世界お遍路 千夜一夜旅日記

2005年02月28日(月) 閉店セール

今日は、夕方に思いがけず、そうほうさんが見えた。
休みができたので、88番に大学院の研究資料用のお遍路アンケートをくばりにいっていたんだとか。
忙しかったけど、カレーとサラダで歓迎した。
カレーはいつもはたまねぎを30分は炒めるんだけど、今日は忙しくて15分だった。その分、味は落ちていたように思う。
(しかし、おいしかった、といっていただけたが)
88番は雪が残って寒かったらしい。
確かに、高度があるから別天地だよなあ。
しかし、休みができると、休まずに研究資料集めとはえらいものだわ。
私だったら、グータラしそうだけど。

そうそう、ついでと行っては、ナニだが、アッシーくんになってもらってホームセンターに行って供養の碑のそばに植える「吉野桜」を買ってきた。やっぱり、「サクラ」はつきものだよなあ、と思って。

したいと思ったことの半分しかしないうちに1日が終わる。何とかして欲しい。明日は3月だ。
それにしても閉店セールのように、いろいろな人が見えて下さる。
明日は、松山のHさんがおいでになる。
(一緒に温泉行きだわ・・・またまた忙中閑あり・・・こんなにしょっちゅう閑があっていいのか、おい、と自問自答している私であります)



2005年02月27日(日) 写経宅急便、次々と

朝から、速達や宅急便屋さんが次々と。
偽の宅急便やさんも現れて、へんろ石宅急便屋サンは、お写経を自己配達にに見えられた。久米仙と共に・・・・これはついでと、忙しい私は、、アッシーくんになってもらった。
お陰で、公共機関利用だと午後までかかりそうだった用事を1時には終えて帰宅へ。
めでたく、おぜんざいの用意をしてたまちゃんご一家と山猿さんのお写経の到着(これまた自己配達)を待っていたのであった。
待っている間に、北海道のお遍路友人より筺
写経がうまくかけない、という嘆きと、だから間に合いそうもない・・・ということで。実に念を入れて、気合いを入れてかいてくださっているのが言葉の端々から伝わってくる。ありがたいことだ。
「心と念が入れて書いて下さっていれば、いいんです。別にコンクールをするのではありません。石の中に封印して、石の力になっていただくのですから、みなさんの心経に」とお返事した。
いただく写経には、たいてい一言そえられてあって、「ご苦労様です」とか「うまくないのですが・・」「へたで・・」とか。今や失われつつある日本人の謙虚を拝見してゆかしい。うれしい。

2時、山猿さんとたまちゃんご一家の写経配達便も到着した。
うちからお餅が来ていたのでぜんざい、ネパールの紅茶をいただいているのでミルクで茶葉を煮出したチャイ。
6人して、午後の一時をおしゃべりした。
たまちゃんは、写経に一生懸命に自分の名前を書いていて、上手だった。

楽しい時間、こうして徳島カウントダウンの日々が過ぎていく。
この10年、お遍路をして関わって沢山の人たちとご縁をいただき、ホントにいい時間をいただいている。




2005年02月26日(土) 肩がいたた、だれかが乗っている???

朝から、右肩から首筋にかけて痛い。
寝違えたか、と思っておとなしくしていたのだが、おとなしくしているだけでは始まらないし、やることがいっぱいあって。
で、夕方にかかった電話で「誰かがのっているんとちがうん?」
えええ・・・・???ジャジャジャンだよ。
供養碑は1度しかしない「事業」だからね。
もう、ご勘弁下さいませ。

夕方、雪が降った。
イヤ寒い、寒い。
石垣のTシャツ一枚がなつかしや。
それにしても、若者たちが南の島を目指すのはあのぬくさによって気分も身体もゆるんで「生きやすくなる」のだろうと思う。
それで、そこで定着生活もありということで。
なんだか、分かる気がする。

「おひな様カード」の報告書を完了。
発送するよう準備した。
なんだか肩の荷が一つ下りた気がする。



2005年02月25日(金) 大安吉日である

お昼ころ、供養の碑の基盤工事をやってくれる地元のI組さんから「今日、工事にかかったしな」と連絡があった。
今日は大安吉日だ。
いい日に工事にかかってくれたんだわ。
写経も大方集まりつつある。

28日を待って、開眼供養の案内ハガキを出そうと思う。
イヤ、その前に「山古志村おひな様カードのご報告を出さないといかん!」のだ。
やっと、写真ができてきたし、これから作らねば。

今日は昨日とうって変わった暖かい日だった。
春へ季節が確かに巡っている。

春が来て、3/21日以降が大変だ・・・
しかしお正月に破磐神社さんで引いたお神籤の言葉「新たに事をはじめててよく、種を蒔き・・日夜励めば神仏の加護あって・・云々」のお言葉を頼りにがんばるっきゃないなあ。



2005年02月24日(木) 南風の石垣から雪の徳島へ

朝7時10分の日の出を眺めにいった。
かなたから、オレンジの優しい色をした太陽が上がり、海が輝き始める。
白保の海というのは、上からにはただの珊瑚礁の海だ。
景色はよくない、ふつう。
しかし、地元の人にとっては「魚湧く宝の海」
昔から、農作業の合間におかずを簡単にとる、そんな漁が当たり前の海だったらしい。

南風が強い、じっとした空気。
今日は暑くなりそうだ。

今日の船で潜りに行く人たちは、あたふたと8時に出ていった。
私はゆっくりと食事をして、9時にさんご村へ。
それから、琉染で、少々高かったが、メモリアルTシャツを染めた。
で、12時前に戻ってタクシーで空港へ。
丁度船から戻った主人が、今度来たら、潜って海の中を見てよ、また来てねと送ってくれた。ありがとう。
この人の目もまたやさしいんだよね。

今日は「死者の正月日」で、食堂マエザトはお休みだ。
旧暦の16日に、お墓の前に御供えを持っていって宴会をする沖縄の風習の日なのだ。
沖縄のお墓はとてつもなく立派で、このお正月をするための屋根付きのものが多い。
1千万円級のお墓はゴロゴロ、中には1億なんていうのもあると聞いた。
この辺は風習も含めて中国的だ。

さて戻ったら、徳島は雨であったが、車には雪が残っていた。
香川方面の高速は雪で通行止めだったし。
石垣はTシャツ一枚だったよ・・・日本は広いわ。
それにしても、やっと徳島に帰ると「ヤレヤレ、戻った」気分になれるようになったのに、残念ではある。
多分、今年はこれで旅には出られないだろう。
来年のことをいうと鬼が笑うからいわないが・・・願望はあるけどまあ、そう簡単ではないだろう。
そんなわけで、マイレージの無料特典利用のこの旅が「最後の旅」でしょうなあ・・・(もう1回国内旅行をするくらいは残ってるんですけどね)
今度は身近に「小さな旅」を見つけないとねえ。

・・・・

写経が沢山届いていた。
なんとか3月1日までに全部届くといいのだが。








2005年02月23日(水) 白保村でひるね

朝またお風呂を浴びてご飯。
9時半頃にホテルをでて、ぶらぶらとバスターミナルへ。
今日のお泊まりは、白保村の「民宿 マエザト」だ。
早めについて、白保さんご村とそばにある「琉染」で、Tシャツを染めたいと思って・・・いたが、なあああんと着いて訪ねたら、どっちもお休みではないか。
研究不足じゃ。
仕方ないので、潮の引いたさんごの海をぶらぶら。
潮だまりで、魚や貝をいじめて遊んだ。
で、アーサ(海藻)採りをしていたおばあと、おしゃべりをした。
オバアは、私にもとって帰れ、土産にしろというのだが。
確かに朝のおみそ汁、ウマいっす。
しかし、ね・・・土産に内地に持って帰ったら、とろけていたりして。
オバアのお顔には深いシワが刻まれていてその奧にある目がすごく優しかったのが印象的だった。
宿に帰ったら、丁度、シュノケリングから帰った同宿者に遭遇、海の中の例の有名なかの有名な白保のアオサンゴはすばらしかったらしい。
私にも明日行けば、というお勧めがあったが、小笠原で3月泳いで体調を崩して散々だった思い出があるので止めとこう・・今、体調を崩しているヒマはないのだわさ。
マエザトは下が食堂で、おまけにここしかこのあたりで食べるとこがない。
まさに、石垣市内から30分、のどかな白保村なのだ、ここは。
でここで、ソーキソバを食べて、ぐっすりお昼寝。
で、4時頃に突如、火災警報装置が作動してたたき起こされた。
誤作動だったが、まあ起きてしまったことだし、また散歩にでた。
浜で、80歳のオジイと会っておしゃべり。
昔、長崎で働いていたとかで、息子は竹富の郵便局長さんだとか。
「今に竹富は内地の島になるよう」
いやまったく。
実は竹富島、すごい勢いで人口が増えている、それというのは内地の、それも都市部から、竹富に移住する若い人がふえてい、若者人口が80人いるんだけど、そのほとんどが内地出。
今にない地の島ということはそういうことだ。
80歳のオジイ、なかなか将来を見据えておられるのだ。

夜食事のあと、宿の主人が現れて、「まあ飲めや」
と八重泉をどん。
同宿者8名の宴会となったのでありました。

ホテルの方がもちろん滞在空間としては快適だけど、この「どん」的な交流、私、好きだなあ。YHの交流もこれ、だし。こっちの方が私には好ましい。





2005年02月22日(火) 石垣一周&民謡居酒屋へ

昨日は、あおい空とぬくい空気を期待していたのだが、ぎっちょん。
寒い、サブイ、さあむい。
竹富YHで、おじちゃんが(まだ、オジイというほどの年ではない)夜中の散歩(といっても、10時半、しかし竹富島は寝静まっていたが)に、カイジ浜(星砂の浜)へ、泊まっていた女性7人を軽トラックに乗せてつれていってくれたのだが、お目あての貝はいなかった。
残念!!
その貝、潮が引くと、海藻を食べにでてきていて、とって翌朝のおかずにしようと言うことだったのだが。
「寒いし、貝もでてこんなあ」
とのことだった。
時ならぬ寒さで、貝どもが、潮の引いた岩の影で寒さに震えて腹を空かせていると思うとかわいそうになった・・・もっとも、でてきたら、我らが餌食になって、明日のお汁の出しになるのだが。

のんびり気持ちゆるやかな感じの若い女の子6人と室蘭から来たという定年退職した感じの元気なおじさんとの語らい夜はなかなか楽しかった。
YHはこれがいいよなあ。
YHの本には、設備★一つで、確かにそうではあったが(しかし清潔)、おじちゃんのホスピタリティと同宿者のええ感じはよろしい旅の第一夜。
。。。。
で。
朝から雨。
めげずにおいしい朝ご飯(5品もあった)をいただいて、8時45分の船で、石垣本島へ。
島一周定期観光バスに乗る。
この天気にも関わらず、バスはいっぱいだ。
それも、秋田、山形、北海道、福島といった北よりのお客さんばかり。
「寒いしさ、お日様でない示唆、娘が連れてきてくれたんだよ」
とは私のとなりのおばあちゃんお話でありました。
よかったのは、川平(かびら)湾のさんご見学グラスボートとガイドのおじいの三線(サンシン)、昼ご飯の石垣牛ハンバーグ定食もおいしかったし、9時半から2時まで「4350円でこのツアーどうだったかい?高くはなかったでしょ」とガイドオジイが最後に聞いていたけど、ウン、確かに。
まあ、コンパクトに石垣のの概況がつかめたというわけだわ。
それとやはり、さんごの美しさが何とも・・・であった。

今晩のお宿は、ネットでとった「ルートイングランピア石垣」だ。
ここは、活性石温泉(いわゆるトロン温泉)の大きなお風呂があるので決めたわけ。
理想は、西表まで行って最南端の温泉に入りたかったが、西表はいずれゆっくり行きたいところだし、取っておいてということで。
1人にもかかわらず6Fの眺めがよろしいツインルームに入れてくれて、ラッキーだった。
で、即刻お昼寝。
昼からあがった雨で、島の空気は一気にぬあんとしていたし眠かった。
4時にパクンと目覚めて、一番風呂へ。
気持ちよし。
5時、町へ。
ぶらぶらして、島の牧場のジャージィー牛からしぼるミルクで作るソフトクリームを食す。
7時近くに居酒屋へ。
石垣牛のお寿司、もずく、マグロのキムチ和え、枝豆、地ビール。
問題は枝豆だった。
すごい量が来て、おまけにうまいのだわ。
冷凍じゃない。
で、このうまい枝豆でおなかいっぱいで、惜しいことをした。パパイアの薩摩揚げとか、グルクンの唐揚げとか食べたかったのだが。
で、8時に、民謡居酒屋「安里屋」(あさどや)へ。
YHのおじちゃんが教えてくれたお店だ。
で、一番前に陣どっていたら、ついなんていうのあの沖縄の阿波踊り系の手踊りヲしっかと踊っていた私であった、、ガハハハ。
おもしろかった!です。
ちなみに、一緒にのって楽しんだのは、お隣は大阪から北おばあちゃんと息子連れ、札幌からのご夫婦であった。
同じテーブルで楽しくすごしましたわ。
寝る前にまたお風呂でビール。
は・・・よき1日でありました。




2005年02月21日(月) ちょこっと お出かけ

南方向へ、飛びモノにのって。
忙中閑あり。
今年はこの旅が最後かな。
もう、しばらくは遠くへは出かけられないと思う。



2005年02月20日(日) ゴロゴロ石

今日はたまちゃんとお父さんと3人で供養の碑の周辺に入れるゴロゴロ石を拾い行く。一人では、何かと不便な所なので、おつき合い下さるというわけだ。ありがたし。
これで香川の石が供養の碑で、鮎喰川の石、焼山越えの石(徳島)岩屋寺直瀬川の石(愛媛)、ゴロゴロ石(高知)とお四国各地の石が配される。石は永遠で、昔から霊的な依りシロもなったものだし、なんだか喜んでもらえそうでうれしい。

昨日の天気とはうって変わっていい天気。
ゴロゴロ石の海辺はぬくくて、石拾いのあとに、たまちゃんのお母さんが持たせて下さったお弁当をいただいた。楽しい気持ちのよい時間だった。ありがとうございました。
それにしてもゴロゴロ石は丸くてすべらかで優しくて、こういう風に歳とりたい、お墓を作るなら、この石を一個乗せてもらえんかしら、とおもうほど。
石にいろいろと教えられる気がした。

帰り、徳島に帰ったら、一気に天気が冬型で雪までちらつく始末。
南国徳島よりさらに室戸あたりは南国であった。

道筋で、歩きお遍路さん9人。お接待したりして。
若い子が多かった。
お四国が屋根のお遍路さんは、たまちゃんにあえて喜んでいた。
徳島カウントダウン、今日一日、またいい思い出ができた。
感謝。

感謝といえば、出かける前にいつもの八幡さんにお参りにいったのだが、丁度、宮司さんが朝のお勤めをされる時間に行き合わせて、感激。
神さまはお話にならないが「おしるし」があるんですよ、と破磐神社の宮司さんは言われるが、まさにそれ。
お勤めの間、後ろでお参りさせていただいて「毎日お参りして祈願していることが昨日地鎮祭で、一歩ふみだしました。その地も氏神様が八幡さんで、ああおつながりだなあ、と思って感謝していたんですが、確かにそうだよと、神さまが示されている、と、今日のおつとめのじかんに行き合わせていただいてお参りさせていただいて思いました」と、その女性の宮司さんにお話しした。
「そうですか、不定の時間にするんですが、あと5分遅くても早くてもこうしてお話ができなかったでしょうし、ネエ」
といわれて。いやまったく。
人がなんと言おうが、私は「神意」を感じた。
大昔、大峰山中、天川弁財天社の奥宮のある弥山に登拝したときに夜明けの時間、この世には「大いなる存在」って在る、と感じたことがあるが、やっぱりそうだよね。そう感じたままに生きていた方が人生も豊かになりそうだし。

帰り、ホームセンターに寄っていただいて、梅や山茶花、沈丁花など春先に咲く花を供養の碑の背後に法面を補強するために植えるのだが、購入。これであとは花の種が来れば周辺整備の準備完了。



2005年02月19日(土) 地鎮祭

雨である。
週間予報では、昼からあがるはずだったのに(で、喜んでいたのに)気圧の動きが遅くてずれた。
昨日用意した、御供えを段ボールに詰めて、古式豊かに風呂敷に包んで、背中のザックには1升ビン詰めて・・・トラさん的スタイルで出発。
穴吹駅12時半に着くと、たまちゃんとお母さんが待っていて下さって、へんろみちのMさんも到着。
Mさんにお二人を紹介して、少しお話しして、さよなら。
御供えとお菓子をいただいてしまった、ありがとうございました。
山に向かうと雨はきつくなってきて、途中の休憩所で私がつくったささやかなお昼の弁当をMさん、おいしい、おいしいと召し上がって下さった。
「池田のあたりをはしっとると、遍路札をつけに来て、ここで野宿したなあ、あそこの草刈りに行くときここで休んだなあ、と思い出すことばかりで涙が出たわ。もう13年も4年も前のことじゃ」
としみじみと話される。
あと5年は、でも、がんばるといわれる。(75歳だ)
依頼の遍路石が32本もあるのだという。

2時少し前に、石屋さん、地主さん、基盤工事業者、宮司さんとそろった。
Mさんが積んでこられたビーチパラソルの下に祭壇を組んで御供え完了。
雨は止まないが、ものすごく激しいというわけでもなく、Mさんが宮司さん持参の特大の傘を宮司さんにさしかけて下さって、宮司さんが立派な祝詞をあげて下さった。
さすがに、加麻良神社さんが推薦して下さっただけのことはある。
実は、地主さんは、この宮司さんと昵懇のようでよくお参りにいかれるらしい。
ちなみに宇佐神社は八幡さん・・免許のときもそうだが、どう考えても毎日お参りに行く八幡さんに助けていただいているとしか思えないよなあ・・感謝。
宮司さんがお帰りになったあと、設置や基盤工事の打ち合わせをした。
かなり大きなモノになる。
土台石の周囲を私は愛媛、徳島、室戸の石で埋めようと考えているといったら、それなら、と、基盤を大きくして下さるようになって、計画も少し変わった。
私が恐縮していると「いや、それはいいかんがえや」とみなさんが言って下さって。ありがたし。

穴吹駅でMさんとお別れして、徳島駅へ。
で、帰りに八幡さんにお参りと走ったのだが、帰りの電車で寝込んだら、ぬれた身体が冷えて、珍しく足や手が冷たくなっている。
それでも、行こうと思ってバス停に走ったら、八幡さん方面に行くバスが見事に私の目の前で出ていった。
今日はこなくてよろし、ということかな、とうちに帰って、あつあつの葛湯を2杯、これまたあつあつのおかゆを1杯食べたら、ホッとして、ぬくくなった。
私としては珍しく、疲れを感じた1日であった。
いよいよ着工の段取りができたので、やれやれの気分がそう感じさせたのかも知れない。
業者の方に108人の名簿も渡したし。
供養の碑のまわりに播く「ワイルドフラワーミックス」という、少しお高い花の種もネット上から注文したし。
こうして、徳島滞在もカウントダウンにはいったというところか。





2005年02月18日(金) 未知の世界

明日は、地鎮祭。
建立場所の氏神さんの宮司さんから、次のようなモノをそろえろといわれて、走り回った。
神酒(1升・・遍路道に近い酒造元である土佐鶴にした)
洗米、塩、オヘギ・・・このオヘギというものがようわからなくて、こざらでもいいというので、100円ショップに歩いて30分、行って、真っ白な小皿を用意した。
魚(尾頭付きがいいというので、エエだったが、今回のようなうちを建てる訳じゃないのは省略してもよいとのこと、ヤレヤレ)
海菜・乾物3種くらい・・・昆布、するめ、ワカメ
野菜3種くらい・・・ダイコン、ニンジン、ほうれん草
果物・・・・ミカン、リンゴ、バナナ
大工さんは盛り砂用意(電話した)

上記を乗せるものは宮司さんが持ってきて下さるらしいが、ウームの、未知の世界であった。
たまちゃんのお父さんが、キャリアのお手伝いを申し出て下さって、ありがたい限りだったが、幸いへんろみちのMさんが同道して下さるので大丈夫と。
そのときに、「魚って、鯛か何かの尾頭付きなんですよね、今回がいらないらしいですが」「鯛は赤くて、火事になるというんで嫌われます、高くないモンですよ」とか。へええええ・・・・
これまた、未知の未知の世界だ。

それにしても、神さまへ差し上げるモノって、四季のある日本らしくていいなあ。
と感じたことであった。
明日の確認電話、刻む名簿つくりの名前確認電話、その他諸々・・・誠に多忙な1日でありました。

晴れますように。



2005年02月16日(水) 徳島は別世界

15日の夜行に乗って、16日の朝に大阪、11時過ぎに帰った。
長岡ではホントに久しぶりに雪の壁ができていて、まさに「雪国」だった。
で、帰れば、空気はなにやらぬくくてミカンは黄色の色鮮やかに。
まさに春はそこまで。
同じ日本なのに別世界だ。
ただ驚く。

15日に、山古志村のボランティアセンターに行って、みなさんから作っていただいたおひな様カードをお渡ししてきた。
家族に手配してもらっていた植木鉢と共に配っていただくようにお願い、手渡してきた。
仮設住宅も雪に埋まっていた。
でも、雪が久しぶりに晴れて、村の人たちが三々五々散歩にでていて、道を訊くとすごく親切に教えてくれて、やっぱり山古志の人だ、と感じたことだった。
今月中に、「おひな様ネットワークの会」として、協力して下さった方々に報告書をお送りしたいと思う。
ご協力下さった方々、ありがとうございました。

この仮設の地、実は前の市政がバブル期にニュータウンを作ろうと準備した土地で、水道綾下水道、道路の設備ができている、更地。
バブルがはじけて住人もなくて、さんざん市政のお荷物、不良債権として問題となっていた物件だが、こんな「不良」があったればこその仮設だ。
下水道や道路整備から始めていたら、とても雪降り前には間に合わなかったろう。
ナニが幸いするか分からない・・という典型の話だ。

帰ってきたら、写経が沢山届いていて、みなさん達筆にこれまたただ驚く。
整理したり、最後のは医者に行ったり、うるさい髪を切りにいったり、留守電に電話していたり、ハガキを書いたりしていたら夜になった。
この「雑用」が手強い。
自分としてはそうとろくないつもりでいるが、実は結構とろいぞなんて、思ったりして。

悩みは、すでに108人を越えているのに、申込用紙が届いたことだ。
申し訳ないがやはりお断りしようと思う。



2005年02月13日(日) 今日は、帰ります

昨日の爆睡のお陰ですっきりした目覚め、今日も元気だ!!

みなさんに作っていただいていた山古志村おひな様カードがそろった。
それをもって、今日の夜帰る予定であります。









2005年02月12日(土) 焼山越えを歩く

朝6時に飛び起きて、おにぎりをつくくって、6時44分の電車に乗って、7時10分鴨島着。
寒い。空気がキンキンだ。
しかし、空はすっきり雨の心配はない。
駅からの途中で、自転車のおばさんが止まって、「これから焼山寺、いくんやろ、てんきがエエし、ええな」と話しかけてきた。
おお・・・「私は旅人」になった・・・だ。

藤井寺をお参りして身仕度を整えて、8時半近く発。
そうそう、藤井寺でおじいさん?らしき保護者につれられた5歳のお遍路さんにあった。お経、上手。倉敷からとか。「よっくんみたいね」といったら、保護者らしき方は時々会いますよ。とか。

葉が茂っているときはなにやら陰気くさい登り口付近もカラリとして明るい。
冬の野山歩きはこれだからいいだよネエ。
上の展望台に行く途中、朝の散歩のおじさんと会う、それ以外には誰もあるいていない。まだ、お遍路さんオフシーズンだ。
展望台着8時50分。
長戸庵への道、お地蔵さんが倒れていたり、倒木あり、道くずれあり、で荒れていた。
一部は、もう一度雨台風が来たら、道が流失しそなところがあった。
「最後に残った空海の道」とか、やたらに立て看板を立てているわりには手入れ・管理をしていない感じがする。
愛媛柏坂は、看板もたてているが、整備・管理もしているようだが。
庵着9時45分。
休んでいたら、一人の若いお遍路さんが、後ろから来ていた。
で、結構きつい道ですね・・とにこやかに声をかけて、風のように通り過ぎていった。
いい笑顔だった。
私は、庵のベンチで10分ほども休んでいたろうか、風のようなお遍路さんの影形なし。健脚だねえ。
柳水庵着10時50分。
庵主のいない庵はさびしい。
奥の院もおられる間は、いつも掃き清められて、供花もあったのに、結構荒れていた。
さらには、大師堂からは、けたたましく、防犯ベルの音が定期的にしていて情けないのだ。
木もかなり切ってあって、深山の奧的な風情が消えていたし。
とにかく変わり果てたといっていい柳水庵だった。
お参りをしたあとにベンチに坐って、おにぎりを一個食べて、おいしい水を飲んで
ここに泊まったときに出会った人や、きいたお話を思い出して過ごしていたら、あっという間に30分が過ぎた。
だんだん、、私にとっての遍路道も「往時茫々」になっていくなあ。

私が、いる間に2組ほど地元の人が車でお参りにこられていた。
下っていくと、駐車場のわきに新しい無料宿泊所ができていてすでにたくさんの人が泊まられたらしくて、お札ががたくさんはってあった。

さあ、この先がしんどいぞ。
1本杉庵までの登り、左右内から焼山寺までの登り、覚悟をしていかないと・・・。
それにしても、1本杉庵のあたりの荒れようもひどいなあ。
灯籠の一つが壊れていたし。
ただ、石段を登っておくとお大師さんが待っていてくださるというこの設定のすばらしさは変わっていなかった。
最後の登りは、柳水庵で汲んだ水を持ったり、供養の碑のために時々石を拾ったりしていたので荷物が軽くなるどころが重くなっていたのできつかったが、クリア。
垢取川の水が、コワイほど澄んでいた。
2時には無事に焼山寺着。
焼山寺は、大師堂を建立するらしくて、仮大師堂ができて納経所も立派になっていた。札所は今はバブル期のように新築・改築ラッシュだ。
「大師堂、雨漏りしてきましたんで」ということだが、私はあの古めかしい大師堂、好きだったけどなあ。
お参りの後にもうひとつ、おにぎりを食べてくだる。
4時48分、寄居中より徳島駅行きのバスで帰った。

お四国を去る前に私が一番歩きたかった道が、焼山越えの道だった。
行事が一つ終わった。

帰って、ビールのうまかったこと!
で、世界不思議発見も見ないで爆睡でした。
感謝。









2005年02月11日(金) 神山町で石拾い

本当は、今日は出かける予定だったのだが、帰ったら、fax、留守電、郵便物多し。
で、午前はそのお仕事をした・・・している最中に電話があって108人目の申し込みがあり。
これで、受付完了。
あっという間にいっぱいになったなあ。
おかげさま、感謝。

午後から、たまちゃんご一家がおひな様カードをもって来訪して下さった。
コーヒータイムをしてから、鮎喰川に石拾いにいった。
車でつれていっていただいて人数も4人、鮎喰川の神山町河原で大量にきれいな石を大から小までゲット。
昨日は、岩屋寺あたりの石をフーフーいいながら背負って持って帰ったのでヤレヤレ、おかげさまだった。
空気はやや冷たかったが、いいお天気だ、帰りに建治寺によってお参りした。
ここはお礼参りにこねば、と考えていたところだったのでよかった。
うちに帰る前に、氏神さんの八幡神社さんにも4人でお参り。
そんなわけでいい一日でした。
ありがとうございました。

メモ
なんで石集めしているのかって?
香川の石で供養の碑を建立するので、まわりに愛媛と徳島と高知の石で囲むのです。
あとは、高知の石。
「そのうちに室戸にでも行きますか、ごろごろ石でも拾ってきますか」と、たまちゃんお父さんがいって下さっている。
自分らが集めてきてもいし、とも・・・
私は、公共機関で甲浦にでもいって拾って来るつもりだったのでありがたし。
ごろごろ石はかつてお遍路さん泣かせだった場所(今もあの辺の歩きは、長いので大変だけど)そこの石が一つでも二つでも石碑に添うことでなんだかいい感じになる。



2005年02月10日(木) 石集め

昨日は、郷照寺でTさんご夫妻にお会いして、お参りをしたりお話をしたり。綾ちゃん観音さんにもお参りした。
楽しい時間でした。
Tさん、ありがとうございました。

今日は、第一目標は、「愛媛の石集め」
初めは瀬戸内海の石、と思ったのだが、ない。
で、岩屋寺近くの石を集めに。
イヤ、持って帰るのが重たかったわい。
なににするのかって?
「香川の石」を建立するので、愛媛と徳島と高知の石も・・必要なのです。
できるかぎり、自分の「骨を折って」これをしたいのです。



2005年02月08日(火) ウンチロード

忙しいけど、毎日、欠かさずに八幡さんへ日参している。
まあ、ホントは朝がいいんだろうけど、夕方においしくビールを飲むために、午後遅くが多い、というあたりが不真面目だが。
何しろ、4キロのウオークがこの逆境にあってさして体もこわさず、神経もやられず・・・の快調の原因と思う。
身体は使うが勝ち。
それも、神さん参りに使うっていうのも精神衛生上エエ、とわたしは思っておる。
私の歩くコースは、ルートA→ルートB→八幡神社→ルートB→ルートD→帰宅
となるのだが、このDの部分が、ウンチロードとなっている。
もちろん犬の。(人だったら、大ゴトだ、まるで、ルイ14世のフランスの宮殿内部みたいだ)
今日のような雨上がりだと、乾燥したのが戻っていてアブナイアブナイ。
ふんだらえらいこっちゃ。
多分、犬もこのウンチの姿と匂いに刺激されて「排泄」するのだろう。
悪循環。
だいたい、徳島のというか家の近辺の方々を観察していると、ウンチ袋は持っていない人が多い。
このあたりで、アムステルダムの町中を思い出してしんみりする私だ。
徳島市民とアムステルダム市民は似ている・・・(笑)

明日は、今治の友人宅へ半分お別れもかねて訪問する予定だ。
徳島から去ったら、そうそう会えなくなるし。





2005年02月06日(日) 忙しい、それなりに

1月の初めに予想していたように、それなりにいそがしい。
今日はたまちゃんにお遍路のお誘いを受けたのだが、そんな訳でお断りした。
(いい天気だったのに・・・残念)

土地をいじる前に地鎮祭めいたことをせねば、とMさんに言われた。
然り。
ということである四国の宮司さんに問い合わせたら、「私がいける日なら、ご縁だしいってもよろしいですよ」といって下さった。
この宮司さん、破磐神社の宮司さんのお知り合いで私も正式参拝をさせていただいてあとに手打ちのおいしいおうどん鍋をいただいたことがあるが、立派な宮司さんだし、この方にお願いできるなら最高だ。
いける日になるように、調整をせねば、だが、少しヤレヤレだ。

愛知のイトーヨーカ堂の通り魔的な赤ん坊殺人・・言葉もない。
自ら死刑になるんだ、早くしろと言ってホントにそうなった池田の小学校の殺人・殺傷事件の宅間被告とか奈良の小1殺人とか・・・すごく攻撃的だが一種の自殺だと思う。
愛知の場合は、出所と言うことだったが、出てからのフォローってどうなっていたのか。
出所して車で寝泊まりし、職ままならず・・疎外感はすごかったろうと思う。
攻撃的な自殺行為に走っても仕方ない環境があったようにも思う。(もちろん許せないが)
出ても行くところがない人たちがとりあえず、自立できるまで入れるような宿舎とか(もちろん希望ではいる、ということだが)必要なんじゃないかなあ。 
    ↓
さっき、ネットの新聞を読んだら、更生保護施設なるところから行方不明になったとのことでした。
いわゆる「宿舎」にたんだねえ・・・



2005年02月05日(土) 倒壊77棟

新潟が大雪だ。
電話したら、弟が毎日雪下ろし、雪掘りで息絶え絶え・・・だ状態。
「一気に降るしなあ、すごいぞ」
とはいうものの、私の子どものころには結構降っていたが、この20年こんな大雪なかったし。
姪や甥は、こんな大雪は初めてらしい。
雪下ろし中に転落死は10人というのも異常と思うが、つまりは昨今の暖冬で、みんな屋根の大雪下ろしのやり方を忘れているというわけだろう。
それと、器財の違いが大きい。
私の子どものころは「こすき」という木の雪下ろし道具にラッカーを塗って使っていた。屋根に積もった雪を豆腐を切るように四角くして、ほいっと落とす。
しかし、今はスノーダンプを使うので、持っていかれて落下、窒息死なんて事態もあり得るのだ。

子どものころは、よく雪下ろしの手伝いをした。
やっているうちに暑くなってきて、汗をかく。
風邪を引くので、背中にタオルを入れろといわれたものだ。
はっきりって嫌いだった、屋根の雪掘り。(雪下ろしともいうが、屋根の雪掘りって言い方もあった。まあ、屋根に掘るほど深い雪が積もるってことね)
今は、あの労働をしたら、きっとビールがとびきりうまいだろうな、と思う。
まあ、ビールをうまく飲むために、だったら勿論してもよろしい。

もう一つ子どものころの思い出。
朝起きると、沢山降ると、道がなくなっていた。
で、カンジキなるものを足につけて、雪踏みをする。
隣の家との境まで、それが子どもの朝の仕事だった。
これも、イヤだった。
これは今も好きに慣れそうもない。
(ビールがうまくなるほどの労働量でもないし、朝から飲めんもんねえ)
それと、今は山から融雪用の水を引いているので、それでなんとか雪を溶かすので道踏みの必要度は低くなった。

ところでうちの母親は、地震がきたばかりのころに、この冬は雪が多い、すごく早くから紅葉が来ている、といっていたモノだが、12月の暖冬でみごとはずれたか、と思ったモノだが今となっては大当たりだ。
やはり、亀の甲より年の功??




2005年02月04日(金) 時を得る、ということ

昨日に、遍路道のMさんといろいろとお話しした。
例えば、事故に遭った当時に場所がすぐに見つかったら、私は般若心経はともかくとしてみなさんに呼びかけて「力」をつけようとか、忘れられずにみなさんが手を合わせて下さる場するにはどうしたらよいかとか、結願の地に向かうにしては何ともさびしげな前山あたりの気配をなんとかできないものだろうか、とか考えもしなかっただろう、という話になった。
「今このときだから、考えられることがたくさんあるじゃろ、何事もするときがあるんじゃなあ」
といわれて、ホントにそうだな、と思った。
Mさんは、隣につくらんで欲しいという電話を「天からのおさとし」、もっとよいところがあろうが、という意味に取った、ひらめいたといわれたが、その神懸かり的な前向きさに頭がさがります。
さて、位置を動かした結果として、空間ができた。(費用も余分にかかるけど)
そこをどうするか、一つは、お花の種をまいて供養の石のそばに「小さなお花畑」ができたらいいな、ということ。(もちろん、地主さんの許可がいるけど)
タイニーワイルドフラワーガーデンって感じかな。花が咲いていると人は必ず足を止めて見るもの。休むもの。そこに供養の碑があったら、ホッとした気持ちで合掌していただけるのではないか。
車の方も、きれい、と見てくれるだろうし。
今、ワイルドフラワーって、ガーデニングで流行だし。

本日92名。
出した80通のうち、半分くらいからお返事がいただければ最高かなと思っていた。(参加はないだろうけど、報告もかねてお出したところもあるし)
まあ、そんな予想より若干多い感じだ。
その代わり、思いがけないところから、「聞いたのですが・・」と、メールをいただいたり電話をいただいたりして参加していただいている。
ありがたいことだ。これがご縁ということがあるし。
しかし、それ以上に「何かの力」が、働いているような気もする。
だって、ハナからワタシ的には108人は目標人数で、ままならんでもよろしわ、と考えていたんだし。
それが、いきそうだってのが何とも不思議。

般若心経を初めて書くのだが・・できるかというメールや手紙もいくつかいただいている。
これまた、これを機縁にこれから時々写経なさるのではないかと思うとよかったかなと勝手に思ったりする。

・・・・・・・・・・

中国星占い(生年月日時間、誕生場所から☆との関係を読む、世界一精度の高い占いといわれている)で私の人生グラフを書くと、教職を辞してからの10年が私の人生グラフの底(それも、− さ)なんだなそうな。
他人様に話したら「ウソ!」といわれたけど、私になりには「納得」。
だって、ジェットコースターに乗ったような10年だったものねえ。
で、2004年が10年目。
ジェットコースターは終わりらしい。
2003年9月、アテネのアクロポリスで「見るべきモノは見たり」の声が聞こえて(というか、正確にいうと、アクロポリス直下のホテルに泊まったときに明けがたにみた夢に出てきた声なんだけど思い出せなくて、アクロポリスで突如よみがえったというわけだが)それから、いろいろと方向転換を図って、まあそれは正解で、そうしていなかったら、親の葬式にも出れなかったし、地震の時もどこにいるんだか、になってしまったであろう。
あの声は、10年を前にした「予言」みたいなモンだったのか???
と今になると思う。
開眼供養したあとに四国を去ろうと思っている。
供養の碑のお仕事を無事に終えたら、まさに大きな大きな区切りだねえ。
あとは年に1度くらい碑のことも拝みに来たいし(世話人の責任)、数日歩かせていただいて(足が動く間は)。ただ黙々と歩く、に徹して。
ただ歩いてこその遍路、できたら書くことも止めにしたいと思っている。
ただしかし、くるものは拒まないが。今後は、今までとはちがうことをしようと考えているのだが、それに無理でない限りやらせていただく。
というのも、それは、私の意思とは関係なく「流れ」だから。
でも、今はちがう流れを自分の終演(正しくは終焉だね)にむけてつくって逝きたい(正しくは行きたい)と思っている。
立春で今日から、新しい10年が始まる(中国の旧正月の祝いは確か8日だったか9日だ)、めでたいわいと祝い酒を飲んでよい気持ちで、ついかかいでものことをかいていたら、明日となりましたわ。
お休みなさい。





2005年02月03日(木) 長尾へ

「供養の碑」の位置について、苦情的お電話をいただいて(要するに自分たちの遍路石のそばにそんなモノは、建てて欲しくないということらしい)、急遽、場所を数メートル動かそうということで、朝から、終日高松経由で現場へ。
お互いに納得して、丸く話がいかないと・・やはり後々おもしろくないだろうし。
遍路道のMさんと共に、地主さんにあってご理解をいただいて、もう一度位置を確認し、土建業者にあって、動かした場所はやや地面が不安定なので土盛りとコンクリート枠をする話をして。Mさんは「やはり、数百年持つものにしないと」私「「せめて百年くらいは」
で、帰ったのは夜9時。
公共交通の便が悪いので近いようでも時間がかかる。
ヤレヤレだ。夕方になって異様に寒かったので疲れ切った。
ややアタマもいたし。早寝だわい。
松山から来て下さったMさんは私以上に大変だったと思うが(もうここまで一気には無理じゃわ、と池田まで前日に来て泊まられたらしい、頭が下がる)、そんなことは顔にも出さず、前の場所よりずっとええ、よい方へ話が進んでよかったな、と帰っていかれた。やっぱりすごい方だ。
確かに、よりよいらしくて・・・またしても例の天気雨がぱらぱらと降った。

参加申込者ただ今ちょうど90名。
ハガキ書きもまだあるのだが、進まず、プリンタのインク切れ、大急ぎでネットでヨドバシに注文した。
HP(ヒュウイットパカード)のプリンタ、マイナーだし、インクが切れたとき困る。
でも、安かったにもかかわらずよく働いてくれるので助かる。
ハガキがまだの方々、もうしばしお待ち下さい。



2005年02月02日(水) ハガキ書き

50枚ほどのハガキを書いた。
いそがしや。
ハローワークにもいかねばならんかったし。
歯医者で、大枚ウン十万円のセラミック歯が入ったのも今日だ。
(歯医者に、封筒があつあつとふくらむほどのオサツを運んだのって20年ぶりくらい。でも、疑問がある、どうしていい歯にしようと思うと自由診療となってしまうのだろうか????)

夜、クロ−ズアップ現代でイラクの選挙についてやっていた。
大学の先輩が市民運動ネットワークで岡山市会議員になった顛末を、ダンナ(この人も先輩)の新聞記者が書いた本を先日もらってきて読んだのだが、同じ選挙だがまるで冥王星の選挙じゃないかと思うほどちがう。
(どうして冥王星なんだ、と突っ込まないでね、それほど距離があるってことさ)
平和日本を大事にしないとな・・・と思う。

今日は、急いでいて、道ですべって転んだ。
登山靴はいていたし、何しろ、雪国で出しさ、と走ったのがおおまちがい。
見事に、ずるっと、膝をついた、かろうじて。
過信は事故のもと。っていうか、これは加齢現象なんだろうかと考え込んだのでありました。オワリ



2005年02月01日(火) 大雪の徳島

いつもの八幡さんお参りに行ったら、遍路道の方向指示看板が雪で真っ白で見えなくなっていた。
おお!!大雪だ。
うちの前のカエルの合唱田んぼが積雪10センチ。
これは、すごいことだ。

新潟は、昭和63年以来の大雪とか。
新潟日報のHPによると、地震によっていたんだ家屋の倒壊・・・すごし。

今日は、捜し物でうちの中をひっくり返して、結局ギブアップ。。
和室がひっくり返ったままだ。
やれやれ。
まだモノを減らす必要はあるけど、しかし、その度にモノを捨てて、訳がわかんなくなるのはこまるわさあ。
すっかり疲れました。

本日現在、慰霊碑の会の参加82名。
早々に般若心経をお送り下さったり、ご浄財を振り込んで下さった方がかなりおられる。感謝。




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