世界お遍路 千夜一夜旅日記

2006年06月30日(金) 坂東順礼・・・埼玉県 第2回目

先回と同じく、8時5分の新幹線で大宮へ。
大宮から東武野田線の豊春駅下車。
ここから、歩いて12番慈恩寺へ。
3キロ弱の距離はともかくとして、蒸す。
あるきはじめて15分で汗だらだらだ。
今回も地図はMAPfanのラリーマップだが、迷うことなく歩ける。
平坦でおもしろくもない道を歩くこと30分で12番慈恩寺着。
実は経本を忘れて、観音経の下が唱えられない。
お寺の方に言ったら、上がっていいですよ、あげればあるからつかって、といわれた。ハイありがとう。
しっかとお勤めがされている感じの観音堂であった。
納経所では、お茶を出して下さって、西国の話などをのんびりした。
ここは、慈覚大師ゆかりの寺で、かつては大寺だったであろう風格がある。出てらから10分ほどのところには、なんとあの玄奘三蔵の霊骨塔がある。なんでも、戦時中に日本軍が発見して、南京政府に渡したら、一部が日本仏教協会に送られてきて、ゆかりのこの寺へということだったらしい。
道を教えてもらって、寄り道でお参りした。
大宮へもどって12時15分の川越線にのりたかったのだが、タッチの差で36分になってしまった。
ウーム。
こうなると、この先のルートを変えねば。
ホントは、川越から、東武東上線で高坂下車。10番岩殿観音へ歩いて、そこから
11番吉見観音の約13キロを歩き通すつもりだったのだが、多分時間がずいぶんと足りない。
予定変更。
まず、東松山駅からバスの便が全くない11番へ先に行って、その後時間があったら、片道バスで、10番へ。
汗をだらだら流しながら、せっこせっこと東松山駅から吉見観音までの5,7キロを1時間5分ほどで歩きましただ。
このお寺もすごく立派で、深閑とした広い境内に堂々とした観音堂、吉見大仏といわれる5メートルほどの大仏、三重塔。
なんだか、いい感じのお寺でしたわ。
ここでも、住職さんが「西国をよくまわったね」と言われるので、ハイ歩きましたよ、といったら、ほう、1番から二番の間は大変だね、という話になった。
でしばらく、札所の話が弾んだ。中国(岡山・広島ですよね)の観音霊場がいいから、ぜひお参りしなさいとすすめられた。
ハイ・・ですが、遠いなあ・・・
さあ、またまたせっこせっこと駅にもどって16時15分の電車。
もう目に汗が入っていたいのだ!
一駅のって高坂下車。
納経時間が迫っているので、行きをバスと言うことで。札所着、16時40分。
お参りをして、納経所へ5時5分前。
やれやれ。
しかし、四国の札所のように、5分まわったらダメといった冷酷なことを言わない様子。わたしが汗だくだくでとんでいったら、大丈夫ですよ、と笑って、納経帳とお軸を受け取って下さった。
この寺の大寺、で、納経所と本堂の距離があるのだ。
ここでも、丁寧に書いて、乾かしてから、老住職さん自らが持ってきて下さって、またしてもよく西国を全部終わらせたねとほめて下さった。
で、しばし、西国話をした。
ここでは、西国では歩く人の道と車の人の道はちがうという問われるままに話をした。
札所発5時15分、駅着5時50分。
小川町の予約していた宿着6時20分。
ヤレヤレだった。
お陰様で、蒸したが雨が降らずになによりだった。
それから、静かな札所でのんびりと住職さんと話ができたのがよかったなあ。
四国の札所のいそがしさと無愛想を思わず思いだしてしまった。

・・・メモ・・・

★大宮・・東武野田線15分・・豊春下車・・・徒歩30分(二・五キロ)・・12番慈恩寺
★大宮・・川越線・・川越乗り換え・・東武東上線・・15分・・高坂下車・・徒歩40分(三・五キロ)で10番岩殿観音(バス便鳩山ニュータウン行き・大東文化大学下車)
★高坂駅・・5分・・東松山市下車・・・徒歩1時間10分(五・七キロ)・・一一番吉見観音(バス便等なし)




2006年06月29日(木) いきどおり・・だね

金英男氏が「めぐみさんは自殺」と、会見だとさ。
ホオ・・・私が最近読んだネットの記事で、北朝鮮のレセプションで2000年代にめぐみさんのそっくりの女性を見た、というのを読んだけどね。
要人しか出られないもんだったらしいが。
その人は、日本のマスコミ報道でめぐみさんのことをの顔をよく覚えていた、というんだけど、さあて。
めぐみさんは金正日一族の日本語指導係として、宮殿の奥深くにいる、というのはガセネタだったのかな。

金サン、話が違うが、目つきがわるい。
まあスパイ系の目だよね。
蓮池薫さんがあんな目をしていたね、帰ってきたばかりの頃。
よく似ている。

今度の一連の流れを見ていると、しかたないとは言え、あるいはあのお歳を召したおかあさんのなみだを見ていると強くないえないけれど、「恩をアダで返された」感じだね、横田ご夫妻及び日本政府。
DNA鑑定や日本の動きがなければ、このイベントも実現しなかったわけだし。
それにしても「離散家族」の位置づけって、どこまでいやらしいのだあの国は。
まあ、これは韓国も一緒だけど。
いきどおり・・ですね。
横田夫妻と拉致被害者の方々のストレス指数と悲しみを想うとつらい。



2006年06月28日(水) 反省をする

こいそがしい。
なのに、どくだみなんか刈ってきてほしてさ。
今夜なんて、どくだみ焼酎漬けをカモミールのティーバッグまで入れてつくってしまった。喜々として。
何するのかいえば、ローションづくりだわ。
こうやって1ヶ月寝かせて、濾してグリセリン入れて出来上がりとなるわけ。
月半ばにつくったビワ酒とビワはちみつはきれいな黄金色になってきている。
今、こういうコトがおもしろくてたまらない。

ますます、やらねばならんことがこなせなくて、押せ押せになって。
わたしがやりたいこといえば、番外のいまやらんでもいいことが多くて。
メールの返事も何通も書いてないし・・・
それなのに、また、坂東札所へ1泊行く計画なんて立ててしまってさ。
こんなことだったらもっと計画的に、6月中旬、もう少し気ぜわしく過ごせばよかったのに、まったりしすぎた、反省、大いに反省だ。
「日本語1日1語」「漢字教室」、今日、更新無しだわ。
これもいかん。
7月、心を入れ替えます。
でも今夜はねよっと。
あしたは午前に2人もビワの方がみえるからパワー温存しないと。
と、このところ、寝る時間の早さもネックだなあ。
でも眠い、メールの返事、あした、あした書きます。





2006年06月27日(火) 終日多忙なりけり

朝六時前おきで、朝露がおりた状態のどくだみを刈りにいった。
うちに戻って朝食、ビワ灸の方お一人来訪。
その後、大きなゴミ袋いっぱいに刈り取ってきたどくだみの雑草をのけて、洗って束ねて・・・を約3時間。
腰いたたのやれやれ。
午後は、夕方のお客さん用に買い物と料理。
4時にビワの出張。
で、六時から宴会でした。
11時過ぎにお友だち帰りました。
走り回っていた1日。
すべてはどくだみのせいだが、今年はつくるぞ、どくだみ茶とどくだみ入浴剤、どくだみローション。
これぞ、田舎暮らし。
どくだみは十薬といわれる漢方王だ。
ああつかれた・・・ねよっと。



2006年06月26日(月) なんだか、ニュアンスがちがうんだけど・・

へんろ館のくしま氏がこだわっておられた「八十八カ所ヘンロ小屋プロジェクト」・・・ウエブマスター日記を読んでビックリ。会が設立されて顧問に四国4県の知事とはネエ。まあ、名義貸しだけだろうけど。早坂先生は、例によって人寄せパンダだろうか。
こうなってくると、なんだか申し訳ないが、あれあれ?になるなあ・・・
知事みたいな公的な人たちって、当然名前連ねて何もしないしなあ。
徳島の鴨島町の役場は「最後まで残った空海の道」とかHPで華々しくうたっているけど実際の道のメンテナンスはほとんどしていない(ようだ・・・2005年2月現在)。やっているのは、宮崎さん達だ。人のふんどしで相撲を取るってヤツ。
 私は、HPにあそこまで取り上げる以上、もっと管理をして下さいと徳島をでてくる前に役所宛にていねいな手紙をかいたけど、なしのつぶてだった。
 愛媛の柏坂の道は、それなりに役所ががんばっているから、評価はできるけど・・
話もとい。
 歌先生、私も1度だけお目にかかったことがあるけれど、素朴でやさしい感じの方だった。歌先生個人はいい感じだけど、それとは別に、私はヘンロ小屋プロジェクトって基本的にあんまり賛成じゃない。
理由として
1 メンテナンス・・・ますます高齢化が進んでいるのに、この先だれがお世話するのよ、といいたい。つくる以上はそこまでの手当と見込みをもってほしい。つくって終わりって、地元には負担、と思うのだ。
 現状維持だけでも、掃除、安全上の問題など、さまざま大変なはずだ。あるいは、例えば何かあったとき責任の所在は・・・ということが浮上してくるはず。そのとき、どうする?最終的に、町や村の巨大粗大ゴミ化しないようにしていただきたいなあ・・と思う。
2 ヘンロ小屋を造る目的の一つに仮眠のためとうたっているけど、今あるヘンロ小屋で仮眠所として活用されているのって、いくつくらいあるのかな?
 実際は、地元の人達が夜はだれも入れないように施錠しているところが多いのではないか。こんなご時世だから、いくらお四国の方々といえど、自分の家の隣に遍路という名の見知らぬ人々がたむろうのは不安なときがあるはずだ。
 地元の人が、個々に、あるいは「千人宿」のように何か思いがあっての小屋とか、ぜんこん宿だったらわかるけど 88カ所、地域性を生かしてみんなちがうくつくりたいって、建築家歌先生の仕事への業的な思いかも知れないけど、ハタメ的に見ると「構想」とか「プロジェクト」と冠をつけて進めるものなんだろうか。疑問を感じる。
 遍路道の状況は、時代によって変わるのはよくわかるが、何より私は、今後、つくったものが地元のお荷物にならぬかと心配に思うのだ。
 「八十八カ所ヘンロ小屋プロジェクト」などと公共事業のごとくいわずに、細々地道に・・で、地元の声に応えていたら気がついたら88カ所になっちゃったよ・・だったらわかるし、あの歌先生の雰囲気にも合うんだけどなあ。
 なんでこうなったのか。
 このハデな形が歌先生の夢だったのかな?
形あるものは滅ぶ・・・21世紀は、すでにブツの時代ではなくなっているでしょ、実は。滅ぶものではなくて、お遍路さんとあいさつをする、お遍路さんと言葉を交わす、お遍路さんが困っていたら助ける、遍路道を守っていく心・・・といった目に見えないけれど、今まで遍路道を支えてきた思い(精神文化)を継承する何かを(例えば、公教育の中で、地域学習として)やれないものだろうか。
(え、もうやっているって・・・ハイ、すみません)

●遍路を文化遺産に・・の運動
 仙遊寺の住職さま、私は好きだし尊敬もしていますが、この運動に関する限りウーン。だって、無理だもん。現実的じゃない。
 世界遺産をまわればわかるけど、まずブツの現状維持がどれだけきちんと為されているか、なんだわ。
なりたかったら、すべての四国遍路道を地道にすればなれる可能性がでてくる。
 あの熊野古道だって、実は全道が世界遺産になっている訳じゃない。
 中辺路の近露あたりは指定されていない。理由は、舗装道だから。和歌山県が地元民の反対をおしきって舗装にしたところが削除されたわけ。行政の愚かしさよ、ですが、まあ世界遺産指定というのはこれほどむずかしいというか「古」が残っていることが重要になる。
 ベトナムの古都フエの世界遺産なんて、ベトナム戦争の弾丸のあとなどがすべてそのままで修復されなくて世界遺産だった。あれ、修復していたら、なれなかったかも、だ。
 遍路道は90%以上が舗装道で、お寺は建物を次々と更新していて、10年前と別寺のようになってしまったところもある・・・なれるわけありません。
 そんなものにならなくても、遍路道はすばらしいのだし、いいんでないのと思いますが。
・・・・
今日は少し厳しいこと書いちまいましただ。
お休みなさい。

 



2006年06月24日(土) そうじ

朝10時開始。
でもって、終日、植木鉢のかたずけやら、冬にかれなかった植木の植え替えやら、掃除やら。途中、1時間ほど昼寝したが、午後9寺近くまで続行。
シャワーを浴びたあとのビールがうまかった!!
そんな1日でした。
雨が降らない梅雨。
北風は冷たい。
どんな夏が来るのだろう。



2006年06月23日(金) バット殺人と、放火殺人と

今を去ること30年近く前か、川崎市宮前区宮前平で父母が息子にバットで殴り殺された。一柳伸也容疑者だったっけ?
あの時から、親たちは、さまざま学んでいるはずなのに、相変わらず起きる、成績、憎悪・・殺人・・・
バットで殴り殺すのと、火をつける、何がちがうかといえば、放火はすべて燃えてしまう、ということだ、まさにリセット。
母や兄弟は憎くなかったといいながら、火をつけたのは父が夜勤でいないときだ。
父は生き延びた。
父の一番大事なものを奪うことで、父をくるしめたかった・・というまるでドラマのような筋立てが浮かぶ。
子どもにとっては、最後の港は家庭だ。
しかし、奈良田原本少年Aには家庭は、不愉快なところだったのだろうな・・・
継母と父は不倫の末の再婚で、母はそのせいで離婚だったという話も流れているしねえ。
悲惨すぎる事件だが、心休まる場がなかった少年Aがかわいそうだ、という気もする。(2ちゃんねるでこの少年に同情する、という意見多い、あの光市の少年にはチョーがつく厳しさだけど・・・2ちゃんねるって、こういう時、意外とまとも?だと思うときがある)
亡くなった継母さんは「心療内科」がご専門、自分の家庭にそれは活用できなかったのだろうか。
少年Aは、家出、非行等々・・・自虐系に走るべきだったよ。
しかし、そのエネルギーは進学校への勉強で尽きたのか?
どうして弱い者へ、それも寝ているときに放火という卑劣極まる残虐さを方法としてえらんだのか?
安倍譲二さんってまだ生きていたっけ?
日本郵船の社長だったお父さんを苦しめてあげくに「塀の向こう」へも入った天晴れ元祖不良の彼がこの際、全国行脚するべきではないだろうか。
不良になる方法、とか子どもの親の関係における仁義とかのテーマで。

・・・・・・・・
皇太子さんご一家がオランダにいかれるそうな、8月末メドで、長期で。
ばっかだねえ、今いけばいいのに。
爽やかで、昼は長いし暑くなく寒くなく・・・バカンス前後でみんなリラックスしているし、いまが一番いい感じの季節なのに。
8月末のオランダなんて日本の秋の終わりだよね。お天気がわるいと。
マサコさんのご病気にはよくない季節にはいるとおもうけどねえ。
彼女は、相変わらず、公的な行事にはほとんど不参加だけど、私的なオペラ観賞とかそういったもろもろには喜んで出るって批判が絶えない。
また、いろいろいわれそうだ。
マサコさんの輝かしい学歴・履歴はすべて父親力で、皇室に入れたのも父親で、それを利用して彼は好き勝手しほうだいで・・・もともとソフトボールが好きなマサコさんはそうできのいい方ではなくて、皇室にはいってそれがばればれになって病気になったとかって書いているブログのようなの読んだことある。こんなこと書いていいんかいと思ったが、しっかと読んだ。
でも内容的にはウソって書いてなかったし、得た情報の組み立て方にフーン、あり得る・・と思いましただ。

しかしなんでオランダかねえ。
インドネシアにおける捕虜問題で、日本大嫌いニンゲン、まだまだたくさんいるのにさ。アブナイよね。
また、ベアトリックスさんが身をもって3人をお守りになるのかねえ。
前の天皇訪問の時はそうだった。
ベアトリックスさんて、事故があれば、真っ先に駆けつけて見舞うとか・・とにかくオランダ人をうならせて黙らせる行動をとられる方で、タイのプミポン王などと並ぶ王族カリスマのひとりだと思う、まさに貴人。
そのあたりをマサコさんが学べばいいのかな・・・

おおわかった!!
今ひらめいた、キコさんの出産問題とのからみだね。8月末の外遊長期滞在って。
出産の時に日本にないようにする配慮ぅ?
しかし、清子サンがお嫁にいって、宮内庁は皇室人材派遣にシックハックしているらしいのに、皇太子さんがいないともっと大変だ。
ホントに、公表無しの隠密で行ってもらって、行事には皇太子さんの影武者立てて
おいていって貰えばいいのか。そうかマサコさんも影武者がいれば問題ないのだ。自分がでたくないものは影武者にしてもらって行きたい行事だけ参加するとかね。
これ、どうだろうか、宮内庁さん。
こうなって来ると、皇室って、もう要らないかもと思えてしまう・・ね。

これ書きつつ、少し休憩。
さあ、台所のかたずけ、とビワの部屋の夏向き計画の最後の仕上げをするかな。



2006年06月22日(木) またか・・・

奈良のかわいそうな放火殺人は、また「少年A」ですか。
亡くなったお母さんの年、子どもの年、この2人から「少年A」は離れているし、なんかあるのかなと思っていたら、どうやら亡くなったお母さんは「継母」だったらしい。
で、Aくんはふだんは祖父母と一緒に暮らしているとかで・・・なんだかバックにいろいろと深い事情がありそうだ・・・。
にしても、昔なんて「3年子なきは去れ」みたいなことがまかり通っていた時代はありがちだったことで、放火して自分の兄弟を殺すなんことではなかったはずだ。
滅入る事件だ。


この頃、エレベーターに乗ると、思わずメーカーを確かめてしまう。
シンドラーじゃないな、なんて。
「シンドラー」に乗った人ってどんな気持でエレベータの昇降を感じるのかしらんなんて妄想してしまうのだ。

今日は、寝違えたようで首筋が痛かった。
午前に見えたビワのお客さんのあと、自分にもしたら、なんとまあよく効いて爆睡。はっと、目が覚めたら昼を遙かに過ぎて2時だった。
昼ご飯も食べずに、畳の上にごろんと何も掛けずに眠っていたのだわ。
どうやって、眠り込んでしまったのか覚えとらんのだ。
ビワの「反応」の一つは、爆睡。
爆睡というより「ビワ酔い」だ。
なんかしらんけど、体が疲れているんだということだが。

今年は冷夏らしい。




2006年06月21日(水) 母子殺人の被害者の夫さんの人相

昨夜は、彼を追いかけるようにテレビを見た。
30歳の顔ではない、とつくづくと思った。
40代の人相だった。
それと、家族といたときは笑っていただろうに、今はこの人の笑顔って思い浮かべられない・・・かわいそうに。
話の論理性と気遣いと・・・以前は、彼の話し方はもう一つ、印象がよくなかったが。しかし、今回はちがってた。
成長?
人は不幸でしか成長できないのか????
偽メールの永田元議員、村上親分、ホリエモン・・・みんな彼より年上だけど、彼より若いというか未熟な顔だ。
それにしても、奥さんと11ヶ月の娘、3人の幸せの絶頂の時をぽきっと折られたようなものだから・・・差し戻しでまた1年、2年過ぎるわけだけど、それが終わったら、どんな気持になるのだろう。
引きかえ、加害者のお父さんの発言が出ていたが「18歳なのに、死刑とは」という発言だった。なんで、最初に「うちの子がしでかしたことを考えると・・・しかたない判決かも知れないが・・・そしてお詫びしてもお詫びしてもどうしようもない気持なのだが・・」という前置きがつかないのだろうか。被害遺族の気持ちに思いがいっていない。まあ、加害者の母親は昨年だったが自殺したというし、そういうコトへの思いもあるのかも知れぬが。
しかし、それとて、自分たちの息子がしでかした残忍な事件のせい、というのは酷すぎるか。
・・・・
少し視点を変えて、
あの鈴香容疑者の高校の卒業文集ってひどいよな。
「死ね」とか「もう帰ってくるな」とか本人が悲しむだろうことがたくさん書いてある。
先生、ナニしてた!
卒業文集に何を書いてよくて何を書いてよくないのか指導しなかったのか?
こんなことを書かれたら、お前はどうだ?と書いた子にいわなかったのか?
私は彼女の孤独と悔しさや悲しさって、今回の事件の源流じゃないかと思うのだが。
学校の先生、責任の一端あるぞ。

この元少年も、かなり激しいいじめにあっていたというし、それもまたセンセなにしてた、親はサポートしたのか?といいたい。
もっとさかのぼって、何か「ホット」なことがあれば、彼らの心の今のような大きな闇は広がらなかったのではと思うのだが。





2006年06月20日(火) ゼロ金利の時に、それはない

日銀総裁、十年足らずに1000万が2200万。
2.2倍じゃないのよ。
痛みに耐えてなどと世間に「ゼロ金利」を押しつけていた時期に、それはない自分はそんなことしていたのか、みんな思うだろうと。
やっぱりね、フェアじゃないと思う。
金額の多少ではなくして、倫理的に美しくない。清潔じゃないわ。
星野監督は「天罰が下る」とスポーツマンにしちゃ、恐い台詞を村上親分にはいたけど、この方にも「天罰」が下ったんだろう。
日銀総裁だったら同じ「痛み」にたえろーっつうの。
しょせん力いっぱいせこくさい官僚だったというわけだわ。
彼は総裁を辞めるべきという人はこの数字(2,2倍)が明らかになる前で49%位だったけど、軽く50%を越える右上がりになるだろう。

小泉が国会の会期延長をしなかったのは、村上親分がらみのこんな話がごろごろ出てくることを恐れたという噂があるけど、そうかもだ。
今のところ問題になっているのは民主党の多分村上親分のお友だち議員だけど。

今日は一日パッとしない気分だった。

そうそう、光市の母子殺人事件は、差し戻し判決だそうな。
「生きたい、生きて償いたい」
と25歳になった犯人は今や叫んでいるそうだ。
「最高裁までいってやっと、死と向かい合ったんだ、死の怖さがわかったんだ、彼は」と残された夫氏がいった言葉だけど、私もそうなんだろうとおもう。
夫氏は、殺された妻子の苦しみがやっとわかったか、ということだろうが・・・でも・・許すことは、やっぱりできないのだろうか・・・と思う。
許す、難しさは私もよくわかるだけに、そして私が体験したのと事件の質が桁違いで悲惨なだけに許せない、そばにいたら殺したい、という夫氏の気持ちが報道を聞くたびに私もどこかが「痛く」なる。
「デスノート」というマンガが映画になったとか。
名前を書くとその人が死ぬノート・・・いまやそんなノートがあれば名前を書きたい人がいる!という人がふえている時代なのかも知れぬ。








2006年06月19日(月) 引き分け

どうして点が取れない日本代表!
クロアチアは、前回のワールドカップの時に、新潟の十日町市をキャンプ地としていたのでご贔屓が多い。
いまだに、交流があるようだだからけっこう悩んだ人もいるとか。
だから、引き分けでヤレヤレの人もいるようだが。
それにしてもダメだね。
点が取れなくては勝てないという自明のことを確認しているのかなと思ってしまう・・・のだ。

梅雨にも関わらずいい天気が続く。
空梅雨?しかし、油断はできない。
一昨年のような大洪水もあるのだからして。



2006年06月18日(日) いつもの日曜だが・・

いつもの日曜。
・・・だが、昨夜から午前、善通寺のへんじょうの原稿に何を書くか、悩んでしまった。
要するに、お四国は遠いのだ、今や。
いちよう先日歩いた横峰寺への湯浪遍路道のことを書いたが、いずれ「話題が見つからない」状態になるだろう。あと何回かけるかねえ。

このところ世間を騒がせている日銀総裁さん。
応援ってワカランわけじゃないけど、結局のところ、村上親分の信用度を上げていたわけだよね。
日銀総裁まで出資しているというのは、いわゆるご老公の印籠だし、村上親分がそれをじょうずに利用しないわけがない。
2月になって、解約手続きをとったというの、究極のインサイダーっていう評価もあるけど私は違う見方だ。
脇の甘さ、肝っ玉の小ささが見えてしまって、こんなお方にお金の総元締めを任せていていいのかと心配になる。
言い訳の時におどおどと小心者の居直りが見えて醜い感じ。
やめなはれとは言いませんが、今後のことを考えると、信用は一気に落ちるだろうし、長期的には身をひいたほうがいいじゃないのといいたい。
本質的にはおどおど爺だもん。



2006年06月17日(土) てこね寿司と牛肉サラダ・タイ風

あしたは父の日で、でも我が父はすでに冥府の人だが。
マアでも、ということで、実家に夕ご飯宅配でした。
弟には、車のメンテだのもろもろでお世話になっているし、ハイ。
でメニューはといえば、
★鮪のてこね寿司
冷凍ではない鮪を売っていたし、試食したらおいしかったので、鰹を鮪に。
鮭、みりん、だし、しょうゆを煮切る。
冷やしてすり下ろし生姜を入れて鮪をつけ込む。(30分)
酢飯に、いりゴマ・大葉・ショウガみじん切りを混ぜて、付け汁も少々入れる。
付け汁から出した鮪をのせて錦糸タマゴやら、大葉やらミツバを散らしてできあがり。
★牛肉サラダ
鮭、しょうゆ、ごま油、オイスターソース、酢、砂糖を混ぜる。一口に切った牛肉をサッと焼いて、たれにつけ込む。
レタス、セロリ、キュウリ、ニンジン、パプリカなど食べたい野菜を適当に切ったりちぎったりして大皿にしく。1時間ほどつけた牛肉をのせる。最後に食べる寸前に、付け汁をドレッシングとしてかける。
★フルーツポンチ
デザート。
母の畑のイチゴと、バナナ、リンゴ、キュウイ、スイカ、缶詰ミカン、杏仁豆腐を切って混ぜる。白ワインを少し、ミカンシロップ。食べる寸前にサイダーを1本入れる。

とまあ、それなりに見栄えはしますが、簡単でしたわ。
鰹・鮪がおいしい時季だ。
四国をおもいだす・・高知にはいると、今頃は毎日鰹のたたき ないしは、鮪の刺身であった。

*蛇足*
今頃の生姜
中国人は、何はなくとも、ニンニク・ネギ・生姜を常備している人たちであるが、マネをしているわたし。
特に今時は、外は冷たく体内は熱く・・とからだのバランスが実のよくないとき。
こんな時に生姜はずいぶんと体を助けてくれる。
体内が冷えていると体をぬくめ、体内が熱いと冷やし、と、両方の力を持つすぐれものが生姜なのだ。
わたしメ、努力して今時は毎日少しでもとるように心がけている。



2006年06月16日(金) ビワ酒・ビワジュースつくり

梅雨だ、梅雨だ。
沖縄は大変だわ・・・お見舞い申し上げます。

今日は、夕方ビワ酒とはちみつビワジュースをつくった。
してしまえばイト簡単だけど、何かと用具をそろえないとね。
★用意したもの
梅酒用4リットルガラス瓶2本・・・約996円円
ビワ9パック・・・・・・・・・・・1パック298円
甘くて大きい高級ビワではなくて、安いすっぱめがいいらしいのでスーパーの安びわはぴったりであった。
焼酎・・・・・・・・・・・・・・・658円
氷砂糖(1キロ)・・・・・・・・・358円(こんなにいらないんだけど)
国産はちみつ(1.2キロ)・・・・・1260円+640円(送料)
近所のスーパーは中国産とか、あちこち混ぜ混ぜとかあやしいはちみつばかり。たしかに国産、大丈夫ってコトで、ネットでお隣群馬県の養蜂家から産直お取り寄せ。ミックス蜜でお得。つくりながら、味見したけど濃厚でおいしかった。

★まずははちみつビワジュース
1ビワをよく洗って、へたをとる。磨くようにペーパータオルで拭く。(ビワ4パック使用)
2ガラス瓶をお湯ですすいで水気を切っておいたのだが、この中をさらにアルコールで拭く。
3ビワをていねいに入れて、はちみちを注ぐ。
※ビワ1キロにはちみつ1キロらしいのだけど、アバウトでした。だって、スーパーって、、パックで売っているしね。
*梅なんかだと、1ヶ月くらいで飲めるらしいんで、ビワもそのあたりが目安。ま、縮具合を見て、ということで。
ただビワの場合、何より種が薬効のポイント。で、縮んできたら実をとりだして種を出す。その種を再度はちみつに漬け込んでエキスさんでてね、としたいのだ。

★ビワ酒
1と2はビワはちみつジュースといっしょ。
3ビワを入れたら、氷砂糖を100グラム入れる。(ネットのレシピはそうでした)しかし、私は多分倍くらい入れました。だって、少ない感じしたし。これも感覚で、アバウトでありました。
ウチの母親は甘いのが好きだし、これでいいよ。
3果実酒用リカーを1・8Lそそぐ。
*2週間後に、ビワの実を出してタネだけ戻す。
*10日ごとに瓶を振って当分を均等になじませる。
*3から4ヶ月で熟成。飲める。
種はこのときに取り出す。

両方ともあした、実家の低温貯蔵庫(6畳ほどで米保存用)に入れて貯蔵予定。
さてどうなるか。
楽しみだな。



2006年06月14日(水) ムサシケン その後

地域情報紙に新年度と夏休みに宣伝を出すんだが、そこの担当の人と時々メールのやりとりをする。
午後、その人からムサシケンは売れたようですね・・・もしかしてお買い求めに・・・なんてメールが来た。
彼女は猫を飼っていて動物好き。ムサシケンの話をして、気になってしょうがない、とわたしが話していたら、先週の日曜に見に行ってくれたらしい。
で、店員に聞いたら売れました、と。
イヤー、よかった!
やっぱり私のようにあのマルチーズを気にしていた人がいたのだ。
処分されたんじゃなくてなくてよかったと胸なで下ろした。

いつか、今住んでいるところから山ン中へ引っ越したら私も絶対にかうぞ。
山ン中へ越すのは私の夢だ。
土や、気や、水・・・そんなものが身近にあるところでくらしたいな、とこの頃とみにに思うのだわ。

まあ、今考えているのは、飼うとしたら自分でしつけたいから犬についての勉強をしようということだ。
秋になったら、ドッグライフアドバイザーの通信教育でもはじめるかな。



2006年06月13日(火) 今年初の冷やし中華

関東地方の悪天候を尻目に、なんだかよろしい天気が続いている。

今日は、午後からビワの部屋の夏仕様のためにカフェカーテンをホームセンタームサシへ買いに行った。
ムサシに行くと必ずムサシケン・・・・昨年9月に生まれて売れ残り状態だったマルチーズをながめにペットセンターへ行ったら、いなかった!!
売れたのか!!それとも・・・・しょぼん・・・なのか?
値崩れしていたので、じきにどうかされるぞ、と気になってしかたなかったんだけど、もしかしてわたしと同じように気にしている人がいて、情にほだされて飼ってくれてのだったらうれしい。
ムサシに行くと、いっしょに遊んでいたから、ちょこっと寂しかったけど。
あのままだったら、ペット禁止のルールを破って、私が飼っていたかもしれないし、そうなると何かと不自由だし。

ムサシのあと、ジャスコにいって、今年は初めての冷やし中華を食べた。
遅いお昼、おいしかった。
その後はアイス。
夏日でした。




2006年06月12日(月) 地震お見舞い

姫路の友人からのメールで、大分震源の地震を知った。
ビックリ。
で、8時過ぎに今度は青森東方沖震度3だ。
地震チェックは日課だけど、このところ静かなだな・・不気味・・と昨夜思っていたばかりだ。
でもまあ、友人知人、みなさんご無事でなによりでありました。
それでも、怖かったでしょう・・・お見舞い申し上げます。
どうも、震源地、中央構造線沿いに南下しているような・・・次は熊本とか・・・

サッカー、さてどうなりますか。



2006年06月11日(日) ふき煮、ミツバ、もぎたてキュウリ、地いちご・・

実家へ行くたびに貰ってくる品々。
母の手作り。
うまい。
今日は。ご近所の方にビワをしたら、なんと、いまさっき採ってきたキュウリをいただいた。
うまいんだわ!
皮がやわらかい、あまい。
この甘さは、キュウリの命がまだその身に残っているからだと思うのだが。
ざっくり切って、笹川流れの藻塩をちらりとかけて、ビールのつまみだ。
最高!!
命をありがとう。
三つ葉も、サッとゆでてゴマ和えにすると、まあうまいこと。
地イチゴはこのところ、旬。
毎回山盛りでもらって来るけど、テレビを見ながら、一気食い、これまた至福の味
だ。
ふき煮も然り。これがあると、ほかのごはんのおかずは何も要らないのだ。
母にはいつまでも元気で畑をしてもらわないとね。

1日が過ぎるのが早いこのごろだ。



2006年06月09日(金) 梅雨入り

入りました。
朝から雨。
しかし、午後から一度真っ青に晴れた。
また夕方から降り出したが。
午前は、末弟の病院。
午後は、ビワの方2人。
で、なんとなく1日終わりとなった。
こういうのを「平穏無事」というのだろう。

:::::
村上ファンドの親分、ワルだね。
聞いちゃった・・の世界ではないことを重々承知であんな派手なウソ会見するんだもんね。
彼は家庭と従業員を守ればいいっていっていたらしいけど、子どもだったら、彼のようなことをするお父さん自慢できるだろうか。
お金はたくさんあるだろうけど、自慢できない、恥ずかしいと思うだろう。
人を殺したわけでもなく、性犯罪を犯したわけでもないけれど、こんなヒキョーな父を持ちたくないだろう、たいていの子どもは。
奥さん、子どものために離婚を考えるだろうなあ・・・。





2006年06月08日(木) 越後一の宮参拝

どうも体がすきっとしないので、この際荒療治と4時半おきの5時出発。
5時39分の信越線朝イチにのる。
コンビニで買ったおにぎりを食べてボヤン・・・で、東三条駅乗り替え、弥彦駅着6時39分。
早かった。
新潟平野の中にどっしりと座る越後富士弥彦山。
標高は638mしかないが、あの100名山の深田久弥さんもいい山と認めたが、しかし高さが足りないので100にはいれなかったとか。
しかし電車が駅に近づくにつれてなんだかなつかしい。
わたし「おやひこさま」初めてだけど・・・理由はすぐわかった。
ロケーションと神社の立地が出雲とそっくり。
扇形にそびえる弥彦の山峰を背に弥彦神社が鎮まっているのだ。
実際、社のあたりの気が強かったわ。
それと何より、朝イチのすがすがしさで、ありがたや、うれしやな。
わたしの神社参拝お賽銭ランク・・100円 300円 500円
お願い事をするときは、紙のオサツを入れるってコトにしているが、まあごあいさつの場合はこのランクで入れるが、おやひこさまは、おおきなコインがあったので、500円ランクとなりなりまわ。。
いい神社でした。

で、お次は弥彦山登拝で、奥社参りだ。
7時半でる。
4合目まではきつい登りで、ずっとこれ?・・とビビッたが、5合目からは尾根筋にでてアップダウンを繰り返して山頂へ。
1時間半。(わたし、登るの、遅くなったと思う。熊野力が切れている)
地元のオヤジさん、おばさんがドンドコとわたしを追い越していく・・・・それがややくやしかった。
日に2回もここに登ってくる人もあるようで、近隣の中高年の体力づくりの場になっているようだ。
「みなれん顔だが、どこから来たね?」
地元吉田町の73歳のオジンに聞かれてしまった。
「初めて、登りました」
「いやあ、ここに朝っぱらから登る人はだいたい決まっていてさ、顔見知りでみなれんひとがいるときくんだて」
このおじいさんと、63歳の定年退職のお方と少し話して、帰りはロープウエーでもどった。
360度パノラマだったが、あいにく今日は薄曇りで佐渡は見えず、が残念だった。

参道沿いにある日帰り温泉で汗を流して、地元のきんぴら万(きんぴらが入っている饅頭、うまかったよ)を、昼食代わり3こかって12時20分の電車。
駅で、かき玉そばを食べて帰宅午後2時。
夕方は塾です。
元気になった。
背中にひっついていたコリのようなものがとれたわ。お弥彦さんのおかげ?(どっかでなんかをつけてきていたのかしらん・・伊香保のつげよしはるワールドの旅館かなあ・・)
大昔大晦日に神社の参道で、将棋倒しになってたくさんの人が亡くなった神社だからどうかな・・と思っていたのだが・・いい気がありました。
こんなで帰ってこれるんだったら、また早起きしていきたいな。




2006年06月07日(水) ええ天気だ

6月なのにええ天気じゃ。
でもま、花は季節を知っているで、紫陽花は色がきれいになってきた。
このまえ、ビックリしたのは、紫陽花の薬効だ。
なんとまあ、根っこがマラリアの薬になるんだそうな。
葉っぱと花は、干して煎じると、解熱剤とか。
フーンであった。
日本語1日1語をやって、いろいろ調べたり読むものにアンテナを張っているおかげで知識量もふえる。

やっと風邪のケがとれた。
鼻の中が炎症を起こしていてこまったと、とりあえずはビワ茶で、と鼻うがいをしていたら、治った。
少し元気でてきた。

秋田の事件は相変わらず、不気味だ。
どう転がるだろうか・・・
村上ファンドの親分はひどいなあ・・・
星野阪神シニアマネージャー?が、天罰が下る!って切って捨てたらしいけどそのとおりになってしまった。
村上ファンドにしろ、ライブドアにしろ、小泉のやった規制緩和の落とし子だ、というかあだ花だ。
このところの殺人事件の容疑者が、希望もないし早く死にたいんだ、という言葉をはくようだが、これも・・・・で小泉改革と称するものとつながっているように思えるのだが。

そろそろ4時半だ。
お後がよろしいようで。



2006年06月06日(火) なんだか、まだまだ

秋田の小学生殺人事件、悲惨な状況になっている・・・なんで殺したのだろうか。2ちゃんねるなんて、あることないこと?書いた掲示板がすごい。

風邪、なんだかまだまだ・・・
気分が下向きで気力がもう一つなのが問題だ。
今日も用があって外出せねば、と予定を立てていたのだが、引きこもり状態だったわ・・・いかん。
肩と背中がいたのがとれないとなあ・・・
いまどきの風邪って、けっこう陰に籠もる感じだ。
みなさん、風邪にはご用心。
今日も、いままでのところ、中味のない日記と1日でありました。
やれやれ。



2006年06月05日(月) 新聞がにぎやか

村上ファンドの親分が自分の非を認めてつかまるらしい。
秋田の小学生殺人事件の容疑者がとなりのとなり。例の小4年の女の子の母親。
奈良の小学生殺人事件の犯人の裁判で死刑。
などなど・・
どれも、いいニュースじゃないねえ。

カゼの尾が引いている。
背中が痛い。
まるで憑き物がついているような・・ゾクゾク。
なんでやねんというくらいで・・・気力がイマイチだ。
今月はやる気が無くなりがちな星回りらしい、紫微斗数によると・・大当たりの出だしだ。



2006年06月04日(日) 昨日は冬眠?

きのうは、久しぶりに今時のカゼにやられて冬眠しとりましただ。
なにしろ、節々が痛くて、ただごろついていたたいたた・・と。
夜になって、自分にビワをしてきょうはなんとか回復。
やれやれ。

村上ファンドの親分、逮捕って、すごい展開。
しかし、新聞報道がホントなら、こすっからいヤツだよね。
ホリエモンに「いっしょに阪神株を買い占めよう」といっておいて、途中で降りて売りぬけするんだから。
ホリエモンとライブドアは見事にはめられた。
村上親分もホリエモンも伝説的「カネゴン」だし。
カネゴンのなれの果てを見たって感じか。
ホリエモンも、でたとたんにオスタカ参拝を派手にやっていたけど、こそっといけやっていいたいわ。
1%の真実があっても、結局裁判用のミエって思ってしまう。

今日も早寝しよう。
なんだかみのりのない週末になりました。
早く太陽電池を満タンにしないとねえ。



2006年06月02日(金) 依然としてやや風邪気味

きょうは、のどのエヘン虫が苦しい。
ついでに気分がイマイチ盛り上がらずに力がでない。

チュウリップとクロッカスの球根を土から出して干した。
昨秋に植え替えて実家に預けておいたガーベラ、マイナス5度以下になると死ぬといわれていて、当然冬の尋常ならざる寒さで死んだと思われていた。
母が、捨てるといったのだが、なんとどっこい生きていた。
6株のうち、2株死んであと4株はどんどん成長しておまけに株まで増やして花をつけている。
えらい。
「ど根性ガーベラ」とよんでいる。
サンスベリアは死んだ。
棕櫚竹も死んだ。
みんな今冬のフツーじゃない寒さのせいだ。
ゴールドクレストは元気だ、さすがに。
ゴールドまわりに植えていたパンジーも冬の間は死んだかと思われていたのにあたたかくなったどんどん伸びて花満開。
今のようなところじゃなくて、少しでいいんで土があって花や野菜が植えられるようなところに住みないなあ。
と独り言。
喉がかゆい。
エヘン虫は、ビールで退治して今日は早寝しよう。



2006年06月01日(木) やや風邪気味

今朝起きたら頭が痛い。
誰かに風邪を移されたかな・・・
昼は暑いくらいの日差しだったが、朝夕は寒いくらいの空気感だ。
そのせいもあるかな。

自殺者8年連続3万人を越えるってニュースは暗い。
もともと日本人って、遺伝子的に弱いんだとは思うけど異常な数字だ。
そうそう、日本の成人男子の精子数、フィンランドだったかの男性と比べると2/3だったかな。
これも、基本の命の力がないって証拠か?
環境ホルモンとの関係を調べる調査らしいけど。


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