2005年08月30日(火) |
昨夜はなつかしかった |
昨夜は、シベリア鉄道で旅をしたときに、モスクワのホテルのエレベーターの中で知り合ったKさんが遊びに来てくれた。 エレベーターで挨拶して、話すうちに同じ高校卒業、彼女が後輩だってことが判明して、それ以来のおつきあいだ。 彼女が実家に帰ってきたので、夜に遊びに来てもらって、一緒に宴会をした。 久しぶりに旅の話をしたりなんだかんだで楽しい時間を過ごしましたわ。 彼女が持参してくれたワインが珍しいポルトガル産。 ポルトガルはリスボンでファドを聴いたのは今は昔のこととなりました。 で、歓談中、珍しくアムスのミエコから電話で、長話もしてしまった。 これまた、なつかしや。 アムスは、冷夏とか。 18度あるやナシとのことでおお!だった。
深夜2時就寝、今朝、圧倒的寝不足だったが、なんとか5時おきでリハビリウオーク、9時からの小学生のお嬢さん2人の感想文教室をこなした。 昼近く、眠いし頭まで痛くなってきたので、午後からしなきゃいけないことも怠けて長時間お昼寝。少し楽になった。 一昨日も深夜1時就寝で5時おき、2日睡眠不足が続くとつらい。 年だなあ。
2005年08月28日(日) |
もへじコミュニケーションズの更新 |
やっと、もへじコミュニケーションズのHPを9月用に更新した。 やれやれ。 コラムやCafeあたりを見てやって下され。 相変わらず、お暇な塾稼業だが、まあぼちぼちと。 今年のわたしの「任務」はいろいろあって、そのために神仏が下さった時間だと思っている。 旅のHPは今だ更新できず、けっこう時間も集中力もいるので、固まって時間がほしいのだが、今はそれができない。
今日は午後から、成田不動尊(悠久山公園近くに分院がある)にお参りして、実家でビワ灸をした。 このところ、近所の母のお茶のみ仲間が気持ちいいからしてほしいとやってこられる。 だから、行くと家族以外にも、2人、3人とする。 (させていただいているって感じなんだが、現物礼でビールだのおそばだの、みょうが大量だのを頂く) 楽になりますようにと、念をこめつつするのでけっこう疲れる。 (今日は帰ってきて、つかれたんで1時間ばかり眠った) でも実家の前のうちの方は、胃が痛くて薬をのんでいたが今は飲まない、楽になったというし、うちの母は、今日は左足の付け根がいたくて寝られなかったのが痛みが取れたというしで・・・それなりに効き目があるようだ。 まあ、人が気持ちいい、楽になったというのを聞くのは何だかわたしも気持ちいい。ありがとう、だ。
以下はヤフーの記事より
「駒大苫小牧高の篠原勝昌校長が27日午後、日本高野連に報告書を持参し、事情聴取を受けた。野球部長は6月2日、早朝練習の態度がふまじめに見えたとして部員の顔を殴った。さらに選手権大会開幕後の8月7日、滞在先のホテルで、ご飯を3杯食べるというルールをごまかしたとして、スリッパで頭を1回殴った。部員は選手権大会のベンチ入りメンバーには含まれていなかった。」
ふまじめに見えた・・・でなぐる??? ご飯を3杯食べるというルールって???で、それをごまかしたからって、スリッパでなぐる???? わたしには、信じられないことばかり。 だから、体育会系、嫌いなんだわ。 まったく冥王星より遠い話だ。
学校側と保護者が和解したのは、話し合いの場で、なぐられた数にこだわる父に対してなぐられた本人(部員)が「もういいだろ」といったからという。 わたしから見て???がいくつもつくことでなぐられて、それで、もういいだろ、といえる部員はえらいのか、気持ちの限界だったのか・・。
高野連は「管理者のミスを生徒にかぶせるのはよくない」として、優勝取り消しはしなかった。 正しい決定だと思う。
さっきまで、南東の山際から空が、夕焼けしていた。 おかしい・・・不気味。 南西だったらわかるのだが・・・ 台風、地震の前触れ??? いずれにしろ、台風は来るようだ。 風が、つよくなってきている。
原油の値上がり、すごし。 わたしの場合、実家に行くと、弟が、「オウ、ガソリン、入れといたぞ」とかって、メーターをみて、補給してくれるんで、5回に一度くらいしかガソリンスタンドに行かないが、このところの値段お上がり方はすごいと思う。 どっかで、だれかが、ウハウハとドルを手にしているのだよね。 ブッシュは、そちら系のおうちの人だったよね。 ああいやだね。 そうそう、前レバノン大使が、小泉地元から出馬とか。 イラクの戦争回避に最後まで努力をという公式メールを入れ続けて、外務省を首になっちまったお人だ。 やるだね、いや、こういうの、いい。 小泉地元の有権者だったら、入れるし、ボランティアで応援行きたいくらいだ。
国民新党 と 新党日本 どっちがなんだかよろしい命名か? やっぱり、新党日本かな。 だいたい、こういった命名って「ン」を最後に据えると据わりがいいという。 さらに、「ン」で、あとがない、長続きするという連想ゲームになるとか。
とくだらない話題でありました。
ところで、またもやよい子の事件だ。 なんで、フツーの中学生がお巡りさんの拳銃を?? サインがあったと思うけどな・・・
なんで、駒大苫小牧27歳の部長さんは、体罰がチョー問題な行為だという認識が持てないの? いつぞや、神戸で、熱中症にかかっていた中学生を「殺した」非常勤講師と同じ世代だ・・・
昨日も、大雨、雷・・すごいのなんの・・! 実家のチビ犬は、おへそをとられるのが恐いのか、物置の奥深くに隠れてでてこなかったそうな、ごろごろピカンの時。
ホントは昨日書こうと思っていたちょこっとよい話。 マザーテレサの家で13年間ボランティアしていた女性が里帰りした。 テレサの家では、孤児、重度障害児、余命数ヶ月の子がともに生活するという。 「ハンディに関係なく、どの子にもお母さんのように接しています」 11月まで、山梨の授産施設で働き、お金を貯めてまたテレサの家に帰ると言うが、「ほしいものはなにもない、早く、また子どもたちに会いたい」 この記事が載っていたのは2面で、1面には「コイズミの刺客」話が踊っていた。 勝ち組で、目立っていたらだれでもよろしというチョイスと、この女性の清らかさといったら・・・何となく天国(浄土)と地獄へ行く人のちがいを見た気がした。 のであった、ときのうかこうと思ったのでした。
今日は久しぶりに雨も降らず、雷も鳴らず静かな宵です。
11時28分だったかに、震度5強とか。 情けないことに、わたし感知せず。 信濃川西地区にある、末の弟の病院の夏祭りで、出かけていてごったごったしていて気がつかず。 周辺の人達はみんなでそうで、放送があって、、そうなの? たまちゃんちからお電話を頂いて、えええ???でした。 ありがとうございました。 でうちに帰って、聞いたら、けっこうすごかったとかで、突き上げるようなのが2回ある縦揺れ、その後はけっこう長く横揺れがあったようで、義妹曰く「久しぶりに恐いと思った」ということだった。 同じ長岡でも、そんなわけで、ずいぶんと違うのだわ。
実は今朝5時頃、北西から、西、南西へまるで龍がうねるようなすごい地震雲がでていて、朝焼けもすごくて、「来るよ、地震、もしかして、仙台の余震かしらねえ、震度5は来るね」なんて言っていたばかりだったので、あれれ・・すぐそばだったんだ、とただビックリ。
地震もさることながら、この数日、夕立と雷がすごい。 昨日なんて、4時過ぎにすごい夕立と雷、終わったと思ったら、また9時頃同じパターン。 床下浸水したとこもあったようだ。 雷が収まらないので、恐くてネットにつながないうちに、日記を書かないで寝てしまった。 夕立の雨の降り方も、雷の規模も(落雷で小屋が燃えた)すごくて、空がキチガイのよう。 今日も、さっきまで少しごろごろいっていたんだけど今は聞こえないので、書いている。 今晩、また来そうだわ。
夕刊に、弥彦競輪が女性の競輪レースをするという話題が載っていた。 レースクイーンみたいなきれいな女の子たちがならんでにっこりの写真も。 でも、よく読んだら、これ、人集めなんですな。 若い男の客集め。 競輪振興の当て馬らしい。 だから、レースも本気じゃやんくて、途中までは演出(やらせ)なんだわ。 最後だけは本気で競争らしいけど・・・ もちろん、券(馬券みたいなやつ、輪券ていうんだろうか)は売らない。 ただ、一等賞をあてた人には、抽選で賞品がでるとか。 半端な・・一種の女性差別だ。 券を売って、本気でやる企画になんでしないんだ?? 本気が本物を生むんだ、人気も生むんだわ。 今どきは、男がやるスポーツ、何だって、女も真剣勝負しているわさ。 競輪がよいとは言っていないが、競輪振興会のえらいオヤジたちのアタマの古さと好色性の限界だ。
ホリエンモン、立候補。 まあライブドアの広告塔としては自民党からのオファに乗るって、すごい宣伝効果だものね。 当選、落選、関係ないよね。 球団ゲット失敗、ニッテレ攻略失敗(もっとも、大儲けしたみたいだど)に続いて、衆議院選落選と来れば、これ以上の金メダルはないでしょう。 (今の状況では、亀井静香に勝てるとは思いません) こうなれば恐いもんなし。 こういうのがまあ一種の正しい宣伝、振興(?)
2005年08月18日(木) |
なつかしのアムステルダム |
夕刊に、バイキングふうの船の写真。 バックの風景に見覚えがあるというか、なつかしい気がしたんで読んだら、アムステルダムでした。 そうか、そうか・・・ 行きたいな・・胸が熱くなりました。 しかし、今の状況では無理よね。 早く、さまざまなしがらみの方向をつけて、10年先を見据える土台を築くべく思案を巡らし、それなりに実行に移ししつつ、それが納得できたら旅に復活したいものだ。 と、わたしとしてはかなり堅実なことを考えた夕方でした。 ちなみにバイキング船は、アメリカ人アーティストが作ったアイスの棒で作ったお船でしたとさ。 そうそう、ミエコから長いメールをもらっていたのに、返事を書かぬうちに時間が過ぎてしもうた。 8月中に、倍返しの長さのメールをぜひとも書こう。 HPも更新していないし、工事中はそのままだし、しかし、塾の9月計画、8月の反省(まだ生徒さんは夏休み教室で来るけど)家族のことなどもろもろ。 時間が足りない、絶対的に。 やれやれ。 ぼちぼちやりまっさ。
今朝、コンクリートの塀に、生まれたてのアゲハがとまっていた。 けっこう美しくて、感動。 徳島の思い出にスダチの木を1本持ってきた。それを玄関先に置いて置いたら、なんと、虫がついておった。 そいつが、羽化したってわけ。 ちなみに、木には、まだ2匹の幼虫がくっついておる。 実家の家族は、木にとっては害虫だしつぶせば、というが、かわいそうで私にはできない。 しかし、小さなスダチの木は裸に近くなって、ピンチだ。 どうしたものか・・・ でも、町中の玄関の片隅にある小さなスダチの木をよくぞ蝶は見つけたモンだわ。 いやいや、もしかして、アゲハの卵も徳島からついてきたのか???(ネットで調べてみようぞ)
階段入り口に置いて置いたカポックの木が、暑さでやられてしまった。 葉を落として、木が茶色になったのだ。 玄関ドアを開けて、すぐに階段はよくないと聞いたので、沖縄の「シーサー」よろしく「邪気」よけになってもらった木だったのだが、まあ邪気というより暑気あたりみたいだ。 で、ピンチヒッターとしてふんでもけっても強うそうなユッカを買ってきた。 カポックは、実家の風とおしのいいところに持っていって、病気養生をさせようと思う。
一鉢300円で買ってきた朝顔は、買ってきた当初こそ花をつけたが、今はぜんぜん。ただただ、蔓が上に伸びて行くだけ。上昇志向の強いヤツで困る。 だって、芽を摘んでも今度は脇芽から伸びるのだわ。 まあ、この朝顔を少し見習った方がよろしいかしらん。と毎日水やりをしながら思案に暮れるこの頃である。 風に秋の気配がごくごくかすかにする、たしかに。
当地は、あれ?地震??みたいな揺れでさしたることもなかったが(というか、また中越地震の余震かという発想に行く)、宮城はすごい揺れであったらしい。 お見舞い申し上げます。 大雨、地震、あるいは干害、あるいはヒートアイランド化による予期せぬ害虫や病気・・・ヨーロッパは猛暑だと聞くし。確実になんかがかわっているんだわ。
今朝は相変わらず降っていたが、昼になっては久しぶりに晴れた。 入道雲が見えた。 その夏雲を横切るように、地震雲が飛んでいたんだけど・・・ねえ。 雨の間、夜になると寒くて、知らぬ間に風邪を引いていたらしい。なんだか体がだるいと、元気が今ひとつでなかったのだが、今日になって、鼻に風邪の華が咲いた。そういうことだったのかと納得だ。 長岡の日の出、5時4分。 明日から、リハビリウオークの時間を少し遅らすことにした。 季節がかわっている・・・ 今晩の月は、なんだか、秋のようだし。 1年があっというまにすぎていく。
キプロスの飛行機の墜落、乗客が凍結って、すごい。言葉もない。 でも、いわゆる瞬間冷凍のように逝ったのだったら、苦しみは一瞬だったかも知れぬ。合掌。 低体温になって意識度が低くなって、やがて眠って、というのだったら、いわば安楽死。墜落の恐怖を味わわなかっただけ、よかったかも知れない 昔、自殺の場として厳冬の大雪山をえらび、ふぶきの中かで意識を失って凍死。春、ヒグマのエサとして己の肉体を供するという壮絶な死を選び実行した人の話を聞いたが。 今、思い出した。 この話を聞いた若いころは、わーーーと思ったが、今はかなり優雅な死に方かも知れぬと思う。 前述の死に方をえらんだ方、、ちなみに女性です。男にはできない死に様かも知れぬ。
戦後60年・・・ですか。 あちこちで、記念式典だ。 風化しないようにといっても、もう風化しているんだろうな・・・だから、憲法改悪とか、自衛隊のイラク派遣がでてくるんだわ。 私は、座間味で会った70歳のオバアが集団自決して生き残ったときの傷を泣きながら見せてくれた話が忘れられない。 戦争はすべて悪だ。
まるで、空梅雨のかたきをとるように雨が降る。 去年の水害を思い出していやな気持ちになっている人がたくさんいる県内だ。 毎朝、今日は歩けるかな、と空を見上げつつ、4時45分に家を出ている。 この雨、四国の送りたいなあ・・・
キプロスの飛行機が落ちた。 キプロスは、なかなかいいとこだとガイドで読んでいこうかな・・・と思っていたときもあって(ギリシャやトルコから近い、それで、確か、狭い島の中がイスラムとキリスト教系と線引きされていたはず)オオ落ちてしまったか・・とけっこうショックだった。 アメリカでは、10人乗りの飛行機で悪天候を飛んで(ナンタケットからボストン)真っ青になったこともあるので、今回の事故は気分としては他人事ではないと思った。 JALの事故もそうだし、このキプロスの飛行機も、早くから大事故をおこしそうなトラブルを何度かおこしていたようだから、もしかして飛行機に乗る時って、飛行機の履歴までチェックしなとダメなのかな、と思ったことであった。
昨日はインターネット休日。1日、モニタを見ないと目が楽だわ。
お盆の墓参りに行ってきた。 地震で、ほとんどの墓石が崩れていたのだが、見事修復なっていた。 ふだんは、さびしいお墓に灯りがともっているさまは、なんだか、優しい感じがしてよかった。
今朝は雨がすごくて、ウオーキングにいけなかった。 午前の感想文教室に来てくれたお嬢さんのお母さんが、見て下さい、と膝まで水が溢れた市内の写真を持ってきて「これ、今朝のうちの近所です」 家の前も、5時くらいは、私のくるぶしぐらいまでたまっていた。 近くのうちの前は、もっとだった。 さすがに、雨が止んで、8時、9時になったら引いたが・・・ いや、四国にこの雨を送ってやれないものかなあ。 と真剣に思う。
雨が止んだあとの、空気はジメっとしてはいるが、なんだか涼やかで、もう盛夏は終わったという感じがする。 月日の過ぎることの速さをしみじみと思うのだ、ね。
ところで、自民党はモスレムになってしまったのか? もしかして、コイズミ、隠れイスラムじゃないの・・・ 「目には目を、歯には歯を」 というやり方だ。 この政治の世界(大人の世界)の不寛容と執念深さは子どもの世界に大変な悪影響を及ぼすだろう。 NHKも受信料未払いの人には、歌謡ショウなどの閲覧券を出さないという。 私も、大昔、もらってよくいったものだが、まあ、出した人が払っていて、行く人は払わないってあるんだよねえ。 しかし、NHKのこの不寛容もまた自民党に通じるよね。 そして、これは共和党のアメリカのこの頃の閉鎖性と不寛容にも通じるようにも思う。 ニンゲンはこうしてどんどんダメになっていく・・・そして、やがて滅びる。(預言です、はい。滅びないわけがない、これだけシッチャカメッチャカの生き物になってしまったニンゲンども)
美容院に行くと、このときとばかりに目の前に女性週刊誌を山のように積み上げてもらってガンガン読むのが好きな私である。 このところの話題で興味があるのは、杉田かおるさんの離婚問題だ。 彼女のはアタマの実にいい人で、よく笑わせてくれる。 で、あれこれを読んでいて思うのは、彼女の夫さん(アユカワさんとかいったよね)って、多分、私が去年お仕事していた会社の「坊ちゃん社長さん」とよく似ているような・・・ということ。 アユカワさん、じいっとおとなしくしていたかと思ったら、このところ力いっぱい次から次へと訴訟沙汰にしている。その切れ具合なんぞは実に実に・・・だ。 杉田かおるさんは、この問題でますます「女」に磨きをかけるだろうし、彼のほうは、ますます「おかしな男」に成り下がるであろう。 おわり
今日、公園ウオークで、萩の花が咲いているのを見た。 秋がそこまで・・だ。 それにしても心配なのは、四国の高温と雨降らずだ。 18日には、貯水率0%とか。 台風も発生したようだし、被害がでるのは困るけど四国への雨台風になりますように、と願う。 それにしても、38度とか39度とかいう気温は、インド、ベトナム、タイなみだ。 日本は、今や亜熱帯になりつつある。
昨日、今日と暑いけれど、なんだか、風が変わった気がする。 やはり立秋か・・・ 長崎の原爆投下の日。 トルコのギオレメ村だったかで、原爆の話になったときに「日本人はアメリカを憎まないのか」と聞かれたことがあった。 私は嫌いだけど、原爆投下されたから、復讐をしようという気運はなかった・・という話を日本語(彼は日本語は少し話せた)と英語でしたことがあった。 彼はいった。 「なぜなのか?」 「さあ、しようとはおもわなかった」 的な答えで、恥ずかしながら、決定的な答えがいえなかった。 要するに、日本人には、モスレムや一部クリスチャン(ブッシュなんかそうだもん)の用に、「復讐」という感覚が希薄だ。 江戸時代は、仇討ちなんていうのがあったのにねえ・・・ しかし、歌舞伎なんかではその愚かさを揶揄しているが。 多分、それはなんだかんだいっても、仏教の慈悲の教えのエーテルが染み渡っていたからではないか。 それと、私は元々日本人て、おっとり遺伝子をたくさん持っていて、生き馬の目を抜く中国大陸でやれない落ちこぼれのニンゲンたちが吹きだまって形成されたのではないかと思っておるのだ。 だから、復讐だ!のエネルギーを引き出す遺伝子がなかったのよねえ。 中国人のタフさ、はしこさ、日本人にはない。 (かなり独断と偏見のご意見でございます) 話が横道だ。もどす。 先日新聞で読んだんだけど、今、被爆者をイスラムへ派遣してほしい、という要請があるという。 それは、「復讐」ではなく深い悲しみを持って平和を訴える彼らの姿が、モスレムの(特に若者へ)「目には目を」という考え方で欧米、特にアメリカへの憎悪と憎しみをふくらませていくことの愚かさになにからの示唆を与えるのではないかということらしい。 なるほど、と思った。 でもま、それならば、ムスレムだけではないだろう。 英米の一部の人達にもそれは必要だろう。 それで、平等ってモンだ。 夕方の地震雲、迫力だった。 東南から、西南だった。
午後から、ついテレビを見てしまった。 反対多数で否決、そうかそうかという感じ。 なるようになったというところか。 やっぱり、まあ、あのコイズミのやり方は「おどし」だよな。 で、反対した人は公認しないってのもなんだか感情論で首かしげるわ。 森元首相が、解散は止めようと訪ねたら、缶ビールとひからびたチーズで・・・という話に笑った。 それにしても、流れのすべてに「子どものケンカより悪い」的お粗末を感じる。 まあ、私も感情論的には、コイズミも竹中もヤマザキ拓もだいっきらいなので(3人とも見ているだけで気持ち悪くなる)、いいジャンと思ってしまっているのだが。 ホントは冷静に考えれば、こんなレベルで話してはいかんのだが、いわせてしまうのが、思わせてしまうのが、これらの人達の人徳度の低さだろう。
でもま、これで障害者本人に原則1割のサービス料を求める障害者自立支援法案(まじに、これは悪法だ)が廃案になったことはよろしきことだ。
このところ、朝のリハビリウオークで、虫取り親子によく出会う。 だいたい30代のお父さんと小学校の子どもという組み合わせみたい。 どこだったかの出版社が30代の父親が子どもと遊びたがっているので、父とその子どもをターゲットにした雑誌を出してあたっているって話がうなずけた。 今朝会った親子との会話。(朝5時半過ぎです) 私「(小2くらいの子どもへ)おはよう、虫、取れた?」 子どもが首をふる 父「いや、いないんですよ、難しいですね」 私「アラ、あっちの山で今アブラゼミがチョウチョのようにとびかっているのを見ましたよ」 父「いや、カブトムシを捕りたいんです」 私「そうですか、だったら、クルミの木の根本を見て下さいね、私は子どもの頃、クルミの木の根本で、オスのカブトもメスのカブトも、カミキリムシも、クワガタもみんな捕まえましたよ」 父「え、クルミの木って・・・」 私「え、知らないんですか、今、こんな緑の実がなっていますよ、この公園内にはクルミは結構ありますけど」 父「あ、緑の実・・・そうありました、あれがクルミですか」 義妹「そういう木の下に甘い砂糖水とかを置いておくと必ずきますけど」 私「そうそう」 父「どうもありがとうございました、じゃ、クルミの木を見てみます」
別れてから、義妹と、やっぱり研究してくるべきだよね、カブトムシとろうなんて、野望を持って来るんだったら」ということで意見が一致した。
今、昆虫がカードとかで流行っているようだし、子にせがまれてきたんだろうけど、今や虫を追いかけるという体験をしたことのない人達が親になっているんだ・・・
新潟県美術館まで、現在開催中の「良寛遺墨展」を眺めに行ってきた。 音声ガイドを借りてまわったけど、けっこうこのガイド、あっさりしていてウーム、もの足りぬ。 楷書系でかいてあると読めるけど、かなのホニョロロロンのものは読めまへん。 あれを読む研究者さんはすごい。またかつて、良寛の周囲にいた何人ものサポート者たちもまたそれを読んで、楽しみ、そして良寛を崇敬していたことに当時の文化度を知ることができる。 今でこそ、寂れ果てて長岡に合併とかになっているけど、当時の寺泊近辺は北前船の寄港地として栄えていたのだ。 だからこそ、良寛もあの地で理解者に出会えたということなのだろうが。 でも、読めなくても、なんというか、ビミョーな点の打ち具合や曲がりグワイ、そして筆の勢いになんだかリズムがあって、見ていて心地いい。 とくに屏風なんて、なんだか、ジャズにのって書いたんじゃないかと思うほど前衛的な文字、軽いリズムがあって、さらには明るくて笑いたくなった。 良寛って、会ってみたい・・・って気にさせられた。 書はまさに人がでる。 以前、毛沢東の書をそれとはしらずに見て、見たとたんに「スゲー!パワー」と思ったんだけど、毛沢東と知って納得したことがあったが。 天真爛漫系なお方かと思っていたけど、なんのなんの、とにかく練習して練習して、あのリズムの境地に到達したのだということが理解できた。 晩年は、その練習の域から到達したりズムをさらに越えて、まさに「丸ごと良寛、みただけで」の境地に達しておられるような。 良寛地元だけあって、個人所蔵のものもかなりでていて、多分研究者なら、嬉しい展覧会だろうと思う。 というのがお粗末ですが感想であります。 末の弟の車椅子を押して行ったんだけど、館内はバリアフリーでなかなかよかった。ムチャクチャ冷房が効いていたし 弟はミュウジアムレストランで久しぶりに外食できて喜んでいた。 しかし、新潟にも類似美術館があるし、1つの県に2つの施設ってけっこうお金かかるね、と思ったことだった。
2005年08月04日(木) |
課題図書、というもの |
本日も、昼から「夏読書」ということで3冊読んだ。 「かげまる」(毎日新聞社)・・・低学年 「犬ぞりの少年」(文研出版)・・中学年 「ぼくらはみんな生きている」(講談社)・・・高学年 この三冊は全国読書感想文コンクール用の課題図書。 まあ、「課題図書」の帯がついていれば、ふだん本を手に取らない子も親と共に触ってみるのだろうし、そうはずれもない。 ちなみに市内のある小学校では、本の注文を学校で取ったらしい。 (これは、横浜とか川崎では考えられない) 上記3冊の感想をいうと、新潟県選定の課題図書のほうがよい・・かなだ。
かげまる 子どもの影に住まう影の子(かげまる)が、旅に出て成長して戻ってきて、自分の影の本人である子どもとまた交流をするというもの。 アイディアと挿し絵はとてもいいが、ストーリー展開は実にイージーで安易。ふかみなし。 なんでこれが課題図書?? もしかして、イラストの魅力かな?
犬ぞりの少年 中学生の課題図書の「秘密の道を抜けて」も南北戦争前夜のアメリカが舞台だ。 この本も、アイダホが舞台。同じ時代に税金を払わなくて、農場を取り上げられそうになったじいさんの孫は、飼い犬と共にドッグレースにでる。税金の500ドルのために。しかしゴール直前に犬は死ぬが、その力と勇気に免じて、先住民(インデアンだよね)のストーンフォックスが勝ちをゆずって・・ッという話。 しかし、中学生も小学生もどうしてアメリカ??? ロシアとか、中国とか、韓国とか、あるいはアジアとか・・・近隣の国からの物語を選ばないのか???がわたしは疑問だ。 結局、優れた訳者や優れた訳との関係があるのだろうが・・・やはり近隣の国やアジアの物語を子どもに読んでもらうことこそ今必要ではないか? なぜ、アメリカの犬ぞりレース?って思う。
「ぼくらはみんな生きている 都市動物観察記」 これが一番、ワタシ的にはおもしろかったし、わたしがもうけた水準(独断と偏見的かも知れぬが)を超えている。 要するに今都市に住み着いている動物の生態や状況を活写しているのだ。 これを反面教師として、ニンゲンの現在(原罪・・て、はじめは変換したけど、けっこうこれって、あたっているよね。ヒトはほかの生き物の命を奪いながらしか生きていけないという意味において)が見える。 カルガモとマガモが交尾して、マルガモができてしまった経緯もなんだかウームとうなってしまうのだ。
それにしてもこの課題図書、どうやって選定されている? わたしの感覚から見れば、かなりばらつきがあるし、もしかして「談合」?なんて連想ゲームをしてしまうのだね。 課題図書の帯がつけば、確実に売れるし、出版社が回り持ちでこの帯をつけっこしているとか。あやしい。 公開討論とか、あらかじめ委託した公正な立場の人に読んでもらって選定したんだったらわかるけどねえ。 課題図書なるブランド、長き伝統、「制度疲労」していないのかしら???
もう一度、それにしても 1冊1300円のどの本3冊を、数時間で読み切ってしまうのはなんだかもったいなかった。 文庫本だったら5冊くらいは買えるな、というバカな計算をしてしまった乱読病のもへじさんでした。
新潟1週間高温注意報がでている。要注意。
神戸で熱中症を見逃して、体罰まで受けて亡くなった男子哀れ。 親の嘆きは深いだろう・・・ 新聞・ネットで読む限りは、真面目な子だったと思う。 そういう子が、練習に集中できなくて、ウダウダしているということは・・・病気か・という洞察をできなかった体育会系、気力・ど根性系の非常勤講師たちのバカ加減。 そしてまた、そういう若い経験不足の講師だけで合宿させた学校の愚かさ。 非常勤講師たちは多分年齢的に見て正式採用予備軍だったと思うがその芽はこれでなくなった。(簡単に体罰するヤツは教員になってほしくないので、これでいいと思う)
地元高校でサッカーをやっている子がおベンキョーに来ているが、練習後の蛋白質摂取、真夏練習の頻繁な水補給は、ほとんど義務みたい。 科学的だ。 ベストな体調管理をしてやった上での、根性・気力だろう。
まずは地震雲情報 早朝、すごいのがでていた。 東、東南だ。 一昨日は北にでていが、今日は北はなかった。 ただ、インドネシアの地震雲を考えれば、起きても震度5前後だとは思うが。 朝焼けが毎日すごい。 夏の日の出って、もっと、ウスぼんやりしているはずなのに、と思う。 これも不気味。
ホントは夕に授業があるんだけど、長岡祭りくらいはやすみたい・・という要望で休み。 で、それでも9月からのコース(ひますぎるので)を考えていていたが考えがまとまらず、いらついていたら、ドーンと花火の音だ。 つい、夕食を摂りながら、のぞいてしまった。 で、ビールも1本増えた。 ま、でも長岡原住民は、3尺玉という特別花火以外は、見ない傾向がある。 (わたしも、2本上がるこのでかい花火だけはのぞきましたわ) うちの近所、みんな電気つけてふつうの生活をしていた。 要するに、長岡の花火って、よそのヒト用よね、いまや。 どうだっていい? よほど花火にシゴトがらみで関わっているとか、マニヤックって人以外は、ひややか。 讃岐うどんの店に食べに行ってならんでいるのはよそモンのみで、讃岐の人は加ト吉の冷凍うどんでいいというのに似ている。
それでも晴れていてよかった。 せっかくお金を使って見に来てくれた観光客の人、雨だとかわいそうだもんね。 しかしこの花火は観光用ではなくて、本来、長岡大空襲でなくなった人達(2000人くらい?)への鎮魂だってこと、忘れちゃいかんと思う。
このところ、義妹や母、亡父の姉たち、実家の近所の人たちに施灸している。 ビワ温灸だ。 痛みには効くということだし、じわじわと体が温まるのはなにより気持ちいい。 このビワ灸だったら、わたしにもできそうと・・・ 徳島にいたとき、バスの窓から、見て、あ!!とひらめいて、これ、わたしやりたいと思っていたのだ。 ホームドクターは、鍼灸医さんであったおかげで、自分もしていただくときに、いろいろと教えていただいたこともあって、基本のツボはそこそこわかる。 今日なんて、父の初盆でもあるんで夕方行って、ごはんを食べて、その後に6人もしてきた、1人30分くらいで。 みんな、気持ちいい、といってくれたんでよかった。 亡父の姉の一人は、ほらひざが曲がる・・と、えらく、よろこんでいた。 また、わたしが家族や近所の人にするときに来るといっていた。 痛みが軽減して、きもちいいといってもらってなによりだ。 これ、極めようと思ったりして。 しかしま、 人にしてやっても、わたしにしてくれる人がいないのが残念だが、わたしは「掘っ建て小屋のかけ流しただ温泉」あたりで我慢しないとね。
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