世界お遍路 千夜一夜旅日記

2006年07月31日(月) イスラエル、ひどい

このところのイスラエルのやり方、ひどいねえ。
今回の誤爆の犠牲者10人以上は、知的、身体的障害者の人だったというではないの。それに、要するに貧困で遠くに逃げるゆとりも手段もなかった人たちが寄り集まっていたところに爆撃を加えた訳だよね。
イスラエル国内では、安全なところに逃げていなかった人たちがわるい、彼らが犠牲になるのもヒズボラが悪いのであって、自分の国の軍隊のせいではない、という主張らし。
まったく何考えている?
第二次世界大戦後、あれだけひどい目にあったユダヤ人たちだが、それでも、なぜかあまり依然として好かれなかった・・・という話を聞いたことがあるが、こういう発想をするせいであろうか。

突然の梅雨明け、前線が消えたらということらしいが、変なの。
今日は暑かった。
で、やや疲れもあって、午前中はだるい感じが抜けず。
午後、やっと盛り上がってきましたわ。
で、夕方、末弟の母の入浴介助。
母は、ずいぶんよくなってきた。
お陰様。
あしたから八月。
母の使いでお寺にお参りとあいさつにいかねばならぬ。
いそがしや。



2006年07月30日(日) 坂東順礼2日目

●厚木市・飯山観音
朝7時過ぎにホテルを出る。おとなりの愛甲石田駅まで。7時55分七沢病院前行きのバスに乗車。八時二〇分、リハビリ入り口について歩き出すも、森林公園が出てこない。ええ・・・と困っていたら朝の散歩中の方に、まちがっていることを教えていただいた。リハビリ入り口のバス停が二つあって、バスが曲がってしまったからわからなくなったとのこと。なるほど。
七沢森林公園から歩き出すも、入り口がよくわかんないので公園事務所みたいなところで聞いたら、ていねいに教えて下さったのはいいが、道にヤマヒルがたくさん出るとのこと。
ヤ、ヤマヒルウ・・・
びびった。
どうしても、高野聖に出てくるヤマヒルがぽとぽと落ちてきて旅人がそうなんする熊野の森のイメージがワタシ的にはヤマヒルのイメージなのだ。
「血を吸われてもガイはありません」
「知ってますが、でも血が止まらなくなるでしょ」
「おお、よく知っていますね」
「熊野はおちてくると言いますが、ここも落ちてくるんですか」
「いえ、足元から上がってきます」
といって、ヤマヒルファイターという薬をかしてくれた。
これは森林組合の人が使っていて、靴に噴霧しておくと上がってこないんだとか。
ハイありがとう、しっかとお借りしてくつしたを上に出していざ出発。
九時一五分、公園の中にある順礼峠着。ここは女の子と老人の巡礼が盗賊におそわれて殺されたんだとか。その霊を慰めるお地蔵さんが立っている。
お参りして、いよいよヤマヒル地帯へ突入。
アップダウンのある尾根道、ヒルの恐怖がなかったら、気持のいい森歩きだ。
10時物見峠着。
10時三〇分白山展望台着。
11時少し前、飯山観音・観音堂の脇についた。
ヤレヤレ、ヒル被害はありませぬでした。
途中会った地元のじいさん、手まで吸われたとヒル自慢?してた。ハイカーの還暦おばさん2人も、あたしたちは大丈夫だったけど、お友だちがこの前歩いたときにやられた、と教えてくれた。
このヤマヒル、鹿が山奥から持ってきて落としていった結果らしい。
繁殖力がすごくてあっというまにひろがったとか。
飯山観音さんのご住職?さんは、境内は薬を撒きましたら大丈夫ですが、少し森にはいるとこの辺もアブナイですよといわれていた。
飯山観音さん、いい気配のあるお寺だった。
好きだな。
8キロ弱の山道歩きもよかった。
けっこう、見上げるような坂もあったけど、それはそれ、終わってみれば気持ちいい。
デモマ、昔の順礼さんには、相当な難所だったと思う。
お寺から歩いて5分飯山温泉で、日帰り入浴1時間。
12時46分のバスで、本厚木駅へ。

●座間市:星の谷観音
座間駅から歩いて5分。
七不思議ある寺。
・・・・・・・・
一六時五三分上野発の電車に乗る前に、新橋のニッテレゼロスタ広場までいって岡本太郎の「明日の神話」を見た。
パワーあった。

うちに帰着11時15分。
さて洗濯を干して、ビールを飲んで、またあしたからがんばりませう。
そうそう、帰りに読んできたアガサクリスティの「蒼ざめた馬」は、タリウム殺人の話だった。

あと残りは、茨城栃木、千葉の房総のとったん。
いつに行こうか。



2006年07月29日(土) 坂東順礼・・・千葉寺と神奈川編

またまた青春18切符で、早朝5時10分新宿着。早朝とは言え、東京は動いている、これから働きに行く人、遊び疲れて寝に帰る人・・・。
●海上山 千葉寺(せんようじ)
東京まで出て、京葉線にのって、蘇我まで。
JR蘇我から歩いて30分ほどのところに千葉寺がある。
暑い、暑いで、朝からけっこう汗だくで寺到着。
6寺時50分くらいから歩きいて、7時20分前には着。まあこんなもんか。
境内は、かつては繁栄をほこったのだろうという感じだが、今ははっきり言って荒れ寺・・ですね。だって、そもそも、7時半過ぎというのにしっかとしまった観音堂の扉。お勤めしないのかなあ。
本堂の石段にネコが1匹お参り。
納経は8時からだし・・灯籠路としていると、大イチョウ(これがまたすごい)の下のベンチでオッさんが2人、朝から缶ビールで盛り上がっている。話すと地元の人らしい。「こどもんころは、このいちょうの木の上に小屋を作ってべんきょうしたりあそんだもんよ」「アオダイショウがいっぱいてさ」「弁天堂のまわり、今は埋めてないけどさ、池があって、いつもだれかはまったよ」「このイチョウは女木だろ、あそこにオギ(オスの木)があったんだけど、あの小屋作るのに切ったんだよ」
等々、昔話をてんこ盛りに聞かせていただいた。
池のない弁天堂が寂しそうな、大イチョウを切って、小屋作るか?
この寺の何やら荒れあれとした気配の正体が分かった。
で7時45分、おじさんたちに勧められて納経をおねがいしに行くも、8時からです、とインターフォンで断られた。
で8時少し過ぎに、車が入ってきて、すごく太った若いお坊さんが一人やって来た。「おはようございます」「おはようございます、納経をお願いします」「ハイ」ニコリともせずに、クーラーのよく効いた部屋へ。納経完了。わたしのすぐあとに、もう一人。終わると、お坊さん、出てきて、観音堂へお勤めか・・・とおもいきや、車磨きをはじめたよ。
なんてこったい。

●鎌倉、安養院(田代観音)・長谷観音
千葉寺の前からバスで千葉に出て、千葉から横須賀線始発、8時32分乗車。
爆睡。10時18分鎌倉着。
夏休みの鎌倉は、なかなかににぎやかだった。
田代観音は、北条政子が安産を祈ったお寺。前に、4時半が納経終業時間でふられたお寺だ。駅から1キロ、15分ほどの道のり。
なかなかていねいな応対だが、納経をやすむ日があるのにビックリした。
自分の寺の行事だからというのだが・・・遠くから知らずにお参りに来た人は無念であろうと、情けない気がした。
四国のいくらぶあいそな寺でもこれはしないよね。
ただ、留守して待たせる噂の寺はあるけど。
2キロ、ボチボチと長谷寺まで歩く。
道中、古美術店と健康食品店がめだつ。
鎌倉らしいといえばいえる。
長谷寺は観光寺院、入山料300円。
でも、木彫にでっかい観音さんを間近に拝めるのはありがたし。

●小田原・飯泉観音
江ノ電、藤沢より東海道線、鴨宮下車。歩いて20分あまりで到着。夕立のような雨降りで参ったが、道はたやすかった。
ここもかつての大寺。
ただ住職さんがりっぱな方みたいで、お寺に活気があったのにやや救われた。

●平塚・金目観音
小田急線で、東海大学前下車。ラリーマップでとった地図が土地の造成とかで、回り道になっていて、一時迷子状態であせったがなんとか4時40分到着。
金目川沿いに立つ明るい感じの気持ちよいお寺だった。
境内には、霊水が湧いていて、観音さんの寺らしい。

・・・・・
5時7分のバスで、秦野駅へ。
宿は本厚木駅。
週末割引、禁煙ルーム・やや広いシングル5800円也。



2006年07月28日(金) 食べるな、新危険

図書館で見つけたんで、借りてきて読んでいるんだけど・・・
こういうの、マジで読むとなんにも食べられなくなるよ。
まず、アメリカ産解禁のビーフ、やばい。
オージービーフ(オーストラリア産)は健康的らしい。
豚肉、かなり抗生物質がつかってある。
デンマーク産は、その点で大丈夫らしい。
鶏肉も抗生物質漬けで育つ鶏は、当然NG。こういったものを使わずに育てていますの、表示を重視せよ、と。
いや・・・・・ノイローゼになりそうじゃ。
で、わたしがパンに付ける明治のバター入りマーガリン、これって、トランス脂肪酸が多いのだそうな。
トランス脂肪酸は、善玉コレステロールを減らして悪玉を増やす。で心臓疾患などをおこす要因になっているとか。ひえー、これは恐い。
アメリカ、欧州では表示を義務づけて規制かけているらしいが日本はまだだ。
その数値、トランス脂肪酸、2%以下。
明治コーンソフトマーガリン 9.04%
わたしが食べているヤツ(バター入り)8.10%
雪印ネオソフト 4.1%
小岩井マーガリン 1.47%
つまり、マーガリンだったら小岩井がいいということだ。
この本は、
少量のバターがいいのではないか。
マーガリンを使うんだったら、小岩井がいいのではないか。
質のいいオリーブオイルに塩・コショウを混ぜてバターやマーガリンがわりにパンに付けるのもあり。
と教えている。
それにしても、この本を書いた人たちは何をどんなふうに食べているのかしらん。
写真付きで、「危険」と紹介されていうものは、すべてスーパーでおなじみのものばかりだ。
安全な産直の注文先も教えてくれているが、いつもいつもこういうところからお取り寄せでは、エンゲル係数が異常に上がるでしょうにネエ・・・
それと、イオン(ジャスコ)を意外とスーパーでは誉め讃えているのだけど・・・これもなんだか気になるし。

等々、頭に中に????増やしつつ夏休み読書しているのだ。

子どもの夏休み本は読了しました、はい。
今年も10冊ばかり。

昨日はいい天気。今日はまた雨。むしむし。




2006年07月26日(水) 梅雨明け

九州・四国で梅雨明けらしい。
長々と雨に悩まされて、ご苦労様でした、九州・四国のみなさん。
で、8月は暑い日がもどるとかっていっているけど、ホントかねえ・・・?

岩手の山奥母子殺人、不気味だ。
どうしてあんな場所で、あんな事件が起きるんだろう。



2006年07月25日(火) 1日、矢のごとし

何をしたのかよくわかんないうちに1日が終わった。
だれかに時間を搾取されているようだ。
唯一したのは、週末の出かける寺のルートマップを調べたことか。
今日は、午後になっていい天気になった。
しかし、夜は肌寒い・・・・夏は来るのかな・・・



2006年07月24日(月) また雨だ

昨日はよい天気だったのに、今日はまた雨だ。
やれやれ。
どうも、お日さまの顔を見ないと力がでない。
まあいいときに、銚子までいってきたということだ。
18切符をフル活用で、今週末も出かけるが、サイクル的に行くとまた晴れる?
そうそう、滑河観音さんの納経所で、やはり新潟から18切符日帰りで坂東巡礼に通ってきているという人がいますよ、という話を聞いた。
ご同行。
どこかでお会いしたいものだ。
まわってみて感じるのは、関東地方だったら、公共機関つかって「駅から巡礼」日帰りができるということ。
まあ、なんで横浜に住んでいるときに終えなかったのか、と自分にあきれるが、そのときはまだ機が熟していなかった?
それに全部歩きたいなんて、野望を持っていたし。
それにしても、坂東のお寺はどこもかなりりっぱなのに、お参りの人が少ないのは残念だと思う。
駅から歩く坂東順礼・・・みたいなHPを立ち上げようかしらん。
ま、ボチボチと。



2006年07月22日(土) 坂東33所順礼・・銚子へ

24時間、戦えますかっていうの、あったよね。
そんな長い1日だった。

深夜1時10分、ムーライト越後、レディースカーへ。青春18切符と座席指定券を握りしめて。
朝5時10分新宿着。
総武線で、千葉へ。千葉から銚子行き6時32分乗車。
銚子着8時30分。車中、千葉名物の落花生畑がお見事であった。
銚子は薄曇り。ムッとする天気だ。
トイレをすませて、8時35分歩き出す。
今日お参りする飯沼観音は駅から1キロと少し。20分あれば楽勝だ。
町中、地魚の寿司とか、銚子港直送とかいう魚を看板が目立つが、それ以上に多いのが、なぜかぬれせんべいだ。名物みたい。まあ、ヤマサ醤油の本拠地だし、確かちんちん電車みたいな、銚子電鉄はせんべいを売っているので有名だってテレビで見た気がする。
飯沼観音は、町中に忽然と姿を現したが、本堂は火事で焼けて建て替えたらしい。
で、納経所は、ここから5分歩いてのところなのだ。
あちこちで見かける例の巡礼の寺満願寺は、この飯沼観音の奥の院のようだ。
ヘエ・・・だ。
なんでも飯沼観音の境内に、木造60メートル総費用15億円の五重塔を建立するようで、喜捨をつのっていたが・・・納経をしてくれたお坊さん、ものすごくだるそうな態度。さらには、塔の喜捨募りパンフレットを何もいわずにぽんと投げてよこした。
わたし、してもいいかなと思っていたんだけど、このお坊さんの感じの悪さに気が変わった。坂東で、こんな感じわる一歩手前の態度をとられたのは初めて。
ここ、檀家さん窓口と、坂東の窓口が完全に分業で、檀家さんのほうにすわっていた方が感じよかったなあ。
なんて、ブツブツいうのはまだまだ未熟なわたしである。まだまだ。

観音駅より明治にタイムスリップしたような銚子電鉄に乗車。犬吠埼へ。
1時間あまり散策。
近くの水族館のお兄さんが、おもしろいクラゲ(ハナサキクラゲ?)を採取していたので、江ノ島水族館のクラゲの話とかで盛り上がった。
クラゲ、美しいもん。
すぐそこまで黒潮。
駅は、せんべいやサンマ佃煮とか売っていて、地域の拠点化していた。
すべて銚子電鉄特製。おもしろかった。
両方、おみやげに買ってきました。
これがこの電車の生き残り策。かなり成功しているようだけど、がんばってほしいなあ。

銚子駅前で、イワシ午前みたいなお昼ご飯。イワシの刺身がうまし。
12時8分、成田経由、千葉行き。
つぎは、滑河観音さん。
1時間で滑河駅。
ここから約1キロ。
しかし電車の便が1時間1本の単線なので1時間の猶予。
せっこせっこと歩いて、お参り。
なにしろ、身仕度を整えて心経から観音経(げ)とやっているとお参りにそこそこの時間を見ないといけないのだ。
それにしても、今回も電車から一緒だったご夫婦がいたが、お経はあげない。
だんなさんなんて写真をとるばかりなりけり。
車でおまりの人もお経はあげない。
坂東の札所で経を上げている人って、めったに見ない。
関東の「弱さ」をこの辺りに感じる。
せめてお寺の人、啓蒙の意味で、真言唱えてみましょうとか、真言がむずかしかったら「南無大慈大悲観世音菩薩」と3ベンとなえて御前に少しでも長く合掌、佇んで観音様とのご縁を結びましょうとか、ご本堂に書いておいてくれないかしらねえ。せっかくお参りにきているのに、前立ちさんはどんなお顔とか、そんなことばかりに気にして、それで「納経」→朱印をいただくって、ちがうんじゃないかな。
まあ、いろいろな巡礼があるのだろうけどねえ・・・
こちら、滑河観音さん、仁王門が茅葺きでした。めずらし。

2時24分滑河、15時18分千葉から東京へ。
16時10分上のでヤレヤレのコーヒータイム。
16時53分上野発高崎行き。
乗り換えて乗り換えて10時58分長岡着。
帰宅11時15分。

いや・・・24時間戦いました。

ただ今0時20分。
洗濯を干してビールを飲んで寝よう。




2006年07月21日(金) 体力、気力

ちょっとおもしろい話を見つけた。
以下、海外青年協力隊でアフリカで活躍した人の話だとか。

アフリカの原住民(いわゆるブッラクピープル)は「体力」はあっても「気力」のない人が多いらしい。
怠けて、やる気が無い、「無気力」というのではなく、やる気を出して必死で頑張っても「気力」の息切れが我々よりもずっと早い。
で、せっかく新しい技術を教えても、我々が日本に帰国して目を離すと直ぐに止めてしまう。
学んだ技術を継続して使う「集中力」や「気力」がどうしても続かない。無理して頑張らせようとすると今度は体調を崩す。
すごく体力のある人でも、それは変わらない。

つまり、体力と気力は連動していないということ。
これって、遺伝的要因が大きいのか?

わたしもこの頃、年だろうか、集中力、落ちた気がする。



2006年07月20日(木) 昭和天皇と靖国

今夕の夕刊のみだし「昭和天皇合祀に不快感」
へえ・・・とビックリした。
わたしは、沖縄の南部戦跡やひめゆりの塔を見たとき、昭和天皇に戦争責任はあると、しっかりと感じた。
だから、フーンというか複雑だわ。
まあ、考えようによっては、戦犯合祀のところに参拝するということは、論理的に転がしていけば、自分の戦争責任をストレートに認めるということにつながるし、不快感というのは、そういう論理の帰結としては了解できる。
小泉がこれにどう反応するか。
まあ、例のごとく、意固地に頑固に参拝すると思うけどね。
意固地さに拍車がかかるかもね。
そういうおろかなお方である、あの小泉は。

それにしても、もう、夏の参拝が云々される暑い季節なんですね。
光陰矢のごとし。

今日は、暑い日、お日さまがでた。
うれしい。
やっと鬱気味気分が払拭された。



2006年07月19日(水) 雨 上がる

昼すぎ、やっと雨が上がった。
しかし、日差しは夏らしいけど、風はけっこう冷たい。
大雨であちこちで大きな被害がでて人が亡くなっている。

新聞にでっかいパロマのお詫びともしつかっているなら、製品番号を調べて下さいの宣伝?が出ていた。
遅し、遅し。
しないよりいいけどね。

今、必要があって、夏目漱石の「こころ」を読んでいる。
高校以来。
これが、意外とおもしろい。
年の功のなせるワザかな。





2006年07月18日(火) パロマVS松下

パロマの社長、頭下げていたけど、ひどいね。
先週は、自分とこに責任ないと胸はっていたのに。
ことあろかか、不正改造したとこを刑事訴訟するとまでいっていたのにさ。
一気に、お尻に火がついて、暗い顔して大騒ぎ。
醜い。
ただ、先週あの顔つきを見たとき、この人、ぼっちゃん、いわゆる同族会社で大名の息子みたいに社長になったお方やないの、とっさに思った。
今にひどいことになるよ、この苦労なしの強気・・と。
そう、雰囲気が似ているんだな、順礼マガジンMくんと。
一気にそこにリンクしてしまった。
そうしたら、案の定、今日はちらっと、会長さんがやっぱり、同じ名字で出てきて、あ、やっぱり同族か。で、今日の記者会見を見ると、社長さんのまわりは「子守りじい」みたいな人で守りかてめていて、このあたりもそっくり。Mくんにも、会長のお父さん直々の人選でを「じい(=副社長)」がいたものね。
しかし、こういう同族系の弱いところは、北朝鮮の金正日体制と同じで、「世の流れ」の読みが今ひとつ甘い、ということ。
松下のファンヒーターという先例があるのだからして、あれに準じないと企業生命がアブナイくらいの危機感を持って臨めないところがチョー甘いのだわ。それを、おボッちゃまに諫言するじいがいないってことだ。
せめて、先週、まずは心からお悔やみを述べて、よく調べます、社会をお騒がせして申し訳なりません、例え改悪されていたとはいえ、自分の会社の製品で亡くなられた方があったことを心よりお詫び申し上げます。
くらいの謙虚な姿勢で臨んでいれば、ここまでひどい評判にならなくてもよかったのにネエ。
今夜のニュースは、みんな力いっぱい手厳しかった。
今だもって、欠陥ファンヒーター探しをしている松下の勝ち。
この姿勢がどれだけ企業イメージをつくるか、だ。
人が死ぬ・・・ということの重大さをどう受け止められるかが大事だと思う。
残された人の痛みを想像できない鈍感さ、今や企業の命取りになる。
JR西日本の社員がそうだった。
三菱の車、シンドラーのエレベーター、パロマのガス湯沸かし・・・要注意と頭にインプット。
例え、時効が成立しているとはいえ、この後パロマがどんな対応をしていくか注目していきましょう。
まあ、本社がけちで有名な名古屋だし、同族系で鈍感だし、いろいろとこじれるだろうと思う。
せめて・・とすんなりたっぷりとお香典(慰謝料・・お金で命はもどってこないけど、せめて)を包んでお詫びに行くとは考えられないし。
まあ、こうすれば、いっきにまた評判は変わるだろうが・・しないだろう。
この辺が「同族会社」の限界だ。

まあよく降ります。
おまけに寒い。
この季節、靴下なんて穿かない私が今日はくつした、長袖。
日本だけじゃなくて、中国や韓国の洪水もひどい。
温暖化の影響か、年々、梅雨や台風が激しさをます。



2006年07月17日(月) ひどい話

以下、朝日新聞HPより

北九州市門司区の市営団地で5月、独り暮らしの身体障害者の男性(56)が、ミイラ化した遺体で見つかる事件があった。この事件で、北九州市が、男性が脱水症状で衰弱していたのを昨年9月に把握しながら給水停止を続け、病院に入院させるなどの措置も取っていなかったことが分かった。男性が生活保護を申請しようとしたのに対しても、相談段階で断っていた。
 門司区役所の内部文書や、関係者の証言を総合すると、最初に異変に気づいたのは、団地を管理する市住宅供給公社の職員。家賃滞納が続いたため、昨年9月28日に訪問したところ、男性が床をはって出てきた。水道は9月14日、電気とガスはその前から止められていた。職員は市水道局に「男性が衰弱し、脱水状態にある」と連絡した。
 市水道局は9月30日、男性の状況を区役所に知らせたが、水は止めたままだった。近くの住民は、男性が公園で水をくんでいる姿をたびたび目撃している。
 区役所はその日のうちに、ケースワーカーと保健師を男性宅に派遣。男性は「生活保護を申請したい」と伝えた。だが、区役所は即座に保護を開始できる「職権保護」を適用しなかった。市内に住む次男から食料の差し入れがあるとして、「生死にかかわる状況ではない」と判断したからだ。
 実際には、コンビニエンスストアで働く次男が数日に1回、食パンやおにぎりを持ってくる程度だった。男性は妻と離婚しており、息子たちとの関係は複雑だった。
 男性は12月6日、区役所の保護課を訪問。「次男からの援助も途切れる。体も弱っており、保護をお願いしたい」と話した。しかし保護課は、長男が7月分と8月分の家賃を支払ったことを理由に、長男と話し合うことを求めて帰宅させた。それ以降、男性からの接触は途絶えた。
 男性は5月23日、布団の中でミイラ化している状態で見つかった。司法解剖の結果、1月下旬に死亡したとみられる。
団地の町内会役員は「男性のやせ衰えた姿を見れば、誰もが生活保護が必要だと思った。しゃくし定規な考えが、男性を死に追いやった」と話している。


・・・・・・・・・
読んでいて、涙がでそうだった。
かわいそうに・・・
役所って、なんのためにあるんだ?
同じ思いをしてみろってんだ。
こういったお仕事をする役所の人は、1日飲まず食わずの体験、足が動かない体験、目が見えなくてさらに、お金もなくてご飯が買えない体験・・・実際にしないといけないとおもうよ。
日本国憲法に保障されている権利を住民に保証しなかった役所の人たちは、罪人でしょうよ。
それにしても、こういうニュースが後を絶たない。
これも、小泉改革のなれの果て、化けた果てだ。

終日雨。
おまけに寒い。
わたしの調子はすこぶる悪い。
お日さん、帰ってきて頂戴。

 



2006年07月16日(日) 大雨・雷・洪水注意報

梅雨明け前恒例の注意報・警報だ。
でも、脅しではなくて、実際雷は昨夜なんて鳴りっぱなしだったし、雨もしっかりと降る。
やれやれだ。
元気ない、お日さまがでないし。
図書館から借りてきた精神科QA本を見ていると、わたし、このお天気の悪さでうつの症状が当てはまります、ですわ。
ちなみにウツって、女性が男性の倍かかりやすいのだという。
納得だわ。
お日さま、でておくれ。
季節的に、わたしの場合、陽が短くなる季節が弱いけど、これは光療法(強い光線に一定時間あたる)が有効らしい。
わたしがお日さまを求めるのは実に正しいのだ。
さあ、こんな日はさっさと寝ましょ。





2006年07月15日(土) 長岡空襲

子どもたちに聞かせる必要もあって、図書館から借りてきた「長岡空襲 60人の体験」という本を読んだ。
長岡空襲は、1945年8月1日夜10時過ぎより100分に及ぶ長岡大掃討戦であった。長岡は全滅した、といわれた。
当時7万と少しあった長岡の人口だったが、そのうちの1464人が亡くなった。まあ確認されている数で、実は1500人以上だといわれている。
防空壕にはいっていた人は蒸し焼き状態でだれがだれだかわからずに、野良用のフォークで遺体を突き刺して、盛り上げて荼毘に付したらしい。
一家全滅はたくさんあった。
平潟神社という市街にある神社でたくさんの方が亡くなったという話は私も小学校の時に聞いた。
しかし、当時はまだ今のように意識して平和教育が行われていたわけではなく、先生の体験談などが中心だったが。
勤務していた川崎の空襲や疎開地の子どもの暮らしなどは、教える必要もあってよく知っていた。東京大空襲などもこれまた教える必要があって本なども読んだ。
しかし、生まれたところの大空襲についてしっかと本を読んだのは、はじめてだった。
長岡祭りの花火の音、ちかちかするのはいやだ、焼夷弾を思い出す、とうちの母親がいっていたけど、この体験談にもそういう人が多かった。
生粋の長岡人が花火を何とはなしに醒めた目で見ているのはようするにこういうコトなんだ。
戦争で長らく中止だった花火大会を、慰霊と焼け野原からの復興というねがいをこめて戦後に再開したわけだけど、その原点を今の人たちはわかっているのか、という問いかけもあった。
そうだな、と思う。
それにしてもアメリカのやっていることって、今も昔も変わらない。
空から圧倒的な力で女子子ども関係なく一気に焼き尽くす。
それも、焼夷弾を落とす前に、空から重油の雨を降らして、それから爆弾を落として効率よく火の海になるようにしたんだよね。
ベトナムでの枯れ葉作戦然り、イラクでのクラスター爆弾や、なりふり構わない空襲然り、彼らは変わっていない。
野蛮だ。

JR福知山線の亡くなった方の家族のお話を文春取材班がまとめた本も読みました。
ウーン、疲れた。

朝から大雨。
ときどき止む。
今日は、父の月命日で、近所のお稲荷さんのお世話と決めている日なんだけど、朝がすごい雨だったので行きそびれて、さっきやっと重い腰を上げてしてきた。
恐かったのは、雨なのに、に日の夕焼けが異様にきれいだったこと。
なんで?
それにしても、全国的には、酷暑らしいが。



2006年07月14日(金) 夏っぽい日であった

雨が激しく降ったかと思うと、晴れる、という極端な天気だったが最終的に晴れて夏らしい日だった。
久しぶりにウオークで、郵便局、駅等々へ出かけて一汗かいた。
夕方は、末弟と、足の骨にヒビがはって寝ている母の入浴介助をした。
母はやっと、痛みが少しとれたといってはいるが・・・年だし、いつ治ることやらだ。
しばらくは、入浴介助はしないと。
で、6時半過ぎて、チョーがつく久しぶりでプールへ。
泳いでいるうちに頭が痛くなってきたんで30分ばかりで上がって帰ってきた。
でも、暑い日だったんで、気持ちよかったわ。
シャワーとビール、極楽夏ナイト。
歩いた、プールだ、で今日はややつかれた。
質のよい眠りがきそうである。

そうそう朗報
実家のチビ犬、わたしの車が入っていってもほえなくなった。
戸を開けると、にやついて(犬は笑います!)しっぽちぎれるどふって玄関で待っている。
かわゆい!
ま、彼のおやつのキビナゴ干しを買って持っていくのはわたしだしね。
これ、高いのだ、75グラム入りで、200円ほどする。
高級品。
母がときどき、犬にやりながら、これはうまいって、犬の上前をはねている。
あの人も、骨粗鬆症だから効くだろうさ。
今時は犬猫用の化粧品が人間用に新発売されるご時世だ。
チビ犬、脳みそ、あったようだ。
学習能力もあった。

ゼロ金利解除だけど、あの村上ファンドでおおもうけした総裁のおじいちゃん、まだ辞めないのかしらん。厚顔だね。
あの鈴香容疑者、やっぱり自分の娘も殺したの??
ひどすぎる展開だ。



2006年07月13日(木) イスラエルも、北朝鮮も・・

あちこちきな臭い。
イスラエルは、自分とこの兵士を取り戻すためとかいって、ガザを攻めたりレバノン国際空港を爆撃したりしているけど、自分たちだって、相手方の兵士を多数つかまえているわけだし。
まったくさ。
イスラエルの問題は聖書に予言されてようだけど、困ったことだ。

北朝鮮、韓国との会談は物別れみたい。
昨日デモ隊が会談場に乱入していたし、まあ当然だろうが。
昨夜偶然つけたテレビ北朝鮮で隠し撮りされたコッチェビとかいう浮浪児たちのレポートをしていた。
悲惨、かわいそう・・親は飢え死。
その飢え死に親は、帰国事業で夢を持って帰った在日朝鮮人だった。
絶対滅ぶよ、あの国は。
じゃないと、神も仏もいないことになるじゃないの。
しかし、北朝鮮のヤバサにかこつけて・・・日本の政治屋たちの台詞もきな臭い。
先制攻撃権って・あんた・・・ねえ。

雨、大雨である。
じめじめで気持ち悪い。




2006年07月12日(水) トヨタよ、お前もか

なんだか、トヨタが欠陥隠しをして、リコール回避していたような。
いいわけは、事故件数が少なかったから、リコールにしなかったというんだけど灰色だわな。
世界のトヨタ、お前もか、だ。
確か、奥田会長がトヨタ社員の間にあるおごりが心配、といっていたようだけど、これってそれじゃないのか。
これと比較すると、松下電器の欠陥ファンヒーター探しはいまだにやっているし、企業姿勢としてはりっぱかな。

雨、雨、雨。
今晩から明日、またまた大雨みたい。
梅雨明け間近か。



2006年07月11日(火) フェニックス

長岡祭り花火大会で、去年上がった復興花火フェニックス、今年も市民募金している。
1コイン(500円)が一口。
何百万どころか、何千万円もかかるものだ。
わたしは去年は黙っていたけど、今年はいう。
大いに疑問なのだ。
どうして、一瞬にして消えてしまうもの、何度も募金までしてやる??
1ドルあればエイズの薬が買えて、アフリカのエイズになって苦しんでいる子が助かるご時世に・・・・・
あげたつもりで、アフリカのエイズの子どもを助ける方が正しいお金の使い方なんじゃないの?
アフリカだけではない。
タイにだっているよ、両親をエイズでなくした子たち。
自分も家族のために売春してエイズで死にそうな女の子たち。
わたしは、、、復興がんばろうで、こういう人たちのための募金だったら納得できるんだけど。
1回だけの地震復興花火だったら納得できたんだけど、ね。
要するに花火が好きなんだろうけど、この「地震復興」の冠つけてするのって、チョー疑問だ。
市役所も、でっかいスクリーンで、1コイン募金をピーアールしているし、変だわ。
でも、こんなことを長岡でいうと、「非国民」になる。
今年は、長岡祭りの花火に冷たい目を向けそうな。


母ジャヒトが、車庫からでてきた車に接触で、足にひびを入れた。
例のごとくバイク運転中。
わたし、今朝、どこか用があるんだったら、いくらでも車でいってやるから、バイクで信号がたくさんあるとこに行っちゃダメだよ、としつこく念押ししたんだけど。で、今日も知り合いに赤ジソを持っていくというので、のせていくといったのだが、大丈夫だからいいと言い張るのでやめたんだわ。
せっかく、虫が知らせていたというか、気になっていたのに母メが頑固だから・・・
まあ、入院するほどのケガでなくてよかった。
もう、バイクは止めてほしいんだけど、あの人は認知症になっても乗りそうだわ。



2006年07月10日(月) 暑い・・・

昨日は、実家のお宮の夏祭りだった。
で朝から出かけて、お手伝い。
ネットは休みでした。
香具師の店がでていたが、あいにくの雨で子どもはまばら。
何より、子どもが少なくなっているから、こういう店も大変だろうと思った。

本日は、昼近くから晴れてきて暑い。
しかし、クーラーは入れていない。
あしたもこんなだったら入れるかな。
それにしても、このところ、地震雲がすごい。
わたしの観察では、比較的ふつうなのは、北と南。
あとは西、北西、南西、北東、東、南東はけっこういやな感じででている。
太平洋側のプレートが「元気に」動いているのかな。





2006年07月08日(土) 北朝鮮46病院

夕刊で、横田めぐみさんが入院して亡くなった?(自殺?)とされている病院の公開写真が載っていた。
衝撃だった。
雰囲気が、1860年代にノルウエーのベルゲンにあったハンセン氏病院にそっくりだ。
いわゆるライ病の原因となるレプラ菌を最初に発見したのは、ベルゲンのアマニュエル(うろ覚え)・ハンセンだった。
ベルゲンには、そのハンセン氏を頌影する意味で、ハンセン氏病の病院が博物館として残っている。
個室だったり、2人部屋だったりする部屋は、寂しく貧しく(ただこの設置が1800年代だということを考えれば画期的なことだが)、悲しかった。
その今やミュージアムになっている病院と公開された北朝鮮の病院はそっくりの雰囲気を持っていた。
公開される病院がこの有り様で、ではあとは・・・と考えると想像を絶する。
めぐみさん、無理矢理に連れて行かれた末にこれと似たような病院で、もしも亡くなっていたとしたら・・あまりにかわいそうだ・・と胸にぐっと来た。
どれだけ無念で悲しくてくやしかったかと思う。
そして、これは、彼女だけではなくて、帰国事業でかの地に帰って消息知れずになった人たち、韓国から拉致された人たち・・・みんな似たような気持だったのではないか。
大勢の人たちが無念の気持を抱え込んでなくなったろう、と思うとやはりあの国は滅ぶ、というか今の体制は消滅するだろうと思う。無念の多数の霊の「呪念」だよね。

まあでも、横田夫妻のことを考えると、めぐみさんは生きてでてきてほしいとは思うが。

久しぶりに夏らしい日ざし。
ビールがうまかった。



2006年07月07日(金) ジェーン・フォンダ

午前中はあれこれやっていた。
午後からは、ごろつきながら、この夏の課題図書の1冊である「こんにちは アグネス先生」をよんでいた。
子どもの頃からのクセで、本を読むときは横になって、ごろごろと寝返りを打ちながら読む。
で、寝返りをうったひょうしに、TVのコントローラーを下敷きに。
テレビがついた。
でていたのは、ジェーン・フォンダ。
えらいええおなごになっておられました。
かつてよりずっときれいと、わたしは感じた。
BSだったんだけど、アメリカの大学の演劇科の学生の前での公開トーク。
おもしろくて、ついつい引き込まれて本を横に置いて見入ってしまった。
「死ぬときに後悔しない生き方、背中に追いやっていた自分をもう一度引きずり出した」とか、含蓄のあるお言葉オンパレード。
クリアというか62歳にして透明感があるたたずまいで、すてきでした。

私が読んでいた本もアメリカが舞台、アラスカで先住民族の12人の生徒にお勉強を教えるアグネス先生のお話。これもよかった。
今年の課題図書、え?と思ったのもあるけど、これはいい。それから、中学生の課題図書「走れみずほ!ニッポン縦断地雷教室」もよし。
そうそう、今年は課題図書、7冊買ったんだけど、ちょうど駅ビルのサマーセールで、応募券をもらった。
だしたらあたった。
佐渡の相川ファミリーオとかいう休暇宿泊施設の1泊2日券・新潟までのJRのチケット付き。どうせだったら、佐渡までのフェリーのキップもつければいいのに、これは自前なんだって。
思いがけないことで、まあラッキー。
母親にやろう。
わたしも実は、新潟の外国佐渡はいっていないが。(笑)
でもな、こんな事で、運を使いたくなかったな。
七夕なのに、★みえず。
残念



2006年07月06日(木) 寒い

寒い雨。
朝から、窓を大きくあけておくと本当に寒い。
あさは半袖Tシャツだったんだけど、7分Tシャツに替えた。
あしたは七夕よ。
どうなっているんだろ。

地震があった。
宮城・・・震度4 八戸・・・震度3
このところの地震雲はこれかなあ。




2006年07月05日(水) そらから、爆弾、ふって来る?

お子さまが来るまでのわずかの時間に・・

今日は1日なんだかヒヤヒヤしながら動いていた。
そらから、大魔王が降ってきたらどうしょうかって。
新潟はあの国に近いんだわよ。
夜中にミサイル等々5発6発って・・きっちり届いていたら、と思うと恐い。
あっという間に「日常」が壊れる。
まだ、飛ばすようすなんで落ち着かない。
昨日も地震雲が出ていたけど、それって、あの国のことか。
どうか、世界がホントの意味で平和になりますように。
竹島問題だってあぶない。
要するにあの海の地下に埋蔵される石油があちらもこちらもほしい訳よね。
どうして韓国といっしょに、開発できないのか。

久しぶりに梅雨空がもどってきた。
しかし、肌寒いのだ、7月とは思えない。
大雪の年は、酷暑という「自然界の習わし」も壊れてしまったのかな。



2006年07月04日(火) かっこいいよ

中田英寿が引退とは。
かっこいい辞め方だね。
88行の引退文も、錬られているし。
高校時代、東大もねらえる、といわれるくらい賢かったというし、ムベなるかな、か。



2006年07月03日(月) 小泉は気持ち悪いし、放火は多いし

ブッシュのところに行った小泉、気持ちわるー
神さまは、どうしてこんな気持ち悪い二人をお許しになっているんでしょうか。
ブッシュのせいで、イラクでは毎日人が死んでいるのにさ。

橋本龍太郎氏、最後の最後に「献体」とか。
りっぱ、かな。

奈良の事件以来、放火が多いように思う。
どんどん世の中が荒っぽくなっているなあ・・・・
あの火をつけた子のお父さん、学校に「すべてわたしの責任です」と退学届けを出して、学校は「本人の意思が確認されていないので」と保留としたとか。
学校のほうがえらいわ。
なぜ、弁護士を通して「お前、学校はどうする、退学届け出すか」と息子に聞かない?
こういう子どもとのつき合いの基本ができていないのが問題なんだわ。
今時、このくらいのことは、その辺の子育て本には書いてあるし、子どもを自分の立場に置き換えたら容易にわかりそうなものだが。
そうか、自信があったからそんなもんは読まなかったか。
みんな1度は子どもだったのに・・・

昨夕、本夕、でっかい地震雲が西北、西、西南と連なってでている。
恐い感じだ。



2006年07月02日(日) 疲れたのう・・・

なんだか、疲れていた。
久しぶりに8時近くまで寝て起きるもだるい。
あまりに蒸し暑いところを歩いたせいだろうが、それにしても、こうなると8月にけっこう長く旅しようと思っているので心配だ。
茨城、栃木の札所を完了したいんだけど。
駅から10キロ級が結構ある。
特に、八溝山の手辺にある観音様は、800メートルだったか登るんだったけど。
秋の終わりになると雪が降るので夏の時期にお参りしておかないといけないのだが
、歩く予定だが、ばてそうだなあ。
以前8月半ばに1週間お遍路したときは、体中アセモで、帰宅後1日寝ていた記憶がある。
夏は弱いわ、わたし。

午前は掃除、午後は美容院と実家のビワ灸。
いつもの予定をこなすが。
夜は、あるある大辞典を見ながら爆睡であった。



2006年07月01日(土) 坂東順礼・・埼玉県二日目

朝五時過ぎ、雨の音で目が覚めた。
雨か。
やはり、汗だくでも、岩戸の観音さんまで終わらせていてよかった。
5時5〇分に起き出したら雨は上がっていた、どんよりだ。
仕度をして、パンと野菜ジュースを軽くとって、六時一五分宿をでた。
6時23分、八高線で小川町のとなり明覚駅へ。
6寺40分より歩き始めた。
9番慈光寺、都幾川町都幾山のほぼテッペンにある。駅からの距離は8キロ弱だが、最後は最後の2キロ弱は登りなんで、2時間はかかるだろう、と踏んだ。
7時過ぎに雨が降り出したので、雨具をザックにかけて、傘を差した。
川に沿って延々と山へはいる感じの道を歩く。
これも「埼玉」か。
ダサイタマ・・てことばのニュアンス、わかった。
でも、わたしはこの緑滴る山奥埼玉、すきだけどね。
7時45分、慈光寺登山口に着く。
さて登りだ。
道の端に女人堂があったのには驚いた。
山岳寺院はいわゆるご修行寺院だからだけど、この女人堂が立派なんだ。
道も時々古い参詣道があって、いい感じだった。ここも、町がトレッキングルートの一部としてしっかと管理しているようで草刈りがされていた。歩きやすかった。
これ、口先だけでちっとも道整備をしない徳島県の鴨島町にまねてほしい。
8時20分着。
ここも大寺。全山75坊、という時期があったらしいが、なるほど、だ。
しかし、今は寂れ果てている。
観音堂も立派だが、なんだか寂しそうだ。お参りが少ないのだろう。
住職さんか寺男さんかしらんけど、納経してくれた方もやや変わっているというか偏屈系だった・・わ。
でも、岩間山(西国)とこちらの観音さんお手が同じとか、今度お参りするときは観音さんの手をよく見なさいとかいろいろと教えて下さったから、悪い人ではないんだろうが。
なんでも今日から、町のバスが登ってくるようになったのだという。
1日2便、日曜日は3便。
お参りの方がふえないと、このかつての大寺は風前のともしびだぞう。
登り道で「大ちゃん」がでたくなって、山寺のトイレ・・と心配していたのだが、これまた町がバリアフリーの立派なトイレを駐車場につくっていて助かりましたわ。これもトレッキングルートの一部だから、なんだろうが、四国のお寺のように財力があるわけでない坂東札所、お寺のだけの力でこの立派なトイレは無理だったろう。
バス便にしろ、都幾川町、なかなか粋じゃん。

たったか降りて、10時7分の駅行きのバス乗車。
八高線が車両故障とかでおくれてきたが、小川町で降りて、駅から歩いて10分の日帰り温泉で汗を流して着替えして1時29分の八高線で高崎にでた。
八高線、1時間1本、単線。なかなか風雅だね。
で、3時5分の新幹線で帰途。
家着4時10分。
新潟は大雨注意報。

坂東、これで10寺打ち終えたかな。


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