世界お遍路 千夜一夜旅日記

2005年05月30日(月) ビックリだ、なんとか百選

地元新聞がおまけにくれた「県内の日本百選」を、昼ご飯を食べながら眺めて、ビックリ。
なんとか百選のまあ、多いこと。
百名山、棚田百選、名水百選、滝百選・・あたりはよい。
し・か・し
お雑煮100選(選定機関は何と文化庁!!!お雑煮も、絶滅危惧種になっておるのか)、故郷おにぎり100選、かおり風景100選(新潟では福島方の草いきれなんちゅうのが入っている・・あとどこだ? 
馬の糞のかおりとか、牛のかすかなかおりとかないのかのう。
第4番札所道中、豚牛のにおいあたり遍路道かおり100選にどないかしら。
黒谷の遍路道から、梅林の間を抜けて、あの匂いがかすかにしてくると、4番近いぞなんてピピピと来るもん。
日本の白砂・青松100選・・・(社)日本の松の緑を守る会選定だって。
どっかの天下り受け入れ先の社団法人だろうな。
まあ、この調子で、あやしげなのがひしめいているのだわ。
まあ、何とか100選に選ばれましたなんていうと観光客が来てくれる、って言う安易な地元の考えもあるんだろうけど、何とか100選にしないと価値がわかってもらえないわけ?バカクサ。
ええもんや美しいもんは、人が滅んでもゴキブリの世の中になっても不動なんじゃ、喝!
ま、要するに天下り先確保の延長線上にあるもろもろなんだろうなあ。
助成とか、税金も使われて選ばれるんだろうな・・・
ああ、無駄使い。
日本のODAにもわたしは???なんだけど、要するに大企業がうるおうだけ。
この何とか100選のクレージーさにもあきれましたでござる。

今日は暑くて、汗かいた。
昼にダイエーまで買い物に行ったら、エアコンが入っていて、、やっとかよ・・でした。
初めての半袖。

(勝手に地震雲情報)
朝6時・・・東から東南にもしも、シロナガスクジラに鱗があったら、あんなんだろうなというのがでておりました。
7時半には見えなくなっていました。
午後4時半過ぎ・・東北から東、南東・・そして西へ。気持ち悪いシロナガスの鱗。太陽に虹彩がかかっていた。
東には、ずっと、てこでも動かないようすの帯び雲。大昔読んだ中里介山の大菩薩峠に清姫の帯っていう名前の雲なかったかしらん・・なんて脈絡のないことを考えてしまった。
気になるのは、東の空が妙にあかいことだ。
山際がオレンジめいている。





2005年05月29日(日) 運動会の応援歌

午後から、実家で苗箱片づけの手伝いを少々。
午前、近所の小学校で運動会をしていた。
で、聞こえてきた応援歌が、これまたなつかしい。

♪あおし神社の神主が お神籤ひいて 申すには
 今日の勝負は ○○の勝ち ○○の勝ち♪

   ※○○には、白とか赤が入ります。

いや、これってわたしも歌ったぞ。
市内のほとんどの学校で歌い継がれている、もっとも単純な応援歌だ。
なつかしいやら、思わず笑ってしまうやら。
こういうのって、ありますよね。
これも、バウムクーヘンの年輪だ。

横浜の友人からメール。
日帰りで、遍路道中物故者供養碑までお参りに行ってくれたらしい。
3/21日来るはずだったのだが、無理になって、先になって必ず行くから、といってくれていたのだが、ありがたい。感謝。
コスモスの種を周辺に蒔いて、水をやってくれたとか。
幸せな供養碑だ。
ホントにありがとう。

★勝手に地震雲情報★
今日は、曇っていて観察できず。
雲はでているのですが、顕著な「あ、ウルトラマンだ」的な地震雲は見えませんでした。
ただ、朝早くに(6時頃かな)巨大鱗雲の陰からさす太陽の光があやしかったけど。
今日の地震は、すべて震度1から2だが、長野(2回)、遠州灘、熊本、福岡、十勝と全国各地で揺れている。
 



2005年05月28日(土) 週末野菜スープ

4月から、身体に元気つけようと「週末野菜スープ」を実践している。
金曜夜か土曜朝に何種類かの野菜を入れたス−プをつくるんだ。
残ると、カレールーを入れて野菜カレーに化けて仕舞いです。
で、本日は
タマネギ、キャベツ、ニンジン、モヤシ、ピーマン、シイタケ、生姜、少し残っていた豚肉
これを鍋にバッと入れて、初めは水をごく少なくむしやき風にして、野菜のうまみを出して後麦飯水をどばどばいれて、ことこと。
味付けは、胡椒と塩のみ。きょうは、いただきものの「煎り酒」という江戸前的な調味料があったから、隠し味で入れたけど。

マア、このスープをつくっていて火事になりかけたわけですが、止められません。
闇鍋系ですが、うまいんですわ。
特に風邪気味の時は効くように思います。
ネギ系(今回はタマネギ)と生姜、コショウは必ずたくさんいれまする。
中国人の合い言葉(アハ、わたしが勝手につくったんだ・・だって何がなくともこれだけはって中国の人がいっていた)
「にんにく、生姜にネギ、毎度」

このところ、実家に行くと、毎日のようにタケノコをもらってくる。
家は竹林はないのだが、もらうのだ。
徳島もタケノコの産地だったけど、4月から5月はじめで終わりだけど、このあたりは今が最盛期だ。
山菜は、今年は山にはいると地震で、山が様変わり。恐い場所がたくさんあって、みんな控え気味だ。
実際、地元紙には、年寄りが山菜採りに山に入って、転落死亡とか、重傷とか、行方不明とかのニュースが毎日載る。
母の知り合いで、山の水を汲みに行く人も、土砂崩れが恐くていけないと嘆いているとか。
マア、新潟の山野は今そんな状態です。
山古志も、報道される写真はホントにひどい。
地震の前、私が訪ねた美しい山古志ではない。
でも、山の人はがんばっておられる、牛もまた。

★勝手に地震雲情報★
このところ、平穏です。
空を見てそわそわしません。
ただ、本日午後からは、東から東南に、引っぱられる雲がでていました。
4時には消えていました。
5時近く、東東北(これって、東北東)から、南西へ天空を横切ってぶっといウナギ雲がでていました。これは明らかに地震雲です。7時に見たときはいなくなっていました。





2005年05月27日(金) 元日本兵ニュース

80代の元日本兵たちの集団・・・なんというか言葉がなかった。
戦争が終わった、生きている人は戻りなさい、制裁はない、とかって、ビラまきとかをすべてだったと思うよ、日本政府は。
小泉、戦争終わってないよ、靖国参拝で不快を現す中国に、当然「利」はある、とわたしはおもう。
引退して、「一個人」になったとき自分の主義心情で行けばいいじゃないかといいたい。
元日本兵さん達に出てきて「ワシラの時間返せ!」とさけんで欲しい。
しかし、この飽食日本、平和ボケニッポン、憲法「改悪」したいなんて恐いことを言い出しているニッポンへ、彼らはまるで、神の使者のように生還する。これは、今のこの国にとって、過去と未来からのすごい暗示のような気がするのは私だけだろうか。

なんてことを考えながら、鳥の唐揚げカレー風味を囓りつつビール飲んでいたら日記をさぼって惰眠。

★勝手に地震情報

空は比較的平穏です。
ただ、北の空にはときどき逆さソフトクリーム雲が出ていますので。
それと先週出続けていた、南西の地震雲は、けっこうすごかったので、まだあるやも。
夕焼けが異常にきれいなのがすごく気になるところです。
朝焼け、夕焼けは、気象天文、天変地異のキーワード。

(28日朝記)



2005年05月26日(木) 閑話休題

◎かってに地震雲情報◎
昨夜はお月様が気持ちの悪い地震雲の中におられましたわ。
東、東南です。
南西はさっぱりしました。
北、及び北東は小さいのが絶えずでております。
なお、八ヶ岳南麓天文台が27日±5日だっかで?南関東に大きな地震の来る確率が高くなっている(予知情報ではない、確率情報)とかっていう情報を出しているようですが・・・
大洲のおかめさんから、地震まえにでていた地震雲の写真を頂きました。
ソフトクリーム状のモノでありました。
震源地が近いと、やはりあの形になるのであろうか?

さて

自分で決めたHPの締め切りが近いのだが・・・
もう少し時間が欲しいのであります、はい。

例えば、下のようなことを書いております。
で、書けばきりがないほど書けてしまって・・・それで進まぬ状態。

・・・・・・・・・

タイトル  ◎死ぬな(治安)◎

*睡眠薬泥棒
例えば電車で隣り合ったり知り合った人に、食事をご馳走するとか、飲み物を勧められるも、食べたり飲んだりしたとたんに、意識不明。気がつくと病院のベットだった。身ぐるみはがされていた・・
これは全世界的にあるドロボーの形です。
防御は簡単です。やたらにご馳走にならない。食事中は席を立たない。(しかし、連れて行かれたレストランが、泥棒仲間だったりすると、運ばれてくるときから入っているので防ぎようがない)。ま、シランヤツとは、飲食をしないことです。「No thanks」をシレッといえるようになって下さい。理由が必要だったら「自分は仏教徒なのだが、特別な教えで、外国の人とのつき合いを制限されている、食材制限が厳しいとか、今、断食中だ」とかこれまたシレッといってみよう。
*安全は金で買える
メキシコでは、各町停車のバスに乗ると、ギャングが乗ってくることがあるので、ノンストップで目的地に行ける急行に乗れと教えられました。料金は各駅停車の2倍です。
マドリッドでは、夜バス待ちをしていてひったくりにあった女性から「夜間はタクシー利用に限る、安全のためにはお金を惜しんではいけない」とアドバイスを受けました。
移動費をケチらないことは、安全に旅するポイントの一つです。
*寄ってこられるより、寄って行け
道を訊きたい、ホテルを訊きたい・・・旅先では誰かに尋ねたいことが次々と出てきます。
そんな時、近づいてくる人に訊いてはいけません。近づいてくる人の95%以上は、何か下心がある、と考えておけば間違いありません。
自分から、訊く人を選びましょう。
買い物袋を持ったようなおばさん、散歩しているご老人、ふつうの家の子(学生)、グループで歩いているこれまたフツーの学生等々。
*夜は出歩くな、いってはいけない場所を聞け
できることなら、日が暮れたら、ホテルの部屋に戻りましょう。でも、コンサートに行きたいとか、お酒が飲みたいとか・・あるかも知れません。帰りはタクシー、お酒は近くの店で飲んで、ソッコウ、帰れるようにする・・このあたりがポイントです。近所にアブナイ場所、旅人が足を踏み入れては行けない場所がないか、ホテルのフロントに訊いておいて、遊びに行くときはそのあたりは避けましょう。
*命の値段は100ドル札
治安がやばそうな国では、すぐ出せるところに00ドルくらい突っ込んでおきましょう。とりあえず、これくらいすぐに出せば、命までは取られないはずです。
*持ち物や服装はチープに
ブランドのバック、金のかかっていそうな服装、高価な時計やカメラは持たないようにして下さい。狙われます。マドリッドで、キャノンのものすごく高そうな1眼レフを肩に掛けてぶらぶら歩いていた白人男性があっという間にジプシー系の男にひったくられてしまうのを見ました。
*連絡先は教えない
たとえ、旅先で親しくなっても、特別な理由がない限り住所や電話番号は開示しない方がよろしいでしょう。
心を鬼にして、悪用されるかも、と考えて下さい。旅人とは、いつもだまされ、盗られる存在です。お忘れなく。どうしても、といわれたらフリーのメールアドレスくらいにしときましょう。
*性的被害
エジプトではピラミッドの中で入り口にいた番人にさわられたとか、墓室で迫られたという話を聞きました。また、ネパールではひとり旅の女性が雇ったガイドに山中で性的関係を強要されたという話を聞きました。遺跡などでは、一人にならないようにタイミングを計りたいです。
案内やガイドは、信用のおける旅行社で頼むのが大事です。これもまた「お金で買える安全」です。
*危険予知能力
想像力を働かせたり、直感力を日頃から磨いておけば、回避できる旅の危険は多々あります。
毎日をぼんやり過ごさすに、目配りしながら生活しましょう。              



2005年05月25日(水) 事故から一ヶ月・・・はやい

脱線事故からあっという間に1ヶ月が過ぎてしまったのだなあ。

私がここに引っ越してきて2ヶ月過ぎた。
まだ2ヶ月。もう2ヶ月
どちらも実感がある・・

ところで
次々と悲しくて腹の立つ実態が明らかになる組織JR西日本。
運転手も、確かにひとりの犠牲者だ。
親御さんや恋人はどんな思いだろうか・・と。
亡くした家族も亡くなった人もまだ実感がないだろうなあ。
亡くなった人もあまりにあっというまに、身体と魂が別々になってしまって困っていつことだろう・・・これって、自分が事故でまさに身体を亡くしかけたから想像ができる。
改めてご冥福を祈りたいとつくづく思う。

20時31分。愛媛県南予から九州にかけて震度3。
その数日に渡ってでていた南西方面に引かれていた地震雲は、これだったのかな・・・これですめば良しとしなければ。
震度3ならば、多分さしたる事故もないだろうし。
ただ、昨年の台風被害の爪痕がまだ残っていることだし、土砂崩れ等があるとね困るよね。

ちなみに、今日はまったく地震雲は見えなかった。
ただ、このじきにしては秋の夕焼けのように、美しすぎたのが気になるが。




2005年05月24日(火) また ホットカーペット

午後から、また寒くなった。
夜に入ってホットカーペットだ。
本気に夏になるまでしまえないなあ・・・

小泉って人は、国益を損なう総理大臣だ。
おろかさにあきれかえる。
さっさと辞めていただきたいねえ。
(と、昨日から今日の腹立ち)

今日は1回も地震がない。
どうして・・・不気味だ。
夕方、北東の空は妙に赤くて気持ち悪かった。

なんだか今日は、眠たくて仕方ないので早寝することにする。
風邪がはやっているようだし、それかな。
お腹に来る風邪らしい・・敢えていえば、私の場合、アイスクリームが食べたくて(アイスバーを2本、チョコボール状のモノを8個も食べてしまった)・・ってお腹に熱がある??単なる食欲か?



2005年05月23日(月) 女子中学生見つかる、よかったね

行方不明の女子中学生が見つかった。
家出だったらしい。
修学旅行で何があったのか・・・
例の万景峰号がまた来た。
入港時、すさまじい音量でノースコリアの国歌を流すので、大ひんしゅく、お止めと公安からいわれているらしいのだが、そんなことはどこふく風でまたまた大音量、「我が道」をいっているらしい。
ま、そういうお国です。
懲りないだけに、すわまたもやだったが、よかった、よかった。

仙台育英高校の三人死亡はあまりにひどい。
JR西日本の事故の次だ。
亡くなった生徒たちの無念。命があった生徒たちもしばらく(1年以上)ひとりで外を歩けないかも知れない。
私がそうだった。いつ車が自分に向かって飛び込んでくるか分からない気持ちになって、外をひとりで歩けなかった。友だちや家政婦さんの助けを借りて、付き添ってもらわないとダメだった。
今だってカーブ、こわいし。
私が事故の示談をしている頃は、事故のPTSDといっても、取り上げてもらえなかった。精神科医も、事故のPTSDの証明は難しい、あなたは不愉快な検査をたくさん受けなければならなくなるだろう、もっと傷つくから止めたほうがいいといわれた。
見えないことには保険は下りない、というのが今から7年前の認識だった。
しかし今や・・・PTSDという言葉は認知され、意外と簡単に保険もでるような・・・これって、進歩というより悲惨な事故が多くなった不幸の結果ということだ。
千葉であった、同窓会の帰りのおじさんおばさんのグループにつこんだのもひどかったけど・・・でも、交通事故で3人4人と轢き「殺しても」死刑宣告は受けない・・酒を飲んで運転て、これは殺意だ、と思うんだけど、私は。
日本、この辺は実に甘い。

ケーブルテレビの放映、さっき見たけど、いやーーー私のデブがみっともなくて・・あごなんて2重だぞ。話は、いつものように普段着でしゃべっているいるんですけどね。モーいやだから、ビデオは残さずに見るだけとしました。
痩せねば、です。つくづくと。



2005年05月22日(日) 女子中学生の行方不明

新潟市で19日夕方、修学旅行から帰って、土産を持ってうちに向かったまま女子中学生が行方不明となっている。
大捕物でさがしているが今だ見つからず。
横田めぐみさんのことを思い出すいなくなり方だ。
例の万景峰号は19日の午前に出航しているから、疑いはかからないようにも思うが・・・どうも、彼らが出ていった日の夕方・・・てのが気にくわない。
(高速艇だったら、追いつけるでしょ、多分)
実は1998年4月6日、長岡からも19歳の女の子(現在は25歳)が行方知れずになったままなのだ。特定失踪者候補となっているようだ。
その中村三奈子さんだが、さがす会があちこちにビラを置いていて、長岡市長のHPにリンクがあるほどだ。
彼女の名前を名乗る女性がパスポート申請をしていて、4月3日に交付、やはり彼女を名乗る女性が、韓国往復の飛行機チケットを予約して、7日新潟空港で受け取り韓国へ出国、韓国からの出国記録はない・・ここまではわかっているようだ。
韓国入国記録は、確かに本人の字らしいが、しかし、飛行機のチケット受け取った人物は中村さんと違う人だったようで・・・。(では、彼女はどこにいてどうやって入国したのか?)
この事件は韓国の新聞にも載ったようだが、今だ発見・手がかりなし。
お母さんの勤務してらした学校が、うちの近所でひと事ではない、どんなな思いかと思うと。
それにしても、蓮池さんの例をあげるまでもなく、どうも新潟の失踪者は、朝鮮半島がらみが多いような・・・
だから、万景峰号がでた直後の中学生行方不明・・・どうも・・。
どちらも無事に見つかって欲しいモノだが。



2005年05月21日(土) まともなお天気

きょうは、気温が上がってまともなお天気になった。
洗濯物もよく乾いたし。
で、うちの中、外いろいろと仕事していたら疲れましたわ。

ダイエー、新潟県内2店舗あるのだが、撤退のを決めたという報道で騒いでいる。
私も困る。
夕方、7時過ぎに行くと、惣菜から野菜、いろいろと半額割引が一番多いのはダイエーなんだわ。
近所にある24時間の地元スーパー、ヨーカ堂より使い勝手がいいのがダイエーだ。
量も多くないので、買いやすいし。
近所の専門学校に来ているらしい中国人留学生たちが一番買い物にいくのがダイエーみたい。8時ころに行くと、しゅういから聞こえるのは中国語だらけだ。
(話は横道ですが、新潟空港には、大連と西安から定期便が入っています、ウラジオストクとイルクーツクにもとんでいて、国際空港でありんす)

思うのは、100円ショップがはいっているんだけど、そのすぐ隣りは台所用品売場だ。
100でかえるもの(もちろん、クオリティは違うのだろうが)を、隣で500円で売っていても、かわない。
売り方というか、陳列内容を変えて、客のターゲットをしぼらないといけないのに、それをしていない。人気(お客)がないのは当たり前田のクラッカー。(古い^^;)
私でも考えられるようなことをしていないってドーいうこと?
売る努力をして欲しいと思うんだけど。
それにしても、駅から3分の地下1階、地上5階のビルが空いたら、確かにみんな困る。働いている人も困るねえ、大いに。

今日も、飛行機雲状の地震雲が何度も現れた。ソフトクリーム雲もあった。
でも、今日は朝から全国各地で8回も震度3から1の微震。どうやら、少しづつ地下のエネルギーはでてきているようだ。ヤレヤレ。




2005年05月20日(金) 朝、地震雲速報

9時10分 メール書いたついでに書きます。
朝からすごい地震雲。
6時  東、東南、南、南西と雲が意志を持つように連なる。
すべて、私には南西へ向かっているように見える。
8時まだ消えず。
鍵の付け替えで鍵屋さんが来たので8時55分外に出た。
ホンの20分前まで出ていなかった飛行機雲様のすごいヤツがやはり南西に向かう。北からも1本出ている。これも南西へ。
9時、太陽の周囲に彩雲(虹)。
これまたあきらかに地震前兆現象。
9時15分、上記は消えた。
しかし、地震雲の停滞時間が長い・・・ということは、近間???
食器棚から、割れたら困るモノを下ろしておこう。
このところの様子だと、だいたい出てから次の日から2日後には震度3,4級が来ているし、まあ2日後から24日の満月前後がアブナイと思う。

夕方(といっても7時半)に買い物にでたが、やはり「飛行機雲」状のヤツがありありと。
おまけに月も・・・虹彩のようなモノをかぶっているし。
結局のところ、1日地震雲は形を変えながら停滞していた。
一貫しているのは、前述した方向だ。
特に、南東への強い気配を感じる。
これだけすごい雲が出ているのに、午前には、茨城方面震度3があったが、午後にはなににもなし。
来るね、どこなのかな。
太陽の黒点の活動も活発化しているようだし・・・。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地元新聞で知ったこと
あの中越地震で皆川さん親子が遭難して、優太ちゃんが助け出された妙見堰のあたりって、戦時中、地下に軍需工場があって、信濃川縁にいくつもそこから製品を送り出す湊のようなモノがあったんだって。
で、あの車が埋まったあたりは、当時の坑道というか地下工場が埋められずにのこっていて、地盤がもろくなっていた。見方を変えれば、あの遭難は人災の側面があるという。
知らなかった・・・そういうこともあって、山本五十六の故郷だからというだけでなく、原爆投下地に選ばれていたんだ、長岡は。
もっとも、悪天候で変更になって、それで広島の災禍になってしまったわけだけど。
今、あの遭難地を「震災メモリアルパーク」として凍結しようという案が市長を中心にしてでていて、反対者多数。
私も、反対だなあ。



2005年05月19日(木) すみません また地震雲

本日昼前後、風が南西方向からふいていた。
ということは、雲はふつうなら、北東方面に流れるはずなのに・・・しかし。
風にびくともしない、太い太い雲の筋があるではないか。
明確に、雲の意志が感じられた。
南西から南、南東へ明らかに方向性を持って雲が一気に延びている。
ああ、まただ、地震雲。
今日のは、かなりだ。
震度5以上クラスだろうか。
方向性を持った雲とクロスするように、直下型を暗示する渦巻き雲もでていた。
南がやや西にふれた方向だった。

お昼ご飯を食べながら、空を観察していたら、なんとこの雲に虹までかかったではないか。
ヤバイ。
ああいう雲にかかる虹は前触れと聞く。
昨日の予告は、北海道だったが、昨日とはまったく反対方向の雲の先が気になる。
どこだろうか・・・・
まさか、四国じゃないよな・・
中央構造線と南海トラフにはさまれた四国、もっとちまちま1とか2の地震はあっていいはずなのに。昨年からこの四国の地震の少なさがどうも気になっているのだが。

とにかく、風に逆らって方向性を持つ雲は恐い。
みなさん、ご注意を。
はずれることを祈る。






2005年05月18日(水) 今朝も地震雲

今朝も、立派な地震雲がでていた。
いやなかんじだ。
おまけに、日本のどこかで毎日5回から6回はある震度1から2くらいの地震が今日に限っていば0回。
昨日も1回しかなかったようだ。
16日までは、5,6回コンスタントにあったのに。
プレート大ナマズがエネルギーためているか?
すごくいやな感じ。
中越地震以来、地震サイトチェックがクセになってしまった私だ。
天気もまともな5月の陽気ではないしなあ。
地球よ、どこへ行く?




2005年05月17日(火) 地震雲

今日は午後になって、明らかに地震雲とわかるヤツがでていた。
うちから見て、西−北−東によく見えていたときは、栃木、茨城とかあっちで震度3から4であった。
しかし、今日は、西から天空を横切って南東に伸びていた。心配なのは、あまり大きくはなかったが、直下型の前兆といわれる下からソフトクリームがねじれたような形のモノが北方面に見えていたことだ。
勉強に来た子どもを送りに外に出たときに、お隣の奥さんが子どもと遊んでいるのにあったんで、その話をしたら、私も見ましたよ、そう思った・・といっていた。

今日のは、震度3以上、4か5かな・・・の雲かな。
スマトラ沖の前は、空いっぱいに広がるときもあったからそれに比べればかわいいサイズではあるが。
位置は、栃木茨城の時と少し違うのでどことはいえない。

今朝は、実に実に寒くてまいった。
昼過ぎにやっと、お日さま全開のよいお天気になって気温が上がった。
でも夜になるとまたフリースを着込んでしまう。
大雪の次は冷夏だろうか・・・
それにしても、この新緑の季節、山歩きにでも行きたいなあ。



2005年05月16日(月) 忠犬 ラク公

寒いせいで、イマイチ調子がよくない。
やや風邪気味か。
ここ数ヶ月の疲れが出てきているのかも知れない。
朝も、ついつい、もっと遅くに実家にお参り行こうか・・と思うんだけど、しかし、がんばって5時半起きでいくのは「忠犬ラク公」のせいだ。
私が、6時から6時40分くらいの間に行くことをすっかり学習したマルチーズのラクは、こないと窓の外を覗いたり、玄関で坐ったりと落ち着きがなくなり、待っております風情ありありらしい。
最終的には、7時を過ぎると、玄関マットにぺったり座ってじっと玄関を眺めているらしい。
今日は来ないよ、といい聞かせても・・・らしい。
こんな忠犬ハチ公顔負けの話を聞くと、行かないわけにはいかぬのだ。
行けば、窓から私を見て「笑う」もんね、あいつ。
初めの頃は、帰るときは、あいつ大丈夫か・・みたいな顔つきで私の運転を見ていたけど、この頃はさすがにそういう顔をしなくなった。
私はずっとネコ>イヌだったけど、この頃はネコ=イヌくらいになっているわ。

石の写真ばかりを撮る写真家の須田郡司さんから「結願しました。供養碑、お参りしました」というハガキを頂いた。
彼は3/21日に開眼供養会に来てくれた人だ。
なにより、下さったハガキが「聖山 カイラス」のものだった。
「わーカイラスだ!いっきたい」
ありがとう、須田さん!
思わず、叫んで目がうるるしたもんねえ。
次にでっかい旅に出るなら、やっぱり山、山に行きたい。
だとすると、もう一度ヒマラヤか、カイラス、ないしは南米のマチュビチュ街道を3泊4日だったかで歩いてみたい。
空気の薄い山で「世間」を完全忘却したいもんだわ。
浄土に近い場所とは、やっぱり「高山」だろう。ヒモレーヤのような、とこの頃思う。



2005年05月15日(日) 完全休養日

このところ、なんだか朝の寝覚めが重たい・・たぶんかなり疲れているな、と思いながらの毎日だったので、今日は思いきって完全休養日。
まだHPの原稿も全部できていないしやることはたくさんあるんだけど・・・
でもま、ごろごろしながら、清水義範「子どもの作文教室」を読んだ。
作家の彼が東京先生として、名古屋の弟さんの塾でやる作文教室の指導をFAXをつかいながらすることになった、ということで。
おもしろかった、というか、何を書いてもイインだよ、とにかく気が遠くなりそうでもほめるところを見つける、というあたりは私もまったく同感。
反省させられたのは、もうほめるところがみつかんないとイージーに「お手伝いできてよかったね」とかって道徳的なことを書いてしまうんだけど、これは作文指導に関係ないでしょ・・ていうやつ。
その、その通りです。
深く反省しました。
寒いので、ホットカーペットの上でごろつきながら、昼寝もしつつ、読了した。
1日で文庫1冊読了って、久しぶり、少し元気になった。



2005年05月14日(土) 長岡市職員 山古志視察

地元紙地元版に載っていた記事だ。
地元の方「山菜もブナの芽もでて、今が一番いい時期だったんだがね」
土砂崩れダムのそこから伸びた桜も咲いている。
地元の方「来年はもうさかんだろう」
長岡市観光課長「道路も家のどこにつくるのか。どう復興させるのか。言葉がでなくなった」
土砂崩れダムを震災メモリアルパークとして残す案もあるらしい。
「学術研究の視点ならわかるが、いずれ観光資源になるのなら住民の痛みを思わなければならない。人が住んで輝くからこそ観光があるんだが」(まったく、実に賛成)
道路建築課の職員「道がないやら、落ちているやら。全部壊れている」とあ然。
長岡市河川課長「想像以上だ。沢の川もどこまでなおしていいのか」と途方に暮れた。
で、彼曰く「でも、一休みして風景を見ているとさ、静かで住民が帰りたい気持ち、よくわかるわね」
新聞の写真は、確かにあ然とする気持ちがよくわかる。
もし、この日記に映像が使えるのなら、新聞の切り抜きを入れたいくらいだ。
・・・・・・・・・・
こういった記事、どうして地元版だけなのかな。
(この記事を書こうと、昨夜思っていたら、ビールのあとで寝ちゃいました。で、15日に記す)
本日は、朝は降りそうだったが、午後からは日本晴れ。
ちょこっと、手伝いにいった。
先月末に播いたハーブの芽より、日に日に草がでかくなっていて実に不本意である。



2005年05月13日(金) 36日の祈り

今日は、先月8日に見えたお不動様に不動経(っていうのかな、以前頂いた、36不動勤行次第経本)を毎朝一冊まるまる読じゅするというお勤めさせていただいて無事に36日目の行満。
お陰様でした。
で、夜に黒米が入った赤いご飯を炊いて、お魚とサラダ、これまた頂き物の新茶、イチゴ、清酒などなど・・・(アハ、私の好物ばっかり)を御供えして、般若心経とご真言をあげた。
お酒とかは、私が寝る前にいただきまーす。
(告白)
実は忘れもしない先月15日の晩、私は火事を出しかけました。
(あんなん、生まれて初めて)
野菜スープをつくって、ガスを切ったと思って下の階で片づけしごとをしていた。
で、フッとナニゲに玄関まで夕刊を取りに行って、これまた、別に3階まで置きに上がらなくてもいいのに、3階へのドアを開けたら、何と白い煙り、モウモウ。
えええ・・・・・!!
そうしたら、消したはずのガス台の上で、鍋から火が出る寸前でありました。
スープは消し炭のようになっておしゃもじの持ち手は溶けているし。
とにかく、家の中は煙り、煙り・・・夜10時半頃の出来事であった。
どうしてこうなったのか。
それは、今のガス台は「とろ火モード」というのがあるんだが(そこまでひねると、あたかも消化したかのようにカチンという)、そこまでひねって私は消えたと勘違いして。
慣れてなかったせいもあるけど、忙しくて心ここにあらずでしでかした恐ろしい失敗であった。
あと5分遅かったら、完全に火事だった。
ただただ、ナニゲにフッと思いついて、ホントにふわふわと新聞を取りに行って、これまた持って上がらなくてもいいのに、ふあんと持っていって・気がついた・・・
直感的に、お不動さんとお大師さんが守って下さった、と思いました。
煙を出すために、うち中の窓を開け放ってから一生懸命震えながらお礼を申しあげましたわ。
で、それから、2日後だったか、早朝5時半、毎朝実家へ車の練習と父への経読みをかねて行くんだけど、いつもと違う道を走ろうとニューコースで、信号無視をしました。
はっと気がついて、これまた震えた。
いくら早朝とはいえ、運悪く、車が来ていたら、まちがいなく事故だったのです・・・
また守っていただいた・・(と直感した)
そういうわけで、以上、告白して懺悔。
毎朝読む経の中で「菩薩利他の行業に励みて御仏の命を相続したてまつらん」
とフレーズがあるけど、ここ、好きだ。
今後も守っていただけるように「正しく」暮らしたいモノだ。
今年はお不動さん年らしいし、できる限り今後も不動経を読じゅしていこうと思う。
朝早く、大きな声でお経って気持ちもよろしい。






2005年05月12日(木) ケーブルテレビ

午前、地元ケーブルテレビの「すばらしきかな 人生」とかいう番組の収録をした。(ついに、こんなタイトルの番組でるお年になってしまったショックよ)
おもにお遍路の話、世界の旅の話、塾の宣伝も少し・・30分の番組だそうな。
マア、お遍路さん、いいですよって感じです。
くしまさんの談話室の連休で歩いた人達の話を読んでいると、ああ、私も行きたいよね・・と思ってしまったことでした。

それにしても、寒い。
で、朝快晴、夕方雨と天気がコロコロと変わる。
これも困るんだよね。
身体が疲れる。

3月にぽきって音がした左手小指ふきんの痛みがいまだに取れない。
筋が違ったか、と思っていたんだけど。この様子だと、多分、剥離骨折か、骨にひびが入っているんだろうと思う。
しかし、今さら医者にいっても、ギブスとかされるのもイヤだし、縄文人のように自然治癒を待ちたいと思う。ただ不便だ。いつも痛みがあるから。



2005年05月10日(火) 霰が降る

今朝、雷の音で目が覚めた。
AM5時40分、外を見ると、霰が降って、ごろごろピかり!!
霰・・5月だよ。
あ然だ。
寒くてついにストーブを焚いた。
ホットカーペットも入れた。
なんてこったい。
英語のクラスに来た小1、ストーブ見てあったかい!とよろこんだ。

夕方、美容院で髪カット。寒いからあんまり切らないで、と頼んだら、一時のことでじきにまた暖かくなりますよ、とはいうものの・・・・
この美容院、帰りがけに「髪取り紙」なるナサ開発とかの洗髪で取りきれなかったカット後に落ちてくる髪の毛をつけるペーパーをくれた。
マニアック!
お値段も、横浜で行っていたjoyなみだ。
お店はおしゃれだし、うまいカットだけど田舎にしてはやや高いかな。

イラクで日本人拉致。
またかと思ったが、もと自衛隊落下傘部隊、その後にフランス外人部隊(傭兵集団)、で今は・・・イラク国内のアメリカ関連施設の警護といっても、要するに傭兵(民兵)だよね。この地球上で一番危険な国の傭兵、日給は日本円換算6万円とか。
しかし、多分、お金の方でこの人はこの仕事していたんじゃないだろな。
フランス外人部隊にはいる日本人だもの。
以前、外人部隊で特殊任務に就いている日本人へのインタビュー記事を読んだんだけど、血が騒ぐというか、危険にゾクゾクして、やりがいを感じて、平和の中では自分が腐るような気がするというタイプだった。
要するに、ロシアンルーレットの世界だよね。
死と隣り合わせの危険感がないと生きている気がしないのだ。
この拉致された人もそういったタイプではなかったのか?
と想像をたくましくする。
20年近くも実家には連絡がなかったようだが、それでも年老いたおとうさんは床に就いてしまったという。
おかわいそうに・・・



2005年05月09日(月) なんで寒いのだ?

夕刊に、切れる子どもの研究をするって書いてあった。
長期にわたるモノらしい。
私感だけど、言葉をちゃんと使えるようになれば、そうそう切れないと思うのだが。
この頃は、腹が立つが死語になりつつある。
腹が立つ前にプチ。
それは言葉がないから。
自分の腹立ちや怒りやイライラを言葉とすることができたら、切れるって少なくなると思うんだけどな。
日本語の使い手を育てんといかんのよ。

それにしても、寒い。
土曜日にセーターだのフリースだのをしまったのに、まったく。
ホットカーペットに坐っていてちょうどいい。
北海道は雪だというし、どっかおかしいなという気がする。
久しぶりに、早寝しませう。
冬眠じゃ。




2005年05月08日(日) 市政便りを読む

市政便りが一昨日、届いていた。
分厚い。
地震関連の情報が多いせいだ。
すっかり、有名になった、山古志町(となった、長岡市に合併のせいで)の牛の角突きだが、市内にも仮設の闘牛場ができた。
私が角突きがいいと思うのは、血が出てくる最終的勝ち負けをつけないことだ。
牛を大事にする。勢子がうまく牛を刺激して見る人も楽しめるようにするみたい。
(1度、見に行かねば)
スペインの闘牛は、マドリッドで見たけどもう2度と見に行きたくない、と思った。
牛が突かれて「殺される」んだ。
もちろん、ヘタすリャ闘牛士の運命でもあるわけだけど、さすが、牧畜民族の行事だわいと感じたものだった。
もともと、豊饒神に捧げる神事だったとか聞いているし。
突かれて殺された牛は、翌日の牛肉市場の出荷される。
「昨日の闘牛の肉」というプレミアがついて、若干高いとも聞いたけど・・・
闘牛好きスペイン人には、殺生どころか、傷つけることもしない牛の角突きはつまんないだろうな、と思う。

復興、復興と言うけど、その言葉に乗り切れなくて、先が見えなくて死んでいっている人もいる。
先頃の地元紙に小千谷市の孤独死した54歳の男性の話が出ていた。
数年前に離婚して、今回はうちは全壊、仕事も失った。
ただ、毎日のように、飲み屋に通う生活・・・来ないな・・と思っていたら、お風呂で亡くなっていた・・・・仮設住宅でも、近所つき合いを嫌い、周囲の人達も発見が遅れたらしい。
飲み屋では「どうにでもなれ」といっていたらしい。
未来がどうしても見えなくて酒に逃げる・・これが一番要注意だと新聞には書いてあったが。

今日英語の体験に来た子が明日は国語に来るという。
神経の細そうな3年生。
「楽しいことだけやるの?」と聞く。
「ううん、この世はたのしい事だけやっては過ごせないのよ。つらいことも、苦しいことも悲しいこともあるの。だって、ケーキが好きだからって、ケーキたべている時が楽しいからって、ケーキだけ食べていたら、病気で死ぬよね。(ここで、この子は、ウン糖尿病になるって言った)嫌いな野菜も食べないとね。
だから、国語でも、難しいことややだなと思うこともあるよ。でも、難しかったら教えて、って言えばいいし、困ったら助けてって言えばいいでしょ、そのために大人がいるんだから。いっぱい失敗していいよ。そうやって大人になればいいんじゃないの」
その子、一生懸命に聞いていたけど大きくうなずいて「分かった、明日来る、指切りする。遅れないで来る」ていう。(2回もした)
年老いて、涙もろくなってきている私は思わず、目が潤んだ・・わ。
そう、小3くらいって、その理屈が自分の中にすとんと落ちると、こんな反応したなあ。最後にガッコで担任したのが3年生だった。
いい子に出会った。

ところで寒い。
四国のたまちゃんは半袖パジャマだっていうけど、わたしは今日の夕方は思わず、ホットカーペットのスイッチを入れた。
長袖Tシャツにトレーナーで夕方になったら、やや寒いという感じ。
北海道で雪も降ったし。
ああ、昨年の徳島、確か、たんぼ道を歩いて通っていたせいもあるけど、確かもう半袖だった。
なつかしや。
若い頃、寒いのと雪がいやで地元を逃げ出したわたしだが、ホント、はやり寒いのはいやだわ。








2005年05月07日(土) 宮島の霊火堂、燃える

宮島山頂の霊火堂が燃えたようだ。
ここの火は「消えずの火」といわれて、原爆記念公園の火の種火ともなったものだ。
昨年夏、取材でいって、あのあたりを歩き回ってきただけにええ・・と思った。
ケガ人はいないようだが、惜しいことだ。

昨日朝、地震雲がでていると思って夜明けの空を眺めていたんだけど、未明の東京震度3。
部屋が三階で見晴らしがいいのと、5時半から6時には起きて、実家へ車を走らせて仏壇で父の菩提供養でお経を読んでくるので、空はしっかと観察できる。
今朝はでていなかったけど、夕方はあった。
確かに地震雲だった。
ただ、そう大きくはなかったので、あるとしても今日ぐらい・・震度3から4ってところかな。
場所まで、あそこ、といえるようになると、私、けっこうすごいことになりそうなんだけど(^^;)
地震雲、科学者は否定するけど、侮れないと思う。
「忌まわしい」「不気味」「あやしい」「おかしい」「なんだか、気持ち悪い」などなど・・・見ていると感じる雲、確かにあるんです。
私の直感ピュータ。



2005年05月06日(金) 昼寝をしすぎると、オバカになる?

今日は、ランチの親子丼を食べて、ワカメスープをのんだら、猛烈に眠くなってちょこっとシエスタのつもりが・・・なんと2時間半も眠ってしまった。
いったいどうしたっていうんだい?
リケンのワカメスープに睡眠薬が入っていたとしかおもえん。
時間を損した感じ。
それと、たくさん昼寝はボケのもとって読んだことあるし、イヤだあ・・・
ただ、そういう理屈に反して頭はすごくすっきりしたけど。
このところ、「旅サイト」をつくらんとかなりの時間、パソコンのモニタをにらんでいるし、眼神経に蓄積疲労していたのかも知れぬが。

今朝、地元ケーブルテレビのデレィクター兼アナウンサーの方からお詫び電話が。
ちょこっと笑える話なんでご紹介。
今すんでいる地域はケーブルテレビ地域なんだけど、その申し込みをしたときに来たお兄さんといろいろしゃべっていたら、うちのテレビに出ませんか?なんか、アナウンサーがハラハラしないでもいくらでもしゃべってもらえそう・・・(^^;)
ということになって。
で、経歴を下さいというので、送ったら、それが番組紹介にのったんだけど、なんとなんととんでも誤植でした。

1995年17年間勤めた公立学校教員の職を辞し歩き遍路旅に出て「結願」
と私は書いたのに、
「結願」←「結婚」となっておったのだ。

実家のほうに「離婚して四国から戻ってきたのか」と意味不明問い合わせ?が、読んだ知り合いからあったとか。
いや、田舎は恐いっす(笑)私は笑ったす。
アナウンサーさんに、「私と仲の悪いまじめな母親が閉口している、困惑です」といったら、電話で平身低頭だったす。
要するに「結願」ということばを知らなかったヤツが、間違いだと思って勝手になおしたんだ。
(一応、電話で聞いてくれればいいんだよ、不動産屋のおねーさんと同じくらいの若いオバカさん社員がした仕事だと思う、昨今の若い世代は、確認、しない傾向があるみたい)
しかと、アナウンサーさんには「結願」をレクチャしました。
如何に新潟は四国が遠いか、ということがこれで判明して、たそがれてしまう逸話でありましたわ。
テレビ冒頭で、お詫びコメント、テロップを入れるので、といわれたが、私はこの話を話の切り口にするつもりでーす。
お遍路宣伝等々させていただきます。
なんでも、利用せんとね。



2005年05月05日(木) ボーリング大会だってぇ?!

いやあきれかえった。
ひどすぎる話だ。
なんで、死者多数・被害甚大という情報が入っているのに、遊べるんだろうか、JR西日本は。
救助しないで乗務に向かったという話にもあきれたが、こうなると「人非人」としかいいようがない。
古くは、新潟県警部長が10年も見つからなかった女の子が発見されたときに「上司の接待」をしていたというのでその感覚をひなんされ、警察の体質が問題になった。
男達はなんにも学んでいないのだなあ・・・。
どうしてだれも、ボーリングではなくて救助に行きましょう、といえなかったのか。
107人+1人の恨み、いくよう、遊んでいた人達には。

今日から「もへじ塾」が始まりました。
今日は、中一の生徒さん「国語特訓」でした。
もしかして、開店休業かと思っていたのが、そうならなかっただけでもよかった。
ボチボチである。

横浜のもへじ塾に来てくれていたゴウちゃんからハガキが来た。
高3になるとか。
パティシエの専門学校に行くらしい。
彼のおうちはケーキ屋さんで、紙粘土で工作をするときは、実に精巧でうまそうなケーキ見本を作っていたしうなずける。手先が器用だったし、センスもいいからいい職人になるだろう。
おとうさんが喜んでるだろうな、とうれしかった。
こういうお楽しみがあるから、子どもとの関わりは味わいがある、渋い。



2005年05月04日(水) 新潟平野が池になる

毎日、耕されて水が張られる田んぼが増えていく。
ぼやりんとした夕日がそれに映るとマア、みんごと、きれいです。
いい季節になりました。
山にやや雪が残りますが、緑となりつつあります。
しかし、道は悲惨です。
毎日、へこみができて、工事している場所が変わってます。
この前なんて、カーブをまがったら、へこみポールが立っていてあせりました。
へこみができる原理は、地震によって、埋め込まれた配管などの周囲の土が流状化して動き、空洞をつくっていく、そこがぐにゃりとくぼむというもの。
この地震後遺症は当分続きそうです。
車のひとり乗りをはじめて1ヶ月が過ぎましたが、まだ車庫入れがダメです。
こまりました。

なんて、ですます調で書くのもたまにはいいかな。

今日もいい天気。
布団を干せるのがうれしい。気持ちいい。
ありがとう、お日様さん。



2005年05月03日(火) チベットの護摩供養

夕方、たまちゃんのおうちからお電話を頂いた。
大滝寺であった珍しいチベット式の護摩焚きのお話を聞いた。
お野菜などのまさに食物を、細かく刻んでそれを火に入れるのだという。
「天への供養」だ。
護摩焚きの原型のような話だった。
チベットは天が近いし、実にその供養、天に届くって感じだろう・・チベットならば。
エベレスト街道を歩いたときに、ガイドをしてくれたシェルパ族のナワンさんが村で亡くなった人がでたときに、垂直に千メートルも登って遺体を運び、そこで、切り刻む専門のお坊さんが実に手早く遺体を刻み、まさに空を翔る鳥たちの供養とする、という話を聞いたが、そのことを思い出した。

大滝寺はけっこう、長時間に渡ったらしい。
電話に出たたまちゃん「愛しているよ」
ありがとう。
ちょこっと、声がつかれている感じだったけど・・よいお天気疲れかな。
お母さんが「商売繁盛」と、書いて下さったらしい。
いや、まったく。ありがとうございます。
瀬戸内寂聴さんが「祈りは天に通じますよ」といわれていたし、みなさんのお力をこの際お借りしたいのである、はい。

先日、くしまさんのへんろ館で「遍路道中物故者供養の碑」のことを知って下さったらしい方からメールがあって、連休にお参りとお世話に行きますとのことだったが、昨日、行ってくださったと、メールがきた。
お世話をしてくださっている方があるらしいので、持っていた草取り用具は使わなかった、とのこと。今度は、殺生可なら、桜に付いている虫を殺す殺虫剤を持っていくが、とのこと(可哀想なので、そのままでとお願いしたが)
有り難いことだ。
今関さんからも、行ってきたよ、メールが来た。
大洲のKさんもまた行って下さるとたまちゃん掲示板に書いて下さっていたし、いやホントにありがたや。感謝。

今日は憲法記念日。
九条改正、反対である。
といっても、日本の「戦力」って、今や世界で3位だったかな。
すごいだんわ、たしか。
でも、現実がどうであろうと断固として九条改正、反対。

この日記、今や、「旅日記」ではなくて「つれづれ日記」となっているわい。
まあ、「正月や冥土の旅への一里塚」(一茶)って考えれば、つれづれなる日常も「旅」ではあるんだけど・・・
でまあ、この際と、私のバックパッカー旅の総括的でっかい「ひとり旅サイト」をつくるべくしこしこ作業にいそしんでいる。
ビルダーはヴァージョン6で古いんだけど、何とかなるでしょう。
しかし、問題は使い方を忘れていることだ。
有言実行形の人であるワタシは5月末までに「ひとり旅・com」を立ち上げると憲法記念日の本日公約いたしませう。
おばさん、がんばるぞうさん。
(趣味のサイトの前に、塾のサイトをつくれ、という内心の声が聞こえるが・・はい、それもやります、大丈夫?よ)




2005年05月02日(月) 余震

朝8時過ぎにお不動さんにお経を読んでいたら、地震があった。
震度2か3だ。
余震。
このところ揺れないと思っていたら、きました。
福岡も、昼からもっと大きなのがあったらしい。
こうなると、ホントに次はどこの番?と思ってしまうのは私だけだろうか。

山がミドリになった。
雪がところどころ残ってはいるものの、確かに新緑だ。
マジに春です。
田んぼにトラクターが入って、水が張られているところが多くなった。
この時期から、新潟平野が美しく変貌する。
田植えが終わって、ずべての田に水が張られ、そこに写る夕焼けを私は愛す。



2005年05月01日(日) 107人・・

福知山線の事故の死者が増えた。
まだ、集中治療室にいる人がおられるというし、ネエ。
秒刻みの時刻表の犠牲だと、わたしははっきり思う。
しんぶんによると、昔は管理職が直接同乗して指導をしたのに、今がお客を装って電車に乗って、チェックをする、オーバーランの研修も人格を否定する類のものだったとか。Jr西日本の体質の陰険なこと。
そりゃ、亡くなった運転手の素質の問題もあったかも知れないけど、こんなことされたら、おかしくなる。
因果応報、とはよくいったもの。
経営合理化で、働く人の人格否定のようなことをしてきた経営者(役人でいうと、いわゆるキャリアだ)たちのつけが沢山の方々の命が失われるという悲しい形ででてきた。
駅で、乗務員をけったり、駅員に人殺しという人がいるらしいが、いうところが違う。いうんだったら経営者だ。
社長や、役員さんをけんなはれ・・・
しかしねえ、けっきょくみんないそいで競争して、効率と合理性を追求して、日本の社会全体がしてきたことの行き着く先の事故だったとも言えるし、ある意味天にツバしたら自分にそっくりかえってきたということかも知れない。
お遍路でも、急いで急いで回数ねらいで、まるで暴走族のように飛ばして回る人がいる。歩いている人でも、ただひたすら、歩きの日数をちぢめるべく、周囲の景色や観光地に見向きもしない人がいる。
ある意味、これも質的には同じだ。
ミヒャエルエンデのモモは、時間泥棒に盗まれた時間を取り返しに行く話だが、私たちも盗まれて久しい。
で、探しに行けといわれても、途方に暮れてしまう人が大半だろう。
もはや、この社会では、時間泥棒さんはもう姿も形も見えない。
探せといわれても、手がかりもないかも。

もう犠牲者の方が増えないように祈りたい。


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