世界お遍路 千夜一夜旅日記

2004年02月29日(日) *歩き完了

本日、雨。
安和から須崎(別格大善寺)までの4キロあまりをつなげばいいだけなので、ゆっくりと出た。
昨日は、土佐久礼に宿がなくて困ったが、結果的に昨日のうちに焼坂を越しておいて、大正解。今日、越すとなると、滑って大変だったろう。何にしろ、一部の急坂には、鎖がついていたし。
それに、なにより、kさんの足にはあの坂は不可能だった。
昨日宿がなくて、ホント、むしろ四方八方、ラッキーだった。
朝、8時半。
雨の中、民宿あわの女将さんに送られて出た。
でがけ、ポンカンのお接待。ありがとうございました。
聞けば、ほんの10日前まで入院していて(2回目の脳出血)やっと、ぼちぼち仕事ができるようになったとのことだ。
ご主人共々、峠を越したい歩き遍路さんの荷物を七子峠まで持っていってやったり・・いろいろとお世話なさっているようだ。
しかし、しかし、夕べ、歩き遍路が一人キャンセル電話なしでこなかった。
夕食が1人前無駄になった。
女将さんが不自由な体で準備なさったのに・・ねえ。
予約電話できるのだったら、キャンセル電話だってできるだろうに。
まったく!
朝、歩き遍路の一人としてお詫びしますと、謝りましたわ。

女将さんに教えていただいた旧道(旧国)へ、安和墓地公園の向かい側からはいって歩く。
一部崩れているので、車つこう止め、で、静かにのんびり歩けた。
雨が降っていなければいうことなしの絶景だ。
特に、角谷トンネルの通っているあたりの景色がすごい。
やがて国道に合流して須崎市内へ。
しかし、雨の降りがきつくなってかなり濡れた。
kさんの歩き、やはり普段の1、5倍はかかっている。
角や、曲がるところでたって待っていると、私の体が冷えるくらいだし、足の痛いところも冷えて痛いだろう。
しかし、もう少しで終わりだし。
よく一緒に始めても一緒に最後まで行けないというが、同時に結願できそうでよかった。

10時すぎ、大善寺着。
丁寧にお参りして、ここまで無事にくることができたお礼を申し上げた。
この高台のしたはたぶん名(二つ石大師)の通り、岩クラだ。
気がある場である。
車お遍路さんが、下の大師堂をお参りして納経しただけでいってしまったが、もったいないことである。大変だが、上まであがるべきだと思う。
下の新築大師堂には、残念ながら「気」はない。
大善寺で、お願いして本日結願の旨をかいてもらった。
住職さんのお母さんらしき老女性が丁寧に、平成16年2月29日に結願と書いて下った。
ありがとうございました。
納経帳をぬらさないことに気を使っていたら、写真を撮るのを忘れてしまった、失敗だ。
なんかすると、なんか忘れるトリ頭、変わらず。

須崎駅まで歩く。
日曜市で、ポンカン、トマトのお接待。
最後までありがたいことだ。
これは、たまちゃんへのおみやげだな。(笑)

(高知駅レストランで、バスの待ち時間に記す。)

★おまけ★
実は、本音を言うと、時間が許すなら、このまま1番まで逆打ちを続行したい。
kさんを高知駅から空港バスに乗せてうちにお送りして、あと2週間あればできるのだが、ちょっとそれは今回不可能。
残念だ。





2004年02月28日(土) *結願!

夕べ、土佐久礼にある遍路宿2軒に電話した。
差が温泉からちょうど30キロだからちょうどいいし。
ところが、1軒(私もkさんも泊まったことがある)は、お休み、もう一軒は満員。で、大慌てで、ネットでほかの宿をチェック。もう1軒「黒潮本陣」という宿がある。電話してみた。そうしたら、1泊1万5千円。場所も遍路道から歩いて30分・・・・・うーっむ・・・・。いったん切って、kさんと相談。「出せないことはないけどねえ」
「でも、お遍路さんが泊まる値段じゃない、お大師さんにしかられそう」
「そうねえ・・2泊できるねえ」
「でしょ、レジャー遍路じゃないですよ、わたしたち。野宿の人たちのことを考えたら、ふつう宿に泊まれて、お風呂、暖かい布団に寝れるだけでありがたいのに、こんな、とこに泊まったら、罰当たりそう、やっぱりやめましょ」
「でも、徳島に出る日も、高野山に行く日も連絡して決めてしまったでしょう」
うーん、そうなんだよね。
地図を眺める。
次の宿地点、土佐安和まで、後6キロ。全部で36キロ。しかし、片坂登り、そえみみず、焼坂峠越え、と3つの峠越えがある・・いやはやだ。平坦系の36キロなら、いいけど、一山越えたら、お次がが・・ではねえ。
kさんは、今回の我らの結願寺岩本寺までの10キロを歩いて、後は電車移動ということにして・・・私だよね、問題は。
しかし、でも、ノウチョイス。民宿あわに電話した。OK。
よし、山越え3つの36キロだ。

で、今朝は5時起きして、空が白々し始めた6時10分過ぎに佐賀温泉を出た。
ここの宿泊まりの歩きお遍路定番で、非常口からの出発だ。
寒い、がそれでも、2月半ばの寒さと違う。ゆるんでいる。
kさん、痛そうだが賢明に歩かれる。
片坂トンネルの上を越す片坂越えは、倒木や、今にも流れそうな細い道があって彼女には大変だったが、何とか越えた。
窪川環境美化センターに出た。
ここは、思い出深い。
初めての遍路の時、ここまで来て道がわからなくなって右往左往していたら、猫ちゃんが出てきて、にゃーにゃーないて、こっちへ来いといわんばかり。ついていったら、美化センターのわきに遍路さん用のの入り口があって、猫が先に入り、さらに先導、ついていくと遍路さん用ルートというのがあって、森の入り口。で、猫は、そこに座って、さあいけといわんばかり。
私は、猫に礼を言って、無事にトンネルの上越えの道へ進んだという次第。
今は、猫に導かれなくてもいい。へんろみちの標識が大きくできて、実にわかりやすい。
窪川、岩本寺着9寺15分過ぎ。
せめて、9時にはついて9時半には出たいと思っていたが、どうやら10時近くになりそうだ。
一人なら8時半過ぎ楽勝の道だが・・・。
しかしでも、kさんの足、ここまでこられただけで、すごい。
よくがんばった!!!ね。
納経所で「ここで、結願させていただきました」といったら、おめでとうございますと絵はがきをくださった。
やあ、よかった。
kさんに、窪川の駅まで行って、降りる駅は土佐安和、民宿は駅から近いですから、と再確認をして私は出発。9時50分発。
道沿いの田辺ベーカリーで昼用のパンを買ったら飲み物をお接待してくださった。300円ほどしか買わないのに、100円の飲み物をお接待してのかな、と思ったが、ありがたく「軽いのがいいです」なんてことまでいって・・そうしたら、おじさん、栓があれば一度に飲まんでもいいから、これにしい、とQOOをくださった。お四国の人はどこまでも優しいわ。
そえミミズ入り口までの14、5キロの長さに参った。
国道、きらい。
でも、歩道がついて、あぐり窪川とか、ゆーいんぐ四万十とかできてすっかりにぎやかになってはいるが。
途中、お雪椿のところに結構な休憩所ができていたので、20分休憩でお昼。
1時半、そえみみずへはいる。
一応、私の頭の中にあるウオーキング計画どうりに進んでいる感じ。
その通りに進めば、5時半過ぎには安和につくはずなんだけど。
添えミミズは、上から降りる監事なので、はじめに尾根歩きになる。
いい道だ。
やっぱり、山道はいいわ、生き返った気分でずんずん進む。
右足の甲が痛かったのだが、それも感じなくなった。
後半、下りが大きな石がごろごろしていて、足を取られないように細心の注意が必要だったが、それでも、2時半過ぎには先が見えてきた。
よしよし、だ。
里が近くなったら、年輩の男性が犬を連れてお散歩。
山の登り口のからで、ちょこっと道なおしにこられたのだとか。
ありがとうございます。
降りきって、ここで休んでいきますと、私が登り口にあるベンチに腰を下ろそうとしたら、うちで休んでいけ、うちの婆さんはお遍路さんが好きで、お接待したいと待っておる、つれていったら喜ぶし。
はい。
お庭先にある椅子とテーブルで、コーヒーとお菓子をごちそうになり、おばあちゃんからは手ずくりの袋やお菓子の見物ポンカンが入った袋をいただいた。
ここを通るお遍路さんのお話をお聞きしたりしていたら、あっという間に20分あまり経過。今日は、安和まで行くし、この後焼坂越えがあるので・・・と失礼した。
ありがとうございました。
甘いものと暖かい心。
それだけで元気になった。
すたすたと国道歩き。
焼坂への道へ入ったのは、3時50分過ぎ。
日は西に傾き始めている。
この道、寂しそうだし、日の沈まないうちに行き着きたい。
この道例の「十字軍遍路札」が目立つ。(13.4枚あった)
2枚ほど、明らかに取られて打ち割られていた・・・・つける人もつける人なら、わる人もわる人・・・ほっておけばやがて落ちて朽ちるのに。それが、ブッデストの道だろう。(日蓮系は違うようだけど)
焼坂、下る道のほうがすごかった。
これは、kさんには無理だった。
久礼に泊まればこれを歩くことになったろうし、よかったわ、安和・まで行って。
山を下りたら、5時45分。
やれやれだ、お地蔵さんがあったので、一カ所、やばいところがあってなんだかついてきたようなので、ここで降りてくださいと降りていただいた。
ザックが心なしか、軽くなったような。
夕暮れ時のお山はいろいろといそうじゃわ。
6時ちょうど、宿着。
遅いので心配していたkさん、喜んでくださった。やれやれ。
本日の私のご修行、無事完了。
今日会ったお遍路さん、9人。

宿では、無断キャンセルお遍路さん、1人。
同宿の人は、自転車遍路、子どもを授かったのでお礼遍路のような。











2004年02月27日(金) *佐賀温泉まで

本日は、Kさんは土佐佐賀駅まで電車、そこで歩きの私と合流。佐賀温泉までの10キロを歩くという予定となった。
で、私は7時発。ホントはもう30分早く出たかったのだが、夕べ眠れなくてなかなか起きられなかった。
どうして寝られなかったかというと、エアコンの音だ。
切っても、全館用のやつが作動していて、その低音系の音に負けた・・たぶん、2,3時間しか熟睡していない。

歩き始めはすたすた身が軽かったが、だんだん今日は重いなあ・・・という身体感覚だ。
ところで、土佐中村の56号線、なんと4車線、すっかり変わった。
ここから大方町、佐賀町まで歩道も少なかったのだが、しっかりと立派なモノができていて歩きよかった。
大方町の海岸線名勝入野松原のビーチ沿いも、すっかり美しくなって、海を見ながらのウオークは楽しかった。なによりトイレがしっかり完備されていてありがたし、だ。
大方町は昔、クジラウオッチに来たところ、あのニタリクジラは土佐湾にすみついている奴だし、いないかなと眺めるも姿なし。
漁師のおじさんによると、沖に出たらおるで、とのことだ。
黒潮がすぐそこまで来ているし、いよいよ土佐は春本番だ。

合流地までの距離約23キロ。
1時から1時半までに行くとの約束なのであんまりのんびりしていられない、が、やっぱり海を見ながらしばし立ち止まる。
高知はいいねえ。

本日会った順打ちお遍路さんの数は、6人。
若い男性4人、若い女性1人、中年男性1人。
男性のうち一人は野宿派、野宿の場所を聞かれたのでお教えした。
まじめそうな丁寧な言葉を使う感じのよい子だった。
それにしても、若い子ばかり・・日本てどうなっているんだ?
よっぽど、すみにくいのかな。

佐賀町の西南大規模公園(通称クジラの見える公園)で、あんパン、お茶、ミカン、ピーナッツの昼食を食べた。靴を脱いで、ひなたぼっこ。すっごく気持ちよかった。
で、あきらめずに、目を凝らしてクジラ探しだ。
ここは、以前クジラを見に船に乗ったとき、ホントに、すぐ近くでブローしたとこだ。
公園に長居をしすぎて、約束の時間に10分遅れたが、まあよく歩きましたわ。
さて、お待ちかねのkさんと、佐賀温泉へ向かってのウオーク。
今日のkさんの歩きは今までのうちで一番楽そう。
代わりに私の右足の甲がやや痛し。
まあ、ぼちぼちだ、ゆっくり歩いても、5時前にはつく。と、4キロほど歩いたところで「ワシは先達や、のるか、あんたら、逆うちか」と車の窓から数珠を振っているおじさん。
はい、とありがたく乗せていただいた。
kさんの足にはラッキーだ。
しかし、岩本寺まで行ってその後ワシのひいきの宿に行こうといわれて、、私たちは佐賀温泉に予約していますし、明日は10キロ歩いて、結願なんで、すみませんが、佐賀温泉でおろしてください、と頼んだ。
おじさん、そうか明日が結願か、じゃ、仕方ないな、とおろしてくださった。
見かけは60代だが、実は72歳の元気おじ(い)だった。車遍路のガイドさんらしい。
結局3時前に、宿について温泉後にお昼寝までしてしまった。
極楽日和。








2004年02月26日(木) *土佐中村まで

昨日は、やや落ち込んでいた。
念珠はなくすし、地図は失うし・・・お大師さんに見放されたのかな?って・・・・・しかし、しかし、夕方近く、宗報さんより電話。
岩本寺に、宮崎さんの地図があったから、入手しといたよ。送るから。
あっりがとう!!
やや、落ち込みが上向いた。
で、夕方、旅路でしかでない大ごちそう。
天然ブリの脂ののりきったお刺身、おじちゃんが、ちょこっと捕まえてきたエビのフライ、今朝取れたあじを酢締めしてゴマの入った酢飯をだかせたお寿司のもりあわせ、貝の炊き合わせ、甘いトマトやイチゴのデザート・・・等々・・超ごちそうだった。
すべてびんびんに活きがいい。
お客7人、大喜びの晩であった。
この完璧においしい夕食で、落ち込み気分は完全に上向きピークに復活、した。
実に単純明快。
うまいお魚ばんざーい。
お客がうまいと喜ぶのを見て、幸せをかんじるおじちゃん、おばちゃんも万歳!!
おじちゃん、76歳、おばちゃん、73歳だけど、これからもよろしくです。

今朝は、少し遅め7時半発。
暖かい。
温度計は、10度近い、さすが足摺亜熱帯。
本来は大岐浜の浜道を歩くのだが、kさんの足の負担を考えて岡道(主に国道)を行く。
今日は、11時から12時の間に下の加江までの10キロほどを歩いた後にkさんはそこから中村までバス(で、バスが止まりそうなサンリバー四万十に宿を取った)、その後、私は一人で中村まで歩くという段取り。
kさん、昨日一日、完全休養だったので、今日はいいとはいうものの歩き出しは痛そうだ。
それでも、何とか、11時前に下の加江の橋のたもとについて、休憩と早いお昼。
旅路のおばちゃんが作ってくれたおにぎりを食べた。おいしかった。
で、くる途中にいただいたお接待の飴などをkさんに預けて、私はウオークへ。
kさんは、そばの茶店でバス時間まで待つことで。
「バスの中で寝込んじゃだめですよ(kさんは居眠りの名人)寝過ごすと、宿毛まで行きますよ、バスの運転手さんに、宿の名をいえば知っているとは思うけど、知らなかったら中村大橋の手前っていってくださいね」
などと、くどくどと言い置いて・・・まあ後は子どもじゃないんだし、自分で何とかしてくださいよ。

地元観光協会がつけた足摺遍路道の表示に従って歩いてみる、距離は出るが車は少ない。
しかし、風が強くて、笠のビニールの覆いが飛ばされて田圃の中へ落下。
ひゃーーー。
数百メートル追っかけて、田圃のあぜ道に降りてお杖で水の中から引き上げた。
笠の上についていた留め具はなくなるし、笠は破壊寸前だ。
やれやれ。
その後も、笠が風をはらんで飛ばされそうになったり前進不能・・・・多数。
橋の上では、四万十の橋の上では笠を取らないと、怖かった。
おかげで今日はずいぶんと日焼けした。

市野瀬のドライブイン水車のそばにすごく立派なトイレ。
今日は、冬型で風が冷たいし、トイレが近くなっているのでありがたい。
で、隣にこれまた立派な休憩所。ここで野宿をしたという人にたくさんあった。
休んでいたら、トイレに来た人が車に戻って、大きな文たんを2つ「食べてください」
ありがたくいただいたが・・・旅路のおばちゃんにいただいた分と3ヶ。
本日のありがたい重荷となりましただ。
文たん、3ヶって、重たいよ、ホント。
真念庵に寄ったが、お堂の前にあった「いざり立ち・・云々」の石碑が見つからず。(後で判明、道標の裏だった、でも、確か、前は裏が表になっていたような・・)
お参りした後に、伊豆田坂トンネルへ。
昔は明るかったトンネルは、今や排気バスで黒くなった。
1600メートル、やっぱりトンネルは怖かった。
トンネルの中で中村市になる。

どんどん下って、やがて四万十。
土手沿いの道にしっかりと歩道がついてずいぶんとよくなった。
その土手に、一人のお遍路さんが座って休んでいる。
「こんにちは」
「どっから来たの、野宿できるとこしらん?」
「ドライブン水車のそばの休憩所、みんなそこでしてるみたい」
「その手前にバスの停留所とかないかな」
「ない、このへんのバス停は、屋根どころか椅子もないから、休めない」
「そうか、じゃ、しかたない、そこまでがん張るか」
「そうそう」
年格好は、50代後半。いいお顔の人である。
でもまあ、ここまであった歩きのお遍路さんはみんな、いい顔で、その人の人間性や心が働いてることがわかる顔つきの人ばかり。
それがいい感じ。
「この先のはし、風がきついぞ、とばされんように」
はーい。
でお別れした。
後は淡々、1時間歩き。
買い物をしたりして、4時半、宿へ。
お風呂上がりのkさんがロビーで待っていてくださった。
ここもお風呂は温泉だった。
一日おきに温泉だ。
四国って、温泉だらけみたい。
歩行距離約30キロ。



2004年02月25日(水) *以布利まで

今日は、少しいやなことを書かねばならない。
歩きへんろ地図を失った。
昨夕、地図がないことに気がついてジョン万ハウスだね、じゃなかったららお寺だ
、と気軽に構えていたのだが・・・・ジョン万にもなくお寺にもなく、きいたり探したりした・・・・お寺までは確実に持ってきたはずなのだが・・・・困り果てて、交番に届けを出して、宗報さんに昨日昼食を取った喫茶店にも問い合わせてもらって(連絡がないからなかったのだろう)、バス会社にも聞いて・・・しかしない。
悪い想像なのだが、誰かに持って行かれた・・・・ようなのだ。
今、懐かしい宿「旅路」だが、ここにいらした今晩宿泊のお遍路KTさん曰く「あんたより地図が必要な*お大師さん*がいて一緒にいったんじゃないの」
うーむ・・なるほど。
やはりお寺・・・かな。
すぐに気がつかなかった私も行けないが(といっても、もって行かれたのだったら、探してもないだろうが)
本堂前の石灯籠のすごく目立つところに、荷を置き、笠と地図、そばに投げ出しておいた・・・・。不用心といえば不用心。反省。
まあ、今は宮崎さん、地図を古いからとお売りにならないようだから、必要だったり、興味を持つ人はいるのかも、だ。
まあ、そういうこと・・・・今後入手は難しいし、なにより地図にメモが入っていたのを失ったのがくやしい。
情けない不思議だが、kさんが荷が重いから地図を送り返すといったとき、もしか私が無くしたら困るからおくんないで、といったんだわ。不幸中の幸いだ。
「じゃ、予感がしたんだ」
と、私より必要なお大師さんが・・・といったKTさん。
はい、そうかもしれません。

今日は、朝から、宗報さんの調査につきあって「金剛福寺」の奥の院まで登ってきた。
白皇山山頂だ。
亜熱帯の林の中を登ること20分、なんと頂上は石槌神社。
さらにはストーンサークルだ。
気が強い。
ここは、昨日の唐人石遺跡と共通の文化圏に属していたはず。
で、そこに後生に、宗教遺跡や場が重層していった、ということだろうう。

kさんは、今日は、とても歩けないというので、宗報さんに車お接待で、宿まで送っていただいた。私の荷物と共に。
私は、約15キロあまりを、荷物なしで軽々とすたすた。
途中、遍路小屋に泊まった若い女の子2人とあって話す。
都内の某大学の野宿研究会のメンバーだとか。それで、23日、ここまで野宿、しかし、すごく元気で明るい。
遍路小屋sw、やはり大学4年生の男の子としゃべる。
若い人が多いんだよね。
どなってんだろ、日本。
4人で歩き始めたのだが、女の子たちは荷が重くておくれがち、しかし、やはり旅路に荷物をおいてきた大4生とともに歩いた。
3時すぎに着。
おじちゃんもおばちゃんもお元気だった。
今日は7人のお客、満員だという。

昨日、今日と楽をした、明日からまたがんばろう。



2004年02月24日(火) *足摺テルメ、なかなかじゃん

朝の三原村は、真っ白な世界。霜が降りているのだ。
7時すぎ発。
例のごとく、氷点下である。
下の加江側に沿って下るぐねぐね道、一車線の寂しい道・・の印象があったが、今やすっかり付け替えられて、広く明るくなった。変わった。
で、さらに、土佐清水と宿毛をつなぐ道路の大工事をしていて、景色が様変わりしている。びっくり。しかし、過疎の村の印象は変わらない。
Kさんは薬を飲んだが、効かない、とぶちぶちいいながら、足を引きずりつつ歩く。私も、できるだけ彼女の歩調にあわせたいのだが、寒すぎてついつい早くなる。
やがてお日様が差してくると、ほっとする。
お日様の力は偉大だ、と思う。
休み休み、ゆるゆると下る。

今日は、宗報さんがこちらに調査に来るというので、下の加江で3時頃といわれているが、1時すぎに出たので、喫茶店で食事をして休んで、バスで足摺に出た。
kさんは、すでに限界状態だし、乗るしかない。
今日は、私もご同行しましょうということで、乗った。というのも、ここはうち戻りの場所だし、同じ道をまたここに戻るので行きは乗って帰りは歩くということで。
昨日、いきいき三原会の寝具の枕が竹製で寒くて12時頃まで寝られなくて、結局、座布団を枕代わりにして寝た。で、やや睡眠不足。乗ったとたん睡魔におそわれて眠って気がついたら、土佐清水の市街をすぎて、足摺西回りルートを走っていた。
宗報さんから、下の加江についたのでんわあり。しかし・・ねえ。
金剛福寺で落ち合うことにした。

3時半、金剛福寺。
お参りをしていたら、宗報さんも来た。
ちょうどよし、だ。
金剛福寺の納経所、車ですか、聞かれて、いえ歩きですと言ったら、ご苦労様です、と手ぬぐいをくださった。
宗報さんは、納経所で、奥の院について熱心に取材しているので私とKさん、ジョン萬ハウスへ。
そこで、歩きの若者と会った。
今日は、カンカンラリーの先鋒の男性と三原のお遍路休憩所で、それから彼、二人目である。
毎日歩き遍路さんに会うこのごろだ。
そうそう、今日はウグイスが上手に鳴いていた。
春、そこまでですわ。

宿は、足摺テルメ。
着く前に、唐人駄馬遺跡に行った。
前からいきたかったところだ。
唐人石、ここは、縄文遺跡というが、巨大なイワクラだ。
気が強い。
古代の祭祀遺跡と考えていいと思う。
駄馬遺跡の方はストーンサークル。
ここも、気が強い。(唐人石ほどではない)

テルメは、温泉で、部屋もきれいでグッドな宿。
夕食もグー。
なにより、建物がおもしろい。
食事をしつつ、宗報さんの今日の調査成果を拝聴した。
なんのつもりかねえ・・の話題は「遍路道にかけられている、キリスト教伝導の木札」だ。
手のひらサイズの木のお札に、赤で十字架が書いてあって、黒字で聖書の言葉が書いてある。
「遍路道に十字軍がきた」と私は感じているのだが、無神経というか、びっくりというか。
歯長峠を、ひーひーとのぼっていたとき、目の前に、「イエスキリストを信じなさい」という、お札がぶらんと来たときは、さすがにむかっときた。信じなさい、という命令形が私の疲れた体と神経を逆なでしたのだ。
時々、故意が偶然か、そのお札が、落ちていたり、落ちて割れていたりする。
それもまた、なんだか気分が晴れない。
どんなお方がつけたのか知らぬが、罪作りなことである。
そんな話をした。

ここは、国民宿舎にしては、高いが、いい宿だと思う。
さらには、お遍路の宿としても、贅沢すぎると思うが、一度泊まりたかった宿なので・・・・
私のお遍路史上初めて、温泉に2度入った。
質素、修行を旨とするお遍路道からはずれているかも、と心やや痛し。
かの若者は野宿をするといっていたが、ごめんね。






2004年02月23日(月) *三原村まで

外は晴れているが、風が強い。
6時45分にご飯。7時10分、Kさんに見送られて出た。
kさんは、今日は、宿毛の病院に行って、1時に39番延光寺で待ち合わせとした。
宿毛の病院を夕べ、インターネットで調べて電話番号をお教えしたのだが・・・・読地図、一人行動が苦手な人なので心配だ、などと思って、ぽこぽこ歩いていたら、路傍に「国保 一本松病院」。うん、まあ、見てもらっても良さそうだ。と判断して、kさんに「歩いて10分の一本松病院、良さそうですからここの方がいいですよ」と電話。
これで、kさんが宿毛で迷子になる心配が失せたということで、やれやれほっ。
本日の心配は、松尾峠への入り口。越してくる分には、すんなりと一本松の町中に出るが、逆はねえ・・・案の定、町中で聞き、町外れで迷い・・・私が、町外れで道間違いをしているのを、横目で見ながら、知らん顔して?(いやな気配を感じた)うちに入ったおばさんにはびっくり。でかい新築のおうちで、犬が何匹もいて、わんわん、ほえる、ほえる。
まあ、自分の記憶でこの道は違うと気がついて、方向修正したが。
どうやら、一本松町の雰囲気とお遍路さんは合い性がよくないらしい。
それは、道しるべを見るとすぐにわかる。
四国の道、宮崎遍路道の印が不備なところ、お遍路に心を配る人々がいると、補強してあるのだが、この町は全くその気配がない。
松尾峠を降りて、高知にはいると、びしばし、地域の人の心ずくしの、しるべ札があって、大いに助かる。高知側は迷う心配は逆でもない。

で、松尾峠、すごい風である。山がなる。冬型気圧配置が、お日様の光を輝かせている。気持ちいい。やっぱり、山越えはいいなあ。
以前は、松尾大師跡のみだったところに、松尾大師堂、高見さんが中心になって建築されたモノだ。
しっかりとかんぬきがかかっていたので、あけてお大師さんにお参り、中には一人、寝られるようになっていた。
「一夜庵」(連泊禁止)の張り紙もあった。
昨日は宇和海が見えなかったが、今日は、見事な景色が眼前に広がる。
しばし、眺めて、ぼちぼちくだる。
下り始めたら、猟銃の音。
イヤだな、と思いながら下る。昨日も、柏坂で聞こえていたが。
下りて、女性の一人遍路さんにあっておしゃべりをしていたら、通りかかった農家のおばあちゃんがうちで採れた無農薬のポンカン、と2つお接待でくださった。
ありがとうございました。
休憩で食べたがすごく甘くておいしかった。

時間を気にしつつ、進むと、今度は男性の一人遍路さん。
女性の方は、国道から来たらしいが彼は遍路道、「木が倒れているから、這うところがありますよ」「はい、ありがとう」で、しばらくいうお話。聞けば、今晩お宿は磯屋さんだという。
磯屋さんは、いいお宿、私もKさんも泊めていただいたことがある。
さらに、松尾大師堂のノートに、女将さんがお参りに見えたときの書き込みがあったのでなつかしいな、と思っていたところだったのだ。
kさんと私の名前をいって「今回は、距離の関係で泊まれなかったんですが、よろしくお伝えください」
 といって、お別れした。
歩きながら、kさんに電話。
すると「宿毛へ出て、そこで車お接待を受けて今39番に向かっているところ」というお返事。どひゃ・・・39番へはやく行っても近所にお店はないし、宿毛の市内でお茶でもして12時くらいに向かえばいいのに、と思ったものの、すでに車の中ではどうしょうもないわ。
寒い中、私を2時間近くも待つことになる、悪いなあ。
いよいよせっせこっせこと歩く。
でも、山中であった、お散歩中のおじいさんとまたおしゃべりしてしまって。
まあ、これが歩きお遍路の楽しみの一つだし。
宿毛市内で銀行によりまたまたどんどん歩く。
寒い風、飛びそうになるほど強い。
それにしても、宿毛市内、寂れた。
新しい道路(高速)がついて、すっかり寂れたぞという印象。
みんな、早い道路、便利な道路を期待しているけど、果たしてそれが地元のためなのか、と宿毛の寂れようを見ると考え込んでしまう。

12時50分、39番着。
Kさん、境内の椅子でお待ちかね。
寒かったでしょう・・・すみませんねえ。
お医者さんは、痛みは、筋と外反母趾から来ている、といってレントゲンも撮らずに「あと、1週間か十日、歩かせてください」というkさんの言葉に応えて薬をくださったとか。
よかった、よかった。

1時25分、39番発。
久しぶりに、バス2台分の団体お遍路さんを見た。
ご詠歌の団体らしい。
団体お遍路さんの、まっしろな遍路着がまぶしい。
でも、でも、しかし、私は、納経人任せ、境内に、15分しかいない団体遍路さんに、むむむ・・・と思ってしまう。
お寺の境内は古来から現代まで車が入らないところ、歩きのお遍路も車のお遍路も、平等に「連綿と続くお札所の空気感」が味わえる場だ。できるだけながくいてほしいし、ゆっくり空気を吸って欲しいと思う。
納経も自分ですれば(否、本来、自分ですべきモノだ)、その分ゆっくりできる。
たった、たった、と早く効率的にまわって、それで???と感じてしまう私なのだ。
お体の不自由な人は、境内や石段、ゆっくり時間をかけて移動される分だけ、境内の空気感をしっかりと味わっておられることだろう。
歩き遍路の法楽は、強者(足の強い人、早い人)にあるのではなくて、むしろ、他力にすがって、お大師さんにすがった弱者(遅い人、故障に苦しんだ人)にあると思うのだが、それは境内にいる時間の法楽とも重なるかな。
遍路道は、「いわゆる」弱者が輝く道・・・なんて、話がそれましたわ。

宿毛市内から、三原村越えの道へむかう。
この道、人気の少ないぐねぐね道、だったが、それは95年当時と変わらず。
四国内、ずいぶん、歩道が整備されたが、この道は変わらず。
ダンプなど大型車が通るのが怖い。
しかし、深閑とした時間、周囲の山を仰ぎ見れば早春の気配や空気のきりり感、ああお遍路、やっぱりいいよな、としみじみ感じる。

4時過ぎ、三原村着。
宿の「いきいき三原会」まではまだだいぶんあるが、びっくりしたのは村の変わりようだ。
昔は牧場しかなかった村はずれに、団地、運動公園。さらに、村の外側に2車線道路、昔は、村内を通る1本しかなかったのに。
大いに変わってしまった。
5時ちょうど、着。
Kさん、調子がよいらしくて、毎時3キロ強の早さだった。
よかった。

いきいき三原会の遍路宿は、古い老人ホームを転用したモノ。
部屋、お風呂、トイレ、みんな、かなりの年代物だが、代表の増井さんが親切にお世話してくださった。










2004年02月22日(日) *一本松町まで

朝からあたたかい。
今日の天気予報は雨なので、降らないうちに行けるところまで行きたい。
柏坂を越えたら、kさんはバスで、40番へ。お参りを終えたら、またバスで1本松のあけぼの荘まで、と決めた。
柏坂越え、津島からだいたい12キロくらいだ。
今朝は、薬を飲んだら、ずいぶん、痛みがましだという。

柏坂こえの道、ずいぶんよくなっていてびっくりした。
トイレ、道幅・・・・
以前は、忘れられたいにしえの道の雰囲気がしたのだが。
今や、しっかりハイキングロードだ。

12時、柏のバス停へ。
私は56号歩きだ。
このあたり、室手の海岸、宇和海の眺めがきれいなところだが、今日はあいにくの雨で残念だ。
雨が本降りになり始めたのに加えて、風も強い、向かい風に時々立ち往生する。
八百坂の地名がの残るこのあたり、実に上り下りが多い。
昔のお遍路さんにとっては難所の一つだったろうと思う。
雨の日で困ることは、休む場所がないこと。幸い、時々屋根のあるバス停があるので助かった。
そんな一つで休んでいたら、車のおじさんがキャンディをくださった。
ありがとうございます。
嵐のような空模様、外には誰もいない、淡々と歩く。
56号線、歩道が整備されていて、歩きやすいのが救いだ。

2時半、40番観自在寺着。
お参りを終えて、3時発。
いよいよ、あけぼの荘なでの12キロあまりの道のりを残すのみ。
kさんは、もう着いて、お風呂に入っている頃だろう。
あけぼの荘、温泉で、国道端、目の前にバスが止まるという、わかりいいので選んだ宿だ。

56号に再び出て、黙々と歩く。
遍路地図には、車道とかかれているところで、トンネルがあった。
人気もなし、休むところもなし、歩道は広いのだが。
仕方なく、時々、お杖につかまって止まり木状態で休憩。本格的休みなく一本松町へ。
疲れ果てた。
一本松町、町中にはいるとベンチの一つもあるのでは、と期待したのだが、見事になにもない。
この町のお年寄り、歩道が広いのはいいが、ベンチの一つもない、町中、散歩しにくかろうと感じた。

役場をすぎて大分になるのに、あけぼの荘が出てこない。
地図の血が違うのか、と思って聞こうと、軽トラック風の車に手を挙げるも止まってくれず。乗せて、といわれるのが、困るので??七日?と思うが冷たいことだ。
人も通らないので、仕方なく、もう少しいってみようか・・と進んだところで、出てきてほっとした。
5時20分着。
kさん、お待ちかね。
ゆっくりとできたらしい。
よかった。

久しぶりに、36,7キロを歩いただろうか?
足が痛い。ヤワである・・とほほほ。
明日は、晴れるといいのだが・・・



2004年02月21日(土) *お接待の嵐

今日は、お接待の嵐が吹き荒れたありがたい日だった。
忘れないうちにメモ
★とうべやのおやじさんに、お昼の焼きおにぎり。
 絶品の味だった。
 あんなにうまき焼きおにぎりは初めてだった。
★龍光院のお祭り(お稲荷さん)で、おもちのお接待
 おめでたいおもちだが、何しろ固い・・・食べようがない・・・
 ので、本日のお宿三好旅館へ「お福分け」
★56号を歩いていたら、祐子おばあちゃんから電話。(祐子ばあちゃん、声、すごく若々しくて一瞬誰かな・と思ってしまった)
今、40番を打って56号を走っているから・・会えるかも、ということで、私も、右側歩道に移って歩行。後15分のうちにあわないと、旧道にはいるし会えないな、と思っていたら前から車。よっくんと祐子婆ちゃん!!やあやあとお久しぶりの再会。うれしかった。
で、祐子ばあちゃんから、おいしそうなおもちをいただいた、ありがとうございました。それでよっくんと道ばたで写真を取ったりして。
★そこへ通りかかった、「森永おばさん」(ヤクルトおばさん系)が牛乳やらヨーグルトが入った袋をお接待。私は、重いのでとおことわりしたのだが、そうしたら瓶類は抜いて、軽いヨーグルトをくだすった。感謝。
★よっくんとおばあちゃんとお別れして、せっせこと歩いていたら、道の反対側から「お遍路さん」と呼び止める声。
今日は、叔母の49日の法事だったのよ、ご飯食べていかん?それとも、おなかはいっぱい?
はい、おなかはいっぱいですけど、せっかくお声をかけていただいたので、おばさんのお仏前にお参りさせてください。ということで、あげていただいて、お仏壇で、般若心経一巻唱えさせていただいて、ご冥福をお祈りした。きけば、97歳のおばさんでおうちでなくなったとか。
「私らには、生き字引のようなおばさんだったんよ、だから、字引を失ってしもたん」
お父さんの13回忌も共に営まれたとか。
経の後に「せめてこれだけでも食べて、すごくおいしいじゃこてん、宇和島名物、それから、これはフカ、すみそで食べるん、これもうわじまの名物よ」
ありがたくいただいた。
おすし、持っていかん、なんか、もっていって、といわれるので、バスで先に津島に行ったkさんへおいしいじゃこてんをいただければ、食べさせてあげたいので、と厚かましいお願い。
(宿について、kさんへ。あつあつとして、すごくおいしいよの返事あり)
歩く道々考えた、よその家におじゃましてお経なんて唱えたの初めてで、「私ら、お遍路さんはお大師さん、思うているし、今日のような日に、あがってお参りしてもらって、お大師さんにお参りしていただいたよなもん」といわれたんだけど、きっと、作法とかあるんだよね。「菩提供養のため」とかいって、お経唱えるとか・・・心をこめて唱えたけど・・今度、どなたかにこういうときのやり方を教えていただかないといけない、と思ったことであった。
21日、お大師さんの日に、光栄なことをいっていただいて、やはりうれしかった、はい。
★旧国道をひたすら登って、旧の松尾トンネルを抜けて(暗かった)今度はひたすら、下り。で、かなり下ったところにゴルフ練習場。足が痛いので、小休憩と思って、そこの陶製の椅子に腰を下ろしていたら、事務所から女性が出てきた。
「今、お客さん誰もいないんですよ、よかったら、中で休憩されませんか、お手洗いもありますし」
はい、でも外が気持ちいいですから、ここをお貸しください、といったら、彼女も座って話を始めた。チョコが少しあったので、二人で食べながら歩き遍路の話をする。で、とれをお借りして出ようとしたら、「これ、おやつです、2人分はいってますし、先にお宿に行かれた方と、明日食べてください」
袋の中には、お菓子とおミカン。
はい、ありがとうございます。

こうして、私は、道中ずっしりと重くなった袋を下げて津島町三好旅館に入ったのであった。
今日は、7時にとうべやさんを出て、仏木寺と龍光寺を打ち、宇和島へ。龍光院をお参りして、昼食。
kさんを、宇和島バスセンターから津島にいくバスに乗るようにして、一人で歩いた。
kさんは、とうべやさんから宇和島までの13キロほどを、ホントによく頑張られた、と思う。
三好旅館さん、すごいごちそうだった。
龍光院さんであったご夫婦が三好旅館さん泊まり。
「伊勢エビ、食べてくださいよ」
とニヤリとされたので「伊勢エビ!!」と期待していたのだが。期待は裏切られませんでした。
電話で予約したときも「食べ物で、お嫌いなモノはありますか」ときかれて、こんなことをきいてくれる宿は初めて、と思いつつも「私どもは何でもありがたくいただけますので」といったのだが。
それにしても、歩き遍路にはもったないおごちそうだった。感謝。
どうしても、食べられないので、少し残したが、申し訳ない。昨日のとうべやさんも、多すぎて少し残ったし、もしかして食欲が落ちてきているのか、やせるかな・・と期待している今宵である。

「お接待の愛媛」ってきいたことがあるけど、まさにそんな一日でしたわ。



2004年02月20日(金) *とうべやさんにて

大洲郷土館YHは、肱川沿いにある。大洲名物の「肱川嵐」を期待したが、でなかった。代わりに、きりりと晴れ上がった空、気持ちよい夜明けを見ながら、昨日スーパーで買ったご飯をチンして朝食とした。
今日は、私は7時発、kさんはバスで宇之町まで行って、12時半頃JRの駅舎で落ち合うことにした。
で、一緒に明石寺までお参りして、仏木寺手前の民宿とうべやさんまでの11キロほどを歩こうという予定を立てた。
kさん、今日は足が調子いいという。
よかった。昨日、送っていただいたおかげだ。感謝。

7時に出て、すたすた歩いて、遍路道を進むが・・・なんと大洲郊外高速道やらバイパスやらで景色がいっぺん。呆然として、カンナビで進むが、どうも違うような・・・と思い始めたところに、愛媛県警のパトカー。
すぐに手を挙げて止めて道を聞く。
そうすると、やっぱり違っていた。
「後ろに乗りなさい、56号へ乗せていくよ」
え!?パトカーに乗るの??
愛媛県警の車お接待か・・・滅多にないことだぞ。
ちょこっと、くらっと気持ちが動いた。
パトカーの車お接待って、ねえ、いいじゃんよ。
しかし、まだ朝だし、元気だ。
残念だったが「私、歩き遍路ですし、まだ元気ですし、」とお断りしたら、丁寧に道を教えてくれた。
やはりあのまま歩いたら、違うところに行くところだったようだ。いいところにパトカー君がきたもんだ。
ありがとうございました。

高速道路ができるとこんなに景色が違うのと思いながら、56号へはいる。56号も、かなり歩道が整備されていたが、札掛あたりはやはり歩道がなくて怖い道だった。札掛けの大師堂をお参りして、遍路道へ。
この道は、初めてだ。
鳥坂峠を越える、昔からの道だ。
しかし、林道や旧国道がクロスして、車が入れるところは、ゴミの投棄所状態、悲惨。車もナンバーをはずして捨ててあって、気持ち悪かった。朝のお日様がさんさん状態の時だからいいが、夕方とか、雨の降るような日は歩きたくない道だ。
しかし、下の国道も怖いし、陰気だし・・このへんはどこを歩くかは難しい問題だ。
何カ所か、完全山道にはいる、急坂だが、気持ちいい。ゴミも捨ててないし。
山道のカン拾いはしようと思うのだが、ない。うれしい。
山中、日天様をまつった古いほこらがあった。
道しるべの心配をしていたのだが、ほぞん協力会の道標のほかに「へんろ道を文化遺産化する会」なるグループがつけた印が充実していて困ることはなかった。
鳥坂峠、10時。
降りて、10時半。
12時半の待ち合わせ、厳しくなってきた。。。
それにしても、山道は気持ちいい歩きができた。
国道への道で、歩きへんろのおじさんとすれ違った。

またしても退屈な56号歩き・・ただただ瞑想歩き。
旧道にはいってもいいのだが、国道のほうが歩道が充実しているので、頭からっぽで歩きにはいい。
今日は、やたらにあつい。
一気に、春めいてきたような強い日差しだ。
一度休んで、おなかが空いたし、重たいしで、あんパンと牛乳で早い昼食。
またすたすた歩く。
12時45分、駅着。
20キロ、1時前にあるいたの久しぶりだな。

kさん、お待ちかねだった。
靴下を脱いで、水分補給して、トイレに行って、愛媛県警の車お接待の話などをしていたらあっという間に30分が過ぎたので、大慌てで、明石寺へ。
お参りを終えたら、境内にいたおばあちゃんがおミカンをお接待してくださった。今日はYHでもいただいたし、水代わりにおミカンを食べている感じだ。
さすが愛媛だ。

午後から雲一つない空、一段とあつくなる。
道筋には、スミレ、タンポポ、菜の花が咲いて、まさに早春だ。
ウグイスが来て車に止まったりしていたが、まだなかないところを見ると、ホントの春にはなっていないのだろうが。
kさんは、時速3キロやっとか、な・・・それでも、一生懸命だ。
とりあえず、仏木寺は明日打つので、日が沈むまでに着けばいいということで、ナメクジ遍路だ。
歯長峠越えの道に入る。
山道、昔と変わったような・・・木が切られたせいか。
それでも、山道は急でも登りでも体が喜ぶ。
気持ちいいわあ。
車道は「体の気が減る」気がするが、山道は「気をいただける」のだ。元気になる。
5時半近く、とうべやさんが近くなったところで、20代半ばくらいのへんろくんにあって「野宿するとこ、ありますかね」ときかれたので、四国の道休憩所を教えた。
で、とうべやさん、心配して外で待っていてくださった。

おいしい夕食だったが、量が多くて、初めておかずを残してしまった。
ごめんなさい。
水やお茶、ミカンは入るのだが、ご飯と揚げ物が、今一つ。
体が疲れているのもあるが、今日の気温の高さだろう。
とうべやさんの親父さん、楽しい優しい人だ。
奥さん?も、優しい声で気を配ってくださるし。
いい宿の評判がうなずける。
2人のおじさん歩き遍路さんが泊まっていた。
よっくんのカレンダーがあったので、よっくん、泊まったんですか、ときいたら、何度もというお返事。
よっくんと祐子ばあちゃんのおうわさをした。

kさん、明日も少しは(といっても、12キロほど・・・ふつう人には、少しの距離ではない)歩くといわれるので、これから明日の徒歩計画?を練らないと。
私は、峠こえが2つある30キロ。ほどいい疲れでござる。
でも、私、歩くのが遅くなった気がするわ・・・・・








2004年02月19日(木) *大洲まで

昨日は、5000円ときいていた宿代、4800円。
朝は出来立てのおぼろ豆腐と、ものすごく濃い豆乳。とても、おいしかった。
曇りがちの空の中、Tさんと7時15分発。
kさんは、内子町営バス7時43分で内子駅まで出て待つことになった。
そうすると、本日の泊まりの大洲郷土館YHまで、12キロほどの歩きになるので、まあ歩けそうだと本人申告があったので。
1キロ弱のところに、千人宿記念大師堂があるので、よって、山本さんご夫妻にご挨拶した。以前、お話を聞きに来たことがあるので。お二人ともお元気そうだった。で、大師堂には、60歳の男性遍路氏。少しお話しする。お遍路をして、四国に魅せられて仙台から高知は四万十流域に奥さんと移住、有機農業をしていてほとんど自給自足の生活、すごく満足だ、というお話を聞いた。すごくいい目で、それが印象的だった。
お別れして、出るとすぐに、Kさんが乗ったバスが追い越していった。
Tさんと「寒いねえ」といいつつ歩く。バッグにつけた温度計を見ればマイナス4度・・さむいよな。
打ち粉からおく、道が狭くて苦手なところだったが、立派な道路に付け替えられていてびっくり(一部未完成)。またしても日本土建国家を感じた。しかし、お遍路さんは歩きやすくなったことは確実だ。
特に、大瀬の町中を通らない新道にややあせった。
大瀬の町中、結構好きになので。
千人宿で、お接待にいただいた、リポビタンDを休んで飲むも「ファイト一発!!」にはならず、寒くてそそくさと歩き出す。
長岡山トンネルをすぎたあたりで、歩きのお遍路さんと遭遇。
通しで、今日は久万の伊藤旅館打というが・・・しかしやっていないのでは・・早めに予約電話をして、だめだったら、小田町に宿を取るしかないですよ、鴇田を越して、久万は無理だろうから、という話をした。
定年後の方のようだったが、一人は午後になって山の中だったりすると寂しいよと素直にいわれるので思わずほほえんだ。
「寂しい」もゆとりのうちだよね。
内子の道の駅から利着10時30分。
トイレ休と、昨日からアイスが食べたいといっていたTさんのお薦めソフトがここにあるので、休んで食べる。ゴマソフト、ゴマ!!って感じでおいしかった。
Tさんは、干し柿ソフト、これまた柿が入っていてグッド。
彼女がめざとく、幻のクリームパンという表示を見つけたので買おうとするが、売り切れ。まだ午前なのに、売り切れなんて、どんなにうまいんだ?
不ツーのクリームパンと餅を買って、ミカンを眺めていたら、お接待で一袋いただいてしまった。ありがとうございました。
大急ぎで、内子駅へ。
Kさんに、内子駅そばの喫茶店を教えておいたのだが、なんと10時過ぎまでひらかなかったようで寒い中駅で待ったとか。ご苦労様でした。
駅から旧道へ進む。
で、スポーツ公園内でお昼。
この道は、由緒正しい遍路道のようで、過去2回国道を急いだ愚かさ感じた。
静かな、土道いい感じ。
国道へ出てどしどし歩く。
Kさんはどうやらついてこれているのでほっとした。
亀岡モータースの前で、那美ちゃんのお接待コーナーでアメボックスをのぞいたら、なかったのでじゃ、私たちが入れようか、と私が持っていたハッカ飴を入れていたら、昨夏にたまちゃんたちと足摺出会った白いお髭のお遍路さんが自転車でやってきた。
飴を差し上げて、錦札をいただいた。
そこに、また二人の遍路さん、白い髭の方のお連れのようで、ボックスにはいっていた銀札の主と、私たちが道の駅であった野宿遍路の方。
で、しろひげのかたが「今、私たちが飴を入れたとこ、からだと寂しいから」といったら「じゃ、ワシのも一袋入れといてくれ」
何てことを、那美ちゃんボックスの前で交流。
玉ちゃんの噂なんかもして、足摺でお会いしたこともお話しして。
錦のお札をボックスに入れた白髭お遍路さん、ここにいれといたらもって行かれるかもしれんし、事務所においてくるわ、と。
で、那美ちゃんママが出て見えて「あら!」と声をかけてくださって、お茶をいただいてお話をしてきた。
那美ちゃんは、まだ学校だったが・・・・。(残念)
送りましょうか・・とおっしゃってくださったので、Kさんが足を痛めているので助かります、とありがたく車お接待を頂戴した。
十夜橋にお参りして、YHまで送ってくださった。
Tさんはさらに駅まで送っていただいて松山へ帰った。
夕方Tさんから電話があって「今日はいい出会いがたくさんあって、お大師さまからご褒美をいただいたようだ」と喜んでいた。
この、YHも、大変すてきなYH。M35年の旧制中学(宇和島中学、大洲分校)の一部を移築したモノで、ペアレンツの方もいい方。那美ちゃんのママもご推薦のYH。あたりである。
ホントに、今日はいい一日でした。






2004年02月18日(水) *内子町大瀬へ

Tさんが朝温かい味噌汁が飲みたいと行ったのだが、7時朝食では少し困る・・・今日も昨日に引き続いて、山越えありの30キロはたっぷりなので、やはり、部屋で前夜作ってもらっていたおにぎりを食べて6時50分発。
外はカンカンに凍り付いていて、氷点下6度(私のバックについている温度計)さぶい。
久万は、四国で唯一リンゴができるところというのが納得できる。
車道をワシワシ歩いて、山越えで44番大宝寺へ。着8寺15分。やはり雪が残っていたが、空気がりんとして気持ちいいなかをお参りした。
しかし、44番納経所、誰もおられず、押しても来ず・・しばらく待たされた。
びっくりしたのは、トイレ。
霊場寺院が昔と一番変わったのはトイレだが、ここは95年と変わっていない。
クラシック。
kさん、Tさん、「なんかでてきそう」とびくびく。
トイレは、霊場寺院の遍路へのもてなしの心の現れだと思うので・・・わたしは・・・95年以来不変のトイレに、残念といえば残念。

すごくいい天気。
お久万大師堂のところで、ひなたぼっこしながら大福を食べて、10時発。
ひわた峠への入り口に少々迷ったが、何とか登り道へ。本日のメーンエベントである。
簡易舗装が終わると、山道、急だが、土道は柔らかでいい気持ちだ。
山は、春先ほどは気で満ちてはいないが、しかし、気持ちいい。
ひわた峠付近はかなりの雪、おまけにとけかけたものが、凍ってアイスバーン。
峠から下るとちゅう「だんじり岩」
初遍路の時にここで、ホントに空腹でつらくて力が出なかったのだがお大師さんもここで、空腹に悩む自分に修行不足を感じて、だんじりを踏まれた場所とか。
そうか、お大師さんもそうだったんだ・・と納得したところだ。懐かしい。
ちなみに、ひわだ峠も、逆うちは順の倍はしんどいと思った。
宮成の、葛城神社で昼食。
私の予定では、下坂場をこして、三島神社で昼食だったのだが、遅れている。
仕方ない。

内子までの道、以前も、過疎の人気の少ない村だったのだが、今回はもっと、空き家になっているうちが多い、と感じた。
でしかし、2車線のひろーい歩道付きの道路を造成中。
これって、税金の無駄遣いだよ、と愛媛県は松山市在住のTさんと、あきれた。
道路を立派にして住む人が増えるのだったらいいのだが、そうではないでしょ。
トンネルなんかの工事もしていて、ホント、日本は土建国家だわ。

緩い下り、私にはちょーらくちんの毎時5キロコースだが、くるぶしの痛いkさんはどんどん遅れる。
で、歩き方もつらそうだった・・・
しかし、何とか歩きとおして5時15分来楽苦着。
明日は、バスで内子まで出て、私たちを喫茶店で待つことになった。
半日休予定。
彼女は、終わって帰ったら引っ越しの準備がある人だし、がんばって歩いたが、帰ったら寝込んだ、じゃ困るし。

ここ来楽苦の食事は、豆腐づくし。
すごくおいしくて、冷や奴をお代わりしてしまった。
1泊2食付き5000円(へんろ館情報より1000円高い)だが、ベジタリアン系の人にはありがたい食事だ。
明日も、濃い豆乳と、出来立ての豆腐が出る、楽しみ。
夏は、運がいいと、天然鮎がつくのだとか。





2004年02月17日(火) *古岩屋荘まで

7時、長珍屋発。
寒い。本日同行するという松山のTさんから歩いていたら電話が入る。
浄瑠璃寺前7時40分、終点までだと、ちょうど私たちの歩きと同着くらいになるはずだ。で、網掛け石大師堂の前で、お参りして歩き出したら、彼女の声がして、合流した。
いよいよ、三坂峠の急坂に入る。えんえんの登り。
このへんは、順番打ちだと松山市街が一望できて、やれやれのところだが、登りは景色も違うが、この峠を越えてもさらに久万の山坂が待っていると緊張する。
簡易舗装が終わって山道にはいる。
いや、ここまででも、十分疲れているのにさらに急坂が続く。
kさんが遅れるので後ろをみいみい行く。
9時50分、三坂峠着。山道にはいって、40分の道のり。寒い、雪も残っている道を登るのは難儀である。途中、順打ちのお遍路さんにあう。
今日は、とにかく4時くらいには岩屋寺について、5時過ぎには宿に戻りたいので気を抜く暇がない。
kさんには、悪いがとばす。
千本峠を越すので時間がかかる。
千本峠のみち、これがまたなかなかきついんだ。山の道は好きだが・・ノンビリではなくて時間をみいみいというのがストレスだわ。
千本峠を登り切ったら、河合のおばあちゃんたちが新四国をまわるということで弁当を食べていた、旧の山道は崩れとる、という情報と、とおれんかったら河合におりるんよと教えられて、別れる。
新四国29番のむこう、確かに崩れていた。
河合へくだる道が宮崎遍路道なので、そこを行く。
この道がまた、下って登っての急坂道。
kさんがどんどん、おくれるが・・・
雪が残っていて凍結しているので滑らないように気をつかう。
河合の旅行村の休憩所1時45分。やっと昼食だ。
私の計画では、ここに1時半について、2時まで休息。で、3時に、古岩屋荘で荷物をおいて、4時岩屋寺。とにかく、岩屋寺ははずせない・・ということはどうやら大丈夫みたい。やれやれ。

岩屋寺もたくさん雪が残っていた。
が、お参りを終えて5時15分着。

岩屋寺で「かなう不動」に、私としては珍しくお願いを一つした。
そうしたら・・・かなった。
お不動さん、実に素早い。ありがとうございました、でした。
温泉、品数の多い夕御飯、ほっこりしました。
夜は冷え込んだが、★がきれいだった。
携帯は、柱が立たない、たっても1本やっとだったのだが、愚さんが電話をくださったときは、なぜか3本たち、たくさん話ができた。
TさんもKさんもびっくり。
で、その後は、圏外のまま。
愚さん、ネンパで柱を立てていたのか??不思議だった。






2004年02月16日(月) *47番浄瑠璃寺まで

7時15分に、カネマツ君とMMさんが、車で仙遊時まで迎えに来てくださったで、7時56分の松山行きの乗車。
kサンのご主人もこれでご出勤。kサンも送りにきてくれて・・・・またね、ね!!でお別れした。

九時すぎに道後に着くも、松山のTさんに電話。明日の三坂越えを一緒に歩きたいということをいっていたので一応松山に着いたことを知らせた。
そうしたら、午後から、合流するとのこと、びっくり。
道後で、お金をおろしたり、お賽銭を作ったり、田舎の母にあまくさというみかんをおくったりで、石手寺着10時すぎ。
今日は、繁多寺、浄土寺、西林寺、文殊院、八坂寺、浄瑠璃寺と進む予定。
近いが、逆に打つとなると手強そうだ。
案の定、繁多寺への道遠回りをしてしまった。
浄土寺でお昼休憩で休んでいたら、なんとすり足で進む女性遍路さんと遭遇した。
きくと、10番まで歩きでいったのだが、膝の下が腫れて炎症を起こして歩けなくなり、1番に車をおいていたので戻り車を運転して、途中にお医者さんに寄りながらここまで来たのだという。
10M歩くのに、5分以上かかっている。
壮絶。
昨日も、岩屋寺でふつう1時間のところ、5時間以上かかってお参りしたとのことだった。
ふつうなら、帰るよ、しかし、しかし・・・どんな思いがあるのか知らぬが、根性あるな、だ。
がんばってください、とお別れした。
西林寺から杖の渕公園へ、ここでTさんと再会。
明日は、一緒に歩いて、私も泊まるわ、と元気なTさんであった。
楽しく歩いて、途中にTさんの名前だけが存じ上げていたお友達のおうちによってご挨拶などもして、あがってお茶をといわれたが、時間がなかったので失礼した。4時前に八坂寺着。
きれいになっていたのでびっくりした。
で、本堂では、お坊さんが、6人ほどお揃いになってなにやら荘厳な読経の真っ最中だった。
納経所でお聞きすると、今日はお大師さまの誕生日(月)なので、その経なんだとか。
きくところによると、毎月、回り持ちでどこかのお寺でなさるのだとか。ふーん、そんなことしているのか・・・だった。
4時40分、浄瑠璃寺着。
先に納経。
ご人徳の高さで有名なご住職さまが納経所にいらした。
「どこからですか」
「歩いてご苦労様」
「今日はどこにお泊まり」
等々・・・懇切なお言葉をかけてくださった。
その後、ゆっくりとお参り。
ここは本堂も大師堂も、いかにも札所といった古式な雰囲気があっていい。
Tさんもここは好きな寺という。
彼女のバス時間まで境内にいたら、ご住職みずから、境内にある小さな石仏や、お墓などにお線香をあげてまわられている。
で、本堂は、やはり奥様らしきかたが掃き掃除。
なるほど、境内がなんだかゆかしいわけだ。
納得した。
前のお参りでは、ゆふの寒い朝7時前、本堂や大師堂で勤行が終わったばかりのところに行っていいな、と感じたモノだったが、やはりいいなと今回も感じ入った。
Tさんを5時23分で送って宿へ。
本日の歩行距離は約15キロほど、まあ私的にはふつうの歩きの半分。
全然疲れず、水も減らず。
しかし、kサンは、ちょうどいいという。
足も、これくらいなら行けると・・・
しかし、明日は26キロほどはありますから、というとウヘー!!
ご主人ありし日には、30キロ、35キロと歩いていた黄金の栄光を背負った方なんですがね・・・
「これが終わったらもうこんなに歩くことないと思う」といわれる。

今日は、歩きの方に3人会った。
毎日数人は会う。
多いよね。
八坂寺では、通夜堂から出てきた男の人が「石手寺に托鉢してる人はいたか」ときく。
門前に立つのは、托鉢とは少し違うときいていますが・・とはいわなかったが・・・こういうお方が、門前にたって頭を下げるだけ・・となってしまうのか、と思ったことであった。

昨日の日記と2日間のアップ、疲れましたわ。
シグマリオンがごねないでくれてありがたいが。



2004年02月15日(日) *松山、つもりが今治へ

朝7時発、強風の財田川沿いを歩く。
寒いが、きりりとしていい気持ちだ。このルートは逆とはいえ、わかりやすい。
8時20分、着。
びっくりしたのは68番の本堂がコンクリートになっていたことだ。
真新しいが、なんだか味気ない。
以前の本堂が雨漏りがするので、ということらしいが・・・・・
二つお参りして、ここでいったん終わり。
昨年春、観音寺駅から帰っているのでそこまでいって電車で松山までワープして、明日、石手寺から逆打ちする。

観音寺駅に行くとちょうど各停が出たところだ。
で、松山に行く途中に杖大師に寄ってお参りするということで、北条へ。
杖大師の堂守、沖田さんが亡くなってじきに1年・・・なのだ。
電車に乗ってる途中で、今治のKさんから電話。
今回は素通りのつもりが、今日はコンサートなのできてよ、というお誘いだ。
で、ついに、今インドから一時帰国しているカネマツ君も来ている師、彼に杖大師間まで迎えにいってもらうから、ということになってしまった。
カネマツ君は彼が逆うち野宿遍路中99年に善通寺の境内で知り合って、いろいろと話していたら、共通の友人が今治のKさんだったという奇遇系の友人。あったのは、1度だけど、電話で何度か話したしkサンを通じてお互いの消息はよく知っている。そんなカネマツ君に会えるのだから、これは行かねば、kサンのお誘いにのらねばだ。
杖大師のミツコさん、1年だけはいるといわれていたが、どうするんですか、とおたずねしたら「います」というきっぱりとしたお返事だった。
顔も明るくなられていて、ほっとした。
ここにくる前に沖田さんから、段ボールいっぱいのお手紙をもらっていて、そのうちのすごくいいお便りを3通手元に置いているといううるわしいお話を聞いた。

で、車のお迎え、なんとカネマツ君と16年回り続けていて、今治に来るとkサン宅に長居するMMさん、kサンのご主人の男3人でお迎え。
オオ!!であった。
コンサートは今治古墳館で。
那須祐之(ゆうじ)さんといういう方の、実にユニークな楽器を使った楽しい演奏だった。
どんな風にユニークかといえば、ドラ、スチールドラム、ひょうたんから作った木琴、ひょうたん、水、石、幾種類ものドラムねしのぶえ、石笛、ネパールのシンギングボールなどなど・・・(後で何種くらいあるんですか、とおききしたら、わからないとのこと)
風、光、雨、花、雪・・・そんなモノを音にしたらこんな感じかな、という演奏でほんとに杖大師から「拉致」されてよかった。

前夜コンサートをしたのは、仙遊寺で今晩は住職がいろりを囲んで鍋会にしようとご招待されているんだとか、で私とkさんも仙遊寺の宿坊泊まり、ということで仲間に混ぜてくださった。
奥様やお手伝いの方を入れて総勢12人ほどの宴会だった。
いろいろなお話ができて、カネマツ君とも久しぶりにゆっくりお話ができたし、お遍路に来て、今仙遊寺でお手伝いをしている男の子とも話し込んだし。
なにより、MMさんがどうやら回り続けることをやめようと決心しかけているをみんなに話したことがビッグニュース。
kサンと私と、さんざん、会うたびにもう止めタラ・・と直言しつづけてきたので、よかったねえ、とkサンやみんなで喜び合った。

宴が果てたのは、11時近かった。
お遍路の道草的日であった。



2004年02月14日(土) *本山寺へ

7時20分頃、善通寺発。
少し肌寒いがいい気持ちの朝だ。
が、が、が・・・・・問題は、夕べ、我がモバイルシグマリオンちゃんが「固まった」仮死状態になってしまったこと。リセットをかけても、死んだまま、あれこまったよ・・ということで、ショックで私もふてて寝込んだ。
で、甲山寺さんでお参りしてふと見れば「一願お不動さん」・・・「シグマリオンがなおりますように」とお願いした。
甲山寺の納経所には、普段着姿のご住職さん。八十八カ所霊場会の理事さん、いろいろお世話になったこともあるし、ご挨拶をしてお話しした。
曼荼羅寺では、あの不老松がお大師さんになっていたのにびっくり。
知ってはいたが、実際に目にするとあのでかい松がなくなったのは寂しい。
出釈迦寺さんでは、納経所にいらした副住職さんとたまちゃんのことを話した。
ぼちぼちと、いい天気の中を弥谷寺まで山道越えだ。
枯れ葉がかさこそとなって冬ではある。が、早春の気配がする。
弥谷寺の手前で、昨日道隆寺出会ったおじさんと私の知り合いのMさん、それからもう一人の男性、計3人が・・・「1時間もまっとたんで」
すまぬことで。
曼荼羅寺で、NTTドコモのサポートセンターに電話してあれこれきいていたから、手間喰ってしまったのだ。
「フルリセット」(電池をはずして、出荷前の状態にもどす・・当然入れてある情報はすべて消える)したら、といわれて、それをするくらいだったら電話しない、それをしたくないから、サポートに電話してんじゃないのよお!とか叫んで、サポートの若い子を困らせていた。
そんなこんなで、善き人のMさんはまた俳句茶屋に戻ってしばしおしゃべり。
俳句茶屋の甘酒は絶品。草餅お接待、これまた絶品。おいしかったわ!
俳句茶屋のおじさんと話していたら、なんとまたまた共通の知り合いがいることがわかった。K君という今インドから一時帰国している好青年。彼とは、善通寺の境内で、声をかけて知り合ったのだけれど・・・話しているうちにこれまた、共通の知り合いの今治のKMさんがいることがわかって・・・なんだかお四国の知り合いって、数珠の輪のようにつながっていく気がして。不思議だ。
ザックを俳句茶屋おかせてもらってお参り。
弥谷寺を出たら、すごい風が吹いてきて、気圧配置が変わる気配だ。
善通寺を出るとき、昼から雨がくるとかいってますよ、と知り合いのお坊さんからいわれていたのだが、どうも当たりそう。
俳句茶屋のおじさん、金平糖をお接待してくださった。

弥谷寺の門前にまた「托鉢」中のお遍路さん。ご喜捨したが、またしても無言で頭を下げるだけ。
私は、思う。
せめて、お大師さんのご法号は口にできるのではないかと・・・・さらには、托鉢をするのだったら、作法をお寺の方に習ってからきちんとなさればいいではないかと。門前でたつことを許されている弥谷寺さん、請えば、きっと教えてくださると思うけどな。
弥谷寺さん、カンカンラリーの缶をおいてもいい寺みたい。(これ、少ないと思う)しかし、歩き遍路のみの道は缶込みはないか、ごくごく少ない。
五色台の山道は、缶ゴミ皆無。基本的に歩き遍路しか通らない道だし、うれしかった。ここへの山道もなかった。これまたGood。

弥谷寺からの道、旧道の入り口を間違えかけていたところで、初老の男性が声をかけて教えてくださった。自分も3月になると毎年歩くんだ、本山寺のそばに家があるから、そこから出て最初に弥谷寺を打って・・と進むんだという話をしてくださった上に、もう一度とても丁寧に道を説明してくださり、お接待をくださった。
ありがたいことだ。
今日は、3月に歩く練習で、本山寺から歩いてきたのだという。
それって、往復だと20キロ以上よ・・すばらしい!!
教えていただいたおかげで、道迷いなしに国道へ。
途中、消えかけていた印を持参の赤マジックで濃くするほどの余裕であった。

国道はすごい強風、笠が風をはらんで飛びそう。怖かった。
高瀬町にはいって、ついに雨が落ちてきて、雨具を出した。
そこへ、たまちゃんパパから電話。
いまどこですか。
本山寺まで国道を歩いています。
今、椿堂から仙龍寺へまわって帰るとこですが、顔見て帰ろうかなと・・・
はい!はい!
でしばらくいくと、kさん
「あ、ドコモショップよ」
おお!!
飛び込む。
宿に着いてから、観音寺のドコモショップまで行こうと思っていたからありがたい。よくぞ、見つけてくださいました。
何度、リセットしても、戻らない、フルリセットはしたくない、等々を話して、何とかできないか、とお願いする。
寒川さんという女の子「やってみますが・・少しお待ちくださいね」
待つこと、15分以上、なんと、彼女が奥から持ってきたモノは直っているではないか。
やった!!
「もう一度、リセットをかけてみたんですよ」
とはいっているが、それにしては時間が長い。
たぶん、バッテリーあたりも、情報が消える危険を冒していじったのではないか、と思われるが、めでたく復活してくれたのでよかった、よかった。
ちょうど、たまちゃんとパパもそこに来てくださって、たまちゃんまで「ありがとうございました」と、寒川さんに礼を言ってくれた。
ありがとうです、たまちゃん。。
で、たまちゃんの手にはお接待の袋。
お菓子とおみかん、ごちそうさま。
雨が降っているし、残り6キロは車で送ってくださった。
「ゴンは、今日は留守番」だそうだ。
本当に、ありがたかった。
kサン、この6キロが車だったので、今日は足が火照らない、楽だと、今喜んではりますわ、たまちゃん,パパ、ありがとうございました。多謝。
70番でお参りしながら、はっと気がついた。
今朝、甲山寺さんでお不動さんにお願いした「シグちゃんが直りますように」
かなえていただきました。★5つ!!
kサンは、足が痛くなりませんように、楽に歩くことができますように、とお願いしたのだという。たまちゃん号に乗せていただいた6キロのおかげでそうなった。
2人とも願いが叶ったねえ、と本山寺の護摩堂の前で不動真言をお唱えしてお礼を申し上げた。

シグちゃん、今は素直にうごいとりますが、また今後どんなご機嫌になるやもしれず・・そのときは日記のアップができなくなりますので、今から「ごめん」でございます。

今日は、そんな一日だった。
歩行距離は、足が火照らないのも当たり前の14キロほど。
こんなにたくさん日記が書けるほど、私も元気。14キロ、まあ、ふつうの半分だもんねえ。






2004年02月13日(金) *善通寺にて

朝、6時45分発。
坂出かんぽの宿、昨日は、落日が美しかったが、今日は、空にまだ月が残っている。昨日打てなかった白峰を打って、タクシー、と思ったのだが、kさんが「がんばってみる、遅くなるけどごめんね」という。
「そうですか、がんばりますか」ということで歩き始める。
かんぽの宿からの車道は、道の急カーブが怖いし、自衛隊の演習のせいでこれから戦争が始まるのか、というくらいに軍用トラックとジープが通るのでさけた。
白峰までの道にあった、自衛隊演習地だが、草が刈り込まれていてなんだか、大々的な訓練地に変貌しそうな感じだ。国立公園内で使いにくいといわれていたのに、やはりイラク派遣と連動しているのだろうか?
旧道、意外にいい道だ。下る石段は古さびていて、昔の人がふーふーといって登ってきた息使いがわかるよ。で、眺めもいいし。
途中からできたばかりの西行の道となってこれまたきれいだ。(後できいたら、やはり、先週に歩き初めをしたばかりだという話だった)
で、私は近くの高屋神社に寄りたいと思っていたのだが、片道20分といわれて、今回は断念。kさんの足のことを考えるとよけいな寄り道はやめようと・・・
で、黙々と歩く。
10時79番天皇寺着。少し道を間違えて15分ロスタイム。
お参りをして休もうとしていたら、昔歩いたことがあるという80歳のおばあちゃんに声をかけられて、お接待をただいたりしておしゃべりをした。
きけば、境での駅近くから、毎日ここか、78番郷照寺へお参りにくるのだという。一緒にいこか、近道を教えるわ、ということで一緒に歩いたが、なんと、自転車をひっぱているではないか、おばあちゃん。げんきやのう。
歩きと見ると声をかけるが「どこから」ときくと「どこでもええやろ」「あるいとるん?」というと「みりゃわかるやろ」とけんもほろろのお遍路さんがいる、だけどそういう人はあんたらのようなお遍路さんやない、おへんどさんや、違うんで。
後、幸月さんのテレビ放映の日に幸月さんにあって「今晩、ワシ、テレビに出るわ、見てな」といわれてみたら、逮捕されてびっくりしたこと。でも、優しい顔しとったで、とも。
で、睡眠薬をのまされて荷物を取られて、五色台のあたりに捨てられていた女の子の話。等など、おばあちゃん、話題満載。
しゃべっていると、愚さんから電話。78番へ、ドクダミさんが綾ちゃんのご供養で見えるとのこと。しかし、それが2時。私たちは、遅くとも1時には、78番を出ないと間に合わないという話をして、とりあえず切った。
しばらくしたら、今度はドクダミさんからの電話。なんと、あとすこしで、78ばんです、とのこと。え??なんで(後できいたら、ホントは2時までに高松のお不動さまに行くはずだったのだが、なんだか、瀬戸大橋のほうにいってしまっていけないことになって、あれれと思っていたら、愚さんの電話があって、78番に早めにくることができたのだとか、ちょうどご縁でした)
おばあちゃんが、宇多津の境まで送ってくれて泣いてお別れ(おばあちゃんは涙もろい・・写真、送る約束した)。婆ちゃんお話はおもしろかった。再会で商店街はシャッター通りになっているとか、うち風呂に一人でぼそってはいていてもしょうがないので、お風呂屋に行くのだが、そこには93歳のばあちゃんが90歳の手を引いてきて、体を洗ってやったりして世話をしている話とか。
80歳パワーください、っていったら、若いエネルギーが欲しいということで、私としばらく手を組んで歩きましたわ。80歳から見たら私はまだ若いらしい。(笑)

12時10分、78番着。
ドクダミさん、初めてお会いするがネット上では存じ上げているので、初めての気がしない。
一緒にお参りして、綾ちゃんの観音様のご案内してもらって。観音様の足下にはたまちゃんのお数珠が巻いてあった。
「ちょうど、ぴったりだった」とドクダミさん、いっていた。
日溜まりで一緒に、私はしたから求めてきた名物地蔵餅を食べて、ドクダミさんに「車お接待」していただいて道隆寺へ。
kさん、足が痛くなりかけていたので大助かり。
ドクダミさん、ありがとうございました。
わかれぎわ、ホラ貝を吹いてきかせてくださった。
下と上の音がでない・・という話で、じゃ、習わないと・・といったら、恥ずかしいとか。いえいえ、やりましょうね、というはなしとなりました。
77番をお参りして、椅子に腰掛けていたら、歩きよんのか、とおじさんが話しかけてきた。いろいろと話していたら、な、なんと、私の知り合いMさんお知り合い。明日、彼と、本山寺から、まんだら寺くらいまで歩くという。
どひゃー!!なんたる偶然!!!この出会いもそうだが、明日また出会いますねえ、といってお別れした。
で、行きがけにかの有名な「まんだら」さんによった。
そうしたらたまちゃんに何度もあったことがあるという「あんちゃん」にあった。で、次に「ああ、久しぶりのお遍路さん」といってくれた人がやっぱり、Mさんを知っていて・・・Mさん今日はくしゃみしているだろな、と笑った。
あんちゃんがたまちゃんの掲示板に書き込みするといってくれた。(さっき、見たら速攻でしてあってびっくり)

で、ホントにいろいろな人に会うね、とはなしながら進むも、道を間違えて、たぶん3キロほど余分に歩いて、善通寺楽勝のはずが、タイムオーバー。
私の読み違い。夕方に疲れが出てくると時々やる・・私一人ならいいが、kさんまでも巻き込むのでもうしわけない。
善通寺では、久しぶりに知り合いのお坊さんたちとお話。
お風呂がきれいになっていてびっくりした。
ホテルみたいなお風呂だった。
そこに、遅くついた団体遍路さんが夕食を食べている間に入って、2人で独占。
極楽湯であった。
今日は、思いがけず、たくさんお人にお会いしたいい日だった。
メールでkさんの足を心配してくださった方々、ありがとうございました。愚さん、電話の励ましありがとうございました。
kさん「ありがとう、がんばります!」といっています。
今日も歩きながらあの一期一会の「お大師さん」の話をした。
kさんは、あれはお大師さんだよ、と断言している。



2004年02月12日(木) *白峰打てず・・・

同行のkさんの足の具合が良くない。
右くるぶしから、かかとが痛くて、実にゆっくりな進行ぶりだ。
がんばる方なのでなかなか弱音は吐かないが、見ていると特に下り、そして登りで痛そうだ。
だから、田村神社をお参りし、一宮寺を打ち、午前には国分寺を打って、1時には五色台と思っていたのだが、予定が大狂い。
2時に五色台、これは白峰無理かな、、でやっぱり無理だった。
よっぽど、私が納経帳もって、走るか、とも考えたが、山の遍路道で彼女一人にして迷子にでもなられたら困るし、心細いだろうし、で私自身の発想を変えて、いいよな、そんなに急いでどこに行く、明日の朝でもいいじゃないか、と思いなおした。足の痛いつらさは、いつもまめや靴擦れ、筋肉痛に悩む私には、よくよくわかる。
白峰着5時20分、まあ仕方ないわ。

今日は、しかし、いいことがあった。
国道11号を歩いているときだ。
むこうから、墨染めの衣の方がくる。
ああ、飴あげよう!
きのう、たまちゃんにいただいたお菓子の袋にキャンデーの袋が入っていて、私もkさんもキャンディはたくさん持っているので「今日は、最初に会うお遍路さんにこれをお接待しよう」と決めていたのだ。
そうしたら、もう理想の方が前から来た。
で、大慌てでザックをおろして、これ、いただいてください。
そうしたら、その若いお坊さん、足は、ぞうり、素足、ずたぶくろは縫ってあって・・・・ご修行ですか、といったら、いえ、ただの乞食坊主です。のお返事。
しかし、その草履の足に感動した。
修行大師増のお大師さんのおみ足そっくり!!なんだな、これが。
遍路道でいろいろとお坊さんに会うが、草履も足もここまで迫力に満ちた方は初めてだ。
お顔は、実にまさに青年。
で、飴は、托鉢の鉢で受けられて、私がご苦労様ですといったら、深く頭を下げられて錫杖をふって、家内安全、等々・・お唱えして最後に南無大師遍照金剛で厳かにしめてくださった。
「早々、これ、じきにお昼ですし、召し上がってください」
と、はっと気がついて、今朝たべて、お昼用に4本取っておいた、小松島もおいしいちくわも托鉢に入れた。
「これ、小松島のおいしいちくわです、笑顔の大師たまちゃんという、かわいいお嬢さんがくださったんです、お副分けです」
「私は、お遍路ではないんですよ、ちょうど運辺寺の用があってきて、戻るところです」
といわれるものの、とにかく足がお大師さん・・・うれしかった。
歩き始めて、振り返ると、まだ立ち止まって送っていてくださった。
kさんと「あの足、お大師さんよねえ、あのたくましい素足、と草ぞうりだけで、もう惚れますわ」
で、二人とも、足に見とれていて、さらに私は、飴を差し上げると朝から思っていたので、それですごい方にあったのでそれだけで舞い上がり・・・
ああああ・・・・・ご喜捨、ご喜捨・・・しなかったよ・・・・
南無大師遍照金剛もいえないお方たちに必ずいれる私なのに・・・・情けないわ。
しかし、たまちゃん!!
いただいたちくわの半分と、お茶飴は、「お大師さん」に、お接待したよ。
ホントに、私もkさんも「私たち、若い頃のお大師さんに会わせていただいたんだよ」と確信している。

本日の出会い
女性二人、それぞれ一人歩き遍路
国分寺のトイレはかわらず、根香寺のトイレは、新品になっていてびっくりだった。
本日のルート
田村神社、一宮寺、国分寺、根香寺。明日の白峰
明日は、下りがだめだというkさんはいうし、あんまり痛かったら、下りは天皇寺まで車にしますか、という話になっている。
無理は禁物、臨機応変に行きたい。



2004年02月11日(水) *きららの湯泊

7時、志度町の富士屋さん発。お寿司やさんの宿だけあって、食事がおいしい宿だった。
八栗までの道、裏参道道。家並みが切れたと単位現れた、空き缶のポイ捨て。目に余るので、愚さんにいただいたゴミの袋に拾った。あっという間にいっぱいだ。
人の目がなくなったとたんのポイ捨て、見られていなかったらなにしてもいいというのかい?と捨てる人にきいてみたいわ。
わざわざ持ってきて捨てたとしか思えないペットボトルの山もあった。

八栗寺の大師堂の前で、さんや袋にお数珠が入っていないことに気がついた。
ここになかったら、バックしか考えられないのだが、ない。
宿に電話して探してくれるように頼む。それ以外としては、志度寺の納経所だ。
とりあえず、数珠なしでお参り。
あの数珠は、初遍路の時の満願して下山するときに自分の記念で購入した高野槇のもの。軽くていいので、以来遍路に愛用して、さらにはうちのお参りの時にも使っていて飴色の艶が出かけてきていたのに・・・・残念だ。
八栗の歓喜天堂のわきには、線刻の古そうな仏の姿もみえる。
ここの納経所にも「遍路に見せかけた詐欺師」福田某なる手配書が張ってある。
あれまあ、である。
ぼちぼち下って、寅さんも食べた草餅を二つ買って食した。
おばちゃん、ヨモギは毎朝取ってきて入れるんで、寅さん、草餅好きで、二回も買いに来てくれたわ・・等々いろいろと話してくれて、ニッキ水なる怪しい飲料を二本くださったが・・・。(実は申し訳ないが、ちょーまずだった)
洲崎寺、別の寺のようにきれい、真念さんのお墓にお参りして、いよいよ、屋島寺へ。
自動車道を横切って、登る道が復元されて久しい。
そちらへの道しるべも、できている。
で、私とkさんが、それをながめていると、自転車のおじちゃんが大急ぎで寄ってきて、親切に教えてくれた。
八島東小をすぎると、道が二手になる、右にはいって、安徳神社。次はまた右に進んで、大きな生け垣のある家と白い家の間の細い道を入る。道しるべはついている・・とのこと。
ありがとう
しかし、この、遍路道、いや・・・・大変でしたわ。ただならぬ急勾配で、まっ縦に山に続く。八栗は息も切らさずに登ったが、さすがにひーひー状態。
しかし、振り向くと壇ノ浦の入り江。途中に佐藤継信の墓もあったりして、源平古戦場の情趣は否応にわくが、坂がきつい、ひーひーぴーぴー
というところに、たまちゃんママからお電話。
志度寺近くだという。
12時に屋島でしょうと、いうことで電話を切る。
今日は、わざわざ会いに来てくださったのだ。
たまちゃんもパパも風邪でずーと具合が悪かったのに、ありがとうございます。
で、あっと思いついて、志度寺で私の数珠をきいてもらおうと、また電話。
そうしたら、志度に寄らないでそのまま八島に来るつもりだったところをよってくださるが・・なかった・・。
いや・・とにかく、八島への道、きつかったす。
登るのもそうだが、これ、降りるのも大変だよね、とkさんと話し合う。
40分近くかかった。
屋島寺門前に托鉢お遍路さん。
200円喜捨。
しかしねえ、ちょこっと、頭を下げたきり、無言。
金額が不足なのか?
kさんもなさったが、やはり無言。
「なんだかね、せめて南無大師遍照金剛を、唱えて頭を下げるとかねえ」
「あれではねえ・・・」
と、二人してぶつぶつ・・・・
お参りしていたら、たまちゃん、現る、すごく元気、ちょこっと、丸くなっていたけどね。
一緒に大師堂をお参りした。
で、たまちゃんが、自分の数珠を私に貸してくれた。
ありがとう、です。
助かりました。
これもって、お参りしていると、たまちゃんと一緒みたいです、はい。
で、車までいって、ゴンにあった。
なんと、ゴン、納経帳まであるんだわ。
びっくり。
で、ずいぶん大きくなって。
かわいい。
じきに、白衣もできるらしい。
お遍路犬、誕生だ。

お昼をパパにお接待していただき、さらには、お菓子やお赤飯、おつけものまで・・・、ゴミも始末しましょ、と引き取ってくださった。で、新しい袋にはお菓子が入って、うしし。
でも、会いに来てもらった上に、なんだか恐縮であった。
たまちゃん、数珠なくさんようにするよ、といったら「なくしたら、私泣くよ」kさんに「ようみっとてな」と、念押ししていた。(トホホ)
kさん「よううく、みときます」

1時半すぎにお別れして、きらら温泉の宿泊施設へ向かう。
一宮寺の手前だ。
kさん、今日は足の調子が悪く、どんどん遅れる。
私は、平らの歩きだと時々無念無想になってしまうので、kさんが後ろにいることを忘れて信号待ちで、はっと気がつく。そうすると、そのたびに姿が小さくなって。
5時半すぎに着。
いいお風呂。(温泉)
リラックスした。
1泊素泊まり入湯代も入れて、4750円。
決して安くないが、部屋はきれいだし、自炊設備もある。
元々、賃貸のマンションだったモノらしい。
kさん、ここに1週間ほど泊まって、自炊して、湯治できるね。
いやごもっとも。



2004年02月10日(火) *志度へ

夕べ雪が降ったので、外がうっすらと白い。
6時半に朝食をいただいて7時15分出た。
昨夜、おばちゃんにもし雪がぎょうさん降ったら、山はやめたほうがいいといわれたが、ぎょうさんではないので、奥の院経由で行くことにした。
おばちゃんも、大丈夫やろというし。
ただ、女体山越えはやめて林道を行けといわれた。乗るよりおりるんが怖いし、と。そうだとなと納得。奥の院から林道へ出て下った。
しかし、真っ白な道はパウダースノー、時々滑って、細心の注意が必要だった。

88番奥の院は、初遍路の時は、いっこくも速く着きたかったのと、200メートル往復する元気がなくて、パスしたので今回ゆっくりとお参りした。
岩に張り付くようにあるお堂は、おこもりもできる状態、きれいに保たれていて地元の人たちの思いがわかる。
それにしても、山道、95年から比べるとよくなった。
ただ、歩き安さとよくなるのは別だ。
枕木?を設置した道はその幅で歩かねばならないのできつい。

林道沿いの道しるべもホントによくなって、これだと迷うなんて心配はないだろうと思う。
多和神社をすぎたあたりで、専門学校の学生さんのような一団とすれ違う。学校できたらしい。「女体山まで行きます」という。さらに挨拶が元気でごみぶくろを持っている子もいた。
その中の女の子たち、「食べますか」と、自分たちが食べようとしていたキャンデーを私とkさんにくれた。まあおせったい?かな。
うれしかった。

10時20分、道の駅長尾着。
お遍路交流サロンをみたいと思っていたのだが、今日は休日で残念だった。
道の駅で休んでいたら、きょう結願という区切りの男性遍路さんが来た。
定年遍路さんかな。
どの道がいいか、と訊かれたので、やはり初めてだったら、女体山越えで・・と勧めた。
このあたりも変わった。
昔は、前山小をすぎるとなにもなかったのに・・・寂しくて人気の少ない道だったのにねえ。

いい天気で、会う人がみんな昨日よりぬくい、というが手袋を脱ぐと寒い。
やはり、冬である。
長尾寺で、お参りしてうどんを食べて1時15分発。
途中の、入谷だった?か、すごい人が並んでいて大繁盛。びっくりだった。
どんどん歩いて、玉泉寺へお参り。
きれいな(行き届いて、ちゃんとおつとめをされているという意味)お寺、お参りを始めたらお堂の入り口をあけてくださった。
で、お参りを終えたら、甘酒の接待。
納経を書いてくださっている間、甘露の甘酒を味わった。

それにしても気がつくのは長尾町がつけた「へんろ道」の印。
充実していた。
ホントに97年の頃から見るとこれまた様変わりだ。
志度がちかずくにつれて高速道やそれに付随する新道ができて、これまた景色が変わっている。

志度寺で、若者野宿遍路さんとすれ違った。
宿に荷をおいて、前から行きたかった源内さんの遺品館へ。
エレキテルを回して、電気の火花を散らしてきた。
源内さんは、おもしろいお方だった、早く生まれすぎた悲劇のお人だった・・・
夕方町中で、宿泊まりらしい20代半ばくらいの若者遍路さんと挨拶。
ちょこっと暗めの子。
逆うちで3人にあったわけだけど、これを多いとみるか少ないとみるか。
歩行距離、約23キロ。
ひさしぶりの歩きで足、痛いわ、とkさんとブチブチいっている夕べの時間である。



2004年02月09日(月) *八十八番門前にて

昨夜の宿である「高松さきかYHゲストハウス」は「美松」という観光旅館の旧館を提供しているモノ。ベッドが二つに4畳半ほどの畳の部屋がついた立派なモノ、古いがしっかり掃除はしてあるし、お風呂トイレ付き、冷蔵庫のテレビも。
で、YHメンバー3900円(税別)まあ、ビジネスホテルに泊まった感じ。
でも、お風呂は本館の大きなサウナ付きのお風呂(温泉)が利用できて、この点はお得だった。しかし、部屋が広すぎるので、暖房を切ると寒いし、困った。

朝出るときに、本館に鍵を旧館のフロントにおいてきたといったら、ちょうど団体遍路さんのバスのお世話ががりの人がいて、「お接待」と飴をくださった。
「私まだお遍路さんじゃないです、これから88番にいってお遍路さんになるんですが」
と、辞退したのだが、まあいいから、いいから・・・で。

11時すぎに着いたKさんと高松駅前で合流、うどんのお昼を食べて、長尾駅へ。
でタクシーで、88番に向かった。
行きしなに、お花や供物をかって事故現場付近で、読経、黙祷。
3時前に着いたので、ゆっくりと88番をお参りした。
97年の事故以来、初めての88番だ。
来た、これた、という感じだ。

明日は一応、女体山越えから、林道を下ろうかな・・と感じ。
でも、八十窪のおばちゃんは雪が今晩降ったら、車道から旧道がええで、という助言。
すごく寒い。
大窪寺の手水に見事なつららができていた。
八十窪のおばちゃん、去年は圧迫骨折で入院されたようだが今はすごくお元気だ。
いろいろなお話をした。
幸月さんのこと
「はじめ見たときは、怖くてよれんかったけど、最後のほうでは、仏さんの顔になっとたで」
毎日、自分の家の前を通るお遍路さんを見てると、世の中の変化もわかるようだ。
私が前に泊めてもらったのは95年だ、といったらそのころのお遍路さんは宿の無断キャンセルやらせんかった、そのころに比べたらお遍路さん、大分質が落ち取るで、とのことだった。
やっぱりねえ・・・仕方ないよね。




2004年02月08日(日) *破磐神社さんで無事帰国御礼

7時53分の新幹線で、姫路着11時14分。
改札で、Dさんがお待ちくださっていた。
ひゃーおひさしぶり!である。
今日は、神社で同じくDぐみのIさんやネパールに一緒に行ったSIさんにもお会いする。
西国徒歩巡礼の書写山から道でお知り合いになって以来のおつきあい、不思議といえば不思議なありがたいといえばありがたいおつきあい。
破磐神社の宮司さんにお会いできたのも、このおつきあいからだからねえ。
なんて感慨に耽っている間に、あっという間に車は神社の駐車場へ着いた。
DさんとSIさんのお友達も見えられていて、総勢8人での参拝だ。
正式参拝、その後の直会。
久しぶりである。
正式参拝の後に、しっかりと神様に「ありがとうございました、おかげさまで無事に帰りました」
昨年の10月18日にお参りした時に、帰ってきてまたお参りできますようにとお願いしたので、ちゃんとお礼参りができてほっとした。
人のお約束ももちろんだが、神様とのお約束はなおいっそう遵守、だ。
直会は、いつものことながら、見事。
今日は「神様が好きな人が見えられるんで、珍しいモノが神様に届きまして、うちの神様、お手配がいいんですわ」
と宮司さんがいわれて、なんと黄身がオレンジ色の卵(名前、忘れた、なんと鶏あたま)が、献立の一つに・・珍しかった。
それに、レンコンのちゃわんむしは感動モノの味。最後のデザートが、やはり届いたばかりの愛媛の無農薬ポンカン、これまた甘くておいしかった。
お四国にこれからいく身としてはよいかんじ。
そうそう、話題の中に鶏インフルエンザの話があって、売れない鶏肉をエリトリア政府が購入した、という話があって。
あの国、たいがい、生きているまま1ぴきものを買ってきて料理するのに、そんな怪しい鶏肉、誰が買うんだろうか・・・・とはいうものの、心配である、やっぱり。

宮司さんから例のごとく楽しいお話を聞いたが、宮司さん、お風邪だろうか、お疲れだろうか、少しお元気がなかったような。

4時すぎていたが、鶏足寺までお参り。
これまたお久しぶりです、観音様。

夕方の新幹線で、岡山、マリンライナーで高松泊。
しかし、高松、寒し。
明日こちらに来る同行のKさんに電話して寒いですから暖かくしてきてくださいと電話した。
今朝、早起きできるかと心配でよく寝られなかった。
だから、すごく眠いぞ、早寝しょっと。

それにしても一昨年から始まった姫路通い、なんだか来ると景色が懐かしい。第二の故郷に来るような・・・
本日破磐神社さんでご一緒したみなさま、楽しい時間、ありがとうございました。
眠いのでメールは失礼して、この場を借りて御礼申し上げます。(ペコリと礼)
Dさん、本日も駅までお送りいただき感謝しています。(低頭)

高松のお月さま、なんだか、笠をかぶっている。
まさか、雪とか・・雨とか・・じゃないよね。



2004年02月07日(土) 富士がきれい

寒いのはイヤだが、寒気が強くなると富士山がきれいなのが嬉しい。
あのお山が見えるがために十数年前にこの部屋を決めたようなモンだから。

昼近く、久方ぶりにスヌちゃんから電話、けっこう長話してしまった。
引っ越した東京お台場近くのお話、なかなか興味深く聞いた。
「あら、まだいきていたのね?」のメールをもらった時は、そりゃないだろ(^^;)
だったが・・・3月にでもお訪ねしよう。
引越祝いもしてないのだわさ。

うちの中をかたずけたり、お遍路の準備をしたり(まだつめていない)で夕方が来た。寒いので、ついつい荷物が多くなりそうで・・・ホッカイロやっぱ持っていくかな?どうするかな?と今もお悩み中。歩き出せば、まずいらないと思うが、歩いていて、暖かくなるまでの時間がね・・・それと、あまりに寒いと、お腹が冷えて下痢となる。(アイスランドではそうであった)
さっきザックにかけた防水スプレも乾いたことだし、そろそろつめてみようかな。
デブになったので、体が重いだろうな、と思う。
ダイエット遍路が今回のスローガンか・・・な。
すでに、今治のKさんや松山のTさんから、1日でも共に歩きたい、というメールと電話を頂いている。ありがたいことだ。
明日はとりあえず、破磐さんへ。こちらの方も、久しぶりの正式参拝楽しみですねのメールを頂戴している。これまた、嬉しくありがたいことだ。

今回は結願したいので、かなり長く歩くことになる。
わくわく(期待)、ドキドキ(ちょこっと不安)。

明日からは、久しぶりにシグマリオンで「現地発」のリアルタイム歩きお遍路日記となります。
お楽しみに。



2004年02月06日(金) エリトリア日記、完了

きょうは、寒い朝だった。
朝から、今治の友人から電話で、玉置神社の宮司さんが亡くなられた話を聞いた。
合掌

午前いっぱい、お遍路の計画やら、資料(バスや電車の時間など)をネット上から集めた。
やはりどうがんばっても、3月アタマまではかかりそうだ。

午後は、写真をとってきてアスカダムとナオミちゃん、グゼイにあてにエアメールで出した。ナオミちゃんには、通訳御礼の意味も込めて、バックを一つ入れといた。
軽くて、地味で、教科書もはいるダッチ的質実剛健系のバックだが、まあ彼女が気にくわなかったらミエコが使うだろう。

アスカダムとグゼイには、新幹線社内誌で見つけた東北の美しい雪景色写真カレンダーもいれた。
これで「写真送れ」の約束ははたした。
エリトリア日記のアップもすべて完了。
ネパール日記が未完なのは心に残るが、もう、11月の日記のアップはいいや。
いつか、思い出として、どっかでアップしますわさ。(ごめん)

これで、心おきなくお遍路に出られるわ。



2004年02月05日(木) みその農園からのお便り

今日は寒かった。
あちこち雪らしい。

昨夏ヤマモモを食べに寄らせていただいたみその農園のNさんからメール

「ほとんど畑にこもりっきりで野良仕事に精を出している
この頃です。
それにしてもに寒いですね。
それでも立春。春はすぐそこまで来ています。
こちらでは梅もタンポポもレンゲも咲き始めたし
一昨日初めて聞いた下手くそなウグイスも
今日はどうにか「ほーほけきょ」に近い感じで鳴いていました。」

ヤッパ、四国は寒いのか。
でもウグイスも鳴いているのか・・・暖かい四国であってくれよ。

日記、1月10日と14日をアップ。



2004年02月04日(水) 友人たちと食事会

お土産をわたすということで、会うはずが、友人が亡くなったご主人の「公務災害の認定」が出たから、きょうはお祝い、私は席を予約したから・・という話になって。
聘珍楼の「春節のコース」というおいしいコース料理をごちそうになった。
昨年に結着を見たのは聞いていたし、おめでとう、だったのでが、本来、私などが中心になってこういう席を持つべきだったと猛省した。
亡くなった彼は、私が事故で入院していたときに下の階にいて、そのときはまだ外出などをしていて、よく動けない私のためにコーヒーなどを買ってきて下さったものだ。
そして、医療事故などで落ち込む私を、友人と共に慰めて下さった。
来年は7回忌だという。
彼女は、生前の彼の残した課題を粘り強くよく闘った、と思う。
ご苦労様でした。
それにしても早いものだわ・・・・すごくいい方だったし、いい方ははやく亡くなるよなあ。
と感慨に耽ってしまう。
もう一人の友人の嫁姑問題も煮詰まっているようで・・・どっちもそれぞれ、悪い人ではないのだが、そばにいるとと、もう最悪らしい。
きょうは昼間にも電話があって、それも嫁姑問題を聞かされて、その他の話題もあってけど、1時間以上話を聞いた感じだな。
みなさん大変ですわ。

・・・・・・・・・・・・・・
1/9日の日記アップ



2004年02月03日(火) 節分だ

節分だ、はやいねえ。
いただいた豆を遠慮がちにまいて、歳の数だけ食べて(といっても、一気は無理だったので2回に分けて・・馬齢を重ねたなあ)、恵方巻きをヨーカ堂から買ってきて今年は東北東だというのでそっちむいてパックン。
あと、クロビールにタコのもずく酢で、本日は終わり。
恵方巻き、美味しかった。

うち「鬼は外」の鬼なんていないと思う、だって、私がいない方が多いんだから、鬼だってさびしがって自主的に退去すると思うのだ。
それに、今夜の関東地方は雨、寒そう。追い出したら、かわいそうな気もしてしまうのである。

さて、エリトリア日記のアップだ。
がんばらないと、お遍路に出る前におわんないよ。
そう、お遍路に出る前に、アスカダムとグザイ、三枝子さんちに写真を送ろうと焼き上がった写真チェック。
グザイなんて、アルバムにしてほしい、というリクエスト、アスカダムも。
遠慮なしでどんどん希望をいわれてしまって、さらに、あとから、あれがまたほしい、もっと送れとかいわれるのもイヤだし・・あの遠慮なさぶりからだと言われそうなので、いわれそうなものは多めに焼き回して、とかやっていたら午後の時間がつぶれた。写真の数も膨大になってしまったし。
まあ、ここまではお約束したのだから、これまたお遍路に出る前にして行かぬと。

節分に雨降りって、暖かいのだよね。ふつうに考えたら・・・まだ厳冬のはずなのに。やはり、地球がおかしい。



2004年02月02日(月) 久しぶりの雨かな・・

昨夜お月さんがカサかぶっていると思ったら、雨になった。
郵便を出したり、ゴミを出したり、本をかたずけたり・・いろいろとしていたら、夕方。
ひさしぶりに、友だちにあった。
来週から、お遍路、といったら、忙しいねえ・・・とあきれられた。
すみません・・・です。
その後、sakurankoさんにあって、郵便物を受け取った。
彼女、息子との約束の時間までジムに行くと行っていたのだが、寒いしさ、あったかいもの飲みにいこ、というので、居酒屋で、焼きとん(鶏ではない、昨今の鶏インフルエンザのせい)。八海山生酒というのを飲んだが、うまかったです。
雨のせいで寒いのだが、身体ほかほかで帰ってきた。
「若者とにとっての旅の効用」と「一神教と多神教」についての話をした。
(こう書くとけっこう難しいのう)

1/5日の日記アップ。




2004年02月01日(日) あの岸和田事件に思う

最低限のお年賀しか出していかなかったで、不義理がたくさん。
いかん、春が立つ・・いつまでもアフリカボケはいかん・・とせっせと80枚書いた。(なんでやねン、という数だ・・トホトホ)
つかれた。
昨夜の夜更かしも身体に来ている。
あの大阪岸和田長男虐待事件の記事や、ヤフーのこの事件に関する掲示板やら、毎日新聞の特集「殺さないで」をネット上で読みふけっていたら、力いっぱい深夜の時間だったのだ。
あの親たち、鬼畜のような親、だ。
役所も怠けていた、ね。
どんどん抗議電話が来ているって、当たり前だ。
私もかけてやろかしらん。
まあ、あの親(父)の姿形を見ると役所の人や先生が怖じけるの、わかる。
母親もすごみ系だし。
ヤフーの掲示板に、児童相談所などで、こういったうちに踏み込むのは、強面の柔道有段者とか、空手とかで鍛え上げたお人がいいのではないかというのがあったが、笑いながらも真面目に同意した。
いやまったく・・頭だけいいへなへなでは位負けするわ、あのオヤジの写真見てそう思った。
それと、公務員になる人なんて、所詮、大事(まあ、ふつう)に育てられていて虐待経験なんぞありそうもないし、鬼畜のような親がいるという想像力のおよばないところで事件は起こっているのではないか・・・という意見も鋭いところをついていると感じた。
そうして、日本は子どもの人権が低すぎるという意見も同感だった。
例えば、長崎の突き落とし事件だが、前にも書いたが、殺された幼児の親も、あれはアメリカやオランダだったら、完全に保護者の責任が問われる。
日本は同情するだけで、表だってそれをいう人はいなかったが。
しかし、誰もいわない(いえない)のだったら、法律を作るべきだ。
「たとえ、5分たりとも、幼児の手を離して事故があった場合、親は責任を問われる、罰っせられる」
といった類の決まりを作らないといけない時代だと思う。
だって、常識が通じない事件がすでに多発しているのだから。
それに、私がよくいうのは、殺すほどにひどいことをするのだったら子どもを捨てろ!!と。
「お子さま、おすて場所」をつくればいい。
江戸時代とか、双子が生まれると、片方を捨てた(まあ、あとで拾いに誰かが行くんだけど)とか、いうしむしろ無事に育て上げるためには捨てるのも方策だ。
中国などでは、易学的に見て、自分と子どもの相性がよくないと、さっさと養子に出した、という話も聞いているし。
人目に付くところに捨てたら、あるいは置き去りにしたら、誰かが(社会的施設)が育ててくれる。殺したり、虫けらのようにいじめるのだったら、それの方がなんぼかいいか。
グリム童話に、男の子と女の子が捨てられるお話があるが、あれだって生還しているぞ。童話というのは、いわゆる「普遍的暗示」だから、要するに子どもは捨てられてもしなんよ、ってことだよ。
親はなくとも、子は育つ・・になってきている感じ・・・・悲しいことだ。
しかし、昨夜は、毎日の「殺さないで」を読んでいるうちに気持ち悪くなって、困った。
義父による性的虐待を6才だったか、から受けてきた女の子、空腹のあまりにドッグフードを食べてしかられて殺された子、家族ぐるみ(オオじいちゃんから母親まで)に折檻されて死んでしまった子・・私が読んでいて死にそうな気分になった。
とりあえず、子どもの人権の底上げをまずしてほしいと思う。
少子化が進んでいるのに、こんなに子どもがころされていいの、だ。


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