なんだか、あきれてしまって。
それにしても、成り行きはどうなるのか・・・このままあれよあれよと、戦争に突入しないことを、みなさん祈りましょう。
いや、あっというまに戦争ってあり得ます。
そうなれば、この国は無傷でいられません。

末弟が咳をして治らず。
漢方もあまり効かない。
で、ダイコンアメをつくった。
大根半分をさいの目にして、そこにはちみつをドバドバと入れる。
あっという間に浸透圧で水(大根エキス・咳に効く)が出た。
ホントは24時間位は、そのままがいいのだが・・はやく使いたいので、昼から実家へ届けた。
これをちょこで5・6杯飲むといいという民間療法だ。
これと、咳やアレルギーにも効くビワの種1日15粒×2回。
体が弱っているんだと思うのだ。
ころんだときにできた傷がいつまでも治らないし。
私なんて、指をぐさっと包丁で切っても気を15分ばかり指先に送ると、あっという間にふさがって、次の日は何ともないのに、末弟と来たら・・・免疫力が落ちているんだわ。
治験薬の関係で、あまりいろいろと薬は飲ませたくない。
民間療法でいろいろとやって見ねば、だ。
みなさん、ダイコンアメは簡単です。
せき止めにつくってみましょう。
ただし、はちみつは国産の由緒正しいのがお勧め。
中国産などは安いですが、ちょこっとねえ。

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2006年10月11日(水) HTML形式のメルマガ創刊・・読者登録してね

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で、舞台裏です。

いや、きのうはというか夕べは大変。
まあ、夜中3時近くまで、アホなことやらかしていた。
まぐまぐで、メルマガを創刊したいと登録して、発刊承認を得たのはいいが、その形式がボロボロ。なんで???
よーく考えた。
わたし、HTML形式のメルマガ申し込んだんですわ。
写真を使いたいと思ってね。
で、ネット上に無料の写真置き場まで見つけて・・そこまではよかった。
しかし、要するにHTMLの形式ってタグを入れて原稿を書かねばならんのよ。
ビルダーしかしらんわたしはタグなんて書けん。
というか、送信したらHTML形式の場合、かってに形式変えてくれるんだろうと思いこんでいた。
おろかな私・・トホホ。
ああ・・イージーなテキスト形式にすればよかったと後悔したが後の祭り。
まぐまぐは、しかるべき理由がないと、形式変更には応じてくれないようだし、だいたい、創刊号でタグ知りませんのでテキスト形式にしますっていうのもなんだか恥っぽい。(この期に及んでミエを張る)
でも、とにかくこのボロボロの創刊号が公開されたら(すでにされているんですけど)、もっとおお恥、だれも読んでくれないよ、とあせった。
もう一号、今度はちゃんとタグを入れて読めるものを出して、とりあえずは、創刊号のドジを2号で埋め合わそうと大車輪。
開かずの引っ越し荷物から、HPつくりの本を出してチョー基本のタグが書いてある本を見つけてしこしことつくった。
テスト送信を8回。やっと完成。
とにかく2号はなんとか見るに耐えるものになって(読めるものになって)
ヤレヤレだ。
寝ついたのは3時半。
これから、毎回このタグ入れをせんといけんとおもうと、だるい。
大昔、私のパソコン師匠が、HPをつくるなら、タグから入れる勉強を少しはしたほうがいいよ、初めからビルダーとか使うとわけがわかんなくなるからねと助言してくれたけど、私はそんなことしてらんないよとばかりに・・ねえ。今になってそのの通りでありましたと、うなだれている。
午後からでたついでに、本屋で超図解系のタグ本を一冊買ってきたけど、できるのかねえ。ああ、憂鬱。でも、週刊だし、ガンバだ。

なお、読者は表向き小学生くらいのお子さんがいる方、と踏んでいます。
もし知り合いがおられたら、広めて下さいね。

さあ、今日は早寝しよっと。
あ、待てよ、オーラの泉の日だよ。
またまた12時過ぎですか・・・

北朝鮮の核実験、新潟では、拉致問題解決の集会が行われていた時だったらしい。
まあ、なんてことでしょうか。






2006年10月10日(火) 11人中5人の死亡

発達した低気圧が山を吹雪にした。
で、遭難者は11人、うち亡くなった登山者は5人。
合掌。
みんな台風といったら登らなかったのかな。
しかし、900台ヘクトパスカルって、台風だよね。
低気圧って言葉で油断していたとしたら情けないというか残念というか。
遭難は、救助者も危険にさらすのだ、ってことを忘れるべきではない。
救助隊の人がきびしい顔で、少し山をやっているなら、気圧配置を見たら、一気に発達してすごい低気圧になるとわかるはずだ、といっていた。
賛成。
九州からのグループはガイドさんがついていたのに、その辺のところがホントに残念。
いつもこの連休は天気が変わって山事故が起きる。
そういうことも考慮せんと・・・例えば、10月10日は晴れの特異日だが、この日が晴れる確率が高いということは前後は、荒れるということでしょう。
だって、お天気はリズム、循環だもの。

北朝鮮の核実験。
気になって、夕べはついついニュース番組のはしごをしてしまった。
しかし、ゲストというか、コメンテーターは同じ人がはしごで変わりばえしないのが何ともねえ。
やがて滅びるだろうけど、最後のあがきで、とんでもないことをしでかしてくれるなよ、と祈りたい。
北の国連大使「我が国の科学技術におめでとう」といってほしいと、すごいなまりの英語でいっていたけど、あのあたりを見ても不気味だわ。

朝晩寒し。



2006年10月09日(月) もへじ接待宿

昨夜は、神奈川教員時代の元同僚にして友人2人がご来訪。
良寛のゆかりを訪ねて、の旅とか。
数日前に笋あって、そっちにいくんだけど、夕ご飯でも食べようか・・・というので、きけばホテルに泊まって、という。まあそんな遠慮深いこといわずに、夕ご飯と1泊くらいはうちでできますのでどうぞということで。
観光のご案内まではできないというか、してといわれても「かんべん、自分で行って」とお断りする。
しかし、旧交を温める1晩の宿くらいは易いこと。
久方ぶりに、昔のことから今のことまで・・・なんだかんだとおしゃべりして楽しかった。
振り返れば、もう20年近いおつき合いだ。
困ったり悩んでいるときは支えてもらい、うれしいことがあったときは、祝ってもらい、いっしょにあちこちに旅をして・・私にとってはかけがいえのないお友だちだった。(もちろん、はなれているけど今も)

母が、サトイモだの長岡ナスだのをくれたので、新潟名物料理ののっぺい汁や、やはりお祭りの伝統行事食の「ニシン・車麩・ナスの煮付け」(ホントは、これにゼンマイの煮付けがつくと完璧なんだけど、干しゼンマイが中国産だったのでやめた)を作成。あとは、これまたお祭り伝統食「エゴ」の酢味噌がけなど。
地元新潟食と、地酒の小瓶を何種か買ってきて、楽しみました。
のっぺや煮付けは久しぶりにつくって、まあ腕のさびを落とした。
やはり、秋は独特の食材が一気に増えるので「食欲の秋」だよね。

彼女たちは「大地の芸術祭」の常設展示を見にまつだいへ。
今晩は、松之山温泉泊まり。
今朝8時にはうちを出発。
まあ、お遍路さんの接待したようなもんでしたわ。

久しぶりの晴れ。
せんたく・布団干しなど。
それにしても一気に寒くなった。

北朝鮮地下核実験。
不安だ・・・ねえ。





2006年10月07日(土) 秋刀魚漁も大変だ・・

お天気悪し。
秋刀魚捕り漁船、行方不明。
絶望か?
こういう具合に秋刀魚が消費者に届く。
命をありがとう、といっていただきたい。
ロシアの船にうたれて、若い漁師さんが亡くなったのは、蟹取り船だったが。
おろかで浅ましいグルメ番組は、こういう犠牲の上にのっているということをわすれんように、といってもだめだよね・・・
きのう「芸能人常識大会」みたいなテレビ番組を見ていて、野菜の名前もろくに知らない大女優や俳優、タレントにあきれ果てた。ナメコとシメジ、インゲンとサヤエンドウの区別がつかないって、初めは受けねらいかバカなフリしてんのかと思ったけど・・ホントだったんでもうビックリした。
こういう人たちが、お百姓さんや漁師さんに感謝してものを食べるわけない。
後生が悪いよ、この人たち。
あと、灯油のポンプのつかい方もシランかったねえ。
あきれ笑いしてみていたけど、いやはや。
バカがうつりそうで恐かったんで、チャンネル変えたけど。

今日は終日、雨。
寒かった。
いつの間にか、赤まんまの花(ミゾハギ)が咲き始めている。
これは咲き始めると、秋の真っ盛り、で、じきに晩秋に突入するのだ。





2006年10月06日(金) 雨雨雨

けっこうすごい降りで、昼も暗かった。
暗いとなんだか、気分が沈む。

地元新聞に、飲酒運転が免職で法規上は飲酒より罪が重い、横領などの処分が停職ですむのはおかしい・・(飲酒が重すぎると露骨にいっていなかったけど、そんなニュアンス?)という質問が議会(新潟市議会?)であったそうな。
読みながら、筋はとおっているけど、でも、なんだかおかしいな・・と思った。
何が変なのか、車の運転しながら考えていたら、信号無視しそうになって。
多分、質の違う「犯罪」を同じ地平にならべて考えているから、なんだか変だな・・・と思うのか。
くらべたりならべたりするモンでないように思うんだけど。
人名を危機にさらすという点では、飲酒のほうが確率は高い。
敢えてくらべるとすれば、この点で考えるべきだろうね。
飲酒が重すぎると考えるのではなくて、じゃ、横領ももっと厳罰化すればいいんじゃないの、と思うけど。
論理的でクリアなのって、好きだけど、これはなんだかおかしいと思うのだが・・・みなさんは如何?

全国的に飲酒運転がきびしく取り締まられるのは大賛成だ。
それでも、懲りずに、他人事のように飲むヤツってどんな人よ?



2006年10月05日(木) HPを刷新

刷新というほどでもないかもしれぬが、午前から午後にかけていじくりました。
ああ疲れた。
「コルクボードで親子の国語」は、ミニマグだけでなく、マグマグでもやろうと思っている、はい。
春先に役所に行ってビックリしたことは、就学援助の窓口に列ができていたこと。
連想ゲームではないが、経済的にゆとりがあって塾に通える子はいいけど、そうでない子は・・・と考えさせられた。
で、ネットならば、フリーで便利に活用できる知識ややり方が配布できるかな、と考えたわけである。
国語を伸ばしたいけど、どうしたらいいかわからない・・・という心ある親御さんにアクセスしてもらえればと思って発信を決めた次第。
大変だけど、がんばろう。
すくなくとも、小学生の国語力って、まわりのおとな(親・先生)次第。
それと、言語能力の基本はほとんど小学生でどれだけしっかと土台をつくったかで決まってしまう。
中学での伸びは少ない。
それと、国語力の低下は、要するにコミュニケーション力の低下であり、これは個人の幸せといったささやかなしかし大事なことに関わるだけでなく、国家の存亡にも関わる問題でもあるのだ、とわたしは思っている。
コミュニケーション力の高い人がふえれば、犯罪も減る、と私は思う。
そんなわけで、私の今いるところから発信できることをやりまっしょい。



2006年10月04日(水) 敬語の分類

昨日だったかの新聞にあったが、国語教育審議会が敬語の分類を3つから、5つに増やしたという。
尊敬、謙譲、丁寧の3分類に、謙譲機Ν供丁寧機Ν供僻化・・だったかな、「お」をつけるのはこれらしい)ということで、5つだそうな。
アホクサ。
そもそも、最近は、上下の関係が実に曖昧になって、「相手が自分よりえらいときは、自分がへりくだって謙譲語」と教えても、そもそも「へりくだる」って知らない。えらい人っていっても、昔だったら「例えば、先生」で通じたんだけど、今は先生・・えらいの?って感じで敬語の対象じゃない。
分類わけなんぞしている前に、どうやって日常で正しく敬語をつかえるようになるかってことにテーマをしぼってほしいよなあ。
こんなまあ、はっきりいって下さらないことに時間かけてほしくないわ。
審議会委員は、雲上人(うんじょうびと)か。
彼らは、この会議で日常的に敬語を使って審議していて、敬語が今も活発に使われていると錯覚、5分類なんて時代錯誤なことを考えたのだろうか。
時間と税金もむだ使いをしているね。
分類を増やせば、また子どもたちが試験で覚えるのが大変でしょうがよ。
まったくさ。

姪の病院まで行ってきた帰り、国道を75キロほどで走っていたら、ビュイーンと追い越して前に入った車あり。
けっこうくたびれた軽自動車で、初心者マークをつけている。
ドライバーは若い男。
右折待ちで並んだので見ていたら、なんと彼、足元からファイルとりだして、信号が代わったら発進を両手を離して、していたよ。
きみ、初心者マークでしょ。信じられない。
こういう人が、なれたらどうなるのよ?
事故につながるだろう。
脇見運転で幼稚園児に飛び込んで4人を殺したドライバーは、以前にも同じパターンの脇見運転事故を起こしていたとか。
事故を起こす人は同じ人が多いって、前に保険会社の人がいっていたけど、なんだか今日の若い男の運転ぶりを見て納得。



2006年10月03日(火) 犬と人間

北海道で、同居女性の子ども2人を虐待死させた男、3匹の犬はすごく可愛がっていて、子どもが瀕死なのに、犬だけは医者に連れていっていたって報道があったけど、いやはや。犬畜生以下だわ。
ナチスドイツの捕虜収容所で、ユダヤ人たちをガス質に送り込んだその手を洗って、将校たちはクラシックの夕べを楽しんだ、という話を昔五木寛之の講演会で聞いたことがあるけど、それといっしょだ。

甥っ子は、先日の日曜の職場の運動会でリレーを走って、倒れた。救急車で搬送。
結果は、過呼吸。要するに、前夜、友だちのうちにあそびにいって午前様も午前様で朝3時帰り、ろくに寝ないで運動会に行って、準備体操もしないで全力疾走、でクールダウンもしないでいきなり停止。まあ倒れるよね。愚か者。点滴1本でまあ、心臓が止まることもなく無事に帰ってきたのはよかったが。
今日は、姪が日赤に入院。遊びすぎ、というか、熱があるのに、祖父の法事にもでないで京都に夜行で遊びに行って、風邪をこじらせて、菌がリンパに入ってでてくれない。熱が下がらない。さがったと思うと、夜遊び、夜更かしでまたでる。ついに、ドクターストップで入院のお粗末。
今さっき、ようすを見にいったらベットが無くて、豪勢な個室に入って点滴2本つけてニコニコしていた。
弟夫婦に、差額ベット代は自分で出させなさいよ、健康管理をしないとコストが高くつくって体験を身にしみてさせた方がよろしいと、直言してきた。
もちろん、ご本人にもしっかと嫌みをいってきたが。

世間でも、風邪がはやっているようだ。
みなさん、気をつけましょう。
朝晩の温度差がありすぎですねえ。
今日なんて、昼は半袖、夜は長袖にベストって感じだもん。
でも、天気がいいと気持ちいいなあ。



2006年10月02日(月) 低血圧の問題

佐渡の宿で血圧計があったので、測ったら、若干お酒を飲んでも、上が100にとどかない・・・ビックリした。
冬に測ったときは、上115とか118で、いいジャンだったのに。
(私は昔から低血圧)
このところ、朝の寝覚めが悪いのと、昼間からダルっぽいのはこれだったのかと納得。
で、今朝も朝6時起きがなかなか。
参った。
ネットで調べたら、低血の人は、夏の猛暑の時には外出しないのがベストらしい。
8月にそれに反したことをしていたけど、これまた夏の疲れか。
死の四重奏といわれる肥満、高血圧、高血糖、高脂血は、お陰様であまり縁がないのだが(肥満はやや縁があるが)、低血圧には今後も悩まされそうだ。
やれやれ。
まあ、しばらくはデレデレ怠けつつやろうではないの。
怠けている自分がいやでがんばろうと思うんだけど、どうも体がついていかない。

今日は寒い。暗い。またまた北国のいやな季節の始まりそうだ。
あっという間に10月だわ・・・



2006年10月01日(日) 夜回り先生の講演へ

Tさんは朝の新幹線で、谷川岳から草津温泉へ。
朝ご飯は、昨日買ってきた佐渡の「へんじんもっこ」のどっちの料理ショーにでたソーセージやイワノリのみそ汁。
ソーセージはたしかにうまかった、でも、なにしろ5本で約600円、うまくて当たり前なんで、あんまり感動しなかった。

午後から、夜回り先生水谷修先生の講演会。
ここにきている人たちは昼の世界の人たち、でも夜の世界・・・眠れない子や薬物に走る子、援交の世界などがいまや昼の世界を犯しはじめている・・・それはいまやあなた方のとなりにあるという話の内容はそう新しくはなかったが、いつもでてくる、エイズで死んだアイちゃんお話はテレビでも再三聞いているが、泣けるよ。
長岡はリストカットのケンで電話してくる子が多い。(というか、新潟県はリストカットが多分日本一っていう話にビックリした)ただ、中越地震で以後うんと減った。地震という非常下で、人の役に立った、みんなと助け合った・・という体験がリストカットを少なくしたのだと思うという話になんとも複雑な気持ちになった。
会場は近所の小学校の体育館。
募集は千人だったので、どうやって入れるのかと思ったけど、なんとござがしいてあって、ほぼ満員だった。老若男女。
静かな、熱心に聞く聴衆だった。
で、出口が一つでどうするのかと思ったけど、主催のロータリークラブの面々、実にうまい誘導。待つ方もまったり待っていて、この感じは気持よかった。
(入退場が気持ちいいのは、ダライラマ法王さまの講演会の時もそうだけど)
この辺に地震の体験が生きているのかな。
この世のあらゆることは、マイナスだけではないということを改めて確認した。
それはむだな体験は一つもないということ。

夕方から雨。



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