世界お遍路 千夜一夜旅日記

2005年04月30日(土) 暴走族

警察の統計によると、この頃、暴走族は減少傾向にあるらしい。
群れて縦割りが嫌われているらしい。
彼らも「温度」が低くなって、ミーイズム?

今日体験に来てくれた坊っちゃん、助詞が苦手だった。
お母さん曰く「そいうえば、この子、こういういい方しません」
「休みの日はあそん・・、ピアノをひい・・する。」
みなさん答えは?
そう「たり」です。
どうも「飯、風呂」系のお子さんらしい。

いまや男が様変わりかも知れぬ。

ビールを飲んだら眠いわ。
久しぶりに早寝するとしよう。




2005年04月29日(金) 106人

福知山線の事故106人の方々が亡くなって完了。
この中に、運転士は入っているのだろうか。
乗客、となっているし、入っていないのだろうな・・・
とすると、106+1人。
ご冥福を祈ろう。

高速道路でのバス事故。
フランスでも、日本でも。
日本の事故、亡くなった方はシートベルトをしていなくて、反動で窓の外に投げ出された方々らしいが・・・
バスでは必ず事前に「シートベルトをおしめ下さい」というし、していなかった人達の賠償の問題になったときに、やはり少し「相殺」になると思う。
私は、高速バスに乗るときは、シートベルトをする。
数時間の乗車だとしない人も多いけど、自分が事故に遭った体験から、事故が突然来る、と思うのでする。
しばらくは事故が恐くて、高速バスに乗れない時期があったくらいだ。
あの恐怖感は正しかったんだと思う。
みなさん、高速バス乗車の時はシートベルト着用、守りましょう。

ゴールデンウイークが始まる。
まあ、私には関係ないけど。
ちなみに、ある旅サイトの検索キーワードでここ数日間で一番多かったのは「岩手」らしい。
へえ・・・愛知とか、地球博だと思ったけど。
新潟は25番目にあった。
四国は、149番あたりからでてくる。
上位ランクは、沖縄と北海道系のキーワードが多い。





2005年04月27日(水) 電車も初心者マークが必要?

列車脱線事故がひどい状況になっている。
今朝は、伊丹のお遍路関係の知り合いにお電話してみた。
「娘の婿が使う線ですが、何本かまえに乗って大丈夫でした、お陰さまで」
とのこと。よかった。
亡くなられた方の中にはこの日に限り乗った人もいて、不運としかいいようがない。
姫路のお友だちからのメールでは、友だちのお子さんの友だちが亡くなられたらしい。
電車の行き先が母校でもあるし、何ともやるせない。
関東から関西に行くと、けっこう遅れるのは当たり前のような状況で電車が動いているなあ、関西らしいや、と思ったことが何度もあるのだが、まあ、ええヤンかではすまなくなっているのだろう。
思い出せば、チョー若いころに乗っていた京浜急行もかなりのスピードで飛ばして、さらにはオーバーランをしばしばしていた。
で、バックする。
「京浜急行得意のバック」
と、わらっていたんだけど、あれって今思えば危険なことだったんだよね。
初心者マークで冷や冷やしながら、走っている私としては8ヶ月の運転士の未熟さは他人事ではない。
電車も「若葉マーク」つけるべき?
で、若葉マークがついている電車は場合によっては乗るの止めるとか。
若葉マークの運転士ですよ、という情報は乗客にあっていいかとも思う。

今日も、折り込みチラシを入れてもらったけど、連休前で沢山のビラに埋もれて、目立たず。
ウーム。
開店休業「もへじ塾」となりそうだ。
予測はしていたけど、あたりだったなあ。
弟曰く「田舎は保守的だし、都会のように、なかなかはいそうですか、ときてはくれない。1年は地元にとけ込むようなつもりでやらんと」
いやごもっとも。
なんか、副業をはじめないと、ということになりそうだ。
もしかして、今年の運を供養碑建立のために使い果たしたのかもしれん私、である。



2005年04月26日(火) 嗚呼、ひどいよねえ

嗚呼・・ということばがふさわしい福知山線の事故だ。
JR西日本、遅れを1秒ごとにチェックしている時期だったらしい。
1秒ごと・・そりゃ、運転士にはストレスだよなあ。
なにしろ、1分以上遅れたんだから。
効率とスピードを良しとする現代社会悲劇といっていい。
もっとゆっくり出来ないのかなあ、この国。
それにしても、気が滅入る。
沢山の人が、あっと言う間もなく亡くなった無念のエネルギーを感じるよ。
ほとんど即死だったらしいし、死んだ実感なくて、家に魂さんは体があるような気分でお帰りになっていると思う。

本日の地元紙は、1面トップはこのニュースと、小林ハルさん(ごぜ唄)105歳の大往生。
春の万物がいきいきと躍動する時期に、二つの死のニュースだ。

・・・・・・・・・・・・・・
どうも、車で通る道筋にある小さなお稲荷さんに上がっている榊が枯れ木化しているのが気になって仕方なかったので、1週間ほど前に実家の榊と水をもって取り替えに行った。
お世話をしていたら、賽銭が上げられていて、それがお賽銭箱がないので散らかっている。
それじゃ、と100円ショップで買ったピンクのかわいい缶灰皿の上をはずして「おさいせん」とかいて設置。ガラスとかだと割れると恐いし。
で、しばらくしたら、また榊が枯れかけだ。
なんでだ?とよく調査したら、なんと地震のせいだろう、コンクリートでつくってある花入れの底が割れている。
水が漏れて榊はドライウッドと化すことが判明した。
ンじゃと、早朝(人目のない時がよろし)ペットボトル2Lの上を切って、重石にきれいな石を入れて、水を入れて、榊も新品で再度設置。
とりあえず、これで我慢して下さい。
よしよし??(という声は聞こえなかったけど、なんだかワタシ的にはよかったねと思ったから、多分そうだと思うよ)
お賽銭缶も、水が溜まることが分かったので、底に穴をあけてきた。
お賽銭、増えていたぞう。
ピンクで目立つから、入れる人もあるような。
お稲荷さんは「恐い」と聞くので、ウームだったのだが、通るたびに気になるということはメンドー見て、とメッセージでないかとおもって行動を起こしたわけであります。
やっぱり、私って、こういうの好きなんだなあ。
「気になって、気になって」だから、まあ仕方なかったのだが。
まあ、この地にご縁がある間は榊の供給はさせていただこうと思う。



2005年04月25日(月) あちこち工事中

今日は午後から、実家へいってきた。
道路の陥没がぐっと増えて、とにかくあちこちが工事中でまいった。
恐いのだ、車の運転が。
びくびくしながらやっている。
今日は郵便局まで車で行って、バックで入れる自信がないもんで突っ込んだら、出るとき大変でみなさんの大迷惑をおかけしました。
ああ・・・いつになったら、車庫入れがうまくなるンだろ?

3日間をかけて、同じ町内会50軒ほどに1軒1軒チラシをもって、ご挨拶に伺った。
選挙のイメージで。
予想したとおり、うちはもういっているんだよね・・ッって反応が多かった。
分かったことはこの地域は大邸宅が多いのに、老人世帯って家が多い。
爛熟地域なんだわ。
役所で介護保険の仕事している姪っ子曰く、あのあたりは高齢地域だって。
おいおい、こまった。
信濃川西がやはり若い地域よね。
場所選びの間違いだねえ・・こまったねええ。
それと、私たち大人ができるようなことはやらないの?っていう人も数人いた。
近くで出来たらいいのにと。
ウーム、そうか。
実際に人に会うってことはやはり、勉強になる。
面と向かって動くのが一番だと思った。
先行き暗いけど、いろいろと勉強させていただいています。
私によその家のチャイム押して、まるで飛び込み営業のようなことできるのか、と思いつつもやったけど、みなさん迷惑がったりせずに暖かく話を聞いて下さって、中には犬と仲良くなったお宅もあったりで、意外とおもしろかった。
じいちゃんがでてきた家では「俺も勉強しにけるがかね」だって。

私、営業できるかも、ね。
JA勤務の甥っ子曰く「ぴったり。できるよ、保険を売ったりしたら、きっとトップになれるよ」だって。
よううし、やってみるか・・というのは冗談ですが、自分の意外な面を見つけた3日間だった。



2005年04月24日(日) 頭が痛い・・日

いい天気であった。
悠久山のお花見で、ふだんはろくに車がいないところが渋滞ですごかった。

午後から、実家にいってハーブの種まきをしてきた。
芽が出たら、昔(小学時代)私の畑だった場所に、植え替えて、育てる予定。
このチビ畑で、マメを植えたり、朝顔を育てたりした。
で、夏休みは、この畑で育てた作物や花の観察日記、寄って来る虫(クモ)を捕獲して菓子箱に閉じこめて巣の作り方を研究したり、昆虫網でトンボをおっかけて標本つくったり(いま思えば、殺生なことをしたものよ)して学校にも提出したし。
わたしにとっての自然科学フィールドだった。
今回は、そこで、ハーブを育てられたら・・というわけだ。
カモミール、ラベンダー、スィートバジル、レモン香りのするエエエと・・なんとか、フェンネル。
カモミールは、お茶として体調崩したときにたびたびお世話になるし、自家製でお茶ができたらいいんだけど。

帰ってきたら、どうしてか夕方からアタマが痛い。
珍しいことだ。
頭痛薬を飲んでしばし横になるも、ぐっすり寝てしまった。
起きたら、快調だ。
要するに、睡眠不足の頭痛だった??



2005年04月23日(土) 山の雪

今の住まいは3F。
まどからの景色がいい。
鋸山と地元では言われる山峰がよく見える。
来たばかりのころは真っ白だったのだが、いまは山の地肌がでてきて、だいぶん白が減った。
お店に並んでいた桜餅がいつの間にか消えて、柏餅になっていたとさ。
で。
季節が変わったって言う感じがよく分かる。
今日の地元新聞の見出し「中越地震被災者の3割が家再建めどなし」だったか。例として、年金生活者の男性が、壊れずに何とかのこった車庫を解体して今後は住むと、といっているという話が載っていた。
今日は地震から6ヶ月である。



2005年04月21日(木) クジラ・・が、なつかしい

小笠原ホエールウオッチング協会のメーリングリストに入っているのだが、以下のようなお知らせが来た。
(コピぺです)

2005年4月17日午前、母島の長浜に弱ってほとんど動かないザトウクジラがいると
の情報が寄せられました。
この情報に対して、金子は同日昼過ぎに現場に行く機会を得て観察したところ、体
が白っぽく、ほとんど潜水せず、呼吸間隔が短い(2〜5分)ザトウクジラ1頭が、長浜の小さな湾内に留まっているのを確認しました。森は翌18日に母島にわたり、金子と母島の西側と姉島、平島、向島の岸伝いを洋上から探しましたが、このクジラを確認することはできませんでした。

このクジラは16日にも母島列島の姉島で見かけられており、その時も体が白っぽく
弱ったような感じだったとのことです。写真やビデオを見る限りでは、背中一帯に多数の線状の傷が見られましたが、傷口が開いていたり、血がにじんでいるようなことはなく、傷跡という感じでした。噴気孔の後ろから背びれの後ろにかけての背中が全体的に灰白色で、噴気孔より前と尾びれの背面は普通のザトウクジラのような色をしていました。大きさは成体サイズです(体長の推定にはいたりませんでした。少なくとも子クジラではありませんでした)。呼吸間隔は短く、また深く潜ることはなく潜っても水面直下にいました。映像からも通常のザトウクジラの泳ぎに比べると動きが緩慢でした。

21日11時現在、ザトウクジラがその後どこかの海岸に漂着したという情報はなく、17日以後のこのクジラの生死、足取りは不明です。
★★
なつかしいなあ・・・小笠原のクジラたち。
絶食しながら、生殖行動を冬の間して、息絶え絶えに北の海に帰る。
で、アラスカやベーリング海の短い夏の間、オキアミや小魚をとにかく食べる。
メスは、子育てをする。
アラスカのクジラたちはでっかい口でばくばくやっておりましたわ。
ああ・・・・なんだかねえ。
旅、行きたいねえ。
でも、アテネのパルテノンで聞こえたんだよ、「見るべきモノは見たり」
確かに、絶食クジラも飽食クジラも見たなあ。
小笠原、アラスカと。
見るべきモノは見たり、でもしかたないか。
また、行って良しとなったら、何かメッセージがあるだろうよ。
***
毎日のように行くスーパーに、越後製菓というおかきやさんの直営店があって、われおかきを超安値で売っている。
30円、70円、100円くらいで。
それがうまいんだ。
30円、70円だと、量も食べきりでいい感じだし。
このところハマっている。
やっと、蒼紫神社の桜が咲き始めた。
水芭蕉の方が一足は約、白い花を広げていて、これまたきれい。
こぶし、つばき、ひとりしずか、しょうじょうばかま、ねこやなぎのしんめ・・雪がとけると一気に花ほころぶ。



2005年04月20日(水) ご教訓??

人は、ことばを使い、ことばで考える生き物です。
 ことばは、人と人をつなぐ道具です。
 ことばの力をつけましょう、鍛えましょう。
 ことばと笑顔があれば、だれでも友だちになれます、世界が変わります。
 もへじコミュニケーションズは、ことばを習い、鍛える塾です。

というのが、5月からの塾の「ご教訓」だ。

休眠していた「造形塾 へのへのもへじ」も、造形・表現活動を通して、言葉と感性の畑を耕そう、種を蒔こうというものだったし、自分としては一貫性があると思う。
もへじ塾は、初めは3人だった。(その後1年ほどかけて20人まで行った)
また、そのあたりからの出発かな。
まあ、ボチボチで・・・(ホントはそれでは困るのだが)
ま、人事を尽くして天命を待つしかない、よね。

岡本敏子さんが亡くなった。
岡本太郎の養女で、「岡本太郎美術館」の館長さんだ。
お風呂場で倒れておられたらしい。
残念なことだ。ご冥福をお祈りしたい。

福岡の地震も、大変だ。
震度5強って、どんなかわかるだけのコワイだろうと思う。
先日来、朝、地震雲だ・・と思っていただけに、そうか福岡だったのかと思った。
酉年も地震が多いと聞くし、やはり今年もまだまだ油断できないのだろう・・

なお、地震について、検索をかけていたら、下のような記事がヒットした。
★から★の間、コピぺします。
私にとっては「そうなのか、やっぱり」でした。

★地震頻発ライン、新潟−神戸に・国土地理院
 国土地理院は19日、日本列島の最近3年間の地殻変動から、地震が起こりやすいユーラシアプレートと北米プレートとの境界が新潟から神戸を結ぶ帯状のラインにあるとの新説をまとめ、地震予知連絡会に報告した。定説では境界は糸魚川(新潟県)−静岡構造線(フォッサマグナ)にあるとされていた。「新潟−神戸構造帯」と名付けられたこのライン上では阪神大震災など大地震が頻発している。

 国土地理院の鷺谷威主任研究員らは、1997年1月から99年12月にかけて、日本列島の各地点がどのように動いたかを衛星利用測位システム(GPS)で解析、新潟−京都−神戸を結ぶ幅数十キロから200キロの帯状の北東から南西に延びるラインが東西両側から年間約2センチ圧縮されて変形していることが分かった。この地帯では過去に64年の新潟地震や95年の阪神大震災などマグニチュード7級の大地震が発生しており、根尾谷断層(岐阜県)や福井地震断層(福井県)、山崎断層(兵庫県)などの大きな活断層もある。〔共同〕★

なお、神戸から、淡路島へとラインは続いている、ということは徳島へ。中央構造線だわ。
で、意外と、福岡のほうに抜けていたりして。通説では阿蘇の方へ中央構造線は行き着いてわかんなくなるらしいけど。
まあ、フォッサマグナも、実は、諏訪湖あたりから、犬吠埼方面へ抜けているラインもあるという話を聞くし(そういったライン上に神社がある。プレートの境は言ってみれば、レイラインも知れぬ)。
地面の底は神秘神秘の奇々怪々。
いずれにしても、早朝に地震雲がこのところで続けていたことは確かだ。
私事ながら、私ってこの地震ラインを移動したのね。




2005年04月19日(火) なんだか、春疲れ?かな

昔から、春が本格化すると一時期、ひどく疲れを感じるが、今年もそうだ。
今日は、昼からもう一つやる気がしなくて、ごろついてしまった。
早寝早起きで、いたかった右の背中脇は治ってきているが、まあ3月からの慌ただしさで疲れがでてきてるのやも知れぬ。
しかし、4月末から5月は、ボヤボヤしておられんし、まあもうひとがんばりふたがんばりしないと。

昼からのボヤボヤ時間で、瀬戸内寂聴さんの文にいい言葉を見つけた。
98歳の山田恵諦天台座主(すでに、というかかなり前に遷化のはず)が、ボケずに元気な秘訣は何かという問いに「はるかを見ること、はるかに思いを巡らすこと」と答えられたと言う話。
98歳で、はるかに視点を置くって、いいなあ。
今の私には必要なことかも知れない。
日記も早めに書いたし、早く寝に就こう。
早寝が一番!!元気のもと。

市中の桜は満開。
今日もぬくかった。
しかし、山はまだ白い。



2005年04月18日(月) どうなる?中国

なんだか、反日デモがすごい。
コワイよなあ。
90年代初め、私、北京に1ヶ月ほどいた。
そのとき、廬溝橋事件の「廬溝橋」に行ったことあるけど、でっかい抗日記念館があって、ひっきりなしに中国の青少年がきていたよ。
まあ、連れていってくれた中国人は「日本人はホントにこんなとこが見たいのか」とかっていっていたけど、私には、子どもに日本がいかに残酷なことをしたかを見せ続けている中国のやり方に怖さを感じたものだったが。
あるいはまた、南京の虐殺記念館にて、中国人が虐殺されるフィルム(イギリスだったかの放送局がとった)を見ているときに、見ている中国人たちの怒りエネルギーを感じて、ここで私が日本人て分かったら、アタマの一つや二つ殴られるかも知れぬと恐怖を感じたこともあったが。(1997年4月)
若き中国人は「日本」と聞いただけで、いつでも怒り爆発できるようなシステムの中で成長してきたことは確かだ。
あれらを思い出すと、今の爆発って分かる・・・
いわれるように、つまりは中国現政府のやり方や「負け組」になったエリート層のフラストレーションの爆発一つではあるのだろうけどねえ。
それにしても、教育が創り出した「日本憎し」「日本鬼」のイメージはしたたかに効いているわねえ。
でもま、日本製品不買運動っていうけど、現実的には今さらそれは出来ないでしょう。
だって、ソニーと、中国製品比べたら分かるし・・ソニー使いたいよ、みんな。
中国人、その辺は見栄っ張りだし。
それよか、日本で中国製品不買運動がおきたらどうなる??
あちこちの中国関係施設にいやがらせがあることを見ると、そんなことを考え出すやつがいそうな気もする。また、こじれまくる。
まあ、私は中国野菜、魚介類、買わないけどねえ。
農薬、海のただならぬ汚れの実態を見ると恐すぎる。
それと、今世界中に日本レストラン多いけど、やっているのって、現地の人が多い。中国の日本レストラン襲撃しても、日本人がやっていることより中国人経営のことが多いはずから、仲間内でダメージを与えているってことなんだけどなあ。
その辺のことは国内で報道されているんだろか??
いずれにしても、日本政府(小泉)の無策が招いたことだとは思う、この点ではえらそーで不快な中国政府の見解に賛成だ。



2005年04月17日(日) やっと花見の季節

先日、町内のお花見会というチラシがポストに入っていたので、今日、一升瓶を持ってご挨拶がてら、行って来た。
町内会の人達は、まあご年輩系だけど、わたしがこのところ出した看板はしっかと目に留めてくださッたようで、ああ、あそこですね・・といって下さった。
どうやら、認識はして下さっているらしい。
やれやれ
会場になった児童公園は、五分咲きくらいだった。
昼からは、実家の手伝いで日が暮れた。
帰り、母がウチについてきて、どうせオマエのやることはダメに決まっていると、失敗する、とお決まりの毒づきをして帰って行ったわ。
これまたやれやれ
あの母とは、ホントに前世は敵味方だったんだと思う。
まあ、私は強いヤツだからめげずに闘うけど、気が弱かったら、いまごろあの母の口に毒殺、というか、封殺されているね。
何の因果で親子となってしまったのかねえ・・・・・・
時代が下っていたら、私、拒食症とか(笑、過食気味ですが)、引きこもりとかね。もしかしたら、親の言葉に傷ついて自殺未遂くらいはするねえ。
いやはや、それくらいひどい我が母の口です。
でも愚かだと思う。
なんで、言葉を発するなら、もっと明るい、相手ががんばろ、と思うことをいわないのか。
人は言葉で元気にも青菜に塩にも如何ようにもなるということがあの年にしてまったく分かっていないのが悲しい、というかオバカすぎる。
でも、ホントバカじゃないのに、どうして口がああなのか私にはいつも不思議でしょうがない。
もっとも、弟にいわせると、母の兄姉はみんなあの口の悪さで、家庭を壊しているという話しだが。(いわれてみればみんなお嫁さんに嫌われて別居宣言されているねえ)
「まあ、言葉や口は育ち方だなあ」と弟はいうけど、確かにその側面ある。
ま、反面教師で勉強になりますが。
悪い見本になってくれる親というのも「いい親」かも知れぬ。
大事にいたしませう。

今日は、強い風が吹いた。
この風が吹くと、新潟に春が来たっていう気配が漂う。
でも、山際の仮設住宅のあたり、まだ雪の固まりがごろごろしているが。







2005年04月16日(土) へんろ館へ「遍路道中物故者供養の碑レポート」アップ

掬水へんろ館の館主さまと、先日来何度もメールのやりとりをしていたのだが、「遍路道中物故右者供養の碑」のレポートを「掬水へんろ館」にアップしていただいた。
お忙しい中、ありがとうございました。

当日は、私はウロウロ状態で、ろくな写真も撮れなかったのだが、参列・お参り下さった快速へんろさんやへんろいしさん、大洲のkさん、みなさんが写真の使用を快諾下さったとのこと。これまた感謝。
沢山の方々が見られるサイトなのでこれからお参りになる方々の目に止まって、足を止め、車を止めてお参りいただけたら、と思う。
今日記を読んでくださっている方も、掬水へんろ館の新着情報、ご覧下さいね。
あの供養碑が忘れられない活動をする、と決めている、その1つが館主さまにアップしていただくことであった。
よかった。
次は何するかな。



2005年04月15日(金) お言葉ですが・・

供養碑報告書がとどいて、あちこちからお便りをいただく。
ありがたい。感謝。
しかし、結びの言葉に「ますますのご活躍云々・・・」
形式的な常套句と分かっていても、申し訳ないが、あんまり居心地よくない。
おしりがむずむずする。
よく読んでもらえば「3月22日に死んでよし」(事故よりこの方、余録を生きてきたような・・)とこちとら、書いているのに、なんで常套句とはいえ「ますます」に??そもそも「ますます」なんて活躍してないよ。
また「故郷に帰られて、お母様は大変に喜んでおられるでしょう、、云々」というやつ。
ありがたいが、実情をご存じないと、歯がやや浮く。
こちとら、母親とは犬猿の仲、前世は敵同士かと言うくらい。
しっかるにあちらがすなおに「喜ぶ」わけがない、のだよ。
ウチの母親が素直に喜ぶようになったら、彼岸が近いと私はみている。
または「良寛さんにでもなられるのですか」
空海の世界史上初の「公立学校構想」(綜芸種智院創設)に惚れている、というか尊敬している私がどうして良寛???あのお方は禅だぞよ。
空海の公立学校構想は、学ぶことが人を幸せにするという今も古びない思想を土台としている。それはするどく時代や人の本質を見つめた考え方だとわたしは思うし、それに共感する私は良寛???はあ・・・である。
ありがたき身に余るお言葉ですが、なんでやねん・・・・
「きれいな空気の下で、元気に再出発されたようで、安心云々・・・」
はあ、まあ・・そりゃ元気ですわ。今ンところ病気もせずに3月22日に死にもせずに、なんだから。
しかしねえ、まあ、カラ元気だわねえ。ださないよりましな・・・
孤独で厳しい戦いを控えている、というか、いましかかっている、ということを少し黙考してくだされば、とても、元気に再出発とはいえまいと思うのだがねえ。
きれいな空気なら、南国徳島の方がずっときれいでやんしたわい。
水も徳島の方がうまかった。
信濃川の水はもうひとつっす。
ありがたいお便りだが、なんだか的はずれで「はあ・・・・」と当惑顔でいうしかない。残念、すみません。
シンプルに
「最初はゆっくり、やがて順風、すばらしい航海が待っていることでしょう、がんばれ!」と書いて下さった、破磐神社の宮司さんの言葉がいい。
または
ある方は「あんただったら郷里でまだ、何か出来る、がんばれる」
あるいは
供養碑の開眼供養の時に来た愛媛新聞のI氏、私の年を聞いていった。
「そうか、まだ、郷里に帰ってひと仕事できるな」
言外に「がんばれ」の意をこめて力強くいってくれたモノだ。
この言葉あたりが、私は一番しっくりくる。
安易にガンバレを使うのは嫌いだが、今の私の場合は「まだまだ」状態だし。やはり「がんばれ」だよね。
「ひと仕事できる」の響きが好きだ。
ひとに言葉をかけたり、便りを書く難しさを考えさせられているこの頃。
ありがたい、感謝と、柳に風で行ければいいのだろうが、そこまでニンゲンが出来ていない、まっこう勝負、かつやや斜に構える私の困った性格あらわな本日の日記でした。
なんてヤツだい、かわいくないよなあ・・まったく。(内心のもう一人のワタクシの声)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
もう一つ、困った事件。
京都の聖神中央教会の少女強姦牧師さん、困ったもんだ。
最悪、恥を知れ、だわ。
それにしても「自分の言葉は神の言葉、いうことを聞かないものは地獄に堕ちる」って、聖書には地獄に堕ちるって概念てあったっけ??
たしか洗礼をうけてクリスチャンになれば、天国にいけるけど、それをしない異教徒はいけない、というのはあるけど、地獄に堕ちるはないような?
ネットでキリスト教の総合HPみたいなモノを見たけど、この事件には一言も触れていなかった。
異端の牧師がやったことで自分らとは関係ないということなんだろうが、しかし、外から見たら、やはりキリスト教の牧師様なんだよね。
「関係ない」という態度は、なんだかなと思った。
少なくとも、彼は牧師としてはもぐりではないのだし、同じキリスト者として被害を受けた少女たちに何が出来るのか、くらいは考えてああいったサイトでは書くべきではないのかなと思う。
それにしても、あの牧師さん、外側の顔は「牧師さん」
常識人のお顔だ。
砒素カレー事件の林ますみが「悪女」の顔してないということが話題になったことがあったけど、あの「パウロ永田」こと金保牧師は、やはり「性異常者」の顔はしていない。
だまされるよねえ。
人の本質を見抜くのは難しい。










2005年04月14日(木) 桜咲く

やっと咲いた、北国の桜。
今日はいい天気で、朝から気持ちよかった。
朝から出歩いて、帰りがけに見ると、寒々とした花見ちょうちんのみ下がっていた福島江縁の桜の木が、ピンクになっていた。
木が色づくと花がさく。
桜って、ホント、すごいな、と思う。
事実、ちらほらと開花したものあり。
やっと春が来たね。
昼から、用があったので実家にいったら、ふきのとうの天ぷらや、ふきのとうの酢味噌をもらってきた。
天ぷらは絶品、今晩のおかずだ。
私の大好物である、うっしうっし、うれしいなあ。
今晩は、酢味噌を肴に、「越州」(久保田をつくっている酒造元が出しているお酒、おいしいよ)飲もう!!
雪もずいぶんとけた。
東山の方に「雪形」が出始めたらしい。
雪形とは、農耕時期を知らせる残雪の形だ。
昔の人の知恵だね。
雪が溶けると、昔聞いた雪ン子の話を思い出す。
雪降り時期にやってきたかわいい女の子が、春がちかずくにつれてだんだん元気をなくして仕舞いに溶けちゃうという話。
最後は二つあって、村の子どもたちと遊んでいて、たき火を飛ばされて溶けちゃったというバージョンもあったように思うが。
昔は、ナニゲに聞いていたが、かわいい女の子が、火をとんで溶けちゃった、というのって、絵として想像するとかなり残酷というか、シュールだ・・・



2005年04月13日(水) 穴の位置が次々変わる・・・

雪がとけてきた。
雪解けと直接に関係ないだろうが、困るのは道路の陥没があちこちにできていることだ。
毎日深くなるところあり、新しくできるところありで、よっぽど気をつけていないと、車が落ちる。
こわーーーい。
地震で壊れた道路、主要なところはかなり直してはいるが、せまっこい路や郊外はまだまだ。
道路の亀裂が深くなっているところもあって、これまたこわーーーーい。
はまったら、ハンドルとられそうになる。
こわーーーい。
今日は、初めて母を乗せた。
ウインカーだせだの、ミラー見ろだの、まあうるさいこと、うるさいこと。
うるさいだろから、後ろに乗っていただいたのだが、でもやっぱりうるさい。

分かっているちゅうねん。

最後に「とにかく、1年くらい真剣に乗れや、上手にならん」
はいよ。そう思っています。




2005年04月12日(火) 金魚ってなつくよ

意外や、金魚は賢いようだ。
階段を上ったとこに水槽を置いているのだが、私が上がっていくと振動で分かるのか、もこもこと寄って来る。
で、私がのぞき込むとやっぱり5匹そろって、私の方をむいてひらひら泳ぐ。
ウーム
賢いじゃん。
エサやると、喜んでいる様子が手に取るように分かる。
かわいくなってきたぞうさん。
金魚のHPをみたら、雌雄の見分けかたで、追星(えらの辺りにでるかすかに斑点・発情しているオス)と、おしりの形で見ると書いてあったが、どうも、ピンポンくんは、くんでなくて「さん」みたい?だが、あとは見当もつかぬ。
金魚、これまた意外や奥が深いぞ。

琉金さん達のお名前は
琉金のリュウにちなんで、ドラドン1号、2号、3号としたわ。
イージーすぎるって?
まあいいじゃないのよ。

近所の桜のつぼみが膨らみ始めた。
高田で県下初咲き。



2005年04月11日(月) 怪電話、深夜中国を想う

やることがあるのに、夕ご飯のあと、ホットカーペットの上にごろんとしたらあれあれ、夢の国へ。
そこに、電話がなった。
時計を見れば、深夜1時近いではないか。
不気味だ。
どうせ間違い電話だろうと、ほって置いたが・・・いったんきれて、またなった。
いやだねえ。
起きて、やることやんなさいということかいな、と起き出してまずは日記を、と書いているが、塾の看板を頼んで、・そこにでかでか電話番号を書いたので電話なのか、とやな気分だ。
こんな事が続くようだったら、看板の電話はつぶしてもらわないといけないだろう。もしかして、空き巣の居住者確認の電話かも知れないに、だとすると警察に相談だね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

地震、中国の反日運動。
気になる。
地震は、先日来、地震雲がでていたし、千葉であったか、と思ったのだが。

反日運動は、要するに小泉及び自民党の政策の破綻の一つだ。
やはり、ご近所の国とどうしたら仲良く付き合えるか、という配慮が欠けているように思う。(別に弱腰でいいといっているわけじゃない)
それと、中国国内の不満の爆発。
なんといっても、この色合いが強い。
彼ら中国人は「抗日」というけど、「抗日記念館」って各地にあるもんなあ。
抗日という言葉は、彼らの頭には、もう少年宮のころからインプットされていていつでも、火がつくように教育がなされている。
この導火線というか火種を元に、国内の貧富の差、自由のなさ、矛盾・・それが抗日運動という形で爆発した。(夷や、していると書くべきだねえ)
と私は考える。
1997年に、長江を重慶から船で下ったときに三峡ダムができて沈む辺りの人達は中国の富裕路線から見放されていた。
北京や上海では、日本で手に入るものはなんでもそろうご時世だったが、かの地では時間が止まっていた。
何しろ、万県だったか、李白は住んだ地として有名な町でホテルに入ったら「ニイハオ、トンジ(同士)」といわれて、オオ、同士・・この言葉、まだ死語ではなかったのか、と感じ入ったことだった・・・
初めて文盲の女の子にあったのもあの地域だった。
すごくいい子だった。
あの子に会ったとき、もしかして文字が読めるってことは人が悪くなるってことかな、と考えさせられたもん、あんまり汚れのない子だったから。
思い出せばきりがないが、言えることはあの国の貧富の差(いわゆる湾岸地域と内陸地域のすさまじい格差)は日本人の想像の域を超えると思う。
8回行った中国だけど、だんだん嫌いになった。
で、好きだった中国映画も、この旅で出会う「嫌い度」に比例するようにおもしろくなくなった
でも、忘れられないよき思い出がどの旅にもある。
だから、中国人は総体としては好きだし(ただ、負けるよなあと思うこと多々あるが)仲良くしたい国だよ、私としては。

でもま、、多分彼らの中国人の周囲は、日本製品であふれているだろう。
不買運動は追いついていかないだろうと思う。
まあ、チョーうがった味方をすれば、力をつけてきた中国国内の経済界や産業界が日本および製品のボイコットをすることで自分らの力を伸ばそうとしているのかも知れないし。
今回の運動を先導したのは、日本製品や日本の政策への反対を唱えるインターネットサイトだというし、彼らへ前述のような面々からお金が流れている可能性は十分にある。サイトは、もう自分らは知らないよ、という声明を出したようだが、コントロールできなくなっているということより、もしかして飛び火が、今度は中国国内の富裕層、経済界にくるのを恐れてのことかも知れぬ。
まあ、三国志の国だからなんでもあるだろう。
中国と合弁、共同出資するのはリスクが大きい、とは以前からいわれ続けていたことだが、やっぱりとダメを出されたこよ。
しかしねえ、あの国や韓国とはつながりの深さやご近所でつき合わないということが不可能だ。
もっと、政治がうまくやるべきだろう。
小泉くんじゃ、ダメだよう。しかし、代わりがいないのだねえ。やっぱり、地震で沈む国なのだろうか?



2005年04月10日(日) 金魚さんがきた

なんか、生き物がいたら・・・ということで、今日は、あったかいお日和の中、姪と巨大ホームセンタームサシへ、金魚ちゃんを買いに行った。
熱帯魚のようにすばやく動いてやけに美しいものより、のったら、くっら、ホリホリと動く優雅な金魚がいいと、わき目もふらず、金魚の水槽へ向かう。
熊野古道を歩いたときに「金魚茶屋」なる地名が残っていて、お茶屋さんが金魚を飼って、旅人を慰めたことからついたらしい。
この優雅さ、風雅さがなんかいいなあと思っていて。

売場で、
姪が、キャーこれがいいといったのは、ピンポンパールなる、お腹がむくむく出た肥満系のもこもこ動くやつ。そこにはパールスケールなるヤツも同居していて、こいつも肥満気味だ。
説明によると、スケールはうろこのことで、うろこに石灰質が付着して盛り上がって、もこもこになるのだとか。
そうか、脂肪じゃないのだな。
変わった形だけに、飼うのが難しそうだ。
店員さんに聞いたら、そうらしい。
ウーム
しかし、動きの鈍さが、なによりよろしい。
この忙しい世の中に、もこもこ動くのが好きやなあ。
もすこしスマートで、動きが早い琉金は丈夫だと、と店員さんはいう。
異種の同居は可能か、と聞いたらよいというので、おでぶピンポンパール(この名前もいい)、パールスケール、琉金3匹を求めて帰った。
水槽をセットして、砂を洗って入れて、水草を入れて、金魚を入れたら、琉金たちはすばやく泳ぎだしたが、ピンポンくんがなんだか、すみで逆さまになったまま瞑想。
どないしたのよ??
もう死ぬんかいな、うそ。
しばらく見ていたら、尻から、ニュルっとウンチをした。どうやら、瞑想は、ウンチをひねり出す時間だったらしい。
ウン、ピンポンくん、オモロイぞ。
ピンポンくんの名前は決まりだ。
ピンポンの親戚はパール、あと3匹の琉金さん達にもお名前をあげないとねえ・・・。なつくらしいし。

ところでさっき見たら、ピンポンくん、おしりにウンチをつけたまま泳いでいた。まいったね。
けっこう、個性的なヤツだ。





2005年04月09日(土) エンヤ

モーツアルトが好きな私が、このところ、エンヤだ。
モーツアルトさんをかけると、なんだか、体の奥の方がかすかにイライラするというか・・・なんだな。
多分、モーツアルトの曲が底の底に持っている一種の不安が私の今置かれている状況と連動して「かすかなイライラ」になるんじゃないかと・・と勝手な解釈だが。
モーツアルトさんは、天才の故に、人が実は感じている生物としてのニンゲンの不安を的確に曲の底に秘めているとわたしは思うのだ。
そのあたりが、私をしてモーツアルトファンならしめているのだが、今や、逆に私の内にトゲを立てる。
つまり、私もこれはずいぶんストレス感じているのかいな、と思った方がよさそうということだろうか・・・
と愚にもつかない自己分析をしている。
でも、しかし、
エンヤは、特に「ケルト」を聞くと、ほぐれんるンだな・・・
なぜだろ。
以前、エンヤを聞いている脳はリラックス脳波がでているとなんかで読んだことがあるけど、そういうことと関係しているのかしらん。
後、以前ポルトガルで購入した「ファド100%」とかもいい。モンゴルのホーミーもいいなあ。これオランダのストリートミュージシャンから。
音楽って、力があるなあ、と思う。

このところ、右脇腹上の背中の肋骨の辺りがずっと痛い。
交通事故の後遺症の一種かも知れないけど、極度に疲れてくると、腰の辺りの骨がずれるんだな。
そのせいだと思う。
これは、横浜でお世話になっていた鍼灸医さんに修正してもらうとイイんだけどな・・・と思うが行けないのがややつらい。
無理せずにしっかり眠って・・をしているウチにボチボチだと思う。
モーツアルトじゃなくて、エンヤがいいとか、痛いとか、体があれこれ信号を送ってきている。
ありがたきかな、内なる声よ。
内なる声が聞こえなくならないうちに、夜中まで起きて、バリボリするのはしばらく止めとこ、というこの頃。

日中、だいぶ暖かくなってきた。
桜開花はほど遠いけど。
今朝は、氏神さまの蒼紫神社にお参りに行った。
ついでに、駐車場で、車庫入れの練習したんだけど(^^;)
神社境内は、雪もまだ多いけど、なにより、地震で倒れた灯籠がまだ散らばっていて痛々しかった。
子どものころからなじんできた神社だが、あちこちの神社を見てきた目で見ると、なかなか立派な神社だと改めて思った。
ちなみに祭神は、天照大神、白山大神、出雲大神(これって、大国主さん?だよね)、後、、長岡藩主の牧野なんとかさんでした。
この、牧野なんとかさんが、江戸期にこの地に神々を勧請して長岡の守りとしたのがこの神社だ。
白山大神、この地域が「白山信仰」の文化圏なんだな、と思ったことだった。



2005年04月08日(金) お不動さん歓迎会

本日、お釈迦様のお誕生日に、お不動さんが見えた。
供養碑のお写経を入れるためにくりぬいた石でこしらえていただいた。
徳島から引っ越すときに、はっと気がついて「離れてしまうとよすががない・・」。で石屋さんに電話したら、1ヶ月も前にくりぬいているので多分無いだろう、との返事だったのだが、あったのだ。
どうやら、私を待っていてくれたらしい。
それで、破磐神社の宮司さんに、石を見てひらめいた仏さまを彫ってもらえばいいですよ、と教えていただいて、ひらめいたというか暗示的に目に飛び込んできたのが「峰寺」の本堂上がり口にあるお不動さんだった。
それで、お不動さんになっていただこう、だったのだが、何しろ、石が25センチほどしかないし、座り不動さんのレリーフになってお越しになった。
優しげな、どちらかというと内気そうなお不動さん、石の大きさの関係で、なかなかくっきりとはいかないだろうといわれていたのだが。
おいでになってすぐに、お水とお線香をあげて般若心経と不動真言。
その後、愚さんにいわれたように「36不動の経本」初めから終わりまですべて、読み上げた。(唱えるって感じじゃないよ、これまた初心者マーク)
夕方のスーパーに走って、あれこれ買って、御供えして、うまい新潟の酒も御供えしてまたまた不動真言。という「お不動さん歓迎会」をした。
まだ御供えしてるので、もう少ししたら、私はお下がりとお流れを前にていただく予定だ。
私がこれを書いている間に、お酒好きだと「長旅だったけど、新潟に来てよかったなあ」って、ほくほく赤不動さんになっておいでるかも知れぬ。
(ん・・なことないか)
父の写真やお大師さんにも、歓迎会メンバーで、今日は、御供え、御酒をした。
少し遅いけど「少し、白酒召されたか」状態である。
父は毎日お茶なんで今夜は喜んでいるかも。
36日間、36不動の経本を見ながら、お唱えするつもりだ。
何事もなく、36日間させていただけますように。
仲良くしていただいて、はるかな供養碑の守護と私の護りになっていただくつもり。
おへんろの最中、困ったことがあると札所でお会いしたお不動さん(一願不動さんが多かった)にお願いをした。すべてかなえていただいた。
今回も、私にとっては「大変時」だしねえ。
いいところに来て下すったわ。
さあ、そろそろお下がり頂戴するかな。
朝五時おきなので眠いのだ、すでに。



2005年04月06日(水) あったか

夕方、買い物にでたら、近所の桜名所の福島江べりに、ちょうちんが下がって「桜、いつでも咲け」状態になっていた。
おやまあ
でも、やっと近所の雪が見えなくなって春かな・・状態で桜は先の話だ。
考えることややること多すぎ。いいかげんくたびれても来ているし、しかし、時間はないし・・・・。
我が人生のピンチ!!の一つかもしれん(試練、かななんて勝手な変換をいいことに)まあ、振り返ること10年、昨年はともかくとして大半は、どう旅するか、しか考えていなかったわけだし、試練の定期預金が満期になって下りてきているのかもネエ。
しかたないねえ。
このところ、夜はお勉強、朝は5時半から起きて、ドライブ、が日課なので眠くてたまらない。
たまには早寝をしようか。
これまた「春眠暁を覚えず」となりたいものだが。




2005年04月04日(月) ADSL開通

モデムは来ていたのだが、このビルの電話回線の関係で、今日になってしまった。
久しぶりに自分のパソコンで書いている。
なんだかほっとした。(変だけど)
雨とお天気が交互で、今日は晴れた。
雪もかなりとけたが、まだまだ。
みんな、今年は寒いといっている。

今日は、2時半過ぎに電気屋さんが帰って、ヤレヤレ疲れたと思って、ホットカーペットに寝転がったら、そのままお昼寝、爆睡モードへ。
気がついたら、夕暮れ時の5時だった。
昨日は朝方3時半就寝、朝は6時おきで実家に走って、仏壇で経をよんで、母からぼたもちをもらって、帰って・・・半徹でつくった供養の碑報告書を出しに行って。
ホッとしたんで疲れがでたようだ。
久しぶりに、こんな明るいときにゆっくり寝たわ。

3月末に、左手の指をぐきっと音がするほどひん曲げて、ハタ、折れたかと思ったのだが、いまだにはれぼったくて鈍い痛みが収まらない。
どうやら捻挫か?最悪 剥離骨折か・・・。
電話が来て、坐ってゴミの処理の仕訳していて、立ち上がるときに手をついて、うっかり体重かけて、でやった。
これって、要するに老人的なケガだよね。
情けない、実に。
疲れとんのやな、と自分に同情してもねえ。

羽黒高校が負けた。
私の造形塾「へのへのもへじ」に来ていた子が、4番バッターでがんばっていたのだが。
残念!
まだ2年生だし、夏もあるし。
あの子らしく力が出せる高校に入って、よき出会いがあってよかった。
でっかいし、目立つから、部長とかにさせられて、中学の時はくるしんでた。
彼は、リーダーより自由に遊軍的にやる方が力がでるというのに、そういうことを見抜いてもらえなかった。
それと、監督から命令されるのもあんまり好きじゃないと思う。
私が作品つくるにあたって、困っているようなんでこうすれば・・といっても、イメージがちがうと、ぜええったいにせんかったモン。
いつもマイペース。
まあ、私はそれが大介の味だと思っていたが。
軍隊系の監督だとその辺りが大変であったようだ。

羽黒では、1年生から出してもらえるようだったが、自分から「先輩を出してやって下さい、自分は1年だからまだ先にチャンスがある」と監督にいったらしい。
この話をお母さんからのお便りで読んだとき、実は、甲子園出場以上にうれしかった。
大介、これからぐんぐん伸びそう、うれしい。

それから、私がこれからやるべきことに大介がヒントをくれた気がしている。



2005年04月03日(日) 供養碑の報告書

朝から文作りからかかって、紙を買いに行ったり、足りない封筒を買いに近所の24時間スーパーに走ったりで、明けて夜中2時半過ぎに全6枚、90通あまりの報告書を発送できるようにした。
やれやれ。
で、深夜3時少し前、ビールを飲んで寝ようとしたら地震だ。
震度2くらいかな。
横揺れが長い。
これまたやれやれ。
寒い。
関東地方から帰った看板屋さんが見積もりを届けに来てくれて、静岡は半袖1枚でよかった、よその国帰ってきたみたいだ、といっていた。
だよね。
ああ、お日様とぬくい空気がなつかしや。
ねよっと。
夢に出てくるかも、ね。



2005年04月01日(金) 一人で初乗り

5時半おきで、お車一人でご乗車。
どきどきしながら、実家まで走った。
ご無事でしたが、それは他の車がいなかったからだ。
まだハンドルぶれ気味だしねえ・・ちょーへたっぴで、我ながら怖い。
お仏壇に般若心経をあげてそそくさとご帰還。
うちの前の車庫入れ、3回失敗してやっと入った。
弟が、入れられなかったら、アタマから入れと結構なご助言をしてくれたが。
当分は、朝人気のないときに走ろう。
徳島の教習所の送迎ドライバーのおっちゃんが、車をこうたら、徳島市内やのうて室戸に向かって走ったらええ、あっちへ行く車は早朝は少ないし、練習するには朝やな、やっぱり、といっていたことを思い出す。
やっぱり朝やわ、だわ。

明日は、実家、アルバイトさんが2人来て「播種」(種まき)らしい。
手伝い来てくれとの要請。
私も多忙だが、やっぱり、これをしに帰ってきたわけだし。
供養の碑の報告書は1日遅れとなりそうだ。




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