世界お遍路 千夜一夜旅日記

2005年03月31日(木) いつの間にか・・・・

いつの間にか3月も終わりだ。
あれこれ山積みだ。
でも、沈思黙考せねばならないこともたくさんある。
「もへじ」を再開するに当たって、しきりと思い出して気になるのは、ある一人の男の子のことだ。
彼は、小学1年の2学期からの不登校生。
私のところに通ってきていたときは、すでに3年になっていたが、文字の読み書きが危うかった・・・・(彼は今どうしているだろうか)
学校はあれこれいわれるが、やはり最低の読み書きにおいては「効果」はきっちりとあるのだ。
不登校何万人の現在、それをしない子がかなり増えていると思う。
不登校の子は今やどこでもいる。
しかし、当地の塾は大方は進学にシフトしていて、今日なんて、さる塾の大学合格者が駅の通路に張ってあってびっくりというか、悪趣味と思った。
それも、偏差値の高い大学順で、文字の大きさまでちがうんだぜ、だ。
今や、塾の乱立で、子ども一人を獲得するのに、3万なんぼの宣伝費をかけないとだめだとか聞くし、これもそれなんだろうとは思うが。
やはり、わたしの今までの生き方の先に「もへじ」を再開するとということは、どうしても気になる、ついに学校という水槽に私の手で返してあげられなかった「残念!」の子のようなお子さんが、「水槽」に戻ってみようかというときに少しでも役に立つ何かをしてやれないか・・と思う。
それから、働くお母さんたちのお役に立てるような、とも思うが、これはまたぼちぼちと。でもま、一部の時間は、児童館が終わる時間を意識してみたいと思うが。
こんなことどもを考えている。

今日は、朝雪がちらついたが、思ったよりもまともなお天気になった。
午後から少しだけ晴れたし。
それにしてもお疲れで、夕食時にビールを飲んだら、「山古志村が長岡市と合併」のニュースを見つつ、爆睡。
1時すぎに起きて書いているわけであります。
今日こそ、パソコンを立ち上げようと思ったんだけど・・・・・明日はやるぞうさん。ADSLは明日だったかに開通だというし。



2005年03月29日(火) お祓いと車

朝6時50分、弟の学校時代からの友人で「三都石神社」の神主さんが来訪。
弟と母も来て、きっちりうち中のお祓いと弟が手配してくれた車もお祓い。
車は今朝弟が乗ってきた。
新車、スズキジムニーがいい、といい張ったのだが、家族全員の反対にあって、あえなく却下。私がぶつぶつ腹を立てている間に、弟がこれまた友だちの車やさんからさがし出してきた車がやってきたという次第。
赤いスズキのワゴンRだ。
「何で、車音痴がスズキノジムニーなんていうマニアックな奴に乗りたいんだ、あれは使いずらいし、高い」とは弟の弁。
ふん、だ。
今に上手になって乗るぞうさん。
まあしかし、家族の援助をしっかりと受けているおかげで、いろいろと前に進んでいっている。
おかげさまである。

今日来た弟の友人神主さん(関西では、宮司さん、関東というかこのへんでは神主さんというのが一般的のようだ)の神社は地震で、境内地に亀裂が入り、1の鳥居が倒れたとか。「立て直すのが大変だね、重俊君(神主さんの名前)」
「あの鳥居はあきらめて、2の鳥居や建物自体の補修をしようといっているなあ」
とはおとうとの言葉だ。
ちなみにきいてみたら「オキナガタラリシヒメノミコト」(神宮皇后)が主祭神である。破磐神社さんも、まつっておられるのだ。まことにまたまたご縁。それと、オキナガタラシヒメノミコトは、八幡さん(応神天皇・誉田別神)のお母さんで、毎度お参りに伺っていた八幡さんともゆかりだ。
うちには、100年ほど前にこの三都石神社を信仰していたご先祖さんがいたらしい。(掛け軸がでてきた)

午後からは次から次へと来客。
一番最後の日没後のお客さんは花屋さん、鉢植えのお花を山ほど届けてくれた。
気のない(人が長いこと住んでいなかった)うちのあちこちにおいて少しでも「生気」を、弟夫婦のプレンゼントだった。
ありがとう。

天気が猫の目のように変わる。
晴れ、曇り、一気に雪空、雨風、また晴れ・・・・・
北極圏に近い北欧の田舎空だ。
そんな空を見ながら、ほとんど、どこかしらない北の国へ長い旅に来てしまったような、不思議な感覚にとらわれてしまう。
雲は、徳島が断然美しかった。
なつかしいな。



2005年03月27日(日) いい天気

このところの日記タイトルは、お天気日記と化している。
それにしても今日はいい天気であった。
久方ぶりだ。
昨日なんて、吹雪いて雪が降り続いてつもったもん。
幸いゆうがた日が射してきて、溶けたけど。

甥が来てくれて、カーテンレールをつけたり、ブラインドを買ってきてつけたり。
少し、住まいらしくなった。
長いこと人がすんでいなかったうちなので、うちらしくするのが大変。

夜は姪が来て、お仕事マークを一緒に考えた。
ぼちぼちである。

気になるのは、パソコンが未だ立ち上がってないので、供養の碑の報告書を作成できないことである。
コピー機のリースが入ってからでないと・・・・位置が不確定で立ち上げにくい。
すみません、参加の方々、いますこしお待ちくださいませ。



2005年03月25日(金) 雪と吹雪・・・

早朝6時より、弟が軽トラックで来て、路上講習。
うるさい指導員だった。
うちに入る道が狭いんだわ。まだ雪の壁ができているし。
弟曰く「新車はまだ買わないほうがいいな、あちこちぶつけてろくに乗らないうちにぼろぼろだ」ということらしい。
私も、そう思う・・・とほほ。
でも、とほほばかりでは乗れるようにならないしねえ。
それでも、やっぱり怖いのよねえ。

今日は、晴れるかと思えば、吹雪いて、すごい雪降りになって・・・それを1日に何度も繰り返していた。
まるで、北欧の夏の終わりのような。
空を眺めていたら、ふっと、どこかはるかかなたの旅先にいるような気分になった。

電話配線・エアコンの取付工事、ケーブルテレビの工事。
出金だらけでやれやれ。
やれやれといえば、不動産屋の泣き虫お嬢さんが、上司と一緒に来た。
要するに、彼女のミスで実は昭和63年築が正しいということ。
私も、大家さんの顔つきを見て、この人の年を推測するに、昭和50年というのはいくらなんでも怪しいなあ・・・・もう少し、若い(築浅)ではないか、と昨夕に大家本人に確認を取ったばかりだったからまあ、上司付きで来ていうことはわかっていた。
しかしまあ、63年を50年に訂正して、物件情報の訂正についての誤りやそれが重大なことなんだという認識がなかったお嬢さんの考え方の問題を述べた。
事実、私は、2日前まで、やってくれたね、あの不動産会社は、って思っていたんだから。
上司は、まじめだけど抜け目なさそうな、ゴルフ場開発をしていたというお人。不動産系特有のしれっともできそうな気配を漂わせていたが、その側面は見せなかった。
あまり、得意なタイプのご面相(というか、ゴルフ場開発という無駄な自然破壊と汚染に携わってきた人とは距離を置きたいという私のスタンスの問題かもしれぬが。思うにゴルフは亡国のスポーツである)ではなかった。
横浜にすんでた時のクマタさんというもう75歳近くになる不動産屋のおじさんにはいろいろと教えられたけど、あと不動産屋でいい人かもねえ、というお方には残念ながらであっていない。
徳島の積和不動産の事務のお嬢さんもしっかり者でいい応対をしていたけど、さすがに業務をこなして10年でしれっともできそうな不動産屋の垢がついていたし。

強風で吹雪いている。
窓に雪が吹き付けてまるで真冬の様相だ。
しかし、ぼんやりと明るいので、空を見ればおぼろ月夜のような空。
春は来ているようだけど。



2005年03月24日(木) 雨のち晴れ

昨夜は、ペーパードライバー講習を申し込んで、初めて夜間雨走行をした。
何しろ、徳島の教習所で夜を走ったのは、場内だけ、雨の日は乗ったことなし。(いつも晴れまたは曇りであった)
で、初めての体験で、目の前で、歩行者をかすった車を見てしまった。
指導員まで、ああ怖いもんをみたっていうんだもん。
ああ怖かった。
いずれにしろ、長岡の一番車の多いところを走ってみて、こりゃのらんといかんわと感じた次第。
いつまでもペーパードライバー講習もないもんだ。
やるしかない・・
ということで。

夕べは、寝かけたところに、昔の知人より電話。
曰く、彼女ができた、とうれしそうな報告をしたかったようだが。
よくよく聞けば寂しさを紛らわすために入ったフィリピンパブのおねえさんとか。
×イチ2歳の子持ちさんらしい。
「結婚するかもしれない」
いいけどね。
私は、国籍とか子どもありなしにはこだわらないけどね・・・だけど、だ。
「子どもを育てることは忍耐もお金もいるけど。それから、フィリピンから来ている女の子はたいてい、母国の家族に仕送りをずいぶんしているよ。あなたは、子どもと彼女の母国の家族を背負うことができるのかな。精神的に経済的に。日本の子と結婚して、2人して生活を立ち上げることと訳が違うけどね。よく考えなさいよ」
 すでに、両親が亡い男だ。
で、彼の親がいいそうなことをいったら、声が沈んで「じゃ、がんばってください。俺もがんばります」ってことで、電話が切れた。
やれやれ。
先日の不動産屋の女の子といい、この電話の脳天気男といい、私はお説教婆と化しているわ。

今日は久しぶりに晴れた。
雪がぐんぐんとけた。
不動産屋の若い女の子を叱ったおかげで、速攻、2階にハウスクリーニングが入ってきれいになった。
これでまた一歩前進。



2005年03月22日(火) 帰る

夜行で帰った。
21日は、良い天気で、みなさんのご協力で、いい開眼供養になった。
43名(たまちゃんのお父さんとお母さんの作ってくださったお弁当が3個足りなかったとか)の参加。
3名前後と踏んでいたので驚いた。
なにより、お子さんたちをつれて見えてくださった方があったことがうれしかった。
大人だけでするより、未来につなげる気がするから。
感謝。
20日より、へんろいしさんが、私の足になってくださった、感謝。
山猿さんも、スズランを植えたり、石を運んだり等々、裏方のお仕事を手伝ってくださった、感謝。
なにより、すべてを支えてくださった笑顔の大師たまちゃんご一家に感謝。
・・・・・・・
さすがに今日はつかれて大した仕事もしなかった。
で、きちんと仕事しない口はよくまわる不動さんやのおねえさんとやり合って、おねえさんを泣かした。
「そもそも、不動産屋は、なにも生産しないで、人のモノをあっちからこっちに動かしてもうけているんだから、信用されない仕事だ。それだったら、とにかくどうしたら信用されるのか客の立場に立って考えて仕事しないとだめだ。そうすれば、本来的には、人間の衣食住に関わる重要性があるんだから、ありがとうといっていただける。それなのに、築年数をごまかしたとしかいえないやり方で物件情報を出して、私をだますようなやり方で契約を取って信用してくれ、というのが無理だ」
これで泣いた。
事実、築63年で物件情報を出しておきながら、契約書は53年だったのだ。
それと、2かいの部分にハウスクリーニングに入った形跡がないのだ。
で、いったら、うちは小さな不動産屋じゃない、マニュアルどうりにしてるからそんなことはないといいはるんで、極めつめけを呼びつけていったやったというわけだわ。
「男の人は、あなたのような女の子が泣いたら黙るかもしれないけど、私は残念ながら痛くもかゆくもないわ。でも、泣きたいんだったら、たくさん泣くといいよ。仕事で泣くのはみっともないけど、自分の薬になるし。ところで、あなたはわかっていて、ああいうことしたの」
「・・・いいえ、登記簿見て知りました・・ぐずぐす」
「じゃ、あなたの上の人間が入居者の入らない物件をおいしく見せるためにこういうことをしたのか・・・・あなたの上の40代か50代かしらないけどそいつをつれてきなさい。きっちり話を付けるわ。これは、訴えられても仕方ないことなんだよ、虚偽の記載で客をつったんだから」
「・・はい、わかりました。クリーニングの手配もします。信用してください・・ぐずぐず」
という次第。
昨日は、仏、今日は鬼・・の私でした。
みちけわし。



2005年03月17日(木) 無事帰着

徳島を10時発
福井のサービスエリアで、横浜から来た引越しやさんのK君は仮眠。
いい働きをする26歳の若者だ。
午後7時半過ぎには長岡に入っていた。
嵐のような天気だったが危なげのない運転。
荷いれは明日することで、彼はうちにお泊り。
横浜や東横沿線のかわったところの話をしていたら、時間が過ぎて関東の頭になった。
あっという間についたが、やっと、帰ってきたんだという、
気分で心身ともについていく気分になった。



2005年03月16日(水) 徳島最後の日記である

まだかたずけ終わらず。
そりゃそうだ、だって、まだパソコンつないでるモン。
で、最後の日記を書いて切ることにした。
今日は、かたずけおわっていないにもかかわらず、しかしけじめはつけたいと、シャワーを浴びてきがえて、お酒を1本もって、氏神さまの八幡様に参拝にいった。
朝は、女性の宮司さんがお勤めとお掃除をしておいでるのだが、昼間は誰もいない。しかし、あがることはできるので、お酒を御礼に奉献。
きっちりご挨拶をした。
行くときに、園瀬橋辺りで道間違いしそうになっているお遍路さんにあって、道をお教えして、ジュース代をお接待。
ご夫婦お遍路さんで、お泊まりは18番下の千葉だという。
時計は4時。
「あとどのくらいですか」
「たっぷり2時間ですね、がんばって歩いても・・。よかったら電車での近くまでは行けますけど」
「いいえ、歩きますんで・・」
そうですか・・・奥さんはしんどそうだった。
見送って歩きぶりをみていると・・・3時間はかかりそう・・・
お気をつけて。
最後の日に、お遍路さんに、道をお教えして、気持ちばかりだけどお接待できてなんだかうれしかった。
今日はとてもいい天気だった。
4月の陽気だ。
・・・・・
★昨夜電話があった。
「開眼供養、参加するよ。うちのかみさん、心配していたよ、ずいぶんお金がかかるでしょうに。お金持ちなんだな、っていっていた」
「お金持ちなんかじゃありませんよ、ないです、失業者だし。さんざん、放浪して遊んだし、ありませんよ。でも、しないと、安心して死ねないんですよ」
 そう、お金のあるなしではなくて、しないといけない、ねばならない、という内なる声がするだけなのだ。
お陰様で沢山の方々に過分に協力いただいて、私の負担(これも口数として通帳に入れたが)は予定していたより少なくてすんだ。さらには、石屋さんも、工事をしてくれた業者さんも、自分の儲けを少な目でやって下さったので、これまたお陰様だった。
とにかく大満足。
今現在、頭のてっぺんになんか落ちてきて死んでも後悔はない。(ただ、このうち中の惨状を見ると死ねんけどね)
★昨夜メールがあった。
地主さんの許可をもらった時に、紙の契約書をとったかと。
じゃないと、代が変わって、勝手に建てたと壊されても文句が言えないだろうと。
理屈は分かるが、しかし・・・それはあまりにも違和感だ。
こんな返事を書いた。
別個に書いていると、メンドいので、一部抜粋。

「遍路は四国じゃヘンドともいいますし、蔑視の対象でもあったわけで、その人たちの道しるべや供養碑は江戸期以来たくさんあったでしょうが、土地の賃貸書や土地を買い上げてたてたとは思いません。だから、コワされたり、捨てられたり埋められたり・・といろいろであったでしょう。
基本的に「好意」です。宮崎さんはいつもこういわれますよ。
「好意」で、ご許可くださったわけです。
私も、ご許可をいただいて木を植えたわけですが、「遍路石と供養碑の間の土地が必要になったら、いつでも、樹を抜いて下さい」といってあります。
それでいいではありませんか。
この世に不変はありません。
こういった、好意で土地の隅を貸していただき、私はボランティアで走り回って、石や諸々を調達し(だから、さまざまな人がご協力下さった)、賛同者は、苦心してお経を書いてご浄財を下さるこの一連の流れに値打ちがあるのだと思います。
これが「お四国」ですよね。
四国に1年しか居なかった私ですが、この辺りはなんとなくわかりますよ。
遍路の歴史や石の命の長さを思えば、「手続ききっちり、書面で残す」が、愚かしく、むなしく思えたりします。
**
石はほとんど不変に近い。
私が死んで、賛同して下さった人達も逝かれて、月日が流れて、石は石だけになる。
碑をよりしろに道行く遍路見守ってこられた「霊的存在」たちも、お浄土に向かい・・・やっぱり石はひとりぽっちになる。
中司茂兵衛が「我が身は死んで、残るは石ばかりなりけり」みたいな句を残しているはずだが、まさにその通りになるのだ。
拝まれることで、力をつけた碑を後の世の人達がどうするかは、私の知ったことではない。

・・・・・

明日は引っ越しです。
これから、パソコンもかたづけます。
しばし、失礼します。
1週間くらいお休み??それとも、甥のパソコンを使わせてもらえたらアップできるかな。
イヤヤ、家族とは一緒に住まないのだから無理か・・・




2005年03月15日(火) 庵治石のうんちく

庵治石(あじいし)の産地は、香川県の庵治町・牟礼町にまたがる八栗五剣山山麓である。
あの辺りをお遍路さんで歩いていて見上げると、白くえぐれているところが見えるが、その辺りが採掘場(丁場)である。
ホントの名前は、「細粒黒雲母花崗岩」というが、これは、実はポルトガルやインド、中国にもある。
だから中国庵治なる名前の石があるそうな。
「花崗岩のダイヤモンド」といわれていて、固い。
石英・長石を主成分とし、少量の黒雲母と角閃石を含む
構成鉱物のひとつひとつの結晶が極めて小さく、結合が緻密なため他地域の花崗岩に比較して硬い。
水晶と同じ7度という硬度のため細かな細工が可能であり水を含みにくいため、風化・変質に強く、400年は彫られた字が崩れたり、変色したり、艶がなくなったりしない。
ということで、「頑丈」で「強く」「いつまでも美しい」
外見の特徴は成分の黒雲母が微少なまだら模様に見えること。
「斑(ふ)<専門用語>」または「モク<専門用語>」と呼ばれる現象でよく研磨した石表面に黒雲母が特に緻密に入り、まだらな地模様に濃淡が出ることで、世界中の石材の中でも類がないそうな。
「遍路物故者供養の碑」にもこれがでている。
ワタシ的には、表面は一見地味な石なのに、一皮むくと見事な青白系のホントのお顔がでてくる意外性と美しさが好きだ。(これは一つものの自然石の場合だけど)

歴史的には平安時代末期から石の産地として知られている。
まだ掘ってはいるが、環境保護の観点などから、なかなか新規の開発ができにくい状況になっていて、残念ながら先細りの産業であるようだ。

お大師さんの故郷の石であるだけでなく、お遍路さんが見上げ、歩いた地の石でもある庵治石。ちょうどいいのが見つかって、いい石屋さんに巡りあえてよかった。

以上うんちくでした。
引っ越しの支度ができていないのにうんちくこいていていいのか、おい。
って自分に突っ込み入れている今日この頃のわたしでした。




2005年03月14日(月) ど、失敗・・・

今日は、役所や供養碑関係の清算、等々・・忙しくたち動いたあげくに、大失敗。
なんと、供養碑関係の書類が入った(精算した後だったので、ほとんど入っていないとはいえ、通帳も入っていた、なにより、みなさんの住所が書いてあって個人情報が・・・)クリアケースを忘れた。
役所、郵便局、銀行、買い物をした店、八幡さんの境内・・私のことだから、どれも可能性ありだ。
いったんうちに帰って、通帳を出そうとして、袋の中にないことに気がついて、またまた夕方に探しに行った。
いやはや。
どこにあったかですって?
バス、バスの中に置き忘れましたわ。
ありました、バスの案内所に。
ヤレヤレでした。
気が抜けて疲れましたわい。
しっかりせいや、まだ、気を緩めたらいかん、と天からしからた気がします。
ま、こういった忘れ方って、私の場合のお得意ですが。
つまり、バスに乗って、席のとなりに置いて、頭の中はしっかと違う世界のトリップで、降りるバス停が来て、はっと気がついてボタンをおして、すっ飛び降りる。でとなりに置いた荷物のことさえ忘れ果て。

さあ、また一仕事、お片づけ。



2005年03月13日(日) 設置完了

昨夜は、たまちゃんのお宅に泊めていただいて、今朝、あずかっていただいていた植木類や石の胎内にお納めするみなさんのお写経や行者さんお札をもって、たまちゃんとたまちゃんお父さんと共に現地に行った。
朝から、徳島から大窪寺付近は雪。なごり雪だ。
9時過ぎ地現地に着くと、やはり、晴れ雪。
お日様が輝いているのに、時折、黒雲が湧いて、雪が来る。
クレーンで石を釣り上げて、できている土台に接着する。
くりぬいた胎内に、お写経を納めて、本格的に石が立つときもっとも激しく雪が降ったが、例のごとく、作業ができないほどの激しさではなくて無事に作業完了。
終わったら、天気は回復して、青空の日本晴れ。
ああ・・・・よかった。
石屋さんは、多弁系ではないのだが「絶対に喜んでいただけると思います」
と、最近の電話では自信を持っていわれていたが、さもありなん。
すばらしい存在感でできあがった。
庵治の2メートル近い1本石、それに文字を刻み、お地蔵さんを刻んだ。
庵治特有の、外側は地味に赤茶けてふつうだが、いったん掘り抜くと、青白い御影がでてくる意外さと美しさ。
それが存分に生きている。
石好きとしてはうれしい限り。
「たんに文字をきざむだけにしようか、と思ったんですが、それではこれだけ目地の細かい庵治の最高品なのにもったいないと思ってね」
とは石屋さんの言葉だ。
ホントに、そう。
それと、なにより1本の自然石なので周囲の風景と解け合って美しい。
けっこう「絵」になっているのだ。
たまちゃんのお父さん曰く「そのうち、遍路の本に紹介されますわ」
そうかも。それくらい、風情と存在感あり。
これだけのために来ていただく方に、これならば、これだけ見に(拝みに)来ていただく価値あり、と。

碑の向かって右に吉野桜。左にはたまちゃんの好きなピンク色がかわいい「桜桃」(たまちゃんが、これいい、といったのでお父さんが寄進して下さった)
そばの法面に、梅、沈丁花、山茶花。
桜以外は、ちいさいながらも花を付けているせいだろうか、これだけ植えただけで場が変わった。

終了後、石屋さんとT石材さんへ。
2年前に亡くなられたここの社長さんが、98年からずっと、この碑建立のことを心配していて下さったのだ。
で、この社長さんと師と弟のように可愛がって教えていただいたという石屋さんにお願いしてお仏前に「おかげさまをもちまして、Tさんとご縁深かったO石材さんに今回のお仕事をやっていただきました」と、ご報告に。
これまた、肩の荷が下りた。
ところで、伺う前に石屋さんが「丁場にいってみますか」と、ふつうは入れない庵治石の石切場につれていって下さった。
「こうやってみるといかにあそこに建てたような細長い1本の庵治石を見つけるのが難しいか、見つかったのが奇跡のようなことなのか分かるでしょう」
確かに、そう思った。
まるまっちいのはあるんだよね。
細長系で2m、ない。

帰ってきて、八幡さんへ報告とお礼参り。
へんろみちのTさんへご報告。
などなど・・・・
今日は、まだ風邪治りきっておらんが、「みなさん、ありがとう!!!!」と叫びつつ、ワインなどで乾杯だ。










2005年03月12日(土) 明日天気になあれーーー

今日は、朝から、大洲からお客様。
しばしの時間、一緒にチャイをいただいて楽しかった。
ありがとうございました。

いまはまだ、昼下がりだというのに、日記を書いている。
ちょこっと、休憩タイム。
それに、夕方はたまちゃんのおうちに出かけるし。
明日の設置におつき合いいただくのだ。
お世話になりっぱなしである。
これまた、ありがとうございます、だ。

昨夕は、マスクして徳島繁華街まで、設置した供養碑に開眼供養まで巻く魔よけのさらしを求めてさまよった。
かなり、土地勘ができてきたのだが、さすがにさらし探しは困った。
でも、商店街の呉服屋さんでゲット。
これで、明日の用意万端。

21日の出席者は、25人から30人くらいになりそうだ。
場所を考えても、ちょうどいい人数だと思う。
これ1日のために、遠くから駆けつけて下さる方も何人かいる。
ありがたいことだ。

さっき、かたづけ仕事しながら、考えた。
昨年春にこちらに来て、
巡礼マガジン3冊の企画と編集執筆に関わり。
(32,33号なんて、特集のほとんど一人で書いたも同然だし)
車の免許を取り。
懸案だったけど逃げていた歯の通院治療の完了。(5本なおした、ウン十万円かかったけど)8月から2月まで通った。
これまた長年の懸案だった供養の碑の建立(予定)。
お四国でご縁ができた人達とと親しく楽しくおつき合いできた。
なんで、1年足らずで、この引っ越しよ・・といい加減腹が立っていたんだけど、結構短い期間にいろいろやってるヤンか。
太く短く生きた IN TOKUSIMA
と自画自賛。
まあ、父が亡くなって、地震がきたけれど・・・・
こんな1年もあるんだね。
しかし、結論からいうと、やっぱり、私は碑を建立に来た感じ。
遍路道の磁場の強力を想う、コワイことだ。
Mさんにお願いしっぱなしでは、彼の多忙さ、遍路道を守りしるべ石をつくる本来の仕事を考えればできていなかったろう(やりたくても、時間が足りなくてできない)と思うし。

さ、またおかたづけだ。







2005年03月11日(金) カエルの冬眠

ベランダの植木鉢の整理をしていたら、下にカエル1ぴき。
ビックリしたのか、
ものすごく迷惑そうな風情で、また植木の下に隠れよった。
やっぱりおった、夏から秋、よく鳴いていたヤツだ。
いっそ越後の国さ、拉致するど。

先日、ウンチロードでも、なぜか、半死状態になってうごけんヤツが転がっていて、私は死んでいるとばかり思って、はしっこへうめてやろうと思ったら、なんと生きておった。
で、田んぼに落下させて落着。多分、浮かれて出てきたものの、まださむてくうごけなくなったのだと思う。
徳島は春だ。
ひと雨ごとに、ぬくくなる。
雪の壁がある新潟は信じられないよな。

今関さんから、電話で「ホントに帰るんだね。気が変わっていることしたとか言うんじゃないかと思っていたけど」
いえいえ。
「供養の日の開眼供養が終わったら、その日のうちに失礼します。でも、碑ができたら、翌日死んでも、悔いが残ること、ないですねえ。長年の気がかりが終わります」
「もう四国に来ないの」
「いえ、年に一度くらいは碑の世話しにくるのが責任ってモンだと思っていますけどね」
なんて、会話をして。
今関家のうまい酒を飲めないのは残念だけど、ママこれも仕方ない。
20日、小松島のみその農園で、ソバうちがあるんでワタシにも声をかけて・・ということで電話して下さったが、これまた残念、無理だ。
心残り、いろいろありだが、それにしても、10年まえだれも知った人のいなかった四国に、山頭火じゃないがひょいっと来て、今、沢山のご縁ができて、名残を惜しんでいるって、つくづく善き10年を過ごした、と思う今日今夜。

風邪は自己流の漢方操作が功を奏して、かなりよくなった。
お陰様。



2005年03月10日(木) 風邪に効く漢方・・ワタシ風

喉から、痰のようなモノが出てくるようになった。
相変わらず、喉は痛いというか痛がゆいというか・・・でも、多分よくなっているのではないだろうか?
引っ越しのかたずけをしていたら、体温計が出てきた。
計ってみたら、昼間37度少しあった。
やはりあったか・・・ワタシ的弥生熱だ。
夕方には、6度台になってはいたが。
漢方薬の、カッコントウとショウセイリュウトウをお湯で溶かして、飲んでいる。
漢方は、西洋薬のように熱を頭から押さえつけない。
自然に出して、発汗しながら体のバランスを整える。
この際、少しの熱は出るがよし。
私は、漢方のこのスタイルが好きだ。
あんまり出たら、マオウトウをのめばよい。
咳が納まらないようだったら、バクモンドントウ。
バクモン以外は、漢方的にはかなり強いので、体力が弱っているときは、ケイシトウあたり。
なんて感じで私と風邪と漢方と。
医者にも行かず、漢方自分配合で、なんとか引っ越し準備がボチボチと。

今日は暖かい日だった。
花粉症の人は大変そうだ。
ちなみに、花粉症やぜん息にも、ショウセイリュウトウはかなり効果があるはずだ。
ただ、何分強い。
胃やお腹にくるのがねえ。






2005年03月09日(水) 時の過ぎゆくままに・・・

あっと言うまに3月9日ではないか。
今日もいいお天気だった。
しかし、風邪はぐずぐずしている。
昨夜はやや熱があったようだが、何しろ、この1年、熱を出すヒマもなかったので、体温計がどこに行ったかワカラン。
探す気力なし。
で、寝てしまった。
どっかにあるはずだが(というか、開けていない引っ越し荷物の中??)体温計と無縁だった昨年のわが健康に感謝したいもんだ。
心配して下さったメールによると、
*インフルエンザには次の条件があるという*
★地域内でのインフルエンザの流行
 (徳島は、北や関東ほどではない)
★ 急激な発症
※前触れとしての鼻水や咳、くしゃみなどが続くことなく、急に高熱になって気づく
★ 38℃以上の発熱/悪寒

で、多分、インフルエンザではないだろうと思うので、医者には行かなかった。
行ったら、マジに病人になりそうだし、それでは困るのだ。
しかし、今日は一日、ぶらぶら病状態で、さしたることもしないで1日が終わった。
荒療治としては、こもらないで、20キロも歩くといいんだろうとは思うんだが。
冒険過ぎてねえ。(悪くなったら、最悪だし)
でもま、いいやね。
体が休んでと、いっているわけだし。
改めて、冷えは大敵を実感した次第。
お風呂を休んでいたのだが、入るぞうさん。
いつもはメンドいので、シャワーですますのだが、さすがに今日はきちんと湯をためてはいろっと。




2005年03月08日(火) 続々と・・・

先日、供養の碑の基盤工事が終わったとの電話があった。
石屋さんからも据え付けの打ち合わせ電話があった。
松山のMさんからも、21日の次第についての詳細を書いて送るようにとの連絡が。
次々と、だ。
定員に達してお断りした方々からもお供えをいただいている。
ありがたいことなので、表のプレートにはお名前はもうかけないが、お名前とご宝号3返、感謝合掌と書いて納経と共にお入れすることにしている。
準備着々・・・しかし、
写経あと1名(+1+1)待ちだ。
これが来たらお写経をすべて和紙に包んで納めるようにする。

喉の調子はしぶとくよくない。
エヘン虫と、あちこちの痛さがなかなか取れず。
3月って、考えてみれば、いつも風邪を引いたり熱を出したりするんだよね。
熱は出さないぞ、絶対に。



2005年03月07日(月) 昨日の回答

お答えはカエルでした。

今日も、ケルルンクック日和でした。

今日は、メチャ下手な、「供養碑説明板」をペンキで書いて。
しかし、ペンキって、やっぱり字を書くのに適さないのです。
時間をかけたわりにはめちゃくちゃ・・しかし、なんとか読めるだろうと・・。
いずれ、プロに作成してもらって掲示しよう。
それまでのお目汚しとなるなあ。トホホ。
その
勢いでやらないといけなかったのが、21日おいで下さった方々に鮎喰川で拾った小石に「笑顔合掌(絵?文字?)H17,3.21 」と入れてお渡しすることで決めているのでその作成。
これまた、数時間の仕事で、疲れ果てましたわ、例のごとくこのできも、・・・・ああ、うまくないのよね。
ただ、これはヘタウマじゃないけど、石の力もあって「いい気」を発してとは思うが。いい気は心で・・我慢していただこう。

喉のイガイガ・・風邪、横這いやや上向き状態。
うがい、薬、さらには、使ったことのない、ホッカイロを背中の「風門」や足裏に貼り付けて、体の冷えからの回復を計っている。
大阪での「下準備」講座の時間が、部屋がすごく冷えていて、特に足が寒いと思いながら講座を受けていたのがよくなかった。
冷えはやはり、体の敵だ。



2005年03月06日(日) ケルルンクック

春のうた 草野 心平

ほっ まぶしいな。
ほっ うれしいな。
みずは つるつる。
かぜは そよそよ。
ケルルン クック。
ああいいにおいだ。
ケルルン クック。
ほっ いぬのふぐりがさいている。
ほっ おおきなくもがうごいてくる。
ケルルン クック。
ケルルン クック。

★ ★ ★ ★ ★

私の好きな詩だ。
3日ぶりに氏神の八幡さんにお参りにいったら、道筋に犬のふぐりが花盛り。
風は寒かったが、梅のいい香りを乗せている。
春だわ。
で、なんだか、うれしくなって「ケルルンクック」と、唄いながら、ぴょんこぴょんこ 歩いて帰ったというわけ。
ところでみなさん、このケルルンクックと春の訪れを喜んでいるのは何者だとおもいます??あててみて下さい。(^_^)/

昨夜から、喉がいがらっぽくて、チクチク。
風邪の前触れかと、カッコントウを飲んだ。
寝込んでおられんのだ。




2005年03月05日(土) やれやれ 徳島

3日朝に出て、大学時代の友人宅に泊まり込み2泊、「21日以降の下準備」をしてきた。
でも、楽しかりきことも多し。
3日夕方は、友人と彼女の大学生のお嬢と旦那さんと居酒屋で盛り上がり。
4日夕方は、そうほうさんとお知り合い(そうほうさんが先達として四国を案内された)と3人で鶴橋に繰り出して焼き肉とお酒たっぷり。
楽しい時間だった。
鶴橋は1度いってみたかったところで、行けてよかった。
で、本日は、午後から帰る前に破磐神社の宮司さんがお誕生日だというので(それも60歳の)姫路のDさんとお花をもってお祝いに、お参りをして帰ってきた。
忙しいし、お参りしないで帰ろうかなと思っていたのだが、宮司さんからお電話をいただいて「ああ、これはお参りして帰りなさい」ということだな、と思って参上したわけでありました。
9時30分帰宅。
疲れたが、雑用、重用、急ぎ用、さまざま。
それにしても、1年に2度の長距離引っ越し、トホホだ。
エネルギーもお金もいるわ・・・
もうしないから、こんなことは。今後はすべて、郷里を出発地にする予定だし。それに、四国も含めて長い旅は当分しばらくはでないつもりだし。
もっとも、四国は供養の碑は、1年に一度くらいは、1日だけでも様子を見てお世話をして・・ということを手足が動いて目が黒い間はしなければ、と思ってはいる。これは「責任」であって旅ではないと考える。



2005年03月02日(水) 昨日は南淡路で、明日は大阪・・・

昨日は、松山のHさんと、彼女の1番さんのお礼参りをおつき合いしたあとに南淡路休暇村へ。
レディースプラン、9800円でお料理は前菜やお作りに加えて「やみつき豆乳鍋」+スイーツ+フットマッサージ・・・温泉だったしお得でした。夜は天体望遠鏡でスターウオッチまでできて、目玉のようになった土星を見た。

今日は、大鳴門橋記念館と淡路人形芝居座を見て、3時45分で帰る彼女をおくった。
帰宅したら、届いていなかった写経の一部が来ていた。

引っ越しやさんから笋あって、なんと横浜から昨年運んできてくれた方が「あなたにも会いたいしね、行くよ」と、格安お値段で徳島新潟間を走ってくれることになった。
横浜、新潟、横浜という、大トライアングルだ。
日取りは17日になりそうだ。
でなければ、22日といわれたのだが、私は早く早くと動かないと・・と思っているのだわ。
あと2週間だ。

で明日は大阪の友人宅に用事もあって行く。
今年も昨年同様、この時期が忙殺状態だ。
今年でこういったことは終わりにしたい。

供養碑は、昨日に開眼供養のハガキを投函したのでとりあえずは1段落だ。
あとは13日の設置予定。
21日の段取りや準備をしたら・・という状況に突入する。



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